2023年1月31日火曜日

自分の心に正直に

 特急電車とかで、二人掛けの座席ってあるよね。


 あれ、困るんだよね。

 すいているときはいい。両方ともあいている席の、窓際に座る。

 混雑していてすべての席が埋まっている場合もいい。立っとくだけ。迷うことはない。


 問題は、ほどほどに混んでいて「両方ともあいている席はないけど、誰かの隣ならあいている」とき。

 どこに座るか。

 言いかえると、誰の隣に座るか。


 親しい友人でもいれば「おう、ひさしぶり。隣いい?」と隣に座るし、そんなに親しくない間柄なら隣に座ってもお互い気をつかうので気づかないふりをしてあえて避ける。

 でもまあそんな偶然はめったになく、ふつうは全員知らない人だ。


 おじさん、おばさん、おじいさん、若い男、若い女。おばあさんはあまりひとりで電車に乗っていない気がする。

 本音を言えば、若い女性の隣に座りたい。もちろんきれいな人に越したことはない。

 ことわっておくが、エロい気持ちだけが理由ではない(90%はエロい気持ちだが)。

 若い女性はたいてい細い。脚を広げて座ったりもしない。太っていて脚を広げて座るおっさんの隣よりも、どう考えても快適に座れる。

 だから肉体的にも精神的にも若い女性の隣がいい。


 が、ぼくにも見栄がある。

 おっさんがいくつもある座席の中からあえて若い女性の隣に座ったら、当の女性には「なにこのおっさん。いやらしいことするんじゃないでしょうね」とおもわれそうだし、周囲の乗客には「あのおっさん、わざわざ若い女性の隣を選ぶなんてエロいな。気持ちわりい」とおもわれそうだ。なぜそうおもうかというと、ぼくだったらそうおもうからだ。

 ということで、よほどのことがないかぎり、若い女性の隣には座らない。

 おじさんの隣や、若い兄ちゃんの隣を選ぶ。

 きっとぼくが横にきたおじさんや兄ちゃんは、「ちっ、おっさんかよ。どうせなら若くてきれいな女の人が来てくれたらよかったのに」とおもっているんだろうな。なぜそうおもうかというと、ぼくだったらそうおもうからだ。


 他の乗客を観察してみると、ぼくと同じように若い女性の隣を避ける男性はけっこう多い。

 どうせ電車で隣の席に座ったところで、ロマンスが起こるはずないのだ。だったら余計な気をつかう女性の隣よりも、無害そうなおじさんの隣のほうがいい。


 そんな中、一目散に女性の隣をめざすおじさんもいる。

 うわあ、あのおじさん、女性の隣に行ったよ。嫌がられるのわからないのかな。

 とおもうのだけど、心のどこかでそのおじさんをうらやましいとおもっている自分もいる。あんなふうに自分の心に正直に生きられたらいいな、と。



2023年1月30日月曜日

【読書感想文】パオロ・マッツァリーノ『サラリーマン生態100年史』 / 昔はマナーもへったくれもなかっただけ

サラリーマン生態100年史

ニッポンの社長、社員、職場

パオロ・マッツァリーノ

内容(e-honより)
「いまどきの新入社員は…」むかしの人はどう言われていたのか?ビジネスマナーはいつ作られた?忘年会、新年会はいつ生まれた?こころの病はいつからあったのか?いったい、この100年で企業とサラリーマンは本当に変わってきたのか?会社文化を探っていくと、日本人の生態・企業観が見えてくる。土下座の歴史をはじめ、大衆文化を調べ上げてきた著者が描く、誰も掘り下げなかったサラリーマン生態史!


 少し前に堀井憲一郎『愛と狂瀾のメリークリスマス』という、日本におけるクリスマスの歴史について調べた本を読んだ。知っているようで知らないクリスマスの話が盛りだくさんで、おもしろかった。

 戦争とか天災とかイノベーションのような出来事はよく調査されて語られるけど、クリスマスのような「身近すぎるもの」について、まとまった研究をする人は少ない。みんなそこそこ知っているから、わかった気になってしまう。今、自分のまわりに見えるものがすべてだとおもってしまう。

 だから、歴史の改竄(というより認識違い)は、戦争のようなビッグイベントよりも平凡な出来事のほうが意外と起こりやすいのかもしれない。


 で、サラリーマン史である。

 ものすごく身近な存在だ。今ではサラリーマン人口は全労働者の半数以上を占める。ほとんどの人は、サラリーマンであるか、サラリーマンであったか、これからサラリーマンになるか、家族にサラリーマンがいるかだ。

 そんな〝あたりまえ〟のサラリーマンについて、ふつうの人はわざわざ調べようとおもわない。もうだいたい知っているから。それをことさら調べるのがパオロ・マッツァリーノ氏。「歴史のあたりまえ」を疑うのが好きな自称イタリア人だ。




『サラリーマン生態100年史』を読んでいておもうのは、いつの時代も人間のやることはたいして変わらないのだな、ということ。

 戦前も、戦後も、高度経済成長期も、バブル期も、バブル崩壊後も、サラリーマンのやっていることは今と大して変わらない。もちろん仕事の内容や使う道具は変わるが、サラリーマンの生態はそんなに変わらない。

 食うために働き、隙あらばサボり、なんとかして会社の金を自分のものにしようとし、かといって安定を失うほどの大それた悪事はせず、上には文句を言い、下には小言を言っている。いつの時代も同じだ。

 たとえば、新入社員を表した言葉。今どきの新入社員は、教養がない、礼儀がなってない、えらそう、指示を待っているだけ、野心がない……。戦前も、戦後も、今も、言っていることはずっと同じ。いつの世もおじさんにとって若いやつは気に入らない存在であるらしい。こんなやつらで大丈夫かと憂いている。そしてその若いやつらがおじさんになって、また文句を言う。おそらく何万年もくりかえされてきた営みだ。

 もしもおじさんたちが口をそろえて「今どきの新入社員たちは立派だ! 安心して仕事を任せられる!」と言いだしたら、そのときはほんとに社会があぶないかもしれない。




 昔の満員電車はひどかった、という話。テレビでも昔の通勤風景を見たことがあるけど、そりゃあひどいものだった。今の満員電車の比じゃない。

 なにしろ『サラリーマン生態100年史』によれば、ほぼ毎日電車の窓が割れてけが人が出ていたとか、靴が脱げて行方不明になる人が多かったから駅ではサンダルの貸し出しサービスをして毎日利用者がいたとか、乗客が多すぎるときは車掌の判断で駅を飛ばしていたので駅によっては何十分も電車が止まらなかったとか、今では想像もつかないような話が出てくる。

 きっと死者だっていたんじゃないかなあ。おそるべし昭和。

 いま書店のビジネス書売り場では、「通勤電車で学べる○○」みたいな本がたくさん並んでます。その手の本が増えたのも八〇年代後半からでした。それ以前はほとんどありませんでした。というのは、あまりに電車が混んでいて本も読めない状態だったから。混雑が解消されたことで、化粧をしたり本を読んで勉強したりする余裕ができたのです。
 テレビでおなじみの脳科学者は、電車で化粧をするのは若者の前頭葉が退化したせいだなどと決めつけてましたけど、完全にまちがい。電車で化粧する女性がいることは、大正時代から昭和初期にかけても問題になっていました。それが戦後高度成長期に消えたのは、電車がむちゃくちゃ混んでただけのこと。日本女性の道徳心も脳機能も戦前に比べて低下などしてません。根拠もなく非科学的なウソを広める科学者にこそ、脳機能の精密検査をおすすめします。
 一九六〇年代には、通勤電車の混雑率が三〇〇パーセントを超えていました。新聞雑誌に、圧死アワー、酷電、痛勤、家畜車など、通勤地獄を描写するさまざまな表現が登場したのもこのころです。

 なるほどね。昔の人はマナーが良かったのではなく、電車が混みすぎてたから「電車で化粧をするOL」も「足を広げて座るおじさん」も存在できなかっただけ。そりゃそうだ。混雑率300%の電車でマナーもへったくれもない。




 ぼくは音痴なのでカラオケが大嫌いで、以前会社の宴会の後の二次会でむりやりカラオケにつれていかれてずいぶん嫌な思いをした。

 そんなわけでカラオケに対しては憎しみに近い感情を持っていたのだが、昔の宴会のことを知ってちょっとカラオケに対する印象が変わった。

 批判の声もあったものの、カラオケの登場によって無芸のサラリーマンが救われたのも事実です。カラオケはシロウトが歌いやすいようにキーなどを調整してあるので、多少のヘタはカバーしてくれます。ヘタでもとりあえず一曲歌っておけば、場をシラケさせることもありません。OLさんも以前のようなセクハラ宴会芸に悩まされることはありません(デュエットの強要をセクハラと見るかは議論がわかれますが)。

 カラオケ以前の宴会では、かくし芸や長唄や小唄など、一芸を披露させられることが多かったのだ。歌も、カラオケセットがないってことはアカペラで。

 うひゃあ。素人のへたな歌をアカペラで。歌わされるほうも地獄なら、聞かされるほうも地獄。

 いやあ、カラオケがあってよかったー。ま、宴会が悪いというより昔のパワハラ体質が悪いんだけど。




 戦前の出張について。

 ラクなのは視察が目的の出張で、これは報告書さえきちんと書けばいい。でも、なにかを売ってこい、買ってこいと命じられると、結果を出さねばならないのでなまやさしいことではない、とまあ、これはいまでもうなずける話。しかし、女工や鉱夫など、人を集めてこいって課題がもっともむずかしいというくだりは、ネットで求人できてしまう現在ではあまり聞かないかもしれません。
 人跡未踏の開墾地に行き、不景気で困っている百姓に声をかけたり、鉄道工事が終わったばかりの現場に駆けつけ、仕事が一段落した朝鮮人の人夫をもらい受けて炭鉱の鉱夫として連れて行くなんてのは、「その仕事のいわゆる下品なことお話に相成らぬ」とこぼします。大学を出て就職したのに、人買いみたいなまねをしなくちゃならないのは沽券に関わるとでもいいたいようで、露骨に差別的ではありますが、大量の肉体労働者を必要とした炭鉱が基幹産業だった時代ならではのサラリーマン物語。

 うわあ。こんなことまでしてたのか。「人買いみたいなまね」っていうか人買いそのものじゃねえか。

 まあそりゃそうだよな。求人サイトどころか求人誌もない時代だもんな。大量に人を採用しようとおもったら、人が集まるところに行って声をかけるのがいちばんだよな。

 でもこういう採用活動が成り立っていたってことは、当時は「誰にでもできる仕事」がたくさんあったってことだよね。だって外見以外何にもわからない人に声かけるわけだもんね。「力がありそう」とか「金に困ってそう」ぐらいしかわかんないもんね。

 一部の人以外は就活だとか自己分析とか面接想定問答とか無縁の時代だったんだろうな。ある意味、いい時代だったのかもしれない。とはいえそうやって就いた仕事がめちゃくちゃひどい労働環境だったりもしたんだろうけど。




 さっきも書いたけど、サラリーマンなんて、いや人間なんて、百年たっても中身はぜんぜん変わらないのだとわかる。行動原理も思考方法もたいして変わらない。

 でもまあ、あからさまな差別だとか、セクハラだとかパワハラだとか無意味な上下関係だとかはちょっとずつではあるけど減ってきているわけで、長期的には良くなっていってるなと感じる。

 怪我するぐらいの満員電車に詰めこまれて、接待や麻雀に遅くまでつきあわされて、宴会で一芸を披露しなくちゃならない昭和の時代にサラリーマンをやってなくてほんとによかった。精神を病んでいたとおもう。

 あ、この本によると精神を病んでいたサラリーマンは昭和時代も戦前もいっぱいいたそうだ。そりゃそうだ。「昔はこれがあたりまえだった。今の若いやつは甘えてる」なんて戯言を信じちゃいけません。昔だっていっぱい精神を病んで、いっぱい自殺してるんです。たまたま生き残ったやつがえらそうにしてるだけで。

 

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堀井 憲一郎『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』

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2023年1月27日金曜日

きょうだいの上が損か下が損か

 きょうだいの上が損か下が損か問題ってあるじゃない。

「上の子は『おにいちゃん/おねえちゃんだから我慢しなさい』と言われて損だ」とか

「下の子は、上の子のおさがりばっかりで損だ」とか。

 誰しも何度かは耳にしたことのある話題だろう。


 あれ、たいていきょうだいのいちばん上は「上のほうが損だ」と言うし、下の子は「下のほうが損だよ」と言う。

 みんな、自分が損したことのほうが得をしたことよりも強く記憶しているのだ。


 あの問題、もちろん家庭によってちがうんだろうけど、一般的にはきょうだいの下のほうが得だとおもう。弟のぼくが言うんだからまちがいない

 うちは年子で、ぼくと姉は学年でひとつしか変わらない。ひとつしかちがわないのに、姉のほうがよく我慢させられていたようにおもう。うちの親は「おねえちゃんだから」と言う人ではなかったが、それでもやっぱり姉のほうが割を食うことが多かった。

 家族でゲームをしていて、ぼくが負けると泣いて収拾がつかなくなるので勝たせてもらっていたこと。

 姉が誕生日に、当時はやっていたローラースケートを買ってもらった。そのときぼくも「ほしい!」と駄々をこねてぼくの分までいっしょに買ってもらえたこと(そしてちゃっかり自分の誕生日には別のプレゼントをもらった)。

 友だちが遊びにきたときに姉の持ち物を壊したこと。

 そのほか数えあげればキリがないが、ぼくが姉に迷惑をかけたことのほうが、その逆よりもずっとずっと多かった。

 姉からするとずいぶん理不尽な我慢を強いられただろう。一学年しか変わらないから、権利だけは姉と同じものを要求するくせに、義務のほうは年下を理由にちゃっかり回避する弟。憎かったにちがいない。


 第一子が得をするのは、弟妹が生まれるまでの間ぐらいかな。周囲の愛を独占できる時期。

 が、そんなものはほとんどおぼえていない。だいたい、周囲からの期待やプレッシャーを一心に受けることがいいとは一概にはいえないだろうし。

 家庭によるとはいえ、やっぱり一般的には第一子が損をすることのほうが多いとおもうな。


2023年1月25日水曜日

できない人は指導しなくていい

 最近、こんなブログ記事を見た。


入社二年目の社員に仕事を振るが、数日たってもぜんぜんできていない。その時点ではまだ叱責はせず、何をやったのかを尋ねても返答がない。何がわからなかったのか尋ねると、検索すれば一分でわかるようなことがわからず困っていたとの回答。調べるでもなく、人に訊くでもない。こいつは使い物にならないんじゃないか。


 それに対し、いくつものコメントが寄せられていた。賛否両論。

 大きく分けると、

「それはその二年目社員が悪い。またはそいつをその部署に配属したやつが悪い」という意見と、

「それは指導する側(つまりブログの書き手)が悪い。数日放置するのではなく、もっと細やかに管理すればその二年目社員も成長する。育成するのが上役の仕事だ」という意見だ。


 もちろんブログの書き手以外は当事者たちの実際の働きぶりを知らないわけで、ブログの書き手側の見解だけをもとに判断しているわけだから、正確な判断などできるわけがない。みんなそれぞれ「自分の周りにいる、使えない二年目社員的な人」や「自分の周りにいる、能力の低い指導係的な人」などに当てはめて好き勝手ものを言っているだけだ。


 ぼくも実情を知らないから、上記ブログの件についてどっちが悪いとかこうしたほうがいいとか書ける立場にない(そもそもブログ主は愚痴としてつづっていただけで読者からの判断やアドバイスを求めていたわけではなさそうだった)。

 ただ「言われるまで何もしないし、やっても成果が低いし、わからなくても調べられないし、他人に訊くこともできない人」はたしかに存在する。

 その人が悪いとか言うつもりはない(悪い場合もあるが)。最初に彼を指導した人のやり方が悪かった(たとえば勝手に何かをやれば怒り、わからないことを質問してきたら怒るような指導者)とか、別の部署なら彼はもっと力を発揮できるのにまったく適性のない部署に配置した人事担当者が悪いとかかもしれない。

 誰がいいとか悪いとかでなく、人間の能力に差がある以上、こういうことは必ず起こる。

 大谷翔平をプロ棋士の世界に放りこめば「使えないやつ」だろうし、藤井聡太をプロ野球の世界に放りこめば「使えないやつ」になる。


 で、問題はそういう人の処遇をどうするかだ。

「言われるまで何もしないし、やっても成果が低いし、わからなくても調べられないし、他人に訊くこともできない人」に対して熱心に指導したってあんまり意味がない。

 指導すれば成長はする。20点だった人を熱心に指導すれば、30点をとれるようになる。

 でも、その間に「言わなくてもそこそこできるし、アウトプットも高いし、わからないときは自分で調べるし、それでもわからなければ他人に訊くこともできる人」のほうは70点だったのが90点をとるようになっていたりする。しかも放っておいても。

 差は詰まるどころか拡がっているのだ。

 そして、がんばって20点の人を30点に育てた結果、指導する側のアウトプットが80点から60点に落ちてしまったりする。アホだ。


 20点の人を30点にするのは、幼稚園や小中学校だったら大事なことだ。教育が目的だから。

 でもたいていの組織においてはそうではない。がんばって20点の人を30点にするぐらいなら、同じ労力をかけて70点の人に120点取らせるほうがいい。組織全体として見てもいいことだし、20点の人も性に合わない仕事でがんばらされるのはつらいだろう。120点の人は不満が残るかもしれないが、そこは給与や賞与で評価してやればいい。

 20点の人は20点のままでいい。放っておけばいい。


「数日放置するのではなく、もっと細やかに管理すればその二年目社員も成長する。育成するのが上役の仕事だ」

という意見に関しては、前段に関してはその通り、でも後段は誤り。それは義務教育の仕事。


 以前読んだ本によれば、アフリカなどの貧しい国では、努力して豊かになれるような仕事自体がそもそも国内にないので、まじめに働く人がすごく少ないのだそうだ。その代わり、一部のエリートは海外に出て、ものすごく稼ぐ。そうすると、エリートの親やきょうだいだけでなく親戚一同がそのエリートからの仕送りをあてにしてますます働くなる、ということがよくあるらしい。

 ずるいじゃん、とおもうかもしれないが、エリート本人が納得しているのであればなんの問題もない。

 月に100ドル稼ぐ人が200ドル稼げるようになることに比べれば、月に10,000ドル稼ぐ人が11,000ドル稼ぐようになるほうがずっとかんたんだ。そして後者のほうが収入増加額は10倍も多いのである。

 組織ってそれでいいとおもうんだけどね。カバーしあえるのが組織の強みでしょう。



2023年1月24日火曜日

子どもと仲良くなるコツは「なめられる」ことである

 何度か書いているが、ぼくは子どもと遊ぶのがうまい。

 まず、子どもと遊ぶことが苦にならない。父や伯父が子どもとよく遊んでくれる人だったので、大人の男たるもの子どもと遊べるようになって一人前、みたいな感覚を持っている。親になって「世間の大人は子どもと遊ぶことがあんまり好きじゃない」ことを知ったぐらいだ。

 何時間でも子どもと遊べる。きっと精神年齢が低いのだろう。子どもと対等に遊べる。かくれんぼも大縄跳びもけいどろも、わりと楽しく遊べる。「えらいですね」なんて言われるが、べつにえらくない。いっしょになって楽しく遊んでいるだけだ。

 よく会う子どもだけでなく、初対面の子どもと遊ぶのもうまい。たいていの子は三十分もすればぼくと全力で遊ぶようになる。さいしょはもじもじしていた子も、二時間もすればぼくのお尻を叩いてきたりする。


 子どもと仲良くなるコツは「なめられる」ことである。

 たいていの大人は、鷹揚な態度で子どもに接する。子どもが失礼なことをしても笑って許してやり、子どもの失敗をどっしりと受け止め、子どものご機嫌を伺い、常に優しくする。

 これは優しいようで、じつは相手を見下している。相手を下に見ているからこそ許すのだ。

 だってそうでしょう。友だちが自分の家のトイレに行って「まにあわなかった~」と言いながら床をおしっこでびしょびしょにして拭かずに出てきたらめちゃくちゃ怒るでしょ? でも二歳児が同じことをしたら、内心では「なにやってくれてんだよ」とはおもうけど「しょうがないね。次はもっと早く行こうね」なんて言って許すよね。本気で「おまえ何やってんだよふざけんなよ!」と怒鳴らない。いい大人は。

 寛容であるというのは、相手を見下しているからこそできることだ。若くて金のない若者が「飯おごってくださいよ~」と言ってきたらおごってやる余裕がある人でも、自分と同い年で自分よりモテて自分より幸せそうで自分より年収の高い人が「飯おごってくださいよ~」と言ってきたらむっとする。それは相手を下に見ていないからだ。自分と同等以上の人には寛容になれない。

 この「寛容=見下している」態度は、相手が子どもであってもちゃあんと伝わる。三歳ぐらいになると察する。この大人は優しくしてくれる。ということは自分より上の立場の存在だ、と。

 相手から、上の立場だとおもわれたらもう仲良くなんてなれない。社長から「今日は無礼講だから言いたいこと言っていいぞ」と言われても「正直、こんな安い飲み会じゃなくて早く帰らせてもらえて給料上げてくれるほうが百倍うれしいんですけど」とは言えないのと同じだ。


 ということで、子どもと仲良くなるために必要なのは「なめられる」こと、言い換えれば上に立たないことだ。

 まずは子どもにお願い事をする。「そこのお茶とって」とか「○○教えて」とか。お願い事をする局面においては、頼む側の立場が下で頼まれる側が上だ。子どもでもわかる。これにより自分の立場を下げる。

 それから、子どもに優しくしない。お願いをされても「いやだね」と断る。ゲームをするときは子ども相手にしっかり勝つ。さらに自慢する。子どもがミスをしたら「やーい、失敗してやんのー」などと言う。

 要するに「大人げないふるまいをする」ということだ。頼みをなんでも聞いてやるとか、わざと負けてやるとか、なにをされても「大丈夫だよ」と笑って許してやるとか、そういう「大人なふるまい」をしない。「ちょっといじわるなライバル」としてふるまう。「ほーらおじさんはこんなにうまくできたよ。すごいでしょ。君にはできないでしょ」なんて大人げない言葉を口にする。

 こうなると子どもも目の色が変わる。眼の前にいるのはいつでも優しくしてくれる大人ではない。にっくきライバルである。本気で対峙しなくては勝てない。


 その上で、うまく手を抜いて負けてやるのだ。

 そうすると子どもは「この大人はわざと勝たせてくれたのだ」とはおもわない。なにしろ相手は優しい大人ではなく、いじわるなライバルだ。「本気で自分を負かそうとしてくるにっくきライバルを自分の力で打ち破ったのだ」とおもう。本気で喜ぶ。

 負けたら悔しがる。そうしないと、勝たせてやったことがばれてしまう。悔しがり、次は勝つ。そしておおげさに喜ぶ。相手を悔しがらせる。

 ただ六歳ぐらいになると、うまくやってもわざと負けていることを見抜かれてしまう。そんなときはハンデを与える。その上で全力を尽くす。それなら、手を抜くことなく、負けてやることができる。勝ったときは相手を悔しがらせることができる。


「子どもといっぱい遊んでくれる優しいおとうさんですね」なんて言われるが、じっさいはまったくの逆だ。まったく優しくない。いじわるなおじさんだ。だからこそ遊べるのだ。


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【エッセイ】ハートフルエッセイ ~子どもの手なずけかた~

四人のおとうちゃん


2023年1月23日月曜日

第二子のアドバンテージ

 テレビを観ていたら、タレントふたりの子どもたちにかけっこをさせていた。

「アスリートとして知られるAの長女(三歳)」VS「運動神経が悪いことで知られるBの次女(三歳)」で、他の出演者たちがどちらが勝つかを予想するというコーナーだった。

 出演者たちはこぞって運動神経のよいAの長女が勝つことを予想していた。が、ぼくはテレビを観ながら「そりゃあBの次女が勝つだろう」とおもっていた。結果は、はたしてBの次女の勝利。


「親の運動神経がいいから子どもも運動が得意だろう」なんておもうのは、子どもというものを知らない人の発想だ。

 たしかに小学生ぐらいになれば、持ってうまれた運動センスがものをいうようになる。だが三歳児にはそんなものは関係ない。重要なのは「メンタル」と「場数」だ。そしてそれらが上回るのは、長女よりも次女である可能性のほうが高い。


 うちにも子どもがふたりいるが、同じ年齢のときで比べてみると、次女のほうが圧倒的に優秀だ。走るのも、ジャンプするのも、ボールを投げるのも、ボールを捕るのも、踊るのも、言葉で伝えるのも、笑いをとるのも、感情をコントロールするのも、(長女が同じ年齢だったときに比べると)圧倒的に次女のほうが上だ。ほとんど同じ遺伝子を持っているにもかかわらず。

 それはひとえに、第二子のほうが幼いころから競争にさらされているからだ。

 姉にくっついて走ったり踊ったりボールを投げたり。うちの次女なんて姉と五歳も離れているのに、幼いころから「姉にできることなら自分でもできる」と信じていて、飛んだり跳ねたりしていた。おかげで身体の動かし方が飛躍的にうまくなった。

 また表現もうまくなる。ゆっくりゆっくりしゃべっても親が耳を傾けてくれる第一子とちがい、第二子の場合はもたもたしゃべっていたら姉にその場の話題をかっさらわれてしまう。必然的に会話スキルが上達する。的確に、スピーディーに、かつおもしろい表現をしないと耳目を集められない。

 さらに、第一子に比べて第二子のほうが交友関係が広がりがちだ。ぼくも妻も社交的な人間でないので、長女が幼いころは近所で言葉を交わす人が少なかった。ところが長女が保育園や学校に通うようになると親の世界も広がる。娘の友だちの保護者、娘の友だちの兄弟姉妹、その友だち。いろんな人と話したり遊んだりするようになる。すると次女からしても「近所のおじさんおばさん」や「近所のおにいちゃんおねえちゃん」と接する機会が増える。当然、身体や言語の発達に好影響を受ける。


 年齢が低いうちは特に「長子か二番目以降の子か」というのは子どもの能力に大きく影響する。

……ということが、いろんな子どもと接したり、ふたり以上の子を育てたりするとわかるようになる。

 が、ひとりめのときはなかなかわからない。ただでさえ最初の子育ては不安なものだ。そんなときに、自分の子(第一子)と他の子(第二子以降の子)を比べると「あの子はうちの子と同じぐらいの月齢なのに、身体の動かし方もおしゃべりもずっとうまい。うちの子は発達が遅れてるんじゃないか」と不安になってしまう。

 次女を他の子(第一子)と遊ばせていると、よくその親から「おたくの○○ちゃんはよくできますね。それにひきかえうちの子はどんくさくて……」といった言葉をかけられる。

 いやいやそれは第一子の宿命ですよ。うちの上の子もそんなもんでした。五歳ぐらいになったらあんまり関係なくなってきますよ。ってなことを伝えるようにしている。


 二番目以降の子は成長が早いだけなんです。でも早いだけで長期的に優れてるとはかぎらないんです。

 ということを広く知らしめたい。第一子の子育てをする親のいらぬ心配が軽くなるように。


2023年1月20日金曜日

【読書感想文】スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』 / 人間はけっこう戦争が好き

戦争は女の顔をしていない

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(著) 三浦 みどり(訳)

内容(e-honより)
ソ連では第二次世界大戦で百万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦った。しかし戦後は世間から白い目で見られ、みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかった―。五百人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした、ノーベル文学賞受賞作家のデビュー作で主著!


 歴史上、ひとつの戦争で最も多くの死者を出した国をご存じだろうか?

 第二次世界大戦でのソ連である。


 1941年、ナチス政権化のドイツ軍はソ連に侵攻した。ソ連は連邦国だったため一枚岩ではなく、ソ連に反感を持っていた地域や、共産主義に反対していた者たちも、ソ連を裏切ってドイツ軍側についた(最も彼らもナチズムでは列島民族として考えられていたため決してドイツからいい扱いは受けなかったようだが)。

 当初敗北続きだったソ連はモスクワまで攻め込まれるも、パルチザンと呼ばれる市民軍の抵抗や英米の支援を受けて盛り返し、最終的にはベルリンを陥落させドイツ軍を破った。辛くも勝利したもののその被害は大きく、ソ連の死者数は2000万とも3000万とも言われる。戦勝国であるソ連がこれだけ多くの死者を出したのだから、世界大戦の規模の大きさがうかがいしれる。

 この独ソ戦には、男だけでなく、女も多く戦闘に参加していた。看護婦や医師としてだけではない。運転手、工兵、そして戦闘員、将校として多数の女も参戦していたのだ。

 他の国の軍事情はあんまり知らないけど、こういう例はかなりめずらしいのではないだろうか。

 そんな、戦争に参加していた(それも最前線で)元兵士の女たちへのインタビューを集めた本。戦争体験談はよく目にするが、インタビュイーが女ばかり、というのはかなりめずらしい。

 ほんとにバラバラの話をただ集めただけなので、一冊の本として読むとかなり散漫な印象だ。それが逆にリアルでもあるのだが。




 まず驚かされるのが、多くの女性たちが決して嫌々ではなく、喜んで戦いに志願していたこと。

 はしゃぎながら乗り込んだわ。元気いっぱい、冗談を交わしながら。どこに所属するのか、どこに向かっているのかも知らなかった。どういう役割を担うのかはどうでもよかった。とにかく戦地に行きさえすれば。みんな戦ってるんだから、私たちだって。シチェルコヴォ駅に着いて、その近くに女性用の狙撃兵訓練所があった。送られたのはそこだったの。みんな喜んだわ。本物よ、本当に撃つのよ、って。
 勉強が始まった。守備隊勤務の規則や規律を学び、現地でのカムフラージュや毒ガス対策。みんなとても頑張った。眼をつぶったまま銃を組み立て、解体できるようになり、風速、標的の動き、標的までの距離を判断し、隠れ場所を掘り、斥候の匍匐前進など何もかもできるようになった。一刻も早く戦線に出たい、とそればかり。
「勉強しなければ行けない」と、説得されました。「いいわ、勉強する、でも看護婦の勉強じゃないわ。私は銃を撃ちたい」私はもうその気になっていました。私たちの学校には、内戦の英雄やスペイン市民戦争で戦った人たちがよく講演に来たものです。女子は男子にひけをとらないと思っていました。男女の別はありませんでした。それどころか、小さい頃から「少女たち、トラクターの運転を!」「少女たち、飛行機の操縦を!」という呼びかけを聞き慣れていました。そこにもってきて、恋人と一緒!緒に死ぬことまで想像しました。同じ戦闘で……

 ついつい現代の価値観を当てはめて「女も戦闘に参加させられるなんて悲惨な状況だったんだな」と考えてしまうが、実に多くの女性が自主的に入隊している。「家族や、軍の男たちには反対されたのに、反対をふりきって参加した」という声も多い。むしろ男たちのほうが保守的で「女は銃後を守ってくれればいい」という考えだったようだ。

 そういえば斎藤美奈子『モダンガール論』でも、戦争はそれまで家庭に閉じこめられていた女性が社会進出するチャンスだったので多くの女性が戦争に賛成した、と書いてあった。

「女の仕事は結婚して子どもを産んで育てること」だった時代では、戦争は女性にとってチャンスだったのだ。このあたりのことは覚えておきたい。朝ドラに歴史改竄されないために。


 ニュースでテロリストや少年兵を見ると、あいつらは異常者だとおもってしまう。自分たちとはべつの人間だと。けど、教育次第で誰でもかんたんにああなってしまうのだ。「祖国のために戦うのが人間の生きる道だ」と教えられれば、あっさりとその考えに染まってしまう。愛国心は、平和を望む心よりずっと強い。

 少し前に、とある学者がこんなツイートをしているのを見た。

「左翼連中は、軍備増強に賛成する連中のことをまるで戦争好きみたいに言う。でも誰だって戦争になんか行きたくないんだ。戦争に行きたくないから、防衛を強化するんだ」

 「戦争に行きたくないから防衛を強化する」の是非についてはここでは触れないが、少なくとも「誰だって戦争になんか行きたくないんだ」の部分に関しては「それはちがうぞ」とおもった。

 人間は、けっこう戦争が好きなのだ。戦争に行きたい人間はいっぱいいるのだ。人間は生まれながらにして「死にたくない」という本能を持っているが、それはいついかなるときも揺るがないほど強いものじゃない。「お国のため」という理由があれば、かんたんに抑えられてしまうものだ。

「誰だって戦争になんか行きたくないんだ」とおもっている人にかぎって、いざ戦争になったら「なぜ戦争に行かないのか!」って言いだすんだろうな。だって己の価値観が普遍的に正しいものだと信じて疑ってないんだもん。


 人間の理性はかんたんに壊れる。多くの歴史がそれを証明している。

 だからこそ制度で戦争を抑えなきゃいけない(やりたくてもできない状況にする)のに、理性で抑えられると信じている人のなんと多いことか。人間はみんなバカなんだよ! バカだから戦争好きなんだよ!




 当然ながら、かなりむごたらしい話も多い。戦争だからね。

 特に独ソ戦においては、単なる ドイツ軍 VS ソ連軍の対立だけではなく、ソ連の人たちがドイツ側についたこともあって、裏切り、密告、疑心暗鬼などが生まれ、戦闘以外で深く傷ついた人も多かったようだ。

 私はある任務を遂行しました。そのため、もう村に残っているわけにはいかず、パルチザン部隊に入りました。母は数日後にゲシュタポに連れて行かれました。弟は逃げおおせたんですが、母は捕まってしまった。娘の居場所を言え、と拷問されました。二年間囚われの身でした。二年間というもの、ファシストは作戦に行く時に他の女の人たちと一緒に母を前に歩かせました。パルチザンが地雷を仕掛けたかもしれない、と。必ず地元の住民を前に立てて歩かせたんです。人間の盾です。二年間というもの、母たちはそうして連れ歩かれたのです。待ち伏せをしていると、向こうから女の人たちがやってきて、その後ろにドイツ軍がついてくる。もっと近づいてくるとその中に母がいるのが見えます。一番怖いのはその時にパルチザンの指揮官が撃てと言うかもしれないこと。みな、その瞬間を恐れていました。みな互いに囁きあっています、「あ、おふくろだ」「あ、妹だ」自分の子供を見つけた人もいました。母はいつも白いスカーフをかぶっていました。背が高くて、すぐに母だと分かりました。私が気づかないでも他の人が教えてくれました。「おまえのおかあさんがいる」撃てと指令が出れば、撃つんです。どこに撃っているか自分でも分からなくなりながら、その白いスカーフだけは眼を離さないようにして。おかあさんは無事かしら、倒れなかったかしら、それしか頭にはありません。白いネッカチーフ。みなちりぢりになって、当たったのかどうか、お母さんが殺されたかどうかも分かりません。
(中略)
井戸に放り込まれる子供の叫び声が今でも耳に残っています。そんな叫び声を聴いたことがありますか? 子供は落ちていきながら叫び続けて、それはどこか地中から聞こえてくるようでした。あの世からの声、子供の声とは言えません。人間の声ではなくなっています。ノコギリでいくつかに切り分けられた若者を見たことがあります。丸太のように切ってあるのです。パルチザンの仲間です。そういうことのあとで任務を遂行しに行くと、心はひとつのことしか望んでいません。やつらを殺し、殺し尽くせ。少しでもたくさ人殺せ、もっとも残虐な方法で。ファシストが捕虜になっているのを見た時、誰かれ構わず飛びかかってやりたかった。手で首をしめ、かみついて歯でくいちぎってやりたかった。私だったら、奴らをすぐには殺しません。楽すぎる死に方です、銃やライフルで殺したのでは……

 絶句……。

 これまで読んだ数多くの戦争体験談もたしかにひどかった。が、それらはみんな「味方と敵」に分かれていた。

 敵に捕まった母親や妹に向かって銃を向けなくてはならない。撃たなければ自分が裏切り者として処刑される。こんな残酷なシーン、フィクションでもなかなかお目にかかれない。

 人間ってどこまでも残酷になれるんだな……。




 残酷な話も強い印象を与えるのだが、ぼくの胸にせまるのは、逆に、戦時中の楽しそうな話だ。

 たとえばこんな話。

 私たち、誰がどういう階級なのか教えてもらわずに行ったでしょ? 「これからはみんな兵隊なのだから自分より上の位の者には必ず敬礼しなければいけないし、背筋を伸ばして外套のボタンもきちっとかけていなければいけない」って曹長に教えられた。
 でも兵隊たちは私たち若い女の子をからかって楽しんでいたわ。ある時、衛生隊からお茶を取りに行かされて、料理番にお茶を頼むと私を見てこう言うの。
「なんの用だ?」
「お茶をもらいに」
「お茶はまだできていない」
「今、料理番たちが釜で湯につかっているからそれが終わったらお茶を沸かそう」と言われ、それをまにうけてしまった。お茶を入れるためのバケツを持って戻っていくと、医者に出会った。「どうしてバケツが空なんだ?お茶はどうした?」「大釜で料理番の人たちがお湯につかっているので、まだお茶ができてないんです」お医者さんは頭をかかえて「どこに釜で湯につかる料理番がいるんだ?」と言うんです。からかった料理番はこってりお説教された。私はパケッ二杯のお茶をもらったの。お茶を運んでいると政治指導員と指揮官が一緒にこちらにやってくる。教えられたことをすぐさま思い出したわ。私たちは一兵卒なんだから上官一人一人に敬礼しなけりゃいけないって。でも一度に二人が歩いている。どうやって二人に敬礼すればいいの?考えながら歩いて行って、二人と並んだ時バケツを置いて、両手で一度に敬礼したの。私に気づかずにやって来た二人は、そのとたん棒立ちになったわ。
「そんな敬礼を誰が教えた?」
「曹長です。一人一人に敬礼しろと言われました。一度にお二人なので」と答えたの。
 私たちは土の中で暮らしていました、モグラみたいに。それでも何かしらどうでもいい小物をかざっていました。たとえば春には小枝をビンに差したりして。明日自分はもうこの世にいないのかもしれないと、ふと思って……。ウールのワンピースを家から送ってもらった女の子がいて、私服を着るのは禁じられていましたが、やはり羨ましかった。曹長は男で「シーツでも送ってくれたほうが良かったのに」とぶつぶつ言いました。シーツも枕もなかったんです。枝や葉の上で眠りました。私はイヤリングを隠し持っていました。初めて挫傷を受けた時は何も聞こえず、話すこともできませんでした。「もし声が戻らなかったら、汽車に飛び込もう」と誓っていました。歌がとても上手だったのに突然、声が出なくなった。でも、その後、声は出るようになりました。
 嬉しさ一杯でイヤリングをつけて当直に行きました。「同志、中尉殿、報告いたします!」
 嬉しくて大声を張り上げました。
「それは何だ!」
「何って?」

 冗談を言って女兵士をからかったり、からかったことがばれて叱られたり、滑稽なまちがいをしてしまったり、小枝をビンに刺したり、ワンピースやイヤリングを見て心躍らせたり……。なんとも楽しそうだ。もしもこの時代にSNSがあったら、おもしろい話、美しい写真として投稿してみんなを楽しませていたのだろう。つまり、ぼくらと何ら変わらない人たちなのだ。

 しかし、そんな人たちが、明日には手足バラバラの死体になっているかもしれない。もしくは、敵兵の喉に銃剣を刺して殺しているのかもしれない。戦場だから。


 以前、テレビでシリア内戦の兵士たちの映像を見た。銃弾が飛び交い、次々に人が殺される内戦の最前線で、兵士たちは冗談を言ってげらげら笑いながら食事をしていた。「おい見とけよ」とへらへらしながら手榴弾を投げ、投げそこなって味方の陣地を攻撃してしまって、あわてて逃げる兵士たち。その後で「おまえ何やってんだよ!」「今のあぶなかったなー!」と笑いあう兵士たち。まるで、そのへんの大学生みたいなのんきさだった。ぼくが大学生のときも、友人の車に乗せてもらって「おまえ何やってんだよ!」「今のあぶなかったなー!」と笑いあっていた。あれといっしょだ。

 人間はどんな環境にも慣れる。朝いっしょに飯を食った仲間が、夕方には死体になっている。そんな環境にも慣れるし、そんな状況でも冗談を言ったり笑ったりできる。

 捕虜を弾よけに使うドイツ兵も、そんなドイツ兵の命を狙うソ連兵も、ぼくらとぜんぜん変わらない人たちだ。だから、ほんの少し周囲の状況がちがえば、ぼくらだって殺し合いに参加するのだろう。




 ぜんぜんたいした話じゃないんだけど、なぜか印象に残ったエピソード。

 勝利の日はウィーンで迎えました。そこで動物園に行きました。とても動物園に行きたかったんです。ナチの強制収容所を見に行くこともできたんです。みな連れていかれて見学させられました。でも行きませんでした……どうしてあのとき見ておかなかったのかと、今はあきれるけれど、あのときは嫌だったんです。何か嬉しいこと、こっけいなものを見たかった。別世界のものが見たかったの……

 なんとなくわかる……。

 もちろん戦争に参加したことなんかないので想像することすらできないのだけれど、終戦の日に動物園に行きたくなる気持ちはなんとなく理解できる。

 喜ぶでもなく、悲しむでもなく、ぜんぜんちがうことを考えたい。映画でも小説でも音楽でもなく。一切戦争を連想させない場所。動物園や水族館は、それにうってつけの場所だとおもう。


 もしぼくが戦争に巻き込まれて無事に生き延びることができたら、終戦の日は動物園に行こう。


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2023年1月19日木曜日

風呂を満たす物体X

 お風呂に入るときにさ、たいていこんな恰好で湯船に浸かるでしょ。


 横から見ると、ひらがなの「ん」みたいな恰好。

 よほどでかい風呂が家にあるとか、うちの風呂は昔ながらの五右衛門風呂ですって人以外はたいていこんなポジションをとるとおもう。

 でさ、この図の斜線を引いた部分がお湯を表してるんだから、ここの部分って無駄じゃない?


 お風呂に入る気持ちよさを与えてくれるのは、肌に直接触れている部分だけ。それ以外の部分はあってもなくても関係ない。お風呂のお湯を張るのには水道代も光熱費もかかる。光熱費が高騰している今、無駄な部分のためにお金を払うのはアホらしい。

 だったらなくしてしまえばいい……とおもうのだが、ことはそんなに単純ではない。

 残念ながらお湯は液体だ。そこがお湯のいいところでもあるのだが、欠点でもある。液体は変形しやすい。物質は高いところから低いところに移動するから、「無駄」な部分のお湯を取り除いてしまえば、「無駄じゃない」部分のお湯が「無駄」な部分に移動してしまう。具体的にいえば、肩のまわりのお湯がなくなってしまう。

 これでは、幼いころにおとうさんから言われた「肩までしっかり浸かりなさい」という言いつけが守れない。


 人によっては、水道代や光熱費を節約するために少なめにお湯を張って、まるで湯船の中に寝ころがるようにしながらわずかなお湯を必死に身体にまとわりつかせようとする人もいる。が、これはあまりに惨めだ。人間の尊厳を失いせしめる格好だ。




 そこで、こんなものがあればいいとおもう。


「無駄」な部分を埋める物体Xだ。これがあれば、お湯の量を必要最小限にしつつ、しっかり肩まで浸かることができる。

 ただし、物体Xはなんでもいいわけではない。快適なニュウヨーカー(入浴を楽しむ人)であるためには、Xは以下の条件を満たしている必要がある。

  1. Xは水より比重が重くなくてはならない。軽ければ水上に浮かんでしまい、お湯のかさ上げに使えない。
  2. かといってXが重すぎではいけない。重たいものを脚の上に乗せるのは不快であるし、血行を悪くする。江戸時代の拷問具みたいになってしまう。
  3. Xは自由に変形できなくてはならない。どんな姿勢をとっても、隙間をちょうど満たしてくれなければならない。
  4. Xは肌ざわりが良くなくてはならない。Xが入浴の心地よさを損なっては本末転倒である。
  5. Xは熱伝導性が高くなくてはならない。Xは短時間で風呂の水温に近づかなくてはならない。


 ってことで、ビート版をもっとやわらかくして、もう少し比重を大きくした素材を複数連結したようなやつがいいのではないだろうか。軽くて、ふわふわしていて、水をはじいて、変形が容易なやつ。

 そいつといっしょにお風呂に入れば、少ない湯量で肩まで浸かることできる。地球環境にも優しい。


 ちなみにうちには既にXがある。ぼくはいっしょに風呂に入っている四歳児だ。水よりやや重くて、変形してくれて、肌ざわりがよくて、すぐに温まる。難点は暴れたり水をかけてきたりときたまおしっこをしてしまうことだが、それぐらいのことは地球環境のためならいたしかたない。



2023年1月17日火曜日

【読書感想文】米本 和広『カルトの子 心を盗まれた家族』 / オウム真理教・エホバの証人・統一教会・ヤマギシ会

カルトの子

心を盗まれた家族

米本 和広

内容(e-honより)
平凡な家庭にカルト宗教が入り込んだ時、子どもはどんな影響を受けるのだろうか。親からの愛情や関心を奪われ、集団の中で精神的、身体的虐待を受けて心に深い傷を負った子どもたち。本書は、カルトの子が初めて自分の言葉で語った壮絶な記録であり、宗教に関わりなく現代の子育ての闇に迫るルポルタージュである。

 いやあ、壮絶だった。

 長年カルト宗教を取材している著者による、カルト二世にスポットを当てた本。昨年カルト二世が元首相暗殺事件を起こしたことでにわかに注目されるようになったけど、問題としてはずっとあったんだよな。みんなが見ようとしなかっただけで(ぼくもそのひとりだ)。


『超人類の子 オウム真理教』『エホバの証人の子 ものみの塔聖書冊子協会』『神の子 統一教会』『未来の革命戦士 幸福会ヤマギシ会』から成るんだけど、どれも強烈。

 最初の章を読んで「これはひどいけど、でもまあオウムだからな。あれは戦後日本史においても特別な団体だったから」とおもったんだけど、後の三章を読むと、いやこれひょっとしたらオウムよりひどいんじゃねえの、こんな団体が今でも大手を振って信者勧誘してんのかよ……と背筋が冷たくなった。




 特にエホバの証人の章はいろいろ考えさせられた。

 というのは、身近にエホバの証人の2世がいたからだ。


 ぼくがTとはじめて同じクラスになったのは中学一年生のときだった。Tの第一印象は「大人びてて怖いやつ」だった。

 休み時間にぼくが他の同級生とふざけていると、それまで話したこともなかったTから突然声をかけられた。「おい、そんな幼稚なことしておもろいか?」と。

 Tはクラスで一、二をあらそうほど身体も大きかったし、妙に落ち着いた雰囲気もあったのでぼくはすっかりびびってしまった。「こえーやつ」とおもうようになった。

 が、数ヶ月するとぼくとTはそこそこ仲良くなった。休み時間にコインを使ったゲームをしたり、文化祭の準備のときにいっしょにサボって遊んだり。「こえーやつ」という印象は相変わらずだったが、話してみるとふつうの中学一年生だった。


 Tがエホバの証人の家庭の子と知ったのは、体育の授業だった。Tと、もうひとりのNという生徒だけが柔道の授業を見学していた。Tと同じ小学校だった子がこっそり「あいつらはエホバだから格闘技禁止やねんて」と教えてくれた。

 とはいえ、それは「あいつの家は遠いから遊びに行けない」ぐらいの感じで、特に蔑むとかあわれむとかの響きはなかったようにおもう。ぼく自身も「ふーん、そんな家もあるのか」と単純に受け止めただけだった。小学生のときに、友人の家が宗教上の理由でアルコールやコーヒーを禁止という話を聞いていたので、そういう家もあるのだということは知っていた。ちょうどオウム真理教が世間を騒がせていた頃だったが、特にそれと結びつけるようなこともなかった。

 また、中学校に入ってすぐに音楽の授業で「校歌を覚えて、それをひとりずつ音楽の教師の前で歌う」というテストがあったのだが、Tは「声変わりなので歌えません」と拒否していた。当時は「ふつうにしゃべってるくせに、歌うのが恥ずかしいんだろうな」ぐらいにしか考えていなかったが、ずっと後になってエホバの証人は国歌や校歌を歌うことを禁じていることを知った。

 また「特別な理由がないかぎり生徒は全員いずれかの部活に所属すること」というルールのある学校だったのだが、Tは部活に入っていなかった。「特別な理由」がある生徒だったのだ。

 ぼくはTとそこそこ仲良くやっていたが、一度も宗教の話をしたことはない。たぶんぼくだけでなく他の生徒も。バカ中学生なりに「他人の宗教のことは触れてはいけないこと」という認識を持っていたのだ。


 Tが変わったのは中二になってからだ。はっきり言うと、グレた。

 といっても今にしておもうとぜんぜんたいしたことはない。ぼくの通っていた中学校は郊外の新興住宅地にあったので、不良といっても「先生に隠れてタバコを吸う」「夜にコンビニに集まる」ぐらいのものだ。他校の生徒と喧嘩とかバイクで走るとか警察の厄介になるとかはほとんど耳にしたことがない。

 Tも、授業開始のチャイムが鳴ったのにいつまでも廊下で遊んでいる(厳しくない先生のときだけ)とか、合唱コンクールの練習をサボるとか、教師の目を盗んで学校の備品を壊すとか、その程度だった。ちゃんと学校には来ていたし、ほとんどの授業ではおとなしくしていた。今おもうとかわいいものだ。

 もっとも、中二になって学校や教師に対して反抗的になったのはTだけでなく、他にも数人いた。中二とはそういう時期だ。

 それでも田舎の学校ではそこそこ大きな問題になり、Tたちの親が学校に呼ばれてくるのを目にした。


 そんな時期が何か月かあり、あるときを境にTははっきりと変わった。それまでの非行はなりをひそめ、急にふつうの生徒に戻った。グレた生徒は数人いたが「足を洗ってふつうに学校生活を送る生徒たち」と「学校を休みがちになる生徒たち」にはっきり分かれた。Tは前者だった。

 そしてTはぼくのいた陸上部に入った。「あれ? エホバって部活禁止じゃないの?」とおもったが、もちろん本人には訊けなかった。

 Tは陸上部員としてまじめに練習に取り組んでいた。ぼくよりもよっぽどまじめに。そしてなんとなく明るくなった。グレていたことなどなかったかのように、まじめな生徒として学校生活を送っていた。

 その頃何度か放課後に友人宅でTと遊んだことがある。それまではTは授業が終わるとそそくさと帰宅していた。おそらくエホバの証人の活動か決まりがあったのだろう。だがそれが解けたのか、放課後に遊べるようになったようだった。

 さらにTに彼女ができた。隣のクラスの女の子といっしょに帰宅する姿を何度か目にした。彼女のほうはふつうに部活をやっていたのでたぶん信者ではない。


 ここからはぼくの想像でしかないのだが……。

 Tがグレて、親が学校に呼ばれて教師と三者面談などをするうちに、エホバの証人からのTへの呪縛がゆるくなったのだとおもう。その後も柔道の授業は見学していないから、脱会などはしていなかったとはおもう。親の判断か、教団の判断かはしらないが、とにかく規制がゆるくなったのだろう。Tは部活に入り、ときどきだが放課後や休みの日に遊んだりもするようになった。男女交際もするようになった(親がそこまで知っていたかはわからない)。

 その後、同じ高校には進んだもののクラスが別になったこともあり、Tとは疎遠になった。高校卒業後にTがどこで何をしているかは知らない。噂も聞かない。Facebookで検索してみたが見つからない。

 今にしておもえば「Tとテレビや流行歌の話をしたことがなかったな」とか「Tは運動神経はよかったけど体育の授業でやった野球はすごく苦手だった。あれは遊びを禁じられていたからなんだろうな(走ったりボールを蹴ったりするのは持ってうまれた運動神経があればうまくできるが、野球の動きは日常にないものが多いので慣れていないと運動神経がよくても練習をしないとうまくなれない)」とか、いろいろエホバ二世としておもいあたるフシはあるけど、だいたいにおいてはふつうの学生だった。




 そんなエホバの証人だが、外から見える姿と内情は大きな差があるようだ。特に子育てにおいては。

 エホバの証人では、子どものしつけのための体罰が禁止されていないどころか、むしろ積極的に推奨されていたそうだ(今は多少変わったらしいが)。

 恵美の受難は誕生後十ヵ月目から始まった。聡子が振り返る。
 「生後十ヵ月から叩くようにしました。集会で泣いたり、騒いだりすると、おしめを取って恵美のお尻を竹のモノサシで叩きました。王国会館の物置部屋が『懲らしめの部屋』になっていて、静かにしないとみんな子どもをそこに連れていってムチを打ちました」
 聡子が属した会衆の長老は「どんなに子どもが小さくても、集会中は静かにしなければならないことを教えましょう」と語り、長老を指導する立場にある巡回監督も「小さい子をしっかり訓練しましょう」と聡子たちに教えた。

 生後十ヶ月なんてまだ言葉も話せない。今は静かにしなさい、なんて言って聞かせられるはずがない(ぼくなんか小学生になってもできなかったぜ)。

 そんな幼い子にムチを打つ。この〝ムチ〟は比喩ではない。ベルトやゴムホースなどを使って、文字通りムチ打つのだ。

 恵美の記憶を綴ることにしよう。
 彼女の記憶は三、四歳ぐらいから始まる。家族と遊園地に行ったというような子どもらしい、いい思い出は一つもなく、記憶にあるのは叩かれたことばかりだった。
 週三回王国会館で開かれる集会は、日曜日を除けば火曜日と木曜日の夜七時から始まった。曜日のほうが長く、集会とその後の打ち合わせを終えて王国会館を出るのは十時を回る。三、四歳の子にとっては退屈だし、眠い。そのため、集会中にキョロキョロしたり後ろを振り向く。子ども同士で私語を交わす。うとうとする。そうすると、母親の聡子は手や足をつねる。それでも直らないと、皮がむけるほどつねった。
 「三、四歳の子はふつう夜七時に寝るでしょ。伝道訪問で長時間歩いたあとだから、集会中眠くなりますよね。つねられて、目を開けてなきゃあと思うんだけど、つい瞼が閉じてしまう。すると、お仕置き部屋に連れていかれる。母が冷静なときにはお尻を叩きますが、カッとなるとスリッパで頭を殴ったりする。叩かれると痛い。痛いから泣くのに、反抗的だとまた叩かれた。鼻血が出たこともたびたびありました」
 聡子は竹の定規で叩いていたというが、恵美の記憶によれば、そればかりではなかった。父親のズボンのベルト。スリッパ。布団叩き。太い電器コード。洋服ブラシ。聡子の話とはずいぶん違う。
 「母にとって叩けるものだったら、なんでも良かったのでは。ブラシは柄の尖ったところで思いっきり殴られた。小学校高学年になると、お尻を出せと言われても素直に従えませんよね。そうすると、腕や足を叩いた。赤ちゃんの蒙古斑のような痣は中学に行くまで消えたことがありませんでした。首根っこをつかまれて引きずり回されたなんてこともしょっちゅうあった」
 こうまでやられれば立派な二世〟になるか、不満を鬱屈させたまま大人になっていくか、あるいは智彦のように親に暴力で立ち向かうようになるかのいずれかだろう。そういえば、二十二万人のエホバの証人の半数近くは二世だと言われている。

 これは決してめずらしい例ではなく、多くの二世が体罰を受けて育ったという。なにしろ教団が推奨しているのだから。

 エホバの証人は伝道訪問といって他の家庭をまわっては勧誘するのだが、訪問を受けた側はいっしょにやってきた「しつけのよく行き届いたお行儀のいい子」を目にする。

 だが「しつけのよく行き届いたお行儀のいい子」の実情はこれである。ムチによって行動を抑制させているだけなのだ。

 この本には、二歳の子に体罰を加えた結果死なせたエホバ信者のケースが載っている。


 こうやって育てられた二世が、将来親になったとき、どんな子育てをするか。容易に想像できる。仮に脱会していたとしても、自分が受けた子育てをくりかえす可能性はきわめて高いだろう。

 こんなことをやっている集団が愛だの平和だの言っているのだから、ぞっとする。




 さっきのTだが、はっきりいって、クラスメイトたちから距離を置かれていた。

 身体はでかいし力も強いからいじめるようなことはなかったが、

「放課後や休みの日に遊ぶことがない」
「テレビやゲームやマンガの話ができないので話が合わない」
「エホバの証人にまつわる話になっちゃいけないとおもうと気を遣う」

などの理由があったとおもう。人間、自分とはちがうものは排除してしまうのだ。


 また、Tと同じ小学校だった友人が語っていたことがある。

「小学校のとき、クラスでクリスマス会をしようということになったのに、エホバのTがみんなの前で反対した。『クリスマスを祝うのはおかしい』って言って。そのせいでクリスマス会が中止になった。みんな楽しみにしてたのに」

 それを聞いたときぼくは「Tも水を差すようなこと言わなきゃいいのに。嫌なら自分だけ祝わずに黙っていればいいだけじゃないか。どうせ学校のクラスマス会で本気でキリストの生誕を祝うやつなんていないんだから」とおもっていた。

 だが『カルトの子』を読んで、その内情を知った。

 本人の意思で信仰生活に入った一世が戒律を守るのは自由だが、それを強要される二世はたまったものではない。とりわけ、先の節分、七夕などは学校でも行われる行事であるため、参加しないエホバの証人の二世たちは白眼視される。
 そればかりではない。恵美が語る。「たんに参加しないだけならいいけど、みんなの前で『私はエホバの証人です。だから、七夕集会には参加しません」と証をしなければならなかった。とても嫌でした」。新しい宗教が胡散臭く見られる時代にあって、わざわざ自分が属する宗教団体名を明かすのは奇異なことのように思えるだろう。だが、「エホバの証人」は名前の如く、エホバ神の御言葉(証言)を伝えることを使命としている。子どもであろうと「証」から逃れることはできないのだ。
 証は二世にとって最も嫌なことの一つである。恵美も当然、抵抗した。
 「前の夜は言いたくないと、母親に泣きながら訴えました。学校の七夕集会に宗教的な意味なんかあるわけがない。飾りつけした笹の葉の横でゲームをやるだけ。先生に相談すると、出なさい。母は出るな、証をしろ。もう、分裂しそうでした。当日は参加したかったのに、みんなの前で証をしたあと、教室の片隅でじっとしていた。あんなに辛いことはなかった」
 クラス委員の選挙があるときでも、たんに白紙を出すだけではすまされず、「選挙に参加しない」とやはり証をしなければならなかった。
 クリスマス会、誕生会で、みんながわいわいがやがやしているとき、恵美はいつもひとりぼっちだった。

 Tはみんなの楽しみに水を差したかったわけではない。反対することが戒律だから、反対しないといけなかったのだ。そうしないと裁きを受けるから。

 Tも言わされていたのだ。つらかっただろう。

 今となっては同情的な気持ちになるが、小学生にはわからないよなあ。「こっちで楽しんでるんだからじゃまするなよ」という気になる。




 ぼくが「エホバの証人の子はオウム真理教の子よりもかわいそうかもしれない」とおもったのは、彼らが社会と関わらないといけないからだ。

 オウムの子ももちろんひどい。世間から隔離され、親からも引き離され、劣悪な環境に置かれ、いびつな教義を吹きこまれる。たしかに不幸なんだけど、それはあくまで〝外〟から見た不幸である。その環境で育った子からすると、そこしか知らないわけだから、それなりに順応するのではないだろうか。もちろん、いずれ世間の常識と衝突するわけだけど。

 だがエホバの証人の子が不幸なのは、彼らが世間と関わっていることだ。彼らは公立の小中学校や高校に通う(大学に通う子はすごく少なかったそうだ)。そこでは友人ができる。彼らは遊び、ゲームをし、漫画を読み、男女交際をし、親から殴られることもほとんどなく、自由を謳歌している。どの子にだって悩みはあるだろうが、エホバの証人の子から見たら悩みなんてないように見えるだろう。

 そんな子を横目で見ながら、親から殴られ、遊ぶことを禁止され、娯楽は与えられず、自由もなく、行動を制限される。「ふつうの子」はサタンだと言われるが、そっち側のほうがよほど幸せそうに見える。

 また、エホバの証人は伝道訪問という布教活動をする。子どもも親に伴って、近隣の家をまわってエホバの証人への信仰を訴えるのだ。ぼくの家にも来たことがある。エホバの証人の信者と、その子どもであるクラスメイトが。

 白い目で見られることがわかっていて、友人や好きな子の家に伝道訪問をしないといけないのだ。あんなつらいこと、他にそうはないだろう。


『カルトの子』によれば、中学生ぐらいで非行に走ったり自殺未遂をするエホバ二世が多いそうだ。ぼくのクラスメイトのTくんもそのひとりだったわけだ。

 あれ、当時は「エホバの証人の家庭だからおかしくなっちゃうんだ」とおもってたけど、今考えるとちっともおかしくなってない。むしろ正常な行動なんだ。正常だから、異常な世界から飛び出そうとして非行や自殺未遂を起こしていたのだ。

 ただ、仮に世間を知って脱会したとしても、幼いころから聞かされてきた教義はそうかんたんに抜けない。いろんなことを禁じられているため、脱会後にふつうの生活を送りながらも「こんなことをしたらいけないんじゃないか」と自責の念に駆られる元信者も少なくないという。やめたからはいおしまい、というわけにはいかないのがカルトのおそろしいところだ(そもそもやめるのがかんたんではないのだが)。




 エホバの証人についてだけで長々と書いてしまった。オウム真理教も、統一教会も、ヤマギシ会も、どれもひどくて書きたいことはいっぱいあるんだけど、あまりに長くなってしまうのでこのへんでやめとく。


 カルトに騙された大人の信者もかわいそうだが、彼らはまだマシだ。自分が信じて宗教活動をやっているのであれば、つらいことも耐えられるだろう(将来後悔することはあるだろうが)。だがカルト二世の日々は地獄だ。

 何かがおかしい、こんなのは嫌だと感じても、その世界しか知らないのだからうまく言語化できない。仮に言葉にしたって親がカルトにハマっているのだから抜けだすことはまず不可能だろう。

 カルト二世がまじめに宗教活動をしているように見えるのは、信仰よりも先に、親の愛を受けるため、親から認められるためだろう。特に幼い子にとって親の存在は絶対である。親が言うことを否定することや疑うことはまず不可能だ。

 大人はしょうがないにしても、せめて子どもはカルトから救いだす制度が必要だとおもう。

 それなのに。

 夫婦が属していた会衆は広島市安佐南区にあった祇園会衆(現在は発展して三つの会衆に分かれている)だった。ここでの懲らしめのムチは長さ五〇センチのゴムホースだった。当時この会衆にいた元女性信者は「子どもが集会中に居眠りをすれば、親はトイレに連れていき、ゴムホースで叩きました。体罰”は日常的でした」と語る。
 Aがこの信者に語ったところによれば、最初にエホバの証人の教えを実行したのは長男が一歳になったときだった。Aが大切にしていたオーディオを長男がいじくったので、ムチをしたのだという。
「『びしっと良くなった』とおっしゃっていました。それから体罰の味を知ってしまわれたのではないでしょうか」
 やがて二男が生まれた。二男には赤ちゃんのときから体罰を与えた。二歳になった頃から異常な摂食行動を見せるようになった。二歳にして食事の量が大人なみというだけでなく、炊飯ジャーの蓋を開けては手づかみで御飯を口に頬張る。冷蔵庫を開けて生の人参やキャベツをバリバリ噛んで口に入れる。落ちているものを拾って食べる。
 ムチで治そうとしたが、悪くなる一方だった。病院に行ったが、脳波に異状はなかったし、器質的にも異常は認められなかった。精神科では心の問題と言われるだけだった。
 先輩の兄弟姉妹にも相談したが、いつも決まって言われたのは「愛情不足ではないか」。そう言われれば、「むちを惜しむ人はその子を憎むのであるが、子を愛する人は努めて子を懲らしめる」という聖書の教えを実践するしかない。
 Aはムチを打ち続けた。
 事件前日の夜、Aはゴムホースで血が滲むほどに二男を叩いたあと、家から閉め出した。翌朝様子を見に行くと、息子の息は止まっていた。そのあとあわてて脱衣場に運んだという。
 判決はAに保護責任者遺棄致死罪を適用して懲役三年(執行猶予四年)の刑を申し渡し、事件は終わった。

 懲役三年執行猶予四年……!

 あまりに軽い。どれぐらい軽いか確かめるために、他の罪の刑について調べてみた。

 住居侵入罪の懲役が三年以下、有印公文書偽造罪が一年以上十年以下、常習賭博罪が三年以下、収賄罪が五年以下、監禁罪が三ヶ月以上七年以下、強盗罪や強盗未遂罪が五年以上……。

 他人の家に入ったり、無許可で賭け事をしたり、賄賂を受け取ったり。どれも悪いが、それと「幼い子に暴力をふるって殺すこと」がたいして変わらない罪なのだ。強盗なんて五年以上だから、強盗よりも軽いのだ。この感覚が理解できない(ちなみに保護責任者遺棄致死罪の最高刑は懲役五年)。


 カルトがここまで二世信者を不幸にしているのは、司法が親に甘いのも原因のひとつだとおもうんだよね。

「子どもは親の持ち物」って感覚があるんだろうな。だから幼児にムチを打って殺す殺人鬼に対して執行猶予四年なんて極甘判決を出せる。

 この判決を出した裁判官は憲法を知らないのか?

日本国憲法第十一条
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」

 すべての国民は基本的人権を持っている。ということは、赤ちゃんでも人権を持っているし、親でも子どもの人権を侵害することはできない。あたりまえだ。憲法を読めば誰でもわかる。それがわからない裁判官は辞職したほうがいい。


 何度か書いているけど、子どもを育てちゃいけない親ってのは確実に存在する。どんな時代でも、どんな社会でも、一定数いる。ぜったいに。

 だったら必要なのは「親の愛で子どもをいたわってあげましょう」とか「子どもは親といっしょにいるときがいちばん幸せなのです」なんておためごかしを唱えることではなく、親が無理だとおもったら子育てを放棄できる制度や、行政がこの親に子育ては無理だと判断したら親や子がどれだけ抵抗しても強制的に引き離せる制度だとおもうんだよね。「自分の子どもを育てたいエゴ」なんて、基本的人権の前ではとるにたらないものなんだから。




 深いところまで斬りこんでいて、すばらしいルポルタージュだった。危険な目にもいっぱい遭っただろうに(本書でもヤマギシ会から脅されたり裁判を起こされたりしたことを書いている)。


 ただひとつ気になったのは、サブタイトルの「心を盗まれた家族」。これだと親も一方的な被害者みたいだけど、親は加害者の面のほうが強いとおもうけどなあ。

 カルトにはまって子どもにもその教義を強制しておいて「私も被害者だったの。ごめんね」では済まされないだろう。


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2023年1月16日月曜日

【読書感想文】本渡 章『大阪古地図パラダイス』 / 地図の説明は読むもんじゃない

大阪古地図パラダイス

本渡 章

内容(e-honより)
古地図はなんだか面白い。現代の地図は便利で正確で、役に立つが、面白くはない。古地図は無くても困らない。でも、無いと淋しい。役に立たない、だけど心をゆたかにする。だから古地図はとても面白い。眺めて、迷って、想像して楽しい。古地図パラダイスへご案内。大阪はもちろん、京都・江戸の古地図もたっぷり収録!


 大阪の古地図(江戸時代~大正ぐらい)についての本。

 大学での講義を本にしたものらしく、うーん、とにかく読みづらい。地図を見ながらあれこれ解説を聞いたりするとわかるのかもしれないが、本を読みながら地図を見るのは不可能なんだよなあ……。

 そういや以前『ブラタモリ』の本を読んでみたことがあるのだが、あれもわかりづらかった。テレビで観るとあんなにわかりやすくておもしろいのに。

 本には小さい地図も載っているのだが、文章を読んで、地図で該当の場所を探して、また文章を読んで、また探して……とやっていると疲れてしまう。そうまでしても結局よくわからない。

「地図」と「本で解説」はとにかく相性が悪いことがわかった。




 地図そのものはよくわからなかったが、その制作背景の話はおもしろかった。

 交通機関や測量技術が未発達の時代に、日本全体を地図にするのは、難事業でした。地図はたいへん貴重なものでした。単に大事なものだったというのとは、ちょっと違う。宗教的な感情にも通じていると、さきほど述べましたが、かつての人々がどんなふうに、この日本図を見ていたかを想像させるエピソードがあります。
 この図は、鎌倉時代の原図を江戸時代に筆写したものですが、日本を囲むようにしてギザギザの模様が見えますね。シミだろうか、誰かお茶でもこぼしたんでしょうか。実はこれ、原図の紙がボロボロになった部分です。それを忠実に書き写している。いったい、そんなことをして何になるのか、まったくの無駄じゃないか。現代人はそう思うでしょう。
 しかし、この時代の人たちにとっては、元の地図のちぎれたり、破れたりしたところまで、そっくりそのまま書き写すのが大事。まったく同じであることに、深い意味がある。地図を新たにもう1枚、世に生み出すのは、秘儀に近い行為だったと考えると、ギザギザ模様の意味も腑に落ちます。
 今、日本地図は書店に手頃な値段のものが何種類も出ています。誰でも気軽に、手に入る。インターネットなら無料です。しかし、かつて地図を見るというのは限られた人々の限られた体験だった。地図を広げて日本という国の姿を見るのは、現代におきかえると、人工衛星から撮った地球の映像を初めて見たのと同じくらい、強烈なインパクトのある体験だったのではないか。そうでないと、わざわざ手間ひまかけてギザギザ模様まで筆写する気にはならない。私はそんなふうに想像します。

 ほとんどの現代人にとって地図は単なる〝ツール〟でしかない。目的地にたどりつくことが目的なので、その手段は紙の地図でもカーナビでもGoogleマップでもいい。より便利なものがあればそちらを使う。

 しかしこの「ボロボロになった部分まで忠実に描き写した地図」は単なるツールではない。持ち主にとっては、アルバムや日記のような、いろんな感情を想起させてくれるものだったのだろう。




 古地図にもいろいろあるが、ほとんどの場合は、縮尺や方角はかなりいいかげんだ。なので、古地図を見ても正確な地形情報は得られない。

 しかし正確でないからこそ伝わる情報もある。

 たとえばお寺が地図に描かれている。現代でも残っているお寺。大きさは今と同じだ。だが、古地図では今の地図よりもずっと大きくそのお寺が描かれている。そうすると、当時の人々にとってはそのお寺の存在が今よりずっと重要だったのだろうとわかる。


 日本史で地図と言えば伊能忠敬だ。

 伊能忠敬の地図を見ると、今から三百年前の測量機もGPSもなかった時代にこんなに正確な地図を作れたのかと驚かされる。

 だが、伊能忠敬の地図が実際に使われることはほとんどなかったそうだ。

 実地測量で日本地図を作ったのは、伊能忠敬が初めてです。
 というと、不思議に思われる読者がいるかもしれません。実地測量がはじめて、ということは、それまでの日本地図は実際に測量していなかったのか。
 実地測量が各地で行われるようになったのは、江戸時代の後半です。伊能忠敬の時代には、ほかにも優秀な測量家がいた。ただ、伊能忠敬は誰よりも綿密な測量を積み重ねた結果、日本全体の地図を作る偉業を達成した。それまでに流布していた日本地図は、測量が行われていても部分的な範囲に限られていた。それで、どうして日本列島の形がわかったのか。幕府が作った日本地図は、各藩に提出させた領国の地図を付け合わせ、編集したものです。民間で作られた日本地図は、作成者が集めた各地の地図をやはり編集してかたちを整えたものです。
 江戸時代に最も普及したとされる日本地図は水戸藩の儒学者、長久保赤水が作った「改正日本輿地路程全図」で、通称を赤水図といいます。安永8年(1779)発行。経度・緯度の線が引かれ、色分けされた諸国、町村や河川などの主な地名、さらに街道筋が描きこまれていた。実測なしで作られたため経緯線に誤差があったが、実用性には富んでおり、情報量も充分で、江戸時代を通して広く利用されました。
 対して、伊能忠敬の日本地図は、海岸線の測量を精密に行い、非常に正確な日本列島の形を描いた。反面、内陸部については簡略化し、一部を絵師に描かせた。赤水図と比べると、どちらがより優れているかは一概に言えない。一長一短があったわけです。
 しかし、江戸時代に用いられたのは圧倒的に赤水図の方でした。伊能忠敬が日本中を歩いて精魂込めて作った日本地図は、無事に幕府に納められたものの、実際に使用される機会はなかった。仕事ぶりは認められたはずなのに、こんなことになろうとは。

 伊能忠敬の地図は形状は正確だったが、人々の住んでいる町や村の情報は乏しかった。

 だから人々は正確な伊能忠敬の地図よりも、不正確だが身の周りの情報が豊富な長久保赤水の地図が選ばれた。

 おもしろい話。ビジネス書なんかに載ってそうな話だよね。「重要なのは品質ではなく、クライアントが求めている価値を提供できることです」なんつって。


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2023年1月13日金曜日

ご冥福コメント


 有名人が死ぬ。まあ有名人はよく死ぬ。毎日のように有名人は死んでいる。このままだと有名人は絶滅してしまうのではないかとおもうのだが、死ぬそばから新しい有名人が生まれていて、有名人の数はいっこうに減らない。種の繁栄とはこういうことか、とおもう。

 それはそれとして、有名人が死ぬと訃報が流れる。なぜ訃報が流れるかというと、有名人だからだ。訃報が流れなければ有名人ではない。

 訃報に対してコメントがつく。ネットニュースのコメント欄だったり、ツイッターのコメントや引用リツイートだったり。

「○○だった姿が印象に残っています。ご冥福をお祈りいたします」

「昔○○が大好きでした。ご冥福をお祈りいたします」

「いつも○○で、とても○○な方でした。ご冥福をお祈りいたします」

 まあ祈るよね。ご冥福を。

 もしくは合わせるよね。掌を。



 あれ、嫌いなんだよね。嫌いっていうか、見るたびに「はしたない」と感じてしまう。

 訃報を目にして何かしら言いたくなる気持ちはわかる。

 ぼくも「大好きとまではいかないとまでもその人の活躍を見たことがあるし、それによって多少は心を動かされたことがある程度の有名人」の訃報を見たら、何か言いたくなる。

「好きだった」「もっと活躍してほしかった」「残念だ」「早すぎる死だこの人よりもとっとと死ぬべき人間がいるはずだろたとえば■■(自粛)とか」など。


 でもさ、そこで反射的に「ご冥福をお祈りします」コメントをするのって、その胸の内を片付けてしまうわけじゃない。

 えっ、あの人亡くなったの、まだ生きていてほしかったのに、って胸にわだかまりが生じるわけでしょ。「ご冥福をお祈りいたします」コメントをつける行為ってのは、そのわだかまりをさっさと「ご冥福お祈り済み」フォルダに移動してしまうような感じがする。

 はいご冥福を祈ったよ、だからこの件はもうおしまい、はい次のネットニュース。

 そういう「やっつけ感」がご冥福コメントからは漂ってくる。


 ご冥福コメントってのはタスク処理だとおもっている。

 もちろんそうやっていろんなことにケリをつけていくことは大事だ。お通夜も、お葬式も、四十九日も、一周忌も、三回忌も、タスク処理だ。それがあるから人は嫌なことを忘れて前に進める。

 しかし、お葬式→お通夜→四十九日→……には段階があるのに対し、ご冥福コメントはワンステップだ。コメント欄にご冥福コメントをつけたらもうおしまい。なんなら「ごめいふ」ぐらいまで打ちこんだら予測変換候補に「ご冥福をお祈りいたします」が出てくるから、それを選んでおしまい。「ごめいふ」でもうタスク完了だ。

 それはあまりにはしたないっていうか、故人に対して冷たくないか。


 だからぼくは、まあまあ好きだった有名人の訃報を目にしても、ご冥福コメントはしないようにしている。あえて黙して心のもやもやに決着をつけない。ああ、あの人死んだのか。いろいろ言いたいことがある。

 その状態で寝かせておく。そうするとちょっとずつ心の中で「ご冥福をお祈りしたい」気持ちが溶けてゆく。溶けたご冥福はきっとぼくのどこかに染みついている。



2023年1月12日木曜日

【読書感想文】村田 らむ『人怖 人の狂気に潜む本当の恐怖』

人怖

人の狂気に潜む本当の恐怖

村田 らむ

内容(e-honより)
その男は社会のアンダーグランドを長年取材してきた。中には命の危険を感じることもあった。しかし、そんなものより恐怖を感じる瞬間―。それは理解不能な人間の狂気に出会ったときだった…。世の中の闇に精通する筆者が綴る、思わず背筋が凍る人怖物語。


 怖い話、といっても幽霊だのおばけではなく、生きている人の怖い話を集めた本。

 死体遺棄、悪意、暴力、動物虐待、詐欺など、個人的には「怖い」というより「胸くそ悪い」話がほとんどだった。

 ぼくもけっこう胸くそ悪い話が好きで(というと語弊があるけどついつい読んじゃう)、後味の悪い小説はよく読む。ということもあって、『人怖』に載っている話は「たしかに嫌な話だけどそこまで衝撃的なものはないな……」という印象だった。

 描写のグロテスクさでいえばこないだ読んだ『特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録』のほうがずっと上だったし、読後感の気持ち悪いさでいえば吉田修一氏の小説のほうがよっぽど嫌な気持ちになる。

 ハッピーな物語しか読まない人だったら『人怖』もずいぶん衝撃的な内容だとおもうけど。




 ホームレスの取材相手を探している雑誌記者の話。

「どんなホームレスを取材したいのですか?」
「死にそうな人いないですか? 取材している間に死んで欲しいんですよね」
「ええ? あ、死にそうな人ですか?」
 ……面食らった俺は、オウム返ししてしまった。
「そうなんですよ。別にその日のうちに死んでくれってわけではないですよ。うちは予算があるので、かなり長く取材ができますから。半年くらい取材をしていて、ある日小屋にいつも通り行ってみたら、彼が亡くなっているのを発見……とかが理想的ですよね。そこで、テロップで『我々はなぜ、彼を救えなかったのだろう?』って出すわけです。これ、すごい受けると思うんですよ!!」

 こういう報道関係者はいっぱいいるんだろうな。ここまであけっぴろげではなくても、うっすらと願っている記者はいっぱいいるだろう。

 こないだ読んだNHKスペシャル取材班『ルポ車上生活 駐車場の片隅で』にも近いものを感じた。記者がストーリーを作って、それにあう被取材者を探して、ストーリーにそぐわない話は切り捨てる。さらにたちの悪いことに、記者たちは「社会正義のため」と信じてやっている。「自分や視聴者の野次馬根性を満たすため」だということをすっかり忘れている。

 仕事とか社会正義という大義名分があるときのほうが、道徳心は忘れやすいんだよね。

 テレビディレクターの藤井健太郎さんが『悪意とこだわりの演出術』の中で、こんなことを書いていた。

 逆に、何かを悪く言ったりしているとき、意図的に事実をねじ曲げていることはまずあり得ません。悪く言われた対象者からは、事実だったとしてもクレームを受けることがあるくらいなのに、そこに明らかな嘘があったら告発されるのは当然です。
 そんな、落ちるのがわかっている危ない橋をわざわざ渡るわけがありません。そんな番組があったらどうかしてると思います。どうかしてる説です。

 悪ふざけだとおもっているときは、「渡っちゃいけない橋」に対して慎重になる。やりかたを間違えると、反撃されたり、訴えられたり、捕まったりすることがわかっているからだ。

 ところが〝正義〟のためならついつい暴走してしまう。先のホームレスで言うなら「ホームレスを取材して悪意たっぷりのおもしろおかしいコンテンツを作ってやろうぜ!」とおもっている人は、法や人々の道徳心にぎりぎり触れないラインを狙うだろう。

 ところが「『我々はなぜ、彼を救えなかったのだろう?』がテーマの美しくて崇高な物語をつくろう」とおもっている人は、ついついそのラインを踏み越えてしまう。正義は危険だ。




 犬を飼うのに世話をしない母親の話。

 でもある日、母から電話がかかってきて、おいおいと泣いているんです。
「犬が死んじゃって、もう悲しくて、悲しくて。あの子(義兄)も犬の亡骸を抱いて泣いていたのよ……」
 どうして急に死んでしまったのかを聞くと、

「保健所で殺処分してもらったの」

 母は、ペット不可の団地で犬を飼っているのが面倒になったらしく、保健所に連れて行って殺させたらしいです。
 つまり母は、自分で犬を殺しておいて、「犬が死んじゃった」 って泣いていたんです。

 たしかにひどい話なんだけど、こんなのめずらしくもなんともない話で、ペットを捨てたり、保健所に犬や猫を連れていくやつってたいがいこんなんじゃないの?

 自分では責任はとりたくない、でも好きなときだけかわいがりたい、でもそのために金や時間や労力を犠牲にしたくない、でも動物は好き、だけどめんどうなことを引き受けるぐらいなら動物が死んでもしかたない、でも死んだら悲しい。

 そういう思想じゃなきゃ、なにがあっても最期まで飼う覚悟もないのに犬猫をペットショップで買ってきたりしないでしょ。ペットショップ界隈には掃いて捨てるほどありそうな話だ。




 (おそらく)最近話題になっている某宗教について。

 そんなEさんの信仰が終わったのは、その教団が事件を起こしたからです。
 当該の教団は、韓国のキリスト教系の新興宗教団体でした。
 信者には「自由恋愛禁止」「合同結婚式で相手を強制的に選ぶ」という人権を無視してまでも、ピュアさを求める教団でしたが、教祖は全く逆の行動をとっていました。
 教団は、見た目がいい女性信者を多数、教祖の元へ”みつぎ物”として届けました。
 そして教祖は手当たりしだいに数多くの性的暴行をしました。
 女性を風呂場に裸で並べさせて、順番に性的暴行をしていったというスキャンダル記事も出ました。日本の女性信者も教祖の元に送り込まれ、性的暴行の被害者が出ました。
 教祖は韓国国内で刑事告発され、教祖は国外に逃亡、2007年に中国のアジトに潜伏しているところを逮捕されました。
 その段階になってEさんは、
 「え? さすがにおかしいんじゃないか?」
 と思ったそうです。
 教祖のスキャンダルさえ出なければ今も信仰を続けていた可能性があったと、Eさんは語っています
 そして僕が何より恐ろしいと思うのは、この団体は今でも活動を続けており、日本でも活発に勧誘活動をしているということです。
 つい最近になって日本で宗教法人格まで取得しています。

 2022年になって急にニュースになったけど、ずっとこういうことをやってきた団体なんだよねえ。




「人から聞いた話」がほとんどで、もちろん確かなソースなどもなく噂話とか都市伝説に近い。 掘り下げなどもなく、一冊の本として読むと少々読みごたえが薄い。

 Twitterとかで流れてきたら目を惹くような話なんだけどな。


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2023年1月11日水曜日

【読書感想文】『ズッコケ芸能界情報』『ズッコケ怪盗X最後の戦い』『ズッコケ情報公開㊙ファイル』

   中年にとってはなつかしいズッコケ三人組シリーズを今さら読んだ感想を書くシリーズ第十五弾。

 今回は43・44・45作目の感想。いよいよラストに近づいてきた。

 すべて大人になってはじめて読む作品。


『ズッコケ芸能界情報』(2001年)

 女優になりたいと言いだしたタエ子さんの付き添いで、芸能プロダクションのオーディションに付き添った三人組。突然、元二枚目俳優・現プロダクション事務所の社長にスカウトされ……。


 あまりにも導入の展開が雑すぎる。初対面の芸能プロダクション社長がそのへんの小学生相手にいきなり「君たちは三人ともスターになれる! うちと契約してください!」って言ってくるんだよ。平凡な顔を見ただけ。演技も見ていなければ、話すらしていないのに。

 これが詐欺でなければなんなんだ。どう考えたって詐欺師だ。

 ははあ、じつは詐欺でしたーっていうオチだな、小学生に芸能界は魑魅魍魎が跳梁跋扈する甘くない世界だと教えるんだなとおもって読んでいたのだが、驚くことに最後まで読んでも詐欺ではないのだ。んなアホな。

 ストーリーの強引さもひどいが、キャラクターの性格が変わっていることも気に入らない。目立ちたがり屋でお調子者だったハチベエはどこへ行ったんだ。これまでのハチベエだったら一も二もなく芸能界入りの話に飛びついていただろうに、今作では妙に慎重。逆に両親が浮ついて「うちの子はスーパースターになれる」なんて言いだす始末。キャラクターを壊さないでくれよ。

 タエコさんも急に芸能界デビューしたいと言いだすし、器量がいいわけでも熱意があるわけでも演技がうまいわけでもない少女がオーディションでいいとこまでいっちゃうし。ハチベエはハチベエで、ほとんど練習すらしていないのにとんとん拍子でドラマ出演が決まるし。ほとんど夢物語だ。

 また、主役であるハチベエですら主体的に行動することはほとんどなく、エスカレーターに乗せられたかのように努力することもなくスターの道を登りつめてゆく(途中で落とされるが)。いわんや、ハチベエが東京に行ってしまった後のモーちゃんとハカセにいたってはほぼ出番なし。

 とにかく作者の立てた無理のある筋書きに、登場人物たちがいやいや付きあわされているという感じの作品だった。



『ズッコケ怪盗X最後の戦い』(2001年)

 みたび現れた怪盗Xから、新未来教なる新興宗教団体から黄金の草履を盗みだすという予告状が届く。だが新未来教の教祖は神通力があるから大丈夫と自信たっぷり。はたして怪盗Xは黄金の草履を盗みだすことに失敗したかに見えたが……。


 冒頭の、国会議員秘書が金を騙しとられるくだりは蛇足だったが、第二章からはおもしろかった。怪盗X三部作の中ではいちばんよかった。

 まず新興宗教団体を舞台にしているのがいい。神通力を持っていると自称する教祖VS天下の大泥棒。ドラマ『TRICK』を彷彿とさせる。また、怪盗Xが敗れたのでは? とおもわせておいて二転三転する展開もおもしろい。

 さらに「ハカセたちの近所に引っ越してきた男性が怪盗Xの正体なのでは?」というもうひとつの謎もストーリーにうまくからんでいて、終始飽きさせない。こっちの謎は最後まで明らかにならないところも余韻を残す感じでいい。

 一点不満があるとすれば、「Xの正体らしき人物」がハカセやモーちゃんと同じアパートに引っ越してくるのはあまりにご都合的すぎる。X側は三人組のことを知っているのだから、わざわざ近所に引っ越してくる理由がないとおもうのだが……。

『ズッコケ怪盗Xの再挑戦』がかなりひどい出来だったので期待していなかったのだが、いい意味で予想を裏切ってくれた。



『ズッコケ情報公開㊙ファイル』(2002年)

 時代劇を観て、悪いやつをこらしめる諸国お目付け役になりたいとおもったハチベエ。ハカセに話したところ、だったらオンブズマンがいいんじゃないかと言われ、女の子にもてたい一心で市民オンブズマンになることを決意。情報公開のために市役所に行った帰り道、交通事故現場を目撃。被害者の男から書類とフロッピーディスクを託される。そこにあったのは市長の写真と交通費の書類だった……。


「情報公開」というおっそろしくつまらなさそうな題材だったが、中盤以降のストーリーはスティーブンソン『宝島』に似た王道冒険物語パターン。謎を解いたり、悪者に追われたり。『謎のズッコケ海賊島』にもよく似ているね。

『海賊島』と大きく異なるのは、中期以降は準レギュラーになっている荒井陽子・榎本由美子・安藤圭子たちと行動を共にすること。これまでは不自然に女性陣が登場していたが、今回は「フロッピーディスクの中身を調べるためにパソコンを持っている荒井陽子に協力を求める」という自然な筋書き。また危険なことにかかわりたくない榎本由美子が終盤でいい働きを見せるなど、女性陣をうまく扱っている。

「つまんなそうなテーマだな」と期待せずに読んだのだが、意外とおもしろかった。まったく期待しなかったのがよかったんだろうな。ただやっぱりオンブズマン制度の説明は子どもにはむずかしすぎる。娘(九歳)はほとんど理解できていなかった。政治家とか公務員とかすらよくわかってないんだから、オンブズマンだとか開示請求だとか言ってもわかるわけない。だいたいこの物語で三人組がやっていることはオンブズマン活動ではなく、恐喝屋からゆすりのネタを預かっただけである。情報公開請求なんてしていない。

 とはいえ、こうやって他の児童文学が手を付けていない分野に挑戦する意欲は買いたい。流行っている推理物や怪談物に安易に手を出すよりはずっといいぜ。


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2023年1月10日火曜日

【読書感想文】中脇 初枝『世界の果てのこどもたち』 / 高カロリー小説

世界の果てのこどもたち

中脇 初枝

内容(e-honより)
珠子、茉莉、美子―。三人の出会いは、戦時中の満洲だった。生まれも境遇も何もかも違った三人が、戦争によって巡り会い、確かな友情を築き上げる。やがて終戦が訪れ、三人は日本と中国でそれぞれの道を歩む。時や場所を超えても変わらないものがある―。


 いやあ、すごい小説だった。胸やけするぐらいカロリーの高い小説だ。寝る前にちょっとずつ読んでたんだけど、後半は不眠症になるぐらい刺激的な小説だった。



【ネタバレあり】

 主人公は戦時中の満州で出会った三人の少女。開拓民の子として親しく遊ぶ仲だったが、やがてばらばらに。横浜に戻った茉莉は空襲で親や親戚を失い、美子は在日朝鮮人として差別や貧困と闘いながら生きてゆく。満州で終戦を迎えた珠子は日本を目指すが……。

 三人ともとんでもなく苦労をするのだが、中でも珠子のおかれた境遇はつらい。戦争が終わったとたん、それまで奴隷のように扱っていた中国人たちに襲われる。

 中国人は引き揚げていた。家々は焼かれ、めぼしいものは奪われていた。城壁内のあちこちに、日本人の死体があった。 
 珠子は初めて、殺された人の死体を見た。裸にされて、槍で突かれたのか血まみれになって、野菜畑で死んでいた。珠子たちを家に住まわせてくれていた呉服屋の主人だった。 
 呆然として珠子はその死体を見下ろしていた。こどもはそんなもんを見たらいかんと言う余裕のある人間はだれもいなかった。ひとりぼっちで立っている珠子を気にかける人間もいなかった。 
 珠子は昨夜から今までのことを思いだしていた。 
 なんでわたしらあは襲われたが? 
 なんでソ連軍やのうて、満人が襲うてくるが? 
 珠子は茉莉に見せてもらった絵本の絵を思いだした。遊んでいた日本人と朝鮮人と中国人。 
 なかよしやなかったが? 
 わたしらあ。 
 広い満洲では開拓団村の城壁の中で暮らし、昨夜は襲われて城壁の中から逃げだした。 
 なぜ城壁があったのか。なぜ外へ出てはいけなかったのか。 
 あれは、けものから身を守るためのものではなかった。 
 なぜ大人たちが鉄砲を持っていたのか。鉄条網を張りめぐらせ、見張りを立てていたのか。 
 珠子は気づいた。 
 ここは日本ではなかった。珠子たちは満洲の人たちから逃げていた。この土地にもともと住んでいた満洲の人たちから。
 翌日からは、絶え間ない略奪が始まった。ついてきた中国人たちは、日本人の列に入りこんでは、ポケットというポケットを漁り、金目のものがないか探す。一緒に歩きながら、まるで他の者に取られる前に取らなくてはと焦っているかのように、上着のみならず、男のズボン、女のもんぺ、こどもの服など、手当たり次第に剝ぎとっていく。 
 略奪に加わるのは男だけではなかった。女のみならず、珠子と同じ年頃の女の子や男の子まで、寄ってきては「拿出(出せ)」「脱下(脱げ)」と言って、抵抗できない日本人の大人たちの持ち物や着物を奪う。校長先生まで女の子にズボンを脱がされていた。中国人の警察隊も見て見ぬ振りだった。 
 日本人の女は髷の中や赤ん坊のおむつの中に宝石を隠しているという噂が中国人の間で流れているらしく、女は髷を切られて髪の中まで探された。おぶった赤ん坊は奪われ、おむつまで外されて丸裸にされた。女の服を脱がせて局所まで探す者もいた。


 歴史の教科書やドラマでは、終戦は「戦争が終わった! これからは戦争のない世の中が始まる!」といった明るい転機として描かれる。だがそれは日本本土の話であって(もちろんそっちも大変だったのだが)、満州に残された日本人にとっては終戦は過酷な戦いのはじまりだったのだ。想像したことなかったなあ。

 財産をすべて奪われ、命も奪われ、命を守るために我が子を殺し、年老いた親を見殺しにし、それでも日本を目指してあてのない旅を続ける人々。


 ある年代の人々の中には中国人を蛇蝎のごとく嫌っている人がいたが、こういう経験をしたんなら一生憎むのもわからんでもないかなあ。もちろん、それ以前に日本人が中国人に手ひどい仕打ちをしてきたからこそ仕返しをされたのだけど。

 とはいえ軍人や官憲がおこなった悪行のしかえしを開拓民が被ったわけで、開拓民からすれば「一方的にやられた」と感じるだろうなあ。

「我々はただ開拓民として農業をして平和に暮らしていたし中国人とも仲良くやっていたのに、戦争に負けたとたん中国人たちがいきなり襲ってきた」という印象なのだろう。中国人にとっては、「先祖代々の土地を奪った憎い相手だが日本軍がいばっているのでおとなしく言うことを聞いていた。その軍隊が撤退したので、奪われたものを取り返した」って感覚なんだろうけどなあ。

 こうして憎しみは受け継がれてゆくんだなあ。




 さらに敵は中国人だけではない。

 夜が更けるにつれて、霜が降りてきた。女こどもを内側にし、みなで打ち重なるように円形に身を寄せ合って眠った。珠子は光子とともに母の胸にしがみついていた。夜更けにはソ連兵がやってきて銃先で上の人間をどかし、女性をみつけだすと銃を突きつけて連れていった。幸い、珠子のところにはやってこなかった。 
 遠くから途切れ途切れに聞こえてくる、夫や両親に助けを求めて泣き叫ぶ女の声を聞きながら、珠子は眠った。

 中国人に襲われ、ソ連兵にも襲われ、さらには日本人同士でも奪いあいがくりひろげられる。

『世界の果てのこどもたち』には、空襲で親を失った子どもから食べ物を奪って我が子に与える大人や、死者の所持品を奪う人々、敵に見つからないように子どもを殺させる大人(そしてそれに従って我が子を殺す親)、弱い者をだまして少しでも多くの食料を手に入れようとする人間などが描かれる。

 彼らは、決して生まれながらの極悪非道な人間ではないのだろう、きっと。彼らは彼らで生きるか死ぬかの状況にあり、生きるため、あるいは家族を生かすために他者を騙し、攻撃し、奪うのだ。

「苦しいときこそ助け合う」なんて真っ赤な嘘だ。他人に優しくできるのは、自らに余裕があるからだ。苦しいときこそ奪いあうのだ。




 珠子は中国人の襲撃から逃げ、ソ連兵から逃れ、その途中で妹や親しい人たちを失う。やっとのことでたどりついた収容所でも劣悪な環境によりばたばたと人が死に、さらに珠子は人さらいに捕まって売られてしまう。たまたま親切な中国人夫婦に買われて、中国人として育てられるのだが、今度は日本人であることが理由で辛酸をなめる。

 中国では大躍進政策、そして文化大革命の嵐が吹き荒れていたのだ。

 その後、部長と課長クラスの人間が一斉に批判の対象となった。批判集会の後は拘束され、工場長も部長も課長も、管理職にあった人間はすべていなくなった。 
 工場の生産は滞った。主任たちも、いつ自分たちが批判されるかわからず、怯えて、共産党員の工員たちの言うなりだった。自分が告発されたくないがために、家族であろうが同僚であろうが、なにもしていない人を先に告発することも、めずらしいことではなくなった。 
 ありとあらゆることが告発の種になった。おぼえていることもいないことも。かつてしたことをおぼえている人たちによって告発された。革命は総決算だった。したことがよいことかわるいことかではなかった。それをどう思っていた人がいたかだった。親が裕福だったこと、大学に行ったこと、有能で仕事ができたこと、そんなことが批判された。あることもないことも。もはや、それが真実かどうかさえ関係がなかった。それを人がどう思ったか。どう思って見ていたか。その思いが溢れだした。これまで口にできないでいた、その思いが。 
 だれもがだれもを疑い、これまでの人間同士の信頼や親しさというものが、すべて消えた。そもそもそんなものはありえない夢だったかのように。

 やっと手に入れた平穏の末、ついに日本に帰還を果たす珠子。だが幼少期から中国人として暮らしていたために、その頃には日本語どころか日本人として暮らしていた日々の記憶もほとんど失われていた……。

 なんとも壮絶な人生だ。もちろん珠子だけでなく、孤児となった茉莉や、在日朝鮮人として生きる美子もまたそれぞれ想像を超えるほど苦しい日々を送ることになる。

「戦争の悲劇」について語るとき、どうしても死者のつらさに重点が置かれるけど、ひょっとしたら生きのびた人のほうがずっと苦しい思いをしているかもしれない。「それでも生きていただけマシ」とはかんたんに言えないなあ。


 なんとも強烈な小説だが、あの時代を経験した人々からするとさほどめずらしくもない話なんだろう。一家全員無事でした、なんてケースのほうがめずらしいぐらいかもしれない。




 ぼくの祖父母は大正後半~昭和ヒトケタの生まれだった(昨年祖母が九十九歳で死に、全員鬼籍に入った)。戦争の記憶がある最後の世代だ。この世代は生きていても百歳ぐらいなので、もうほとんど残っていない。

 ぼくはとうとう祖父母から戦争体験談を聞かずじまいだった。祖父に関してはふたりとも出征していたそうだが。

 なぜ言わなかったのだろう、と彼らの心境を想像する。単純に「聞かれなかったから言わなかっただけ」の可能性もあるが、やはり言いたくなかったんじゃないだろうか。


 きっと、ぼくの祖父母も、生きるために他者から何かを奪ったんじゃないだろうか。金銭だったり、物資だったり、ひょっとすると生命を。きれいごとだけでは生きられなかった時代だ。もちろん奪われることもあっただろうが、奪うことも多かっただろう。

 きっと平和な時代にのほほんと生きる孫には言えなかったのだろう。どうせ「そうしないと生きていけない時代だったんだよ」と言っても、平和な時代しか知らない孫には伝わらない。だから戦争の思い出をまるごと封印したんじゃないだろうか。

 すべてはぼくの勝手な想像にすぎないけど。




 ものすごくパワフルな小説だった。三冊の重厚な小説を読んだぐらいの圧倒的なウェイト。

 まだ年のはじめだけど、たぶん今年トップクラスの本になるだろうな。


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2023年1月6日金曜日

【読書感想文】『各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと』 / 正論はエセ科学に勝てない

各分野の専門家が伝える
子どもを守るために知っておきたいこと

宋美玄 姜昌勲 名取宏 森戸やすみ 堀成美
Dr.Koala 猪熊弘子

内容(e-honより)
子育ては、人生の一大事業であり、社会にとっても重要なことがらです。しかし、「我が子を大切に育てるために、どうするのが最善なのだろう」と悩んだ末に、ネットや口コミで流れる怪しげな情報にすがり「よかれと思って」それを推進すると、結果的に子どもたちを不幸にしてしまいます。親、そしてすべての大人たちに必要なものは、根拠のない情報を鵜呑みにしない「知の防壁」、つまり「正しい知識」と「論理的思考能力」です。本書では、各分野の専門家たちが育児・医学・食・教育などの分野にわたり世に流布するデマを論理的に糺し、正しい知識を提供します。本書を座右に、子どもたちを守るためのスキルを身につけていきましょう。

 子育てをすると、周囲からいろんなことを言われる。あれに気をつけろ、これがいいらしい、それを早くやったほうがいい、と。病院、助産師、親、義両親、保育園、学校、親戚、他の保護者、近所の人、テレビ、SNS。

 言う方はたいてい親切心で言っているのだが、親切心ほどやっかいなものはない。営利目的での誘いなら「けっこうです!」と断れても、近しい人が親切心で言ってくる言葉ははねつけにくい。

 特に子育てに関してはほとんどの人がはじめての経験で失敗するととりかえしのつかないことになるので不安になりやすい。「よくわかんないけどやってみる。だめならもう一回」とはいかないから、正解を求めていろんな情報をさがす。いろんな人が(よかれとおもって)アドバイスをする。

 で、中にはまちがった知識、有害となる知識もある。バカな話をバカな人が信じているだけなら好きにしたらいいが、そこがバカのゆえんで、バカ知識を他人に押しつけたりバカ知識にもとづいて他人の行動を変えようとしたりする。


 子育てをする上で、そういう「エセ科学」に染まらないようにするための本。

 自然分娩、母乳育児、オーガニック食品、食品添加物、放射性物質、ホメオパシー、反ワクチン、江戸しぐさ、EM菌、水からの伝言などをテーマに、信頼のおける本やデータをもとに「正しいであろう知識」を紹介している。




 やっていることはすごく正しい。あたりまえのことを丁寧に伝えていくことは大事だ。ただ「届けなきゃいけない人には届かないだろうな」という気もする。

 正しいことっておもしろくないんだよね。この本もぜんぜんおもしろくない。教科書を読んでいるよう。正しいことをまっとうに書いている。ふーん、とおもうだけ。

「水にやさしい言葉をかけるときれいな結晶になる」とか「江戸時代の人たちに伝わっていたマナーが現代に通ずる」とかのほら話のほうがおもしろい。ほら話だからね。残念ながら。


 そもそも、エセ科学に夢中になる人って正しい知識なんて求めてないんじゃないだろうか。

 以前、ある俳優さんが語っていた。自分は陰謀論に染まりかけていた。ネットやYouTubeで仕入れてきたソースの怪しい話を知人に「どうだ知らないだろう」と話していた。だが、親しい仲間からそれは陰謀論でまともな話じゃないと指摘され、目が覚めた。改めて考えると、たしかにそのときの自分はおかしかった。陰謀論を知れば、無知でも、努力をせずに賢くなった気になれる。だからどんどん引きこまれていった、と。

 これはすごく冷静な指摘で、なかなかここまで客観的に自分を見つめることができる人はいないだろう。

 エセ科学や陰謀論にはまる人が求めているのは「楽して専門家よりも賢くなった気になれること」であって、「丹念につみあげられた証拠」や「膨大な実験結果」や「論理的に正しい可能性が高いであろう推論」などではない。ソースをあたれとか自分で調べろとかいうけど、ずいぶんトンチンカンな話だ。一獲千金を求めて馬券を買う人に「こつこつ働いて貯金しなさい」と言うようなものだ。

 ぼくだって、科学や政治経済の勉強はよくできたほうだし本を読むのも苦にならないからそれなりに科学リテラシーがあるほうだと(自分では)おもっているけど、そうじゃない分野に関していえばあっさりエセ科学的なものに染まる可能性はある。たとえばアイドルの分野にはまったく興味もないし自分で調べようとすらおもわないから「アイドルの○○は実は□□なんですよ」なんてことを、事情通っぽい人にもっともらしく言われたら「ふーんそうんなものか」と信じてしまうかもしれない。検証するのはめんどうだし。


 だから陰謀論やエセ科学を信じている人に対して、まともな議論や確かな証拠をいくらぶつけたってひっくりかえすことはできないとおもう。馬券を買う列に並んでいる人に「人間まじめに働かなきゃだめだよ」って言うのと同じで。上に挙げた俳優さんみたいなケースは、例外中の例外。

 陰謀論をひっくりかえせるのは別の陰謀論だけだとおもう。「ワクチンは身体に悪い!」って信じている人の考えを変えられるとしたら「いいや本当に危険なのはまだ世に知られていないXだ。ここだけの話、ワクチン反対論者はXの脅威を隠すために矛先をワクチンに向けているのだ!」みたいな別の陰謀論だろうね。




 保険対象となっている医療行為や薬はリスクもあるけどメリットのほうが大きい、食品添加物も基準を守っていればほぼ悪影響はないし恩恵も大きい、福島県の放射線物質はまったく心配するような量ではない、など、まああたりまえといえばあたりまえの話ばかりが続く。たぶんこういう本を手に取る人からしたら「そりゃそうでしょ」的な内容が多いだろう。

 無農薬野菜にもリスクがある、という話。

 そのリスクのひとつは、天然の有毒物質が混じる恐れがあること。天然の有毒物質をあまり意識したことがない人も多いかもしれませんが、自然界には人間が食べると毒になるものがたくさんあります。食用ではない植物の多くは有毒です。実際、この天然の有毒物質が、オーガニックでもしばしば問題になっています。本当は残留農薬よりも、様々な作物に含まれている天然の有毒物質のほうがリスクは高いのです。
 たとえば畑に生える雑草の中には、有毒なアルカロイドを含むものがあります。2014年には、輸入されたオーガニックベビーフードからナス科のアルカロイドであるアトロピンとスコポラミンが検出されてリコールされたというニュースがありました。このときに検出された量は、赤ちゃんに影響が出る可能性のある量でした。畑に雑草が多いことがオーガニックのよいところだと言う人もいますが、野生の植物は混じらないほうが安全です。
 もうひとつのリスクは、オーガニックの食品は、カビ毒汚染が多いということです。植物には真菌(カビ)が原因となる病気が多いのですが、これら真菌は植物を傷めて収穫量を減らすだけではなく、ヒトを含む動物にとって有害なマイコトキシンと呼ばれる一連の毒素を作ります。これらの種類は多く有害影響も様々ですが、有名なのはトウモロコシなどによくみられるアフラトキシン、小麦などによくみられるデオキシニバレノールなどです。実際、前出の企業のオーガニック製品から、カビ毒のオクラトキシンが検出され、回収されたこともありました。これらの残留農薬よりはるかに害が大きい自然の毒素は、農薬を適切に使うことで減らすことができます。
 もちろん、普通に販売されている商品のほとんどには問題がなく、安全性については普通の農産物も有機農産物も意味のある差はないと言えます。

 よく「○○は身体に悪い!」と言われるけど、まあたいていのものは人体に悪影響を与えることができるんだよね。どんなものでも摂りすぎは健康に良くない。

 そしてついつい「○○を摂取する」と「○○を摂取しない」で比べてしまうけど、何も食べないと死んでしまうのだから、比べるべきは「○○の害」と「○○ではないものの害」でなくてはならない。農薬を使った野菜の害と比較すべきは、無農薬野菜を食べる害だ。そして後者は決して小さくない。何人もの人が、自然にあるものを口にして命を落としてきた。

「農薬の害」はよく語られるけど「無農薬の(食べる人にとっての)害」はほとんど語られないのはフェアじゃないよなあ。




 個人的には取りあげるトピックに「早期英語教育」も入れてほしかったな。

 巷にあふれる幼児向け英語教育は、効果が怪しいものが大半だとにらんでるんだけどな……。


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母親として、子どもに食べさせるものには気をつかいたい



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2023年1月5日木曜日

いちぶんがく その18

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。



未亡人ギャグも冴える。

(竹宮 ゆゆこ『砕け散るところを見せてあげる』より)




ああ、このままずっと君に回されていたい。

(爪切男『クラスメイトの女子、全員好きでした』より)




こんなことしてて いいのです

(ニコリ編『すばらしい失敗 〜「数独の父」鍜治真起の仕事と遊び』より(鍜治 真起))




かかりつけの釈迦に相談するべきだったのだ。

(上田 啓太『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』より)




三角の布は、おばあちゃん同様、臭い。

(『悪童日記』より)




自分の居場所を愛した記憶がない彼にとって、怒りや苛立ちをうじうじ反芻するのは、故郷に帰るようなものだった。

(大岡 玲『亀をいじめる』より)




おめでとう、人。

(岸本 佐知子『死ぬまでに行きたい海』より)




もしもキュウリが違法化されたらどうなるか、考えてみてほしい。

(ウォルター・ブロック(著) 橘 玲(超訳)『不道徳な経済学 ~転売屋は社会に役立つ~』より)




「腐らない人間なんていやしませんよ」と一蹴。

(特掃隊長『特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録』より)




死人をいやがるのはしばらくの間で、白骨ともなれば話し相手にもなった。

(石野 径一郎『ひめゆりの塔』より)




 その他のいちぶんがく


2023年1月4日水曜日

【読書感想文】堀井 憲一郎『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』 / キリスト教徒じゃないからこそ

愛と狂瀾のメリークリスマス

なぜ異教徒の祭典が日本化したのか

堀井 憲一郎

内容(講談社BOOK倶楽部より)
「なぜキリスト教信者ではない日本人にとっても、クリスマスは特別行事になっているのか? それは実は、力で押してくるキリスト教文化の厄介な侵入を――彼らを怒らせることなく――防ぎ、やり過ごしていくための、「日本人ならではの知恵」だった! 「恋人たちが愛し合うクリスマス」という逸脱も、その「知恵」の延長線上にあったのだ――キリスト教伝来500年史から、極上の「日本史ミステリー」を読み解こう!

 なぜキリスト教国でもない日本で、クリスマスだけが国民的行事になったのか――。


 せいぜい戦後日本の文化史でも書かれているのかとおもって手に取ったのだが、『愛と狂瀾のメリークリスマス』ではクリスマスの発祥や江戸時代のクリスマスの様子などから丹念に調べられている。

 もうひとつ「サトゥルヌスの祭り」との関係も指摘されている。
 12月1日から25日まで、ローマ帝国の農耕神サトゥルヌスを祭る祝祭であった(ローマ帝国は多神教であるから、いろんな神がいた)。
「サトゥルヌスの祭り」では、7日間にわたり、すべての生産活動を停止して、喧噪と浮かれ騒ぎに明け暮れた。使用人と主人の立場も入れ替えられ、悪戯が仕掛けられ、冥界の王が担ぎ出され、どんちゃん騒ぎに終始した。この狂騒の祝祭のあいだに、贈り物のやりとりをした。サトゥルヌスは一種の悪神である(英語読みではサターンとなる)。
 クリスマスにおける贈答の習慣は、このサトゥルヌスの祭りが淵源だとされる。異教の祭りをもとにした習慣は、やがてサンタクロースが一身に背負っていくことになる。文化人類学者の説明によると、サンタクロースは冥府の使いの側面を持っているという。つまり、サンタクロースはもとは死の国の存在でもあったのだ。

 これは、絶妙に中二心をくすぐってくれる話だなあ。聖ニコラウスがサンタクロースになったという説もあるので、信憑性はともかく。

 仮に「サンタクロースは冥府の使い」説が正しかったとしても、この説が公式の見解になることはないだろうな。




 戦後時代に日本にきたルイス・フロイスの著した『日本史』についての話。

 これまた、「日本人全員をキリスト教徒にして、いつの日か日本全土をキリスト教国たらしめんための、その途中経過」という体裁で書かれているため、キリスト教徒ではない日本人の私から見れば、異様だとしかおもえない記述が目立つ。
 あらためて、イエズス会士たちの目的は「日本古来の習俗を廃し、神社も仏閣も仏像も破壊して、この島国の隅々までをキリストの国にすること」にあったのだとおもいいたる。きわめて暴力的な存在である。あまり中世の宗教をなめないほうがいいとおもう。
 フロイス自身も「日本の祭儀はすべて悪事の張本人である悪魔によって考案されたものである」(中公文庫3巻5章冒頭)と明記しており、つまりお正月のお祝いも、節分も、お盆の墓参りも、秋の収穫祭も、すべて「悪魔によって考えだされたもの」なのでやめさせなければいけない、と強く信じていたわけである。真剣に読んでいると、かれらの圧迫してくる精神に(日本の習俗をすべて廃させようとするその心根に)とても疲れてくる。ほんと、よくぞ国を鎖してキリスト教徒たちを追放してくれたものだと、個人的にではあるが、あらためて秀吉・家康ラインの政策をありがたくおもってしまう。

 たしかに、中世のキリスト教が十字軍や新大陸遠征で異教徒たちにしてきた蛮行をおもえば、日本にやってきた宣教師たちの目的は「キリスト教以外の宗教を徹底的に破壊し、日本をキリスト教の国にすること。そのためなら暴力的な手段をとってもいっこうにかまわない」だとしてもいっこうにふしぎはないよなあ。

 隠れキリシタンだとか踏み絵だとか『沈黙』だとか、まるでキリスト教側が被害者であるかのような描かれ方をすることが多いけれど(そしてそれはある面では事実だけど)、一歩まちがえれば逆に神道や仏教のほうが迫害されていた可能性もあったわけだ。

「キリスト教を弾圧しないとキリスト教に弾圧される」ぐらいのせっぱつまった状況にあったんだろうな。


 17世紀、江戸にあった中央政府は〝鎖国令〟という名の触れは出していない。
 かれらがおこなったのはキリスト教徒を日本国から締め出すことであった。
 徳川家康は1613年の暮れに「伴天連追放」を全国に公布し、その一掃をはかった。日本古来の秩序を乱すものとして、その存在を許さなかった。
 ただその信者数はかなりの数におよび、全国に広がっていた。禁教令を出したくらいでは、その影響力を途絶させることはできない。キリスト教国との貿易は継続したため、商人に身をやつした宣教師が国内に潜入するのを止めることはできなかった。
 そこで政府は徹底をはかることになる。
 まず御用商人が扱っていた外国との貿易を、中央政府の管轄においた。
 カトリック教国であるポルトガルの人は、商人とキリスト教布教者の区別がつきにくく、彼らを出入りさせているかぎりキリスト教追放は成り立たぬと判断し、ポルトガルとの国交断絶、ポルトガル人を追放し、今後の入国を禁じた。
 キリスト教国ながらプロテスタントのオランダ国は、商人と布教者の区別がついているように見えたので、長崎のみに窓口を限定し、その交易を続けることとした。もうひとつ貿易を続ける中国船の出入りも長崎に限定した。
 また、日本人の海外渡航と、在外日本人の帰国を禁じた。これを許しているかぎり、やはりキリスト教との縁が切れないからだ。
「ポルトガルとの国交断絶」「オランダ・中国との交渉を長崎に限定する」「日本人の海外渡航と海外からの帰国の禁止」、この三つの沙汰をもって鎖国令と呼ばれている。このままの状態では、日本はやがてキリスト教によって国の秩序が保てなくなる、との判断によって、こういう処置をしたまでである。国を鎖したのは結果であって「これから国を鎖すぞ」と宣言したわけではない。

 鎖国もしかり。

 外国と交易のある現代の感覚からすると、国を鎖すなんてまるで北朝鮮のような独裁国家みたいに見えるけど(北朝鮮はけっこう外交やってるけど)、じっさいのところは「キリスト協会に侵略されないために自衛でやってた」ことなんだなあ。新型コロナウイルスが大流行してるから国外渡航者の入国を禁止する、ってのとマインドはそれほど変わらないのかもしれない。

 堀井さんの書く「あまり中世の宗教をなめないほうがいい」は決して大げさな表現ではない。




 このあたりの「キリスト教が日本を侵略しそこなった話」や「戦前や戦後すぐのほうがクリスマスで大騒ぎしていた話」などは、自分も知らなかったこともあって読みごたえがあった。

 大の大人がクリスマスだからといって酔って暴れて、標識が倒されたり、いたずら110番通報が続出したり、さながら令和の渋谷のハロウィンといった様子。

 歴史の教科書を読んでいると「戦争によって日本はまったく別の国に生まれ変わった」かのような印象を受けると、じっさいに当時の風俗を描いた本を読むと、ぜんぜんそんなことないことがわかる。たしかに昭和十八年と二十八年はまったく別の国だろう。だが昭和八年と二十八年はそれほどかわらない。サラリーマンが街で酔っ払い、ばかげた流行に右往左往し、なにかと理由をつけてくだらないことで大騒ぎしている。そのへんは、戦前も、戦後も、高度経済成長期も、バブル期も、バブル崩壊後も、そして今も、そんなに変わらない。服装や音楽や所持品など細かいことは変わっても、人々の行動は大きく変わっていない。

 ということで、戦後はクリスマスが「大人のもの」から「若い恋人たちのもの」になっていったぐらいで、やっていることはさほど変わらない。明治~戦前ぐらいの話のほうがずっと興味深かった。




 冒頭の話に戻るけど、なぜキリスト教国でもない日本で、クリスマスだけが国民的行事になったのか。

 堀井憲一郎さんによると、伝統的な祭りや行事を取り扱った研究は多いのに、クリスマスを研究している人はすごく少ないという。なんとなく人々の意識に「クリスマスなんてまともな研究者がまじめに研究するもんじゃない」という意識があるのかもしれない。そして、その「まじめに取り扱うようなもんじゃない」ポジションこそが、クリスマスが非キリスト教国の日本で普及した要因だという。

 まじめに論ずるようなもんじゃない。だったらクリスマスをやったっていいじゃない。浮かれてもいいじゃない。そういう論理も成り立つ。


 よくよく考えたら、とある宗教の開祖の誕生日(正確にはクリスマスはキリストの誕生日でもないらしいが)を祝うのってなかなかトリッキーなことだ。隣人が「うちでは一家を挙げてモルモン教の設立者の生誕日を祝っています」なんて言いだしたら確実に距離を置く。モルモン教の教義なんてまったく知らないけど、反射的に「ヤバそうだな」とおもってしまう。

 本来、クリスマスだってそういうあぶなっかしい行事だったはずだ。異教徒の宗教行事。でも「子どもたちがプレゼントをもらえる日」だったり「子どもたちが劇や歌で楽しむ日」だったり「若いカップルたちがいちゃつく日」だったりといった形をとることで、「まあいい大人が目くじら立てて非難するほどのもんでもねえわな」ってとこに落ち着いている。うまいこと批判をかわしている。

 クリスマスを祝うことは「キリスト教に染まること」ではなく、逆に「キリスト教に染まらない」ための手段だと堀井さんは喝破する。


 子どもの楽しみの日だったり、酔っ払いがバカ騒ぎをしたり、あ若いカップルがいちゃつく日だったり、といった形をとることで宗教的な意味は形骸化してしまう。

 江戸時代のように完全に拒絶するのではなく、キリスト教のどうでもいいところだけをどうでもいい形で文化の中に取り込んでしまうことで、「キリスト教とるに足らず」というイメージを植えつけてしまうわけだ。なるほど、すごい戦略だよね。誰も狙ってやってるわけじゃないところがよけいに。

 議論の信憑性については賛否あるとおもうけど、ひとつの説としては非常におもしろい論だった。「キリスト教徒でもねえくせにクリスマスの日だけ浮かれやがって」とまゆを広める人もいるが、キリスト教徒じゃないからこそクリスマスの日に浮かれるんだよね。


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