2050年1月1日土曜日

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2026年7月3日金曜日

【読書感想文】平賀 緑『食べものから学ぶ現代社会 ~私たちを動かす資本主義のカラクリ~』 / 価格は需要と供給で決まらない

食べものから学ぶ現代社会

私たちを動かす資本主義のカラクリ

平賀 緑

内容(e-honより)
豊かなはずの世界で「生きづらい」のは、経済学の考え方と私たちのリアルがずれているからではないだろうか。新たな目で、食べものから、現代社会のグローバル化、巨大企業、金融化、技術革新を読み解いてみよう。私たちを動かす資本主義のカラクリが見えたら、地に足をつけた力強い一歩を踏み出せるだろうから。

 食べものを入口に、現代社会、主に資本主義について語る本。

 今まで経済の本はあれこれ読んだけど、どうも腑に落ちないところがあった。

 需要曲線とかを見ながら「こうやって価格が決定するんです」と言われると、
「うーん、確かに理論的な説明だけど、まちがってないんだろうけど、でも核心はついていないような気がする」という気になった。

 だってほとんどの場合、ものの価格って売り手の都合で決まってるじゃん。たとえばいっときコメの価格がすごく上がったけど、それってほんとに受給の綱引きによるもの? 日本人がコメを食べる量は数ヶ月でそんなに変わるわけない。ってことは供給が減ったということになるわけだけど、ほんとにそこまで減ったの? そんなに記録的不作なら、もっと早い段階で「コメが大不作!」とニュースになったはず。 でも収穫量減少は話題にならなくて、あるときから急に価格高騰が話題になった。

 ほんとに需要と供給で価格が決まってるの?



『食べものから学ぶ現代社会』では、経済学の教科書とはちがう、より現実的な経済の動きが説明されている。

 AIではない、人間の頭脳で考えた答えをチラ見せすると、小麦のような世界の「主食」といわれる食べものも、資本主義経済が始まってからは売って儲ける「商品」へと変わり、小麦を大量に生産して、貿易して、小麦原料の食料品を大量に製造して販売するというサプライチェーンが形成され、その役割や価値の測り方が変わっていった歴史的な経緯があります。加えて近年では、小麦など食料の価格を決める商品取引市場では、小麦を売りたい農家や小麦を買いたい食品産業は少数派で、むしろ9割方ほとんどの取引は、小麦なんて実際には必要ない、ただ小麦価格の変動により手っ取り早く儲けることを狙っている「投機筋」や「投機マネー」とも呼ばれる、食や農に関係ない人たち(機関投資家、組織、最近はAIも)なのです。そこではもう、小麦の影も形も見られない抽象化された「金融商品」が取引されています。つまり、食や農の「金融化」によって、小麦などの食料もマネーゲームの駒の一つになってしまったということ。このマネーゲームにおいては、ちょっとした情報で相場が大きく動くのが特徴です。実際の需要や供給より、これから小麦の価格が上がるかもしれない(儲けられるかも!)と思わせる小さなきっかけで大きく値動きする。そのきっかけは、戦争でも、天災でも、誰かの発言でも、構わないとのこと。

 小麦の取引のうち9割が「小麦をほしい人」ではなく「小麦の価格差を利用して儲けたい人」によっておこなわれているというのだ。

 はーん。まあ江戸時代からコメ相場とかアズキ相場とかはあったので、マネーゲームとして食糧を売買する人は昔からいた(取引量が増えると流動性が増して価格の安定につながるというメリットもあるそうだ)。

 でも昔は、基本は農家と問屋の売買で、そこにちょっと仕手筋が乗っかるぐらいだったのだが、今では逆に「生産者と流通業者はごく一部で、そこに大量の仕手筋が乗っかる」という構造になってしまった。

 そりゃコメ価格も暴騰するはずだ。生産量が5%減っただけでも「今年はコメが少ないから値上がりするはず!」と大勢の投機筋が群がってくるわけだから、あっという間に価格は倍になってしまう。先物取引であれば実際にコメを貯蔵する必要もないからどれだけでも買えるしね。

 まだ株とか金とかであれば価格が何倍になろうと庶民の生活には直接かかわらないからいいんだけど、金持ちのマネーゲームのせいで食料品の価格が乱高下するのは困る。

 食料とか土地とかの取引はちゃんと法律で規制してほしいな。投機目的の取引には高い税金をかけるとかさ。




 先ほど「書類上は」と書いたように、物理的なバナナの貨物が大西洋をまっすぐ横断している間に、この貿易に関する書類は、ケイマン諸島、バーミューダ、ジャージー島、マン島、アイルランド、ルクセンブルクなどを手続きとして経由していく。各地でブランド使用料や金融・保険のサービス料などいろんな名目の「コスト」を計上して回り、結果、そのバナナを販売する英国では、残りわずかになった利益を計上してそれに対する少額の税金だけを払う。つまり、書類上だけ「タックスヘイブン」と呼ばれる租税回避地を渡り歩き、途中でいろんな名目の経費を計上したりして、その富は生産国でも消費国でもない「オフショア」に吸い上げられる。結果、このバナナは英国の店頭では実際の生産や輸入にかかったコストとはあまり関係ない値段で販売され、関連企業は「合法的な節税」を行うことができるというカラクリです。その他にも「ほんと、すごい!」と感心するくらいマニアックな手法がいろいろ考案されているようです。
 生産から消費までのフードシステムの途中に、このような大企業による寡占状態があるとどんな影響があるか。これは「砂時計構造」で説明されます。
(中略)バナナの生産者も消費者も星の数ほど多数いますが、生産から消費までの途中、バナナを集めて倉庫で管理したり貿易したりする段階には5社しかありません。つまりこの5社が、世界のバナナ貿易を牛耳っているのです。当然、この部分が利益を上げることも多く、例えばバナナ1本の価格のうち、プランテーション農場主が10%、そこで働く農場労働者は1.5%分しか得られないことを示しています。(中略)
 こうした砂時計構造がある場合、細くくびれた首根っこ部分を握っている企業が、どんな商品を選ぶか(遺伝子組み換えか否かなど)、どれだけ市場に流通させるか、どう価格設定するかなどに大きな力を発揮するのです。
 こんなリアル社会において、経済学が語る「需要と供給の法則」がまともに機能していると思いますか?

 食料が「金融商品」になってしまった結果、食料の流通や価格は大企業が決定するようになってしまった。いちばん報われるべき生産者にはほとんどお金が入ってこない。

 200円のバナナが売れても、バナナ農園で働く労働者に入ってくるのはたったの3円(1.5%)!

 そりゃあ輸送したり仕入れて卸したり店頭で売ったりするのも大事だけど、さすがに生産者に1.5%しか入らないのはおかしい。かといって消費者としては価格は安いにこしたことがないので「じゃああなたが300円で買ってください」って言われても困るんだけど……。

 経済学の教科書だと「売り手と買い手の綱引きによって価格が決定する」とあるけど、実際のところ貿易の大部分を握っているのは売り手でも買い手でもなく中間業者なわけだ。しかもその中間業者も税金対策で入っていたり。

 こんな状態で「自由な競争に基づく適正価格」なんてつくはずがない!



 ただ問題なのは「大企業が悪いせいだ!」と単純化できる話でもないってことだ。

 よく派遣の話になると思考停止して「派遣会社がピンハネするのが悪い!」と叫んで終わり、って人がいるけど、世の中はそんなに単純なものではない。たったひとつの原因と明確な悪人がいてそいつを退治すればすべてが丸く収まるのはおとぎ話だけだ。

 バナナ農園で働く労働者も、農場主も、流通を握っている大企業も、小売のスーパーも、バナナを買う消費者も、みんな悪くない。誰もが社会のルールにのっとって行動して「損をしないように」ふるまっている。その結果「バナナを作っている人に売上の1.5%しか入らない」というずいぶんおかしなことになってしまう。

 これがぼくらの生きる資本主義社会のシステムなのだ。システムがまちがっているのか? それとも「バナナを作っている人に売上の1.5%しか入らない」と考えるぼくらのほうがまちがっているのか?


 だからといって、一部の企業やビジネスだけが強欲なのが問題だというつもりはありません。資本は集中する傾向があるといわれます。その要因など議論し始めるとキリがありませんが、ただ実際、一部の巨大企業群が大きな影響力を持っていることは確かでしょう。
 問題は、こんな現代社会でも、いまだに経済学の教科書には完全競争市場の需要と供給の法則が説かれているし、ニュースでも需要や供給で説明されることが多いこと。そのギャップに気をつけて欲しいと思います。市場のメカニズムがきれいに機能するためには、多数の売り手と多数の買い手がみんな平等に売買していて、誰も価格や量を操作できない、みんなが市場が定めた価格を受け入れるという、大きく現実離れした前提条件が必要なのだということを認識しておくと、経済学者たちにだまされることなく、問題をクリアに見ることができるようになるはずですから。

 結局この本を読んでも「私たちを動かす資本主義のカラクリ」はよくわからなかった。でもそれでいいとおもう。資本主義のカラクリだなんて複雑でむずかしいものを、本一冊読んだぐらいでわかったら嘘だろう。たぶん誰にもわからない。

 わからないことをちゃんとわからないままに提示できるのは、誠実でいい書き手だ。バカは単純明快な答えを求めるけど、わからないものをわからないもの受け止められるのが知性だ。


 とりあえずわかるのは「市場のメカニズム」なんてのは現実とはほど遠い論理だってこと。わかりやすい説明に飛びつかないようにしなくちゃね。


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2026年6月30日火曜日

【読書感想文】樋口 耕太郎『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』 / 補助金はイノベーションを阻害する

沖縄から貧困がなくならない本当の理由

樋口 耕太郎 

内容(Amazonより)
沖縄には、謎が多い。圧倒的な好景気が続く中、なぜ、突出した貧困社会なのか。「沖縄の人は優しい」と皆が口をそろえる中、なぜ、自殺率やいじめ、教員の鬱の問題は他の地域を圧倒しているのか。誰もなしえなかったアプローチで、沖縄社会の真実に迫る。「沖縄問題」を突き詰めることは日本の問題を突き詰めることであり、それは、私たち自身の問題を突き詰めることだ――。「コロナ後の世界」のありかたをも問う、鮮烈の問題作。

 所得水準、子どもの貧困率、正規雇用率、ひとり親世帯率(そしてその貧困率)、進学率、自殺率など様々な指標で全国ワーストクラスの数字を出している沖縄県。

 なぜ「気候も人もあたたかい」と言われる沖縄県で多くの人が貧困にあえぐのか。

 野村証券などで働いた後に沖縄でリゾートホテル経営をおこない、経営から退いた後は沖縄の飲み屋で数千人の話を聞いたという著者が、中と外から見た「沖縄問題」。


第1章『「オリオン買収」は何を意味するのか』、第2章『人間関係の経済』、第3章『沖縄は貧困に支えられている』は様々なデータに基づく分析が光っておもしろかったが、第4章『自分を愛せないウチナーンチュ』あたりからデータはほとんどなくなり、「聞いた話」が続く。さらに第5章『キャンドルサービス』にいたってはほぼ沖縄と関係のない著者の人生観が語られる。

 せっかく前半で事実に基づく考察が光っていたのに、中盤からは「自尊心が低いのが原因だ」「愛がすべてを解決する」みたいな話になってくるのでげんなりしてしまった。中盤まではいい本だったのになあ。



 少し前に読んだ高橋哲哉『沖縄について私たちが知っておきたいこと』 (→ 感想)に、「沖縄が経済的に基地に依存している割合は低い」といったことが書かれていたが、樋口耕太郎氏はその論調に反論する。

 たしかに基地から直接沖縄県に流れる金は多くないが、基地を受け入れる(受け入れさせられる)ことと引き換えに、沖縄県は日本から非常に多くの補助金や軽減税率を与えられている。

  たとえば、沖縄県が本土復帰した1972年以来、沖縄で生産・消費されるビールや泡盛には軽減税率が適用されていた。これにより、沖縄企業生産のオリオンビールはキリンやアサヒといった大手企業よりもずっと有利な条件で販売することができ、そのため沖縄県内では高いシェアを誇っていた。

 復帰後の一時的な対策だったはずの酒税軽減措置はその後も政治的な理由などで延長をくりかえされ、50年以上たった今年2026年にやっとビールの酒税軽減は終了するらしい(泡盛は2032年予定)。

 だが多くの補助金や税制優遇がそうであるように、それにより助かるのは真に困っている人たちではなく、大手企業や政治家とつながりを持つ金持ちをさらに潤すことになっている。

 このように、利権は入れ子構造になっていて、「多くの弱者のため」に政治が動き、援助がなされるほど、一部の利権者が多大な配分に与る構造が存在するのだ。これらの利権は所得として計上されないことも多く、問題が表面化しにくい。
 社会の権力者たちは、「社会のため」を語りながら、意識的あるいは無意識に自分の利害を最優先する。多くの場合それほどの悪意もない。場合によってはその自覚すらない。
 このように、沖縄振興を目的として大量に注がれた税金が、沖縄社会を激しく歪める原動力になっているのだ。「弱者を助けるため」に活動する沖縄の利権者が、「成果」を上げれば上げるほど、沖縄内部に問題を生み出す原因を作り出してしまう。
 このように、社会を歪め、弱者を助ける名目で(無意識に)搾取し、格差を生み出し、維持しているメカニズムは沖縄社会の内部にある。そして、日本政府からの大量の経済援助が、その歪みの構造を支える重要な役割を果たしてしまっている。
 利権者たちは、必ずしもそれを意図しなくても、あるいは、自分が利権者だという自覚がなくても、結果的に、自ら多額の援助金を獲得し、大きな利益を手にしてしまうため、事業そのものには意識が向かない。事業家の自律心が奪われれば商品の質は低下する。

 このような「沖縄を助けるため」であったはずの補助金や税制優遇が利権構造をつくりだし、結果的に沖縄の産業の競争力が弱まっていると著者は指摘する。

 泡盛に対する軽減税率にしても、ごくごく一部の大手酒造メーカーの役員だけが莫大な利益を得る構造になっているという。



 沖縄はもっとも政治によって翻弄されてきた地域だ。

 在留米兵による少女暴行事件により基地反対運動が高まった際には、日本政府は基地をひきつづき沖縄に引き受けさせるため、有形無形様々な形で経済援助をおこなった。

 沖縄で野火のように広がった基地反対運動。これに対してなされた政府主導の強烈な「火消し」の多くは、目に見えない経済援助の形をとった。ここに挙げた事例はそのほんの一部である。そして、それに呼応するように、1995年以降、沖縄は目覚ましい「経済発展」を遂げた。
 このように、沖縄の経済発展には、ことごとく基地経済と(ときには過剰な)援助の影がつきまとう。
 もし、1995年の基地反対運動が熱を帯びていなかったら、普天間飛行場の移設問題が浮上していなかったら、
 
 2000年のサミットは沖縄で開催されていただろうか?
 首里城は世界遺産になっていただろうか?
 新2000円札の表面は守礼門だっただろうか?
 そもそも2000円札は発行されていただろうか?
 沖縄自動車道や那覇空港は今ほど整備されていただろうか?
 沖縄のリゾートの価格帯は、現在のような水準だっただろうか?那覇空港の発着便は、現在の水準にまで激増しただろうか?
 
 このように考えた場合の基地依存型経済の規模は「5%」どころか、県民総所得の相当規模を占めると考えるべきだろう。(中略)
 しかし不可解なのは、これだけの経済援助を受け、「経済発展」を遂げている沖縄が、日本最大の貧困社会だということだ。
 なぜ、日本で最も援助を受けている地域が、最も貧困なのか?これは問いの前提に誤りがあると考えるべきではないだろうか?
 経済援助は、そのやり方次第では、貧困を解消するよりも増幅させる可能性があるからだ。

 ダロン・アセモグル & ジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』に、政治が腐敗していて特定の有力者だけが利益をむさぼる構造になっている社会ではイノベーションが起こりづらく、自由な競争が保障されている国との競争に負けて衰退していくのだと書いてあった。


 沖縄はまさにその「イノベーションが起こりづらい」地域になってしまっている。補助金が多ければ、当然甘い汁を吸うのが大好きな連中がそこに群がってくる。リスクを負って新しいことに挑戦する者は既得権益者によってつぶされる。人々はますます新しいことに挑戦しなくなり、一部の権力者がますます肥大してゆく……。

 このスパイラルから抜け出すのは相当むずかしいだろう。



 また著者は、沖縄の人は、慣れ親しんだものを志向する傾向が本土の人よりもずっと強いと指摘する。

 周囲から「冷たい人」とおもわれるのを避けるため、少々高かったり品質が劣ったりしても、なじみの店、なじみの相手から買うことを選ぶ傾向があるという。

 助け合いの精神が根付いているという良さもある反面、新しい価値を生み出すビジネスが成功しにくい環境でもあるという。

 このように沖縄経済を捉えると、品質の良いもの、価値のあるもの、優れた商品が生まない理由が説明できる。
 消費者は、商品やサービスの良し悪しで選ばず、同じ商品を買い続ける性向が強く、沖縄では品質の良いもの、価値のあるもの、優れたサービスを顧客に提供しても、結果(売り上げ)につながりにくい。付加価値の高い事業が収益を上げにくい沖縄の社会構造である。それらの結果、沖縄社会では一流を目指す人が力を発揮しにくいのだ。
 人間関係で成り立つ商売は、長期安定的で、本土企業に対して強い参入障壁を作り出すという大きなメリットがある一方で、革新を妨げ、低品質、低付加価値、低報酬を特徴とした、沖縄独特の経済圏を作り上げてきた。
 このような環境下では、品質改善への重要性は低く、創造力は発揮されない。開発力、革新力、サービス力が低下し、県外の「厳しい」顧客に訴求する商品を生み出すことは難しくなる。

 これ自体はそんなに悪いことじゃないんだけどね。みんなが安定した生活が送れるわけだから。島の中でやってる分には。

 ただ県外、海外企業との競争には勝てない。

 でもこれって沖縄の企業がおかしいんだろうか。県外、国外の企業と競争して勝たなきゃならない! という本土の企業のほうがヘンなんじゃないかな、と個人的にはおもう。いいじゃない。島の人が島の人を相手に商売して、食っていけるぐらいの儲けが出てるんだったら、それで。

 グローバル化が進んだからそうも言ってられなくなったという現実はわかるんだけど、でも多くの人にとってグローバル化っていいことばかりじゃない、むしろ悪いことのほうが多いわけで。

「グローバル化してるのにそれについていけない沖縄企業が悪い!」と書いてるけど、ほんとは「そもそもグローバル化したのが悪い」なのかもしれない。そう言っても一度開いてしまった扉はなかなか閉じられないものなんだけど。


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2026年6月23日火曜日

【読書感想文】サイモン・マッカーシー=ジョーンズ『悪意の科学 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?』 / 己の中の悪意と向き合わされる本

悪意の科学

意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?

サイモン・マッカーシー=ジョーンズ(著) プレシ南日子(訳)

内容(e-honより)
悪意の力を明かし、人間観をくつがえす傑作!悪意はなぜ失われずに進化してきたか?悪意をもたらす遺伝子、脳の仕組みとは?なぜ自分に害が及んでも意地悪をするのか?善良な人まで引きずり下ろそうとするわけ。悪意と罰の起源とは?悪意にはどのような効用・利点があるか?悪意をコントロールするには?…脳科学・心理学・遺伝学・人類学・ゲーム理論などの最新成果を駆使して、まったく新しい人間観が示される…

 この本における「悪意」とは「自分が損をする(得をしない)としても他者に損害を与えるような行為」を指す。

 たとえばあおり運転とか。気に入らない運転の車があると、その後ろにぴったりついて嫌がらせをする。それをしたところで自分が得をするわけではない。むしろ損をする(事故に遭う確率が上がる)。それでもそうした運転をする人は後を絶たない。

 そこまでいかなくても、気に入らない有名人をSNSで攻撃するとか。たいていの場合、炎上させたって自分が得をするわけではない。むしろ自身の評判を下げるだけだ。それでも多くの人にとって「気に入らないやつを攻撃する」行動は楽しい。



“悪意”は決してひとにぎりの人だけが見せるものではなく、多くの人の選択となって社会全体に影響を及ぼすこともある。

 悪意の影響は、選挙の行方だけでなく、当選者が推進する政策やそれに対する有権者の反応にも及ぶ。所得配分に関する政策について考えてみよう。経済状況が悪化している時代には、貧富の差を縮める政府が支持されるはずだ。ところが2008年の不況の際、人々は政府による所得の再配分をさほど重視していなかった。これは減税により自分たちよりも低い社会階層の人々との差が縮まる場合、たとえ生活が多少楽になるとしても、減税を望まない人々が一定数いたためだと考えられる。人間の「最下位を避けようとする」性質が表れたのだ。

 最低賃金の引き上げに最も反対するのは、金持ちや経営者よりも「最低賃金よりはちょっと上の給与で働いている人たち」だという。ふつうに考えれば彼らは最低賃金の引き上げによって恩恵を被る立場の人たちだ。

 それでも「自分より下の立場の連中が自分と同じ位置にくるかもしれない」という思いが“悪意”に走らせる。貯蓄の少ない者が生活保護受給者を非難したり、貧しい者が金持ち優遇政策をとっている政党に投票したりといった例は枚挙にいとまがない。自らにとっての実益よりも「あいつらを困らせたい」という“悪意”のほうが優先されることは決してめずらしくない。

 そして“悪意”は直接的な攻撃の形をとらないことも多い。

 仕返しが可能な現実の世界で、自分を不公平に扱った人々に直接、悪意のある行動をすることは、最後通牒ゲームの結果から想像するよりもずっとまれだ。小規模な部族社会に関する人類学的研究では、人々が協力関係を維持するためにこのような行動をとることは確認されていない。彼らは別の形態のコストの低い反支配行動をとる。彼らは安上がりな悪意を使うのだ。
 不公平な人を罰する個人的なコストを減らす方法の1つは、1人あたりのコストを減らすことだ。それには集団内でコストを負担し合えばいい。小規模な社会では、目に余る行ないをした人々を個人ではなく集団が殺す。そうすれば個人に対する反撃を最小限にできるからだ。同様に西洋ではほかの人も同じ相手に罰を与えている場合のほうが、人々は気楽に罰を与える。人数が多いほうが安全だからだ。
 罰のコストを減らす別の方法は、直接的な対立よりも安上がりな方法を用いることだ。たとえばうわさ話(ゴシップ)や嘲笑、村八分などがこれにあたる。現実の世界、特に小規模な社会では、人々は直接的な対立よりもこれらの方法を使いがちだ。

 悪いうわさを流す、集団で村八分にする、といった方法だ。正面切って悪意をぶつけるよりも、こちらのほうが自らの立場は安全だ。

 人間はいじめが大好きなのは、喧嘩よりもいじめのほうがリスクが低いからだ。



“悪意”と書くと無条件で悪いもののようにおもえるが、悪意はメリットもある。というよりメリットがあるからヒトは悪意をはたらくように進化したわけだ。

 悪意の理由は単純だ。悪意のある行動をとると得するからだ。短期的に見ると悪意のある行動が、長期的な利益をもたらすことも多い。悪意+時間=利己主義というわけだ。反支配的悪意は乱暴者や支配者、暴君を引きずり下ろす。この場合、悪意は正義を守る手段となりうる。他者に害を及ぼす人に悪意を向けると社会関係資本が増える。そして、ほかの人々からの協力や高い評価という見返りが得られる。一方、自分に害を与える相手に悪意を向ければ、相手はわたしたちにもっと気を使わなければならなくなる。やがて人間は言葉の助けを借りて、コストのかかる罰をより安上がりで安全に使えるようになった。また、神や国家に悪意のある行動を委託するようにもなった。こうして今や人間は、ニーチェのいうところの「盗んできた歯」でかみつけるようになったのだ。

 極端な例でいえばテロやクーデター、そこまでいかなくてもスキャンダルをした議員を引きずりおろしたり、不正をはたらいた企業に対して抗議運動をすることで、不正が正されることがある。また不正に対する抑制にもなる。

「自分勝手なことをすると俺はおまえを罰するぞ」という意思表示が悪意、早く言えば「なめられないようにする」ということだ。悪意を見せることで、将来的に自分が厚遇されるようになるわけだ。

 誰も悪意を行使しなければ権力者のやりたい放題になってしまう。



 だが、悪意は不正を正すために使われるとはかぎらない。

 人より優位に立った人は悪意を向けられやすいが、幸運によって優位を得た人よりも、実力で優位に立った人のほうが悪意を抱かれやすいという。宝くじで大金を得た人よりも、事業で成功して大金を手にした人のほうがねたまれやすいのだ。

 さらに、みんなのためにコストを払った人、つまり「気前のいいひと」にも悪意を向ける。

 人助けや親切な行動を罰するのは、実験として行なうゲームだけの話ではない。人類学に目を向ければ、狩りに成功し、部族の全員で分け合えるような大きな獲物を捕らえた者が非難される事例が見られる。(中略)
 では、なぜ気前のいい人に罰を与える人がいるのだろう? これは反支配的傾向が引き起こされるためと思われる。貢献が少ない人々は、より多く貢献している人々が有利な地位を得たと感じるだろう。寛大な行動をした協力的な人々は地位や評判を手にする。そして、こうした気前のいい人々は支配的になるかもしれないと恐れられてしまう。ヴォルテールが言ったように、最善は善の敵なのだ。
 生物学的市場理論の観点からも、これに関連した説明ができる。生物学的市場理論では、人間は協力相手に選ばれるために競争していると考えられている。選ばれるための方法の1つは、ほかの人々より親切で気前よくなることだ。一方、競争相手を見劣りさせるという戦略もある。善人ぶる者を妨害すれば、実は悪意を持っていても、自分を比較的善良(もしくは少なくとも実際よりは悪くなさそう)に見せられるかもしれない。
 こうした行動をとると、ケチで自尊心がないと見なされるリスクを冒すことになる。しかしながら、自分をより魅力的なパートナーに見せるために気前のいい人々を罰するという発想を裏付ける証拠が見つかっている。人間は他者が別のゲームのパートナー候補を物色していると感じると、自分たちよりも多く貢献した人々に悪意から罰を与える傾向が強くなるのだ。

「気前のいい人」はリーダーに選ばれやすいし、恋愛市場でもパートナーから選ばれやすい。だから周囲から悪意を向けられやすい。


 ふうむ。たしかに自分の周りのことを思い返しても、「いつもおごってくれる上司」って、慕われるどころか嫌われていることのほうが多い気がする。

「いつもおごってくれるなんて優しい人だ!」ではなく「こいつこんなに稼いでるのかよ。だったらこっちに分けろよ」という気持ちになる。
(おごってくれるから嫌いなのか、嫌われてるから好かれようとしておごれるのかわからないけど)

 気前よくふるまうと感謝されるどころか悪意を向けられるなんて……。だったらあんまり気前よくしないほうがいいな。



 この本で挙げられている“悪意”の事例ってよく見聞きしたり、自分自身も同じように感じたりすることだけど、意外とこういうことについて書かれた本って多くない。

 みんな「自分は悪意を抱えていて、隙あらば成功者や自分より人気のあるやつを引きずりおろしたいという気持ちを持っている」ことを認めたくないからね。だから“悪意”ってなかなか研究対象にしにくかったのかもしれない。どうしたって己の中にある醜い感情と向き合うことになるからね。


 ぼくもこの本を読んで、自分の中のイヤな感情と向き合ってしまった。いやあぼくってイヤなやつだよな。わざと歩きスマホをしてるやつの前を横切って歩きづらくさせたり、あとわざわざ●●をしたり■■なやつの邪魔をしたり……(自粛)。


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2026年6月22日月曜日

【読書感想文】高野 和明『グレイヴディッガー』 / 風呂敷を畳むのに失敗していろんなものがはみ出してしまった

グレイヴディッガー

高野 和明

内容(e-honより)
改心した悪党・八神は、骨髄ドナーとなって他人の命を救おうとしていた。だが移植を目前にして連続猟奇殺人事件が発生、巻き込まれた八神は白血病患者を救うべく、命がけの逃走を開始した。首都全域で繰り広げられる決死の追跡劇。謎の殺戮者、墓掘人の正体は?圧倒的なスピードで展開する傑作スリラー巨編。


 一年以上前に死んだはずなのにきれいな状態で発見された死体、異常な殺し方の連続殺人事件、「見えない炎で焼き殺された」焼死体、なぜか追われる主人公。

 前半は謎だらけだ。犯人もわからなければ被害者の正体もわからない。被害者に共通していたのは骨髄ドナー登録をしていたことだけ。犯人の人数も謎だし、殺しの動機もわからない。主人公・八神が追われる理由も、ワルの八神が「どうしても骨髄提供をしたい」と考えて必死に警察から逃げ回っている理由もわからない。

 うーん、謎が多すぎて何が何やら。

 中盤で、タイトルになっている“グレイヴディッガー”という言葉が出てくる。

 その聞き慣れない単語は、しかし確かな重量感をもって耳の奥で反響した。「グレイヴディッガー?」
「ええ。英語で、『墓掘人』の意味です。魔女迫害の機運がイングランドに及んだ頃、異端審問官たちが何者かによって虐殺されるという事件が起こりました。魔女裁判と同じ拷問の方法を使ってね。それに怖れをなした異端審問官たちが、魔女狩りを自粛したのではないかというのです。今となっては事件の真相は分かりません。しかし当時の人々は、拷問によって殺された男が墓の中から蘇り、自分を殺した者たちに復讐をしたのではないかと噂しました。そして、この蘇った死者を、『グレイヴディッガー』と呼んだのです」

 魔女狩りをしていた異端審問官たちを私刑に処していたのが“グレイヴディッガー”らしい。言ってみれば「『魔女狩り』狩り」。

 これによってすべての謎がつながって一気に真相に近づく……とはならない。どうやら犯人が“グレイヴディッガー”を模倣して犯行をしているらしいということだけはわかるが、一向に真相は見えてこない。

 ひたすら八神が追手から逃げまわっている姿だけが描写される。ついに捕まった、とおもったらまた逃げて、やっと捕まった、とおもったらまた逃げて、今度こそ捕まった、とおもったらまた逃げて……。

 しつこい。もういいって。逃避行自体が目的の作品ならそれでいいんだけど、謎解きがメインなので逃亡劇は冗長に感じる。逃亡劇がなくても成立する小説だったんじゃないかな。



 きれいな状態で見つかった死体、公安組織、骨髄ドナー、グレイヴディッガーという一見ばらばらに見える伏線が一本につながる手腕は見事。ただ要素が多すぎて荒唐無稽な印象も受ける。

“グレイヴディッガー”側も、“グレイヴディッガー”に狙われる側も、「その目的のためにそこまでやらんだろ……」という感じなんだよな。やってることの壮大さのわりに、目的がしょぼすぎる。

 逆トロッコ問題みたいな感じ。「1人を助けるために5人の命を奪う」みたいなことをやってる。そんなやついるか?

 犯行のスケールの大きさに動機が釣り合ってないように感じた。


 あと最終的に「あいつもこいつもお咎めなし」で決着したのも、なんか腑に落ちない。あんな都内各地で大騒動をくりひろげておいて、みんな無かったことになっちゃうの!?

 ということで、おもしろい小説ではあったんだけど、風呂敷を畳むのに失敗していろんなものがはみ出してしまった印象。遠い外国が舞台、とかのほうがまだすんなり読めたかも。


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【読書感想文】高野 和明『ジェノサイド』

パワーたっぷりのほら話/高野 和明『13階段』



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