
読書感想文は随時追加中……
読書感想文リスト
この本における「悪意」とは「自分が損をする(得をしない)としても他者に損害を与えるような行為」を指す。
たとえばあおり運転とか。気に入らない運転の車があると、その後ろにぴったりついて嫌がらせをする。それをしたところで自分が得をするわけではない。むしろ損をする(事故に遭う確率が上がる)。それでもそうした運転をする人は後を絶たない。
そこまでいかなくても、気に入らない有名人をSNSで攻撃するとか。たいていの場合、炎上させたって自分が得をするわけではない。むしろ自身の評判を下げるだけだ。それでも多くの人にとって「気に入らないやつを攻撃する」行動は楽しい。
“悪意”は決してひとにぎりの人だけが見せるものではなく、多くの人の選択となって社会全体に影響を及ぼすこともある。
最低賃金の引き上げに最も反対するのは、金持ちや経営者よりも「最低賃金よりはちょっと上の給与で働いている人たち」だという。ふつうに考えれば彼らは最低賃金の引き上げによって恩恵を被る立場の人たちだ。
それでも「自分より下の立場の連中が自分と同じ位置にくるかもしれない」という思いが“悪意”に走らせる。貯蓄の少ない者が生活保護受給者を非難したり、貧しい者が金持ち優遇政策をとっている政党に投票したりといった例は枚挙にいとまがない。自らにとっての実益よりも「あいつらを困らせたい」という“悪意”のほうが優先されることは決してめずらしくない。
そして“悪意”は直接的な攻撃の形をとらないことも多い。
悪いうわさを流す、集団で村八分にする、といった方法だ。正面切って悪意をぶつけるよりも、こちらのほうが自らの立場は安全だ。
人間はいじめが大好きなのは、喧嘩よりもいじめのほうがリスクが低いからだ。
“悪意”と書くと無条件で悪いもののようにおもえるが、悪意はメリットもある。というよりメリットがあるからヒトは悪意をはたらくように進化したわけだ。
極端な例でいえばテロやクーデター、そこまでいかなくてもスキャンダルをした議員を引きずりおろしたり、不正をはたらいた企業に対して抗議運動をすることで、不正が正されることがある。また不正に対する抑制にもなる。
「自分勝手なことをすると俺はおまえを罰するぞ」という意思表示が悪意、早く言えば「なめられないようにする」ということだ。悪意を見せることで、将来的に自分が厚遇されるようになるわけだ。
誰も悪意を行使しなければ権力者のやりたい放題になってしまう。
だが、悪意は不正を正すために使われるとはかぎらない。
人より優位に立った人は悪意を向けられやすいが、幸運によって優位を得た人よりも、実力で優位に立った人のほうが悪意を抱かれやすいという。宝くじで大金を得た人よりも、事業で成功して大金を手にした人のほうがねたまれやすいのだ。
さらに、みんなのためにコストを払った人、つまり「気前のいいひと」にも悪意を向ける。
「気前のいい人」はリーダーに選ばれやすいし、恋愛市場でもパートナーから選ばれやすい。だから周囲から悪意を向けられやすい。
ふうむ。たしかに自分の周りのことを思い返しても、「いつもおごってくれる上司」って、慕われるどころか嫌われていることのほうが多い気がする。
「いつもおごってくれるなんて優しい人だ!」ではなく「こいつこんなに稼いでるのかよ。だったらこっちに分けろよ」という気持ちになる。
(おごってくれるから嫌いなのか、嫌われてるから好かれようとしておごれるのかわからないけど)
気前よくふるまうと感謝されるどころか悪意を向けられるなんて……。だったらあんまり気前よくしないほうがいいな。
この本で挙げられている“悪意”の事例ってよく見聞きしたり、自分自身も同じように感じたりすることだけど、意外とこういうことについて書かれた本って多くない。
みんな「自分は悪意を抱えていて、隙あらば成功者や自分より人気のあるやつを引きずりおろしたいという気持ちを持っている」ことを認めたくないからね。だから“悪意”ってなかなか研究対象にしにくかったのかもしれない。どうしたって己の中にある醜い感情と向き合うことになるからね。
ぼくもこの本を読んで、自分の中のイヤな感情と向き合ってしまった。いやあぼくってイヤなやつだよな。わざと歩きスマホをしてるやつの前を横切って歩きづらくさせたり、あとわざわざ●●をしたり■■なやつの邪魔をしたり……(自粛)。
一年以上前に死んだはずなのにきれいな状態で発見された死体、異常な殺し方の連続殺人事件、「見えない炎で焼き殺された」焼死体、なぜか追われる主人公。
前半は謎だらけだ。犯人もわからなければ被害者の正体もわからない。被害者に共通していたのは骨髄ドナー登録をしていたことだけ。犯人の人数も謎だし、殺しの動機もわからない。主人公・八神が追われる理由も、ワルの八神が「どうしても骨髄提供をしたい」と考えて必死に警察から逃げ回っている理由もわからない。
うーん、謎が多すぎて何が何やら。
中盤で、タイトルになっている“グレイヴディッガー”という言葉が出てくる。
魔女狩りをしていた異端審問官たちを私刑に処していたのが“グレイヴディッガー”らしい。言ってみれば「『魔女狩り』狩り」。
これによってすべての謎がつながって一気に真相に近づく……とはならない。どうやら犯人が“グレイヴディッガー”を模倣して犯行をしているらしいということだけはわかるが、一向に真相は見えてこない。
ひたすら八神が追手から逃げまわっている姿だけが描写される。ついに捕まった、とおもったらまた逃げて、やっと捕まった、とおもったらまた逃げて、今度こそ捕まった、とおもったらまた逃げて……。
しつこい。もういいって。逃避行自体が目的の作品ならそれでいいんだけど、謎解きがメインなので逃亡劇は冗長に感じる。逃亡劇がなくても成立する小説だったんじゃないかな。
きれいな状態で見つかった死体、公安組織、骨髄ドナー、グレイヴディッガーという一見ばらばらに見える伏線が一本につながる手腕は見事。ただ要素が多すぎて荒唐無稽な印象も受ける。
“グレイヴディッガー”側も、“グレイヴディッガー”に狙われる側も、「その目的のためにそこまでやらんだろ……」という感じなんだよな。やってることの壮大さのわりに、目的がしょぼすぎる。
逆トロッコ問題みたいな感じ。「1人を助けるために5人の命を奪う」みたいなことをやってる。そんなやついるか?
犯行のスケールの大きさに動機が釣り合ってないように感じた。
あと最終的に「あいつもこいつもお咎めなし」で決着したのも、なんか腑に落ちない。あんな都内各地で大騒動をくりひろげておいて、みんな無かったことになっちゃうの!?
ということで、おもしろい小説ではあったんだけど、風呂敷を畳むのに失敗していろんなものがはみ出してしまった印象。遠い外国が舞台、とかのほうがまだすんなり読めたかも。
少し前に、アリク・カーシェンバウム『まじめに動物の言語を考えてみた』という本を読んだ(→ 感想)。
動物が音声を使って様々なコミュニケーションをとっていることを認めた上で、「とはいえ他の動物たちは人間の言葉に翻訳できるような言葉は持っていなさそうだ」といった論調だった(誤解を招きそうなので補足しておくと、人間が他の動物たちに比べて優れているとは書いていない。ただ異なると書いているだけだ)。
それを読んだ後だったので、この『僕には鳥の言葉がわかる』というタイトルを見たときは「正確性を欠くタイトルだな。研究者としての知的誠実さが足りないのでは」と思っていた。
そして読んでみた。
いや、「鳥の言葉がわかる」という言葉は決して大げさじゃないな! もちろん「鳥の言葉を一対一で人間の言葉に翻訳できる」という意味ではないが、鳥の言葉を“わかる”ことは可能かもしれない。この場合の“わかる”とは、“理解する”というよりは“感じる”に近いけど……。
シジュウカラのヒナが、親鳥の鳴き声によって異なる反応を見せることについて。
ヒナたちは親鳥が近づくと餌をねだる声を出すが、親鳥が警戒音を出すと、鳴くのを辞めて巣の中でうずくまるという。
「じっとしろ!」というメッセージを伝えることに成功しているので、これは言語といってもいいのではないだろうか。最も人間が使う「じっとしろ!」とはまったく同じではないけれど。
人間の「じっとしろ!」は敵に見つかりそうなときも、逆に獲物に気づかれないようにするときにも、朝礼で落ち着きのない生徒を叱るときにも使えるが、おそらくシジュウカラの「ピーツピ!」にそこまでの汎用性はない(どっちが優れているということはない)。
カラスが巣に接近したときには「ピーツピ!」と鳴くシジュウカラは、ヘビが接近したときには「ジャージャー」という声で鳴く。
そして「ピーツピ!」を聞いたヒナは、カラスから身を守るために巣の中でじっとするのに対し、「ジャージャー」を聞くと親鳥は地面を見下ろす。さらにヒナは巣箱から飛び立つ。
「ピーツピ!」のときは対カラスの行動(カラスが巣箱にクチバシを突っ込んでもつつかれないようにうずくまる)を取るのに対し、「ジャージャー」のときは対ヘビの行動(飛んで逃げる)をおこなう。異なる刺激に対して異なる音を出し、異なる音に対して異なる行動をアウトプットする。これは……言語だ。
さらに著者は、枝に紐をつけて動かす実験をすることで、「ジャージャー」を聞いた後ではシジュウカラが枝をヘビと見間違うのに対し、音がない場合は見間違えないことを確かめる。
このあたりの実験の設計がすごくうまくて、実験の詳細を見ているだけでわくわくする。
もしぼくが研究者だったら「カラスとヘビが近づいた時では異なる声を出して、異なる反応を見せる」と気づいた時点で「シジュウカラは敵によって言語を使い分けてる! まちがいない! やったぜ、オレすげー!」と発表しちゃうとおもうんだけど、鈴木俊貴さんはそこから数々の反論を想定して、その反論に負けないための実験をデザインしている。これがプロの研究者かー。
研究者というと好きなことに対してまっしぐらな人、というイメージだけど、一流の研究者は情熱だけでなく醒めた視点も併せ持っているんだな。
シジュウカラの“言語”はシジュウカラだけでなく、他の鳥も理解できるらしい。
シジュウカラの鳴き声を聞いて他種の鳥が逃げたり、逆に他種の鳥の鳴き声を聞いてシジュウカラが警戒を強めたり。多種多様な鳥が協力して警戒に当たったほうが天敵から逃れる確率は上がるからだ。
さらにそれを逆手にとって他の鳥を騙すことさえするというから驚きだ。
人間のように「嘘の情報を流して追い払ってやろう」と考えているわけではないだろうが、結果的には誤情報によって他個体の行動を操作しているわけでから、“嘘をつく”といっても大きな間違いではあるまい。
「鳥の言葉」と言ってしまうと誤解を招くかもしれないけれど、シジュウカラなどの鳥が部分的には人間と同等、あるいはそれ以上に高度なコミュニケーションをとっていることは間違いなさそうだ。
研究内容もおもしろいし、文章も親しみやすいし、選んでいるトピックスもほどよく初心者向け、ほどよく専門的で、すごくよくできた本でした。
「かけ算は(かけられる数)×(かける数)の順序でなければならない」という順番気にしいや派(シーヤ派、転じてシーア派)と「いや順番が逆でも数学的に問題はない」の順番気にすんな派(スンナ派、転じてスンニ派)の抗争は収まることがなく、すでに争いは泥沼化している。
問題文にいちいち「※ただし、かけられる数を先に書くこと」と注釈をつければ一応両方の顔は立つが、それでも「何をかけられる数とするか」という抗争が生まれるだけだろう(4人にりんごを3個ずつ配る場合、3個/人×4人としてもいいし、4個/周×3周と考えることもできる)。
戦争は始めるよりも終わらせるほうがはるかにむずかしい。
個人的に好きなコンビ名のひとつが“メイプル超合金”だ。
ただ単語を並べただけのように見えるが、コンビのそれぞれを見てみると、ちゃんとメイプル(シロップ)を好きそうな人と超合金を好きそうな人だ。どっちがメイプルでどっちが超合金だとおもう? と訊いたら、99%の人の答えは一致するだろう。
「ダイエットしようとウォーキングをすることにした。数ヶ月やったけどぜんぜん痩せない。ウォーキングは効率が悪い」と書いている人がいた。
それって効率が悪いんじゃなくて「エネルギー効率がいい」じゃないかと思った。時間あたりのエネルギー消費量が少ないのだから燃費がいい。
ダイエットとしては効率が悪いけど、エネルギーの観点では効率がいい。
お金がありあまっていてなんとかして使い果たしたい人からすると「読書は(浪費する上で)不経済だ。ギャンブルは短い時間でたくさん使うことができるから(浪費する上で)経済的だ」ということになる。