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読書感想文リスト
キングオブコント2026の感想。
破壊ありがとうの婚姻届のコントがいちばん好きだったな。絶妙に気持ち悪くて。
喫茶ムーンも不快感が漂うコントをしてたけど、事前VTRで「客の悲鳴が聞きたい」みたいなことを言っていたのがマイナス。そういうこと言わずにやるからおもしろいのに。
まあ破壊ありがとうも喫茶ムーンも芸人審査では評価されても国民審査や決勝の客には受け入れられなかった気がするので、こういうコントをテレビで観られただけで満足。
あとやっぱりしずるはいいねえ。愛されてるなあ。一気にバラエティの雰囲気になった。いちばんおもしろかったのはしずるのコントの後。長田さんの「たぶん勝てないし」は笑った。しずるは毎年敗者復活戦にいてほしい(本人たちは嫌だろうが)。
やっぱり芸人審査は楽しいね。昔のキングオブコントの芸人審査は、いつコメントを振られるかわからない&ダウンタウンの厳しい言葉のおかげで緊張感があったが、敗者復活戦のほうはたぶん事前に「次おまえらいくぞ」みたいなのがあったんだろうね。みんなしっかりコメントを考えていて、それはそれでおもしろいんだけどちょっと予定調和な感じがして物足りない面も。
個人的なコメント大賞はカゲヤマ益田さんの「10年後チャンピオンになります」。なんで来年じゃなくて10年後なんだよ。
芸人審査は楽しいけど、公正とはいいがたいから決勝には持ちこまなくていいかな。この後9組出てくるのに1組目から最高点の5点をつける人って何も考えてないのかな。ちゃんと審査しようとおもったら、どんなにおもしろかったとしても1組目には4点までしかつけられなくないか。
あとネルソンズに1点とか2点とか入れてた人は、個人的に恨みでもあったんだろうなあ。どう考えても1点入れられるようなコントじゃないでしょ。
結果的に「フランクフルトを落としたかどうか」といういたって平和なネタをやっていたスパイシーガーリックが勝ち上がり。
決勝ではちがうネタをやっていたけど、最終決戦まで勝ち残ってたらどうしてたんだろ。さすがに3本は用意してないか。
意外にふつうのネタだったなあ。あんな風貌なのに誰よりもオーソドックスなコントをしていた。音響を使ったテクニカルな面も見せていたが、元祖いちごちゃんに期待するのはそういうんじゃないんだよ。
感想としては去年とほぼ同じ。最初に強いボケがくるがその後はしりすぼみになってしまうとことか、たっぷり間をとってツッコむわりにわりとはずしているとことかが気になった。あれだけ期待を高めるんなら相当意外な角度からツッコまないと肩透かしをくらっちゃうよ。
今大会でいちばん名を上げたコンビかもしれないね。
意欲的なことをやりながら、それでいて肩肘を張っていない。あそこまでひとりだけがしゃべるコントをやったら、もうひとりはずっと黙って最後に一言だけ言う(あるいは最後まで口を開かない)、みたいな構成にしてしまうのがセオリーだけど、それすらも裏切る。斬新なコントをやってやるぜ、みたいな意気込みも感じさせなくていい意味で力が抜けている。
ラーメン屋のしゃべっていることは聞き取れない箇所も多いのだが、それでも耳心地がいい。上質なラップを聴いているよう。
敗者復活戦と同じように平和なネタ。
自宅に設置するならエスカレーターじゃなくて場所をとらないエレベーターだろ、エスカレーターだったら上りと下りの2機つけないといけないし……なんてことは考えずにただ動きのおもしろさを味わうのがこのコントの正しい楽しみ方なんだろう。
楽しいコントではある……がストーリーに起伏のないこのコントを5分観ると少々飽きてしまった。
ぬいぐるみが実は生きていてしゃべりだすという定番のファンタジーな導入から、ほとんどのぬいぐるみは死んでいるというダークな設定。なるほど、たしかに命あるものは必ず死ぬから、生きているなら死ぬこともある。納得がいく。理解できるがゆえにおもしろみがない。
ななまがりにしては論理的なネタで、であるがゆえに小ぢんまりした印象を受けてしまった。序盤のネタばらしがピークで、あとはその補足に終始してしまったな。
この短時間で8人を登場させ、複雑な人間関係を簡潔に伝え、鋭い観察眼と批評性も見せてくれ、ちゃんと笑いもとる。実にうまい。8人組限定のコントの大会なら10連覇できるだろう。不世出の才能だ。
これ以上ないほど優れたコントだが、でも優勝はできない。だって競技がちがうんだもん。総合格闘技の大会に柔道の世界王者が出るようなもので。ダウのコントとジェラードンのコントのどっちが上かなんて比べられないよ。それ言ったら身も蓋もないんだけどさ。
個人的には「夢に向かって努力しているまじめな若者が楽しいだけの軽薄な男に勝てない、楽しいだけの軽薄な男が成功している大人の男に勝てない」まではわかるんだけど「成功している大人の男が夢を追っているまじめな若者に勝てない」にはまったく共感できなかった。そうかあ? 若さで負けていたとしても、それはタイプとは別の問題だしなあ。
前半の酔っ払いの動きを見ながら、子どもの頃に見ていたカトちゃんケンちゃんのコントを思いだした。古今東西老若男女誰が見てもわかるおもしろさ。
中盤で「実はひとりは酔っていない」「実はふたりともしらふ」という設定が明らかにされるが、そこからもストーリーを転がすことはなく、徹頭徹尾バカをやりきるのがすごい。設定すらもバカを増幅させる装置でしかない。
ダウ90000の緻密で隙のない脚本のコントを観た後だからこそ、シンプルなおもしろさが際立つ。小難しいことをあれこれ考えていても、結局おれたちはおもしろい顔とおもしろい動きで笑っちゃうんだよ。頭ではなく魂を揺さぶってくれるコントだった。
いつもながらのむちゃくちゃなコントだが、そそっかしい後輩刑事というキャラクターにしてしまったせいで、ニッポンの社長の狂気性が薄れてしまったように感じる。
たとえば以前のキングオブコントで披露していた『バッティングセンター』のネタでは、「このおっさんに痛覚はないのか」「何が目的でそこまで執着するのか」がわからないことが異常性を際立たせていたが、今回はただ変なやつがドタバタしているだけに見えてしまった。
怖そうな客がレストランの店員にクレームを言ったが自分の勘違いだったことがわかってばつの悪い思いをする……という東京03っぽい導入。
東京03であればそこから角田さんのみみっちい立ち居振る舞いが展開されるのだろうが、こちらは客が自分の非を素直に認めた上で「ぜったいにウケろよ」という謎の懐の広さを見せる。そこから二転三転の先が読めない展開。シナリオだけで言えば、今大会もっとも見ごたえのあったコント。脚本を読んだだけでもおもしろいはず。
芝居もいいし、完成度は非常に高かった。しかし完成度が高いと埋もれてしまうのがキングオブコントという大会なんだよなあ。
見たことのあるコントだったが、一度目と同じように笑った。強度が高い。
特に「スマホはまだわかるわ、鼻シュッシュされて何か困ることあるんか!?」のセリフは秀逸。コントのためのセリフじゃなくて、本物のセリフだもんな。同じ状況になったら言っちゃうとおもう。現実味があって、それでいて「怒るのそこなんだ」というおかしさもある。すばらしい。
ただ電流だったりロシアンルーレットだったりの展開はコントのための動きだったな。
これ、シーシャを好きな人からしたらぜんぜんおもしろくないんじゃないのかな。あたりまえのことをあたりまえに説明しているだけなので。
ザ・マミィってこういう変な道具好きだね。トーキング・モジュレーターとかカリンバを使ったコントもやっていたし。
せっかく唯一無二のキャラクターを持っている酒井さんという人がいるんだから、そのキャラを活かしたネタを観たかったな。前のKOCでやってたミュージカルのネタみたいなの。
細かいことだけど、酒井さんがあの風貌の刑事なのにスーツも靴もぴかぴかなのが気になった。もっとくたびれてないと。
や団って伊藤さんがはっきりとヤバいやつ、中嶋さんが一見ふつうだけどよく考えたらもっとヤバいやつ、みたいなコントが多いけど、このネタについては伊藤さんがひとりでヤバいやつを演じていて、パワーダウン感が否めない。しかも理解できなくもない、ぐらいの軽めの異常性だったし。
や団にしてはベタに感じてしまったが、これは常連組の宿命か。
観ていて、キングオブコントが始まったときにネットで盛んだったラーメンズ論争を思いだした。ラーメンズは出るのか、いや出るはずがない。もしラーメンズが出たらその完成度の高さで圧倒するんじゃないか、いやラーメンズはおもしろくない、いやラーメンズはおもしろいけどこういう場では評価されない。そんな議論がよくなされていた。
ヤッホイのこのネタを観て、ラーメンズが出ていたらたぶんこんな感じだったんだろうなあ、という感じがした。そりゃ得点にはつながらないよね。
後半は玉置浩二のおもしろさだろ、とおもった。
蛙亭の魅力って中野さんの善性が持つ気持ち悪さが大きいとおもうんだけど、このネタはその無邪気さが封印されている。真逆の、「言っていることは正しいけど嫌なやつ」になってしまっている。もったいない。
「フラれて泣いている女と初対面の男」という構図は以前のKOCで披露した『寿司ボーイ』のネタと似ているが、あっちは中野さんの魅力が爆発していた。1本目で1位になったロッチが最終決戦でボケとツッコミを入れ替えたネタを披露して逆転負けを喫した年を思いだした。幅を見せたいのはわかるが、最大の武器を活かさないのはもったいない。
わかりやすく変な恰好の人間が出てきて変なことをやる、というオーソドックスなコント。新しいことはやってないが、13本のコントを連続で観た後の観客と審査員にはこれぐらいのわかりやすいネタのほうがいいんだろう。もう斬新な発想とか緻密な構成とかを受け入れる余裕がないもんね。「今君は何を思う!?」という使い勝手のいい決め台詞まで持ってきて、優勝を決めるのにちょうどいいネタ。これがトップバッターで披露されたネタだったら7位ぐらいに終わってそうだけど。
ということで優勝はジェラードン。おめでとう。
メンバー構成が変わって再出場を果たしたのが初めてなら、もちろん優勝も史上初。改めて大宮セブンの賞レースでの強さを見せつけた。
審査結果についてあれこれ言うのは野暮だけど……。コンテストだから順位をつけるのはしかたないけど、せめて「審査員が3組選ぶ」ぐらいの審査方式にできないのかねえ。毎年おもうけど。
ヤッホイとダウ90000とジェラードンのどこが何点高いか決めるなんて、どう考えたって無理でしょう……ねえ。
19世紀後半、まだ人類が誰一人北極点に到達していなかった時代。気球に乗って北極点上空へ行こうと考えたスウェーデン人がいた。歩きやそりで行けないなら空から行こう、というなんとも大胆な発想だ。
サロモン・アウグスト・アンドレーら三人は気球に乗って北極に向かって出発。
30日ほどの飛行となる予定だったが、度重なるアクシデントにより出発のわずか三日後に北極海の氷上に着陸。そこから徒歩での帰還を目指した。二ヶ月半後に無人島に上陸。だがその島で三人とも命を落とした。
奇妙なのは、三人の死因がわからないという点だ。30年以上たってから三人の遺体が発見されたが、食料は十分に残されていた。衣類も、燃料も。また彼らは日誌をつけていたが、その日誌にも死の予兆となる記述はない。
はたして三人はなぜ死んだのか。酸欠、食中毒、壊血病、病原菌、低体温症、鉛中毒、他殺、薬物など様々な原因が推測された。だが三人の遺体は死後30年以上たってから発見された上、火葬されてしまったので真相はわからない。
医師である著者はこの謎にとりつかれ、長い時間をかけて膨大な資料や証言を集めて謎の解明に挑む。手紙、解剖結果、残留物、衣類、残された骨。はたして三人の死因は……!?
という、なんともわくわくするノンフィクション。ノンフィクションでありながらミステリ。
前半は三人の足跡を追いかけるパート。これがもう、読んでいるだけで寒気がする。
当初気球は誘導索(ガイドロープ)を地面に垂らしながら進む予定だった。イカリのようなものだ。これがあることで高度が安定し、ある程度操縦もできるようになるらしい。
だが出発早々、この誘導索がはずれてしまうのだ。
出発と同時にコントロールが利かなくなってしまうのだ。文字通り、風まかせ。
さらにアクシデントは続く。悪天候による霧や霜のせいで、気球から水素ガスがどんどん漏れ出してしまうのだ。そして氷河の上に不時着。絶望的だ。
だが三人は絶望したわけではなかった。元々、氷上を歩くことになるかもしれないと想定はしており、そりや数ヶ月分の食料なども準備していた。日誌にもさほど悲観的な記述はない。
どこまでも広がる氷の上を、三人は重いそりをひきずって歩く。
だがその工程は想像よりずっと過酷なものだった。
6週間で22.5km。ということは1日中歩いているのに500mぐらいしか進まない計算。ちなみにカタツムリの進むスピードが時速50mぐらいらしいので、だいたいカタツムリと同じ速度だ。
歩いても歩いてもちっとも進まない。絶望的な行軍だ。これは精神的にもきついよな。何もかも嫌になって生きるための努力をやめてしまいそうだ。
だが、三人の行動や手記を読むかぎり、彼らは決してあきらめていたわけではなさそうだ。
標本を集めたり、スケッチをしたり、写真を撮ったり。荷物をちょっとでも軽くするために不要なものは捨てたほうがいいはずなのに、生き残るためには不必要なものを彼らは持ち続けている。
それはとにもかくにも、生きて故郷に帰る気でいたからではないだろうか。生還する気でいたからこそ、北極に達した証を少しでも多く持ってかえろうとしていたのだろう。
生きて還る気でいた三人。
無事に無人島に上陸したことで、ちっとも進まない氷上の行軍をしていたときよりもずっと暮らしやすくなったはず。寒さをしのぐ住居ができ、一冬を越せるだけの食料や燃料もある。遭難当初よりも希望は増していたのではないだろうか。
だが上陸してからわずか三日ほどで手記はとだえ、(おそらく直後に)三人とも命を落とした。手記には、死の直接的な要因となるような記述は見当たらない。
この本の後半は死因を突き止めようとするパート。ここは正直やや退屈。著者は真相に迫ろうとあれこれ奮闘するも、ちっとも真実は見えてこない。まるで6週間で22.5kmしか進めなかった行軍のよう。
著者は霊能力者にまで相談するが、当然ながら解決の役には立たない(あたりまえだ。このくだりはいらなかっただろ)。
一応結論らしきものは書かれるが「××の可能性は低い。○○だったのではないかと考えられる」というなんともあいまいなもの。
でも現実のミステリってこんなもんよね。小説のように快刀乱麻を断つような唯一解はない。まだまだ解釈の余地はありそう。
亡くなった三人も、生還できなかったことは無念だろうが、これだけ長い間多くの人に語り継がれるようになったのは冒険家として本望なのでは。
工場閉鎖の危機に瀕した工場長が、恩師である物理学者のアドバイスに従って納期短縮、生産量アップ、経費削減に取り組むというストーリー。
物語仕立てなので読みやすい……とおもう人もいるだろうが、個人的には物語部分のせいで冗長になっているように感じる。ストーリーはいいから早く結論を書いてよ、とおもってしまう。息子をハイキングに連れていったことで工場の流れを悪くしている原因に気づく、とかはいいとしても、夫婦間のストーリーは結局「仕事で忙しくしていて妻をかまっていなかった」だけなのでとりたてて小説として読むほどでもなかった。
40年以上前の本なのでテンポが遅い。映画でも音楽でもそうだけど、昔のコンテンツってテンポが遅いよね。いろんなものがテンポアップしているんだな、と感じる。ストーリー仕立てにするにしてもこの三割ぐらいの分量で良かったのでは、というのが今の時代の感想。
1984年の刊行でありながら、著者がこの本で提唱した“制約理論”は今も製造業における重要な考え方として活かされているという。
特に重要なのがボトルネックに関する考え方。生産ラインの中で全体の流れを遅くしている原因はごく一部である。そこの処理速度が全体のスピードを決定するので、「いかにボトルネックの工程をスムーズに動かすか」が重要になる。そして、ボトルネックをスムーズにするためなら、他の工程では作業ペースが落ちてもかまわない。
だいたいの職場においてこういう考え方が浸透している。
Aさんが一生懸命働いている横でBさんが暇そうにしているのはいけないことだ。自分で仕事を見つけてでも懸命に働かなくてはいけない。生産性向上のためには、常に全員がフルパワーで稼働しているのがいい状態だ……。
だが、すべての工程がフル稼働している状態は非常に非効率な状態だと著者は喝破する。
くりかえしになるが「作業員が手を休めることなく常に作業している工場は、非常に非効率」というのがこの本に書かれていることだ。
おもしろい。なぜなら一般的な常識とは異なるから。
世の中の経営者や上司は、たいてい部下がヒマそうにしていることを嫌う。もちろんやらなきゃいけないことがあってサボっているのはダメだが、ヒマなときにヒマそうにしていることも嫌う。まるで自分が損をしているような気になるのだろう。
洗濯について考えてみよう。
「洗濯機が稼働する」→「洗濯物を干す」→「洗濯物が乾くのを待つ」→「洗濯物を取り込む」→「取り込んだ洗濯物を畳んでしまう」という工程がある。
それぞれに要する時間は
・洗濯機が稼働する(120分)」
・洗濯物を干す(15分)
・洗濯物が乾くのを待つ(300分)
・洗濯物が乾いたら取り込む(10分)
・取り込んだ洗濯物を畳んでしまう(15分)
このとき、ボトルネックになるのは「洗濯物が乾くのを待つ(300分)」だ。
大家族で大量の洗濯物がある場合、「洗濯物が乾くのを待つ」に極力無駄が生じないようにしないといけない。天気がいいのに物干し台がからっぽ、という状態を生んではいけない。
逆に、そのほかの工程についてはかならず待機時間が生じる。洗濯機があいているからといって洗濯機を常に回していたら、「洗濯したのに干せない衣類」がどんどん溜まっていく。これは非効率だ。カビも生えるし。
だから洗濯機はフル稼働でなくていい。サボっているように見えても、働かなくていい。というか働いてはいけない。
どんなに急いでも300分より短い時間で洗濯のサイクルを回すことはできないのだ。
「仕事のない人間がヒマそうにしているのは許せない!」という誤った考えはたぶん学校から来ているんだろうな。学校のようにひとりひとりの能力を伸ばすのが目的であればそれでいいのかもしれないけど、チームで何かをする職場(に限らず)では必ず手持ちぶさたな人が生じる。それが正しいありかただ。
「こっちが忙しくしているのにあいつはヒマそうにしていて腹立つ!」という感情は自然なものだが、決して効率化にはつながらないんだね。
最近、子どもといっしょに漫画『あたしンち』を読んでいる。今も描いているようだが、読んでいるのは今から30年ぐらい前に讀賣新聞の日曜版に連載されていた頃の作品。
古い漫画なので、読んでいると「あーこれ今だったらヤバそうだな」とおもう話がある。
たとえばお父さんがソファに寝転んだまま「おい、爪切り」と言ってお母さんに持ってこさせる。お母さんが遅いとキレる。
たとえば高校生たちが花火を見ながら「えー酒買ってきてないのかよ」と話している。
たとえば0歳児を温泉に連れていって、赤ちゃんが脱糞したのであわてて掃除をする。
「今だったら非難されそうだな」とおもうのだが、よく考えたらフィクションなんだから登場人物たちがどんな悪いことをしようが叩く必要はない(もっとよく考えたら現実の世界の人物だったとしても無関係な他人が叩く必要はない)。
フィクションの世界の住人にまで品行方正さを求めるぼくのほうがおかしくなったのかもしれない。
最近、子どもといっしょに漫画『ドラゴンボール』を読みかえしている。気づいたのだが、天津飯は三つ目なのだが、誰もそのことに触れない。
初登場時は謎めいたキャラクターなので「あいつなかなかやるな」みたいに噂されているのだが、誰も「あの三つ目のやつ」とは言わない。最大の特徴なのに。
ヤムチャと天津飯はけっこうばちばち舌戦をくりひろげるのだが「今のうちにせいぜいえらそうにしておくんんだな」みたいなことは言うのに「この三つ目野郎め」みたいなことは言わない。
特に初期のほうのドラゴンボールって時代が時代なので、チビだのハゲだのパンティー見せてくれだの、見た目いじりやセクハラがあたりまえにおこなわれている。なのに天津飯の三つ目だけはいじられない。
さらにクリリンが「なあ天津飯さん、あんた目がいいだろ」と言うシーンがある。「目がいい」なのだ。「あんた目が三つあるからよく見えるだろ」ではない。明らかに気を遣っている。
現代アメリカで肌の色に言及するのが絶対的なタブーであるように、あの世界では目の数だけは絶対にふれてはいけないタブーなのかもしれない。
アニメ『ドラゴンボール(無印)』の主題歌といえば『摩訶不思議アドベンチャー』だ。今聴いても、イントロが流れるだけでわくわくさせてくれる名曲だ。
ところで『摩訶不思議アドベンチャー』の歌い出しは
「つかもうぜ! DRAGONBALL」だ。その後に
「さがそうぜ! DRAGONBALL」と歌われ、2番では
「手にいれろ! DRAGONBALL」
「追いかけろ! DRAGONBALL」
だ。
……順番、変じゃないか?
ふつうは、さがして追いかけてつかむことで手にいれるものだろう。