2050年1月1日土曜日

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2026年9月28日月曜日

【読書感想文】宮本 常一『山に生きる人びと 』 / ダムに沈んだ村には帰りたくない

山に生きる人びと

 宮本 常一

内容(e-honより)
山には「塩の道」もあれば「カッタイ道」もあり、サンカ、木地屋、マタギ、杣人、焼畑農業者、鉱山師、炭焼き、修験者、落人の末裔…さまざまな漂泊民が生活していた。ていねいなフィールドワークと真摯な研究で、失われゆくもうひとつの(非)常民の姿を記録する。宮本民俗学の代表作の初めての文庫化。

 常に未読の本が十冊以上ある状態なので、いざ読もうと手に取ったときに「かつての自分はなんでこの本買ったんだろう……?」とおもうことがときどきある。

 これもそのうちの一冊で、ほんとになんで興味を持ったのかわからない。民俗学にまるで関心いないんだけど……。


 読んでみてもやっぱりわからない。古来日本の山中で生活していた人たちの様子をただそのまま描写しただけで、全体を通して何かが見えてくるというわけでもない。うーん、ほんとになんで買ったんだろう。

 そもそも山中で暮らしていた人たちに興味を持ったこともなかったので「イノシシとか山菜とかをとって生活していたのかな」ぐらいのぼんやりとしたイメージしか持っていなかった。ぼくの「昔の庶民の暮らし」って落語によって形成された部分が大きいんだけど、落語って町人の文化なので農村部や山間部はほとんど出てこないんだよね。『池田の猪買い』ぐらいか。

 山で暮らしている人は文書で記録を残すことも少なかっただろうしな。だからこういう資料は貴重なんだろう。


『山に生きる人びと』を読むと、山中で暮らす人たちも平野の人たちとまったくつながりを断って生きていたわけではないことがわかる。

 猟師にしても、農村の人たちのために農作物を野獣の被害から守ることを引き受けていたとか。炭焼きで木炭を作っていた人も、その木炭は鉄・銅・銀などの精錬に使われていたとか。小泉武夫『猟師の肉は腐らない』という本に、山奥にたった一人で暮らしている猟師が出てくるが、彼にしてもときどき町に下りて獲ったイノシシやドジョウを現金化し、調味料を買ったりしているらしい。完全な自給自足というのはできないものらしい。



 興味深かったのが、1186年にはじまった東大寺(奈良県)再建の記録。

 東大寺に使われた木材は、なんと周防の国(山口県)から持ってきたのだという。

 道すらない山中に入って100尺(約30メートル)以上の丈夫な材木をさがし、それを斧で伐り倒す。そこからがまたたいへんだ。

 さて、この伐り倒した木を運び出すのがたいへんな作業である。ろくろを二張つけて、七〇人あまりの人で一本の木をひいたという。この木をひくための綱も径六寸・長さ五〇〇尺、それを柱の本末に二本つけてひくのである。綱そのものの重さだってたいへんなものであるから、人力だけで一本の木をひくとなれば一〇〇〇人の人を必要としたであろうが、ろくろを用いることによって七〇人ですんだのである。しかしそれだけでは材木を運び出せない。谷をうずめ、岩を割って道をつくり、木を倒して橋をつくり、佐波川の本流まで運ばねばならぬ。そこからは流水を利用して下すことができる。材木を運び出すために山中につけた道は三〇〇丁にのぼった。

 道をつくり、橋をつくり、とんでもなく重い木を運ぶ。これを800年以上前、車も電気もない時代にやっていたのだ。

 さらにさらに。山口県から奈良県まで運ぶという大事業が残っている。

 重源は後白河法皇の命をうけて、とるものもとりあえず周防国へ下ってきて十分用意もととのわないなかにあって、とにかくこれだけの材木をまず奈良へ運んできた。大きな木であるから川を下して海へ出しても船に積むことはできない。これを船にひかせて瀬戸内海を東へのぼってきた。風力を利用して帆を張ってくればすこしはらくであろうが、なにぶんにも大きな木である。波のあるなかをひいてくるのは困難だから、風のないとき、橈でこぐ船でひいてこなければならない。そして淀川をさかのぼって山城の木津まで持ってきてそこから大八車にのせて牛にひかせた。牛の数は一二〇頭にのぼったといわれる。

 ひゃあ。材木を用意するだけでこの苦労。とんでもない公共事業だ。今のオリンピックや万博など比較にならないぐらいの大工事だったはずだ。ピラミッドや万里の長城の建設にも匹敵するぐらいの難事業だったはず。

 人間って(牛も使ってるけど)電気がなくてもこんなにすごいことができるんだなあ。つくづく、集団になった人間の力はすごいと感じさせられる。



 なんかおもしろかった話。
 ダムで沈む村の人たちが絶対反対して移住をこばんできたのが、新しい移住さきへおちついてみると、もうもとの山への愛着はほとんどなくなったという話はよく聞く。昭和三六年七月の集中豪雨で大きな災害に見まわれた長野県天竜川東岸山中の村々でも、そこにはとうてい住める見込みもなくて、天竜川西岸の駒ケ根市や伊那市へ移住した者もすくなくなかったが、それらの人を移住さきにたずねてみて、いずれも移住してよかったという感慨をもらしているのは印象にのこった。わずかばかりの畑を耕し、山林労務にしたがっているよりも、土地を持たず、その日働きの生活に不安はあるとしても、ここにおれば子供を一人前に学校へ通わすことができるだけでもありがたいといっていた。

 ふふふ。よく漫画とかで「ダムに沈んだ村」が感傷的に語られたりするけど、いざ移り住んでみると「こっちのほうがいいや」となるようだ。

 そうだよねえ。一度便利な生活を知ってしまうとなかなか戻れないよね。


 転居でも転職でも、躊躇する理由の多くは「今より悪くなったらどうしよう」という不安なんだよね。戦わせているのは「転居するメリット」と、「転居することのデメリット」+「最悪の事態になったときの不安」なんだよ。

 人は変化を恐れる。変化にともなうマイナスを、プラスよりもずっと大きく見積もる。生まれてから一度も村を離れたことのない人ならなおさら。

 ぼくもそうだったからわかる。高校生になるまで生まれ育った街を離れるのはすごく嫌だったし、できることなら戻ってきたいとおもっていた。でも故郷よりずっと人の多い街に住んでみると、ここを離れる選択はしたくない。故郷は故郷で今も好きだけど、今の生活を捨てて移り住みたいとはおもわない。

 立ち退きに反対している人とかも、いざ引っ越してみたら、一年後に「元の家に戻りたいですか?」と訊かれても首を横に振る人が多いんじゃないだろうか。


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2026年9月25日金曜日

【読書感想文】奥山 真司『世界最強の地政学』 / 戦争は勝ち負けじゃない

世界最強の地政学

奥山 真司

内容(e-honより)
地政学とは「国家戦略を考える上でベースとなる知の集積」です。そしてその前提には「人間は集団をつくり、互いに争う」という認識があります。だから地政学が注目される時代は、不幸な時代とも言えます―。地政学研究の旗手が明快に解説、不安な時代を生きるための基礎教養。

 地政学とは体系化された「学問」ではなく、国家戦略や国際関係を読み解くための「視点」である……という謙虚な説明から入るところが好感が持てる。

「これさえ知ればすべてがよくわかる!」みたいな大風呂敷を広げる本はろくなもんじゃないからね。知識のある人ほど謙虚になる。



 国際問題を考えるうえで、「自国がどうしたいか」「どうすれば自国にとって得か」だけ考えていてもしかたがない。「相手はどうしたいのか」「どうすれば相手にとって得になるか」を考えないといけない。人間関係と同じだね。

 そして、都会で生まれ育った人と田舎で生まれ育った人がちがう価値観を持つように、地理的な環境によって国家の重視するものも変わってくる……というのが地政学の考え方だ。

 特に重要なのが、ランドパワー(陸上権力)とシーパワー(海上権力)のちがい。ロシアや中国に代表されるランドパワー国家は、多くの国と陸上で接しているため、いつ攻め込まれるかもしれないという恐怖を常に抱えている。

 中国の万里の長城なんて、まさにランドパワー国家の不安を体現したものだ。このへんの感覚は、島国・日本人からするとちょっと想像しにくい。たしかに仲の悪い国と陸で接していたら「明日攻め込まれるかもしれない」という気持ちになるかもしれない。

 だからランドパワーの国は、シーパワーの国よりも「周辺国を軍事力で押さえつけたい」という気持ちが強くなる。

 だが……。

 これをさらに俯瞰的にみると、「ランドパワーのジレンマ」というべきものが浮かび上がってきます。
 つまり、怖い近隣勢力を遠ざけたい。→そのためには、自国の領土を拡大するか、周辺諸国を絶対に敵対しない、強い影響下に置くのが望ましい。そこまではいいのですが、そうしたロシアの行動は、近隣諸国にとっては脅威であり、侵略でしかありません。すると、ロシアが「恐怖」を払拭し、自国の安全を高めようと思えば思うほど、近隣諸国との緊張は増し、かえって紛争の可能性を高めてしまうのです。これは中国や過去のドイツにもあてはまるランドパワーの大国が抱えるパラドックスといえるでしょう。

 周辺国を軍事力で押さえつけたい。けれど押さえつけようとすればするほど当然周辺国は反発する。かえって仲が悪くなる。そこで余計に軍事力を強化し、そうするとさらに緊張が高まり……という悪循環だ。

 ロシアのウクライナ侵攻を見ていると、まさに「ランドパワーのジレンマ」に陥っているように感じる。傍から見ていると、ウクライナを侵略することでロシアは損しかしていないように見える。攻め込まれたウクライナはNATOと接近し、ロシアとNATOの関係は悪化している。

 損しかしないように見えても、ロシアからすれば「追い詰められたからこうするしかなかった」という被害者意識なのかもしれない。



 戦争というとついつい「どっちが悪いか」というジャッジをしてしまいがちだが、著者はあくまでリアリスティックに「どうするのが得か」という視点で戦争を見ている。

 そのうえで、戦争で重要なのは「勝つこと」ではなく「どのような戦後秩序を築くか」だと語る。

 なるほどね。戦争が終わっても国際関係は続く。敵国の国民だって全滅させることはできないだろう。戦いに完勝したとしても、生き残った人たちからの復讐におびえ、他国からも非難されるようなことになれば、それは負けだろう。

 こういう視点は今の日本にはあまりないものだよね。「戦争はいけないことだから反対!」と言う人たちも、「他国が侵略してきたら戦うしかない!」と言う人たちも、どっちも「どういう戦後秩序を築くか」という視点が欠けている。勝ちか負けかのどちらかしかないとおもっている。

 ウクライナ戦争にしても、パレスチナ・イスラエル戦争にしても、当事者たちには「戦後に有利な状況にもっていく」という意識があるんだろうか。「勝つまで戦う」でやっているように見えてしまう。



 その点、数々の戦争を経て多くの植民地を手にしたイギリスは非常にしたたかだ。

「戦いに勝つこと」ではなく「どうすれば自国に有利になるか」で動いている。

 島国であるイギリスは、本国の領土がそれほど大きくはなく、人口も世界各地を占領支配しつづけられる規模ではありません。そこで彼らが編み出したのは、世界中で自分たちの拠点となる港湾(点)を押さえ、それを結ぶ航路(線)を支配する「ネットワーク型の支配」だったのです。
 イギリスが置いた主な海外拠点としては、カナダ、オーストラリア、インド、南アフリカなどの英連邦諸国をはじめとして、地中海方面では、大西洋との境目にあたるジブラルタル、中央に位置するマルタ島、東地中海のキプロス島が挙げられます。中東では、エジプトのカイロ、アレクサンドリア、そしてスエズ運河を押さえ、極東ではシンガポールが重要な拠点でした。
 現在でも、造船所が置かれているジブラルタル、ペルシャ湾、紅海、インド洋における中継地であるバーレーン、ペルシャ湾のすぐ外側に位置するオマーン、インド太平洋地域で艦艇の修理と補給も行うシンガポールに、英海軍の基地があります。

 少し前に読んだ、保阪 正康『なぜ日本人は間違えたのか』にも似たようなことが書いてあった。日本は日中戦争で、自国よりもずっと広くてずっと人口の多い中国をまるまる占領しようとして失敗した。その点イギリスはアヘン戦争後も中国全土の統治などは考えず、上海に租界を置いて「点」で支配しようとした、と。

 最近でも、イランがホルムズ海峡を封鎖したことでタンカーなどが通行できなくなり、世界中に大打撃を与えることになった。

 べつに戦争で全面的に勝利しなくても、重要な「点」さえ押さえれば世界情勢を自国に有利に動かせるのだ。



 戦争というと、善か悪か、あるいは勝つか負けるかで考えてしまうが、最も重要なのは「得か損か」だよね。

 こういうこと言うとあちこちから非難されそうだけど。


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2026年9月23日水曜日

【読書感想文】プチ鹿島『お笑い公文書2025 裏ガネ地獄変』 / 権力べったりの新聞にも価値がある

お笑い公文書2025 裏ガネ地獄変

プチ鹿島政治コラム集 2

プチ鹿島

内容(e-honより)
時事芸人が放つ公益通報コラム。裏金事件、石破「だらし内閣」、103万円の壁…を深く読み解く。

 新聞を13紙も購読して読み比べしているという芸人・プチ鹿島さんによる政治コラム集。

 タイトルには「2025」とあるが、コラムは2023~2024年に掲載されたものが中心。自民党裏金問題、安倍元総理暗殺・国葬問題、岸田首相→石破首相へのバトンタッチ、都知事選の話題など。


 ほんの数年前のことだが既に「あーこんなこともあったなー」という感じだ。政局というのは目まぐるしく動くし、人々が忘れるのも早い。ぼくは政治ニュースが好きなのでわりとチェックしてるほうだとおもうのだが、それでも忘れている。

 いわんや政治に興味のない人々にとっては、政治家がどれだけ悪さをしても1年もたてば記憶の隅にも残っていないのだろう。そりゃあ政治家は罪を認めて責任をとるより、のらりくらりと逃げるほうを選ぶよね。



 プチ鹿島さんのお家芸といえばなんといっても「新聞読み比べ」。

 同じ話題でも新聞によって書き方はぜんぜんちがう。それを「偏向報道だ! これだからオールドメディアは」と言うのは子どもの反応(逆に変更していない報道がどこにあるのか教えてほしい)。

 良識ある大人は偏向報道であることを承知した上で、その違いを楽しむのだ。何紙も読むことで「なぜこの新聞はここには触れないのか」「なぜこの新聞だけがこの情報を知ることができたのか」が見えてくる。プチ鹿島さんは“書かれていないこと”を読み解くのが本当にうまい。

 裏金問題等の「責任をとる」という理由で逃げるように衆院選不出馬を決めた自民党の大物・二階俊博氏について。

 内輪の論理。結局、裏金についての説明はないまま終わらそうとしている。有権者にとって「ベストなタイミング」だの「政治的技術」だのは心底どうでもい。
 新聞の論調もおおむねそう。
『二階氏の不出馬責任逃れは許されない』(京都新聞3月27日・社説)
『二階氏の不出馬表明処分逃れ、裏金解明遠のく』(河北新報3月25日・社説)
『二階氏の不出馬表明責任逃れの幕引き許されぬ』(中国新聞3月26日社説)
 ただ、新聞にもいろいろある。北國新聞の「時鐘」(一面コラム、3月29日)は『義理と人情』というタイトルで二階氏について、
《義理人情の人を続けるのは楽ではないだろう。何かとお金もかかる、と想像する》
《義理人情に厚い親分としては政治責任を取ると言わざるを得ない場面である》
 
 (中略)
 
 そして、
《昭和の空気をまとう政治家には住みにくい世間になった》
 とも書いていた。政治とカネの説明責任より義理人情がお好きなよう。そういえばこのコラムは昨秋の馳浩知事の五輪機密費発言の際に、
 《「機密」を口にしたら身も蓋もない。触れない方がいいことには触らない。伏せておくことは、しゃべらない。それで世の中は成り立つ。》(2023年11月22日)
 と、およそ言論機関とは思えないことを書いていたっけ。自分も権力側という視点だった。森喜朗先生と仲の良い新聞だけある。二階先生、次回は北國新聞がある石川県から出馬したらどうですか。

 裏金なんか誰が見たって悪だろう。仮に裏金によって利益を得ている身だったとしても、少なくとも建前上は「裏金は許されない」というのがまともな大人だろう。

 ところが北國新聞は《昭和の空気をまとう政治家には住みにくい世間になった》と「二階さんもおつらいよね。昭和の時代だったら許されることだったのに」と、裏金議員に同情してみせるのだ。すごい。

 さらに「触れない方がいいことには触らない。伏せておくことは、しゃべらない。それで世の中は成り立つ。」なんて、報道機関として自殺に等しい宣言だとおもうのだが、それを堂々と書いてみせるのだ。

 いやあ、地方にはまだまだすごい新聞があるんだなあ。権力とべったりであることを隠そうともしない。相当甘い汁を吸ってるんだろうな。そりゃあどれだけ不祥事をしても一部地方で自民党が勝ち続けるわけだ。



 北國新聞に負けず劣らず、四国新聞もすごい。

 四国新聞といえば、自民党の平井卓也議員の弟が代表取締役を務めていることもあり、ほとんど自民党の機関紙と化していることでも有名な新聞だ。

 裏金問題から党の「刷新」イメージができる候補を求める動きがあると書かれている。中には露骨なこんなコラムもあった。
『「次」は女性か若い人』(四国新聞7月14日)
〝政治ジャーナリスト〟田崎史郎氏が、麻生太郎氏が周辺に漏らしているという言葉を紹介している。
《麻生氏が念頭に置く「女性」と「若い人」の正体
「次は女性か、若い人じゃないか。若い人は50歳以下だ」》
 麻生氏の念頭にあるのは上川陽子、小泉進次郎、小林鷹之とみられていると田崎氏は書く。
 個人の資質より「女性」や「若い人」が先にきているのはいかにも選挙利用に見えるし、そういう麻生氏の言葉を嬉々として伝える田崎氏もどうなのかと思う。
※ちなみに田崎氏のコラムを載せている四国新聞は自民党・平井卓也議員の一族が経営している新聞。これだから四国新聞は逆に見逃せない。

 政権べったりの新聞だからこそ、権力者の本音が漏れる。

 朝日新聞や毎日新聞相手なら警戒して言えないようなことも、太鼓持ち新聞相手なら気を良くしてついつい漏らしてしまうのだろう。

 先ほどの北國新聞のコラムもそうだが、政権側の立場を新聞だからこそ「こんなこと書いたら批判されるだろうな」と気づかずに書いてしまうんだろうな。なぜなら己が批判精神を持っていないから。


 あえて自分とはまったく異なるスタンスの新聞を読んでみると、いろいろと発見がありそうだ(ぼくはそこまでしようとはおもわないので、お金と時間を使ってやっているプチ鹿島さんには頭が下がる)。



 2024年に最も話題を集めた政治家が斎藤元彦・兵庫県知事。

 パワハラ、内部告発つぶし、阪神・オリックス優勝パレードをめぐる背任など様々な問題で不信任決議を受けた斎藤知事が出直し選挙に出馬。圧倒的不利かと思われたが、立花孝志氏らが積極的にデマをまき散らして知事を擁護(というより告発者や対立候補らを攻撃)。

 結果的に、多くのデマに助けられたことも後押しして斎藤氏は再選を果たした。

 この結果を受けて「オールドメディアの敗北」が話題になった。

 斎藤氏を支持した人たちからすればテレビや新聞はさんざん斎藤氏側にネガティブな報道をしていたが、「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首をはじめとするSNSやネット情報のおかげで「真実」を知ることができた。だから「オールドメディアの敗北」なのだろう。
 一方で斎藤氏の一連の疑惑を注視していた人たちからすれば、選挙期間に新聞やテレビが中立・公平を自称しているときにSNSで真偽不明の言説が自由に飛び交った。その状態に「既存メディアはこれでいいのか」と疑問に思った人も多いだろう。つまりどの立場からもメディアは疑問を持たれていたのだ。
 しかもメディアは選挙の翌日から饒舌になった。読売と朝日の社説を並べてみよう。
『兵庫県知事選真偽不明の情報が拡散した』(読売新聞11月1日)
『選挙と立花氏言動を看過できない』(朝日新聞11月23日)
 それならもっと早く言ってよ! と思ったのは私だけだろうか。毎日新聞も社説で、《見逃せないのは、今回の知事選で多数の偽情報が出回ったことだ。発信力の強い「インフルエンサー」らが「パワハラ疑惑はでっち上げ」など事実でない情報を拡散した。接戦となった他候補の評判を落とす偽情報も流布された。》(1月1日)。
 せめて偽情報が出回っていることを報道することはできないのだろうか? そうした意味で私もオールドメディアにはかなり不満だったのである。
 しかし「オールド」には伝統や歴史も感じる。取材をして裏付けをとる訓練を長年している組織はまだ利用できる価値があるはずだ。ネットに対して腰が引けてる場合なのだろうか。功罪含めて「オールドメディア」は今を考える重要な言葉なのだと思う。

  一方の陣営がSNSやYouTubeで積極的にデマをまきちらしているのに、新聞やテレビは「中立報道」を理由に、あくまで候補者の主張をそのまま流すことに徹していた。

 はたして、デマや真偽不確かな情報を蔓延している状況で「中立だから」といってあたりさわりのないニュース(「○○候補が駅前で主張を訴えました」みたいな報道)をすることが本当に中立なのか。デマを流す側が利する結果になっていないだろうか。


 国民のほとんどが新聞やテレビなどのマスメディアから情報を得ていた時代であれば、「選挙期間中は批判をしない」が公平だったかもしれない。でもお行儀の悪い人たちが誤情報をまき散らしている時代に、マスメディアだけが「私たちは何も言わずにおきましょう」とやっていていいのだろうか。

 古いメディアには古いメディアの良さがある。だけど時代が変わっても旧来のやり方をずっと守ることが正解ではないだろう、とおもうんだけどね。

 選挙期間中だからって急に黙りこむ、ってのはもうやめてもいいんじゃない? 選挙期間でも悪いことは悪いこととして報じる必要があるでしょ。それこそが本当の中立・公平じゃないの?


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2026年9月14日月曜日

【読書感想文】ジェーン・スー『私たちがプロポーズされないのには、 101の理由があってだな』 / 結婚から遠ざかるための本

私たちがプロポーズされないのには、
101の理由があってだな

ジェーン・スー

内容(e-honより)
独身は麻薬(シングルイズドラッグ)!? 結婚したい女性が知らず知らずのうちにやってしまう「プロポーズされない理由」を、独身チキンレース爆走中の“未婚のプロ”ジェーン・スーが徹底解説。女性はもちろん、複雑な女心を知りたい男性も必読の人間洞察エンターテイメント!

 著者はジェーン・スーという名前だけど生粋の日本人だそうだ。


 幾人もの男と付き合ったけどとうとう独身のまま40代を迎えてしまった女性による「プロポーズされない101の理由」。

 ぼくは既婚男性なので「プロポーズされない女性」とは真逆の属性なのだが、だからこそ楽しく読めた。自分とはまったく関係ない人に向けて書かれた本は素直に読める。

 もしもぼくが結婚したかったという後悔を抱えている結婚適齢期を過ぎた女性だったら、突き刺さりすぎてまともに読めなかったかもしれない。



 婚活を描いた小説・辻村深月『傲慢と善良』に「お見合いがうまくいかない人はみんな、自分に釣り合う相手じゃなければ納得しないし、その基準が控えめだと言いつつ、実は相当高い」という台詞が出てきた。

 それなりに異性と交際してきたにもかかわらず(そして結婚願望があったのに)結婚できなかった人は、みんな突き詰めれば「求めるものが高い」に集約されるのだろう。

 当時の私たちは、20代で早々に結婚を決めた女を見ては「あの男が旦那じゃ頼りないねぇ〜」となにさま目線で語っていました。しかし振り返れば、彼女たちは現状の彼が完璧じゃないこともわかっていたし、それでもある程度は充足していたのでしょう。不足だらけの自分たちを当然のこととして受け止め、それでも一生一緒にいようと誓いを立てたのです。あのとき結婚を決めた女たちは脇が甘いのではなく、私たち未婚のプロのように「のしを付けてすぐ納品できるような状態の男にならないと、結婚できない!」などという不遜な意識がなかったのですね。

 前にも書いたけど、ぼくの友人に稼ぎが良くて見た目もわりと良くて性格も穏やかで家事もきちんとやる男(既婚者)がいる。いわゆる“理想的な夫”だ。

 だが彼は最初から理想的な夫だったわけではない。二十代の頃は仕事を転々としていて稼ぎも良くなく、生活も荒れていた。その頃から付き合っていた女性と結婚して、徐々に“理想的な夫”になっていったのだ。

 最初から“理想的な夫”を探そうとしてもそんな男はまずいない。いたとして、とっくに結婚している。


 残酷な話として、恋愛市場、婚活市場において女性は若ければ若いほど価値が高い。一方男性のほうは必ずしもそうではなくて、年齢が上がるほど収入は増える傾向があるし、角がとれて人あたりがよくなる人が多い(というより男は二十歳を過ぎてもまだまだガキすぎるんだよね)。もちろん悪化する人もいるけど。

「いい男がいない」のは当然で、探さないといけないのは「いい男になりうる男」なのだ。



 プロポーズされない理由のひとつとして挙げられている『雑誌に書いてある「彼をその気にさせるアプローチ」を鵜呑みにした』。

「その気にさせるアプローチ」自体に罪はありませんが、それをやった女は必ず見返りを求めます。
 雑誌にはご丁寧に「私はこれで成功しました!」という体験談までついていますから、効果がなければがっかりするのは、ごく自然。しかし、その気にさせるアプローチが失敗したら「アプローチ方法」をクサせばよいものを、なぜか「その気にならなかった男」に腹を立ててしまう。これは、アプローチが功を奏さないのは、自分のせいではないと思っているフシがあるからです。が、頭を冷やして考えてみれば、それは勝手すぎるということがわかっていただけると思います。

 これは男女関係にかぎらず、あらゆる人間関係に対して同じことが言えるね。友人でも、親子でも、上司と部下でも。

「相手のためをおもって」アドバイスをするとき、人はどうしても相手に変わることを求めてしまう。そして変わってくれなければ相手に腹が立つ。

「子どもの将来のことをおもって勉強するように言う」と、勉強しない子に対して腹が立つ。そうではなく「子どもが勉強をして難関校に入ってくれたら自慢できてうれしい」と正しく自分の感情を見つめることができれば、助言が聞き入れられなくてもさほど腹も立たない。宝くじがはずれたのと似たようなものだ。

「相手のためをおもって」という思考を捨てて「自分にとって好都合だから」と正しく認識することが心の平穏を保つ秘訣だね。



 相反するものをひとりの人間に求めてしまう、ということについて。

「幸せにするから、俺についてこい!」とプロポーズされたいなら、精神的にマッチョな男と付き合った方が早い。
 
 こちらに都合のいいときだけ、男らしくなってほしいと思っても、なかなかそうはいきません。私たち未婚のプロは、今ではそれを諦めました。普段こっちが仕切りまくったうえで、「プロポーズぐらい、ビシッと決めやがれ!」と昔の私たちは思っていました。が、そんなドラマみたいな展開、あるわけがなかった。だって、その手のプロポーズをする男は、常時なにを決めるのも男主導。それが嫌で、私たちはそうではないタイプとばかり、付き合ってきたんですから。

 そうそう。「常に女性の意志を尊重してくれる優しい男」は、「俺についてこい!」的なプロポーズはしない。女のほうから結婚しようと言いだしたら「じゃあ結婚しようか」と言ってくれるだろうけど。

 都合のいいときだけマッチョさを求めてもそれは虫が良すぎるというものだ。


 ほんと、男から見たら女に対して「そりゃそうですよ」と言いたくなることは多い。

 社交的でマメで行動的な男と付き合った女が浮気されたら「そりゃそういう男は浮気する確率が高いよ。浮気されたくないなら気が利かなくて行動的でなくてモテない男を選ばなきゃ」とおもう。

 もっとも男は男で、「積極性と奥ゆかしさ」とか「清純さとエロさ」のように決して相いれないものを女に対して求めてしまうのだけれど。



 プロポーズされない理由をあれこれ書いていてそのどれもがもっともなんだけど、じゃあ「交際相手はいるのにプロポーズされなくて困っている」女性がこの本を読んだからと結婚できるようになるかというと……むずかしいだろうね。

 理由はいろいろあるけど、いちばん大きいのは「著者自身がどうしても結婚した方がいいとおもっているわけではない」ということ。この本の随所からそれが感じられる。

 プロポーズされなかったけど、そんな自分を否定したいわけじゃないし、むしろ肯定してあげたいし、ということはこれからも改める気はないし、かんたんに改められる人間ならもっと若い頃に改めてるし、そもそも本当に結婚したいのか自分でもよくわからないし……という気持ちが節々から伝わってくる。プロポーズされない自分をむしろ誇りにおもっているんじゃないだろうか。

 著者自身が「世界一役に立たない結婚指南書」と書いているとおり、この本を読んだら結婚できるどころかむしろ結婚から遠ざかるんじゃないだろうか。

 そもそも「結婚」じゃなくて「プロポーズされる」をゴールに置いている時点で根底から間違ってるしね。「転職成功」じゃなくて「スカウトされる」を目標にしてるようなものだもん。


「私たちは間違っていたけど、それも含めてトータルでは間違っていなかった」というメッセージ。自虐に見せかけた慰めの本だね。


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【読書感想文】辻村 深月『傲慢と善良』 / 婚活は「自分と釣り合うか」

値打ちこく



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