2050年1月1日土曜日

犬犬工作所について

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2020年11月25日水曜日

【読書感想文】何でも食う人が苦手な料理 / 高野 秀行『辺境メシ ~ヤバそうだから食べてみた~』

辺境メシ

ヤバそうだから食べてみた

高野 秀行

内容(e-honより)
人類最後の秘境は食卓だった!食のワンダーランドへようこそ―辺境探検家がありとあらゆる奇食珍食に挑んだ、驚嘆のノンフィクション・エッセイ!

 食に関しては好奇心旺盛なほうだとおもう。めずらしいものがあれば食べてみたい。
 とはいえインドア派でめんどくさがり屋なので、「居酒屋で聞きなれないメニューがあったら頼んでみる」とか「スーパーでよくわからない野菜や果物があれば買ってみる」レベルだ。
 一度、機会があって虫も食べてみた。特にどうってことのない味だった。


 しかし世の中には食に保守的な人が多い。
 以前中国に滞在していたとき、ぼくは屋台で売っている謎の肉とか、レストランで名前からは想像もつかない料理とかをばくばく食べていた(「猫耳朶」という料理があったので猫の耳を食わせるのかとおもって頼んでみたがただのパスタでがっかりした。形状が猫の耳に似ているかららしい)。
 ところが周囲の日本人から「よくそんなもん食えるね」とか「怖くないの?」とか聞かれたものだ。彼ら彼女らは炒飯や水餃子ばかり頼んでいる。そんなもの日本でも食えるのに。
 日本人数人でレストランに行ったとき、入口のバケツで醜悪な見た目の謎の巨大魚が泳いでいたから「これ頼んでみようよ」と行ったら全員から猛反対された(ひとりで食い切れる量ではなかったので泣く泣く断念した)。
 たった一ヶ月ほどの滞在なのに日本食が恋しくなって「日本食レストランに行かない?」と言ってくる人もいた。なんて保守的なんだろう。

 ぼくからすると、高い上にうまくないに決まってる外国の日本食レストランに行くほうが正気の沙汰ではない。何しに外国に来てるんだ。
 謎の肉とはいえ、お店が出していて現地の人がお金出して食っているものなんだから食えるに決まっている。
 せっかく外国に来てるんだから食ってみたらいいじゃないか。うまければラッキーだしまずければそれはそれで話のタネになる。タニシやカエルを中国で食ったが悪くない味だった。

 とはいえ火の通っていないものだけは手を出さなかった。やっぱり衛生的に不安だったので。




「食への好奇心は強いけど出不精」のぼくとはちがい、高野秀行さんは食への好奇心も強い上に世界の辺境をあちこち旅している人なので、当然妙ちきりんなものもいっぱい食べている。
 なにしろ反政府ゲリラの支配区に滞在してアヘン中毒になったことのある人だ。『辺境メシ』では、ゴリラ、昆虫、ムカデ、水牛の脊髄、密造酒、麻薬成分のある草などいろんなものが紹介されている。

 コンゴで食べたチンパンジーの話。

 さっそく村の男たちが解体をはじめた。ゴリラのときはあまりにヒトに似ていたため、山刀で切り刻む様子が凄惨で目をそむけた。が、さらに飢餓が進み、なおかつ解体にも慣れてしまったせいか、このとき私は目をそむけるどころか生唾を飲んでしまった。「赤身の旨そうな肉じゃん!」と思ったのだ。
 いつものようにぶつ切りにされた肉は塩と唐辛子だけで煮込まれた。一口食べて驚いた。
「これ、ゴリラの肉そっくりだ!」
 ゴリラ同様チンパンジーも筋肉の発達が著しく、ひたすら固いが、意外に臭みはない。よく嚙むとコクも感じられる。ちなみに、一般的なサルの肉とは全然ちがう。サル肉は、独特の臭みがあるが味自体はあっさりしている。
 閉口したのは、体毛。一応解体の際に取り除いてあるのだが、仕事が雑なため、女性の髪そっくりの長く黒い毛が肉のあちこちにからみついている。私たちの舌や喉にもひっかかるので、しばしば口に指を突っ込んで毛をとらなければならない。野趣あふれすぎだ。
 でも、今となっては思う。ゴリラとチンパンジーの肉は臭みもないしコクのある肉である。もしちゃんと毛の処理をして、ハーブや種々の調味料を使い、じっくりコトコト煮込んで柔らかくしたら意外にいけるんじゃないだろうか。チンパンジー肉のトマトシチュー南仏風とか。もはや試す機会はないし、そんな機会はあってはいけないとも思うのだが。

 チンパンジーの肉なんてぜんぜんうまくなさそう……というイメージだったのだが、意外にいけるらしい。あくまで「世界中どんな料理でもほぼ何でも食べる」高野さんの感想なので、万人に当てはまるかは謎だが。
 とはいえサル族はやっぱり抵抗があるな……。顔が人間の赤ちゃんみたいだもんな。まして「女性の髪そっくりの長く黒い毛」がからみついていたら無理かもしれない……。


 チベットの「水牛の脊髄」とかミャンマーの「納豆バーニャカウダ」とかタイの「豚生肉を発酵させた料理」とか、見ただけで「食いたくない!」とおもう料理でも、高野さんの文章を読んでいるとおいしそうな気がしてくるからふしぎだ。

 まあ現地の人が金を出して食うものだから、そこそこうまいのだろう。
 しかし豚生肉を発酵させたものは、いくらうまくても食いたくないな……。命は惜しい。

 命知らずな料理といえば、日本の料理もたいがいだ。

 フグの中でも卵巣は最も危険な部位で、一匹分で三十人を殺せるほどの毒があるそうだ。そんなものをどうやって食べるのかというと、まず卵巣を三~五カ月ほど塩漬けにしたあと、糠味噌樽の中に漬けておく。すると、糠味噌の乳酸菌による分解で毒が少しずつ減り、三年後にはすっかり無毒かつ美味しい卵巣漬けになっているという(「塩が毒素を希釈する」という説もあるらしい)。
 こんな異常に高度な技術が江戸時代から培われていたというから、日本人の食い物に関する貪欲さは恐ろしい。だって、技術が確立するまでに何人が犠牲になったかわからないじゃないか。ほんの少しでも毒が残っていればアウトなのだ。他にも食べ物がたくさんあるわけだし、どうしてそこまでしてフグの卵巣に執念を燃やしたものかわからない。

 フグって冷静に考えたら世界でもトップクラスのゲテモノだよなあ。一歩間違えれば死ぬんだもん。
 もし外国に行って「このヘビおいしいんですけど、猛毒を持ってて食べたら死ぬんですよ。まあ腕のいい料理人が毒の部分だけ取り除いてるからほぼ大丈夫ですよ」と言われてもぜったいに手を出さない。それなのにフグはおいしくいただくんだから、慣れとはおそろしい。

 ここで紹介されているフグの卵巣なんて、誰がどうやって食べ方を発明したんだろうな。今だったら化学的な解析をできるのかもしれないけど、江戸時代だったらじっさいに食ってみるまでわからなかっただろうに。
「三年放置すれば無毒になる」ことに気づくまでにどれだけの命が失われたのだろう。




 韓国でホンオ(世界で二番目にくさい食べ物とされる、エイを発酵させた料理)を食べたときの顛末。

 だがまだ終わりではない。というか、これからが本番だった。締めにホンオのチム(蒸し料理)を頼んだ。大皿に、ネギ、ニンジン、ニラが入っており、遠目にはふつうの魚の蒸し料理に見える。だが、スプーン一杯分の塊をとって口に入れると強烈。湯気と一緒にアンモニア・スパークリングがジュワーッと口から喉、鼻と呼吸器に充満するのだ。飲み込んでも胃から臭気が逆流してくるので、急いでマッコルリを流し込む。
「なんじゃこりゃ!?」こんな食べ物、あるのか? どうしてこんなものを食べようと思うのか?
 俄然おもしろくなり、二回目は思い切ってガバッと大量にすくって口に放り込んだ。すると、大変なことが起きた。舌と口腔内へビリビリと電気が走り、直後、それは塩酸でもぶっかけられたような全面的な衝撃となって口全体が焼けただれていくような感覚に陥った。
「うわっ!」
 火傷したときの習性で、新鮮な空気を入れるべく口を開いたら……ドカーン! ときた。入ってきたのは空気じゃなくて毒ガスだった。そう、ホンオを口に入れたまま呼吸するのはタブーなのだ。目に星が飛んだ。ちょっと貧血っぽくなって焦ったが、口を開けるともっと悲惨なことになるので、必死でこらえてなんとか飲み込んだ。

 こんなもん毒じゃん。危険物じゃん。おっそろしい。

 虫は食べられるぼくでも、生肉発酵系の食べ物は食べたくない。やっぱり本能が「危険!」って叫んでるもん。納豆は好きだけどさ。

 でも生肉を発酵させた料理は世界中にある。発酵は貴重な食料を保存するための合理的な知恵なのだ。
 どんな奇妙奇天烈な食べ物でも、人が食べるということはそれなりに理由があるのだ。「エネルギー源がそれしかない」とか「日持ちがする」とか「はじめはきついが慣れると病みつきになる」とか。

 人類がここまで世界中に繁栄できたのは、器用だとか賢いだとかの理由もあるが、「なんでも食う」ってのも大きな要因かもしれないね。
 コアラとかパンダみたいに特定のものしか食べられない生き物だったら、まだアフリカの森から出ていなかっただろう。


 ところで、ほとんど何でも食べている高野さんが、いちばん怖がっているのが「タコの踊り食い」なのがおもしろい。
 とある生物に似ているからというのがその理由だが(詳しくは本書を読まれたし)、ゴリラや生の虫や世界一臭い料理やヤギの胃袋の中身や口噛み酒やカエルのジュースに比べれば、タコの踊り食いなんてぜんぜんたいしたことないとおもうのだが……。

 落語『饅頭こわい』じゃないけど、人間、何を怖がるかわからないもんだねえ。

 

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2020年11月24日火曜日

駒は二度取られる

 将棋ってさ、駒を取られたら相手のものになるじゃない。

「寝返りだ、卑怯だ」なんていう人もいるけど、駒にしたらそれがふつうだとおもうんだよね。
 主君に対して忠誠を誓う兵士なんてごく一部で、大半は金とかに釣られてどちらかについてるだけで、もっといい条件を提示されたらそっちに移るのはあたりまえだ。
 同業他社に転職しました、心機一転がんばります、ぐらいの感覚なんじゃないかな。

 だから相手陣営に加わるのはいいんだよ。
 後足で砂かけて、「前の軍の弱点とか教えますよ!」みたいな感じで新天地でがんばればいい。

 問題は、もういっぺん取られたときね。
 古巣に戻るわけじゃん。
 しかも周囲は同業他社にいたことを知ってるわけ。
 みんな口には出さないけど「どのツラ下げて戻ってこれたんだ」っておもってる。

 あれはめちゃくちゃ気恥ずかしいだろうね。
 必要以上に被害者ぶったりするのかな。
「いやー後手に無理やり連れていかれたんすけど、あっちの労働条件最悪でしたわー。やっぱり先手側がいいっすわー。よかったわー戻ってこれて」
とか聞かれてもいないのにべらべらしゃべるんだろうね。


 太平洋戦争の後シベリアで強制労働させられてた人が日本に帰国した後、「あいつはソビエト共産党のスパイなんじゃないか」という目で見られていてなかなかまっとうな仕事につけなかったという話を聞いたことがある。

 二度転籍した将棋の駒も、同じような目で見られているかもしれない。
 どれだけチームに貢献しても「あいつは前に裏切ったやつだ」「どうせまた裏切るんだろ」という評価は拭い去れない。
 どんなにがんばっても外様扱い。

 シベリア抑留者も二度取られた駒も、自分で選んだ道ではないのに、気の毒だ。
なんなら同胞のために犠牲になったのに。


 そんな「二度転籍した駒」がいちばん輝くのは、なんといってもかつてのボスであった王将に王手をして詰ませるときだろう。
 それまでずっと「結局あいつはどっちにも転ぶやつだから」みたいな目で見ていた同僚たちが「すまなかった、おまえこそがいちばんチームのことを考えていたんだな!」と胴上げしてくれることまちがいなし。


2020年11月20日金曜日

テナガザル向けアダルトビデオが存在しない理由

 ふとおもったんだけど、アダルトビデオに興奮できるのって人間だけなんじゃないかな。

 いや、あたりまえなんだけど。人間向けに作ってるから。

 でもさ。
 アダルトビデオってだいたい他人がセックスしてる映像でしょ。
 それで昂奮するのってよく考えたら変じゃない?

「女の裸を見て昂奮する」のはわかるよ。
 女が自分の前で裸体をさらしているってのはセックスに持ちこむチャンスだからね。
 女性とふたりっきりになって、相手が全裸になってくれたら、まずまちがいなくセックスできるわけじゃない。
 そこで「いやそんなつもりじゃないから」って言われることはまずないでしょ。

 でもさ。
「自分じゃない男」と「自分じゃない女」がセックスしていて、自分がそれを隠し見ているというシチュエーション。
 ふつうに考えればそこから自分がセックスできる可能性はほとんどない。
 だから、本来なら昂奮するどころか消沈する状況なわけ。

 じゃあなんで赤の他人同士が性交しているところを見て昂奮できるのかっていったら、人間には想像力があるから。
 ビデオに写っている男優に自分を投影して、自分が性交している感覚を追体験できるから。


 だからさ。
 たとえばテナガザルに、他のテナガザルが交尾してる映像を見せたとするじゃん。
 それで昂奮するかっていうと、しないんんじゃないかとおもうんだよね。
 テナガザルはそこまでの想像力がないだろうから。


 あ、でもチンパンジーはべつだよ。チンパンジーなら昂奮するかもしれない。
 一夫一妻制のテナガザルとちがって、チンパンジーは乱婚型だから。
 他の個体が交尾していてもチャンスがあるわけだから。

2020年11月19日木曜日

手のひらメカ

子どものころは「手のひらにおさまるメカ」に対するあこがれが強かった。

今だと携帯電話を持つのがあたりまえになったので手のひらメカにあこがれたりしないけど、ぼくが子どもの頃は手のひらメカは希少だったし、まして子どもが触ってもよい手のひらメカなんて電卓ぐらいしかなかったからとにかく夢のアイテムだった。

特にほしかったのが時計とカメラだった。


小学四年生のとき、家族で香港旅行に行った。
おみやげとして、蚤の市で目覚まし時計を買ってもらった。

パスポートぐらいのサイズで、ケースもついていて、なんつうか超かっこよかった(ボキャブラリー貧困!)。

折りたたんで持ち運びできて、拡げたら置時計になって、デジタルで、世界各地の時刻がわかって、気温計もついていて、今おもうとぜんぜん〝メカ〟ってほどじゃないんだけど、これがぼくがはじめて所有した手のひらメカだった。

目覚まし時計として使っていただけでなく、どこへ行くにも持ち運んでいた。
夏の暑い日に公園に持っていって石の上に置いてたら温度が50℃になってて仰天した。
それでも壊れなかったのだからなかなかタフな時計だった。


カメラはなかなか買えなかった。
六年生のときにフリーマーケットでプラスチックのおもちゃみたいなカメラを五百円で買った。
おもちゃとはいえ一応写真は撮れるのだが、なんとパノラマ写真しか撮れないというわけのわからんカメラだ。
パノラマ専用のフィルムが必要だし、現像・プリントも特別料金が必要。
とにかくランニングコストが高くついたので、小学生に捻出できるはずもなく、けっきょくフィルム一本分しか撮らなかった。


1996年ぐらいにたまごっちとか携帯テトリスとかが爆発的に流行った。
ぼくはたまごっちは持っていなかったが、携帯テトリスは持っていた。何かの景品でもらったのだ。

あれがあんなに流行ったのは、みんな〝手のひらメカ〟に対するあこがれを持っていたからじゃないだろうか。
冷静に考えればわざわざちっちゃい画面でやりたいほど、テトリスをやりたいわけではなかった。〝手のひらメカ〟を使いたいから携帯テトリスをやっていたのだ。

中学生のときに気に入っていた〝手のひらメカ〟は電子辞書だった。
英和・和英辞典と漢字辞典。別々の機種だった。
どちらも家電量販店で1,000円で買った。
こんなすごいものが1,000円で買えるなんて! と感動したことをおぼえている。


中高生になってからは多少使えるお金も増えたので、使い捨てカメラ(いわゆる『写ルンです』)でよく写真を撮っていた。
これはこれで楽しかったのだが、やはり「メカ」という感じはしなかった。
何しろ現像に出したら手元に残らないのだから。

はじめてちゃんとしたフィルムカメラを買ったのは、大学生になって中国に行ったときのことだ。
北京の蚤の市で(蚤の市が好きなのだ)カメラを買った。その名も『長城』。
日本円で千円ぐらいだった。当時は中国の物価は今よりずっと安かったのだ。
だがけっきょく『長城』も長くは使わなかった。
ほどなくしてデジタルカメラを買ったからだ。

このあたりから〝手のひらメカ〟は特別な存在ではなくなった。


今の子どもって〝手のひらメカ〟にあこがれるのかな。
ものごころついたときからスマホやタブレットやデジカメに囲まれて育っているからあこがれないのかな。

とおもっていたが、こないだ娘の進研ゼミの景品カタログを見ていたら「トランシーバー」があって、おおっやっぱり今の子どももトランシーバーにあこがれるのか! とうれしくなった。

いいよなあ、トランシーバー。
スマホ持っててもやっぱりあこがれるぜ。