2050年1月1日土曜日

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2026年7月14日火曜日

【映画感想】『トイ・ストーリー 5』

トイ・ストーリー5

内容(映画.comより)
おもちゃと子どもの絆を描いてきたディズニー&ピクサーの人気作品「トイ・ストーリー」シリーズの第5作。現代的なテクノロジーというかつてない脅威を前に、ウッディとバズが再び手を取り立ち向かう姿を描く。

ボニーのもとで暮らすバズやジェシー、フォーキーたちは、これまでと変わらぬ日常を送っていた。しかし、最新型の電子タブレット「リリーパッド」がやってきたことで状況は一変。多機能なデバイスに夢中になるボニーの姿を前に、おもちゃたちは自分たちの存在意義に疑問を抱き始める。「おもちゃはもう必要とされていないのか」という不安が広がる中、仲間からのSOSを受けたウッディが再びボニーのもとへ戻り、バズと再会する。かつての名コンビは、おもちゃの居場所を守るため、新たな脅威に立ち向かう。。

 うん、まあおもしろかった。映像はすごいし(でもすごすぎて、まるで実写映画を観ているようで、かえって驚きを感じなくなってしまった)。

 ストーリーも『4』に比べればぜんぜんいい。まあ『4』は大失敗作なので(ぼくは記憶から消してなかったことにしている)、それと比べればどんなものでもマシなんだけど。

 でもなあ。やっぱり『3』で終わりで良かったな、とおもう。続編をつくるとしても、登場人物を全部入れ替えて別のおもちゃの物語にしていれば良かったのに。

 ここから愚痴。


『4』で子どもを捨てて出ていったウッディを『5』で無理やり登場させたが、これはファンサービスでしかなく、出てくる必然性は何もない。ウッディが古くなったという設定もすでに『2』で通りすぎた話題だ(ハゲをギャグにするのはさすがに古すぎないか?)。

 オールドファンに向けて昔のようなウッディとバズの関係性を描きたかったのだろうが、ウッディとバズに今さら喧嘩をさせるのもしらじらしい。もうそんな段階はとっくに過ぎただろう。まして勝手に出ていったウッディがえらそうに仕切りだす正当性がどこにあるんだ?

 もうウッディのことは忘れて新しい一歩を踏み出してもいいんじゃない?(ていうかその覚悟がないくせに『4』みたいなのを作るなよ) 唐沢寿明のお声もだいぶ歳をとっていたし。



『3』までの3作は完璧だったし、その中であらゆる展開をやりつくしてしまった。主役の座を奪われる、置いていかれる、売られそうになる、盗まれる、捨てられる、寄付される。『おもちゃにとって何がいちばん幸福なことか』というテーマを3作かけてじっくり問いつづけ、これ以上ないという答えを提示してしまった。

 その後でどれだけピンチが訪れても、おもちゃたちが悩んでも、全部『3』までの焼き直しでしかないし、それでもまだ現状に不満を示すなら「じゃあサニーサイド保育園に行けばいいじゃない」としか言いようがない。

『3』で「保育園でずっと子どもたちの遊び相手として生きる」「いつか遊んでもらえなくなるとしても、今、子どもにとっての親友として生きる」という究極の二択を提示してしまった以上、それ以外の道を選ぶ理由がない(だからそれ以外の道を選んだ『4』は失敗作だった)。



 おもちゃの幸福と葛藤、というテーマについてやりつくしてしまったからだろう、『5』は人間の話が大きな部分を占める。

「子どもに、タブレットなどのデジタルデバイスをどのように扱わせるか」というのがメインの(そして陳腐な)テーマだが、それっておもちゃが心配することじゃないよね。保護者が考えることだ。おもちゃが教育方針にまで口を出すのは出しゃばりすぎ。

 実際ボニーはタブレットのチャットが原因でトラブルを引き起こすのだが、これは保護者が注意深く管理していれば防げたことで、『トイ・ストーリー』という装置を使って描くべきテーマとはおもえない。本来なら人間が人間に向けて言うべきことをおもちゃの口を借りて言わせているだけなので、説教くさいことこの上ない。

 やるとしても『インサイド・ヘッド』あたりで良かったのでは。



 そしてやっぱりぼくはボニーを好きになれない。『4』でもおもちゃを大事にしていない様子がありありと描かれていたが、『5』でもあっさりとおもちゃたちを裏切る。

 世間体を気にしておもちゃを手放そうとするボニー(しかもそれはアンディから託されたおもちゃ)。持ち主がこれでは、おもちゃとの間の信頼関係など築けるはずがない。もうこいつアンディとの約束なんて覚えてもいないんだろうな。嫌いだわー。

 アンディはおもちゃを託す相手をまちがえたな。ボニーに比べれば『1』のシドのほうがまだおもちゃを愛してるぜ(愛の形は歪んでるけど)。


 ただ、『2』からずっとしこりのように残っていたジェシーとエミリーの物語に結着がついたシーンは本当によかった。



 8歳の娘といっしょに鑑賞したのだが、娘は中盤ちょっと飽きていた。でもその気持ちはわかる。視点があっちこっち行くのでむずかしいんだもん。

「ボニー」「ジェシー」「バズたち」「ウッディたち」「ハイテクバズ軍団」と、それぞれのシーンが目まぐるしく変わる。ぼくは大人だし前作までの内容も頭に入っているから(『4』の内容は記憶から消去したけど)ついていけたけど、子どもには追いきれないよね。

 過去作ではシーンの切り替えは少なかった。『1』で言うと「2階と1階」「ウッディ&バズとその他のおもちゃ」ぐらい。『2』『3』も多くてせいぜい3シーンまで。

 これは意識的にやっていたんだろう。なるべくストーリー展開をシンプルにして、メインターゲットの子どもにも十分ついていけるようにしていた(時系列をさかのぼるシーンも極力なくしていた)。なぜなら、おもちゃで空想の世界にふける子どもたちは「数多くのシーンの切り替え」「時系列をさかのぼるストーリー展開」なんて考えてないのだから。幼少期におもちゃで遊んでいた気持ちを思い出させてくれる感覚が『3』にはあったが、こういった配慮が『4』以降失われた。監督の交代によるものだろうか。

 おもちゃに向けるあたたかい目を失ってしまったのは、はたしてエミリーやボニーだけなんだろうか。制作陣もまた子ども心を忘れてしまったんじゃないだろうか。

 制作陣に問いたい。あんたたちこそデジタル端末の使いすぎでは?


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2026年7月10日金曜日

【読書感想文】桐野 夏生『顔に降りかかる雨』 / 悪い意味で力作

顔に降りかかる雨

桐野 夏生

内容(e-honより)
親友の耀子が、曰く付きの大金を持って失踪した。被害者は耀子の恋人で、暴力団ともつながる男・成瀬。夫の自殺後、新宿の片隅で無為に暮らしていた村野ミロは、耀子との共謀を疑われ、成瀬と行方を追う羽目になる。女の脆さとしなやかさを描かせたら比肩なき著者の、記念すべきデビュー作。江戸川乱歩賞受賞!

 桐野夏生氏のデビュー作。デビュー作だなあ、という感じ。力の入れ方は伝わってくるが、技術が十分備わっていなくて空回りしている感じが。

 肩に力が入りすぎなんだよな。いっぱい調べていっぱい考えて書いたんだろうけど、それが伝わってしまう。もっとさらっと、なんでもないことのように提示してほしい。勝手な要望だけど。

 たぶん、女性を主人公にしたハードボイルド小説を書きたかったんだろうな。だから必要以上につっぱってる女性が主人公。いやそこまで無理してかっこつけんでも、という気になる。なんか「めちゃくちゃがんばって都会で強く生きる女性」って感じで、かっこいいどころか痛々しい。


 たとえば後の桐野夏生作品である『OUT』に出てくる女性は、もっとワイルドでありながら、もっと自然体だ。なんでもないことのように大胆な犯罪をやってのける。カッコイイとは、こういうことさ。

 まあこの青さもデビュー作の魅力と言えるかもしれないが。



(以下ネタバレを含みます)

 ストーリーも退屈だった。

 序盤で「主人公の親友が1億円の金とともに失踪した」という謎が提示されるが、どうも弱い。

 だって「大金に目がくらんで持ち逃げしちゃいました」ではミステリにならないことを読者は知ってるんだから。なんらかの事件に巻き込まれたことは容易に想像がつく。

 だから早くその「なんらかの事件」を見せてほしいのだが、それがなかなか書かれない。半分ぐらいは、ただいなくなった女の足跡を追うシーン。登場人物も多いしたっぷりページ数を割いているが、何も起こらなくて退屈。ここはもっとテンポよく書いてほしかったなあ。


 中盤でやっと“事件”が見えてくるが「ああこれが真相ではないんだろうな」というにおいがプンプン。明かされる真犯人もさして意外な人物ではない。というか大本命。いちばん身近な人物が犯人ってベタベタじゃん。

 まあこれは2026年に読んだからであって、刊行された1993年当時は十分意外だったのかもしれないけど……。



 ボディ・モディフィケーション(身体改造)、ネオナチ、ヤクザ、夫の自殺、不倫など刺激的な要素をこれでもかと詰め込んでいるけど、正直あんまり効果を発揮しているとはおもえない。なくてもミステリとして成立してるし。

 いろんな意味でデビュー作だなあ、という作品でした。


【関連記事】

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2026年7月3日金曜日

【読書感想文】平賀 緑『食べものから学ぶ現代社会 ~私たちを動かす資本主義のカラクリ~』 / 価格は需要と供給で決まらない

食べものから学ぶ現代社会

私たちを動かす資本主義のカラクリ

平賀 緑

内容(e-honより)
豊かなはずの世界で「生きづらい」のは、経済学の考え方と私たちのリアルがずれているからではないだろうか。新たな目で、食べものから、現代社会のグローバル化、巨大企業、金融化、技術革新を読み解いてみよう。私たちを動かす資本主義のカラクリが見えたら、地に足をつけた力強い一歩を踏み出せるだろうから。

 食べものを入口に、現代社会、主に資本主義について語る本。

 今まで経済の本はあれこれ読んだけど、どうも腑に落ちないところがあった。

 需要曲線とかを見ながら「こうやって価格が決定するんです」と言われると、
「うーん、確かに理論的な説明だけど、まちがってないんだろうけど、でも核心はついていないような気がする」という気になった。

 だってほとんどの場合、ものの価格って売り手の都合で決まってるじゃん。たとえばいっときコメの価格がすごく上がったけど、それってほんとに受給の綱引きによるもの? 日本人がコメを食べる量は数ヶ月でそんなに変わるわけない。ってことは供給が減ったということになるわけだけど、ほんとにそこまで減ったの? そんなに記録的不作なら、もっと早い段階で「コメが大不作!」とニュースになったはず。 でも収穫量減少は話題にならなくて、あるときから急に価格高騰が話題になった。

 ほんとに需要と供給で価格が決まってるの?



『食べものから学ぶ現代社会』では、経済学の教科書とはちがう、より現実的な経済の動きが説明されている。

 AIではない、人間の頭脳で考えた答えをチラ見せすると、小麦のような世界の「主食」といわれる食べものも、資本主義経済が始まってからは売って儲ける「商品」へと変わり、小麦を大量に生産して、貿易して、小麦原料の食料品を大量に製造して販売するというサプライチェーンが形成され、その役割や価値の測り方が変わっていった歴史的な経緯があります。加えて近年では、小麦など食料の価格を決める商品取引市場では、小麦を売りたい農家や小麦を買いたい食品産業は少数派で、むしろ9割方ほとんどの取引は、小麦なんて実際には必要ない、ただ小麦価格の変動により手っ取り早く儲けることを狙っている「投機筋」や「投機マネー」とも呼ばれる、食や農に関係ない人たち(機関投資家、組織、最近はAIも)なのです。そこではもう、小麦の影も形も見られない抽象化された「金融商品」が取引されています。つまり、食や農の「金融化」によって、小麦などの食料もマネーゲームの駒の一つになってしまったということ。このマネーゲームにおいては、ちょっとした情報で相場が大きく動くのが特徴です。実際の需要や供給より、これから小麦の価格が上がるかもしれない(儲けられるかも!)と思わせる小さなきっかけで大きく値動きする。そのきっかけは、戦争でも、天災でも、誰かの発言でも、構わないとのこと。

 小麦の取引のうち9割が「小麦をほしい人」ではなく「小麦の価格差を利用して儲けたい人」によっておこなわれているというのだ。

 はーん。まあ江戸時代からコメ相場とかアズキ相場とかはあったので、マネーゲームとして食糧を売買する人は昔からいた(取引量が増えると流動性が増して価格の安定につながるというメリットもあるそうだ)。

 でも昔は、基本は農家と問屋の売買で、そこにちょっと仕手筋が乗っかるぐらいだったのだが、今では逆に「生産者と流通業者はごく一部で、そこに大量の仕手筋が乗っかる」という構造になってしまった。

 そりゃコメ価格も暴騰するはずだ。生産量が5%減っただけでも「今年はコメが少ないから値上がりするはず!」と大勢の投機筋が群がってくるわけだから、あっという間に価格は倍になってしまう。先物取引であれば実際にコメを貯蔵する必要もないからどれだけでも買えるしね。

 まだ株とか金とかであれば価格が何倍になろうと庶民の生活には直接かかわらないからいいんだけど、金持ちのマネーゲームのせいで食料品の価格が乱高下するのは困る。

 食料とか土地とかの取引はちゃんと法律で規制してほしいな。投機目的の取引には高い税金をかけるとかさ。




 先ほど「書類上は」と書いたように、物理的なバナナの貨物が大西洋をまっすぐ横断している間に、この貿易に関する書類は、ケイマン諸島、バーミューダ、ジャージー島、マン島、アイルランド、ルクセンブルクなどを手続きとして経由していく。各地でブランド使用料や金融・保険のサービス料などいろんな名目の「コスト」を計上して回り、結果、そのバナナを販売する英国では、残りわずかになった利益を計上してそれに対する少額の税金だけを払う。つまり、書類上だけ「タックスヘイブン」と呼ばれる租税回避地を渡り歩き、途中でいろんな名目の経費を計上したりして、その富は生産国でも消費国でもない「オフショア」に吸い上げられる。結果、このバナナは英国の店頭では実際の生産や輸入にかかったコストとはあまり関係ない値段で販売され、関連企業は「合法的な節税」を行うことができるというカラクリです。その他にも「ほんと、すごい!」と感心するくらいマニアックな手法がいろいろ考案されているようです。
 生産から消費までのフードシステムの途中に、このような大企業による寡占状態があるとどんな影響があるか。これは「砂時計構造」で説明されます。
(中略)バナナの生産者も消費者も星の数ほど多数いますが、生産から消費までの途中、バナナを集めて倉庫で管理したり貿易したりする段階には5社しかありません。つまりこの5社が、世界のバナナ貿易を牛耳っているのです。当然、この部分が利益を上げることも多く、例えばバナナ1本の価格のうち、プランテーション農場主が10%、そこで働く農場労働者は1.5%分しか得られないことを示しています。(中略)
 こうした砂時計構造がある場合、細くくびれた首根っこ部分を握っている企業が、どんな商品を選ぶか(遺伝子組み換えか否かなど)、どれだけ市場に流通させるか、どう価格設定するかなどに大きな力を発揮するのです。
 こんなリアル社会において、経済学が語る「需要と供給の法則」がまともに機能していると思いますか?

 食料が「金融商品」になってしまった結果、食料の流通や価格は大企業が決定するようになってしまった。いちばん報われるべき生産者にはほとんどお金が入ってこない。

 200円のバナナが売れても、バナナ農園で働く労働者に入ってくるのはたったの3円(1.5%)!

 そりゃあ輸送したり仕入れて卸したり店頭で売ったりするのも大事だけど、さすがに生産者に1.5%しか入らないのはおかしい。かといって消費者としては価格は安いにこしたことがないので「じゃああなたが300円で買ってください」って言われても困るんだけど……。

 経済学の教科書だと「売り手と買い手の綱引きによって価格が決定する」とあるけど、実際のところ貿易の大部分を握っているのは売り手でも買い手でもなく中間業者なわけだ。しかもその中間業者も税金対策で入っていたり。

 こんな状態で「自由な競争に基づく適正価格」なんてつくはずがない!



 ただ問題なのは「大企業が悪いせいだ!」と単純化できる話でもないってことだ。

 よく派遣の話になると思考停止して「派遣会社がピンハネするのが悪い!」と叫んで終わり、って人がいるけど、世の中はそんなに単純なものではない。たったひとつの原因と明確な悪人がいてそいつを退治すればすべてが丸く収まるのはおとぎ話だけだ。

 バナナ農園で働く労働者も、農場主も、流通を握っている大企業も、小売のスーパーも、バナナを買う消費者も、みんな悪くない。誰もが社会のルールにのっとって行動して「損をしないように」ふるまっている。その結果「バナナを作っている人に売上の1.5%しか入らない」というずいぶんおかしなことになってしまう。

 これがぼくらの生きる資本主義社会のシステムなのだ。システムがまちがっているのか? それとも「バナナを作っている人に売上の1.5%しか入らない」と考えるぼくらのほうがまちがっているのか?


 だからといって、一部の企業やビジネスだけが強欲なのが問題だというつもりはありません。資本は集中する傾向があるといわれます。その要因など議論し始めるとキリがありませんが、ただ実際、一部の巨大企業群が大きな影響力を持っていることは確かでしょう。
 問題は、こんな現代社会でも、いまだに経済学の教科書には完全競争市場の需要と供給の法則が説かれているし、ニュースでも需要や供給で説明されることが多いこと。そのギャップに気をつけて欲しいと思います。市場のメカニズムがきれいに機能するためには、多数の売り手と多数の買い手がみんな平等に売買していて、誰も価格や量を操作できない、みんなが市場が定めた価格を受け入れるという、大きく現実離れした前提条件が必要なのだということを認識しておくと、経済学者たちにだまされることなく、問題をクリアに見ることができるようになるはずですから。

 結局この本を読んでも「私たちを動かす資本主義のカラクリ」はよくわからなかった。でもそれでいいとおもう。資本主義のカラクリだなんて複雑でむずかしいものを、本一冊読んだぐらいでわかったら嘘だろう。たぶん誰にもわからない。

 わからないことをちゃんとわからないままに提示できるのは、誠実でいい書き手だ。バカは単純明快な答えを求めるけど、わからないものをわからないもの受け止められるのが知性だ。


 とりあえずわかるのは「市場のメカニズム」なんてのは現実とはほど遠い論理だってこと。わかりやすい説明に飛びつかないようにしなくちゃね。


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2026年6月30日火曜日

【読書感想文】樋口 耕太郎『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』 / 補助金はイノベーションを阻害する

沖縄から貧困がなくならない本当の理由

樋口 耕太郎 

内容(Amazonより)
沖縄には、謎が多い。圧倒的な好景気が続く中、なぜ、突出した貧困社会なのか。「沖縄の人は優しい」と皆が口をそろえる中、なぜ、自殺率やいじめ、教員の鬱の問題は他の地域を圧倒しているのか。誰もなしえなかったアプローチで、沖縄社会の真実に迫る。「沖縄問題」を突き詰めることは日本の問題を突き詰めることであり、それは、私たち自身の問題を突き詰めることだ――。「コロナ後の世界」のありかたをも問う、鮮烈の問題作。

 所得水準、子どもの貧困率、正規雇用率、ひとり親世帯率(そしてその貧困率)、進学率、自殺率など様々な指標で全国ワーストクラスの数字を出している沖縄県。

 なぜ「気候も人もあたたかい」と言われる沖縄県で多くの人が貧困にあえぐのか。

 野村証券などで働いた後に沖縄でリゾートホテル経営をおこない、経営から退いた後は沖縄の飲み屋で数千人の話を聞いたという著者が、中と外から見た「沖縄問題」。


第1章『「オリオン買収」は何を意味するのか』、第2章『人間関係の経済』、第3章『沖縄は貧困に支えられている』は様々なデータに基づく分析が光っておもしろかったが、第4章『自分を愛せないウチナーンチュ』あたりからデータはほとんどなくなり、「聞いた話」が続く。さらに第5章『キャンドルサービス』にいたってはほぼ沖縄と関係のない著者の人生観が語られる。

 せっかく前半で事実に基づく考察が光っていたのに、中盤からは「自尊心が低いのが原因だ」「愛がすべてを解決する」みたいな話になってくるのでげんなりしてしまった。中盤まではいい本だったのになあ。



 少し前に読んだ高橋哲哉『沖縄について私たちが知っておきたいこと』 (→ 感想)に、「沖縄が経済的に基地に依存している割合は低い」といったことが書かれていたが、樋口耕太郎氏はその論調に反論する。

 たしかに基地から直接沖縄県に流れる金は多くないが、基地を受け入れる(受け入れさせられる)ことと引き換えに、沖縄県は日本から非常に多くの補助金や軽減税率を与えられている。

  たとえば、沖縄県が本土復帰した1972年以来、沖縄で生産・消費されるビールや泡盛には軽減税率が適用されていた。これにより、沖縄企業生産のオリオンビールはキリンやアサヒといった大手企業よりもずっと有利な条件で販売することができ、そのため沖縄県内では高いシェアを誇っていた。

 復帰後の一時的な対策だったはずの酒税軽減措置はその後も政治的な理由などで延長をくりかえされ、50年以上たった今年2026年にやっとビールの酒税軽減は終了するらしい(泡盛は2032年予定)。

 だが多くの補助金や税制優遇がそうであるように、それにより助かるのは真に困っている人たちではなく、大手企業や政治家とつながりを持つ金持ちをさらに潤すことになっている。

 このように、利権は入れ子構造になっていて、「多くの弱者のため」に政治が動き、援助がなされるほど、一部の利権者が多大な配分に与る構造が存在するのだ。これらの利権は所得として計上されないことも多く、問題が表面化しにくい。
 社会の権力者たちは、「社会のため」を語りながら、意識的あるいは無意識に自分の利害を最優先する。多くの場合それほどの悪意もない。場合によってはその自覚すらない。
 このように、沖縄振興を目的として大量に注がれた税金が、沖縄社会を激しく歪める原動力になっているのだ。「弱者を助けるため」に活動する沖縄の利権者が、「成果」を上げれば上げるほど、沖縄内部に問題を生み出す原因を作り出してしまう。
 このように、社会を歪め、弱者を助ける名目で(無意識に)搾取し、格差を生み出し、維持しているメカニズムは沖縄社会の内部にある。そして、日本政府からの大量の経済援助が、その歪みの構造を支える重要な役割を果たしてしまっている。
 利権者たちは、必ずしもそれを意図しなくても、あるいは、自分が利権者だという自覚がなくても、結果的に、自ら多額の援助金を獲得し、大きな利益を手にしてしまうため、事業そのものには意識が向かない。事業家の自律心が奪われれば商品の質は低下する。

 このような「沖縄を助けるため」であったはずの補助金や税制優遇が利権構造をつくりだし、結果的に沖縄の産業の競争力が弱まっていると著者は指摘する。

 泡盛に対する軽減税率にしても、ごくごく一部の大手酒造メーカーの役員だけが莫大な利益を得る構造になっているという。



 沖縄はもっとも政治によって翻弄されてきた地域だ。

 在留米兵による少女暴行事件により基地反対運動が高まった際には、日本政府は基地をひきつづき沖縄に引き受けさせるため、有形無形様々な形で経済援助をおこなった。

 沖縄で野火のように広がった基地反対運動。これに対してなされた政府主導の強烈な「火消し」の多くは、目に見えない経済援助の形をとった。ここに挙げた事例はそのほんの一部である。そして、それに呼応するように、1995年以降、沖縄は目覚ましい「経済発展」を遂げた。
 このように、沖縄の経済発展には、ことごとく基地経済と(ときには過剰な)援助の影がつきまとう。
 もし、1995年の基地反対運動が熱を帯びていなかったら、普天間飛行場の移設問題が浮上していなかったら、
 
 2000年のサミットは沖縄で開催されていただろうか?
 首里城は世界遺産になっていただろうか?
 新2000円札の表面は守礼門だっただろうか?
 そもそも2000円札は発行されていただろうか?
 沖縄自動車道や那覇空港は今ほど整備されていただろうか?
 沖縄のリゾートの価格帯は、現在のような水準だっただろうか?那覇空港の発着便は、現在の水準にまで激増しただろうか?
 
 このように考えた場合の基地依存型経済の規模は「5%」どころか、県民総所得の相当規模を占めると考えるべきだろう。(中略)
 しかし不可解なのは、これだけの経済援助を受け、「経済発展」を遂げている沖縄が、日本最大の貧困社会だということだ。
 なぜ、日本で最も援助を受けている地域が、最も貧困なのか?これは問いの前提に誤りがあると考えるべきではないだろうか?
 経済援助は、そのやり方次第では、貧困を解消するよりも増幅させる可能性があるからだ。

 ダロン・アセモグル & ジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』に、政治が腐敗していて特定の有力者だけが利益をむさぼる構造になっている社会ではイノベーションが起こりづらく、自由な競争が保障されている国との競争に負けて衰退していくのだと書いてあった。


 沖縄はまさにその「イノベーションが起こりづらい」地域になってしまっている。補助金が多ければ、当然甘い汁を吸うのが大好きな連中がそこに群がってくる。リスクを負って新しいことに挑戦する者は既得権益者によってつぶされる。人々はますます新しいことに挑戦しなくなり、一部の権力者がますます肥大してゆく……。

 このスパイラルから抜け出すのは相当むずかしいだろう。



 また著者は、沖縄の人は、慣れ親しんだものを志向する傾向が本土の人よりもずっと強いと指摘する。

 周囲から「冷たい人」とおもわれるのを避けるため、少々高かったり品質が劣ったりしても、なじみの店、なじみの相手から買うことを選ぶ傾向があるという。

 助け合いの精神が根付いているという良さもある反面、新しい価値を生み出すビジネスが成功しにくい環境でもあるという。

 このように沖縄経済を捉えると、品質の良いもの、価値のあるもの、優れた商品が生まない理由が説明できる。
 消費者は、商品やサービスの良し悪しで選ばず、同じ商品を買い続ける性向が強く、沖縄では品質の良いもの、価値のあるもの、優れたサービスを顧客に提供しても、結果(売り上げ)につながりにくい。付加価値の高い事業が収益を上げにくい沖縄の社会構造である。それらの結果、沖縄社会では一流を目指す人が力を発揮しにくいのだ。
 人間関係で成り立つ商売は、長期安定的で、本土企業に対して強い参入障壁を作り出すという大きなメリットがある一方で、革新を妨げ、低品質、低付加価値、低報酬を特徴とした、沖縄独特の経済圏を作り上げてきた。
 このような環境下では、品質改善への重要性は低く、創造力は発揮されない。開発力、革新力、サービス力が低下し、県外の「厳しい」顧客に訴求する商品を生み出すことは難しくなる。

 これ自体はそんなに悪いことじゃないんだけどね。みんなが安定した生活が送れるわけだから。島の中でやってる分には。

 ただ県外、海外企業との競争には勝てない。

 でもこれって沖縄の企業がおかしいんだろうか。県外、国外の企業と競争して勝たなきゃならない! という本土の企業のほうがヘンなんじゃないかな、と個人的にはおもう。いいじゃない。島の人が島の人を相手に商売して、食っていけるぐらいの儲けが出てるんだったら、それで。

 グローバル化が進んだからそうも言ってられなくなったという現実はわかるんだけど、でも多くの人にとってグローバル化っていいことばかりじゃない、むしろ悪いことのほうが多いわけで。

「グローバル化してるのにそれについていけない沖縄企業が悪い!」と書いてるけど、ほんとは「そもそもグローバル化したのが悪い」なのかもしれない。そう言っても一度開いてしまった扉はなかなか閉じられないものなんだけど。


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【読書感想文】高橋 哲哉『沖縄について私たちが知っておきたいこと』 / 沖縄は「戦争特区」

【読書感想文】自由な競争はあたりまえじゃない / ダロン・アセモグル & ジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』



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