2050年1月1日土曜日

犬犬工作所について

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2026年9月3日木曜日

【読書感想文】木谷 恭介『死にたい老人』 / 人は断食では死ねない

死にたい老人

木谷 恭介

内容(e-honより)
もう充分に生きた。あとは静かに死にたい―。83歳の小説家は、老いて身体の自由がきかなくなり、男の機能も衰え、あらゆる欲望が失せ、余生に絶望した。そして、ゆるやかに自死する「断食安楽死」を決意。すぐに開始するや着々と行動意欲が減退、異常な頭痛や口中の渇きにも襲われ、Xデーの到来を予感する。一方で、テレビのグルメ番組を見て食欲に悩まされ、東日本大震災のニュースにおののきつつも興味は高まり、胃痛に耐えられず病院に行く。終いには、強烈な死への恐怖が!死に執着した小説家が、52日間の断食を実行するも自死に失敗した、異常な記録。

 断食により餓死しようとした作家の手記。

 ぜんぜん理解できなくておもしろかった。こういう、自分とはまったく考え方がちがう、理解できる気すらしないぐらいぶっとんでいる人の本はおもしろい。


 もう年老いて、身体にもあちこちガタがきて、もうすぐ仕事もできなくなり、介護が必要になるかもしれない。同居する家族もいない。世の中に迷惑をかけるだけの存在になるぐらいならいっそ自分で命を絶ったほうが……。

 ここまでは理解できる。ぼくもこの状況になったら同じように思うかもしれない。むしろ、「ただ介護されるだけでこれ以上良くなる見込みもない老人って何を楽しみに生きてるんだろう」とすら思っている。

 だが、「だから断食で餓死しよう」という発想になるのは理解できない。なんで断食? ぜったい苦しいし大変じゃん。

 筆者は自然に死にたいって言ってるけど、餓死って自然な死じゃないし。動物だって餓死するのはごく一部でしょ。そもそも自死が不自然な死なのに、「自然に死にたい」って何言ってんだ……。



 特に理解できないのが、断食で死のうとしているのに、薬は飲み続けていること。

 2月27日 断食13日目
 体重47kg
 
 今日は昨日にくらべて倦怠感がつよい。
 朝、起きるときは気分がよかったが、1時間ほどして、倦怠感が襲って来た。
 完全断食(といっても、のど飴や生姜湯は口にしていたが)にはいって10日以上がすぎた。
 体調のよい日と悪い日がチャンポンにやって来るのだろう。
 現在の最大の関心事は薬の服用をどうするか、ということ。
 去年の11月1日から断食を実行する予定だったが、利尿剤を4日間、飲まなかったため、心不全の発作を起こし、入院騒ぎになった。
 今回はその失敗をしたくない。
 だが、もう10日以上つづいている腹痛。
 胃が荒れているだけのことならいいが、胃酸の加減で胃穿孔の兆候があったり、胃潰瘍になりかかっていたりすると、また前回の轍を踏むことになる。
 といって、医師に診断してもらうこともできない。
 ネットを検索して、よい方法を探すのだが、ぼくのしていることが、常識外のバカな行為だから、解決方法がみつからない。

 一度、断食をして薬を飲むのもやめたところ、心臓発作を起こして入院することになったから、というのがその理由らしい。

 うーん、わからん。心臓発作で死ぬならそれでいいんじゃないの? 心臓発作も苦しいだろうが、餓死ほどは長く苦しまないわけだし。断食で死にたいけど心臓発作で死にたくないという感覚がまったく理解できない。心臓発作のほうがよっぽど自然な死だとおもうんだけどなあ。


 で、断食しているのに「食後の薬」を服用するものだから、胃が痛めつけられ、胃が痛いと手記に書いている。そりゃそうだろう。何がしたいんだこの人は……。



 この人は、断食で死ぬために周到な準備をしている。

 死のうとしていることを知り合いに知られると、止められてしまうかもしれない。止めなかった場合、その人が保護責任者遺棄致死に問われる可能性が出てしまう。なので誰にも言わずに断食を実行しようとしている。

 連絡がないのを不審におもって知り合いが様子を見にきたら困るので、わざわざ引越しまでしている。高齢者の一人暮らしなんて賃貸物件を見つけるのもたいへんなのに。

 首尾よく(?)死ねたとして、発見が遅れると遺体処理がたいへんだし借りている家にもダメージを受ける。そのため死ぬ寸前に知り合いに連絡をして、死んだら速やかに発見してもらえるようにする。

 ……と、あれこれ気を配ってスムーズに死ねるよう算段している。

 ここまで配慮できる人が、なんで「断食しているのに薬を飲んでいるせいで胃が痛い」なんてことで困惑しているのか、ほんとによくわからない。



 結果的に、この人は断食では死ねなかった(Wikipediaによると断食失敗の翌年に病院で心不全で亡くなったらしい)。

 しっかり覚悟を決めて、盤石の態勢で臨んでも、人が断食で死ぬのはむずかしいらしい。ま、そりゃそうだろう。


 山口良忠氏という裁判官がいた。戦後の食糧難時代、人々は闇市で食べ物を買って生きていた。厳密には食糧管理法違反だが、政府からの配給だけでは生きていけないので闇市で買っていたのだ。

 だが山口氏は「闇米を取り締まる裁判官である自分が、闇米を食べるわけにはいかない」と闇市での買い出しを拒否し、配給の食糧を子どもに与え、自分はわずかな食べ物しか口にしなかった。

 そして彼は死んだので「信念のために命を捧げた立派な裁判官」として有名になっている(もちろんこれを聞いて「なんてばかな人なんだろう」と感じる人もいるだろう)。「悪法もまた法なり」と言って死刑になったソクラテスに重ねて「昭和のソクラテス」とも言われる。

 だが山口氏の死因は肺結核である。食べていなかったので栄養失調になったことが間接的な原因だが、餓死したわけではない。もし山口氏が結核にならず、「今日食べなきゃ死ぬ」という状況に追い込まれていたら、それでも信念を貫いていただろうか。生物の生存本能というのはそう弱いものではないだろう。



 興味深いのは、筆者が死ぬことを決めてからも政治のことについて怒っていること。この本の随所に、政治に対する怒りが書かれている。

 どうせ死ぬんなら政治のことなんてどうでもいいじゃない、と読んでいる側からしたらおもうんだけど、死を目前にしても義憤って抑えられないんだなあ。


 人間、死期が近づいたらありとあらゆるものに感謝をして、穏やかに眠るように息を引き取る……というわけにはいかないもんなんだなあ、やっぱり。


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2026年9月2日水曜日

【読書感想文】チャールズ・デュヒッグ『相手の本音を引き出す会話の正解』 / 一朝一夕で使えないテクニックだからこそ役に立つ

相手の本音を引き出す会話の正解

チャールズ・デュヒッグ(著)  渡会 圭子(訳)

内容(e-honより)
「それ、こうしたらいいんじゃない?」アドバイスをしたつもりが、「共感が欲しかった」と言われてしまう。その原因は話の内容ではなく、会話の種類のズレにあった。「伝わる会話」とは何か?NASAの採用面接からSNSの炎上まであらゆる会話を科学で解明。

 いい本だった。安易なビジネス書みたいなタイトルだけど、内容は科学的知見に基づくちゃんとしたもの。

 小手先のテクニックではなく、心の底から相手と通じ合う方法を説いている。


 個人的にちょうど今、仕事で「伝え方」について頭を悩ませているところだったのですごく参考になった。

 ぼくはずけずけとものを言ってしまうタイプで、「正しいことを言って何が悪いの?」と思ってしまうことも多々ある。でもそれじゃ他人を動かすことはできないと40歳をすぎてやっと気づいた。遅ぇ。


 たとえば自分が嫌いな上司から納得のいかない理由で説教を食らっているときのことを考えてみる。どういう行動をとるだろうか。口では「はい、わかりました、気を付けます」と言いながら、内心では「うっせえな。おまえがおかしいんだろ。この意味のない説教早く終わらねえかな」と考える。それがふつうの人間だ。

 なのに、自分が他人に注意しているときは、相手は真剣に聞いてくれていると思ってしまう。相手の話は自分に響いてないのに、自分の話は相手に響いていると思いこんでしまう。

 ・相手が無口になる、表情が動かなくなる、視線があなたの顔以外のどこかに向いている、物思いにふけっているように見える、あなたの言葉に対して自分の考えを言わないといったことはないだろうか。
 こうした反応は「話をよく聞いている」と誤解されやすい。しかしだいたいは違っている。(次のいくつかの章で説明しているが、話をよく聞くというのはもっと能動的な行為なのだ。)これらは、相手は今の話題ではなく、別のことを話したがっているというシグナルである。その場合、あなたは全員が望んでいることを知るための調査──そして実験──を続ける必要がある。
 こうした反応は見逃されやすい。それは一部には、人の頭の領域の大半は話すことで占められてしまうからだ。しかしこれらの手がかりに気づく訓練をすれば、何をどう話すかの問いに答える役に立つ。

   自分が話を聞き流しているのと同様、自分の話も基本的に相手に伝わっていないものと思った方がいい。「基本的には伝わらない」とおもえば、伝わるためにはどうすればいいかという発想になる。



 話をするときは「何をどう話すか」「どう感じるのか」「私たちは何者なのか」を意識することが必要だと著者は書く。

 詳しくは本書を読んでいただきたいが、ぼくが特に重要だと感じたのは「どう感じるのか」の部分である。


 感じていることについて話し合っていると、他の人たちは話を聞かずにはいられなくなる。そして自己の感情を吐露しはじめ、今度は私たちが耳を傾けることになる。

 情報だけで人は動かない。「100万人が死んだ」という情報よりも「たった1人の息子を亡くして私がどれだけ悲しい思いをしたか」という話のほうがずっと人の心を動かす。

 そこで「感情を吐きだすこと」と「感情を吐きださせること」が必要になる。

「弱みをさらけださせる質問に組み替えるのは難しいと思われるかもしれない」とエプリーは私に言った。「しかし実際はさがし始めると意外に見つかるものだ。たとえば電車に乗って、職場に向かう人たちと話をしているとき『あなたの仕事は何ですか?』と尋ねる。その後に『その仕事は好きですか?』とか『他に何かしてみたいことはありますか?』と尋ねるかもしれない。そこで二つの質問ができて、その人の夢の話まで聞くチャンスを手に入れている」

 なるほどなー!

 この本でいちばん勉強になったのはここ。

 初対面の人と話さなくてはならない状況になったとき、ぼくも相手に質問をしたりしてなんとか会話を続けようとしていた。でもあまり会話が続かない。まして打ち解けるところまでいったことはほとんどない。

 思い返してみれば、そういうときにぼくがしていたのは“事実”に関する質問だ。

「どこ出身ですか?」「お仕事は何をされているんですか?」といった類の。

 質問に対する答えは返ってくるが、それ以上の会話にはなかなか発展しない。

 重要なのは「どこ出身ですか?」の後の「へえ、そこって住みやすいですか?」といった、感情を引きだす質問だったのだ。

「そこって住みやすいですか?」だと聞かれたほうも一生懸命に考えるし、「うーん、若いうちはいいけど仕事をするには不便ですよねー」とか「いやこっちのほうがぜんぜん住みやすいですよ。○○があるし、××にも行きやすいですし」といった回答から、その人の人となりや大事にしているものが見えてくる。

 勉強になったぜ。



 口論になったときの考え方について。

 ではどうすればこのような相互理解に至るのか。最初のステップは、それぞれの戦いの中に対立が一つだけでなく、最低でも二つあると認識することだ。まず表面的な問題があり、それで互いの意見が対立する。そしてその下には感情的な対立がある。「たとえばある夫婦が、もう一人子どもをつくることについてけんかをしているとしましょう」とヒーンが私に言った。「まずいちばん上の層の対立はあなたはもう一人子どもを欲しがっているけれど、私はそれを望んでいないというもので、一見それがけんかの理由に思えます。しかしもっと深い感情の問題もあるのです。あなたが私のキャリアよりも子ども優先で考えていることに腹が立つ、あるいはもう一人子どもをつくったら破産しそうで怖い、あなたは私の望みを気にしていないように見えてがっかりしている、などです」そのような感情的な対立は不明瞭で、特定できないことも多いが、信じられないくらい強力である。そこには議論が過熱して妥協の余地が失われてしまうほどの怒りや失望がたまっているからだ。

 そうだよなー。そうなんだよなー。

 これは深く受け止めないといけない。よく妻に叱られる夫として。

 妻から「洗面所を使った後に水が飛び散ってたから気を付けて」と言われたとき、ほんとは「風呂場も汚いし、台所の使い方も荒っぽいし、でもいっつも掃除をするのは私ばっかりで、その間あなたはグーグー寝てるのはおかしいよね? どう考えたって家事の負担が半々じゃないよね」と言われているのだ。

「洗面所をきれいに使おう」とおもうだけではだめなのだ。


 これはほんと大事。ぼくも十五年結婚生活を続けているのでよくわかる。

「不満があるなら溜めこまずに全部言ってくれたらいいじゃない」なんておもうのはど素人だ。注意する方だって不快だし、だいたい不満を逐一口にしていたらぼくなんか一日に七十五回ぐらい妻から注意されることになって、家庭内の雰囲気は最悪になる。

 妻は言わないでいてくれているのだ。だがこちらはそれに甘えて「言われたことだけ気を付けよう」としてはいけないのだ。

 重々肝に銘じておかねば。



 大事なのは話し方だけではない、聞き方も重要だ。

 だから自分が聞いていることを証明したければ、話が終わったあとにそれを示す必要がある。注意を向けていることを示したいのであれば、話が途切れたとき、その人の言ったことが頭に入っていることを証明しなければならないのだ。
 そしてそのために最良の方法は、いま聞いたことを自分の言葉で繰り返し、それで合っているかどうか尋ねることだ。
 これはいたってシンプルなテクニックだ。話し手に質問し、いま聞いたことを振り返り、理解できているかどうか確認を求めるというだけだ。しかし研究によれば、相手の話を聞きたいことを証明する、唯一かつ最も効果的なテクニックだという。この方法は理解のためのルーピングと呼ばれることがある。その目的は相手が言ったことをそのまま繰り返すことではなく、他人の考えを自分の言葉で絞り出し、その視点を理解し、そこからものごとを見ようと努力していることを証明することだ。それからこのプロセスを何度も何度も繰り返すうちに全員が満足する。「会話の最初にこのルーピングのようなテクニックを使うと、最終的に対立がエスカレートするのを防ぐ」ことが、二〇二〇年のある研究でわかった。その参加者は「よりよいチームメイト、アドバイザーで、今後協力していくのに望ましいパートナー」とみなされる。

 これはすぐにでもできるテクニックだね。やりすぎるとだいぶうっとうしいけど。


 相手の言ったことを「それって……ってことですか?」と質問する。相手の発言内容を確実に理解することができる。それだけではない。相手の言うことをまとめようとおもったら、相手の視点と自分の思考を重ね合わせなければならない。いわゆる「相手の立場に立って考える」というやつだ。

 SNSの議論なんかを見ていると(不毛だからあんまり見ないようにしてるけど)、そもそも両者とも相手のことを理解しようとなんかしていないことがほとんどだ。はなから相手のことを「思慮の足りない人間」と決めつけ、その結論を導くための証拠を必死になって探している。

 でも多くの問題には良い面と悪い面があり、対立する両者とも正しいことを言っていたりする。たとえば原発の存続に関する議論であれば「原発が生み出すエネルギーは重要な価値がある」と「原発が抱えるリスクはとても大きい」はどちらも間違っていない。どちらに重きを置くかという価値観の違いがあるだけだ。

 相手の視点でものを見ることで、建設的な議論ができるようになるはずだ。もっともSNSで議論(という名の一方的な主張)をしている人たちが「建設的な議論」なんて望んでいるかどうかはわからないけど……。



 相手の気を悪くさせる話し方について。

 マイケル・スレピアンとドリュー・ジャコピー・センゴーの研究チームは、会話がうまくいかなくなる原因は数多くあることを発見した。いやなこと、無知なこと、冷酷なことを言ったりする場合もあるだろう。意図的に誰かを仲間外れにすることもあれば、本当に偶然で相手を怒らせてしまうこともあるかもしれない。しかし一つ、必ず人々を不快にさせ、動揺させる行動があった。それは話し手が、聞き手の意思に反して、その人をある集団の一員としてひとくくりにするような発言である。それで話し合いがうまくいかなくなる可能性が高かった。
 ときには話し手が聞き手に対して、その人の意に染まぬ集団のメンバーに入れてしまうこともあった。(「あなたも金持ちだから、たいていの金持ちが俗物だと知っているでしょう」)。このとき聞き手は、自分もまた俗物的だとほのめかされたことに腹を立てる。また話し手が聞き手を、自分たちが高く評価している集団の一員ではないと否定することもあり(「あなたはロースクールに行っていないのだから、法律が実際にどう機能するのか理解していない」)、このとき聞き手は無知だと侮辱されたと感じる。

 望まない一般化をすると相手は怒る。

 これもわかるなあ。昔、友人から「おまえのその意見っていかにも賢い人の意見って感じやな」と言われてめちゃくちゃ腹が立ったことがある。けっこう強めに言い返して、喧嘩になった。

 そこまでひどいことを言われたわけじゃない。でも「賢い人」が褒め言葉ではないこともぼくにはわかった。友人は「頭でっかちな人」みたいな意味で使ったのだとおもう。

 それがぼくには気に食わなかった。自分でもなんでそんなに腹が立っているのかわからないぐらい不愉快だった。


 ぼくが言われた「いかにも賢い人の意見」こそ、まさに「聞き手の意思に反して、その人をある集団の一員としてひとくくりにするような発言」であった。

「これだから女は」的な発言だ。そりゃ人をイラつかせる。だがこの手の発言は巷にあふれている。性犯罪者を非難すればいいのに「男は~」と語ればコメント欄が荒れるのは必至だ。

 女性専用車両が嫌われているのも同じ理由だろう。あれは男全員を「おまえたち痴漢予備軍」とひとくくりにしているのと同じだからだ。あれはれっきとした差別だ(ただし現実的に有用な面もあるので、「不愉快でしょうが差別させてください」という形で鉄道会社がお願いするのであれば拒否するほどではない)。



 まとめ。

 コミュニケーションに対する考え方を根っこから揺さぶってくれるような本だった。

 ただし安っぽいビジネス書に書いてある小手先のテクニックではないので、実践するのはかんたんではない。どれも一朝一夕に身に付く技術ではない。

 でも、だからこそ、どんな状況でも、どんな相手でも普遍的に使える技術だ。

 何度か読み返したい本。


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2026年8月27日木曜日

【読書感想文】辻村 深月『傲慢と善良』 / 婚活は「自分と釣り合うか」

傲慢と善良

辻村 深月

内容(e-honより)
婚約者・坂庭真実が忽然と姿を消した。その居場所を探すため、西澤架は、彼女の「過去」と向き合うことになる―。彼女は、なぜ姿を消したのか。浮かび上がる現代社会の生きづらさの根源。

 婚活で出会った女性と交際し、婚約をしていた男性。喧嘩ひとつしないカップルだったが、その婚約者がある日突然姿を消した。彼女は少し前からストーカーに狙われていると不安を口にしていた。ストーカーは以前の婚活で出会った男性だという。

 はたして彼女は無事なのか、彼女が行方をくらましたのはストーカーに連れ去られたからなのか、ストーカーは誰なのか、婚約者を探すため彼女の故郷を訪れる……という導入。


 導入はミステリ風だが、主題は謎解きではないので中盤で彼女が行方不明になった真相は明かされる。

 本題は恋愛小説というか結婚小説というか、あるいはアイデンティティに関わる話かもしれない。



 特におもしろかったのが婚活まわりの話。

 婚活に苦悩する人たちの現状がうまく表現されている。

「婚活でうまくいかない時、自分を傷つけない理由を用意しておくのは大事なことなんですよ。自分が個性的で、中味がありすぎるから引かれてしまったとか、資産家であるがゆえに、家の苦労が多そうだと敬遠されたとか、あるいは自分が女性なのに高学歴だから男性の側が気後れしてしまった、とか」
 小野里がまた子どものような目になって説明する。
「あとは、本当は容姿に自信があるのに、顔が整っているからこそ、男性の側が自分に他の男性がいたかもしれないと気にしているのではないか、とかね。資産家であることも、個性的であることも、美人であることも、本当は悪いことではないはずなのに、婚活がうまくいかない理由を、そういう、本来は自分の長所であるはずの部分を相手が理解しないせいだと考えると、自分が傷つかなくてすみますよね」


 ぼくは婚活をしたことがない。学生時代に付き合った女性と社会人になってからも交際を続け、そのまま結婚したからだ。八年も付き合ったし、その間たいして喧嘩もしなかった。(少なくともぼくの側は)相手に対する不満はほとんどなかった。だから「このまま結婚するんだろう」とおもっていたし、もちろん他の相手など(少なくともぼくの側は)考えることもなかった。

 でもそれは運が良かっただけで、もし学生時代に彼女ができていなかったら、ぼくは結婚するのに苦労した(あるいは結婚できなかった)だろうなとおもう。決して見た目がいいわけでもないし、社交的な方ではない。むしろ人見知りで、人と仲良くなるのに時間がかかる。今の妻とも、親しくなったのは知り合ってから一年以上経ってのことだ。つまり初対面で好印象を与えるタイプではない。そのくせプライドだけは高いので傷つくことにびびってしまって自分から積極的にアプローチすることもできない。

 ほんとは彼女が欲しくて欲しくてたまらないのに斜に構えて「まあいい人がいればでいいかな」みたいなことを言っているタイプ、それがぼくだ(実際、彼女ができるまでの学生時代はそうだった。)。どう考えても婚活でうまくいくわけがない。

 就活だってぜんぜんうまくいかなかった。もう気が変になるぐらい就活が嫌だった。

 不合格になるたびに自分の人格とこれまで歩んできた人生をすべて否定されたような気になった。「おまえはいらない」とはっきり突きつけられるのはかなり精神にくる。「テストの点が悪かったから」とか「スーツがダサかったから」とか明確な理由があるならまだ諦めもつくが、不採用の理由は教えてもらえないのだ。あれが悪かったのか、それともこれがダメなのかと考えて、どんどん自分が嫌になる。

 ぼくなんて書類選考や筆記試験はほぼ通って面接で落ちていたので、余計に「学歴のせいでも試験の点数のせいでもない。おまえという人間が求められていないのだ」と言われているような気になった。

 就活が嫌で嫌でしかたなくて、最初に内定をくれた、当初の志望と業界も業種もぜんぜんちがう企業に就職したぐらいだ(そんな理由で入ったので案の定あわなくて数ヶ月で辞めた)。


 婚活をやっても同じようになっていたとおもう。きっと断られつづけるうちに自己嫌悪になって、婚活から逃げだすか、逃避のためにまったくあわないタイプの相手と結婚を決めていたか。



 婚活が就活とちがうのは、一対一の関係になるということだ。

 就活の場合は企業が相手なので、どうしたって企業のほうが強くなる。元々対等な交渉なんてできない。こっちが持っているカードは「嫌なら入社しない」1枚だけだ。

 だが婚活は人間同士一対一の関係なので「どっちが上か」になってしまう。

「小野里さんに言わせると、お見合いがうまくいかない人はみんな、自分に釣り合う相手じゃなければ納得しないし、その基準が控えめだと言いつつ、実は相当高いそうなんです。実際には相手の方が収入があったりして、ステータスが高い場合でもそう思うって、不思議なものですけど」
「じゃあ、そういう場合は相手の方が外見が悪いとか、社交下手だとか、そういうことなんじゃない? みんな、自分のパラメーターの中のいい部分でしか勝負しないんだよ。自分の方が収入が低くても、外見が悪くても、相手より勝ってる部分にしか目が向かない。傲慢だけど、人ってそういうものない?」

 婚活で悩むポイントはいろいろあるだろうけど、突き詰めれば「自分に釣り合うか」という一点に集約されるのだ。

 そしてみんな自分のことは高く評価するから「釣り合う相手」を探すのはむずかしい。

 ぼくの身の周りを見てみても、容姿端麗でずっとモテてきた人がなかなか結婚できなかったというケースがよくある(そういう人のほうが印象に残りやすい、ということがあるにしても)。モテてきた人ほど自分がモテることを知っているから「釣り合う相手」を探すのはむずかしくなるだろう。非の打ち所がないステータスの人は婚活市場にはほとんど残ってないだろうし。

 案外、自己評価の低い人のほうがうまくいくのかもね。「こんな私なんて」と思ってるぐらいの人のほうが。



 小説のストーリー自体は、うん、まあ、悪くはないね、という感じ。ネタバレになるのであんまり書かないけど。

「女友だちがほんどひどいやつらで、自分の悪行をすべてつまびらかにする」のはそんなわけねえだろとおもうし、「震災の復興ボランティアに行って自分を見つめなおす」のは陳腐すぎるな、とおもったな。

 でも前半~中盤で、「彼女の空虚さ」「彼女の親のヤバさ」が次第に判明していくあたりはすごくおもしろかった。

 いろいろあって、一応これはハッピーエンドなんだけど、でもぼくとしては「いやこれハッピーなのかなあ……」と引っかかるものを感じた。個人的には引っかかる小説の方が好きなのでこれでいいけど。


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小ネタ52 (日曜大工 / ムンクの叫び / 山と川)

日曜大工

 子どもから「日曜大工ってどういう意味?」と訊かれた。そういや「日曜大工」って死語寸前だよな。完全に「DIY」に取って代わられた感がある。

 しかし「休みの日だけやる趣味」って他にもいろいろあるのに、「日曜登山家」とか「日曜野球選手」とか「日曜デザイナー」は言わない(調べたら「日曜画家」という言葉もあるようだ。こっちは死語寸前どころか死語だといっていいだろう)。


ムンクの叫び

 ムンクの『叫び』という絵画は、まるでそれがタイトルであるかのように「ムンクの叫び」とセットで呼ばれる。「レオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザ」とはふつう言わない。

『叫び』というタイトルが短くて一般名詞だからだろう。「ゴッホのひまわり」もセットで呼ばれがちだ。

 そのせいだろう、「ムンクを思い浮かべてください」と言われてあなたが思い描いたのは、ムンクではなく『叫び』に描かれる人物だ。

 あと「東洲斎写楽」と聞いてあなたが思い浮かべたのも、三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛だ。

三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛

山と川

 千年前の人々のほとんどは、自分の住んでいる集落から出ることなく暮らしていた。

 集落があるのはたいてい平地なので、周囲には山がいくつも見える。「山に行ってくる」ではどの山のことかわからない。なので「○○山に行ってくる」と山に名前を付ける必要が生まれる。

 だが多くの場合、川は歩いて行ける距離に一本しかなかったはずだ。複数の川が並走していたり川と川が合流している地形はそう多くない。川が一本であれば名前を付ける必要がない。「川に行ってくる」で伝わる。「川の上流のほうに行く」とか「橋の近くに行く」とかはあっても、川そのものを名前で呼ぶことはそう多くなかったのではなかろうか。