
読書感想文は随時追加中……
読書感想文リスト
常に未読の本が十冊以上ある状態なので、いざ読もうと手に取ったときに「かつての自分はなんでこの本買ったんだろう……?」とおもうことがときどきある。
これもそのうちの一冊で、ほんとになんで興味を持ったのかわからない。民俗学にまるで関心いないんだけど……。
読んでみてもやっぱりわからない。古来日本の山中で生活していた人たちの様子をただそのまま描写しただけで、全体を通して何かが見えてくるというわけでもない。うーん、ほんとになんで買ったんだろう。
そもそも山中で暮らしていた人たちに興味を持ったこともなかったので「イノシシとか山菜とかをとって生活していたのかな」ぐらいのぼんやりとしたイメージしか持っていなかった。ぼくの「昔の庶民の暮らし」って落語によって形成された部分が大きいんだけど、落語って町人の文化なので農村部や山間部はほとんど出てこないんだよね。『池田の猪買い』ぐらいか。
山で暮らしている人は文書で記録を残すことも少なかっただろうしな。だからこういう資料は貴重なんだろう。
『山に生きる人びと』を読むと、山中で暮らす人たちも平野の人たちとまったくつながりを断って生きていたわけではないことがわかる。
猟師にしても、農村の人たちのために農作物を野獣の被害から守ることを引き受けていたとか。炭焼きで木炭を作っていた人も、その木炭は鉄・銅・銀などの精錬に使われていたとか。小泉武夫『猟師の肉は腐らない』という本に、山奥にたった一人で暮らしている猟師が出てくるが、彼にしてもときどき町に下りて獲ったイノシシやドジョウを現金化し、調味料を買ったりしているらしい。完全な自給自足というのはできないものらしい。
興味深かったのが、1186年にはじまった東大寺(奈良県)再建の記録。
東大寺に使われた木材は、なんと周防の国(山口県)から持ってきたのだという。
道すらない山中に入って100尺(約30メートル)以上の丈夫な材木をさがし、それを斧で伐り倒す。そこからがまたたいへんだ。
道をつくり、橋をつくり、とんでもなく重い木を運ぶ。これを800年以上前、車も電気もない時代にやっていたのだ。
さらにさらに。山口県から奈良県まで運ぶという大事業が残っている。
ひゃあ。材木を用意するだけでこの苦労。とんでもない公共事業だ。今のオリンピックや万博など比較にならないぐらいの大工事だったはずだ。ピラミッドや万里の長城の建設にも匹敵するぐらいの難事業だったはず。
人間って(牛も使ってるけど)電気がなくてもこんなにすごいことができるんだなあ。つくづく、集団になった人間の力はすごいと感じさせられる。
ふふふ。よく漫画とかで「ダムに沈んだ村」が感傷的に語られたりするけど、いざ移り住んでみると「こっちのほうがいいや」となるようだ。
そうだよねえ。一度便利な生活を知ってしまうとなかなか戻れないよね。
転居でも転職でも、躊躇する理由の多くは「今より悪くなったらどうしよう」という不安なんだよね。戦わせているのは「転居するメリット」と、「転居することのデメリット」+「最悪の事態になったときの不安」なんだよ。
人は変化を恐れる。変化にともなうマイナスを、プラスよりもずっと大きく見積もる。生まれてから一度も村を離れたことのない人ならなおさら。
ぼくもそうだったからわかる。高校生になるまで生まれ育った街を離れるのはすごく嫌だったし、できることなら戻ってきたいとおもっていた。でも故郷よりずっと人の多い街に住んでみると、ここを離れる選択はしたくない。故郷は故郷で今も好きだけど、今の生活を捨てて移り住みたいとはおもわない。
立ち退きに反対している人とかも、いざ引っ越してみたら、一年後に「元の家に戻りたいですか?」と訊かれても首を横に振る人が多いんじゃないだろうか。
地政学とは体系化された「学問」ではなく、国家戦略や国際関係を読み解くための「視点」である……という謙虚な説明から入るところが好感が持てる。
「これさえ知ればすべてがよくわかる!」みたいな大風呂敷を広げる本はろくなもんじゃないからね。知識のある人ほど謙虚になる。
国際問題を考えるうえで、「自国がどうしたいか」「どうすれば自国にとって得か」だけ考えていてもしかたがない。「相手はどうしたいのか」「どうすれば相手にとって得になるか」を考えないといけない。人間関係と同じだね。
そして、都会で生まれ育った人と田舎で生まれ育った人がちがう価値観を持つように、地理的な環境によって国家の重視するものも変わってくる……というのが地政学の考え方だ。
特に重要なのが、ランドパワー(陸上権力)とシーパワー(海上権力)のちがい。ロシアや中国に代表されるランドパワー国家は、多くの国と陸上で接しているため、いつ攻め込まれるかもしれないという恐怖を常に抱えている。
中国の万里の長城なんて、まさにランドパワー国家の不安を体現したものだ。このへんの感覚は、島国・日本人からするとちょっと想像しにくい。たしかに仲の悪い国と陸で接していたら「明日攻め込まれるかもしれない」という気持ちになるかもしれない。
だからランドパワーの国は、シーパワーの国よりも「周辺国を軍事力で押さえつけたい」という気持ちが強くなる。
だが……。
周辺国を軍事力で押さえつけたい。けれど押さえつけようとすればするほど当然周辺国は反発する。かえって仲が悪くなる。そこで余計に軍事力を強化し、そうするとさらに緊張が高まり……という悪循環だ。
ロシアのウクライナ侵攻を見ていると、まさに「ランドパワーのジレンマ」に陥っているように感じる。傍から見ていると、ウクライナを侵略することでロシアは損しかしていないように見える。攻め込まれたウクライナはNATOと接近し、ロシアとNATOの関係は悪化している。
損しかしないように見えても、ロシアからすれば「追い詰められたからこうするしかなかった」という被害者意識なのかもしれない。
戦争というとついつい「どっちが悪いか」というジャッジをしてしまいがちだが、著者はあくまでリアリスティックに「どうするのが得か」という視点で戦争を見ている。
そのうえで、戦争で重要なのは「勝つこと」ではなく「どのような戦後秩序を築くか」だと語る。
なるほどね。戦争が終わっても国際関係は続く。敵国の国民だって全滅させることはできないだろう。戦いに完勝したとしても、生き残った人たちからの復讐におびえ、他国からも非難されるようなことになれば、それは負けだろう。
こういう視点は今の日本にはあまりないものだよね。「戦争はいけないことだから反対!」と言う人たちも、「他国が侵略してきたら戦うしかない!」と言う人たちも、どっちも「どういう戦後秩序を築くか」という視点が欠けている。勝ちか負けかのどちらかしかないとおもっている。
ウクライナ戦争にしても、パレスチナ・イスラエル戦争にしても、当事者たちには「戦後に有利な状況にもっていく」という意識があるんだろうか。「勝つまで戦う」でやっているように見えてしまう。
その点、数々の戦争を経て多くの植民地を手にしたイギリスは非常にしたたかだ。
「戦いに勝つこと」ではなく「どうすれば自国に有利になるか」で動いている。
少し前に読んだ、保阪 正康『なぜ日本人は間違えたのか』にも似たようなことが書いてあった。日本は日中戦争で、自国よりもずっと広くてずっと人口の多い中国をまるまる占領しようとして失敗した。その点イギリスはアヘン戦争後も中国全土の統治などは考えず、上海に租界を置いて「点」で支配しようとした、と。
最近でも、イランがホルムズ海峡を封鎖したことでタンカーなどが通行できなくなり、世界中に大打撃を与えることになった。
べつに戦争で全面的に勝利しなくても、重要な「点」さえ押さえれば世界情勢を自国に有利に動かせるのだ。
戦争というと、善か悪か、あるいは勝つか負けるかで考えてしまうが、最も重要なのは「得か損か」だよね。
こういうこと言うとあちこちから非難されそうだけど。
新聞を13紙も購読して読み比べしているという芸人・プチ鹿島さんによる政治コラム集。
タイトルには「2025」とあるが、コラムは2023~2024年に掲載されたものが中心。自民党裏金問題、安倍元総理暗殺・国葬問題、岸田首相→石破首相へのバトンタッチ、都知事選の話題など。
ほんの数年前のことだが既に「あーこんなこともあったなー」という感じだ。政局というのは目まぐるしく動くし、人々が忘れるのも早い。ぼくは政治ニュースが好きなのでわりとチェックしてるほうだとおもうのだが、それでも忘れている。
いわんや政治に興味のない人々にとっては、政治家がどれだけ悪さをしても1年もたてば記憶の隅にも残っていないのだろう。そりゃあ政治家は罪を認めて責任をとるより、のらりくらりと逃げるほうを選ぶよね。
プチ鹿島さんのお家芸といえばなんといっても「新聞読み比べ」。
同じ話題でも新聞によって書き方はぜんぜんちがう。それを「偏向報道だ! これだからオールドメディアは」と言うのは子どもの反応(逆に変更していない報道がどこにあるのか教えてほしい)。
良識ある大人は偏向報道であることを承知した上で、その違いを楽しむのだ。何紙も読むことで「なぜこの新聞はここには触れないのか」「なぜこの新聞だけがこの情報を知ることができたのか」が見えてくる。プチ鹿島さんは“書かれていないこと”を読み解くのが本当にうまい。
裏金問題等の「責任をとる」という理由で逃げるように衆院選不出馬を決めた自民党の大物・二階俊博氏について。
裏金なんか誰が見たって悪だろう。仮に裏金によって利益を得ている身だったとしても、少なくとも建前上は「裏金は許されない」というのがまともな大人だろう。
ところが北國新聞は《昭和の空気をまとう政治家には住みにくい世間になった》と「二階さんもおつらいよね。昭和の時代だったら許されることだったのに」と、裏金議員に同情してみせるのだ。すごい。
さらに「触れない方がいいことには触らない。伏せておくことは、しゃべらない。それで世の中は成り立つ。」なんて、報道機関として自殺に等しい宣言だとおもうのだが、それを堂々と書いてみせるのだ。
いやあ、地方にはまだまだすごい新聞があるんだなあ。権力とべったりであることを隠そうともしない。相当甘い汁を吸ってるんだろうな。そりゃあどれだけ不祥事をしても一部地方で自民党が勝ち続けるわけだ。
北國新聞に負けず劣らず、四国新聞もすごい。
四国新聞といえば、自民党の平井卓也議員の弟が代表取締役を務めていることもあり、ほとんど自民党の機関紙と化していることでも有名な新聞だ。
政権べったりの新聞だからこそ、権力者の本音が漏れる。
朝日新聞や毎日新聞相手なら警戒して言えないようなことも、太鼓持ち新聞相手なら気を良くしてついつい漏らしてしまうのだろう。
先ほどの北國新聞のコラムもそうだが、政権側の立場を新聞だからこそ「こんなこと書いたら批判されるだろうな」と気づかずに書いてしまうんだろうな。なぜなら己が批判精神を持っていないから。
あえて自分とはまったく異なるスタンスの新聞を読んでみると、いろいろと発見がありそうだ(ぼくはそこまでしようとはおもわないので、お金と時間を使ってやっているプチ鹿島さんには頭が下がる)。
2024年に最も話題を集めた政治家が斎藤元彦・兵庫県知事。
パワハラ、内部告発つぶし、阪神・オリックス優勝パレードをめぐる背任など様々な問題で不信任決議を受けた斎藤知事が出直し選挙に出馬。圧倒的不利かと思われたが、立花孝志氏らが積極的にデマをまき散らして知事を擁護(というより告発者や対立候補らを攻撃)。
結果的に、多くのデマに助けられたことも後押しして斎藤氏は再選を果たした。
この結果を受けて「オールドメディアの敗北」が話題になった。
一方の陣営がSNSやYouTubeで積極的にデマをまきちらしているのに、新聞やテレビは「中立報道」を理由に、あくまで候補者の主張をそのまま流すことに徹していた。
はたして、デマや真偽不確かな情報を蔓延している状況で「中立だから」といってあたりさわりのないニュース(「○○候補が駅前で主張を訴えました」みたいな報道)をすることが本当に中立なのか。デマを流す側が利する結果になっていないだろうか。
国民のほとんどが新聞やテレビなどのマスメディアから情報を得ていた時代であれば、「選挙期間中は批判をしない」が公平だったかもしれない。でもお行儀の悪い人たちが誤情報をまき散らしている時代に、マスメディアだけが「私たちは何も言わずにおきましょう」とやっていていいのだろうか。
古いメディアには古いメディアの良さがある。だけど時代が変わっても旧来のやり方をずっと守ることが正解ではないだろう、とおもうんだけどね。
選挙期間中だからって急に黙りこむ、ってのはもうやめてもいいんじゃない? 選挙期間でも悪いことは悪いこととして報じる必要があるでしょ。それこそが本当の中立・公平じゃないの?
著者はジェーン・スーという名前だけど生粋の日本人だそうだ。
幾人もの男と付き合ったけどとうとう独身のまま40代を迎えてしまった女性による「プロポーズされない101の理由」。
ぼくは既婚男性なので「プロポーズされない女性」とは真逆の属性なのだが、だからこそ楽しく読めた。自分とはまったく関係ない人に向けて書かれた本は素直に読める。
もしもぼくが結婚したかったという後悔を抱えている結婚適齢期を過ぎた女性だったら、突き刺さりすぎてまともに読めなかったかもしれない。
婚活を描いた小説・辻村深月『傲慢と善良』に「お見合いがうまくいかない人はみんな、自分に釣り合う相手じゃなければ納得しないし、その基準が控えめだと言いつつ、実は相当高い」という台詞が出てきた。
それなりに異性と交際してきたにもかかわらず(そして結婚願望があったのに)結婚できなかった人は、みんな突き詰めれば「求めるものが高い」に集約されるのだろう。
前にも書いたけど、ぼくの友人に稼ぎが良くて見た目もわりと良くて性格も穏やかで家事もきちんとやる男(既婚者)がいる。いわゆる“理想的な夫”だ。
だが彼は最初から理想的な夫だったわけではない。二十代の頃は仕事を転々としていて稼ぎも良くなく、生活も荒れていた。その頃から付き合っていた女性と結婚して、徐々に“理想的な夫”になっていったのだ。
最初から“理想的な夫”を探そうとしてもそんな男はまずいない。いたとして、とっくに結婚している。
残酷な話として、恋愛市場、婚活市場において女性は若ければ若いほど価値が高い。一方男性のほうは必ずしもそうではなくて、年齢が上がるほど収入は増える傾向があるし、角がとれて人あたりがよくなる人が多い(というより男は二十歳を過ぎてもまだまだガキすぎるんだよね)。もちろん悪化する人もいるけど。
「いい男がいない」のは当然で、探さないといけないのは「いい男になりうる男」なのだ。
プロポーズされない理由のひとつとして挙げられている『雑誌に書いてある「彼をその気にさせるアプローチ」を鵜呑みにした』。
これは男女関係にかぎらず、あらゆる人間関係に対して同じことが言えるね。友人でも、親子でも、上司と部下でも。
「相手のためをおもって」アドバイスをするとき、人はどうしても相手に変わることを求めてしまう。そして変わってくれなければ相手に腹が立つ。
「子どもの将来のことをおもって勉強するように言う」と、勉強しない子に対して腹が立つ。そうではなく「子どもが勉強をして難関校に入ってくれたら自慢できてうれしい」と正しく自分の感情を見つめることができれば、助言が聞き入れられなくてもさほど腹も立たない。宝くじがはずれたのと似たようなものだ。
「相手のためをおもって」という思考を捨てて「自分にとって好都合だから」と正しく認識することが心の平穏を保つ秘訣だね。
相反するものをひとりの人間に求めてしまう、ということについて。
そうそう。「常に女性の意志を尊重してくれる優しい男」は、「俺についてこい!」的なプロポーズはしない。女のほうから結婚しようと言いだしたら「じゃあ結婚しようか」と言ってくれるだろうけど。
都合のいいときだけマッチョさを求めてもそれは虫が良すぎるというものだ。
ほんと、男から見たら女に対して「そりゃそうですよ」と言いたくなることは多い。
社交的でマメで行動的な男と付き合った女が浮気されたら「そりゃそういう男は浮気する確率が高いよ。浮気されたくないなら気が利かなくて行動的でなくてモテない男を選ばなきゃ」とおもう。
もっとも男は男で、「積極性と奥ゆかしさ」とか「清純さとエロさ」のように決して相いれないものを女に対して求めてしまうのだけれど。
プロポーズされない理由をあれこれ書いていてそのどれもがもっともなんだけど、じゃあ「交際相手はいるのにプロポーズされなくて困っている」女性がこの本を読んだからと結婚できるようになるかというと……むずかしいだろうね。
理由はいろいろあるけど、いちばん大きいのは「著者自身がどうしても結婚した方がいいとおもっているわけではない」ということ。この本の随所からそれが感じられる。
プロポーズされなかったけど、そんな自分を否定したいわけじゃないし、むしろ肯定してあげたいし、ということはこれからも改める気はないし、かんたんに改められる人間ならもっと若い頃に改めてるし、そもそも本当に結婚したいのか自分でもよくわからないし……という気持ちが節々から伝わってくる。プロポーズされない自分をむしろ誇りにおもっているんじゃないだろうか。
著者自身が「世界一役に立たない結婚指南書」と書いているとおり、この本を読んだら結婚できるどころかむしろ結婚から遠ざかるんじゃないだろうか。
そもそも「結婚」じゃなくて「プロポーズされる」をゴールに置いている時点で根底から間違ってるしね。「転職成功」じゃなくて「スカウトされる」を目標にしてるようなものだもん。
「私たちは間違っていたけど、それも含めてトータルでは間違っていなかった」というメッセージ。自虐に見せかけた慰めの本だね。