2050年1月1日土曜日

犬犬工作所について

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2026年9月25日金曜日

【読書感想文】奥山 真司『世界最強の地政学』 / 戦争は勝ち負けじゃない

世界最強の地政学

奥山 真司

内容(e-honより)
地政学とは「国家戦略を考える上でベースとなる知の集積」です。そしてその前提には「人間は集団をつくり、互いに争う」という認識があります。だから地政学が注目される時代は、不幸な時代とも言えます―。地政学研究の旗手が明快に解説、不安な時代を生きるための基礎教養。

 地政学とは体系化された「学問」ではなく、国家戦略や国際関係を読み解くための「視点」である……という謙虚な説明から入るところが好感が持てる。

「これさえ知ればすべてがよくわかる!」みたいな大風呂敷を広げる本はろくなもんじゃないからね。知識のある人ほど謙虚になる。



 国際問題を考えるうえで、「自国がどうしたいか」「どうすれば自国にとって得か」だけ考えていてもしかたがない。「相手はどうしたいのか」「どうすれば相手にとって得になるか」を考えないといけない。人間関係と同じだね。

 そして、都会で生まれ育った人と田舎で生まれ育った人がちがう価値観を持つように、地理的な環境によって国家の重視するものも変わってくる……というのが地政学の考え方だ。

 特に重要なのが、ランドパワー(陸上権力)とシーパワー(海上権力)のちがい。ロシアや中国に代表されるランドパワー国家は、多くの国と陸上で接しているため、いつ攻め込まれるかもしれないという恐怖を常に抱えている。

 中国の万里の長城なんて、まさにランドパワー国家の不安を体現したものだ。このへんの感覚は、島国・日本人からするとちょっと想像しにくい。たしかに仲の悪い国と陸で接していたら「明日攻め込まれるかもしれない」という気持ちになるかもしれない。

 だからランドパワーの国は、シーパワーの国よりも「周辺国を軍事力で押さえつけたい」という気持ちが強くなる。

 だが……。

 これをさらに俯瞰的にみると、「ランドパワーのジレンマ」というべきものが浮かび上がってきます。
 つまり、怖い近隣勢力を遠ざけたい。→そのためには、自国の領土を拡大するか、周辺諸国を絶対に敵対しない、強い影響下に置くのが望ましい。そこまではいいのですが、そうしたロシアの行動は、近隣諸国にとっては脅威であり、侵略でしかありません。すると、ロシアが「恐怖」を払拭し、自国の安全を高めようと思えば思うほど、近隣諸国との緊張は増し、かえって紛争の可能性を高めてしまうのです。これは中国や過去のドイツにもあてはまるランドパワーの大国が抱えるパラドックスといえるでしょう。

 周辺国を軍事力で押さえつけたい。けれど押さえつけようとすればするほど当然周辺国は反発する。かえって仲が悪くなる。そこで余計に軍事力を強化し、そうするとさらに緊張が高まり……という悪循環だ。

 ロシアのウクライナ侵攻を見ていると、まさに「ランドパワーのジレンマ」に陥っているように感じる。傍から見ていると、ウクライナを侵略することでロシアは損しかしていないように見える。攻め込まれたウクライナはNATOと接近し、ロシアとNATOの関係は悪化している。

 損しかしないように見えても、ロシアからすれば「追い詰められたからこうするしかなかった」という被害者意識なのかもしれない。



 戦争というとついつい「どっちが悪いか」というジャッジをしてしまいがちだが、著者はあくまでリアリスティックに「どうするのが得か」という視点で戦争を見ている。

 そのうえで、戦争で重要なのは「勝つこと」ではなく「どのような戦後秩序を築くか」だと語る。

 なるほどね。戦争が終わっても国際関係は続く。敵国の国民だって全滅させることはできないだろう。戦いに完勝したとしても、生き残った人たちからの復讐におびえ、他国からも非難されるようなことになれば、それは負けだろう。

 こういう視点は今の日本にはあまりないものだよね。「戦争はいけないことだから反対!」と言う人たちも、「他国が侵略してきたら戦うしかない!」と言う人たちも、どっちも「どういう戦後秩序を築くか」という視点が欠けている。勝ちか負けかのどちらかしかないとおもっている。

 ウクライナ戦争にしても、パレスチナ・イスラエル戦争にしても、当事者たちには「戦後に有利な状況にもっていく」という意識があるんだろうか。「勝つまで戦う」でやっているように見えてしまう。



 その点、数々の戦争を経て多くの植民地を手にしたイギリスは非常にしたたかだ。

「戦いに勝つこと」ではなく「どうすれば自国に有利になるか」で動いている。

 島国であるイギリスは、本国の領土がそれほど大きくはなく、人口も世界各地を占領支配しつづけられる規模ではありません。そこで彼らが編み出したのは、世界中で自分たちの拠点となる港湾(点)を押さえ、それを結ぶ航路(線)を支配する「ネットワーク型の支配」だったのです。
 イギリスが置いた主な海外拠点としては、カナダ、オーストラリア、インド、南アフリカなどの英連邦諸国をはじめとして、地中海方面では、大西洋との境目にあたるジブラルタル、中央に位置するマルタ島、東地中海のキプロス島が挙げられます。中東では、エジプトのカイロ、アレクサンドリア、そしてスエズ運河を押さえ、極東ではシンガポールが重要な拠点でした。
 現在でも、造船所が置かれているジブラルタル、ペルシャ湾、紅海、インド洋における中継地であるバーレーン、ペルシャ湾のすぐ外側に位置するオマーン、インド太平洋地域で艦艇の修理と補給も行うシンガポールに、英海軍の基地があります。

 少し前に読んだ、保阪 正康『なぜ日本人は間違えたのか』にも似たようなことが書いてあった。日本は日中戦争で、自国よりもずっと広くてずっと人口の多い中国をまるまる占領しようとして失敗した。その点イギリスはアヘン戦争後も中国全土の統治などは考えず、上海に租界を置いて「点」で支配しようとした、と。

 最近でも、イランがホルムズ海峡を封鎖したことでタンカーなどが通行できなくなり、世界中に大打撃を与えることになった。

 べつに戦争で全面的に勝利しなくても、重要な「点」さえ押さえれば世界情勢を自国に有利に動かせるのだ。



 戦争というと、善か悪か、あるいは勝つか負けるかで考えてしまうが、最も重要なのは「得か損か」だよね。

 こういうこと言うとあちこちから非難されそうだけど。


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2026年9月23日水曜日

【読書感想文】プチ鹿島『お笑い公文書2025 裏ガネ地獄変』 / 権力べったりの新聞にも価値がある

お笑い公文書2025 裏ガネ地獄変

プチ鹿島政治コラム集 2

プチ鹿島

内容(e-honより)
時事芸人が放つ公益通報コラム。裏金事件、石破「だらし内閣」、103万円の壁…を深く読み解く。

 新聞を13紙も購読して読み比べしているという芸人・プチ鹿島さんによる政治コラム集。

 タイトルには「2025」とあるが、コラムは2023~2024年に掲載されたものが中心。自民党裏金問題、安倍元総理暗殺・国葬問題、岸田首相→石破首相へのバトンタッチ、都知事選の話題など。


 ほんの数年前のことだが既に「あーこんなこともあったなー」という感じだ。政局というのは目まぐるしく動くし、人々が忘れるのも早い。ぼくは政治ニュースが好きなのでわりとチェックしてるほうだとおもうのだが、それでも忘れている。

 いわんや政治に興味のない人々にとっては、政治家がどれだけ悪さをしても1年もたてば記憶の隅にも残っていないのだろう。そりゃあ政治家は罪を認めて責任をとるより、のらりくらりと逃げるほうを選ぶよね。



 プチ鹿島さんのお家芸といえばなんといっても「新聞読み比べ」。

 同じ話題でも新聞によって書き方はぜんぜんちがう。それを「偏向報道だ! これだからオールドメディアは」と言うのは子どもの反応(逆に変更していない報道がどこにあるのか教えてほしい)。

 良識ある大人は偏向報道であることを承知した上で、その違いを楽しむのだ。何紙も読むことで「なぜこの新聞はここには触れないのか」「なぜこの新聞だけがこの情報を知ることができたのか」が見えてくる。プチ鹿島さんは“書かれていないこと”を読み解くのが本当にうまい。

 裏金問題等の「責任をとる」という理由で逃げるように衆院選不出馬を決めた自民党の大物・二階俊博氏について。

 内輪の論理。結局、裏金についての説明はないまま終わらそうとしている。有権者にとって「ベストなタイミング」だの「政治的技術」だのは心底どうでもい。
 新聞の論調もおおむねそう。
『二階氏の不出馬責任逃れは許されない』(京都新聞3月27日・社説)
『二階氏の不出馬表明処分逃れ、裏金解明遠のく』(河北新報3月25日・社説)
『二階氏の不出馬表明責任逃れの幕引き許されぬ』(中国新聞3月26日社説)
 ただ、新聞にもいろいろある。北國新聞の「時鐘」(一面コラム、3月29日)は『義理と人情』というタイトルで二階氏について、
《義理人情の人を続けるのは楽ではないだろう。何かとお金もかかる、と想像する》
《義理人情に厚い親分としては政治責任を取ると言わざるを得ない場面である》
 
 (中略)
 
 そして、
《昭和の空気をまとう政治家には住みにくい世間になった》
 とも書いていた。政治とカネの説明責任より義理人情がお好きなよう。そういえばこのコラムは昨秋の馳浩知事の五輪機密費発言の際に、
 《「機密」を口にしたら身も蓋もない。触れない方がいいことには触らない。伏せておくことは、しゃべらない。それで世の中は成り立つ。》(2023年11月22日)
 と、およそ言論機関とは思えないことを書いていたっけ。自分も権力側という視点だった。森喜朗先生と仲の良い新聞だけある。二階先生、次回は北國新聞がある石川県から出馬したらどうですか。

 裏金なんか誰が見たって悪だろう。仮に裏金によって利益を得ている身だったとしても、少なくとも建前上は「裏金は許されない」というのがまともな大人だろう。

 ところが北國新聞は《昭和の空気をまとう政治家には住みにくい世間になった》と「二階さんもおつらいよね。昭和の時代だったら許されることだったのに」と、裏金議員に同情してみせるのだ。すごい。

 さらに「触れない方がいいことには触らない。伏せておくことは、しゃべらない。それで世の中は成り立つ。」なんて、報道機関として自殺に等しい宣言だとおもうのだが、それを堂々と書いてみせるのだ。

 いやあ、地方にはまだまだすごい新聞があるんだなあ。権力とべったりであることを隠そうともしない。相当甘い汁を吸ってるんだろうな。そりゃあどれだけ不祥事をしても一部地方で自民党が勝ち続けるわけだ。



 北國新聞に負けず劣らず、四国新聞もすごい。

 四国新聞といえば、自民党の平井卓也議員の弟が代表取締役を務めていることもあり、ほとんど自民党の機関紙と化していることでも有名な新聞だ。

 裏金問題から党の「刷新」イメージができる候補を求める動きがあると書かれている。中には露骨なこんなコラムもあった。
『「次」は女性か若い人』(四国新聞7月14日)
〝政治ジャーナリスト〟田崎史郎氏が、麻生太郎氏が周辺に漏らしているという言葉を紹介している。
《麻生氏が念頭に置く「女性」と「若い人」の正体
「次は女性か、若い人じゃないか。若い人は50歳以下だ」》
 麻生氏の念頭にあるのは上川陽子、小泉進次郎、小林鷹之とみられていると田崎氏は書く。
 個人の資質より「女性」や「若い人」が先にきているのはいかにも選挙利用に見えるし、そういう麻生氏の言葉を嬉々として伝える田崎氏もどうなのかと思う。
※ちなみに田崎氏のコラムを載せている四国新聞は自民党・平井卓也議員の一族が経営している新聞。これだから四国新聞は逆に見逃せない。

 政権べったりの新聞だからこそ、権力者の本音が漏れる。

 朝日新聞や毎日新聞相手なら警戒して言えないようなことも、太鼓持ち新聞相手なら気を良くしてついつい漏らしてしまうのだろう。

 先ほどの北國新聞のコラムもそうだが、政権側の立場を新聞だからこそ「こんなこと書いたら批判されるだろうな」と気づかずに書いてしまうんだろうな。なぜなら己が批判精神を持っていないから。


 あえて自分とはまったく異なるスタンスの新聞を読んでみると、いろいろと発見がありそうだ(ぼくはそこまでしようとはおもわないので、お金と時間を使ってやっているプチ鹿島さんには頭が下がる)。



 2024年に最も話題を集めた政治家が斎藤元彦・兵庫県知事。

 パワハラ、内部告発つぶし、阪神・オリックス優勝パレードをめぐる背任など様々な問題で不信任決議を受けた斎藤知事が出直し選挙に出馬。圧倒的不利かと思われたが、立花孝志氏らが積極的にデマをまき散らして知事を擁護(というより告発者や対立候補らを攻撃)。

 結果的に、多くのデマに助けられたことも後押しして斎藤氏は再選を果たした。

 この結果を受けて「オールドメディアの敗北」が話題になった。

 斎藤氏を支持した人たちからすればテレビや新聞はさんざん斎藤氏側にネガティブな報道をしていたが、「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首をはじめとするSNSやネット情報のおかげで「真実」を知ることができた。だから「オールドメディアの敗北」なのだろう。
 一方で斎藤氏の一連の疑惑を注視していた人たちからすれば、選挙期間に新聞やテレビが中立・公平を自称しているときにSNSで真偽不明の言説が自由に飛び交った。その状態に「既存メディアはこれでいいのか」と疑問に思った人も多いだろう。つまりどの立場からもメディアは疑問を持たれていたのだ。
 しかもメディアは選挙の翌日から饒舌になった。読売と朝日の社説を並べてみよう。
『兵庫県知事選真偽不明の情報が拡散した』(読売新聞11月1日)
『選挙と立花氏言動を看過できない』(朝日新聞11月23日)
 それならもっと早く言ってよ! と思ったのは私だけだろうか。毎日新聞も社説で、《見逃せないのは、今回の知事選で多数の偽情報が出回ったことだ。発信力の強い「インフルエンサー」らが「パワハラ疑惑はでっち上げ」など事実でない情報を拡散した。接戦となった他候補の評判を落とす偽情報も流布された。》(1月1日)。
 せめて偽情報が出回っていることを報道することはできないのだろうか? そうした意味で私もオールドメディアにはかなり不満だったのである。
 しかし「オールド」には伝統や歴史も感じる。取材をして裏付けをとる訓練を長年している組織はまだ利用できる価値があるはずだ。ネットに対して腰が引けてる場合なのだろうか。功罪含めて「オールドメディア」は今を考える重要な言葉なのだと思う。

  一方の陣営がSNSやYouTubeで積極的にデマをまきちらしているのに、新聞やテレビは「中立報道」を理由に、あくまで候補者の主張をそのまま流すことに徹していた。

 はたして、デマや真偽不確かな情報を蔓延している状況で「中立だから」といってあたりさわりのないニュース(「○○候補が駅前で主張を訴えました」みたいな報道)をすることが本当に中立なのか。デマを流す側が利する結果になっていないだろうか。


 国民のほとんどが新聞やテレビなどのマスメディアから情報を得ていた時代であれば、「選挙期間中は批判をしない」が公平だったかもしれない。でもお行儀の悪い人たちが誤情報をまき散らしている時代に、マスメディアだけが「私たちは何も言わずにおきましょう」とやっていていいのだろうか。

 古いメディアには古いメディアの良さがある。だけど時代が変わっても旧来のやり方をずっと守ることが正解ではないだろう、とおもうんだけどね。

 選挙期間中だからって急に黙りこむ、ってのはもうやめてもいいんじゃない? 選挙期間でも悪いことは悪いこととして報じる必要があるでしょ。それこそが本当の中立・公平じゃないの?


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2026年9月14日月曜日

【読書感想文】ジェーン・スー『私たちがプロポーズされないのには、 101の理由があってだな』 / 結婚から遠ざかるための本

私たちがプロポーズされないのには、
101の理由があってだな

ジェーン・スー

内容(e-honより)
独身は麻薬(シングルイズドラッグ)!? 結婚したい女性が知らず知らずのうちにやってしまう「プロポーズされない理由」を、独身チキンレース爆走中の“未婚のプロ”ジェーン・スーが徹底解説。女性はもちろん、複雑な女心を知りたい男性も必読の人間洞察エンターテイメント!

 著者はジェーン・スーという名前だけど生粋の日本人だそうだ。


 幾人もの男と付き合ったけどとうとう独身のまま40代を迎えてしまった女性による「プロポーズされない101の理由」。

 ぼくは既婚男性なので「プロポーズされない女性」とは真逆の属性なのだが、だからこそ楽しく読めた。自分とはまったく関係ない人に向けて書かれた本は素直に読める。

 もしもぼくが結婚したかったという後悔を抱えている結婚適齢期を過ぎた女性だったら、突き刺さりすぎてまともに読めなかったかもしれない。



 婚活を描いた小説・辻村深月『傲慢と善良』に「お見合いがうまくいかない人はみんな、自分に釣り合う相手じゃなければ納得しないし、その基準が控えめだと言いつつ、実は相当高い」という台詞が出てきた。

 それなりに異性と交際してきたにもかかわらず(そして結婚願望があったのに)結婚できなかった人は、みんな突き詰めれば「求めるものが高い」に集約されるのだろう。

 当時の私たちは、20代で早々に結婚を決めた女を見ては「あの男が旦那じゃ頼りないねぇ〜」となにさま目線で語っていました。しかし振り返れば、彼女たちは現状の彼が完璧じゃないこともわかっていたし、それでもある程度は充足していたのでしょう。不足だらけの自分たちを当然のこととして受け止め、それでも一生一緒にいようと誓いを立てたのです。あのとき結婚を決めた女たちは脇が甘いのではなく、私たち未婚のプロのように「のしを付けてすぐ納品できるような状態の男にならないと、結婚できない!」などという不遜な意識がなかったのですね。

 前にも書いたけど、ぼくの友人に稼ぎが良くて見た目もわりと良くて性格も穏やかで家事もきちんとやる男(既婚者)がいる。いわゆる“理想的な夫”だ。

 だが彼は最初から理想的な夫だったわけではない。二十代の頃は仕事を転々としていて稼ぎも良くなく、生活も荒れていた。その頃から付き合っていた女性と結婚して、徐々に“理想的な夫”になっていったのだ。

 最初から“理想的な夫”を探そうとしてもそんな男はまずいない。いたとして、とっくに結婚している。


 残酷な話として、恋愛市場、婚活市場において女性は若ければ若いほど価値が高い。一方男性のほうは必ずしもそうではなくて、年齢が上がるほど収入は増える傾向があるし、角がとれて人あたりがよくなる人が多い(というより男は二十歳を過ぎてもまだまだガキすぎるんだよね)。もちろん悪化する人もいるけど。

「いい男がいない」のは当然で、探さないといけないのは「いい男になりうる男」なのだ。



 プロポーズされない理由のひとつとして挙げられている『雑誌に書いてある「彼をその気にさせるアプローチ」を鵜呑みにした』。

「その気にさせるアプローチ」自体に罪はありませんが、それをやった女は必ず見返りを求めます。
 雑誌にはご丁寧に「私はこれで成功しました!」という体験談までついていますから、効果がなければがっかりするのは、ごく自然。しかし、その気にさせるアプローチが失敗したら「アプローチ方法」をクサせばよいものを、なぜか「その気にならなかった男」に腹を立ててしまう。これは、アプローチが功を奏さないのは、自分のせいではないと思っているフシがあるからです。が、頭を冷やして考えてみれば、それは勝手すぎるということがわかっていただけると思います。

 これは男女関係にかぎらず、あらゆる人間関係に対して同じことが言えるね。友人でも、親子でも、上司と部下でも。

「相手のためをおもって」アドバイスをするとき、人はどうしても相手に変わることを求めてしまう。そして変わってくれなければ相手に腹が立つ。

「子どもの将来のことをおもって勉強するように言う」と、勉強しない子に対して腹が立つ。そうではなく「子どもが勉強をして難関校に入ってくれたら自慢できてうれしい」と正しく自分の感情を見つめることができれば、助言が聞き入れられなくてもさほど腹も立たない。宝くじがはずれたのと似たようなものだ。

「相手のためをおもって」という思考を捨てて「自分にとって好都合だから」と正しく認識することが心の平穏を保つ秘訣だね。



 相反するものをひとりの人間に求めてしまう、ということについて。

「幸せにするから、俺についてこい!」とプロポーズされたいなら、精神的にマッチョな男と付き合った方が早い。
 
 こちらに都合のいいときだけ、男らしくなってほしいと思っても、なかなかそうはいきません。私たち未婚のプロは、今ではそれを諦めました。普段こっちが仕切りまくったうえで、「プロポーズぐらい、ビシッと決めやがれ!」と昔の私たちは思っていました。が、そんなドラマみたいな展開、あるわけがなかった。だって、その手のプロポーズをする男は、常時なにを決めるのも男主導。それが嫌で、私たちはそうではないタイプとばかり、付き合ってきたんですから。

 そうそう。「常に女性の意志を尊重してくれる優しい男」は、「俺についてこい!」的なプロポーズはしない。女のほうから結婚しようと言いだしたら「じゃあ結婚しようか」と言ってくれるだろうけど。

 都合のいいときだけマッチョさを求めてもそれは虫が良すぎるというものだ。


 ほんと、男から見たら女に対して「そりゃそうですよ」と言いたくなることは多い。

 社交的でマメで行動的な男と付き合った女が浮気されたら「そりゃそういう男は浮気する確率が高いよ。浮気されたくないなら気が利かなくて行動的でなくてモテない男を選ばなきゃ」とおもう。

 もっとも男は男で、「積極性と奥ゆかしさ」とか「清純さとエロさ」のように決して相いれないものを女に対して求めてしまうのだけれど。



 プロポーズされない理由をあれこれ書いていてそのどれもがもっともなんだけど、じゃあ「交際相手はいるのにプロポーズされなくて困っている」女性がこの本を読んだからと結婚できるようになるかというと……むずかしいだろうね。

 理由はいろいろあるけど、いちばん大きいのは「著者自身がどうしても結婚した方がいいとおもっているわけではない」ということ。この本の随所からそれが感じられる。

 プロポーズされなかったけど、そんな自分を否定したいわけじゃないし、むしろ肯定してあげたいし、ということはこれからも改める気はないし、かんたんに改められる人間ならもっと若い頃に改めてるし、そもそも本当に結婚したいのか自分でもよくわからないし……という気持ちが節々から伝わってくる。プロポーズされない自分をむしろ誇りにおもっているんじゃないだろうか。

 著者自身が「世界一役に立たない結婚指南書」と書いているとおり、この本を読んだら結婚できるどころかむしろ結婚から遠ざかるんじゃないだろうか。

 そもそも「結婚」じゃなくて「プロポーズされる」をゴールに置いている時点で根底から間違ってるしね。「転職成功」じゃなくて「スカウトされる」を目標にしてるようなものだもん。


「私たちは間違っていたけど、それも含めてトータルでは間違っていなかった」というメッセージ。自虐に見せかけた慰めの本だね。


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【読書感想文】辻村 深月『傲慢と善良』 / 婚活は「自分と釣り合うか」

値打ちこく



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2026年9月9日水曜日

【読書感想文】保阪 正康『なぜ日本人は間違えたのか 真説・昭和100年と戦後80年』 / 戦争反対の人こそ戦争を知るべき

なぜ日本人は間違えたのか

真説・昭和100年と戦後80年

保阪 正康

内容(e-honより)
国家を滅亡の淵まで追い込んだ「あの戦争」から八〇年、同時代史として語られてきた昭和史は、これから歴史の中へと移行する。二・二六事件、東京裁判、高度成長、田中角栄、昭和天皇…時代を大きく変えた八つの事象を、当事者たちの思惑や感情を排して見つめ直す時、これまでの通説・定説とはおよそ異なる歴史の真相が浮かび上がる。いったい、日本人はどこで何を間違えたのか―昭和史の第一人者による衝撃の論考。

 昭和史を改めて見つめなおした本。

 読んでいて感じたのは、左派による左派批判という感じ。この人自身は太平洋戦争を間違いだったと認めているし、戦争をくりかえしてはいけないと感じている。たぶん。でもそんなことは書かない。むしろそういう人を批判している。

「戦争はいけない。再びあの愚かな過ちをくりかえしてはいけない」と言うことで平和に対して貢献した気になった人を批判している。

 戦争に対する反省ってのはそういうことじゃないだろ。いつどこで誰が何をした、それに対して周囲の人間や国民はこんな反応をした、それに対して他国はこういう行動をとった、その結果こうなった。こうした歴史に対する正しい向き合い方から反省や改善は生まれるのだろう。これが著者の主張だ。


 そうだよね。左派だからこそ左派のダメなところを直してほしいんだよね。

「平和は大事! 戦争はいけない!」って教わって、そういうものなんだ平和は大事なんだな、って信じてる人って「天皇は神! おまえらは神のために死ね!」って言われて信じていた人たちと大差ない。

 でもこういうことを言うと「おまえはどっちの味方なんだ!」「極右め!」とか言われちゃうんだよね。特に政治的に熱くなっちゃってる人に「その目的を達成したいのならそっちよりこっちの道を選んだ方がいいですよ」って言うと、全部否定されたとおもって反発しがちだ。耳に痛いアドバイスをしてくれる人こそ大事にしたほうがいいのに。



 筆者の歴史研究に対するスタンスは、なるべく生の声を集めるというもの。

 二・二六事件はその典型で、私は事件について単著こそ書いていないが、多くの関係者に実際に会ったからこそわかることがある。ほとんどの学者は裁判記録がすべてというスタンスだが、法廷での証言と自分の書いたものとの内容が異なることはしばしばある。その違いは学問的に意味がないというのだが、そんな画一的な扱いでどこまで本当の歴史と人間がわかるのか、との疑念は拭えない。
 そもそも、史料を残すのは国家など何らかの力をもつ者だ。しかも昭和の戦争で国家は自分たちに都合の悪い、記述の正確な多くの史料を燃やしてしまった。逆に言えば、少ない史料で繋ぐぶんだけ、唯物史観に都合のよい歴史も書きやすい。

 裁判記録というのはオフィシャルなものなので(ほとんどの場合)間違いではないのだけれど、それだけが正解かというとかなり怪しい。

 現在ですら、政府が発表していることはかなり不正確だ。さすがにあからさまな嘘は少ないが(ときどきあるけど)、あえて書かないことは山ほどある。黒塗りだらけの開示資料を見れば明らかだ。オフィシャルな記録なんてものは一面的なものの見方でしかない。

 市民たちの生の声というのは誤りや記憶違いも多くて信頼性には欠けるけど、公的な史料からはこぼれ落ちる事実を拾ってくれることもまた事実。

 


 戦場では生者は死者であり死者は生者で、生者に聞いても生きたその人のことしかわからないというのは誤解である。本当に話を聞けば死者の言葉が必ず入ってくる。実際に面と向かい話をするから死者の声も伝わるのだが、ほとんどの学者は生者の証言と残された史料で歴史を見ようとする。そこから死者は見えてこない。学者の学問は生者の学問でしかない。だから日本の歴史学者の書くものにはある種のヒューマニティ、膨らみがないのである。記憶を父として、記録を母として、知恵という子を生む、それが歴史に学ぶということであるはずだ。だからこそ私は聞き書きを重ねてきた。

 戦場で生死を分けるのは、人徳でも努力でもない。運だけだ。運が悪かったやつは死に、運が良かったやつは助かる。彼我の間に運以外の差はなく、だからこそ生還した者は死者の言葉を代わりに語る。


 これを読んでぼくは、中島 岳志 『100分 de 名著 オルテガ 大衆の反逆』を思いだした。中島岳志氏はこう書いている。

 つまり、過去の人たちが積み上げてきた経験知に対する敬意や情熱。かつての民主主義は、そういうものを大事にしていたというわけです。  ところが、平均人である大衆は、そうした経験知を簡単に破壊してしまう。過去の人たちが未来に向けて「こういうことをしてはいけませんよ」と諫めてきたものを、「多数派に支持されたから正しいのだ」とあっさり乗り越えようとしてしまうというのです。
 過去を無視して、いま生きている人間だけで正しさを決定できるという思い上がった態度のもとで、政治的な秩序は多数派の欲望に振り回され続ける。この「行き過ぎた民主主義」こそが現代社会の特質になっているのではないかと、オルテガは指摘しているのです。

「死者の声」に耳を傾ける必要がある、現代人の考えだけで正しさを決定することなどできない、という考え方だ。保阪正康の主張ともよく似ている。

 このように、ぜんぜん別のテーマを扱った別の著者の本を読んでいても、驚くほどよく似た主張をしていることにぶつかることだ。読書の悦びのひとつだ。


 死者の声に耳を貸す。現代では忘れられがちだが、重要な考え方だとおもう。歴史を見ればわかるように、人間はずっと間違いつづけてきた。今の政治も正しくないし、これから先も間違える。我々は必ず間違える。独裁制だろうが共和制だろうが間違える。

 と考えれば「選挙で勝利したから民意を得た。我々が正しいと考える政策を進めていい」なんて愚かな考えには至らないはずだ。我々は間違える、という謙虚な考えを持つことが特にトップにとっては大事な資質だ。残念ながら人々はその逆の「私失敗しませんから」と考えるバカをリーダーに選んでしまうものなんだけど。

 歴史は権力者や歴史学者が作るものではない。死者の声の中にこそ歴史があるはずだ。



 日中戦争の話になると、すぐに日本軍の行動の是非の話になってしまう。

 筆者は、そうした善悪思想から離れた分析をやるべきだという立場をとる。このリアルな姿勢、嫌いじゃないぜ。

「あの戦略はどこが間違いだったか」と考えることはべつに反戦思想と矛盾しない。なのに戦略の分析をしたら「そうやって戦争の研究をしてまた戦争を始める気なのか!」と言いがかりをつけてくる人がいることは容易に想像できる。

 そうやって戦争について本当にじっくり考えることを避けてきたことこそが、著者の語る「日本人は間違えた」ポイントなのだ。

 日中戦争が真の侵略戦争だったかどうか、いまだに論争がある。だが私は思想的立場によって変わる歴史には関心がないし、論じたい人たちに任せておけばいいことだ。侵略と非難するのは中国から見た見方であって、日本から見れば自国の軍事指導者がいかにお粗末だったか、逆に言えば、なぜ侵略と一方的に誇られるほど幼稚な戦いを続けたか、それ自体を徹底的に解剖することが重要だ。
 侵略云々の論争に熱中したところで、歴史から何も学ぶことはできないだろう。侵略と呼ぶべき非は認めるとしても、それだけが日中戦争の全てではない。同時代史は日本の侵略戦争だと自虐的に教えるが、毛沢東や蒋介石の政略と戦略を知れば、一方的な侵略戦争といえるほど単純ではない。中国の巧妙な罠に嵌まったという見方もできるのだ。あの戦争が同時代史から歴史の中に入る時、それを再度考える必要がある。

 日中戦争において、中国は内陸へ退却した。日本軍はそれを追いかけてどんどん内陸に進軍していった。そこに戦略はなく、ただ逃げる敵を追いかけたに過ぎない。

 そもそも日本よりはるかに広くて人口もずっと多い国を制圧できるはずないなんて、誰でもわかることなのに。イギリスがアヘン戦争の後に要所の上海に租界を置いて効率的に統治したのとは対照的だ。


 つまり日本軍は何も考えてなかったわけだ。ただ追いかけた。その結果、食料や物資が枯渇し、民間人から掠奪することになった。非軍人からの抵抗を受け、虐殺をした。国際的な非難を受けた。日本軍にとって、すべてが悪い方に転がった。

 著者は「中国の巧妙な罠に嵌まった」と書く。はたして中国がそこまで見通して退却をしたのかはわからないが、日本軍の戦い方がまずかったのは間違いない。

 これを「日本軍は虐殺という悪いことをした」と教えるだけでは真の反省にならない。当時の軍人だって「民間人から虐殺、掠奪しよう!」と思って進軍していったわけではない。彼らには彼らの事情があった。その理由を検討しなければ、また同じ状況になれば同じことをくりかえすことになる。


「侵略戦争だった。侵略戦争はいけないこと!」というイデオロギーからはこういう考察は生まれない。

 反省は必要だが、それと冷静な分析は切り分けて考えなければならない。戦争に反対する者こそ戦争について知る必要がある。目を背ける人が多いけど。



 戦争の文脈でよく語られる「反省」について。

 日本の教科書のほとんどに「私たちは反省しなければならない」ということが、無批判に書かれている。確かに八〇年近く前、東京裁判で裁かれた私たちの国はそれまでの言論弾圧をはじめ人命を軽視する、今では考えられないほど後進的な国家だった。東京裁判はそのことを白日の下に晒した。反省すべきは私たちではない、国家が事実を隠蔽し続けた時代を反省しなくてはならないのだ。自分が誰かを殺したなら反省すべきだが、私も含めた今を生きる日本人の大半は戦争に関わっていないのである。

 ぼくは、右も左も外国の反応を気にしすぎだと思っている。

 少なくとも国民の単位では、他国民に対して謝罪する必要なんてない(出兵した人は別にして)。かといって必要以上にはねつける必要もない。

 ずっと昔、ぼくが中国に行ったときに出会ったある中国人から「おまえら日本人は中国人からたくさんのものを奪った」と言われたことがある(言っておくがそんなことを言ってきたのは大勢出会った中国人のうちひとりだけだ)。で、ぼくは「たしかに悪いことをした日本人はいた。それに対してはぼくも胸を痛めている」的なことを言った。

 同じ日本人だからというだけの理由で過去のあやまちの責任をこっちに持ってこられても、知らんがな、である。そんなこと言ったら中国人が過去にどれだけ

 とはいえ相手を怒らせていいことなんてないので「ひどいことだよね。私も心を痛めている」ぐらいは言ってあげたらいい。つまり「ナチスにひどいことをされたユダヤ人の子孫」に対するのと同じ態度をとればいい。


 戦争に対する知識も思考もない反省なら、しないほうがマシかもしれない。

 もう終戦から81年。戦争を体験した人がいなくなる時代になった。そろそろ「脊髄反射的な反省」をやめて、リアルな分析をできる時代になっているかもしれない。


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