
読書感想文は随時追加中……
読書感想文リスト
19世紀後半、まだ人類が誰一人北極点に到達していなかった時代。気球に乗って北極点上空へ行こうと考えたスウェーデン人がいた。歩きやそりで行けないなら空から行こう、というなんとも大胆な発想だ。
サロモン・アウグスト・アンドレーら三人は気球に乗って北極に向かって出発。
30日ほどの飛行となる予定だったが、度重なるアクシデントにより出発のわずか三日後に北極海の氷上に着陸。そこから徒歩での帰還を目指した。二ヶ月半後に無人島に上陸。だがその島で三人とも命を落とした。
奇妙なのは、三人の死因がわからないという点だ。30年以上たってから三人の遺体が発見されたが、食料は十分に残されていた。衣類も、燃料も。また彼らは日誌をつけていたが、その日誌にも死の予兆となる記述はない。
はたして三人はなぜ死んだのか。酸欠、食中毒、壊血病、病原菌、低体温症、鉛中毒、他殺、薬物など様々な原因が推測された。だが三人の遺体は死後30年以上たってから発見された上、火葬されてしまったので真相はわからない。
医師である著者はこの謎にとりつかれ、長い時間をかけて膨大な資料や証言を集めて謎の解明に挑む。手紙、解剖結果、残留物、衣類、残された骨。はたして三人の死因は……!?
という、なんともわくわくするノンフィクション。ノンフィクションでありながらミステリ。
前半は三人の足跡を追いかけるパート。これがもう、読んでいるだけで寒気がする。
当初気球は誘導索(ガイドロープ)を地面に垂らしながら進む予定だった。イカリのようなものだ。これがあることで高度が安定し、ある程度操縦もできるようになるらしい。
だが出発早々、この誘導索がはずれてしまうのだ。
出発と同時にコントロールが利かなくなってしまうのだ。文字通り、風まかせ。
さらにアクシデントは続く。悪天候による霧や霜のせいで、気球から水素ガスがどんどん漏れ出してしまうのだ。そして氷河の上に不時着。絶望的だ。
だが三人は絶望したわけではなかった。元々、氷上を歩くことになるかもしれないと想定はしており、そりや数ヶ月分の食料なども準備していた。日誌にもさほど悲観的な記述はない。
どこまでも広がる氷の上を、三人は重いそりをひきずって歩く。
だがその工程は想像よりずっと過酷なものだった。
6週間で22.5km。ということは1日中歩いているのに500mぐらいしか進まない計算。ちなみにカタツムリの進むスピードが時速50mぐらいらしいので、だいたいカタツムリと同じ速度だ。
歩いても歩いてもちっとも進まない。絶望的な行軍だ。これは精神的にもきついよな。何もかも嫌になって生きるための努力をやめてしまいそうだ。
だが、三人の行動や手記を読むかぎり、彼らは決してあきらめていたわけではなさそうだ。
標本を集めたり、スケッチをしたり、写真を撮ったり。荷物をちょっとでも軽くするために不要なものは捨てたほうがいいはずなのに、生き残るためには不必要なものを彼らは持ち続けている。
それはとにもかくにも、生きて故郷に帰る気でいたからではないだろうか。生還する気でいたからこそ、北極に達した証を少しでも多く持ってかえろうとしていたのだろう。
生きて還る気でいた三人。
無事に無人島に上陸したことで、ちっとも進まない氷上の行軍をしていたときよりもずっと暮らしやすくなったはず。寒さをしのぐ住居ができ、一冬を越せるだけの食料や燃料もある。遭難当初よりも希望は増していたのではないだろうか。
だが上陸してからわずか三日ほどで手記はとだえ、(おそらく直後に)三人とも命を落とした。手記には、死の直接的な要因となるような記述は見当たらない。
この本の後半は死因を突き止めようとするパート。ここは正直やや退屈。著者は真相に迫ろうとあれこれ奮闘するも、ちっとも真実は見えてこない。まるで6週間で22.5kmしか進めなかった行軍のよう。
著者は霊能力者にまで相談するが、当然ながら解決の役には立たない(あたりまえだ。このくだりはいらなかっただろ)。
一応結論らしきものは書かれるが「××の可能性は低い。○○だったのではないかと考えられる」というなんともあいまいなもの。
でも現実のミステリってこんなもんよね。小説のように快刀乱麻を断つような唯一解はない。まだまだ解釈の余地はありそう。
亡くなった三人も、生還できなかったことは無念だろうが、これだけ長い間多くの人に語り継がれるようになったのは冒険家として本望なのでは。
工場閉鎖の危機に瀕した工場長が、恩師である物理学者のアドバイスに従って納期短縮、生産量アップ、経費削減に取り組むというストーリー。
物語仕立てなので読みやすい……とおもう人もいるだろうが、個人的には物語部分のせいで冗長になっているように感じる。ストーリーはいいから早く結論を書いてよ、とおもってしまう。息子をハイキングに連れていったことで工場の流れを悪くしている原因に気づく、とかはいいとしても、夫婦間のストーリーは結局「仕事で忙しくしていて妻をかまっていなかった」だけなのでとりたてて小説として読むほどでもなかった。
40年以上前の本なのでテンポが遅い。映画でも音楽でもそうだけど、昔のコンテンツってテンポが遅いよね。いろんなものがテンポアップしているんだな、と感じる。ストーリー仕立てにするにしてもこの三割ぐらいの分量で良かったのでは、というのが今の時代の感想。
1984年の刊行でありながら、著者がこの本で提唱した“制約理論”は今も製造業における重要な考え方として活かされているという。
特に重要なのがボトルネックに関する考え方。生産ラインの中で全体の流れを遅くしている原因はごく一部である。そこの処理速度が全体のスピードを決定するので、「いかにボトルネックの工程をスムーズに動かすか」が重要になる。そして、ボトルネックをスムーズにするためなら、他の工程では作業ペースが落ちてもかまわない。
だいたいの職場においてこういう考え方が浸透している。
Aさんが一生懸命働いている横でBさんが暇そうにしているのはいけないことだ。自分で仕事を見つけてでも懸命に働かなくてはいけない。生産性向上のためには、常に全員がフルパワーで稼働しているのがいい状態だ……。
だが、すべての工程がフル稼働している状態は非常に非効率な状態だと著者は喝破する。
くりかえしになるが「作業員が手を休めることなく常に作業している工場は、非常に非効率」というのがこの本に書かれていることだ。
おもしろい。なぜなら一般的な常識とは異なるから。
世の中の経営者や上司は、たいてい部下がヒマそうにしていることを嫌う。もちろんやらなきゃいけないことがあってサボっているのはダメだが、ヒマなときにヒマそうにしていることも嫌う。まるで自分が損をしているような気になるのだろう。
洗濯について考えてみよう。
「洗濯機が稼働する」→「洗濯物を干す」→「洗濯物が乾くのを待つ」→「洗濯物を取り込む」→「取り込んだ洗濯物を畳んでしまう」という工程がある。
それぞれに要する時間は
・洗濯機が稼働する(120分)」
・洗濯物を干す(15分)
・洗濯物が乾くのを待つ(300分)
・洗濯物が乾いたら取り込む(10分)
・取り込んだ洗濯物を畳んでしまう(15分)
このとき、ボトルネックになるのは「洗濯物が乾くのを待つ(300分)」だ。
大家族で大量の洗濯物がある場合、「洗濯物が乾くのを待つ」に極力無駄が生じないようにしないといけない。天気がいいのに物干し台がからっぽ、という状態を生んではいけない。
逆に、そのほかの工程についてはかならず待機時間が生じる。洗濯機があいているからといって洗濯機を常に回していたら、「洗濯したのに干せない衣類」がどんどん溜まっていく。これは非効率だ。カビも生えるし。
だから洗濯機はフル稼働でなくていい。サボっているように見えても、働かなくていい。というか働いてはいけない。
どんなに急いでも300分より短い時間で洗濯のサイクルを回すことはできないのだ。
「仕事のない人間がヒマそうにしているのは許せない!」という誤った考えはたぶん学校から来ているんだろうな。学校のようにひとりひとりの能力を伸ばすのが目的であればそれでいいのかもしれないけど、チームで何かをする職場(に限らず)では必ず手持ちぶさたな人が生じる。それが正しいありかただ。
「こっちが忙しくしているのにあいつはヒマそうにしていて腹立つ!」という感情は自然なものだが、決して効率化にはつながらないんだね。
最近、子どもといっしょに漫画『あたしンち』を読んでいる。今も描いているようだが、読んでいるのは今から30年ぐらい前に讀賣新聞の日曜版に連載されていた頃の作品。
古い漫画なので、読んでいると「あーこれ今だったらヤバそうだな」とおもう話がある。
たとえばお父さんがソファに寝転んだまま「おい、爪切り」と言ってお母さんに持ってこさせる。お母さんが遅いとキレる。
たとえば高校生たちが花火を見ながら「えー酒買ってきてないのかよ」と話している。
たとえば0歳児を温泉に連れていって、赤ちゃんが脱糞したのであわてて掃除をする。
「今だったら非難されそうだな」とおもうのだが、よく考えたらフィクションなんだから登場人物たちがどんな悪いことをしようが叩く必要はない(もっとよく考えたら現実の世界の人物だったとしても無関係な他人が叩く必要はない)。
フィクションの世界の住人にまで品行方正さを求めるぼくのほうがおかしくなったのかもしれない。
最近、子どもといっしょに漫画『ドラゴンボール』を読みかえしている。気づいたのだが、天津飯は三つ目なのだが、誰もそのことに触れない。
初登場時は謎めいたキャラクターなので「あいつなかなかやるな」みたいに噂されているのだが、誰も「あの三つ目のやつ」とは言わない。最大の特徴なのに。
ヤムチャと天津飯はけっこうばちばち舌戦をくりひろげるのだが「今のうちにせいぜいえらそうにしておくんんだな」みたいなことは言うのに「この三つ目野郎め」みたいなことは言わない。
特に初期のほうのドラゴンボールって時代が時代なので、チビだのハゲだのパンティー見せてくれだの、見た目いじりやセクハラがあたりまえにおこなわれている。なのに天津飯の三つ目だけはいじられない。
さらにクリリンが「なあ天津飯さん、あんた目がいいだろ」と言うシーンがある。「目がいい」なのだ。「あんた目が三つあるからよく見えるだろ」ではない。明らかに気を遣っている。
現代アメリカで肌の色に言及するのが絶対的なタブーであるように、あの世界では目の数だけは絶対にふれてはいけないタブーなのかもしれない。
アニメ『ドラゴンボール(無印)』の主題歌といえば『摩訶不思議アドベンチャー』だ。今聴いても、イントロが流れるだけでわくわくさせてくれる名曲だ。
ところで『摩訶不思議アドベンチャー』の歌い出しは
「つかもうぜ! DRAGONBALL」だ。その後に
「さがそうぜ! DRAGONBALL」と歌われ、2番では
「手にいれろ! DRAGONBALL」
「追いかけろ! DRAGONBALL」
だ。
……順番、変じゃないか?
ふつうは、さがして追いかけてつかむことで手にいれるものだろう。
エンジェル投資家だった瀧本哲史さんが若者に向けて書いた本(のエッセンシャル版)。
かなり雑多な内容なので、個々のエピソードは読みやすくおもしろいのだが、一冊の本としてはまとまりに欠けるというか、「結局何について語った本だっけ?」という感じだ。
全体を通したメッセージとしては、今後の世の中で必要とされる人間になるためにコモディティ化するな、というもの。
コモディティとは、経済的な意味でいえば「代替可能な商品やサービス」だ。要は「替えのきかない人間になれ」で、至極あたりまえといえばあたりまえだ。
悪者にされがちな派遣業界について。
いまだに「派遣業界が悪の巣窟、派遣によって労働者の価値が低下した!」なんてことを言う人がいるけど、話が逆なんだよね。労働者の価値が低下したから派遣が多く使われるようになった。
リーマンショックのときに「派遣切り」が社会問題化したけど、派遣業がなければ正社員切りがおこなわれていただけだろう。
「うちの会社だけで使われているやりかた」だらけであれば、かんたんに派遣社員は使えない。逆に、どの会社にいってもPCはWindows、表計算はExcel、会計ソフトは弥生会計……というように同じような仕事ができるのであれば正社員を多く抱えておく必要がない。繁忙期だけ派遣社員を雇ってもいいし、正社員が辞めてもまた同じような能力を持つ人を雇える。
問題はいろんな仕事が代替可能になってきていること。
いくらでも替えがきくとおもわれている人間は安く買いたたかれる。だからコモディティ化されていない(替えのきかない)人間にならなくてはいけない……という著者の主張はもっともなんだけど、いやあ、現実にはむずかしいよねえ。
誰もがオンリーワンの能力を身につけられるわけじゃないし、そもそもどこか一点に特化した能力を持つ人はハマれば強いけど、それは適した場所が見つかった場合のみ。個性的な能力を持つ人ほど、汎用的な能力を持つ人に比べて適した場所を見つけるのがむずかしい。
そもそも雇う側としては代替可能な人間のほうが都合がいい。その人が辞めても会社がつぶれないし、経営者としては強気の給与交渉ができる。経営者の利益と労働者の利益がおもいきり衝突してしまう。
著者は、今後必要とされる能力はマーケター、イノベーター、リーダー、インベスター(投資家)としての能力だと主張する。
市場を読み、新たなものを生み出し、他人をマネジメントし、投資家的な視点を持つことが必要だと。
マーケターとしての資質の例。
なるほどね。
難関大を目指す子が家庭教師を選ぶなら、短大生よりも難関大に通っている大学生のほうが価値があるだろう。でも「学校の勉強についていけないのでせめて平均点ぐらいとれればいい」という子にとっては、短大生のほうが「親切に教えてくれそう」となるわけだ。
自分の属性や能力はそうかんたんに変えられなくても、自分を売り込む市場を変えることで大きな価値を持つことがある。
そういえば「勉強が得意な人が弁護士資格をとって弁護士になっても苦労する」と聞いたことがある。なぜなら弁護士業界では「勉強が得意」なのはあたりまえで、弁護士資格を持っていることは最低条件であって何の強みにもならないからだ。でも土俵を変えて「弁護士資格を持っている現場監督」とか「弁護士資格を持っている営業マン」とかは貴重な存在なので大きな強みになる(こともある)。
ぼくも、難関大と言われる大学を出たが、就活に失敗し、無職期間を経たりいろいろあって、今はそう大きくない会社で働いている。決してエリートコースとは呼べないが、おかげで「○○大出てるんですか! めちゃくちゃすごいですね!」と言ってもらえる。おかげで得することもある。これが有名大企業に就職していたら、ぼくの学歴ぐらいの人なんてごろごろいるわけだからアドバンテージにはならなかっただろう。
あえて得意分野とちがうところに行くことで活路を見いだせることもあるわけだ(ぼくの場合はあえてではなく紆余曲折あった末にそうなったわけだが)。
すぐに役立つお手軽なノウハウは書いていないが、ほんのちょっとだけ未来を照らしてくれるような本だった。
読んですぐではなく、10年後ぐらいに効いてくる本じゃないかな。