2050年1月1日土曜日

2018年6月17日日曜日

住みたくない町、それは京都


いくつかの町に住んできた。大阪で生まれ、兵庫で育ち、京都で学生生活を送り、愛知で働き、兵庫に戻り、結婚して大阪に住んでいる。

特にこの町が好き、というのはない。幼稚園から高校まで過ごした町は好きだが、これはいちばん長く住んで友人が多いから、という理由であって、町自体の魅力は低いように思う。思い出の中にあるから美しい町だが、今住んだら退屈きわまりない町だろう。ふるさとは遠きにありて思うものだ。

大好きな町はないが、住みたくない町はある。
京都だ。
今まで住んだ町の中でいちばん住み心地が悪かった。正確には京都市内。

盆地だから夏は暑いし、冬は寒いし、人は多いし、学生が多くてやかましいし、観光客が多くて人の流れは悪いし、バスやタクシーがひしめいているし、しょっちゅう祭りで交通が麻痺するし、ほんとに住みにくかった。
住みたくない町、ダントツのナンバーワンだ。

観光都市なのに、根っこのところではよそものを受け入れない風土もそうだ。
ぼくは京都で代々続く仏具屋の子の家庭教師をしていた。その家のお母さんが会話の中で「あの人は京都の人やないからねえ」と言うのを何度か聞いた。
嫌味っぽく言うわけではない。ごくごく自然に口をついて出る、という感じだった。ぼくらが「彼は日本人じゃないから文化や考え方も違うよね」というような調子で「あの人は京都の人じゃないから」というのだ。京都人にとって「京都の人じゃない人」はそれぐらい遠い存在なのだ。


住んでいたときは嫌いな町だったが、たまに京都に遊びに行くとおもしろい。独特の文化はあるし、見てまわるところは多いし、伝統ある食文化もあるし、新しい文化に寛容でもある(京都市内にはギャラリーやスタジオも多い)。
マニアックな古書店が並んでいたり、古い銭湯があったり、安くてうまい飲み屋が道の奥に隠れていたり、小さなエスニック料理屋や古着屋が小路に並んでいたりと、なんでもない道を歩いているだけでもぜんぜん退屈しない。なんと楽しい町なんだろう、ここに住んだら楽しいだろうなとすら思えてくる。


郷土と京都は遠きにありて思うものだ。


2018年6月16日土曜日

あえて言おう、人がごみのようだと


「見ろ! 人がごみのようだ!」

 アニメ映画『天空の城ラピュタ』に出てくるムスカ大佐の有名な台詞である。
 空から落ちていく乗組員たちを表現している。

 この言葉から受けるムスカ大佐の印象はどうだろう。「残忍」「傲慢」といったところだろうか。「本性があらわれた」と思う人も多いかもしれない。
 だが、ぼくはそうは思わない。むしろ、この台詞は「ムスカ大佐らしくない」という印象すら受ける。

 ムスカ大佐は主人公たちと対立する存在ではあるが、その立ち居振る舞いは気品にあふれている。王家の末裔であるという自覚を持ち、少女に対しては手荒な真似はせず、教養とそれに基づく自信に満ちあふれている。
 そのような人物が、「人がごみのようだ」とわざわざ口に出して言った意味とはなんだろうか。もはや助かる道の残されていない人間を貶めても何のメリットもない。そんなことは、計算高いムスカ大佐であれば百も承知だろう。むやみに人民の敵愾心を煽ることを、王家の末裔という自覚を持った人間がするとは思えない。

 彼の「人がごみのようだ」は、まちがいなく自分に言い聞かせた言葉だったのだ。
 人はあまりに残酷な場面に遭遇したとき、現実から目を背ける。今日も遠い外国で幼い子が腹をすかせて泣き叫んでいる。だがいつも彼らのことを想像をして同情していては自分の神経が持たない。だから人は目を背け、耳をふさぎ、残酷なシーンを想像の外へと追いだす。
 戦争中、爆撃をおこなうパイロットはゲームのような感覚で住居の上に爆弾を落とすという。パイロットが残酷だからではない。その逆で、住宅一戸一戸の中で生活している命のことを想像していては己の神経がもたないから、ゲーム感覚で上官の命令に従うのだ。

 ムスカ大佐も、ごみのようとでも言わなければ目の前に繰り広げらる残酷な現実に耐えきれなかったのだろう。「人がごみのようだ」発言は、彼が人間に対する深い愛情を捨てきれないことの表れだとぼくは思う。


 死んでゆく兵士たちそれぞれに人生や生活や家族があることを想像してたらやりきれない。
 そのつらさが「人がごみのようだ」には表れているように思える。


2018年6月15日金曜日

将棋をよく知らない人が書いた将棋小説


 ユミ女流七段の劣勢は誰の目にも明らかだった。王将はほとんど丸裸だったし、持ち駒も残り二枚。おまけに一対局につき二回までと定められている「待った」を序盤で使いはたしていた。

 アキヒロ六段は余裕たっぷりの笑みを浮かべ、アイスコーヒーを飲んだ。
「ふっふっふ。どうやらこの勝負、ぼくの勝ちらしいな。将棋界には『桂馬も成れば金になる』という格言があることを知らなかったようだな」
 しかしユミ女流七段は動じる様子もなかった。
「格言を勉強すべきはあなたのほうね。『囚われの香車の矢、王の甲冑をもつらぬく』という格言があるのを知らないの?」
 女流七段は千代紙で折ったお手製の駒箱の中から一枚の駒を取りだし、剛速球投手のような勢いで盤に叩きつけた。衝撃でいくつかの駒が盤上にこぼれ落ちたが、気に留める様子もなかった。

 その剣幕にひるんだアキヒロ六段だが、置かれた駒を見てすぐに苦笑した。
「ははっ、その手は二歩だ。知らないのかい? 二歩は反則負けなんだぜ」
 そういってアキヒロ六段が手にしていた扇子を広げようとした瞬間、ユミ女流七段は不敵に笑った。
「二歩が反則負け? そんなことは百も承知よ。私の手をよく見てごらんなさい」
 盤上に広がった駒たち、そこに仕組まれたユミ女流七段の意図に気づいたとき、アキヒロ六段の顔から笑みが消えた。手から扇子がこぼれ落ちた。
「これは……二歩じゃない……!?」
 扇子を落とした場合は次回の対局を香車落ちでスタートしなければならないルールだったが、そんなことはもはやどうでもよかった。
「そう、わたしの狙いははじめっからこれ。三歩よ」

 国立将棋スタジアムの動きが止まった。観客、レフェリー、はてはビールの売り子にいたるまで、誰もが茫然としていた。
 一瞬の沈黙の後、いち早く状況を把握した実況アナウンサーが叫んだ。「これは二歩じゃない、三歩、まさかの三歩だぁ!」
 その言葉を合図に地鳴りのようなどよめきが起こった。誰も見たことのない手だった。
 「いや、これは驚きましたね。ルールの盲点ですね。たしかに三歩はだめというルールはありませんが……」
 解説席に座っている元朱雀級チャンピオンの趙八段がハンカチで額の汗を拭きながら絶句した。あとはうわごとのように「いや、これは……」とくりかえすばかりだった。

 この日のために、この瞬間のために、周到に準備してきた手だった。先ほどユミ女流七段が5二に捨てた龍は、三歩をさとらせないための布石だった。勝ちを確信した瞬間は誰でも気が緩む。アキヒロ六段と格言のやりとりをしている間に、一瞬の隙をついてふたつめの歩をそっと配置したのだった。

「おい、マチムラ準二級!」
 アキヒロ六段がほとんど悲鳴に近い声で付き人を呼んだ。
「すぐにルールブックを引いて、三歩が反則に該当しないか調べろ!」
「しかしルールブックなんてここには……」
 付き人の棋士が困った様子でいった。すかさずアキヒロ六段の平手打ちが炸裂した。
「ばかやろう! ルールブックがなかったらWikipediaでもYahoo!知恵袋でもなんでもいいから調べるんだよ。知恵袋で質問するときは『大至急』のタグをつけるのを忘れるなよ!」
 すっかり平静を失ったアキヒロ六段を、ユミ女流七段は冷ややかな目で見つめた。
「無駄よ。そっちはもう手回ししてある。Yahoo!知恵袋に書いてあることはルールとして認められないし、昨日のうちにWikipediaは荒らしておいたわ。今は凍結されて編集もできない状態よ」
「くそっ。三歩が許されるのなら、こちらも同じ手を……」
 言いかけて、アキヒロ六段は何かに気づいたように口をつぐんだ。ユミ女流七段は薄笑いを浮かべた。
「どうやら気づいたようね。そう、さっきあなたが場に流した三枚の歩、あれがあればまだ逆転の目はあった。でもあなたは私の挑発に乗って、歩を盤外へと捨ててしまった。あの行動が明暗を分けたのよ」
 アキヒロ六段はまだ何か手はないかと純銀の駒箱を探っていたが、使える駒は見当たらなかった。飛車と角は山ほどあるのに、肝心の歩だけがなかった。
「時間切れよ」
 女流七段は卓上のストップウォッチを指さした。持ち時間いっぱいを知らせるピピピピピ……という音が無情に鳴りひびいた。

「時間切れだからもう一度わたしの番ね。覚悟しなさい、2九角!」
 ユミ女流七段は駒箱に残っていた最後の一枚を盤上に乗せた。駒の側面にはべったりと血がついていた。
「その血まみれの駒は……」
「そう、この駒がなかったらこの作戦は成立しなかった……」
 ユミ女流七段が二回戦で戦ったフミヤ序二段の駒だった。それを受け取ってから、ずっと胸ポケットの中に隠しもっていたのだ。
「あの死闘の結果、フミヤ序二段は命を落とした。でも彼の意思はこの駒の中に生きている!」
 アキヒロ六段はがっくりと肩を落とした。ぎゅっと噛みしめたためだろう、唇から血が滴りおちて座布団を紅く染めた。
「参りました……」絞りだすようにいって、アキヒロ六段は玉将の駒をユミ女流七段に差しだした。
 解説者は言葉を失ったままだった。実況のアナウンサーが放心したように、それでもはっきりとした口調で「投了です、手数は約四百八十手、決まり手は2九角による『曲がり弓矢』でした!」といった。スタジアムは大歓声に包まれた。

二週間に及ぶ激しい闘いが、ようやく終わった瞬間だった。


2018年6月14日木曜日

漫画を読むのがおっくうになってきた


歳をとったからか、漫画を読むのがおっくうになってきた。


昔は、漫画が手元にあればすぐに読んだ。どれだけ読んでも疲れなかった。「途中でやめて続きは明日」ということができなかった。あればあるだけ一気に読んだ。

ところが最近漫画を読むのがめんどくさいと感じるようになった。まったく読まないわけじゃないけど、ちょっと読んで「あとはまた今度にしよう」と閉じてしまう。一冊の漫画を読むのに一週間かかる。つまらないわけじゃないんだけど。
昔は考えられなかったことだ。

本を読むことに対する意欲は今のところ衰えていない。意欲、というのはちょっとちがうかもしれない。ほとんど習慣のように読んでいるからだ。食後に歯みがきをするように、ちょっと時間があったら本を読む。そこに意欲は必要としない。
小説やノンフィクションを読む時間は昔より増えている。漫画だけが面倒になった。


"セリフ"が原因かもしれない。

読むのに時間がかかる本もあれば、すぐに読みおえてしまう本もある。

難しい本を読むのには時間がかかる。これははあたりまえ。
ところが易しい内容の本でも時間がかかることがある。「会話文の多さ」が理由だということに最近気がついた。
他の人はどうだか知らないが、どうやらぼくは会話文だけは心の中で音読しているらしい。頭の中で音声として再生しているのだ。だから時間がかかる。

ノンフィクションは会話が少ないのですっと読める。活字を目で追うだけでいい。
でも小説はセリフの多さに比例してペースが落ちる。こないだ桂米朝『上方落語 桂米朝コレクション』という本を読んだが、すべて噺家口調で脳内再生しながら読んでいたのでものすごく時間がかかった。内容的にはさほど難解なものでもないのに。


漫画もセリフが多い。だから時間がかかるのかもしれない。
岩明均『ヒストリエ』は漫画だけど説明文が多くてセリフが少ないから、あっさり読める。
そういう漫画がもっと出てきてほしい。セリフは少なくて説明文が中心。『もやしもん』みたいなやつ。
なんなら絵もなくて活字だけでいい。それもう漫画じゃない。