2050年1月1日土曜日

犬犬工作所について

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2026年4月24日金曜日

【読書感想文】益川 敏英『科学者は戦争で何をしたか』 / 軍事費を上げれば社会不安は増す

科学者は戦争で何をしたか

益川 敏英

内容(e-honより)
ノーベル賞科学者・益川敏英が、自身の戦争体験とその後の反戦活動を振り返りながら、科学者が過去の戦争で果たした役割を詳細に分析する。科学の進歩は何の批判もなく歓迎されてきたが、本来、科学は「中性」であり、使う人間によって平和利用も軍事利用も可能となる。そのことを科学者はもちろん市民も認識しなければならないと説く。解釈改憲で「戦争する国」へと突き進む政治状況に危機感を抱く著者が、科学者ならではの本質を見抜く洞察力と、人類の歴史を踏まえた長期的視野で、世界から戦争をなくすための方策を提言する。

 物理学者である益川敏英氏が、人類の平和のために科学者はどうすべきかを語った本。

 益川氏は1940年生まれなので、終戦時は5歳。アメリカ軍の投下した焼夷弾が家の屋根を突き破ってきたという経験を持つそうだ(不発だったので命拾いしたそう)。

 実体験として戦争を語れる最後の世代だ。


 温度差の違いはあれど、戦争を経験している世代はほぼ例外なく「あんな思いはもうごめんだ」と語るよね。自身が悲惨な目に遭っているし、近い人を亡くしたり、戦争によって傷ついた経験を持つ人の話をくりかえし聞かされたりしているから。

 でも戦後に生まれた人の中には勇ましいことを言う人もいる。我が事として考えられないからこそなんだろうな。本当の貧乏を味わったことのない人が「貧しい暮らしもいいもんだ」と言うようなもので。

 残念ながら、そんな想像力の欠如に起因する“勇ましさ”が「現実的な意見」として幅を利かせるようになってきている。



 科学者と戦争は切っても切れない関係にある。

 戦争の規模拡大、軍拡競争に貢献してきたのはまちがいなく科学者だ。

 科学者自身は「人々の暮らしを良くするため」や「祖国を守るための最後の手段だから」という理由で軍事研究に協力するのかもしれないが、ひとたび成果が上がると科学者の手を離れて為政者の都合の良いように使われるようになってしまう。


「世界がナチスの手に落ちるのを防ぐため」に原爆開発をおこなったレオ・シラード。だが、ドイツは降伏した後もアメリカは原爆を手放そうとはしなかった。

 戦況が連合軍に傾く中、アメリカは最後まで抵抗しようとする日本に原子爆弾投下を決定しました。シラードはもともと戦争廃絶の理想を掲げる平和主義者でしたから、この決定に異を唱え、それに賛同する何人かの物理学者とともに、無警告での日本への原子爆弾投下に反対する請願書を書きました。少なくとも自分が進言し、開発に関わった兵器の使い道に発言する権利は残されていると考えていたからです。けれど、彼らの発言も請願書結局何の効力も持ちませんでした。政府は彼らの進言など聞く耳を持たず、日本に二発の原子爆弾を落としました。
 戦時下における科学者の立場というのは、戦争に協力を惜しまないうちは重用されるものの、その役目が終われば一切の政策決定から遠ざけられ、蚊帳の外に置かれます。国策で動員されるということはそういうことです。「便利なものをつくってくれてありがとう」で終わり。どんな軍事兵器もそれが完成した時点で研究者、開発者の手から離れ、一〇〇パーセント政府のものとなります。そして、それがどんな危険な使い方をされようと、発した当事者は手を出せなくなるのです。

 戦況を考えると、原爆を落とさなくても日本の敗戦は時間の問題だった。当初の目的であった「ナチスを倒すため」「戦争に勝利するため」という大義名分はなくなったが、それでもアメリカは原爆投下を決めた。核兵器の威力を見せつけることで戦後の世界情勢で優位に立ちたい、そんな思惑によるものだろうか。



 フリッツ・ハーバー(ハーバー・ボッシュ法でおなじみの)の話も教訓を与えてくれる。愛国者であったハーバーは第一次世界大戦中、祖国・ドイツのために毒ガス開発をおこなった。

 戦後、ナチスが政権を握ると、ユダヤ人を迫害した。ハーバーはユダヤ人であった。皮肉なことに、ハーバーが開発した毒ガスは同胞を虐殺するために使われたのだ。


 御用学者と呼ばれる人たちがいる。ときには事実や正義をゆがめてでも政府や大企業にとって都合のいい研究結果を出してくれる学者だ。公害が問題になったときに、大企業にとって都合のいいデータを出した研究者がたくさんいた。それなりの待遇を与えてもらえるから、学者にとっても政府や大企業の言いなりになることにはメリットがある。

 だが彼らはいつまでも守ってもらえるのだろうか。都合が悪くなればいつでも切られる、トカゲのしっぽのような存在ではないだろうか。すべての責任を押しつけられてはいさようなら、となる可能性だってある。

 時の権力者を都合よく利用してやる、ぐらいのスタンスならいいが、良心を捨てて強きに与するのは研究者自身にとっても危険だとおもうな。




 軍事費拡大について。
 国際情勢を見てみると、中東やヨーロッパなど、あちこちでテロや紛争が勃発し、いつ自分の国に火の粉が降りかかるか分からない状況です。こういう状況が軍需産業にとっては一番都合がいいのです。各国の危機感さえ煽っておけば、いくらでも武器や防衛のための装備が売れるからです。
「危ないですよ」「あの国が攻めてきますよ」とささやいて、そのためには「これぐらいの装備を持っていないと安心できませんよ」とビジネスに持っていく。
 軍需産業の関係者が日本の危機感を煽るのに一番効果的なのが、東アジア情勢の不安でしょう。北朝鮮の脅威や、尖閣諸島を巡る中国との攻防、南シナ海南沙諸島を巡る各国の領有権問題など、日本政府に危機感を煽る材料はいくらでもあります。彼らはロビー活動で、日本の首脳陣にそうした不安材料を巧妙に吹き込むわけです。そんなビジネスに乗せられて国家予算の中の防衛費がどんどん膨らみつつある、という側面もあるのです。

 まさに今の状況だよね。どんどん不安を煽って軍事費を上げようとする。なぜならそれで儲かる人がいるから。

「そんなこと言って悪い国に攻め込まれたら生命も財産も奪われるんだぞ!」という極論をぶつけられたら真正面から反論するのはむずかしい。都合の悪いときは「仮定の質問にはお答えできません」で逃げる政治家や官僚が、“仮定の話”を根拠に軍事費を上げようとする。

 不安を打ち消すための軍事費増強が悪いのは、天井がないこと。軍事費を増やして軍備を増強すれば周辺諸国との緊張は高まり(こっちが軍事費を増やしたら隣国のほうも「日本に攻め込まれたらどうする!」となるのは目に見えている)、ますます不安は強まる

 ちょっと考えればわかりそうなものだが、不安にさいなまれた人を冷静な意見でたしなめるのはむずかしい。怒りや不安は人間から冷静な思考を奪うからね。

「軍事費は国家予算の1%」とか決めておかないと、天井知らずで上がっていくよ(じっさいここ数年でぐんぐん上がっている)。得をするのは一部の人間だけ。



 原発の話。

 益川氏は、原発の必要性を認めたうえで、こう述べている。

 坂田先生が五〇年前に鋭く指摘したように、「設置者側と審査する側とのけじめが、ともすると不明確」どころか、その両者が結託して馴れ合いの審査で、設置のゴーサインを出してしまうことなどは日常茶飯事だったようです。そうしたでたらめの大きなツが原発事故を引き起こしたのです。
 原子力発電の技術は、現代の科学においてもまだこなれた技術ではないということを、私は以前から申し上げています。だから、この技術は危険でリスクも高いのだということを、言い続けながら使わなければいけなかったのです。リスクがあると表明すると同時に、安全面へのコストも十分にかける必要があった。ところが電力会社側は、つくる時だけお金をばらまいて、安全面にはお金をかけようとしませんでした。事故は起こるべくして起こったと私は見ています。

 ぼくもこの立場に近い。

 原発はすべて悪! みたいに語る人もいるけど、それは言いすぎだ。メリットも多い。

 が、同時にデメリットも大きい。問題は、デメリットを隠して原発稼働を推し進めてきたことだ。

「原発にはこういうリスクがあります。事故も一定確率で起こります。事故が起きたらこんなことになります。事故が起きたらこんな対処・保障をします」と説明した上で稼働してきたのならよかったのだが、現実には「原発は絶対安全! 絶対安全だから事故が起きたときのことなんて考えなくていい!」というちょっと知識のある人なら誰でも嘘だとわかる“神話”を元に設置・稼働を進めてきた。その結果が福島第一原発の事故であり、そして事故が起きた後も「安全です」という嘘のスタンスはくずさずに再稼働を進めようとしている。

 そりゃあかんたんに再稼働に賛同はできない。リスクもデメリットも正直に開陳することが安全性を高めることになるのにな。最初から嘘でスタートしちゃったから今さら「あれは嘘でした。ほんとはリスクあります」と言えなくなっちゃったんだろうな。

 過ちを認めるって政府がいちばん苦手なことだもんな。



 2015年刊行の本だけど、大国が戦争を引き起こし、様々な科学技術が人の命を奪っている今だからこそ改めて言葉が響いてくる本。

 反戦色が強くて青くさく感じられるところもあるけど、こういうことを言う人が減ってきたからねえ。前の戦争が遠ざかったからか、次の戦争が近づいているからか。


【関連記事】

【読書感想文】原発事故が起こるのは必然 / 堀江 邦夫『原発労働記』

【読書感想文】原発の善悪を議論しても意味がない / 『原発 決めるのは誰か』



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2026年4月22日水曜日

何歳の壁?

 「〇〇の壁」で調べてみた。


3歳の壁

4歳の壁

6歳の壁

小1の壁


小2の壁

小3の壁

小4の壁

小5の壁

12歳の壁

中1の壁

中2の壁

 これだけ壁が続いてたら逆に平坦じゃないか?

 これもう「5歳の谷」といったほうがいいだろ。



2026年4月20日月曜日

【読書感想文】山里 亮太『天才はあきらめた』 / 努力の天才

天才はあきらめた

山里 亮太

内容(e-honより)
「自分は天才にはなれない」。そう悟った日から、地獄のような努力がはじまった。 嫉妬の化け物・南海キャンディーズ山里は、どんなに悔しいことがあっても、それをガソリンにして今日も爆走する。 コンビ不仲という暗黒時代を乗り越え再挑戦したM-1グランプリ。そして単独ライブ。 その舞台でようやく見つけた景色とは――。 2006年に発売された『天才になりたい』を本人が全ページにわたり徹底的に大改稿、新しいエピソードを加筆して、まさかの文庫化! 格好悪いこと、情けないことも全て書いた、芸人の魂の記録。

 漫才コンビ・南海キャンディーズの山里亮太さんによる自叙伝的エッセイ。

 文章はちょっと読みにくいが(半端に技巧を凝らしてるせいで文章が上滑りしている。こういう自叙伝みたいなのは飾らない文章でいいんだけどな)、内容はおもしろかった。

 己の醜い部分、思い悩んだこと、芸人としてかっこよくない面もつまびらかにしている。後からふりかえって書いているので当時の本心とはちがう部分もあるかもしれないけど。



 山里さんはかなり早い段階で「自分は天才じゃない」と悟ったらしい。

 ここでの天才とは、「打算や戦略などとは無縁で、自分がやりたいことをやっているだけで周囲から高く評価されるような芸人」だ(はたしてそんな人がほんとにいるのかわからないが)。

 ここが、天才の方々と凡才の僕の大きな違い。天才は、計算などせずに自然とやったこと・言ったことを、周りが勝手に「特別だ」とか「変わっている」と思う。そういうものだ。
 それに対して僕は、周りに「特別だ」と意識させるように仕向けて、自分をそこに追い込んでいく。
 芸人は数々のエピソードを持っている、それは普通だったら出会えないようなことしないようなことばかり。その中にも天才と凡人の違いがある。だけどそれはエピソードのすごさ……ではなく、意識の有無だと僕は思っている。
 僕は奇抜なことをしようと思ってする。一方、天才は、したことが奇抜ととらえられる。ここは埋められない大きな差である。しかしこの二つとも、見ている人には同じ「奇抜なことをしている人」になる。
 そこで僕の中で重要になってくることが一つあった。それは、「凡人が奇抜なことをしようとしている」と見せないように努力をすることだった。
 こういうことは言うと恥ずかしいことかもしれない。でも努力することによって得るものは相当大きい。得るものとは「おもしろい」「何者かである」と思われるということ。
 僕は見せない努力をすることと同時に、偽りの天才としての士気の上げ方を覚えた。例えば頑張って何か奇抜なことをしたときに、自分があたかもそれを無意識にやったかのように自分で自分を褒めるのだ。「いやぁ、よくこんなことやったね! 普通はこんなことやらないよ! すごいね俺」といった感じで、自分が特殊だと思い込ませた。
 人からその奇抜さを言われたときは「え?」みたいな顔をして、僕は当然だと思うけどみんなは違うの? って感じを出した。本当は全然当然だと思っていないし、頑張っただけなのに。

 この気持ち、痛いほどよくわかる。ぼくも学生の頃はなんとかして「特殊な自分」を演出しようとしていた。あえて人がやらないことをする。「やっぱおまえ変わってるな」と言われるたびに(それって褒められているわけじゃなくて呆れられたりばかにされたりしていたんだろうけど)気を良くし、ますます「変わり者」であろうとする。

 そうやって「人とはちがう特別な自分」を築こうと必死になっていた。

 ぼくはなんだかんだで三十歳ぐらいまで「自分が天才である可能性」を捨てきれなかったけど、山里さんはもっと早めに自分が天才でないことに気づき、天才でないからこその戦い方に舵を切った。そのおかげで芸人として成功することができた。



 成功する芸人はほとんどみんなそれぞれ才能を持っている人だけど、見ていると
「芸人という職業があってよかったな。他の道に進んでいたらどうしようもない人生を送っていたかもしれないな」
とおもわせる人と、
「この人はどの道に進んでもある程度成功していただろうな」
とおもわせる人がいる。

 山里さんは後者だ。もちろん芸人としても大成功している人だけど、ひょっとしたら別の道ならさらに大きな成功を手に入れていたかもしれない。なぜなら、表舞台に立つ芸人でありながら、しっかりと裏方の視点を持っているから。


 ドキュメンタリー風のテレビ番組のオーディションを受けることになったときの話。

 僕は決めた。「ぶつかろう」と。富男君を呼び出し、こう伝えた。
「富男君はお笑いをなめている人になって」
 対する僕は「お客さんあってのお笑い芸人」という、完全に良い人の役割をとると宣言した。
 そしてオーディション用のコメントの返答例を書いたものを渡した。その紙の内容は、
(あなたにとってお笑いとは?的な質問に対して)簡単です。喋ってるだけで金がもらえる
(相方について聞かれたら?)まじめすぎる。お笑いなんて一生懸命やったら笑えない
※ 全体的に巻き舌な感じ
というよくわからない注釈もついていた。
 これを使って練習をし、オーディション対策用の台本も書いた。

「どう振る舞ったら制作者は使いたくなるか」を分析して、適切な対策を立て、制作者が求めている通りに振る舞う。

 なるほど、これは制作者としては使いたくなるだろう。やらせを命じなくても、忖度して勝手に要望に応えてくれるのだから。これならやらせじゃない。でもやらせと同じ結果が得られる。


 よく政治家が汚職なんかをしたときに「秘書が勝手にやった」と弁明するけど、あれは言い訳じゃなくてほんとに秘書が勝手にやっていることもあるという。

 ほんとに優秀な秘書というのは「お金を出してくれる人がいるんですけどもらっておきましょうか」なんて確認したりしない。確認した上でお金を受け取ったら政治家も共犯になってしまうから。だから有能な秘書は許可をとらずに勝手に動く。政治家のほうもほんとはわかっているけど、これなら「知らなかった。秘書が勝手にやった」という言い訳がぎりぎり成立する。かぎりなくクロに近くても検察は起訴できない。

 山里さんは政治家秘書になっていたとしても優秀だっただろうね。



 この本を読んでいておもうのは、山里さんはつくづく策略家だということだ。視野が広く、先を読む力があり、リサーチ力も高く、行動力もすごい。会社員や経営者としても成功していた可能性が高い。

「お客さんの反応を見ながら1本の漫才を何百回もマイナーチェンジさせてブラッシュアップしていった」なんて話が出てくるが、まあこれをやっている漫才師は他にもいるだろう。

 山里さんがすごいのは、それが舞台の上だけにとどまらないこと。


 たとえば、しずちゃんを相方にしようと考えたときのこと。周囲から情報を集めてしずちゃんの好きなものを徹底的に調べあげ、それについて学習し、さも自分も前から好きだったかのように話すことで「ほら俺たちってこんなに価値観が合うんだよね」と思わせようとした、なんて話が出てくる。

 すごい。一歩まちがえばストーカーだ。でもここまでやるからこそ成功するのだろう。漫才師としてネタがおもしろいのはあたりまえ、それにプラスして舞台を降りてからも売れるための最短距離を見据えている。

 はじめてM-1グランプリに出たときの回想。

 正直に言うと、僕らはもともと優勝なんて大それたことは考えていなかった。見てる人の記憶に残したいというのが一番の目標だった。
 見てる人とは、もちろん視聴者の方や審査員の方々というのもあるが、正直それと同くらい見て欲しかったのは、テレビを作っている人たちだった。南海キャンディーズという名前をテレビの企画会議で出したくなるようなネタを、という思い、それが2本目のネタを決めた。
 2本目のネタは、しずちゃんがMCの女性タレントに喧嘩を売るというネタだった。賞がかかった大会でこういうネタは嫌われるのはわかっていた。でもあの時点で一番自分たちをわかってもらえ、そして優勝より売れることに直結するのはあのネタだと僕は考えていた。

 M-1グランプリといえば、若手漫才師にとっては最高峰の大会。ほとんどの芸人がそこで優勝することを目標に戦っている中、山里さんはその先を見ている。

 たしかにあの大会(2004年)はアンタッチャブルが圧倒的な力で優勝をしたので、南海キャンディーズが他のネタをやっていたとしても優勝できなかっただろう。だったら1本目よりスケールダウンしたネタを披露するより、審査員からは評価されなくてもテレビマンが「バラエティで使いやすそうだ」と感じるネタを披露したほうがいい。理論的にはたしかにその通りなんだけど、現場にいるとなかなかそう思えないよなあ。

 甲子園で、チームの勝利よりもスカウトの目に留まることを優先してプレーするようなもの。良くも悪くもプロフェッショナルな思考をしている。



 読んでいておもうのは、山里さんは努力の天才だということ。

 目標に向かって戦略を立て、試行錯誤しながら努力の方法を修正し、負の感情を自らを奮い立たせるエネルギーに変換し、褒め言葉はそのまま栄養に変え、自らをおだて、自分を戒め、あの手この手で努力を継続する。自分にも厳しいし、他人にも厳しい。

 これを天才と呼ばずしてなんと呼ぼうか。


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2026年4月15日水曜日

【読書感想文】松原 始『もしも世界からカラスが消えたら』 / じゃあ申し訳ないけど絶滅で

もしも世界からカラスが消えたら

松原 始

内容(e-honより)
不本意ながら、嫌われ者のカラスをこの世から消してみました。カラスがいないと人間社会や生態系はどうなる?カラス学者が占うSFな未来。カラスを愛しすぎている鳥類学者がカラス寄りの目線で挑んだ新境地…はたして結末は!?

 カラスの研究者である著者が、「もしカラスがいなかったらどんな世界になってるか?」について書いた本。カラスが果たしていた役割(ゴミ掃除、果実の種子散布など)はどの鳥が埋めるのか、カラスの代わりに我々の身近にいるであろう鳥は何か、などについて考察している。

 正直言って、あまりおもしろくない。同著者の『カラスの教科書』『カラスはずる賢い、ハトは頭が悪い、サメは狂暴、イルカは温厚って本当か?』がおもしろかっただけに期待しすぎていたのかもしれないが。

 カラス好き、鳥好きからしたら「カラスの代わりにハゲワシの仲間が活躍する」とか「カラスが担っていた役割をオウムやインコの種類が担うかもしれない」って大問題なのかもしれないが、そこまでカラスに思い入れのない者からすると「ふーん」としかおもわないんだよね。

 そもそも生活していてカラスを意識することがほとんどないので(自治会のごみ当番になったら意識するかも)、もしある日突然カラスが消滅したとしてもしばらく気づかないんじゃないだろうか。

 以前ミノムシが絶滅寸前だと聞いたときに「ふーん、そっか。そういや最近見てなかったな。でも大人になったらどっちみち虫をじっくり見る機会なんてほとんどないしな」としかおもわなかった。

 カラスもぼくにとってはその程度の存在だ。そりゃあカラスがいないよりはいたほうがいいけど「カラスが絶滅しそうですがあなたが一万円出してくれたら絶滅を防げます」と言われてもちょっと迷ったあげく「じゃあ申し訳ないけど……絶滅で……」と言ってしまいそうだ。



 そもそも「もしも世界からカラスが消えたら」というテーマ選びが失敗している気がする。

 著者が『カラスの教科書』でこう書いていた。

  カラスの特徴は、特殊化していないことだと思う。絵に描いてみるとわかるが、カラス類のシルエットは、くちばしがやや大きいことを除けば非常に基本的なトリの形をしていて、明快な特徴がない。だから、ものすごく得意という分野はないのだろうが、逆に言えば、何でも一応はできる。シギのような長いくちばしも、猛禽のような鋭い爪も、アホウドリのような長い翼も持ってはいないが、それでもカラスはちゃんと餌を食っているわけだ。包丁で言えば「これ一本でだいたい間に合う」という万能包丁で、刺身や菜切りに特化したつくりではない。
 何でも一応はできるということは、潰しが効くということである。これはどんな場所でも、何を餌とする場合でも、ソコソコの成功を収めることができそうな戦略である。

 カラスは「真っ黒」という強烈な特徴を持っているから印象に残るだけで、色以外は無個性、凡庸な鳥なのだ。なんでも器用にこなせる代わりに「これだけは他の誰にも負けない」という武器は持っていない。

 だから「もしも世界からカラスが消えた」としても、他の鳥がその隙間を埋めるだけで、大きな影響はないんだよね。

 この本ではネタに困ったのか、小説とか漫画とかに出てくるカラスがどうなるとか、名前に「鴉(からす)」が入っているキャラがどうなるとか、かなりどうでもいい記述にページを割いている。このあたりは文章がおもしろいわけでもなく、完全に蛇足だったなあ……。



 カラスは世界中の広範囲にわたって生息しているが、南米にはカラス族がいないそうだ。

 興味深いのは、南米でカラスのニッチを占めているのがコンドル類だということだ。かつ、コンドルは南米、中米・北米南部までしか分布しない。コンドルの化石は更新世(約260万年から1万年前)の南北アメリカから発見されており、どうやら他の地域にいたことはないようだ。となると、地球の各地に分布を拡大していったカラス属が南米に入ろうとしたとき、そこにはすでにスカベンジャーとして確立されたコンドルがおり、そのニッチを商売でいうならばシェアを奪うことができなかった、と考えられないか。実際、カラス科の中でもスカベンジャーに特化していない、森林性の中型鳥類であるサンジャク類は南米にも分布するのだ。彼らは果実や小動物が主食である。
 もっとも、北米にはコンドルとカラスが同居しているので、この仮説には弱点もあることは認める。

「南米にはカラスより前にコンドルがいたからカラスが定着できなかった」という仮説だ。

 大企業が海外に進出したものの、その国にはすでに競合する企業があったため(そして元々の企業のほうが競争に優位なため)事業不振により撤退を強いられるようなものだね。カラスとコンドルって見た目はだいぶちがうけど(でもコンドルも黒っぽい)、実は近い業種なのかもね。



 鳥とは関係ないけど、おもしろかった話。

 また、とある人がツイッターに投稿したダニの写真に専門家が反応し、連絡を取って場所を聞いて確かめにいったら新種だった、という例もある。チョウシハマベダニという和名になったこのダニ、学名は Ameronothrus twitter である。さらにこれが話題になると、「噂のダニってこれ?」というツイートが出た。ところがくだんの専門家が見ると、どうも別種、しかも新種くさい。ということで調べたらやはり新種で、こちらはイワドハマベダニ、学名は Ameronothrus retweetとなった。ツイッターとRTである。

 twitterはイーロン・マスク氏に買収されてXになりtwitterの名前は消滅したが、意外にも学名に「twitter」「retweet」という名が残っていたとは。


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