2050年1月1日土曜日

犬犬工作所について

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 読書感想文リスト



2026年6月2日火曜日

【読書感想文】アリク・カーシェンバウム『まじめに動物の言語を考えてみた』 / 「遊んでほしいワン」とは言わない

まじめに動物の言語を考えてみた

アリク・カーシェンバウム(著)  的場 知之(訳)

内容(e-honより)
動物にはヒトと同様に言語はあるのだろうか。では、何のために動物はしゃべるのだろうか。ヒトはどうして言語を使うようになったのか。


 ヒト以外の動物は言語(この本での言語とは、ボディランゲージなどは除く音声による言語)を持つのか。あるとしたらどのようなものなのか。言語を持つために必要な条件は何なのか。そもそも言語とは何なのか。

 オオカミ、イルカ、ヨウム(オウム)、ハイラックス、テナガザル、チンパンジーなどの動物の言語コミュニケーションを通して、まじめに動物の言語を考えた本。


 タイトルにあるように、ほんとにまじめ。

 ほとんどの人は「動物にも言語があってほしい」と思っているはず。動物語翻訳機みたいなものが発明されてペットの犬や猫と会話をすることができたらいいな、と。

 しかし著者の立場はあくまで冷静。「動物と会話したい」人たちに冷や水を浴びせるように、動物の言語は人間語に翻訳できるようなものではないと言いつづける。

「動物たちは鳴き声を使ってこんなことを言ってるんですよ!」とした方が話としてはおもしろいが、おもしろさよりも正確さのほうを優先している。少々堅苦しすぎるほどに。



 イルカは「自分自身の名前」を持っていて音声として発する、という話。

 イルカのホイッスルについて、確実にわかっていることが少なくともひとつある。イルカの各個体は、自分自身の名前を表すひとつの特別なホイッスルを発するのだ。
 この事実だけでも圧倒的な衝撃だ。これまでにわかっているかぎり、ヒトとイルカのほかに、自然状態で通常のコミュニケーションの一環として、自分に名前をつける動物はいない。イヌに自分の名前を覚えさせることはできる。他個体の声からその主が誰かを認識できる動物はたくさんいて、かれらは声を個体の「シグネチャー」として利用する。だが、自分自身を表すものとして独自の音の配列をつくりだすというのは、これらとは深層の部分で、本質的に異なる行動だ。しかもこの配列は、他個体にも認知され、使用される。かれらは本当に、自分自身をほかのイルカとは異なる「個」として理解していて、こうした理解をどの個体も等しくもっているのだろうか?どんなに疑り深い人でも、こうした可能性を考えずにはいられないはずだ。
 
 (中略)
 
 なぜ動物のなかで唯一イルカだけが自分に名前をつけるのかを説明するのは難しい。だが、答えは間違いなくかれらの社会構造にあるはずだ。世界にはたくさんの種のイルカがいるが、もっとも研究が進んでいるハンドウイルカとタイセイヨウマダライルカは、いずれも「離合集散型」と呼ばれる社会のなかで生きている。これは、ある個体と顔見知りの個体すべてからなる関係の輪の大きさはある程度固定的だが、関係の輪そのものは流動的である、という意味だ。食料や配偶相手など、そのときどきでどれだけ資源が手に入るかによって、大きな集団は分裂し、融合し、また分裂する。このような場合、ラジャに最後に会ってからずいぶんたつとしても、もし前回彼と協力してうまくことを運べたなら、ラジャのことを覚えておくほうが賢明だ。逆に、心底嫌いな相手のことも忘れないほうがいい。いずれにせよ、誰が誰かを知っていて損はない。

 自分自身の名前を持つということは、自分が他者からどう認知されるかをある程度わかっているということだろう。

「相手はおれのことをわからないかもしれない。でもおれと会ったことのあるやつならこの名前を聞けば思いだすよね!」という認知があるからこそ(もちろん明確に意図しているわけではないだろうが)自分の名前を発するわけだ。

「他のイルカは自分とは異なる認知を持つ個体である」と理解していないと、名前を名乗る必要がないもんね。その理解がなければ、仮に人間の持つような言語があったとしても「腹減った! 疲れた! 休もう!」みたいな感じになるだろう(主語は常に自分なので)。


 自分自身の名前を使うなんてやっぱりイルカって賢いね、とおもうが、話はそう単純ではない。

また、かれらにとってコミュニケーションをとる際に個体のアイデンティティがなぜそこまで重要なのかも、おおむね明らかになっている。広大な海のなかで、イルカは小グループをつくって生活しているが、グループのメンバーは顔見知りの個体リスト全体のごく一部でしかない。今週はこのメンバーで移動したり魚を獲ったりするけれど、来月、あるいは来年になれば、グループ構成はまったく違うだろう。かれらは付き合う相手を常に流動的に変える。したがって、他者の個体情報敵か味方か、家族か赤の他人かを認識することは決定的に重要だ。これはけっして簡単なことではなく、洗練されたコミュニケーションに加えて、たくさんの(おそらくは数十頭以上の)仲間のことを何年も何十年も覚えていられる、高度に発達した脳が必要だ。

 グループの構成員がたびたび変わるからこそ、名前が必要になるのだ。タコも知能が高いとされているが、タコはイルカのようにグループを作らないので名前を持つ必要がない。またオオカミのようにいつも決まったメンバーで群れをつくる動物も「ほら、おれだよ! 以前会った○○だよ!」と名乗る必要がない。

 言語を使うために必要なのは「知能」「発声器官」だけでなく、「そもそも言語を必要とするような生活をしているか」も重要なのだ。



 ヒトと動物が言語によってコミュニケーションをとるというのは夢のような話だが、実際にそれをおこなっている動物がいる。しかも、ヒトによって訓練されたわけでもないのに。

 ここで、ヒトと動物のコミュニケーションにおける例外中の例外を紹介しよう。ノドグロミツオシエはサハラ以南アフリカに広く分布する小さな鳥だ。外見こそ地味だが、この鳥は野生で自由生活を送りながら、ヒトとの驚異の協力関係を築きあげた。家畜化されたわけでも、飼育されたわけでも、訓練されたわけでもないのに、かれらはヒトがもつ、ハチの巣を壊してこじ開けるという便利な能力に気づき、さらにはヒトが蜂蜜を目当てにハチの巣を見つけて壊したがっていることを学習した。だが、僕たちヒトは広大なサバンナでハチの巣を見つけるのがあまり上手くない。一方、毎日木々の間を飛び回っているミツオシエには、おいしい幼虫がひしめく魅惑の食料庫に出くわすチャンスが豊富にある。そんなわけで、ミツオシエは名前のとおり、ヒトを蜂蜜のありかに導く。東アフリカの多くの部族は、ミツオシエとの間で互恵的な協力関係を保ち、導く側と導かれる側で双方が理解できる語彙を形成した。各部族はそれぞれに異なる口笛やその他の音声レパートリーを生み出し、その意味はヒトと鳥の間で共有されている。ミツオシエには、「ついてこい! ハチの巣を見つけたぞ!」を意味する決まった音声があり、現地部族にもまた蜂蜜採集に出かけたいときにミツオシエを呼ぶための、トリルとグラントを組み合わせた特別な音声がある。

 ミツオシエはヒトに蜂の巣のありかを教え、ヒトは蜂の巣を壊すことでミツオシエが蜂の幼虫を食べる機会を与える。見事な共生関係だ。その関係が言語によって支えられているのが興味深い。

 ヒトが利用している動物はいろいろいるけど、いちばん巧みに言語を使ってコミュニケーションをとっているのが、家畜でもペットでも類人猿でもなく野鳥だというのは意外。

 しかも対等な関係なのがすごい。ほとんどの家畜やペットって、人間からしたら「いたら便利だけどいなくてもなんとかなる」だが、動物側からしたら「ヒトに見捨てられたら生きていけない」場合が多い(その最たるものがカイコガ)。でもミツオシエはヒトがいたほうが便利だが、ヒトなしでも生きていける。ミツオシエこそが唯一のヒトの友だちと呼ぶにふさわしい動物かもしれない。



 動物の“言語”を理解する上で重要なのは、動物はヒトとはちがうし、ヒトになりたいわけでもないということを理解することだという。

 コミュニケーションでも同じことだ。動物が僕たちと同じ装備で同じ耳、同じ眼、同じ脳で――コミュニケーションをとっていると想像しつづけているかぎり、かれらの世界に踏み込むことはできず、かれらが言っていることを理解できない。けれども、僕たちの外へ、現代の人間社会の外へ踏み出して、動物たちのように物事を見て、聞いて、考えるのは、じつはそれほど難しくない。(中略)僕たちが苦戦する理由は、何よりもまず、僕たちがかれらの世界に住んでいないからだ。ものの見え方や聞こえ方がかれらと違うというのもあるが、それ以上に、僕たちはかれらのありのままの姿に目を凝らし、耳を傾けようとしていない。かれらと違って、僕たちの心配事は、食料を見つけ、捕食者を避け、配偶相手を惹きつけることではない。動物が探し求めているものに注目しなければ、かれらが何を話しているかは理解できない。動物たちを理解できないもうひとつの理由は、かれらに僕たちのようにふるまうことを期待しているせいだ。僕たちは、動物に人間らしさを求めがちだ。ペッのイヌやネコに語りかけるとき、僕たちはかれらに本気で自分のことをわかってほしいと願っている。かれらはある程度はわかってくれるが、このようなケースは例外だ。数千、数万年にわたる家畜化の過程で、動物とヒトの両方が、コミュニケーションの共通基盤を築くのに尽力してきたおかげなのだ。
 動物のありのままの姿に目を向け、かれらが暮らす世界のなかで、かれらの生活に密着して初めて、僕たちはかれらを理解できる。そうすればきっと、動物たちの現実が目に入り、かれらに言ってほしいことではなく、かれらが本当に言っていることが聞こえてくるはずだ。地球の生命の豊かな多様性を実感できる、じつに有意義なやり方だ。

 ぼくもいくつかの生き物を買ってきたからわかるけど、ついつい動物の中に「人間っぽい感情」を見いだしてしまうんだよね。愛情をもって観察するほど。

 イヌの動作を見て「しょんぼりしている」とか、ネコのしぐさから「放っておいてくれと言いたげだ」とか、ヒトの心理・行動を重ねあわせてしまう。

 だがヒト以外の動物は、「ヒトになれなかった動物」ではない。ヒトとはまったく異なる論理で動いているし、仮に彼らが言語のようなものを持つとしても、ヒトの言語とはまったく異なるものになるはずだ。少なくとも「遊んでほしいワン」とか「退屈だニャー」のような言語は持っていない(持てないのではなく、持つ必要がない)。


『まじめに動物の言語を考えてみた』でくりかえし語られるのは、動物の言語は(それがあるとして)人間の言葉のように単語に分解できるものではないということ。

 どっちかっていうと歌のほうが近いのかもしれない。より身体性を伴うし。


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2026年5月26日火曜日

【読書感想文】下川 裕治 仲村 清司『新書 沖縄読本』 / 諦観からくる明るさ

新書 沖縄読本

下川 裕治(編・著)  仲村 清司(編・著)

内容(Amazonより)
「癒し」イメージが先行するなか、長寿伝説の崩壊、格差の拡大、迷走する基地問題、サンゴを巡る島と本土のねじれなど、島は多くの問題で揺れている。 その一方でなぜ近年沖縄野球は強くなったのか、次々とメジャーの歌手を輩出する沖縄音楽の魅力の源泉とは。 沖縄ブームにも深く関わった著者たちが紡ぐ、沖縄の歴史といまを照らす21の物語。

 かつて沖縄を「心温かい人たちのいる南の楽園」として紹介する雑誌や本の出版に携わり、“沖縄ブーム”に一役買った著者たち。

 だがあたりまえだが実際の沖縄は楽園ではない。良いところと同じぐらい、あるいはそれ以上に、悪い部分もある。

 そんな沖縄の様々な面(主にネガティブな面)について、沖縄事情に明るいライターたちがつづった本。


 正直、いろんな人がいろんなテーマで書いているので散漫な印象だ。「あまり語られない沖縄の抱える問題」について書いてあるのかとおもいきや、沖縄の老舗ホテルがつぶれたとか、沖縄は野球熱が高いとか、琉球人を象った像がタイにあるとか、それがどうしたと言いたくなるような章もある。

「沖縄には鉄器が足りなかったから大規模農業ができず近くの人と助け合わなければならないので沖縄の人たちは温和な人柄になった」なんて話(司馬遼太郎が唱えた説)はおもしろかったが、ちょっと根拠があやふやすぎる。酒の場の話としてはいいんだけど。

 もうちょっとテーマを絞ってくれたほうが読みやすかったな。



 かつて「日本一長寿な都道府県」だった沖縄だが、県民の健康状況はどんどん悪くなっているそうだ。都道府県別肥満率はワースト1位に。

 原因のひとつが食文化のアメリカ化。かつては海藻などを豊富にとっていたことが健康につながっていたが、ファストフードやスパムなどを多く食べるようになり、健康状況は悪化の一途をたどっている。背景にはもちろん米軍基地の存在がある。

 それだけではない、経済的要因も大きい。

 大変ショッキングなことを述べるが、沖縄は男性の自殺率が全国平均をはるかに上回っていて、一九九五年の統計では全国二位。世代も二〇歳代から六〇歳代まで幅広い。厚生労働省の統計(二〇〇〇年度調査)で、男性の平均寿命が全国四位から二六位に転落したととは前述したが、当時、県が試算したところによると、自殺がなくなると平均寿命が〇・七七歳延びるとされた。沖縄は「癒しの島」「楽園の島」などとイメージされているが、実態はまるで違っていたことになる。もはや深刻というレベルを超えて、社会問題として認識すべきところにきているのではないか。
 そのように言い切ってしまうのには理由がある。警察庁が公表した二〇〇九年の沖縄の自殺者は四〇六人に上り、〇六年の四〇〇人を超え、過去最悪となっているからである。しかも、前年比で六九人も増加、その増加幅はなんと全国三位の水準である。その自殺者の多くが鬱病を発症していたわけだが、病気の原因としてあげられているのが失業による生活苦や多重債務なのである。

 沖縄県民は心身ともに不健康になっているわけだ。

 沖縄と本土の経済格差は拡大しているので、今後もこの傾向は続くのだろう。肥満率はともかく、自殺が多いのは「楽園」とは真逆だよなあ。

 このあたりの話は興味深かったので「沖縄のたどってきた歴史と健康度、幸福度」といったテーマで一冊にした本のほうが読みたかったな。



 宮古島の近くにあるため「離島の離島」とも呼ばれる伊良部島の話。

 2015年に宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋が完成し、島民はそれまでより便利な生活を送れるようになった。

 伊良部島の青年に橋の建設現場を案内してもらった。彼自身、この工事で仕事を得ていた。これといった産業がない島では、公共工事がもたらす経済効果は計り知れない。橋の建設は、完成後の便利さ以前に、島を潤してくれる有効な手段だった。
 しかし青年の表情は冴えなかった。
「素直には喜べないさー」
 彼が口にするのは、島の現実だった。
「橋ができると伊良部島の土地の値段は確実に上がります。いや、すでに上がってきている。沖縄本島や本土の業者が入ってきているって噂さー。すると、島の物価がじりじり上がってくる。島での商売が難しくなるってことになる。宮古島の大型店に行けば、安いものがいくらもあるからね。これまで伊良部で商店を経営してきた人のなかには、島を出ていく人も出るかもしれない。最終的には、島の人口が減っていく……」
 それは離島に限らない過疎地の現実だった。交通が不便だった村に立派な道路が完成する。道路建設という公共工事で村に金が落ちる。政治家は、さも自分の力で道路をつくったかのような持論を展開する。
「近くの町への通勤も可能になります。町から人が移り住み、村の活性化に結びつくわけです」
 しかしふたを開けてみると、現実という針は逆方向に振れてしまう。過疎の村から、人々は完成した道路を使って出ていってしまうのだ。道路建設はすぐに効力が消えるカンフル剤だったことを教えられるのだ。日本各地で起きた現象は、当然、島にも届いている。その流れに伊良部島も呑み込まれていってしまう不安に、島の若者は苛まれていた。

 ストロー効果ってやつだね。

 高速道路や橋ができて都市に行きやすくなることで地方の生活が便利になるかとおもったら、若者や働き手が都市に出ていってしまい、かえって地方の過疎化が進む現象。隔絶されているからこそ守られる生活もあるんだけど、失うまでなかなか気づけないよね。

 昔より交通網が発達したり情報伝達速度が上がったから「日本中どこに住んでも似たような生活を送れるようになった」はずなのに、現実には昔よりも東京一極集中が進んでいる。

 かんたんに帰ってこられるとおもうと出ていきやすくなってしまうんだね。




 戦前、人口過剰や土地不足を背景に、沖縄からブラジルなどへの移民が相次いだ。その傾向は戦後になっても変わらず、1954年からは南米・ボリビアへ集団移住する人たちがいた。

 たいていの移民がそうであるように、ボリビア開拓団は大きな苦労を強いられたようだ。政府から「海外に行ってがんばって働けばいい暮らしができる」と言われていったのに、裏切られた気になった人も多かったという。

 しかし、本土からの南米移民地に比べると、ボリビアの沖縄村は、そこに流れる空気が違っていたという。ボリビアのサンタクルス周辺には、九州の炭鉱で働いていた人が多く占める移民地もあった。上原はそこにも関わっていたから、雰囲気の違いがよくわかった。「沖縄の移民地には暗さがないんですよ。本土からの移民地と同じように貧しいのにね。沖縄の人は楽天的。現地に溶け込んでいくのも早かったな。それに比べると本土の移民地は重苦しかった。彼らはよく棄民という言葉を口にしました。つまり、われわれは、日本から棄てられたんだ……と。なにかのトラブルが生まれると、すぐに日本政府への要求を口にする。それがかなわないとわかっていても、日本にすがろうとする。でも、沖縄の人たちは違ったね。自立心があるんです」
 実際、沖縄村はその後、ボリビアの農牧大臣から「小麦の里」と激賞されてもいる。
 だが、それを移民の成功譚として書き留める前に筆が止まる。ボリビアに渡った沖縄の人々は、アメリカ占領下の琉球政府に頼ることを、はじめから諦めていたようなところがある。棄島した人たちに、棄民もなにもなかった。その背後には、戦争を通して日本から棄てられたような沖縄の現実が横たわっている。そのなかでは、琉球政府もまた犠牲者だった。それが当時の沖縄の人たちの共通認識だったような気がしないでもない。それを嗤って開墾に励む。沖縄村のエネルギーだった。

 ボリビアに渡った沖縄移民たちは明るかった。だがその明るさは本来の気質によるものだけでなく、「そもそも日本という国に期待をしていなかった」という背景によるものなのかもしれない。

 琉球処分によって琉球が日本のものになり沖縄県ができたのが1879年。1950年代の沖縄の人にとっては「我々は日本人だ」という意識は薄かったのかもしれない。アメリカ占領下だし。


 沖縄移民の明るさは、楽観から来るものではなく、むしろ諦観だったのかもしれない。そしてその感覚は現代では完全になくなったものなんだろうか。


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2026年5月25日月曜日

なんでおれのわかる話をしないんだ

 とあるテレビ番組でおじさんたちが「最近のアイドルの名前がわからない」といった話に興じていた。「若い人の出す話題がわからないことが増えた」と。

 古来よりさんざん語られてきた話なのでぼんやり聞いていたのだが、その中のひとりが口にした言葉にはっとさせられた。

「若い人たちが口にする話題がわからないときに『なんでおれのわかる話をしないんだ』と思う自分がいる」


 ぞっとしてしまった。

 ぼくも四十代なので、とっくに最近のアイドルはわからない(というか昔からあんまりわからない)。会社でも、若い人同士の話を聞いていると「それの何がおもしろいんだ」と思うことが増えた。

 ただそれでいいと思っている。若い人たちの話題に詳しいおじさんなんてかえって気持ちが悪い。自分が若いときのことを思いだすと「若い人の話題にがんばって入ってこようとする中高年」がいちばん不愉快だった。


 中年が若い人の流行についていけないことはかまわない。むしろ健全なことだ。

 ただ「なんでおれのわかる話をしないんだ」と考えだしたら、それはもう100%“老害”というやつだろう。自分が流行についていけないことを棚に上げて、世間を自分にあわせようとしているのだから。

 幸いにしてぼくはまだ「なんでおれのわかる話をしないんだ」と思ったことはない。でもそのうち思うかもしれない。そのときは首を掻っ切ってくれ。


「なんでおれのわかる話をしないんだ」と考える中高年の末路が新語・流行語大賞の審査員(平均年齢50歳以上)だが、ああはなりたくないものだ。


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2026年5月22日金曜日

【読書感想文】ブライアン・クラース『なぜ悪人が上に立つのか 人間社会の不都合な権力構造』 / えらいやつを逮捕する「トリクルダウン」を!

なぜ悪人が上に立つのか

人間社会の不都合な権力構造

ブライアン・クラース(著)  柴田 裕之(訳)

内容(e-honより)
私たちは「背の高い自信過剰な男性」をトップに据えがち?政治家が堕落し、職場にサイコパスがはびこる理由を、進化論や人類学、心理学によって読み解き、権力を腐敗させない方策を示す。

 権力が腐敗するのはみなさんご存知の通り。

 特に政治家はルール違反ばっかりしてるし、おまけに責任はとらない。なんのかんのと理由をつけて意地でも議員の席にしがみつく。「ルール違反をした議員はその軽重に関わらずいったん資格剥奪」という法があればいいのだが(そんな無茶なこと言ってないとおもうが)、その法をつくるのが当の国会議員なのでとても期待できない。

 ということで政治家は悪人だらけである。だいたいいつの時代もどの国でも同じ。ここまでは誰もが知る常識だ。


 この本の議題はここから。

  • もともと悪質な人が権力を掌握するのか? それとも権力が人間性を腐らせるのか?
  • 我々はなぜふさわしくない人に権力を与えてしまうのか
  • どうすれば腐敗しにくい人を権力の座につけることができるのか?

 これを突き止めれば、権力者の腐敗を防ぎやすいシステムをつくれるかもしれない。

 といってもそのシステムを作るのが権力者なのでもう手遅れかもしれないけど。
「世の中を良くするけど自分の立場を危うくするルール」を政治家は導入しないだろうから。



 まず前提として、選挙では優秀な政治家は選ばるわけではない。

 2008年にスイスの研究者たちが、実験を行ってこの仮説を検証した彼らは、5~13歳の地元の子どもを681人集めた。そして、コンピューターのシミュレーションをするように求めた。そのシミュレーションでは、これから航海に旅立つ船について、決定を下さなければならなかった。子どもたちはそれぞれ、画面に表示された2つの顔に基づいて、自分のデジタルの船の船長を選ぶ必要があった。他には何の情報も与えられなかった。こうして、子どもたちがやむをえず選ばなければならない設定になっていた。どんな顔の人が、良い船長に見えるか?想像上の船にとって、誰が有能な指導者になりそうに見えるだろうか?
 子どもたちは知らなかったが、船長候補の2人は、ただランダムに選んだわけではなかった。じつは、フランスの国民議会選挙で争ったばかりの政治家たちだった。顔の組み合わせは、ランダムに子どもたちに割り当てたが、どれも1人は当選者、もう1人は次点の候補となっていた。研究の結果は、驚くべきものだった。全体の71%で子どもたちは選挙に当選した候補者を船長に選んだのだ。同じ実験を大人を相手にやってみると、ほぼそっくりの結果が出たので、研究者たちは再び仰天する羽目になった。

 なんと、子どもが顔だけを見て「良い船長だと思うかどうか」を判断した結果を見るだけで、71%の確率で「国会議員選挙の当選者か落選者か」を当てることができるのだ。そしてそれは大人でも同じだという。

 つまりぼくらは「頼れる顔かどうか」で政治家を選んでいるのだ。うーん、なんてバカなんだ有権者。

 でもまあ有権者がバカなのはしょうがない。問題は顔の力で当選した議員たちが、調子に乗って「自分という存在は多くの人に支持されている」という誤った考えに陥ってしまうことだ。ちがうぜ、おまえは「良い船長っぽい顔」をしているだけで、えらくもなんともないんだぜ。「民意を得た」とか言って野党の意見を抹殺していい理由なんてひとつもない。



 先ほどの「もともと悪質な人が権力を掌握するのか? それとも権力が人間性を腐らせるのか?」という問いだが、著者はその両方が事実であると述べる。


 インドでおこなわれた実験。学生たちに「サイコロを4回振って出た目に応じて報酬がもらえる」と伝え、サイコロの目を自己申告させる(つまりやろうとおもえばかんたんに不正ができる)。

 その結果、多くの学生が不正をはたらいた。興味深い結果が出たのはそこからだ。

実験で不正を働いた学生と、結果を正直に報告した学生とでは、志望するキャリアに違いがあった。大きい目が出たという虚偽の自己申告をしていた学生は、平均的な学生よりも、インドの腐敗した行政職に就くことを志望する割合がはるかに高かったのだ。
 行政職が清廉で透明なデンマークで別の研究者のチームが同様の実験をすると、結果は逆だった。出た目を正直に自己申告した学生のほうが、公務員を志望する割合がはるかに高く、嘘をついたのは、とんでもない大金持ちになれそうな他の職種を志望する学生たちだった。腐敗した制度が腐敗した学生を引き寄せ、公正な制度は公正な学生を引きつけたのだった。ひょっとすると、権力が人を変えるのではなく、これは環境の問題なのかもしれない。善良な制度は、倫理的な人が権力を求めるという好循環を生み出しうるのに対して、劣悪な制度は、平気で嘘をつき、不正を働き、盗みをし、ついには頂点に立つような人間の悪循環を生み出す可能性がある。もしそうであれば、私たちは権力のある人に注目するのではなく、破綻した制度の修復に的を絞るべきだ。

 公務員が不正によって甘い汁を吸うことができる社会ほど、不正をはたらきやすい人間が公務員職に応募する。


 また別の実験。

 カリフォルニア大学バークリー校のダッチャー・ケルトナーが
「自動車が近づいたタイミングで横断歩道に出ることで、どのような車に乗っているドライバーが停車するか」
を調べたところ、高級車ほど歩行者を無視して走り抜ける割合が高かったそうだ。

 権力についてのケルトナーの研究は、明確な作用を浮き彫りにする。権力のある人は、自分を抑制する力を失う傾向にある、というのがそれだ。「権力に酔う」というのは、まさに打ってつけの描写だ。権力があるという感覚を強められた人は、他者にどう思われるかは、あまり気にしなくなる。他者の心をうまく読めなくなる。他者に共感する必要を、それほど感じなくなるからだ。彼らは、規則は自分には当てはまらない、と感じはじめる。ケルトナーは、こう説明した。「より大きな権力を享受する人々は、衝動的に食べたり、性的な関係を持ったり、交通規則を破ったり、嘘をついたり、騙したり、万引きをしたり、子どもからキャンディを取り上げたり、失礼な口や、下品な口や、無作法な口を利いたりする可能性が高い」。


 つまり、悪いやつほど権力に吸い寄せられ、権力が与えられた人間は悪事をはたらきやすくなる。

 これにより負のスパイラルが生じる。悪人ほど権力者を目指し、権力者が悪事をはたらく(そしてそれが見逃されることで)ことでよりいっそう悪人が権力を目指すようになるわけだ。

 なるほど、年々議員の質が悪くなっていってる気がしてたけど、気のせいじゃなくてちゃんと裏付けがあったわけね。



 一応書いておくと、権力者を糾弾するばかりではなく、第7章の『権力が腐敗するように見える理由』では、権力者の肩を持つ論調も見せている。

 つまり、「権力があるせいで結果の重大性が高まり、より悪質になったように見えるだけ」である(一般人が100万人を殺すことはまず不可能だが国家元首ならそれができる)とか、「権力者のほうが詮索、監視の目にさらされやすいので悪事が見つかりやすい」とか。

 たしかに。権力者の悪事は凡人の悪事よりも目立ちやすい。


 だが。

 それを差し引いても、やはり権力を持つと、より利己的になり、他者への共感が薄れ、権力の濫用をしやすくなるそうだ。まちがいなく権力は腐敗するのだ。



 なぜ権力は腐敗するのか。

 その理由のひとつが、選民意識によるものだ。

 最近のある調査が、この取り組み方を支持する具体的な裏づけを提供してくれる。スイスのチューリッヒで864人を対象として行われた実験では、ランダムに獲得した権力と、競争を通して獲得した権力とを比較した。すると、偶然に権力を握った人のほうが、傲慢な行動をしないことがわかった。ランダムに選ばれると謙虚になる一方、競争(たとえば、選挙)に勝つと、そうはならない。これは、たった1つの調査にすぎないが、その結果には勇気づけられる。権力を望まない人こそ、その権力を振るうにあたって最も高潔なのかもしれない。

 先ほどの「高級車に乗っている人ほど交通ルールを守らない」のも同じだろう。

 たぶん「懸賞であたった高級車」よりも「稼いで買った高級車」を運転する人のほうがマナーが悪いのだろう。自分は選ばれた人間だ、という意識が人を不正に走らせる。


 だがこの選民意識はたいていの場合まちがいだ。バカほど勘違いする。

 たとえば有名なミュージシャンが稼いだ金で高級車を買う。彼は「音楽の才能がある人」であって「交通ルールを守らなくていい人」ではない。なのに「俺は時間あたりの稼ぎが人より多いから人よりスピードを出してもいい」と勘違いする。

 議員にいたってはもっとひどい。民主主義国家における議員というのは、PTAの役員やクラスの掃除当番といっしょだ。「その集団を代表して面倒な仕事をやることになった人」である。

 掃除当番が「おれは掃除当番だから人より多く給食のプリンを食べる権利がある」と言ったら嗤われるだけだが、議員にはこういうマインドの人間が多い。選ばれたから不正には目をつぶってもらえる、と。いやいやあんたは掃除当番と同じ立場なんだよ。掃除をしてくれてありがとうとはおもうが、それだけだよ。



 さてここからが重要な話。

「自分は選ばれたのだから人より優遇してもらって当然」と勘違いするバカを一掃するにはどうしたらいいか。

 腐敗した高官たちを標的にしたアナスの調査が重要だったのは、不正を働く大物たちを倒すというのが、いわゆる「トリクルダウン」の原理が実際に効果を上げるように見える、数少ない事例の1つだからだ。私の教え子の1人であるアダム・ソールズベリーは、オックスフォード大学で西アフリカにおける腐敗の研究を行った。すると、ブルキナファソで関税同盟を主導していた悪徳役人が権力の座を追われると、彼がそれまで支配していた人々が、たちまち行いを改めたことがわかった。
 腐敗した上司という手本がなくなると、部下たちは自らを改革した。首を切り落とすとうまくいくようだ(ジェレミー・ベンサムには朗報だろう)。ソールズベリーの発見は、人を精査するときには権力を握っている人にレンズの焦点を合わせるべきだという見方に、さらなる裏づけを与えた。彼らによる権力濫用のほうがはるかに深刻な結果をもたらすので、最上層の人間の行動を改めさせれば、下層ではより多くの人に行動を改めさせることにつながりやすい。一方、その逆は想像しづらい。下層の事務員や秘書が前よりも善良に振る舞ったとしても、腐敗した判事やCEOまでもが突然、非の打ち所のないほど清廉にはならないだろう。

 権力のない人間の不正を厳しく取り締まっても、権力者が改めることはない。

 だが権力者の不正を取り締まれば、下の人も行動を改める。だからえらいやつの身辺をどんどん調査して不正を暴くべきだ。

 これを「トリクルダウン」と表現したのは実にいい。そうなんだよ。「まず上が儲かれば下も儲かる」じゃないんだよ(そんなことは起こらなかったし)。「まず上の不正を糾せば下も襟を正す」なんだよ。

 検察は国会議員をどんどん捕まえろよな!


 今の日本(に限らずほとんどの国)ではこれの逆をやっている。上の不正には目をつぶる。選挙が終わったら毎回選挙違反で捕まる候補者が出てくるが、そのほとんどが落選者だ。

 ちがうんだよ! 国民がほんとに捕まえてほしいのは選挙違反をして当選したやつなんだよ!


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政治はこうして腐敗する/ジョージ・オーウェル『動物農場』【読書感想】



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