2050年1月1日土曜日

犬犬工作所について

読書感想文を書いたり、エッセイを書いたりしています(読書感想文 五段)。



読書感想文は随時追加中……

 読書感想文リスト



2026年10月30日金曜日

【読書感想文】ギャリー・スティーヴンソン『トレーディング・ゲーム 天才トレーダーのクソったれ人生』 / まともな感覚ではできない仕事

トレーディング・ゲーム

天才トレーダーのクソったれ人生

ギャリー・スティーヴンソン(著)  千葉 敏生(訳)

内容(e-honより)
おかしな話だろう?人生の三年間を経済学の勉強に費やし、もう三年間をトレーディングに費やす。午前五時に起き、一〇〇件のメールに目を通す。毎日だ。経済理論について講釈を垂れてもらうために新卒の若者を雇う。とうとう壮大な理論を思いつき、大金をぶっ込む。その結果がどうだ。一回の地震により、たった一日で二五〇万ドルが儲かる。その裏では、二万人が命を落とす。自分の身近な人々、毎日を一緒に過ごす人々、トレーディングを教えてくれた人々、何もかも教えてくれた人々。その全員が叩きのめされる。いったいどういうことだ?ティツィーは天才を見るような目で僕を見つめつづけた。まるで地震が起きることを僕が予見していたと言わんばかりに。まるで僕が地震を引き起こしたとでも言わんばかりに。

 元トレーダーによる半生記。

 貧しい出自だったが数学的才能を武器に経済トレーダーになった著者はほどなくして大金を動かし、膨大なボーナスを稼ぐようになる。

 だが自分のやっていることに虚しさを感じるようになり、会社に対して退職を申し出る。だが辞めさせたくない会社側はあの手この手で退職を妨害してくる……。


 正直、かなり読みづらい。特に、同僚にこんなやつがいた、こんなやつもいた、上司はこんなやつだった……って書かれるのが。自伝の登場人物って書いている当人にとっては知ってる人だから細かく説明しなくていいし「あいつがこんなことをしたんだよ!」ってのがおもしろいエピソードになるけど、赤の他人からすると知らんやつでしかないからな。毎回ちゃんと説明しれないと「こいつどこのどいつだっけ」ってなるし、知らんやつのおもしろエピソードなんてたいていおもしろくないしね。

 あとトレーディング業務の話もわかりづらい。これはぼくに金融の知識がないからかもしれないけど……。



 ただ著者がだんだん世の中の矛盾に気づいてだんだんやる気を失っていく過程は十分に伝わってきた。

 でも、黙っていても入る金なんてものがあるのか?
 本当に?
 本当にそんなに楽々と金儲けができるのか?
 そんなに簡単なら、みんながやらないのはなぜ?
 実際のところ、みんな やっていた。だが、本当に黙っていても儲かるのか?
 リスクは?
 その日、巨大なスプレッドシートを振りかざすスペングラーの後ろに座っているとき、僕が自問すべきだったのはそういう疑問だ。だが、僕はそんな疑問を抱きもしなかった。僕はただうなずいて言った。「もちろん、やってみたいです」
 すると、スペングラーはポンとボタンを押し、グランティに話しかけ、僕の代わりに取引を行なってくれた。そうして、僕は三カ月間、二億四〇〇〇万ドルを貸しつけた。相手はダンスケ銀行コペンハーゲン本店、米ドルとストッキーのFXスワップだ。その日、僕はルンルン気分で家に帰った。僕が行なった人生初の中規模な取引だった。
 ところが、家に着き、両親と夕食をとりながら、映りの悪い小さな白黒テレビ(つまみを回してチャンネルを変える旧式タイプ)を観ていたとき、ふとこう思った。「待てよ、俺はいったい何をしているんだ?
 俺は米ドルとストッキーのFXスワップについて何も知らない。スウェーデンに行ったことだって人生でいちどもないんだぞ。それに、俺はダンスケ銀行コペンハーゲン本店が知らない何を知っているっていうんだ?
 二億四〇〇〇万ドルってのは大金じゃないのか?」

 とんでもない大金をぽんと動かす。増えれば多少はうれしいが、百ドル儲けるのも一万ドル儲けるのも大して変わらない。損したって大したダメージにならない。感覚がおかしくなってくる。

 ぼくも以前大きな金額を扱う仕事をしていた。広告費として月に数千万円を自由に使える立場にいたのだ(自由といっても前例から大きくはずれたことはできないけれど)。

 最初は1日数万円を使うだけでも「もし失敗したら数万円の損失、自分の日当よりもずっと多い額」とびびっていたけど、だんだん麻痺してきて「百万円使ってみたけどイマイチだったな。ま、次行くか」ぐらいの気持ちになってくる。ただの画面上の数字でしかない。数千万といったらひとりの人間の人生を狂わせるぐらいの金額ということを忘れてしまう。

 まあぼくの場合は給与が大したことなかったので、日常的な金銭感覚はそんなに影響を受けなかったけど、著者の場合は相当な額のボーナス(たぶんふつうの人の生涯賃金ぐらい)をもらっていたみたいなので、いろんな感覚が狂ってしまったのだろう。


 トレーディングなんてまともな感覚を持っていたらやってられない。ぼくが投資信託をはじめたのは2010年頃。その少し後に東日本大震災が起こった。

 ぼくは「これだけ大きな被害が出たら株価も下がっちゃうんだろうな」とおもいながら信託会社の管理画面を見て、驚いた。株価が上がっていたのだ。すごく。

 えっ、なんで。そうおもった。経済的に大ダメージのはずなのに。

 でも株価というのはそういうものなのだ。その後、コロナ禍でいろんな経済活動がストップしたり、外国で戦争が起きたり、そうした「悪いこと」が起こるたびに株価は上がった。

 なんなんだこれは。株価ってのは経済の状態を反映するものじゃないのか。

 詳しい仕組みはいまだによくわかっていないけど、社会が悪くなるほど株価が上がる傾向にあるということはぼくにもわかってきた。地震があると復興に予算が投じられるから、とか、コロナ禍でお金を使うところがなくなったから株式市場にマネーが流れ込んだから、とか、とにかくそういうことらしい。

 多くの人が命を落としたり、失業したりすると誰かが儲ける。なんていやな世界だ。


『トレーディング・ゲーム』の著者も、世界が悪くなる方に賭けて利益を上げている。

 こんなことをやっていたら気が変になるに決まっている。まともな感覚で続けられる仕事じゃない。

 そのとき僕が気づいたのは、みんながまちがっている厳密な理由だった。僕たちは末期がんを季節的な風邪と誤診していたのだ。銀行システムは崩壊したが、修復できると思っていた。信頼は失墜したが、回復すると思っていた。しかし、実際に起きていたのは、中流階級の富、つまりエイダンやアサドのような平凡で勤勉な家庭の富や、世界のほとんどの大国の富が吸い取られ、金持ちたちの手に渡るという現象だ。ふつうの家庭が資産を失い、借金まみれになった。政府もそうだ。ふつうの家庭や政府が貧しくなるほど、金持ちたちはますます富み、中流階級から金持ちへの利息、賃料、利益の流れが増し、問題が悪化していく。この問題は自然と解決したりはしないだろう。むしろ、どんどん加速し、悪化する。


 著者はトレーディングの世界に嫌気がさし、会社を辞めて格差問題に取り組むボランティア団体のために活動することを決める。

 だが会社は退職を認めない。金のなる木を手放したくないのだ。未払いのボーナスを人質にとり、裁判を起こすと脅しをかけ、あの手この手で辞意を翻させようとする。

 そんなことをして会社に恨みを持つ社員を残すほうがマイナスだろう、とおもうのだが……。他の社員への見せしめのためなんだろうか。それにしたってなあ。「辞めたら裁判起こすぞ」ってむりやり残留させた社員に、大金を預けてトレードをさせるのだろうか。怖すぎるだろ。

 つくづくよくわからない世界だ。


 まあ頭がおかしくなった人たちが頭のおかしいことをやるのは勝手にしてくれという話なのだが、問題はその人たちのせいで株価が大きく変動したり不動産が高騰したり多くの人が失業したり、そのくせ自分たちだけは倒産しそうになったら税金によって助けられたりすることだ。

 自由主義経済ってクソだな、という感覚を改めて強くさせてくれる本だった。

 かといって他にどんなやりかたがいいかわからないんだけど。


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2026年10月27日火曜日

【読書感想文】奥田 英朗『純平、考え直せ』 / 殺されるほうが殺すやつより格上

純平、考え直せ

奥田 英朗

内容(e-honより)
坂本純平は気のいい下っ端やくざ。喧嘩っ早いが、女に甘くて男前。歌舞伎町ではちょっとした人気者だ。そんな彼が、対立する組の幹部の命を獲ってこいと命じられた。気負い立つ純平だが、それを女に洩らしたことから、ネット上には忠告や冷やかし、声援が飛び交って………。決行まで三日。様々な出会いと別れの末に、純平が選ぶ運命は?一気読み必至の青春小説!

 下っ端やくざを主人公とした小説。

 強引な取り立てをおこない、拳銃や覚醒剤を扱い、ときには対立する組とも抗争をくりひろげる……という典型的なヤクザ。2011年刊行なのでこの頃はまだこういうヤクザもいたのかもしれないが、今となっては絶滅寸前だろう。少なくとも今のヤクザはこんなわかりやすい立ち居振る舞いをしていないだろう。


 下っ端やくざとして泥くさい仕事に従事していた主人公・純平は、親分から「対立組の幹部の命を奪ってこい」と命じられる。いわゆる鉄砲玉というやつだ。純平は名を上げるチャンスととらえ、ふたつ返事で引き受ける。

 知り合いに頼まれたトラブル解決のために暴力事件を起こし、逃げるどころかさらに喧嘩を売り……ととにかく無鉄砲。うむ、まったく共感できなくておもしろい。

 ほんと、何から何まで共感できないんだよな。幸いやくざとか不良とかとは無縁な人生を歩んできたので、「メンツのためならどれだけ不利益を被ってもかまわない」という生き方にはただただあきれるばかりだ。かっとなって損とわかっていることをやってしまうことは誰しもあるだろうけど、それにしたって限度がある。

 まして鉄砲玉なんて愚の骨頂。何の恨みもない相手を殺すなんて。それで「男が上がる」と当人は考えているのだろうが、どう考えたって周囲はそう見てくれない。「おだてられてうまいこと利用されたばか」でしかない。


 出会った人たちの助言などから純平自身も、徐々に己の本当の立場に気づきはじめる。ただ利用されているだけ、使い捨ての駒にすぎない、鉄砲玉なんかやっても損しかない、と。

 だが引けない。自分でも無駄なことだとわかっているが、それでも止まれない。

 この、わかっていて泥沼に足を踏み入れていく流れの書き方がうまい。人生にはこういうことってある。そっちはだめだとわかっているのに吸い寄せられるように足が向かってしまうことって。そもそも他人の忠告を聞き入れて己のあやまちを認め方向を正せるような人間なら最初からやくざになんてなってないもんな。


 次々にいろんなことが起こり、息もつかせぬ展開で惹きつける。登場人物も多いが、順に出てくるのですっきりまとまっている。奥田英朗さんはほんとに小説巧者だ。

 十分に余韻を持たせたラストも個人的に好き。

 大人からしたらアホとしかおもえない純平だけど、でも若さってこういうことだよなあ。




 作中で紹介されている、明治時代の評論家である斎藤緑雨の言葉。

「どれどれ……」ジイサンがポケットから老眼鏡を取り出して鼻に乗せ、朗読した。「人は殺すよりも、殺さるるに難きものなり。殺すよりも、殺さるるに資格を要するものなり。願わくは殺されん、殺さるるを得ずば、願わくは殺さん。殺さず殺されざるも、猶人たるの甲斐ありや疑わし。……坂本君はこの警句に興味を示したのかな」
「別に興味なんかねえよ。ただ、殺すとか殺さねえとか、物騒なことが書いてあるからよお」
「簡単に言えば、殺し屋よりも、殺される人間のほうが価値が上だということだ」
「ああ? おれのほうが下なのか。何でだよ」純平は気分を害し、思わず声を荒らげた。
「だってそうだろう。報復にしろ、戦争を仕掛けるにしろ、価値のない人間を殺してもしょうがない。君が殺そうとしている人間が、君より格下の人間だったら、殺す意味がない。君らの世界は、釣り合いで動いているんだろう」
 純平は返事に詰まった。胸の中に不愉快な気持ちが充満した。荒い鼻息を吐く。店員をつかまえ、「おい、ここホルモンをくれ。それから、生ビールお代わりだ」とぞんざいに言いつけた。

 誰かを殺す人間は、殺される人間より価値のない人間である。たしかにね。

 名もない市民が大統領を暗殺しても、大統領が一市民を暗殺することはない。なぜならその価値がないから。

 相手が、自分にとって脅威であったり、はるかに強い力を持っていたりして、暴力以外にそれをかわす方法がないときに殺すわけだ。殺すということは相手のほうが書く上であることを認めることだ。

 ふうむ。もし誰かを殺したくなったらこれを思いだそう。


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2026年10月21日水曜日

キングオブコント2026の感想

 キングオブコント2026の感想。


■ 敗者復活戦 ■

 破壊ありがとうの婚姻届のコントがいちばん好きだったな。絶妙に気持ち悪くて。

 喫茶ムーンも不快感が漂うコントをしてたけど、事前VTRで「客の悲鳴が聞きたい」みたいなことを言っていたのがマイナス。そういうこと言わずにやるからおもしろいのに。

 まあ破壊ありがとうも喫茶ムーンも芸人審査では評価されても国民審査や決勝の客には受け入れられなかった気がするので、こういうコントをテレビで観られただけで満足。

 あとやっぱりしずるはいいねえ。愛されてるなあ。一気にバラエティの雰囲気になった。いちばんおもしろかったのはしずるのコントの後。長田さんの「たぶん勝てないし」は笑った。しずるは毎年敗者復活戦にいてほしい(本人たちは嫌だろうが)。

 やっぱり芸人審査は楽しいね。昔のキングオブコントの芸人審査は、いつコメントを振られるかわからない&ダウンタウンの厳しい言葉のおかげで緊張感があったが、敗者復活戦のほうはたぶん事前に「次おまえらいくぞ」みたいなのがあったんだろうね。みんなしっかりコメントを考えていて、それはそれでおもしろいんだけどちょっと予定調和な感じがして物足りない面も。

 個人的なコメント大賞はカゲヤマ益田さんの「10年後チャンピオンになります」。なんで来年じゃなくて10年後なんだよ。

 芸人審査は楽しいけど、公正とはいいがたいから決勝には持ちこまなくていいかな。この後9組出てくるのに1組目から最高点の5点をつける人って何も考えてないのかな。ちゃんと審査しようとおもったら、どんなにおもしろかったとしても1組目には4点までしかつけられなくないか。

 あとネルソンズに1点とか2点とか入れてた人は、個人的に恨みでもあったんだろうなあ。どう考えても1点入れられるようなコントじゃないでしょ。


 結果的に「フランクフルトを落としたかどうか」といういたって平和なネタをやっていたスパイシーガーリックが勝ち上がり。

 決勝ではちがうネタをやっていたけど、最終決戦まで勝ち残ってたらどうしてたんだろ。さすがに3本は用意してないか。


■ 決勝戦 ■

元祖いちごちゃん(娘の彼氏)

 意外にふつうのネタだったなあ。あんな風貌なのに誰よりもオーソドックスなコントをしていた。音響を使ったテクニカルな面も見せていたが、元祖いちごちゃんに期待するのはそういうんじゃないんだよ。

 感想としては去年とほぼ同じ。最初に強いボケがくるがその後はしりすぼみになってしまうとことか、たっぷり間をとってツッコむわりにわりとはずしているとことかが気になった。あれだけ期待を高めるんなら相当意外な角度からツッコまないと肩透かしをくらっちゃうよ。


ヤッホイ(チャーシューメン)

 今大会でいちばん名を上げたコンビかもしれないね。

 意欲的なことをやりながら、それでいて肩肘を張っていない。あそこまでひとりだけがしゃべるコントをやったら、もうひとりはずっと黙って最後に一言だけ言う(あるいは最後まで口を開かない)、みたいな構成にしてしまうのがセオリーだけど、それすらも裏切る。斬新なコントをやってやるぜ、みたいな意気込みも感じさせなくていい意味で力が抜けている。

 ラーメン屋のしゃべっていることは聞き取れない箇所も多いのだが、それでも耳心地がいい。上質なラップを聴いているよう。


スパイシーガーリック(エスカレーター)

 敗者復活戦と同じように平和なネタ。

 自宅に設置するならエスカレーターじゃなくて場所をとらないエレベーターだろ、エスカレーターだったら上りと下りの2機つけないといけないし……なんてことは考えずにただ動きのおもしろさを味わうのがこのコントの正しい楽しみ方なんだろう。

 楽しいコントではある……がストーリーに起伏のないこのコントを5分観ると少々飽きてしまった。


ななまがり(ぬいぐるみ)

 ぬいぐるみが実は生きていてしゃべりだすという定番のファンタジーな導入から、ほとんどのぬいぐるみは死んでいるというダークな設定。なるほど、たしかに命あるものは必ず死ぬから、生きているなら死ぬこともある。納得がいく。理解できるがゆえにおもしろみがない。

 ななまがりにしては論理的なネタで、であるがゆえに小ぢんまりした印象を受けてしまった。序盤のネタばらしがピークで、あとはその補足に終始してしまったな。


ダウ90000(男のタイプ)

 この短時間で8人を登場させ、複雑な人間関係を簡潔に伝え、鋭い観察眼と批評性も見せてくれ、ちゃんと笑いもとる。実にうまい。8人組限定のコントの大会なら10連覇できるだろう。不世出の才能だ。

 これ以上ないほど優れたコントだが、でも優勝はできない。だって競技がちがうんだもん。総合格闘技の大会に柔道の世界王者が出るようなもので。ダウのコントとジェラードンのコントのどっちが上かなんて比べられないよ。それ言ったら身も蓋もないんだけどさ。

 個人的には「夢に向かって努力しているまじめな若者が楽しいだけの軽薄な男に勝てない、楽しいだけの軽薄な男が成功している大人の男に勝てない」まではわかるんだけど「成功している大人の男が夢を追っているまじめな若者に勝てない」にはまったく共感できなかった。そうかあ? 若さで負けていたとしても、それはタイプとは別の問題だしなあ。


ジェラードン(酔っ払い)

 前半の酔っ払いの動きを見ながら、子どもの頃に見ていたカトちゃんケンちゃんのコントを思いだした。古今東西老若男女誰が見てもわかるおもしろさ。

 中盤で「実はひとりは酔っていない」「実はふたりともしらふ」という設定が明らかにされるが、そこからもストーリーを転がすことはなく、徹頭徹尾バカをやりきるのがすごい。設定すらもバカを増幅させる装置でしかない。

 ダウ90000の緻密で隙のない脚本のコントを観た後だからこそ、シンプルなおもしろさが際立つ。小難しいことをあれこれ考えていても、結局おれたちはおもしろい顔とおもしろい動きで笑っちゃうんだよ。頭ではなく魂を揺さぶってくれるコントだった。


ニッポンの社長(殺人現場)

 いつもながらのむちゃくちゃなコントだが、そそっかしい後輩刑事というキャラクターにしてしまったせいで、ニッポンの社長の狂気性が薄れてしまったように感じる。

 たとえば以前のキングオブコントで披露していた『バッティングセンター』のネタでは、「このおっさんに痛覚はないのか」「何が目的でそこまで執着するのか」がわからないことが異常性を際立たせていたが、今回はただ変なやつがドタバタしているだけに見えてしまった。


相性はいいよね(クレーム)

 怖そうな客がレストランの店員にクレームを言ったが自分の勘違いだったことがわかってばつの悪い思いをする……という東京03っぽい導入。

 東京03であればそこから角田さんのみみっちい立ち居振る舞いが展開されるのだろうが、こちらは客が自分の非を素直に認めた上で「ぜったいにウケろよ」という謎の懐の広さを見せる。そこから二転三転の先が読めない展開。シナリオだけで言えば、今大会もっとも見ごたえのあったコント。脚本を読んだだけでもおもしろいはず。

 芝居もいいし、完成度は非常に高かった。しかし完成度が高いと埋もれてしまうのがキングオブコントという大会なんだよなあ。


蛙亭(デスゲーム)

 見たことのあるコントだったが、一度目と同じように笑った。強度が高い。

 特に「スマホはまだわかるわ、鼻シュッシュされて何か困ることあるんか!?」のセリフは秀逸。コントのためのセリフじゃなくて、本物のセリフだもんな。同じ状況になったら言っちゃうとおもう。現実味があって、それでいて「怒るのそこなんだ」というおかしさもある。すばらしい。

 ただ電流だったりロシアンルーレットだったりの展開はコントのための動きだったな。


ザ・マミィ(シーシャ)

 これ、シーシャを好きな人からしたらぜんぜんおもしろくないんじゃないのかな。あたりまえのことをあたりまえに説明しているだけなので。

 ザ・マミィってこういう変な道具好きだね。トーキング・モジュレーターとかカリンバを使ったコントもやっていたし。

 せっかく唯一無二のキャラクターを持っている酒井さんという人がいるんだから、そのキャラを活かしたネタを観たかったな。前のKOCでやってたミュージカルのネタみたいなの。

 細かいことだけど、酒井さんがあの風貌の刑事なのにスーツも靴もぴかぴかなのが気になった。もっとくたびれてないと。


や団(社長)

 や団って伊藤さんがはっきりとヤバいやつ、中嶋さんが一見ふつうだけどよく考えたらもっとヤバいやつ、みたいなコントが多いけど、このネタについては伊藤さんがひとりでヤバいやつを演じていて、パワーダウン感が否めない。しかも理解できなくもない、ぐらいの軽めの異常性だったし。

 や団にしてはベタに感じてしまったが、これは常連組の宿命か。


■ 決勝戦 ■


ヤッホイ(寿司屋)

 観ていて、キングオブコントが始まったときにネットで盛んだったラーメンズ論争を思いだした。ラーメンズは出るのか、いや出るはずがない。もしラーメンズが出たらその完成度の高さで圧倒するんじゃないか、いやラーメンズはおもしろくない、いやラーメンズはおもしろいけどこういう場では評価されない。そんな議論がよくなされていた。

 ヤッホイのこのネタを観て、ラーメンズが出ていたらたぶんこんな感じだったんだろうなあ、という感じがした。そりゃ得点にはつながらないよね。

 後半は玉置浩二のおもしろさだろ、とおもった。


蛙亭(バー)

 蛙亭の魅力って中野さんの善性が持つ気持ち悪さが大きいとおもうんだけど、このネタはその無邪気さが封印されている。真逆の、「言っていることは正しいけど嫌なやつ」になってしまっている。もったいない。

「フラれて泣いている女と初対面の男」という構図は以前のKOCで披露した『寿司ボーイ』のネタと似ているが、あっちは中野さんの魅力が爆発していた。1本目で1位になったロッチが最終決戦でボケとツッコミを入れ替えたネタを披露して逆転負けを喫した年を思いだした。幅を見せたいのはわかるが、最大の武器を活かさないのはもったいない。


ジェラードン(マジックバー)

 わかりやすく変な恰好の人間が出てきて変なことをやる、というオーソドックスなコント。新しいことはやってないが、13本のコントを連続で観た後の観客と審査員にはこれぐらいのわかりやすいネタのほうがいいんだろう。もう斬新な発想とか緻密な構成とかを受け入れる余裕がないもんね。「今君は何を思う!?」という使い勝手のいい決め台詞まで持ってきて、優勝を決めるのにちょうどいいネタ。これがトップバッターで披露されたネタだったら7位ぐらいに終わってそうだけど。



 ということで優勝はジェラードン。おめでとう。

 メンバー構成が変わって再出場を果たしたのが初めてなら、もちろん優勝も史上初。改めて大宮セブンの賞レースでの強さを見せつけた。


 審査結果についてあれこれ言うのは野暮だけど……。コンテストだから順位をつけるのはしかたないけど、せめて「審査員が3組選ぶ」ぐらいの審査方式にできないのかねえ。毎年おもうけど。

 ヤッホイとダウ90000とジェラードンのどこが何点高いか決めるなんて、どう考えたって無理でしょう……ねえ。



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2026年10月19日月曜日

【読書感想文】ベア・ウースマ『北極探検隊の謎を追って 人類で初めて気球で北極点を目指した探検隊はなぜ生還できなかったのか』 / ノンフィクションにしてミステリ

北極探検隊の謎を追って

人類で初めて気球で北極点を目指した探検隊はなぜ生還できなかったのか

ベア・ウースマ(著)  ヘレンハルメ美穂(訳)

内容(Amazonより)
1897年、アンドレー率いる探検隊は気球での北極横断を試みるが、失敗して氷上に不時着。陸地をめざして数百キロの距離を徒歩で移動し、2か月半後、ついに無人島に上陸した。だがその数日後、すべての記録が途絶える。そして33年後に遺体が発見された。彼らはなぜ、氷上で2か月半も生き延びたのに陸地にたどり着いたとたん死んでしまったのか? いまも答えの出ていないこの謎に、ひとりの女性が挑んだ。実際に現地を旅し、医師としての知識も駆使し、これまで見過ごされていた事実を突き止め、到達した新たなストーリーとは。15年以上にわたる調査研究の成果を豊富な図版とともにまとめた一冊。

 19世紀後半、まだ人類が誰一人北極点に到達していなかった時代。気球に乗って北極点上空へ行こうと考えたスウェーデン人がいた。歩きやそりで行けないなら空から行こう、というなんとも大胆な発想だ。

 サロモン・アウグスト・アンドレーら三人は気球に乗って北極に向かって出発。

 30日ほどの飛行となる予定だったが、度重なるアクシデントにより出発のわずか三日後に北極海の氷上に着陸。そこから徒歩での帰還を目指した。二ヶ月半後に無人島に上陸。だがその島で三人とも命を落とした。

 奇妙なのは、三人の死因がわからないという点だ。30年以上たってから三人の遺体が発見されたが、食料は十分に残されていた。衣類も、燃料も。また彼らは日誌をつけていたが、その日誌にも死の予兆となる記述はない。

 はたして三人はなぜ死んだのか。酸欠、食中毒、壊血病、病原菌、低体温症、鉛中毒、他殺、薬物など様々な原因が推測された。だが三人の遺体は死後30年以上たってから発見された上、火葬されてしまったので真相はわからない。

 医師である著者はこの謎にとりつかれ、長い時間をかけて膨大な資料や証言を集めて謎の解明に挑む。手紙、解剖結果、残留物、衣類、残された骨。はたして三人の死因は……!?

 という、なんともわくわくするノンフィクション。ノンフィクションでありながらミステリ。



 前半は三人の足跡を追いかけるパート。これがもう、読んでいるだけで寒気がする。

 当初気球は誘導索(ガイドロープ)を地面に垂らしながら進む予定だった。イカリのようなものだ。これがあることで高度が安定し、ある程度操縦もできるようになるらしい。

 だが出発早々、この誘導索がはずれてしまうのだ。

 気球が板壁を離れ、海峡の上へ飛んでいくと、そこで風が帆をとらえる。気球はくるりと回転し、いきなり海面に向かってがくんと落ちる。隊員たちはパニックに陥り、重し(バラスト)となる砂袋を切り落としだす。そのとき、机上の計算ではだれひとり予測できなかったことが起きた。引きずられて海岸に広がっていた誘導索(ガイドロープ)が、気球の回転につられて、すべて同じ方向に回転する。ロープを固定していたねじがひとりでに回り、海上を飛んでいく気球からロープがはずれて、海岸に置き去りにされる。誘導索を失い、二百キロを超える重しも海に捨ててしまったエルネン号は、たちまち七百三十七キロも軽くなり、あっという間に天空へ、どう考えても高すぎるところまで上がっていく。
 
 エルネン号は誘導索のうち、下のほうにあった三分の二を失った。氷上を這うこのロープがなければ、気球はもう、高度を一定に保つことができない。ロープと氷との摩擦がなければ、帆も機能しない。綿密な計画にしたがって進むはずだった北極への旅は、いまやガス気球が風に吹かれて漂うだけの、制御のきかない空の旅と化している。海岸に残った作業員たちは、アンドレーが気球の排気口を開けて、海峡をはさんだ向かい側にある島の小さな岬、《オランダ人岬》に不時着するのを、いまかいまかと待っている。だが、そうはならない。エルネン号は、北へ、雲のあいまへ消えていく。

 出発と同時にコントロールが利かなくなってしまうのだ。文字通り、風まかせ。

 さらにアクシデントは続く。悪天候による霧や霜のせいで、気球から水素ガスがどんどん漏れ出してしまうのだ。そして氷河の上に不時着。絶望的だ。

 だが三人は絶望したわけではなかった。元々、氷上を歩くことになるかもしれないと想定はしており、そりや数ヶ月分の食料なども準備していた。日誌にもさほど悲観的な記述はない。

 どこまでも広がる氷の上を、三人は重いそりをひきずって歩く。

 だがその工程は想像よりずっと過酷なものだった。

ニルス・ストリンドベリは計算する。計算しなおす。それでも数字は合っている。八月二日、位置を測定した彼は、足下の氷が、自分たちが南へ歩くよりも速く北へ漂流していることに気づく。上に乗っていると気づかないが、氷塊はつねに動いているのだ。氷は流されている。ここ数日、三人は起きているあいだずっと、そりを引いて歩いていた。一日あたり十時間以上だ。にもかかわらず、前進できていない。むしろ後退している。 この時点で、ニルスはアンナに宛てて書くのをやめる。 三人は進路を変えようと決める。このままではフランツヨシフ諸島にたどりつく前に極夜が来てしまう。代わりに、七島群島に用意された補給基地をめざす。いったい何度、足をすべらせてそりとともに水中に落ちたか、もうわからなくなっている。七島群島までの距離は二百二十キロメートル。六、七週間後には補給基地に到着できるだろう、と三人は期待する。 六週間後、三人は目的地である七島群島に、二十二・五キロメートルしか近づいていない。

 6週間で22.5km。ということは1日中歩いているのに500mぐらいしか進まない計算。ちなみにカタツムリの進むスピードが時速50mぐらいらしいので、だいたいカタツムリと同じ速度だ。

 歩いても歩いてもちっとも進まない。絶望的な行軍だ。これは精神的にもきついよな。何もかも嫌になって生きるための努力をやめてしまいそうだ。



 だが、三人の行動や手記を読むかぎり、彼らは決してあきらめていたわけではなさそうだ。

靄のかかった果てしない氷の世界で、極小の紺色の点のような男が三人、あまりに重すぎるそりを引いて、氷の畝を乗りこえ、割れ目を渡り、氷盤を歩く。ストリンドベリは〝非導電物質を少量加えた溶液の導電性について〟という論文で賞をとったことがある。フレンケルには鉄道敷設についての専門知識がある。アンドレーは、ストックホルムの失業対策として〝地下鉄〟を建設する件について、熱のこもった提案書を書いて市議会に出した経験がある。いま必要とされている唯一の分野、どうすれば北極で生き延びられるかについては、探検隊のだれも知識を持ちあわせていない。氷河学、海洋生物学、海洋化学にも通じていない。にもかかわらず、不時着した現場にいたときから、三人は氷の中から手あたりしだいに、あらゆる標本を集めはじめている。 氷の塊に入っていた藻類、とけた氷の水たまりで見つけた藻類を、包帯にくるんで梱包する。泥や棒切れも集める。土の粒の大きさを測り、日誌に書きとめる。カモメの雛を撃ち落とすと、目をえぐり出して包みに入れる。将来、知識のあるだれかがこれを調べて、カモメが雪盲にならない理由をつきとめられるように。測量をし、スケッチをする。数字をずらりと、まっすぐ、ていねいにノートに記す。計算し、計算しなおす。なんの意味もなさそうな細部にしがみついている。途方もなく綿密な調査だ。れっきとした、それでいて、ごっこ遊びのような調査。

 標本を集めたり、スケッチをしたり、写真を撮ったり。荷物をちょっとでも軽くするために不要なものは捨てたほうがいいはずなのに、生き残るためには不必要なものを彼らは持ち続けている。

 それはとにもかくにも、生きて故郷に帰る気でいたからではないだろうか。生還する気でいたからこそ、北極に達した証を少しでも多く持ってかえろうとしていたのだろう。

 生きて還る気でいた三人。

 無事に無人島に上陸したことで、ちっとも進まない氷上の行軍をしていたときよりもずっと暮らしやすくなったはず。寒さをしのぐ住居ができ、一冬を越せるだけの食料や燃料もある。遭難当初よりも希望は増していたのではないだろうか。

 だが上陸してからわずか三日ほどで手記はとだえ、(おそらく直後に)三人とも命を落とした。手記には、死の直接的な要因となるような記述は見当たらない。



 この本の後半は死因を突き止めようとするパート。ここは正直やや退屈。著者は真相に迫ろうとあれこれ奮闘するも、ちっとも真実は見えてこない。まるで6週間で22.5kmしか進めなかった行軍のよう。

 著者は霊能力者にまで相談するが、当然ながら解決の役には立たない(あたりまえだ。このくだりはいらなかっただろ)。

 一応結論らしきものは書かれるが「××の可能性は低い。○○だったのではないかと考えられる」というなんともあいまいなもの。

 でも現実のミステリってこんなもんよね。小説のように快刀乱麻を断つような唯一解はない。まだまだ解釈の余地はありそう。

 亡くなった三人も、生還できなかったことは無念だろうが、これだけ長い間多くの人に語り継がれるようになったのは冒険家として本望なのでは。


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