2050年1月1日土曜日

犬犬工作所について

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2026年8月24日月曜日

【読書感想文】ジリアン・テット『サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠』 / 短期的な効率化が大失敗を生む

サイロ・エフェクト

高度専門化社会の罠

ジリアン・テット(著)  土方 奈美(訳)

内容(e-honより)
専門的な技術を扱う部署が、周囲に壁を作り「サイロ」と化す。企業全体の衰退を招く危険な罠、それは、社会が高度になるほど、深く大きくなる。先端企業ソニー、大都市ニューヨーク―人の作るあらゆる組織に付き物の罠からの脱出法はあるのか?文化人類学者の顔を持つジャーナリストが解決法を探る!


「サイロ」とは、元々は誘導ミサイルの地下保管庫のこと。そこから「他から隔絶して活動する部門」を指す言葉となったらしい。

 人が集団を作ると、どうしてもサイロは生まれる。気の合う合わないはあるし、属性が近い人の方が話しててストレスが少ない。

 サイロ自体が必ずしも悪いわけではないが、大きな失敗や事故の原因になることもある。様々な事例をもとに、サイロが生んだ失敗の例を分析し、サイロを壊すための成功例について紹介する本。


 紹介されている事例はおもしろく(ただしぼくは金融の話にはついていけなかったので証券会社の話は読み飛ばした)、なるほどと膝を打つ箇所も多かった。

 ただ、ちょっと話がうますぎるというか、「サイロは良くない」という結論が先にあって、そこに持っていくためにちょうどいい事例を集めてきただけって感じもする。

 たとえば失敗例としてソニーの例を挙げて、成功例としてアップル社やフェイスブック社(現Meta社)の事例を紹介しているけど、今はアップルやMetaが調子良くてソニーがかつての栄光を失ったから説得力があるんじゃないの、という気もする。

 どんな企業にも孤立主義的な面と風通しの良い面とがあるから、「うまくいっていない会社のサイロ」と「うまくいっている会社のサイロがなさそうな所」はいくらでも見つけられるのでは。

 考え方はおもしろいけど、ちょっと議論が単純すぎるかもね。



 特におもしろかったのは、ソニーが「ウォークマンの後継機」で失敗した事例。

 1999年にソニーは、2つのまったく異なるウォークマンの後継機を発表した。家庭用電気機器部門とコンピュータ部門がそれぞれ別々に後継機を開発していたのだ。

 どう考えたって1つにしたほうがいい。社内の知識や経験や労働力を結集して開発したほうがいいし、仮に「2つの分野に同じものを開発させて競争させる」という方針だったとしても、どこかの段階で良し悪しを判断して一方に注力するべきだろう。


 なぜソニーともあろう会社がそんなわけのわからないことをしたのか。

 ソニーは1994年に事業再編をおこない、いくつもの事業部に独立採算をとらせ、ゲーム、音楽、映画、保険などの事業は子会社化した。

 この改革は当初はうまくいき、それぞれの部門は利益率は高まった。大きな会社全体の利益を見るよりも、部門別の利益を見るほうがずっとわかりやすい。コスト意識は高まり、無駄なコストは削減される。

 だが各部門が独立することで「サイロ化」が起きた。

 ただ専門性の高いサイロをつくることで少なくとも短期的に会社の効率化は進んだように思われたものの、デメリットもあった。新たなサイロの経営陣は、カンパニーの財務に責任を負っていることを自覚すると、ライバル企業だけでなく社内の他の部門からも「身を守ろうと」した。他の部門と斬新なアイデアを共有しなくなり、優秀な社員の他部門への異動も避けるようになった。部門同士が協力しなくなり、実験的なブレーンストーミングや、すぐに利益を生まない長期投資も手控えるようになった。誰もがリスクを取ることに後ろ向きになった。

 社内は完全に分裂し、異なる部門と協力するどころか、別部門がやっていることもわからなくなった。

 たとえばソニーにはソニー・ミュージックエンタテインメントという音楽会社がある。多くの人気アーティストが所属し、強いブランド力を持っている。

 ふつうに考えれば、ウォークマンの後継機を宣伝するのであれば、ソニー・ミュージックエンタテインメントの力を借りたほうがいい。新しい配信サービスで人気ミュージシャンの曲を配信すれば、それを目的に配信サービスに加入する人は増えるだろう。

 だが開発部門は音楽部門とも協力しなかった。音楽部門は、CDの売上が落ちるのを恐れて他の事業部門と協力することを拒んでいたから。


 部門ごとに採算をとるようにすると「うちの部門は儲からないけど隣の部門は儲かること」に力を入れなくなる。

 仮にCDの販売による利益が100億円減っても、新しい音楽プレイヤーや配信サービスで200億円の利益が出るのであれば会社としてはプラスだ。だが独立採算、別会社だとそういう大局的な判断はできなくなる。

 こうしてソニーは音楽のネット配信事業において遅れをとり、アップル社が社内の知識と技術を結集して作りあげたiPodの独走を許した。


 ……ま、ちょっと単純化しすぎた話ではあるが、一抹の真実も含まれているのだろう。



 サイロが失敗や企業の停滞を招くことがわかり、特に成長中の企業では「サイロを生みださないこと」に力を入れるようになる。


 フェイスブック社(現・Meta社)では、新たに入った社員たちに部門に関係なく同じ研修を受けさせるという。チームプレイの重要性を学び、他の部門のメンバーとのコミュニケーションを促進させるためだという。

 別部署であっても「共に研修を受けた同期」がいれば話をしやすいだろう。


 またフェイスブック社では、何ヶ月か他の事業部に異動させてそれまでとはまったく別の仕事をさせる制度もあるという。

 この仕組みを使って、ゴールドファインはニュースフィード・プロジェクトの指揮官となった数カ月後、優秀な技術者の一人を別のグループに異動させた。異動先は「タイムライン」機能に関する別のプロジェクトに取り組んでいたチームだ。岩プロトタイプの開発が難しい時期に差し掛かっていたこともあり、当初はニュースフィード・チームにとって大きな痛手のように思われた。ただゴールドファインは異動によってメリットが生じていることにも気づいた。ニュースフィードとタイムラインのチームの間でアイデアが交換されるようになったのだ。
「タイムラインのコードの相当部分はニュースフィードに依存していたので、ニュースフィードのメンバーが異動することによって連携が深まるのを期待していた」とゴールドファインは語る。
「結果的に異動はとても有益だった。みんな忙しいので、日頃から他のチームが何をしているか理解するのは難しい。あらゆる手段を駆使してコミュニティの全体像を把握し、情報を交換するのはとても重要なの」


 読んでいておもったんだけど、これらの仕組みってわりと日本の会社が昭和の時代から(もしかしたらもっと前から?)やっていたことだよね。

 新人一斉研修と定期的な人事異動。

 昨今ではどっちかというとデメリットの方が多く語られがちだが、あれはあれで「部署間の相談をしやすくなる」「ある部門で得られた知見を他の部門に活かせる」という数字に表れにくいメリットがあるんだろうな。

「フェイスブック社ではこんな斬新なやりかたをとっている!」と紹介されているのが日本の古い企業のやりかたってのがおもしろい。



 サイロを壊すために旧来の診療科の壁をぶっこわした病院の例も紹介されている。

コスグローブはクリーブランド・クリニックを医者の専門分野に応じた部門に分けるのをやめ、患者の病気を中心とした組織にしようとしていた。それは「疾患」(癌など)や「体組織」(脳など)ごとに異なる専門分野を集めた組織をつくり、外科医や内科医などさまざまな専門医が患者の治療に協力する仕組みを意味する。
「私がクリーブランド・クリニックに入った頃は、心臓外科医は廊下の端、心臓内科医は逆の端という配置になっていて、待合室以外では顔を合わせることもなかった。(同じ外科医である)直腸や他の臓器の外科医とは何の共通点もない一方、心臓内科医は医学界では別分野でも同じ心臓を扱う者として共通点がたくさんあったのだが」とコスグローブは嘆く。

 これはおもしろい。たしかに心臓外科と心臓内科ってふつうはぜんぜん別の部門で、病棟の中でも(たぶん)遠く離れた場所にあるけど、言われてみればそれって病院側の都合だよな。患者からしたら心臓外科と心臓内科はすぐ近くにあってほしい。

 健康診断で心臓の数値が悪くて病院に行ったとき「心臓内科ですか、心臓外科ですか」って聞かれたって困ってしまう。「いやこっちはそんなの知らんがな。とにかく心臓を診てもらって内科治療か外科治療かはそっちで決めてよ」とおもう。

 病院側からしたって、心臓外科と心臓内科が近くにあったほうが診療科の垣根を越えて治療にあたりやすそうだ。

 

 ぜんぜん別の話になるけど、本屋の文庫売場とかコミック売場って「出版社別に分かれてて、その後作者名順(あるいはタイトル順)」になっていることが多い。

 あれって完全に書店側の都合なんだよね。客からしたら「今日は講談社の本を買おう」と探すことなんてなくて、作者名かタイトルで探すんだから。

 そうおもってぼくが書店で働いていたとき、それまで出版社別だった棚を作者名順に並び替えた。ちゃんと売上は上がった。



 はじめにも書いたように、ちょっと議論が単純すぎて鵜吞みにはできないところもあるけど、組織の在り方を考える上ではすごくおもしろい本だった。


 組織を細分化してメンバーの専門性を高めれば(短期的には)効率的になるけど、無駄とおもわれたことが長期的には利益を生んだりもするんだよね。まあほんとに無駄なことも多々あるのでむずかしいんだけど……。


 今ぼくが働いている会社は社員数が増えている。今は従業員数100人ぐらいで、オフィスも広くなって、そろそろ「あの人何の仕事をやってるかよくわかんない」って状況になりつつある。「A事業部が困ってること、B事業部でやってるやり方を使えばすぐ解決するのに」ってことも発生している。

 事業部をまたいで仕事をしている人が何人かいるから断絶はそう深くならないけど、どうしてもその人たちの負担は重くなるし、知識が属人化してしまうのはいいことではない。

 サイロが生まれないようにするにはどうしたらいいんだろうね。この本にはヒントは書かれているけど正解は書いてないから、それぞれの組織で考えるしかないんだろうな。考えるきっかけをくれるという点では非常に有用な本。


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2026年8月18日火曜日

【読書感想文】中谷内 一也『リスク心理学 危機対応から心の本質を理解する』 / リスクをあるがままに恐れるのはむずかしい

リスク心理学

危機対応から心の本質を理解する

中谷内 一也

内容(e-honより)
人間には危機に対応する心のしくみが備わっている。しかし、そのしくみにはどうやら一癖あるらしい。感情と合理性の衝突、リスク評価の基準など、さまざまな事例を元に最新の研究成果を紹介。

 人々はどのようにリスクをとらえ、どのように恐れる(または恐れない)かを心理学者が解説した本。ちくまプリマ―新書なので平易な内容。



 身の周りにはたくさんリスクがある。当然ながら我々はリスクを恐れて避けようとするわけだが、正しく避けているわけではない。

 たとえば飛行機に乗るよりも自転車のほうがずっと死亡率が高いのに(飛行機事故による死傷者は年間ゼロに近いが自転車は死亡者だけでも500人以上)、多くの人は自転車に乗るよりも飛行機に乗るときに恐怖を感じる。

 それは認知バイアス(思考の偏り)が生じるからだ。 

 たとえば飛行機事故のほうが大きなニュースになって記憶に残りやすいから(利用可能性ヒューリスティック)、自転車のほうが日常的に利用するから(正常性バイアス)、自分でコントロールするものはリスクを低く見積もってしまうから(制御の錯覚)、といったバイアスにより、自転車よりも飛行機を恐れてしまうのだ。


 数年前に新型コロナウイルスが流行し始めた頃、「変な恐れかた」をしている人をたくさん見た(ぼくもその一人だ)。感染症対策として仕事で他人に会うのは避けるのに飲み会には行く人、感染者が全国で数人しかいなかった初期には大騒ぎしていたのに数万人になったときは大きな話題にしなくなった人(これはほとんどの人がそうだろう)、マスクを一応つけてはいるけど鼻や口を出していた人。みんながよくわかんない行動をとっていた。

 アホな人たちだけではない。賢いはずの人たちですらリスクを正しく見積もることができずに右往左往していた。日本政府ですらそうだった。たとえば最初の緊急事態宣言が発令されたのは2020年4月7日。その頃の1日の新規感染者数は全国で300人程度。今にしておもうと「あわてすぎ。もうちょっと落ち着け」と言いたくなる。でも当時は大真面目だったのだ(政府の人間が賢いかどうかはさておき)。

 リスクをありのままに評価することがいかにむずかしいかがわかる。



「特定可能な犠牲者効果」について。

 犯罪とは真逆の話ですが、顔や名前など個人を特定できる情報とともに、ある個人の苦境が伝えられると助けてあげたいという気持ちが強まり、実際多くの援助が寄せられることがわかっています。これは「特定可能な犠牲者効果(Identifiable Victim効果)」と呼ばれています。統計的に何十万人もの人々が飢餓に直面しているとか、何千人もの人が内戦により避難生活を強いられている、と伝えられるよりも、個人にフォーカスした事例情報は受け手の気持ちに強いインパクトを与え、援助行動を引き出しやすくなります。

「戦争で1万人が死にました」と書くよりも、たった1人の手記のほうがずっと人々の胸を打ち心を動かすことがある。顔も知らない1万人よりも、顔を知っているだけの1人のほうが大きな価値を持ってしまうのだ。

 ぼくはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に定期的に寄附をしているのでときどき会報が届くのだが、そこにはデータよりも「難民となった少年のエピソード」みたいなものに多くのページが割かれている。人を動かすのはデータよりもエピソードだと知っているからだろう。

 それはそれでいい面もあるのだが(自分の家族よりも地球の裏側のことを心配していたら生活が成り立たない)、たとえば政治家のように大局的にものを見ないといけない人はエピソードに釣られないようにしてほしい。


 以前、高校生がいじめを苦に自殺した直後に、とある大臣が「この反省を活かすために各学校はいじめ対策のやり方を見直してほしい」と語っていた。

 冗談じゃない。たしかに不幸な事件だが、たった1件のケースを元に全国的な方針がころころと変わったら現場はやっていられない。仮に「全国的に見れば自殺者が減っている」という状況であれば、現在の方針を大きく変えないほうがいいだろう。政治家は一般人やワイドショーのコメンテーターみたいにそのときの感情で動いてはいけない。


 またこれは、本来統計的に判断を下すべき人がストーリーを持ち出してきたときは要注意、ということでもある。

 政治家が「このような事件がありました。対策をしなければなりません」なんて語りだしたときは、有権者を誤った方向に誘導しようとしている可能性が高いと見ていいだろう。数字で説得できないからストーリーの力に頼るのだ。 



 人は、人工的なものよりも天然のもののほうが身体に良いと思いこんでしまうバイアスも持っている。

 自然への介入が悪いこと、という直観が“天然の方が良い”ヒューリスティックを支え、さまざまな領域で「自然=善、人為的介入=悪」という判断を導くのは興味深いことです。なぜなら、人為的介入は、もともと自然の脅威から人を守るために行われてきたからです。
 多くの技術は、本来、リスク削減を目的として開発されてきましたが、いまやその技術が取りのぞくべきハザードとしてみなされる局面が増えてきたのです。例えば、農薬は病気や虫によって作物の収穫が落ち込むことを避けるために開発されました。食品保存料も、冷蔵技術が不十分な中、食物の腐敗を防いで健康リスクを抑えることに貢献してきました。けれども、現在ではむしろ農薬や食品添加物の利用が削減すべきハザードとみなされています。

(“天然の方が良い”ヒューリスティックとはなんとも野暮ったいネーミングだが、英語の"natural-is-better heuristic"をそのまんま訳したらしい)

 これはおもしろいね。だって本来、人工的なもののほうがいいはずじゃない。天然のままだと利用しにくいから人の手を入れてるわけで。自然のものは雑菌だらけだし傷みやすい。

 だから昔は人工的なもの=いいもの、だったはず。いつから“天然の方が良い”になったんだろう。公害とか環境破壊とかが言われだしたころだろうか。だとしたら“天然の方が良い”ヒューリスティックはせいぜいここ数十年のものだろう。

 たしかに公害とか健康被害を引き起こすような科学技術もあるけど、少なくとも今使われている技術の大半は「天然よりいい(メリットが大きい)」はずなのに。


 オーガニック野菜をありがたがる人って「化学肥料を使わずに育てた野菜」をそれ以外の野菜と比べているようで、ほんとは「化学肥料を使わずに育てた野菜の中の上位ひとにぎり」しか見ていないんだよね。

「塾に通って難関校に入った人」と「塾に通わずに難関校に入った人」を比べて、「塾なんか行かなくていい!」って言ってるようなもの。「塾に通わずに難関校に入れなかった人」の姿は見えてない。



 人がついついやってしまいがちな「思考のクセ」について軽く学べる本でした。


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2026年8月7日金曜日

【読書感想文】伊藤 公一朗『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』 / 世にはびこるデータ分析されると困る人たち

データ分析の力

因果関係に迫る思考法

伊藤 公一朗

内容(e-honより)
ビッグデータが存在するだけでは、「因果関係」の見極めはできない。データの扱い、分析、解釈においては、人間の判断が重要な役割を担う―。本書では「広告が売り上げに影響したのか?」「ある政策を行ったことが本当に良い影響をもたらしたのか?」といった、因果関係分析に焦点を当てたデータ分析の入門を展開していきます。序章では、なぜ因果関係を見極めることがビジネスや政策の成功の鍵を握るのか、様々な実例を使いながら解説します。第2章以降では、ランダム化比較試験、RDデザイン、パネル・データ分析など、因果関係に迫る最先端のデータ分析手法について、数式を使わず、具体例とビジュアルな描写を用いて解説していきます。

 データ分析の効用、手法、事例、課題点などについて概説した本。数式が出てこないので入門者向けでありながら、「こういったケースではうまくいかない」「このような実験は設計方法に誤りがある」といった実践的なあ説明も多く、かなり実用的な内容だ。

 ぼくは十年以上マーケティングやデータ解析の仕事をしているのでわりと今さらな内容が多かったけど、それでも明確に言語化しているなと感心する。よくできた解説書だ。



 ただ、いざデータ分析をやろうとなったときに課題になるのって、たいていの場合「データ分析のやり方がわからない」とか「どういった実験を設計するのがいいか」ということよりも、「そもそもデータにアクセスできない」といったことのほうが多いんだよね。

 データ分析よりも、データを収集する、または誰かが収集したデータにアクセスする、ということのほうがよっぽどむずかしい。


 成功の鍵として挙げられる2点目は、データへのアクセスを可能な限り開かれた形にすることです。先述したアメリカ連邦政府のエビデンスに基づく政策のための評議会では、RCTなどの科学的データ分析を進めるという目的と同時に、政府が持つ詳細な行政データを分析者に利用させる体制を整えるという目的を掲げていました。政府内の公的なデータにしても、企業内のデータにしても、データセキュリティを確保した上で分析者にアクセスを開放することが重要です。なぜなら、そもそもデータアクセスへの準備がない限り、成功の鍵1で述べた専門家と政府・企業との協力関係が生まれないからです。

 政府などの公的機関でも企業でも、基本的に「自分たちが集めたデータは秘密にして、ごくごく一部の情報だけ公開する」というやり方をとっている。

 もちろんライバル会社に盗まれたら困るようなデータもあるけど、そうじゃないものまで必要以上に囲い込もうとするんだよね、みんな。「せっかくうちが集めたんだから(ライバルでなくても)他の会社に得をさせたくない」という意識。で、誰も使うことなくデータが腐敗してゆく。

 まあ私企業の場合はしょうがないとしても、政府だとか行政機関は「基本的に公開、よほど問題のあるものだけ非公開」とすべきだとおもうんだけどね。いちばんデータを持っているくせにしっかり抱えこむ。

 安全保障関連以外は全公開ぐらいでいいんじゃないのかね。官房機密費なんてもってのほか。

 行政機関が正当な理由なくデータを公開しないのは罪、ぐらいにしてもらいたいものだ。不正防止にもなるし(不正が明るみに出ると困るから公開したくないのかもしれないが)。



 データを公開した成功事例。 

 ウーバーやタクシーに限らず、消費者にサービスを提供する企業にとって非常に重要になるのが、消費者の需要曲線の形状です。需要曲線とは「価格の上げ下げによって利用者の数がどれだけ変わるのか?」という情報を提供してくれるものです。需要曲線を知ることは、企業にとっては利益を最大化するための戦略に不可欠です。シカゴ大学の研究者らとウーバーは、データ分析によって需要曲線を推定するプロジェクトを立ち上げました。ここでの鍵は、ウーバーを利用する消費者の需要曲線を知ることは、ウーバーにとっても研究者にとっても興味深い問いであったことです。

 タクシー配送アプリのウーバーは積極的にデータを公開して、大学などの研究機関に分析をしてもらっているらしい。その結果、どういった料金プランにするのが利益を最大化するかという考察ができているらしい。

 研究機関からしても、現実のデータが扱える、データ収集を代わりにやってもらえるなどのメリットがあるので、双方にとって得があるわけだ。


 昔に比べればコンピュータの発達によってデータの蓄積や分析は格段に楽になり、オンラインでの行動分析とかだとデータ収集のコストもすごく低い。

 ずっと大規模かつ効率的にデータ分析ができるようになったにもかかわらず、「なんか公開したくない」といった理由で解析は進まない。

 どれだけ道具が発達しても結局ネックになるのは人間なんだよな。データ分析の結果、自分がやってきた仕事は無駄だったと突きつけられるのはイヤだもんね。


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2026年8月4日火曜日

【読書感想文】福田 直子『大真面目に休む国ドイツ』 / 労働時間が減ると無償労働が増える

大真面目に休む国ドイツ

福田 直子

内容(e-honより)
「勤勉」「堅実」なイメージの強いドイツ人、彼らの目下の悩みは、年に六週間の休みをどう過ごすか、にある。長いバカンスがきっかけで破局した夫妻、残業規制で思うように働けないサラリーマン、リストラされ、第二の人生を旅に求める早期年金受給者…。こんなに大変な「休暇」に、なぜ彼らはこれほど真剣なのか?「休暇」のためには、すべてをなげうって!バカンス先進国ドイツの理想と現実。

 勤勉なイメージが強いドイツ人だが、たいへんバカンス好きな国民だという。旅行に使う時間もお金も日本よりずっと多いそうだ。

「旅行」をキーワードにドイツを紐といた本。とはいえ途中でネタが尽きたのか、後半はドイツの大学事情とか、東西での経済格差とか(2001年刊行なのでまだ東西ドイツ統合して10年ぐらいしかたっていない)、旅行と関係の話題が並ぶ。



 ドイツで盛んなFKK(Freikörperkultur:裸体主義)について。

 FKKの歴史は案外古く、近代都市の発展と関係が深い。
 一九世紀半ば、新興産業国としてのドイツの都市の発展はめざましく、農耕社会から工業社会へと移行する間、人々の生活は大きな変化を余儀なくされた。工場労働者の急増に伴って住環境は悪化し、労働時間や自由時間もそれまでには見られないほど変化した。
 一八五〇年から一九一〇年のあいだ、ベルリンでは人口が五倍に、鉄鋼業で急成長したルール工業地帯のエッセン市では三〇倍になった。交通量も増え、店の営業時間は長くなり、明るくなれば仕事し暗くなれば就寝という、それまでののどかな生活は、昼夜の境があいまいになるほどあわただしいものになった。住宅は不足し、風呂や便所のないような狭い路地裏に住まなければならなくなった住民たちは、ただでさえ日光が不足がちな北国ドイツで病気に襲われた。大人たちは結核にやられ、子供たちはクル病にさえなった。
(中略)しかし、田園生活より精神的にもはるかなストレスを生む都市の生活では、日々の散歩だけでは健康のために不充分と医師たちは警告した。
 そこで流行りだしたのが、夏のあいだだけでも日光を思う存分浴びようと、遊びとスポーツ、歌と踊りなどの芸術的要素を盛り込んだFKK主義だった。それまで海水浴場は男子と女子が別々にされていただけでなく、社会階層によっても厳格に区分されていたが、新たな流れはそんな封建主義時代への訣別も意味していた。また「衣服がそもそもの人体美をさえぎってしまう」という運動は、タブーや因習を破り、「進歩主義者」の間で人気を集めた。

 近代都市の発達、労働の長時間化、そして高緯度による日照時間の短さによって健康を損なう人が増え、その結果として生まれたのがFKK。ただ裸で闊歩するのが好きな人たちかとおもったらこんな切実な事情があったとは。

 まあ全裸である必要はないとおもうが……。




 ドイツでは(日本の労基署とちがって?)労働監督局が企業を厳しく監督している、という話。

 ドイツでは労働監督局は労働省の管轄下。各州に設けられ、労働時間法に違反していないかどうか、あらゆる職業について監督している。いわば〝労働に関する警察官〟のような役目だ。厳密にいえば、雇用者が一日八時間の労働を守っているかどうかを「監督」。超過勤務をしても一日一〇時間まで、それ以上の超過勤務をした場合、六ヵ月間の労働時間が一日平均八時間になるよう指導する。
 また、労働日と次の労働日の間には十一時間の自由時間がなければならず、日曜日と法定休日に被用者を働かせることは原則として禁止されているので、この場合には許可が必要である。事業者がこれらの原則に違反した場合、五〇〇〇マルクから三万マルク(二五万~一五〇万円)の罰金、重い違反が認められた場合は半年までの禁固刑の可能性もある。
 つまり基本的に〝労働時間法〟が個々の産業別の労働契約より優位にあるため、これに従って労働時間が極力制限されているのが現状なのである。

 20年以上たってやっと日本もこの頃のドイツに追いついてきた感じかな。

 なるほど、これぐらいちゃんと労働監督局が仕事をすればこそ、国民の余暇時間も増え、レジャー産業が発達したわけだ。



 ドイツ人は労働時間が短く、余暇にたっぷり時間をかけることができる……と聞くといいなあとおもうのだが、物事にはいい面もあれば悪い面もある。

 戦後、時短は進み、自由時間は増える一方であった。しかし、人々の生活のテンポはせわしいものとなったのである。
 それはなぜだろうか。生活をする上での追加の仕事や"無償の仕事"が増えたのである。三〇年前であれば近所の食料品店などで身近にできた買い物も、少し離れたスーパーに行くため今では倍の時間がかかる。効率化やリストラのために昔は近くにあった小さな郵便局や銀行の支店は閉められ、遠くまで行かなければならない。用を足すためにあらゆる所で列に並ばなければならない。
 職人に頼まずに自分で自宅の棚や家具を運搬したり、組み立てたりする。予算がないからと保育園を増設することを怠る国側にかわり、個人は子供の面倒を自分でみなければならない。
 そして、休暇をとるため必死に時間内で仕事を終えなければならない。本業のもたらす賃金の絶対額が少ないとあれば副業にも従事し、株投資に邁進し、税金を減らすための策に新たな時間を割く。
 事実、この三〇年で、ドイツ人の生活から睡眠時間が徐々に削られているという研究結果がある。
 人々は時短とひきかえに、つまるところ"時間を売買した"といえるのかもしれない。

 ふうむ。人々の労働時間が減るということは、有償のサービスが低下するということでもある。

 店舗の数は減り、サービス提供時間は短くなり、サービスの質は落ちることになる。

 たとえば宅配便業者の働き方が改善されるのはいいことだけど、そうなると「値上げします」「荷物は雑に扱うけど許してね」「時間指定配達やめます」「再配達やめます」「個別配達やめます。各自が配送センターまで取りに来い」ってことになっていく。はたして我々はどこまで許容できるだろうか。

 その世の中ではたしかに労働時間は短くなって自由時間は増えるけど、その自由時間は「宅配センターへ荷物を受け取りに行く時間」とか「遠くのスーパーまで買い物に行く時間」とか「自分で家の修理をしないといけない時間」とかに消えてゆくことになるわけで、それってはたして自由時間と言えるのだろうか。

 なんなら会社に行っていつもやってる仕事をやってるほうがずっと楽なんじゃないだろうか。

 労働時間の短い社会では"無償の仕事"が増えてしまう。

 むむむ。人間は労働から逃れられないのか。結局のところ「自分だけ短時間労働でみんなは長時間労働」がいちばんいいんだよな。うーん、身勝手ー!!


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