2050年1月1日土曜日

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2026年11月6日金曜日

【読書感想文】橋爪 大三郎・大澤 真幸・宮台 真司『おどろきの中国』 / 西洋の主権国家とはちがう国家

おどろきの中国

橋爪 大三郎  大澤 真幸  宮台 真司

内容(講談社HPより)
中国はそもそも「国家」なのか? 2000年以上前に統一できたのはなぜか? 毛沢東の権力とはいかなるものだったか? 冷戦が終わっても共産党支配が崩れなかった理由とは? 中国は21世紀の覇権国になるのか? 対症療法ではない視座を求めて、日本を代表する知性が徹底討論。真に中国を理解するための必読書!

 中国とはどういう国なのかを問いなおす鼎談。

 2013年刊行だが、ここ数年のトレンドなどの話はほとんどなく、もっと長期的・根本的な話をしているので内容は古びていない。


 日本人は、中国に対してどういう印象を持っているだろうか。

 ぼくは二度中国に行ったことがある。どちらも二十年ぐらい前。一度目は大学への短期留学で一ヶ月北京に。もう一度はその翌年に旅行で一ヶ月かけて天津・北京・桂林・広州・上海を転々と。

 二度も行ったぐらいだから中国のことは好きだ。当時の中国は北京でもまだまだ地方都市という感じで、一本裏通りに入れば下町っぽかった。いろんなものがいいかげんで、それがぼくにとっては心地良かった。今はまったく違うのだろうが(二十年前でも上海はすでに大都会だった)。

 いろんな面で日本とはちがうルールで動いている国だとおもったが、それこそが旅の醍醐味だ。ぼくにとってはおもしろいことばかりだった。一ヶ月の滞在期間につけていた日記はあれこれ書きすぎて本一冊分ぐらいの分量になった。

 ただそれはぼくがお客さんとして「好きで中国を訪問した人」という立場だったから寛容になれた(というより自分が合わせるしかない)だけで、逆に「日本にやってきた中国人と深くかかわることになった人」や「仕事で嫌でも中国とかかわらざるをえなくなった人」であればまたちがった印象を持つのだろう。



『おどろきの中国』を読むと、中国が日本と異なるのはもちろん、欧米諸国のどこともまったく異なる国であることに気づかされる。

橋爪: EUなるものが、つい最近できたでしょ? 国民国家の枠を超えて、もっと大きな政治的・経済的・文化的なまとまりをつくろうとしている。
 EUはまあ、中国みたいなもの。逆に、中国は、二千年以上も前にできたCU、中華連合なんです。「なんで、中国がそんなに昔に中国になったか」という質問は、「なんで、EUがこんなに遅くにやっとEUになったか」という質問と、裏腹なんです。
大澤: まったくおっしゃるとおりですね。
橋爪: EUがこんなにもたもた、まとまらなかった理由は、交通の困難にあると思う。アルプス山脈がある。地中海がある。移動のコストが大きい。この地域には、アーリア人が入ってきて、ギリシア人、ロマ人になり、ゲルマン民族にもなった。どの民族も固有の言語や固有の文化・信仰をもったまま、ローカルな集団をつくって、溶け合わない。民族大移動があっても、どの集団がどこに移りましたと追いかけることができて、異質な集団のまま残るわけです。ふつうなら戦争になる。そこで、彼らは順番にキリスト教に改宗して、ひどい戦争をしないという道を選んだのではないか。
 キリスト教とはようするに、情報ですから、物資を移動しないでいい。戦争もしなくてすむ。こういう均衡状態のもとで、野蛮で未開な段階から、そこそこ文化的な段階まで、ゆっくり千年以上をかけて進んできて、機が熟したからと、まず宗教戦争をやり、それから国民国家のあいだの野蛮な戦争を繰り返して、それも収まってEUになった。
 中国は、この反対なんですね。アルプス山脈がない。地中海がない。真っ平らなので、移動のコストがとても安い。なので、戦争もやりやすいし、政治的統合のコストが安い。政治的統合とは、戦争をしないですむ、ということ。その前は、戦争が常態化していたわけです。それが戦国時代と、その前の春秋時代。春秋の覇者といって、ローカルな政府が対等に分立していた時期が、数百年も続いた。不幸な時代の経験を踏まえて、全体がひとつの政権に統一されるべきだ、という人びとの意思一致ができあがった。この意思一致が、中国なのだと思う。

 なるほど、中国はEUのようなものと考えたほうがすんなり理解できるのか。たしかに他民族だし話し言葉もちがうしめちゃくちゃ広いし人口も多いし、本来なら複数の国家であるほうが自然なのだ。

 だが地形的に中国は戦争をしやすい。放っておいたらはてしなく戦争状態になってしまう。だから戦争をしなくて済むようにひとつの国としてまとまった……。

 真偽は別にしておもしろい考え方だ。戦争をしやすい環境だからこそ戦争を避けようとする意思が強くなるというのはその通りかもしれない。

 ぼくは中国史にくわしくないけど、たしかに中国って王朝の交代は何度も起こっているけど、国を分けるような内戦はそんなに起こってないよね(だよね?)。三国志とかの時代までさかのぼらないといけないのでは(あってる?)。


 そういえば西洋の国が「アメリカ人であること」や「フランス人であること」に誇りを持っているように、中国人って「中国人であること」にあまり誇りを持っているように見えない。すごく主観的な話だけど。

 スポーツでも、中国が強いのって体操とか卓球とか個人競技のイメージ。

 日本人が「自分はアジア人だ」とおもっていないように、中国人も中国人としての意識は希薄なのかもしれない。

 領土があって国民があって主権があって、というのが西洋文化の主権国家だけど、「中国」はもっとファジーなものなんだろうな。厳密に線引きできるものではなく、中央から離れるにつれてだんだん「中国」が薄くなってゆくイメージ。

「近所」みたいなものかもしれない。ほら、近所ってだいたいのイメージはできるけど明確な境界線はないじゃない。そんな感じ。



 漢字の話もおもしろかった。

橋爪:(前略)中国語の大事な特徴は、概念の数だけ漢字があり、それが一字一音だということです。このため、発音が複雑になっている。普通語の場合、母音が三十七、子音が二十いくつ、さらに声調(四声)があって、これらを組み合わせると、だいたい千六百音ぐらいになる。これだけの音を言い分けられ、聴き分けられれば、常用漢字がだいたい三千ぐらいなので、ほぼ一字一音になる。そうすると、音を聞くと、頭の中に漢字がひとつずつパ、パ、パ、と浮かんでいく。
 しかも、漢字は、字数が少なくてすむ。だいたい日本語の60%ぐらいのスペースで同じことが書ける。そして、漢字の読み取りスピードは、とても速い。
大澤: ひと目でパッと理解できますもんね。
橋爪: 行政官僚は、この処理スピードの速さで、ほかの人より優位に立つ。そして、漢字の通用性、汎用性でも優位に立つ。恰好の支配ツールになっている。

 漢字って数が多くておぼえるの大変だから学習する上では不利だと言われがちだけど(実際そうなんだけど)、でも習得してしまえば読んで意味をつかむのが速いというメリットがある。上級者向けの文字だ。

 アルファベットは庶民の文字で漢字はエリートのための文字なんだろうね。

 漢字があったから中国はあの広大な国土を統一できた(表意文字じゃないので話し言葉が違っていても漢字を知っていれば意味が通じる)。また漢字がエリート向けの漢字だから、中国では「政治は一部のエリートがおこなうもの。庶民は政治にはタッチしない。ただし目に余る暴政がおこなわれたら権力は転覆させられる」という考えが根付いているという話も。

 なるほどねー。たしかにそんな風にも見える。

 ぼくらは「民主主義はいいものだ」という教育を受けて育ったので「ひとりひとりが政治に参加することが大切だ」という意識を持っているけど、べつにそれって普遍の真理じゃないよね。歴史を考えればそうじゃない社会のほうが圧倒的に多いわけで。



 中国がヨーロッパの主権国家とは別の考え方で成り立っているとおもえば、いろんなことが理解しやすくなる。

大澤: そのとき、日本が使った「朝鮮の独立を保全するために軍隊を進める」という論理は、ヨーロッパで生まれた近代的な主権概念にもとづくものですよね。でも、考えてみると、東アジアの国際関係は、長らく中国を中心とした「朝貢」という独特のシステムでやってきました。朝貢関係というのは、近代的な主権概念では定義できないものです。
(中略)
 こういうことが、中国をめぐっては近代化のプロセスでずいぶんたくさんあったように思います。余談ですが、江暉さんという中国の思想家が、『世界史のなかの中国』という本の中でチベット問題が混乱する原因として同じようなことをのべている。ヨーロッパの知識人が、チベットに幻想を投影して、やたらとチベット問題に肩入れして、状況が複雑化しているわけですが、その究極の原因は、それこそ、中国側の認知地図とヨーロッパ側の認知地図のちがいにある。ヨーロッパ側は、主権という概念を前提にしてこの問題を捉えている。だから、中国が、長い間、チベットの主権を侵していると理解している。ところが、中国にとっては、チベットはずっと、朝貢国のひとつだった。朝貢関係は、主権概念を前提にしたときにはありえない関係なので、ヨーロッパの観点からは主権の侵犯にしか見えない、というわけです。
 日本が「朝鮮半島の独立を保全する」という言い方をしたときにも、似たようなズレが、日本と清朝鮮の間にあったかもしれない。当時の日本としては、習いたての近代的な主権概念を使ってみたわけだけど、そこにはまだ主権概念とはちがったタイプの国際関係があったということじゃないですか。

 欧米諸国からすると「中国が別の国であるチベットに攻め込んだ」という話だけど、中国からすると「あそこはうちの縄張りなんだから攻め込むも何も、うちが管理するのがあたりまえだろ」という感覚なのかもしれない。

 たとえは悪いけど、ヤクザがみかじめ料をもらって地域のごたごたを解決していたのに、急に別の地域からやってきたやつらが「それって違法ですよね」と文句を言ってきた……みたいなことか。こっちはこっちのやり方でそれなりに秩序を保っていたのに急に法律だとか言われても……。

 歴史的には日本も朝鮮もずっと中国の子分みたいなポジションだったのに、急にヨーロッパやアメリカの兄貴に近づいて「もうこっちはこっちでやらせてもらいます。お互い対等でいきましょう」と言われたら、そりゃ中国からしたらおもしろくないわなあ。


 ちょっと話がそれるけど、ロシアもわりとこの感覚に近い気がする。ソ連時代を引きずっているというか「ワシはこの地域のボスやで」という感覚があって、それがウクライナ侵攻にもつながっているんじゃないかな。



 中国共産党のトップや人民がどんなふうに考えているかほんとのところはわからないけど、「ひょっとしたらこんなふうに見えているんじゃないか」と想像するのには役立つ本だった。

 西洋の考え方をしているかぎりは中国のことを理解できないんだろうな、という気がする。


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2026年11月2日月曜日

コピーのコピー

  小中学生のときよくあったこと。

  クラスのおもしろいグループが、内輪でおもしろがるフレーズやノリを流行らせる
→ それを見聞きした、おもしろくない連中が真似をしだす
→ おもしろくないやつらが使うとおもしろくなくなるので、先駆者たちはもう使わなくなる
→ おもしろくない人たちだけが使うダサい行為になる。やがてそれも廃れる。


 大人の世界でもやっぱりよく見られる。

「流行語を中高年が使うようになったらもう終わり」ってやつだ。


 ネットミームなんかでもよくある。

 最初に使う人はセンスのいい人。それを見ておもしろがって一緒になって使うのも、センスのいい人。いってみれば一次コピー。

 だが一次コピーを見てさらに真似をする(二次コピー)人たちはもうセンスがない。こうなるともうオリジナルが持っていたおもしろさはほとんどなくなっている。

 最近の例だと「地味ハロウィン」がそうだ。十年ぐらい前、まだハロウィンといえばドン・キホーテの衣装を着て騒ぐ程度だった時代に、「シュレッダーを交換してくれる人」とかをやりはじめたのはセンスのいい人だ。その周囲にいた、それをおもしろがる人たちもやはり感度の高い人たちだ。

 だが地味ハロウィンが毎年恒例のイベントになってから入ってくる人たちはもうおもしろくない人たち。こういうイベントがおもしろいのはせいぜい二回目ぐらいまで。「まだ誰もおもしろがっていないことをおもしろがる人たち」の手を離れて、あとは「既におもしろいとされているものに乗っかりたい人たち」のものになってしまう。


 悲しいことだ。

 でも何かがメジャーになるために必要なのは「既におもしろいとされているものに乗っかりたい人たち」なのだからしかたがない。



2026年10月30日金曜日

【読書感想文】ギャリー・スティーヴンソン『トレーディング・ゲーム 天才トレーダーのクソったれ人生』 / まともな感覚ではできない仕事

トレーディング・ゲーム

天才トレーダーのクソったれ人生

ギャリー・スティーヴンソン(著)  千葉 敏生(訳)

内容(e-honより)
おかしな話だろう?人生の三年間を経済学の勉強に費やし、もう三年間をトレーディングに費やす。午前五時に起き、一〇〇件のメールに目を通す。毎日だ。経済理論について講釈を垂れてもらうために新卒の若者を雇う。とうとう壮大な理論を思いつき、大金をぶっ込む。その結果がどうだ。一回の地震により、たった一日で二五〇万ドルが儲かる。その裏では、二万人が命を落とす。自分の身近な人々、毎日を一緒に過ごす人々、トレーディングを教えてくれた人々、何もかも教えてくれた人々。その全員が叩きのめされる。いったいどういうことだ?ティツィーは天才を見るような目で僕を見つめつづけた。まるで地震が起きることを僕が予見していたと言わんばかりに。まるで僕が地震を引き起こしたとでも言わんばかりに。

 元トレーダーによる半生記。

 貧しい出自だったが数学的才能を武器に経済トレーダーになった著者はほどなくして大金を動かし、膨大なボーナスを稼ぐようになる。

 だが自分のやっていることに虚しさを感じるようになり、会社に対して退職を申し出る。だが辞めさせたくない会社側はあの手この手で退職を妨害してくる……。


 正直、かなり読みづらい。特に、同僚にこんなやつがいた、こんなやつもいた、上司はこんなやつだった……って書かれるのが。自伝の登場人物って書いている当人にとっては知ってる人だから細かく説明しなくていいし「あいつがこんなことをしたんだよ!」ってのがおもしろいエピソードになるけど、赤の他人からすると知らんやつでしかないからな。毎回ちゃんと説明しれないと「こいつどこのどいつだっけ」ってなるし、知らんやつのおもしろエピソードなんてたいていおもしろくないしね。

 あとトレーディング業務の話もわかりづらい。これはぼくに金融の知識がないからかもしれないけど……。



 ただ著者がだんだん世の中の矛盾に気づいてだんだんやる気を失っていく過程は十分に伝わってきた。

 でも、黙っていても入る金なんてものがあるのか?
 本当に?
 本当にそんなに楽々と金儲けができるのか?
 そんなに簡単なら、みんながやらないのはなぜ?
 実際のところ、みんな やっていた。だが、本当に黙っていても儲かるのか?
 リスクは?
 その日、巨大なスプレッドシートを振りかざすスペングラーの後ろに座っているとき、僕が自問すべきだったのはそういう疑問だ。だが、僕はそんな疑問を抱きもしなかった。僕はただうなずいて言った。「もちろん、やってみたいです」
 すると、スペングラーはポンとボタンを押し、グランティに話しかけ、僕の代わりに取引を行なってくれた。そうして、僕は三カ月間、二億四〇〇〇万ドルを貸しつけた。相手はダンスケ銀行コペンハーゲン本店、米ドルとストッキーのFXスワップだ。その日、僕はルンルン気分で家に帰った。僕が行なった人生初の中規模な取引だった。
 ところが、家に着き、両親と夕食をとりながら、映りの悪い小さな白黒テレビ(つまみを回してチャンネルを変える旧式タイプ)を観ていたとき、ふとこう思った。「待てよ、俺はいったい何をしているんだ?
 俺は米ドルとストッキーのFXスワップについて何も知らない。スウェーデンに行ったことだって人生でいちどもないんだぞ。それに、俺はダンスケ銀行コペンハーゲン本店が知らない何を知っているっていうんだ?
 二億四〇〇〇万ドルってのは大金じゃないのか?」

 とんでもない大金をぽんと動かす。増えれば多少はうれしいが、百ドル儲けるのも一万ドル儲けるのも大して変わらない。損したって大したダメージにならない。感覚がおかしくなってくる。

 ぼくも以前大きな金額を扱う仕事をしていた。広告費として月に数千万円を自由に使える立場にいたのだ(自由といっても前例から大きくはずれたことはできないけれど)。

 最初は1日数万円を使うだけでも「もし失敗したら数万円の損失、自分の日当よりもずっと多い額」とびびっていたけど、だんだん麻痺してきて「百万円使ってみたけどイマイチだったな。ま、次行くか」ぐらいの気持ちになってくる。ただの画面上の数字でしかない。数千万といったらひとりの人間の人生を狂わせるぐらいの金額ということを忘れてしまう。

 まあぼくの場合は給与が大したことなかったので、日常的な金銭感覚はそんなに影響を受けなかったけど、著者の場合は相当な額のボーナス(たぶんふつうの人の生涯賃金ぐらい)をもらっていたみたいなので、いろんな感覚が狂ってしまったのだろう。


 トレーディングなんてまともな感覚を持っていたらやってられない。ぼくが投資信託をはじめたのは2010年頃。その少し後に東日本大震災が起こった。

 ぼくは「これだけ大きな被害が出たら株価も下がっちゃうんだろうな」とおもいながら信託会社の管理画面を見て、驚いた。株価が上がっていたのだ。すごく。

 えっ、なんで。そうおもった。経済的に大ダメージのはずなのに。

 でも株価というのはそういうものなのだ。その後、コロナ禍でいろんな経済活動がストップしたり、外国で戦争が起きたり、そうした「悪いこと」が起こるたびに株価は上がった。

 なんなんだこれは。株価ってのは経済の状態を反映するものじゃないのか。

 詳しい仕組みはいまだによくわかっていないけど、社会が悪くなるほど株価が上がる傾向にあるということはぼくにもわかってきた。地震があると復興に予算が投じられるから、とか、コロナ禍でお金を使うところがなくなったから株式市場にマネーが流れ込んだから、とか、とにかくそういうことらしい。

 多くの人が命を落としたり、失業したりすると誰かが儲ける。なんていやな世界だ。


『トレーディング・ゲーム』の著者も、世界が悪くなる方に賭けて利益を上げている。

 こんなことをやっていたら気が変になるに決まっている。まともな感覚で続けられる仕事じゃない。

 そのとき僕が気づいたのは、みんながまちがっている厳密な理由だった。僕たちは末期がんを季節的な風邪と誤診していたのだ。銀行システムは崩壊したが、修復できると思っていた。信頼は失墜したが、回復すると思っていた。しかし、実際に起きていたのは、中流階級の富、つまりエイダンやアサドのような平凡で勤勉な家庭の富や、世界のほとんどの大国の富が吸い取られ、金持ちたちの手に渡るという現象だ。ふつうの家庭が資産を失い、借金まみれになった。政府もそうだ。ふつうの家庭や政府が貧しくなるほど、金持ちたちはますます富み、中流階級から金持ちへの利息、賃料、利益の流れが増し、問題が悪化していく。この問題は自然と解決したりはしないだろう。むしろ、どんどん加速し、悪化する。


 著者はトレーディングの世界に嫌気がさし、会社を辞めて格差問題に取り組むボランティア団体のために活動することを決める。

 だが会社は退職を認めない。金のなる木を手放したくないのだ。未払いのボーナスを人質にとり、裁判を起こすと脅しをかけ、あの手この手で辞意を翻させようとする。

 そんなことをして会社に恨みを持つ社員を残すほうがマイナスだろう、とおもうのだが……。他の社員への見せしめのためなんだろうか。それにしたってなあ。「辞めたら裁判起こすぞ」ってむりやり残留させた社員に、大金を預けてトレードをさせるのだろうか。怖すぎるだろ。

 つくづくよくわからない世界だ。


 まあ頭がおかしくなった人たちが頭のおかしいことをやるのは勝手にしてくれという話なのだが、問題はその人たちのせいで株価が大きく変動したり不動産が高騰したり多くの人が失業したり、そのくせ自分たちだけは倒産しそうになったら税金によって助けられたりすることだ。

 自由主義経済ってクソだな、という感覚を改めて強くさせてくれる本だった。

 かといって他にどんなやりかたがいいかわからないんだけど。


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2026年10月27日火曜日

【読書感想文】奥田 英朗『純平、考え直せ』 / 殺されるほうが殺すやつより格上

純平、考え直せ

奥田 英朗

内容(e-honより)
坂本純平は気のいい下っ端やくざ。喧嘩っ早いが、女に甘くて男前。歌舞伎町ではちょっとした人気者だ。そんな彼が、対立する組の幹部の命を獲ってこいと命じられた。気負い立つ純平だが、それを女に洩らしたことから、ネット上には忠告や冷やかし、声援が飛び交って………。決行まで三日。様々な出会いと別れの末に、純平が選ぶ運命は?一気読み必至の青春小説!

 下っ端やくざを主人公とした小説。

 強引な取り立てをおこない、拳銃や覚醒剤を扱い、ときには対立する組とも抗争をくりひろげる……という典型的なヤクザ。2011年刊行なのでこの頃はまだこういうヤクザもいたのかもしれないが、今となっては絶滅寸前だろう。少なくとも今のヤクザはこんなわかりやすい立ち居振る舞いをしていないだろう。


 下っ端やくざとして泥くさい仕事に従事していた主人公・純平は、親分から「対立組の幹部の命を奪ってこい」と命じられる。いわゆる鉄砲玉というやつだ。純平は名を上げるチャンスととらえ、ふたつ返事で引き受ける。

 知り合いに頼まれたトラブル解決のために暴力事件を起こし、逃げるどころかさらに喧嘩を売り……ととにかく無鉄砲。うむ、まったく共感できなくておもしろい。

 ほんと、何から何まで共感できないんだよな。幸いやくざとか不良とかとは無縁な人生を歩んできたので、「メンツのためならどれだけ不利益を被ってもかまわない」という生き方にはただただあきれるばかりだ。かっとなって損とわかっていることをやってしまうことは誰しもあるだろうけど、それにしたって限度がある。

 まして鉄砲玉なんて愚の骨頂。何の恨みもない相手を殺すなんて。それで「男が上がる」と当人は考えているのだろうが、どう考えたって周囲はそう見てくれない。「おだてられてうまいこと利用されたばか」でしかない。


 出会った人たちの助言などから純平自身も、徐々に己の本当の立場に気づきはじめる。ただ利用されているだけ、使い捨ての駒にすぎない、鉄砲玉なんかやっても損しかない、と。

 だが引けない。自分でも無駄なことだとわかっているが、それでも止まれない。

 この、わかっていて泥沼に足を踏み入れていく流れの書き方がうまい。人生にはこういうことってある。そっちはだめだとわかっているのに吸い寄せられるように足が向かってしまうことって。そもそも他人の忠告を聞き入れて己のあやまちを認め方向を正せるような人間なら最初からやくざになんてなってないもんな。


 次々にいろんなことが起こり、息もつかせぬ展開で惹きつける。登場人物も多いが、順に出てくるのですっきりまとまっている。奥田英朗さんはほんとに小説巧者だ。

 十分に余韻を持たせたラストも個人的に好き。

 大人からしたらアホとしかおもえない純平だけど、でも若さってこういうことだよなあ。




 作中で紹介されている、明治時代の評論家である斎藤緑雨の言葉。

「どれどれ……」ジイサンがポケットから老眼鏡を取り出して鼻に乗せ、朗読した。「人は殺すよりも、殺さるるに難きものなり。殺すよりも、殺さるるに資格を要するものなり。願わくは殺されん、殺さるるを得ずば、願わくは殺さん。殺さず殺されざるも、猶人たるの甲斐ありや疑わし。……坂本君はこの警句に興味を示したのかな」
「別に興味なんかねえよ。ただ、殺すとか殺さねえとか、物騒なことが書いてあるからよお」
「簡単に言えば、殺し屋よりも、殺される人間のほうが価値が上だということだ」
「ああ? おれのほうが下なのか。何でだよ」純平は気分を害し、思わず声を荒らげた。
「だってそうだろう。報復にしろ、戦争を仕掛けるにしろ、価値のない人間を殺してもしょうがない。君が殺そうとしている人間が、君より格下の人間だったら、殺す意味がない。君らの世界は、釣り合いで動いているんだろう」
 純平は返事に詰まった。胸の中に不愉快な気持ちが充満した。荒い鼻息を吐く。店員をつかまえ、「おい、ここホルモンをくれ。それから、生ビールお代わりだ」とぞんざいに言いつけた。

 誰かを殺す人間は、殺される人間より価値のない人間である。たしかにね。

 名もない市民が大統領を暗殺しても、大統領が一市民を暗殺することはない。なぜならその価値がないから。

 相手が、自分にとって脅威であったり、はるかに強い力を持っていたりして、暴力以外にそれをかわす方法がないときに殺すわけだ。殺すということは相手のほうが書く上であることを認めることだ。

 ふうむ。もし誰かを殺したくなったらこれを思いだそう。


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