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読書感想文リスト
いい本だった。安易なビジネス書みたいなタイトルだけど、内容は科学的知見に基づくちゃんとしたもの。
小手先のテクニックではなく、心の底から相手と通じ合う方法を説いている。
個人的にちょうど今、仕事で「伝え方」について頭を悩ませているところだったのですごく参考になった。
ぼくはずけずけとものを言ってしまうタイプで、「正しいことを言って何が悪いの?」と思ってしまうことも多々ある。でもそれじゃ他人を動かすことはできないと40歳をすぎてやっと気づいた。遅ぇ。
たとえば自分が嫌いな上司から納得のいかない理由で説教を食らっているときのことを考えてみる。どういう行動をとるだろうか。口では「はい、わかりました、気を付けます」と言いながら、内心では「うっせえな。おまえがおかしいんだろ。この意味のない説教早く終わらねえかな」と考える。それがふつうの人間だ。
なのに、自分が他人に注意しているときは、相手は真剣に聞いてくれていると思ってしまう。相手の話は自分に響いてないのに、自分の話は相手に響いていると思いこんでしまう。
自分が話を聞き流しているのと同様、自分の話も基本的に相手に伝わっていないものと思った方がいい。「基本的には伝わらない」とおもえば、伝わるためにはどうすればいいかという発想になる。
話をするときは「何をどう話すか」「どう感じるのか」「私たちは何者なのか」を意識することが必要だと著者は書く。
詳しくは本書を読んでいただきたいが、ぼくが特に重要だと感じたのは「どう感じるのか」の部分である。
感じていることについて話し合っていると、他の人たちは話を聞かずにはいられなくなる。そして自己の感情を吐露しはじめ、今度は私たちが耳を傾けることになる。
情報だけで人は動かない。「100万人が死んだ」という情報よりも「たった1人の息子を亡くして私がどれだけ悲しい思いをしたか」という話のほうがずっと人の心を動かす。
そこで「感情を吐きだすこと」と「感情を吐きださせること」が必要になる。
なるほどなー!
この本でいちばん勉強になったのはここ。
初対面の人と話さなくてはならない状況になったとき、ぼくも相手に質問をしたりしてなんとか会話を続けようとしていた。でもあまり会話が続かない。まして打ち解けるところまでいったことはほとんどない。
思い返してみれば、そういうときにぼくがしていたのは“事実”に関する質問だ。
「どこ出身ですか?」「お仕事は何をされているんですか?」といった類の。
質問に対する答えは返ってくるが、それ以上の会話にはなかなか発展しない。
重要なのは「どこ出身ですか?」の後の「へえ、そこって住みやすいですか?」といった、感情を引きだす質問だったのだ。
「そこって住みやすいですか?」だと聞かれたほうも一生懸命に考えるし、「うーん、若いうちはいいけど仕事をするには不便ですよねー」とか「いやこっちのほうがぜんぜん住みやすいですよ。○○があるし、××にも行きやすいですし」といった回答から、その人の人となりや大事にしているものが見えてくる。
勉強になったぜ。
口論になったときの考え方について。
そうだよなー。そうなんだよなー。
これは深く受け止めないといけない。よく妻に叱られる夫として。
妻から「洗面所を使った後に水が飛び散ってたから気を付けて」と言われたとき、ほんとは「風呂場も汚いし、台所の使い方も荒っぽいし、でもいっつも掃除をするのは私ばっかりで、その間あなたはグーグー寝てるのはおかしいよね? どう考えたって家事の負担が半々じゃないよね」と言われているのだ。
「洗面所をきれいに使おう」とおもうだけではだめなのだ。
これはほんと大事。ぼくも十五年結婚生活を続けているのでよくわかる。
「不満があるなら溜めこまずに全部言ってくれたらいいじゃない」なんておもうのはど素人だ。注意する方だって不快だし、だいたい不満を逐一口にしていたらぼくなんか一日に七十五回ぐらい妻から注意されることになって、家庭内の雰囲気は最悪になる。
妻は言わないでいてくれているのだ。だがこちらはそれに甘えて「言われたことだけ気を付けよう」としてはいけないのだ。
重々肝に銘じておかねば。
大事なのは話し方だけではない、聞き方も重要だ。
これはすぐにでもできるテクニックだね。やりすぎるとだいぶうっとうしいけど。
相手の言ったことを「それって……ってことですか?」と質問する。相手の発言内容を確実に理解することができる。それだけではない。相手の言うことをまとめようとおもったら、相手の視点と自分の思考を重ね合わせなければならない。いわゆる「相手の立場に立って考える」というやつだ。
SNSの議論なんかを見ていると(不毛だからあんまり見ないようにしてるけど)、そもそも両者とも相手のことを理解しようとなんかしていないことがほとんどだ。はなから相手のことを「思慮の足りない人間」と決めつけ、その結論を導くための証拠を必死になって探している。
でも多くの問題には良い面と悪い面があり、対立する両者とも正しいことを言っていたりする。たとえば原発の存続に関する議論であれば「原発が生み出すエネルギーは重要な価値がある」と「原発が抱えるリスクはとても大きい」はどちらも間違っていない。どちらに重きを置くかという価値観の違いがあるだけだ。
相手の視点でものを見ることで、建設的な議論ができるようになるはずだ。もっともSNSで議論(という名の一方的な主張)をしている人たちが「建設的な議論」なんて望んでいるかどうかはわからないけど……。
相手の気を悪くさせる話し方について。
望まない一般化をすると相手は怒る。
これもわかるなあ。昔、友人から「おまえのその意見っていかにも賢い人の意見って感じやな」と言われてめちゃくちゃ腹が立ったことがある。けっこう強めに言い返して、喧嘩になった。
そこまでひどいことを言われたわけじゃない。でも「賢い人」が褒め言葉ではないこともぼくにはわかった。友人は「頭でっかちな人」みたいな意味で使ったのだとおもう。
それがぼくには気に食わなかった。自分でもなんでそんなに腹が立っているのかわからないぐらい不愉快だった。
ぼくが言われた「いかにも賢い人の意見」こそ、まさに「聞き手の意思に反して、その人をある集団の一員としてひとくくりにするような発言」であった。
「これだから女は」的な発言だ。そりゃ人をイラつかせる。だがこの手の発言は巷にあふれている。性犯罪者を非難すればいいのに「男は~」と語ればコメント欄が荒れるのは必至だ。
女性専用車両が嫌われているのも同じ理由だろう。あれは男全員を「おまえたち痴漢予備軍」とひとくくりにしているのと同じだからだ。あれはれっきとした差別だ(ただし現実的に有用な面もあるので、「不愉快でしょうが差別させてください」という形で鉄道会社がお願いするのであれば拒否するほどではない)。
まとめ。
コミュニケーションに対する考え方を根っこから揺さぶってくれるような本だった。
ただし安っぽいビジネス書に書いてある小手先のテクニックではないので、実践するのはかんたんではない。どれも一朝一夕に身に付く技術ではない。
でも、だからこそ、どんな状況でも、どんな相手でも普遍的に使える技術だ。
何度か読み返したい本。
婚活で出会った女性と交際し、婚約をしていた男性。喧嘩ひとつしないカップルだったが、その婚約者がある日突然姿を消した。彼女は少し前からストーカーに狙われていると不安を口にしていた。ストーカーは以前の婚活で出会った男性だという。
はたして彼女は無事なのか、彼女が行方をくらましたのはストーカーに連れ去られたからなのか、ストーカーは誰なのか、婚約者を探すため彼女の故郷を訪れる……という導入。
導入はミステリ風だが、主題は謎解きではないので中盤で彼女が行方不明になった真相は明かされる。
本題は恋愛小説というか結婚小説というか、あるいはアイデンティティに関わる話かもしれない。
特におもしろかったのが婚活まわりの話。
婚活に苦悩する人たちの現状がうまく表現されている。
ぼくは婚活をしたことがない。学生時代に付き合った女性と社会人になってからも交際を続け、そのまま結婚したからだ。八年も付き合ったし、その間たいして喧嘩もしなかった。(少なくともぼくの側は)相手に対する不満はほとんどなかった。だから「このまま結婚するんだろう」とおもっていたし、もちろん他の相手など(少なくともぼくの側は)考えることもなかった。
でもそれは運が良かっただけで、もし学生時代に彼女ができていなかったら、ぼくは結婚するのに苦労した(あるいは結婚できなかった)だろうなとおもう。決して見た目がいいわけでもないし、社交的な方ではない。むしろ人見知りで、人と仲良くなるのに時間がかかる。今の妻とも、親しくなったのは知り合ってから一年以上経ってのことだ。つまり初対面で好印象を与えるタイプではない。そのくせプライドだけは高いので傷つくことにびびってしまって自分から積極的にアプローチすることもできない。
ほんとは彼女が欲しくて欲しくてたまらないのに斜に構えて「まあいい人がいればでいいかな」みたいなことを言っているタイプ、それがぼくだ(実際、彼女ができるまでの学生時代はそうだった。)。どう考えても婚活でうまくいくわけがない。
就活だってぜんぜんうまくいかなかった。もう気が変になるぐらい就活が嫌だった。
不合格になるたびに自分の人格とこれまで歩んできた人生をすべて否定されたような気になった。「おまえはいらない」とはっきり突きつけられるのはかなり精神にくる。「テストの点が悪かったから」とか「スーツがダサかったから」とか明確な理由があるならまだ諦めもつくが、不採用の理由は教えてもらえないのだ。あれが悪かったのか、それともこれがダメなのかと考えて、どんどん自分が嫌になる。
ぼくなんて書類選考や筆記試験はほぼ通って面接で落ちていたので、余計に「学歴のせいでも試験の点数のせいでもない。おまえという人間が求められていないのだ」と言われているような気になった。
就活が嫌で嫌でしかたなくて、最初に内定をくれた、当初の志望と業界も業種もぜんぜんちがう企業に就職したぐらいだ(そんな理由で入ったので案の定あわなくて数ヶ月で辞めた)。
婚活をやっても同じようになっていたとおもう。きっと断られつづけるうちに自己嫌悪になって、婚活から逃げだすか、逃避のためにまったくあわないタイプの相手と結婚を決めていたか。
婚活が就活とちがうのは、一対一の関係になるということだ。
就活の場合は企業が相手なので、どうしたって企業のほうが強くなる。元々対等な交渉なんてできない。こっちが持っているカードは「嫌なら入社しない」1枚だけだ。
だが婚活は人間同士一対一の関係なので「どっちが上か」になってしまう。
婚活で悩むポイントはいろいろあるだろうけど、突き詰めれば「自分に釣り合うか」という一点に集約されるのだ。
そしてみんな自分のことは高く評価するから「釣り合う相手」を探すのはむずかしい。
ぼくの身の周りを見てみても、容姿端麗でずっとモテてきた人がなかなか結婚できなかったというケースがよくある(そういう人のほうが印象に残りやすい、ということがあるにしても)。モテてきた人ほど自分がモテることを知っているから「釣り合う相手」を探すのはむずかしくなるだろう。非の打ち所がないステータスの人は婚活市場にはほとんど残ってないだろうし。
案外、自己評価の低い人のほうがうまくいくのかもね。「こんな私なんて」と思ってるぐらいの人のほうが。
小説のストーリー自体は、うん、まあ、悪くはないね、という感じ。ネタバレになるのであんまり書かないけど。
「女友だちがほんどひどいやつらで、自分の悪行をすべてつまびらかにする」のはそんなわけねえだろとおもうし、「震災の復興ボランティアに行って自分を見つめなおす」のは陳腐すぎるな、とおもったな。
でも前半~中盤で、「彼女の空虚さ」「彼女の親のヤバさ」が次第に判明していくあたりはすごくおもしろかった。
いろいろあって、一応これはハッピーエンドなんだけど、でもぼくとしては「いやこれハッピーなのかなあ……」と引っかかるものを感じた。個人的には引っかかる小説の方が好きなのでこれでいいけど。
子どもから「日曜大工ってどういう意味?」と訊かれた。そういや「日曜大工」って死語寸前だよな。完全に「DIY」に取って代わられた感がある。
しかし「休みの日だけやる趣味」って他にもいろいろあるのに、「日曜登山家」とか「日曜野球選手」とか「日曜デザイナー」は言わない(調べたら「日曜画家」という言葉もあるようだ。こっちは死語寸前どころか死語だといっていいだろう)。
ムンクの『叫び』という絵画は、まるでそれがタイトルであるかのように「ムンクの叫び」とセットで呼ばれる。「レオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザ」とはふつう言わない。
『叫び』というタイトルが短くて一般名詞だからだろう。「ゴッホのひまわり」もセットで呼ばれがちだ。
そのせいだろう、「ムンクを思い浮かべてください」と言われてあなたが思い描いたのは、ムンクではなく『叫び』に描かれる人物だ。
あと「東洲斎写楽」と聞いてあなたが思い浮かべたのも、三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛だ。
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| 三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛 |
千年前の人々のほとんどは、自分の住んでいる集落から出ることなく暮らしていた。
集落があるのはたいてい平地なので、周囲には山がいくつも見える。「山に行ってくる」ではどの山のことかわからない。なので「○○山に行ってくる」と山に名前を付ける必要が生まれる。
だが多くの場合、川は歩いて行ける距離に一本しかなかったはずだ。複数の川が並走していたり川と川が合流している地形はそう多くない。川が一本であれば名前を付ける必要がない。「川に行ってくる」で伝わる。「川の上流のほうに行く」とか「橋の近くに行く」とかはあっても、川そのものを名前で呼ぶことはそう多くなかったのではなかろうか。
「サイロ」とは、元々は誘導ミサイルの地下保管庫のこと。そこから「他から隔絶して活動する部門」を指す言葉となったらしい。
人が集団を作ると、どうしてもサイロは生まれる。気の合う合わないはあるし、属性が近い人の方が話しててストレスが少ない。
サイロ自体が必ずしも悪いわけではないが、大きな失敗や事故の原因になることもある。様々な事例をもとに、サイロが生んだ失敗の例を分析し、サイロを壊すための成功例について紹介する本。
紹介されている事例はおもしろく(ただしぼくは金融の話にはついていけなかったので証券会社の話は読み飛ばした)、なるほどと膝を打つ箇所も多かった。
ただ、ちょっと話がうますぎるというか、「サイロは良くない」という結論が先にあって、そこに持っていくためにちょうどいい事例を集めてきただけって感じもする。
たとえば失敗例としてソニーの例を挙げて、成功例としてアップル社やフェイスブック社(現Meta社)の事例を紹介しているけど、今はアップルやMetaが調子良くてソニーがかつての栄光を失ったから説得力があるんじゃないの、という気もする。
どんな企業にも孤立主義的な面と風通しの良い面とがあるから、「うまくいっていない会社のサイロ」と「うまくいっている会社のサイロがなさそうな所」はいくらでも見つけられるのでは。
考え方はおもしろいけど、ちょっと議論が単純すぎるかもね。
特におもしろかったのは、ソニーが「ウォークマンの後継機」で失敗した事例。
1999年にソニーは、2つのまったく異なるウォークマンの後継機を発表した。家庭用電気機器部門とコンピュータ部門がそれぞれ別々に後継機を開発していたのだ。
どう考えたって1つにしたほうがいい。社内の知識や経験や労働力を結集して開発したほうがいいし、仮に「2つの分野に同じものを開発させて競争させる」という方針だったとしても、どこかの段階で良し悪しを判断して一方に注力するべきだろう。
なぜソニーともあろう会社がそんなわけのわからないことをしたのか。
ソニーは1994年に事業再編をおこない、いくつもの事業部に独立採算をとらせ、ゲーム、音楽、映画、保険などの事業は子会社化した。
この改革は当初はうまくいき、それぞれの部門は利益率は高まった。大きな会社全体の利益を見るよりも、部門別の利益を見るほうがずっとわかりやすい。コスト意識は高まり、無駄なコストは削減される。
だが各部門が独立することで「サイロ化」が起きた。
社内は完全に分裂し、異なる部門と協力するどころか、別部門がやっていることもわからなくなった。
たとえばソニーにはソニー・ミュージックエンタテインメントという音楽会社がある。多くの人気アーティストが所属し、強いブランド力を持っている。
ふつうに考えれば、ウォークマンの後継機を宣伝するのであれば、ソニー・ミュージックエンタテインメントの力を借りたほうがいい。新しい配信サービスで人気ミュージシャンの曲を配信すれば、それを目的に配信サービスに加入する人は増えるだろう。
だが開発部門は音楽部門とも協力しなかった。音楽部門は、CDの売上が落ちるのを恐れて他の事業部門と協力することを拒んでいたから。
部門ごとに採算をとるようにすると「うちの部門は儲からないけど隣の部門は儲かること」に力を入れなくなる。
仮にCDの販売による利益が100億円減っても、新しい音楽プレイヤーや配信サービスで200億円の利益が出るのであれば会社としてはプラスだ。だが独立採算、別会社だとそういう大局的な判断はできなくなる。
こうしてソニーは音楽のネット配信事業において遅れをとり、アップル社が社内の知識と技術を結集して作りあげたiPodの独走を許した。
……ま、ちょっと単純化しすぎた話ではあるが、一抹の真実も含まれているのだろう。
サイロが失敗や企業の停滞を招くことがわかり、特に成長中の企業では「サイロを生みださないこと」に力を入れるようになる。
フェイスブック社(現・Meta社)では、新たに入った社員たちに部門に関係なく同じ研修を受けさせるという。チームプレイの重要性を学び、他の部門のメンバーとのコミュニケーションを促進させるためだという。
別部署であっても「共に研修を受けた同期」がいれば話をしやすいだろう。
またフェイスブック社では、何ヶ月か他の事業部に異動させてそれまでとはまったく別の仕事をさせる制度もあるという。
読んでいておもったんだけど、これらの仕組みってわりと日本の会社が昭和の時代から(もしかしたらもっと前から?)やっていたことだよね。
新人一斉研修と定期的な人事異動。
昨今ではどっちかというとデメリットの方が多く語られがちだが、あれはあれで「部署間の相談をしやすくなる」「ある部門で得られた知見を他の部門に活かせる」という数字に表れにくいメリットがあるんだろうな。
「フェイスブック社ではこんな斬新なやりかたをとっている!」と紹介されているのが日本の古い企業のやりかたってのがおもしろい。
サイロを壊すために旧来の診療科の壁をぶっこわした病院の例も紹介されている。
これはおもしろい。たしかに心臓外科と心臓内科ってふつうはぜんぜん別の部門で、病棟の中でも(たぶん)遠く離れた場所にあるけど、言われてみればそれって病院側の都合だよな。患者からしたら心臓外科と心臓内科はすぐ近くにあってほしい。
健康診断で心臓の数値が悪くて病院に行ったとき「心臓内科ですか、心臓外科ですか」って聞かれたって困ってしまう。「いやこっちはそんなの知らんがな。とにかく心臓を診てもらって内科治療か外科治療かはそっちで決めてよ」とおもう。
病院側からしたって、心臓外科と心臓内科が近くにあったほうが診療科の垣根を越えて治療にあたりやすそうだ。
ぜんぜん別の話になるけど、本屋の文庫売場とかコミック売場って「出版社別に分かれてて、その後作者名順(あるいはタイトル順)」になっていることが多い。
あれって完全に書店側の都合なんだよね。客からしたら「今日は講談社の本を買おう」と探すことなんてなくて、作者名かタイトルで探すんだから。
そうおもってぼくが書店で働いていたとき、それまで出版社別だった棚を作者名順に並び替えた。ちゃんと売上は上がった。
はじめにも書いたように、ちょっと議論が単純すぎて鵜吞みにはできないところもあるけど、組織の在り方を考える上ではすごくおもしろい本だった。
組織を細分化してメンバーの専門性を高めれば(短期的には)効率的になるけど、無駄とおもわれたことが長期的には利益を生んだりもするんだよね。まあほんとに無駄なことも多々あるのでむずかしいんだけど……。
今ぼくが働いている会社は社員数が増えている。今は従業員数100人ぐらいで、オフィスも広くなって、そろそろ「あの人何の仕事をやってるかよくわかんない」って状況になりつつある。「A事業部が困ってること、B事業部でやってるやり方を使えばすぐ解決するのに」ってことも発生している。
事業部をまたいで仕事をしている人が何人かいるから断絶はそう深くならないけど、どうしてもその人たちの負担は重くなるし、知識が属人化してしまうのはいいことではない。
サイロが生まれないようにするにはどうしたらいいんだろうね。この本にはヒントは書かれているけど正解は書いてないから、それぞれの組織で考えるしかないんだろうな。考えるきっかけをくれるという点では非常に有用な本。