2015年6月30日火曜日

ゴキブリ国会答弁

マンションのドアを開けると、隣家の前の廊下にゴキブリがいた。

もし自分の家にゴキブリが入ってきたなら、迷わず叩き殺す。
家賃を払ってこの家に住んでいるぼくには、許可なく侵入してきた族(ゴキブリ)を殺す正当な権利があると思う。

しかし、ここはマンションの共有部分だ。我が家ではない。
かといって、完全な公共地ともいえない。マンションの廊下は住人みんなのものであり、ぼくも住人の一員であるからだ。

いってみれば、領海でも公海でもない、排他的経済水域のような微妙なスペースだ。
はたしてここを通行するゴキブリを殺す権利が、ぼくにはあるのだろうか。

ゴキブリは、我が家に背を向けて歩いている。
このまま放っておけば、我が家に入ってくる可能性は低いだろう。
だが、他の部屋に侵入する可能性は十分にある。

他の部屋の住人を守るために、ゴキブリに対して先制攻撃をくわえることは人道的に許されるのだろうか。
集団的自衛権の行使を容認するかどうかのこの問題、いったいどうお考えなんですか!?

はっきりと答えてください!
総理!

2015年6月29日月曜日

お茶をちょっとだけ残す

 会社で、既婚女性ふたりが話している。
「うちの旦那ね、コップにお茶をちょっとだけ残すの。あとちょっとなんだから飲みきってよ、って思うのに、なぜか1センチぐらい残すのよね」
「あーうちもー! 片付けられなくてイライラするわよねー」
「なんなのかしらあれ。男の人の習性なのかな。ちょっとだけ残すのって。嫌よねー」

 そばで聴いていてドキドキする。
 ごめんなさい、ぼくもです。
 いっつもお茶を飲みきらずにほんのちょっとだけ残してます。
 そうだったのか。ぼくだけじゃなかったのか。他の男性たちもだったのか。
 そして世の女性たちはイラついていたのか。
 ということはうちの妻も……!

 どうしよう。
 とりあえず、いま隣りにいる既婚女性ふたりに謝っといたほうがいいだろうか。
「お茶をちょっとだけ残してごめんなさい、世の夫たちを代表して謝ります」
と。
 突然ぼくが土下座をしたら彼女たちはびっくりするだろうか。

 いやいや。
 考えてみたらそこまで悪いことじゃないだろう。少なくとも土下座をするほどのことではないはずだ。
 お茶をちょっとだけ残して何が悪いんだ。
 大地震が起きてこの部屋に閉じ込められることになったとき、この1センチのお茶が命を救うことになるかもしれないじゃないか。
 そうだ、むしろちょっと残すほうが正しいんじゃないだろうか。
 おもいきって彼女たちに反論してみようか。
「きみたちだって財布のお金は最後の一円まで使い切らないだろう? 全部使い切るまでに補充するよね。ほらね、そういうことなんだよ」
 突然ぼくが弁論をふるったら彼女たちはびっくりするだろうか。
 怒りだして裁判になったらどうしよう。
 ぼくには「コップも財布も一緒でしょ理論」で彼女たちと裁判長を納得させられる自信がない。
 黙っていたほうが賢明だ。
 そこへKさんが話にくわわってきた。

「まだいいわよ。うちなんかもっとひどいよ。
 うちの旦那、やかんのお茶を全部飲んじゃうの。
 あたしが飲みたいときにはやかんがからっぽなわけ。
 だから云ったのよ、
『最後の一杯を飲んだ人は、次に飲む人のためにお茶を沸かすことにしましょう』って。
 そしたら彼、『わかった』って」
 「よかったじゃない」
「よくないわよ! それからどうなったと思う!?
 彼ったら、やかんにほんのちょっとだけお茶を残すのよ!
 お茶を沸かしたくないもんだから、そのちょっとは絶対に自分では飲まないの!」
 「えー! ひどーい!」

 なんて人だ。
 ぼくも「それはひどいですね」と全女性の味方みたいな顔をしてKさんに同情の言葉をかけた。
 内心「なるほどその手があったか」と思ったことはもちろん秘密だ。

2015年6月26日金曜日

チャイニーズ電気ネズミ

中国で買った電気ネズミ 2種。

どうしてかわいいものに手を加えて気持ち悪くしてしまうのか。

2015年6月24日水曜日

結婚指輪にまつわる素敵なストーリー

知人から聞いた、結婚指輪にまつわる素敵なストーリー。

彼が社員旅行で東南アジアに行ったときのこと。
夜、お酒でも飲みに行こうと歩いていると、現地の男がなれなれしく肩を組んできた。
「いいお店があるよ」とつたない日本語で話しかけてくる。
「いらない、いらない」と答えていると、向こうから歩いてくる男と軽くぶつかった。
しばらくして、客引きの男は立ち去った。
ふとポケットを探ると、財布がなくなっている。やられた!

男が話しかけてきて気をひいている隙に、反対側から来る男が財布をスるというチーム犯罪だったのだ。

不幸中の幸いで、彼の財布に入っていたのは所持金の一部だけで、残りはホテルの鞄に入れていたので無事だった。
しかし彼にとって困ったことに、財布には結婚指輪を入れていた。指輪ごと財布をスられてしまったのだ!

ここで疑問に思う人もいるだろう。
なぜ指輪をわざわざ財布に入れていたのか?

なぜなら、彼は女の子がいるお店に飲みに行こうとしており、女の子にもてようと結婚指輪を外していたのだ。

帰国して、奥さんに対して「指輪をスられた」とは言えない。
がっちり指にはまっている指輪はスられたりしないからだ。
かといって指輪を外していたと言えば、なぜそんなことをしたのか問い詰められることになる。

 そこで彼は、
「刃物を突きつけられて暗がりに連れていかれ、金目のものを要求された。指輪もよこせと言われ、これは愛する人との誓いの証で大事なものなので勘弁してくれと言ったが、だったら命を奪うと言われて、愛する妻に申し訳ないと思いながらも泣く泣く強盗に手渡してしまった」という素敵なストーリーをつくって、奥さんに説明したそうだ。

これが、ぼくが知人から聞いた、結婚指輪にまつわる素敵なストーリー(嘘の言い訳)。

2015年6月23日火曜日

貧乏ウイルスで九死に一生


 ぼくの身体の中には『貧乏ウイルス』が棲んでいる。
 こいつは贅沢が大嫌いで、贅沢なものを食べつづけるとたちまち発症する。
 結婚式などのパーティーが続くともうだめだ。激しい嘔吐および下痢を引き起こし、たちまち体内から贅沢品を追い出してしまう。
 さらに丸一日は、一切の食べ物さらには水さえも受けつけなくなる。
 ぼくという人間はよほど育ちが悪いらしい。贅沢というものが体質的に合わないのだ。
 この貧乏ウイルスが発症するとひっきりなしに嘔吐と下痢に襲われるので苦しいのだが、上と下からすべてを出し切ってしまうと身体の内側がすっかり洗われたようで、かえって気持ちがいいくらいだ。
 ちょうどホースに勢いよく水を流しこんで内側にへばりついている澱を洗い流すような感覚。

 つい数日前にもぼくの体内で貧乏ウイルスが猛威をふるっていた。
 飲み会が続いており、「ローストビーフ」「プレミアムモルツ」「ハーゲンダッツ」というこの世の贅の限りを尽くしていたのが祟ったらしい。
 間の悪いことに、その日はかねてから計画していた旅行の日であった。
 貧乏ウイルスは嘔吐と下痢こそ引き起こすものの、熱は出ないし他人に感染するものでもないので、ぼくはからっぽになった身体を引きずって旅行へと発った。

 そして旅先でぶったおれた。



 宿泊先で、人生ではじめて五右衛門風呂なるものに入った。
 ぴんと張りつめた屋外の空気の中で浸かる五右衛門風呂はめっぽう気持ちよく、また他に客のいない貸切状態だったこともあってこの世の極楽であった。
 どれくらい気持ち良かったかというと、朝から何も食べていないことも忘れてつい長湯をしまったほどだ。
 五右衛門風呂を十分に堪能して、風呂から上がった。
 とたんに目の前がまっしろになった。

 後頭部がぶんなぐられたみたいに痛む。
 目がぐるんぐるん回ってとても立っていられない。
 たまらず倒れこんだのだが、息がうまくできない。
 貧血で倒れたのだ。
 緊急事態になると人間というやつは何を考えるかわからないもので、風呂場の床に素っ裸で倒れながらぼくがまず考えたのは
「五右衛門風呂のふたをしなくちゃ。
 次の人が入るときにお風呂のお湯が冷めちゃう」
という心配だった。

 息も絶え絶えになりながら死にもの狂いで風呂のふたをすると、再び床に倒れこんだ。
 心臓が途方もない速さで鼓動しているのが、まるで1メートルも遠くの音のように聞こえる。
 しばらく寝ていたら快復するかと思っていたのだが、頭はまっしろなままだ。
 さっきは最上だと思っていた貸切状態が恨めしい。どうしてこんなときにかぎって誰も来てくれないんだ。
 意識が次第に薄れてゆく。

 このまま気絶していればそのうち誰かが発見してくれるだろう。
 全裸で倒れているところを救助されるのは恥ずかしいが、贅沢は云ってられない。
 ぼくはわずかばかり残っていた力を抜いて、ゆっくりと目を閉じた。
 今にして思うと、あのまま意識を失っていたら命が危なかったかもしれない。
 長時間見つけられずに素っ裸で横たわっていたら、この世の極楽から一転、本物の極楽へ行ってしまうところだったかもしれない。

 しかし、人間の身体というやつは本当によくできている。
 さっきも書いたとおり、その日の腹具合は決して良くなかった。
 おまけに浴室内に裸で寝っ転がっていたために冷えたのだろう、おなかがゴロゴロと言い出した。
 やってきたのだ。
 便意様が。

 ここでぼくは、薄れゆく意識の中で必死に考えた。
 いま気絶すれば、理性という抑止力を失ったぼくの尻は暴走をはじめ、放射性物質にも匹敵する危険な物質を世に放つことになるだろう。
 その結果、周囲の環境は汚染され、しばらくの間は人間の住めない土地へと変わってしまう。宿の風呂がチェルノブイリ化してしまう。
 歴史から学ぶこと、これは今を生きる我々に課せられた使命でもある。
 同じ過ちを何度もくりかえすわけにはいかない。
 わたしは浴室環境を守るため、そしてなにより、全裸+汚物まみれの姿で発見されたくないという人間の尊厳を護るために、ふたたび立ち上がることを決意した!
(挿入歌:『ロッキーのテーマ』)

 そこからのことはよく覚えていない。

 意識を取り戻したとき、わたしは洋式便器に腰かけていた。
 わたしは勝ったのだ。
 貧血に。そして便意に。
 どうやら、くらくらと回る頭を抱えながら服を着て、這うようにしてトイレへと駆け込んだらしい。
 こうして、ひとりの男の強い意志によって浴室内の平和は守られたのであった。



 よくこんな話を聞く。
『重い病になり、高熱が出た。
 生死の境をさまよい、三途の川にさしかかった。
 川を渡ろうとしたそのとき、家族の呼ぶ声が聞こえてきたので引き返した。
 おかげで死なずに済んだ』
 ぼくもあのときたしかに、三途の川の入口で、引き返してこいという声を聞いた。
 声をかけてくれたのは家族でも友人でもない。ぼくの便意だった。
 まさか便意に命を救われるとは。
 ありがとう。いい薬です。

2015年6月22日月曜日

負け惜しみではなく

これは負け惜しみで言うわけじゃないんだけど、21世紀にもなってまだ木片で栓をしてるとか、すげぇダセえと思うんすよね、おれ。


2015年6月21日日曜日

人のネギを笑うな

 多くの日本人と同じく、ぼくもネギが大好きだ(ちなみに計画性なくネギを買うので、現在我が家には青ネギと白ネギとタマネギがある)。
 ネギは食材で唯一「万能」という称号を与えられるだけあってどんな料理にも合うし、栄養価も高いし(知らんけど)、値段も手頃だし、本当に偉大なる存在だ。
 なぜネギが国民栄誉賞を受賞しないのか、ぼくには不思議でしょうがない。
 しかし。
 ネギを愛してやまないぼくだけど、スーパーに行くたびに毎回ネギを買うのを躊躇してしまう(結局買うんだけど)。
 なぜならネギは
『使い勝手のいい野菜 第1位』であると同時に
『買って帰るのが恥ずかしい野菜 第1位』でもあるからだ。
 青ネギはともかく、白ネギは絶対に(そう絶対に!)スーパーの袋から顔を出す。
 スーパーからの帰り道、ぼくはずっと白ネギを周囲に見せつけながら歩くことになる。
 これが恥ずかしくてたまらない。

 ぼくはいい大人だから、いろんなことを隠しながら生きている。
 裸で出歩いたりしない。
 歌をうたいたくなっても大声でうたいながら道を歩いたりしない。
 エロいことを考えているときだってなるべく顔には出さないように気をつける。
 街ですれ違う人たちはみんな、ぼくが何者で何を考えているか知らないはずなのだ。

 それなのに。
 スーパーの袋からネギをのぞかせながら歩く姿を見た人には、ぼくがネギを好きだということがわかってしまうのだ。
 あの人、ネギ買ってるわ。
 あんなすました顔をしているけど、家ではネギを食べるのね。
 街ゆく人の声が聞こえてくるようだ。
 ああ。恥ずかしくてたまらない。
 巨大な堤防だって、小さな亀裂をきっかけにして崩壊する。
『ネギ好き』が世の人々の知るところとなれば、それをきっかけにしてぼくの内に隠しているすべてが露呈してしまうんじゃないか。
 それが恐ろしくてたまらない。

 そして『ネギ好き』というやつは、ぼくにとって本当にプライベートな部分なのだ。
 たとえばフランスパンではこうはならない。
 フランスパンも長いから袋には収まらない。だけどフランスパンをスーパーの袋からはみ出させて歩いたとしても、ぼくはちっとも恥ずかしくない。
 だって『フランスパンを買って帰るぼく』は本当のぼくじゃないから。
 セルフイメージのぼくはフランスパンを買わない。
 だから『フランスパンを買って帰るぼく』を見られたって恥ずかしくもなんともない。それは虚像なんだもの。
 だけど『ネギを買って帰るぼく』は実存にも関わる部分だ。
 だからネギを買って帰るのを知られることは、日記を読まれるよりも恥ずかしい。

 いやいや。
 いけない、こんなことじゃ。
 何を恥ずかしがっているんだ。
 ぼくは心の底からネギを愛しているのだ。
 胸を張って「ネギが好きだ!」と云ってあげなくては、何よりネギがかわいそうだ。
 ぼくは意を決して野菜売場へ向かう。
 美しい緑と白のコントラスト。まるまると太った身体つき。なんて甘そうなんだ。
 その最上級の白ネギを買い、ぼくは店を出る。
 手にはレジ袋。もちろん袋の口からのぞいているのは白ネギの上半身だ。
 みんながぼくのネギを見ている。
 今まさに、ネギを通してぼくの心の深遠が覗かれようとしている。
 だけどもうぼくはネギを隠したりはしない。
 きっとすごく性格が良くて心底愛しているんだけどブスの彼女を連れて歩くのはこんな気分なんだろう。
 笑いたければ笑うがいいさ。
 たしかにネギは安い食材だ。
 だけどもぼくはこいつを愛しているんだ!

2015年6月20日土曜日

シュレッダー取扱者


会社で大きなシュレッダーを買ったんだけど、こいつがすごく怖い。

だってとにかく大きいんだもん。
あたしくらいの大きさの貴婦人なら、軽々と飲み込んでしまえそうなサイズ。
一回も中のごみ袋を交換することなく、ふたりくらいは裁断できると思う。

おまけに何がおそろしいって、車輪がついてること。
たぶん、あんまり大きくて持ち運びが困難だからなんでしょうね。
鋭い歯とありあまる重量感だけでも恐怖なのに、機動性まで身につけてる。

もはや125ccくらいはあるんじゃない?

幸い、今のところこいつは高い知能は持ってないみたい。
エサ(不要紙)を与えられたときだけ食らいついて、ばかみたいにひたすら咀嚼してる。
鳥のヒナくらいの知性しか持ってない。

でも鳥のヒナってことは、ゆくゆくは成鳥になる可能性を秘めてるわけよね。
こいつが自由の翼を手に入れたとき。
考えただけでもぞっとする。

巨大なシュレッダーが、車輪をきしませながら次々に人を襲う。
逃げまどう子ども、立ち向かう男、巻き込まれるネクタイ、そして断末魔を残してシュレッダーに吸い込まれてゆく人々。

人類はDNAレベルで切り裂かれ、個人情報の断片と化す。
そのとき人間たちは思い知る。
個人情報保護という名のもとに、とんでもないモンスターマシンを産みだしてしまったことを……。

だからあたしは思うの。
この巨大シュレッダーを扱うためには、危険物取扱者資格か、せめて大型一種免許は必要にするべきだって。

2015年6月19日金曜日

こんにゃく外交


中国や韓国では、自国の国旗を燃やすのは違法、他国の国旗を燃やすのは合法らしい。

日本は逆で、他国の国旗を燃やすのは違法、自国はセーフ。

なんとなく外交姿勢が透けて見えておもしろい。

アメリカはというと、かつては「星条旗を損壊したものを罰する」という法律があったが連邦最高裁において違憲とされた。
なぜならアメリカ星条旗は「万人の自由と平等」を象徴するからだ。「星条旗を燃やす」ことも星条旗が象徴する自由に含まれる、というわけ。

その結果、星条旗を燃やすことに「アメリカに挑戦状を叩きつける」という意味はなくなった。
なぜなら星条旗を燃やすことは、星条旗の保証する自由に与することになるからだ。
攻撃していると思っていたのに、気づいたら相手の術にからめとられているという合気道のような技だ。

外交の極意はこんにゃく問答。

2015年6月18日木曜日

マメ喧嘩

往来で、交通違反で捕まったおっさんが、ものすごい剣幕で警察官に怒っていた。
けっこう口汚く罵倒していたのだけど、おっさんがずっと左手にマメ柴を抱えていたおかげで、意外となごやかな雰囲気につつまれていた。

このへんに世界平和のカギがあるような気がする。

2015年6月17日水曜日

年齢マニュアル

会社に新しく入ってきた女性に「いくつ?」と尋ねたら、「いくつに見えますか?」と逆に聞き返された。

こういうときは自分と同じ年齢を答えるのがいいと聞いたことがある。
「同い年だとうれしいなあと思ったから」と言うと好印象だからだという。

さっそく実践。
「同い年ぐらいかな?」
と言うと、あからさまに嫌そうな顔をされた。

実際の年齢を訊くと、7歳年下だった。

おいマニュアル使えねえな!


2015年6月16日火曜日

裏鈴木と国技の危機

 そりゃ泣くよ。
 あいつが結婚したんだもん。

 元カレ? じゃない。
 ずっと恋い焦がれてた人でもない。

 学生時代の友達。
 裏鈴木キミコって女。

 あたし、裏鈴木キミコは結婚しないと思ってた。
 だって裏鈴木キミコって、2年くらい前、ひとりで国技館に相撲みにいってたのよ。
 しかも初日。千秋楽だったらまだわかるけど初日。
 ひとりで大相撲の初日をみにいくような女が結婚できるわけないってのは日本の国技はじまって以来の常識じゃない。
 なのに結婚することになったの。これもう国技の危機よね。


 話がそれたわ。
 あたし、裏鈴木キミコが結婚するって聞いて、急いで裏鈴木キミコに電話したの。
 夜中の2時だったけどしったこっちゃないわ。
 ことは一刻を争うもの。
 そして問いただしたわ。結婚したら苗字はどうするのって。

 答えを聞いて愕然とした。
「加藤」ですって。
「裏鈴木っていう名前、嫌いだったからよかったわ。めずらしいから名乗ったときに必ず聞き返されるし。やっぱり平凡な苗字がいいわよ」なんて平然と言うのよ。
 信じられない。なんて無神経なのかしら。
 電話じゃなかったら、あたし、ごぼうで裏鈴木キミコの頭をひっぱたいてるとこだったわ。
 電話線がごぼうを通さなかったことに感謝してほしいわよね。

 あたしは「裏鈴木にしなさいよ」って説得したけど無駄だった。
「もうお互いの家で話はついてるから」って、聞く耳持たずよ。


 悔しくって悔しくって、泣いたわ。
 男女同権とか言うつもりはないよ。
「裏鈴木」っていうめずらしい苗字が消えゆくことに思いを馳せて泣いたのよ。

 裏鈴木キミコって、お姉ちゃんと二人姉妹なの。
 でもお姉ちゃんも結婚して、今は別の苗字。
 だからその家の「裏鈴木」の苗字を受け継ぐ人はいなくなるの。
 もしかしたら日本で最後の裏鈴木家かもしれない。
 裏鈴木キミコのお父さんとお母さんが死ぬとき、「裏鈴木」の苗字は消えてなくなっちゃうかもしれない。

 こんな悲しいことってある?
 トキが絶滅するかもしれないってニュースで言ってるけど、すごい勢いで地球上から森が消失してるって新聞には書いてあるけど、こうしている間にも、日本中でめずらしい苗字が絶滅していってるのよ。

 めずらしい苗字は絶滅の危機に瀕している。
 子どもが生まれなかったり、生まれた子どもが結婚して相手の苗字に変えちゃったりしたら、その苗字は消える。
 あと何千年か、何万年かしたら、日本は「佐藤」「鈴木」「田中」「山田」「山本」「高橋」なんかの平凡な苗字で埋めつくされている。

珍名さんがひとりもいなくなったら、この世の中は0.2%ほどつまらなくなるよ。
 

 だからあたし、25歳になったら選挙に出ようと思うの。
 国会で法案を通すために。
 あたしの法案はこう。
「結婚後の苗字は、夫と妻の苗字のうちめずらしい方を名乗らなくてはいけない」

 山田さんと長万部さんが結婚したら、どっちが男であっても、長万部さんの苗字を名乗らなくてはならないの。
 こうすれば、めずらしい苗字が絶滅する危険性はぐっと減るはず。
いいと思わない?

2015年6月15日月曜日

嘘つき村人の独白

出身地ですか……。いちばん答えにくい質問なんですけどね。

いや、いいんです。
そういうのじゃないんで。

私の出身は「嘘つき村」です。
あなたも、一度は耳にしたことがあるでしょう?
「必ず本当のことを言う正直村の村人と、嘘しか言わない嘘つき村の村人を、一度の質問で見破ってください」
とかいうやつ。論理パズルっていうんですか?
そのパズルでおなじみの「嘘つき村」です。

そうなんですよ。みなさんびっくりするんですけどね。実在するんですよ。
というより、みんなが作ったといったほうがいいかもしれませんね……。

誰があのパズルを考え出したのかは知りません。
でもあのパズルは人口に膾炙して、私立を受験するような子なら小学生でも知っている。
みんなの頭の中に「嘘つき村」はたしかに存在する。イメージってのはエネルギーですからね。そのエネルギーがあまりにも大きくなったとき、概念としての存在でしかなかった「嘘つき村」はたしかな実体となって生まれたのです。私たち村人と一緒に……。

私は「嘘つき村」で生まれ育ったわけですが、そりゃあ嫌なものですよ。
誰もが嘘しか言わないんだから。
何を信じていいのかわからなくなりますよね。

でももっとつらかったのは、村の外に出るときです。
「嘘つき村の村人」というレッテルを貼られ、誰もまともに話なんか聞いてくれません。
仕方ないですよね、村人全員嘘つきなんだから。
近くに「正直村」があって、そこの村人が誰からも愛されていたのとは大違いです。「正直村」はもうすぐ世界文化遺産に登録されるんだとか。

でもね。最近ふと思うんです。
私たち「嘘つき村」の村人と、「正直村」の村人にいったいどれほどの違いがあるんだろうって。
必ず嘘をつくって、考え方を変えれば、こんな正直な話はないですよね。
全部嘘なんですから。ひっくり返せば、思っていることは全部わかっちゃうわけです。
私たちからすれば、正直と嘘を巧みに使い分けるあなたがたのほうが、よっぽど嘘つきだと思います。

あ、すみません。
愚痴っぽくなっちゃいましたね。
こんなこと言うつもりはなかったんですが。

今言ったことは全部忘れてください。

全部嘘なんです。
だって私、「嘘つき村」の村人なんですから。
……本当ですよ。

2015年6月14日日曜日

古今東西おすもうアンドロイド

オリンピックを見るたびにあたしは思う。
なんでおすもうがオリンピック競技じゃないのよって。

声を大にして言いたい。
いや、もう大にして言ってる。
さっき隣人から「うるせえぞ!」と苦情が飛び込んできたところだ。

柔道はうまいことやってる。
世界競技になっちゃって。
なのにおすもうはいまだオリンピック競技になっていない。
アジア大会すら開かれていない。
北青森ちびっこ相撲大会しか開かれていない。

あたしはおすもうが大好きだ。
あたしだけじゃない。
世界中誰もがおすもうを好きだと思う。
古今東西問わずだ。
古代エジプトのクフ王だって、中世ヨーロッパの奴隷だって、23XX年の未来都市TOKIOに生きるアンドロイドだって、きっとおすもうを見たら手に汗を握るはずだ。横綱が負けたら思わず座布団を投げてしまうはずだ。

おすもうは日本だけのものだと思っている人は多いみたいだけど、それはまちがい。
細かいルールはちがうけど、モンゴルにだって韓国にだっておすもうはある。
よく知らないけど、ヨーロッパにだってアフリカにだって北極にだってあると思う。

[お互いがぶつかって相手を陣地から追い出す]

どんな文化にだって、こんなシンプルな競技が誕生しないはずがない。
自然発生的に誕生するにきまってる。

飛行機に乗ると、隣の人とひじかけの所有権を争って抗争(ひじの押し合い)がくりひろげられたりする。
そう、あれだっておすもうの一種だ。

専務と常務の仲が悪くて、策略をめぐらして相手を会社から追放しようとしたりする。
そう、これもおすもうの一種だ。

フリーキックのとき、フォワードと相手ディフェンスがいい場所をとりあって体をぶつけたりする。
そう、いうまでもなく、これはサッカーだ。


[地面に手をついたら負け]

これもおすもうのルールだけど、これだって世界共通のルールだ。

裁判でも戦争でも、地面に手をついて謝るのは敗者のほうだ。

改めて説明するまでもない。
水泳、レスリング、野球、ラグビー。どんな競技でもいい。決着のついた直後の選手を見てごらんなさい。
勝った方は天に拳を突き上げて喜んでいる。
負けた方は地に手をついて悔しがっている。
二足歩行をはじめたときから人類が共通して持っているルールだ。

こんなわかりやすいルールのおすもうが、世界に受け入れられないはずがない。
なのにどうして国際種目になれないのよ。


こう云うと、わけ知り顔でこんなことを云うやつがいる。
「おすもうが世界競技にならないのはね。あのまわしスタイルが理由なんだよ。
 おすもうさんは尻を出してるだろう?
 あのまわし姿が、他の国の人にはハレンチととられるんだ」

そんなやつには声を大にして反論したい。
いや、もう大にしてる。さっき隣のやつに「何度注意したら静かにするんだ」と云われたところだ。
だからもう静かにするけど、これもまたどっちが陣地(アパート)から追い出されるかを競ってるわけだから、おすもうだと思わない?

2015年6月13日土曜日

模倣ならではの下品さ

大通りを、ごてごてした装飾の宣伝カーが走っていた。

「一攫千金の夢の楽園『マカオ』にお越しください……」

ってスピーカーで流しながら走っていたので、パチンコ屋の宣伝うるせえなあと思って目をやったら、旅行代理店とマカオ観光局のタイアップ企画だった。
ほんまもんとは思えない品の無さだった。

2015年6月12日金曜日

キツツキに告ぐ

おいキツツキとクワガタムシ!
聞いてるか!?
おまえらに言ってるんだぞ!

ユーロビートが漁場を荒らす


ぼくが通ってた高校はそこそこの進学校だったのでヤンキー同士の意地の張り合いみたいなのはほとんどなかったけど、
その代わり文化系男子による音楽抗争がばちばちと、しかし静かに繰り広げられていた。

具体的には、休み時間や放課後に、廊下でイヤホンを耳に当てて、窓の外を見ながら小さくリズムに乗って揺れていたやつらのことだ。

まずこの廊下というのがポイントで、誰かを待っている風を装って自然にたたずむことができる上に、人通りが多いので、声をかけてもらいやすい。
そう、彼らは音楽を聴きたくてイヤホンを耳に当てているのではない。
「何聴いてるの?」
この一言をかけてもらうために、いわば廊下という漁場に釣り糸を垂れているのだ。

もし誰かが聞いてきたら、しめたものだ。
彼らは、よくぞ訊いてくれましたという歓喜の気持ちをぐっと抑えて、まるで至高の音楽を聴いているのを邪魔されて迷惑だというような表情を作りながら、自分の選曲センスの良さをアピールしだす。
「知ってるかなあ!オレンジペコっていうアーティストなんだけど!」

もちろん彼らが聴いているのは、オリコンランキング上位に名を連ねるようなアーティストなどではない。
洋楽か、マイナーな若手ミュージシャンのどちらかである。
(もっとも彼らがそのアーティストを知ったのはFMラジオで特集されていたからだ。FMで特集されるぐらいだからもう十分メジャーなのだが、田舎の高校生にとっては「おれだけが注目しているこれからのアーティスト」だ。)
ヤンキーたちがどちらが喧嘩に強いかを競いあうように、彼らはどちらがいかにマニアックな歌を聴いているかを競いあう。

たまにそのへんの感覚をこじらせちゃってるやつもいて、高2のときに同じクラスだったタツミくんは
「ユーロビートまじでいいよ。この学校でユーロビートにはまってるのはおれだけだろうけど、なんでみんなもっとユーロビート聴かないのかなあ。ほら、聴いてみ」
と、勝手にぼくの耳にイヤホンをつっこんで大音量のユーロビートを聞かせてくれた。

おかげでぼくはこの日からユーロビートとタツミを大嫌いになったし、今ではユーロビートがすっかりダサい音楽だっていう扱いを受けているのは、タツミみたいにみんなが釣り糸を垂らしているときに網を持ってざばざばと水に入っていって漁場を荒らしたユーロビート好きがいっぱいいたからなんだろうなって思ってる。

2015年6月10日水曜日

おばさんのパラドックス×2

女子とおばさんの見分け方として、
「自分のことを『女子』と呼ぶようになったらおばさん」
というのがぼくの中での基準なんだけど、世の男性一般の見解とほぼ合致していると思う。


ちなみに別の見分け方として、

「おまえももう25歳かー。すっかりおばさんだなー」
「ちょっと、誰がおばさんよ」

みたいなやりとりがあるうちはまだおばさんじゃないけど、言われなくなったらおばさん、というのもある。
しゃれにならないからね。


2015年6月9日火曜日

女子力偏差値

ぼくはおっさんだから知らないんだけど、
女子力の高い/低い って、どうやって判定してるの?

やっぱり全国一斉女子力統一模試とかあるわけ?
そんで偏差値74だから医学部(卒業の男)いける、とかあるわけ?

それともガイガーカウンターみたいなので
「50……60……まだ上がるぞ! 70……ピピッ、ボンッ!!」
みたいな測定するのかな。


2015年6月8日月曜日

ボクシング短歌


鉄兜・スタンガンを身につけて
 見せてあげよう大人のボクシング


2015年6月7日日曜日

本屋の野口は本を読まない


バイトの野口くんは本を読まない。

本屋で働いていたときのことだ。

野口くんはまがりなりにも大学生をやっていたのだが、生まれてこの方1冊の小説も読んだことがないらしい。

小説どころか漫画もほとんど読まない。
彼が読むものといえばパチンコ雑誌か、「芸能人の黒い噂」みたいなタイトルのゴシップ誌だけだ。

野口くんがなぜ本屋でアルバイトをしようと思ったのかは誰も知らない。



そんな野口くんがあるとき
「犬犬さん、ぼく生まれてはじめて小説買いましたよ!」
と言って見せてくれたのが
『ONE PIECEの秘密』という本だった。

それは小説じゃねえよと思ったが、いやいやこれをきっかけに彼が読書のおもしろさに芽生えてくれるかもしれないと思い直し、何も言わずにおいた。



2日後に「おととい買った本読んだ? おもしろかった?」と尋ねたら、

「読みましたよ! でも内容全部忘れました!」

おまえ読んでないだろ。

2015年6月6日土曜日

どん兵衛・オン・自転車

真を撮り逃したことが残念でならないのだが、どん兵衛を食いながら自転車に乗っているおっちゃんを見た。
左手にお湯の入ったどん兵衛、右手に割り箸を持ち、両肘でハンドルを支えながらふらふらと大通りを走っていった。

その状態でどうやって食うのだろうと注目していたが、やはり肘だけでバランスをとるのがせいいっぱいのようで、ぼくが見ていた限りでは一口も食っていなかった。

ま、そりゃそうだろう。
無理に決まっている。
だから先ほど「食いながら」と書いたが、「今にも食いそうな気配を漂わせながら」というのが正確な表現だ。

それにしても、急いでいたのだろうけど、どうして自転車に乗りながら食おうと思ったのだろう。
立ち止まって食って、食いおわってから走るほうが絶対に早いだろうに。
それよりなにより。
自転車で走りながら食うのに、どうしてどん兵衛を選んだのか。

もっとあるだろう。
ほら、おにぎりとかパンとか、片手で食える軽食が。

おっちゃんに問いたい。
誰しも一度は聞いたことのある「サンドウィッチ伯爵が食事の時間も惜しんでトランプをやるために~」という逸話から、あなたはいったい何を学んだんですか!
まさか「それぐらいトランプは楽しい」という教訓しか引きだせなかったんですか!?

2015年6月5日金曜日

オチを先にいっちゃう

以下、作品の結末に関する重要なネタバレがあります。

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タイトル:耳なし芳一




 

2015年6月4日木曜日

山本昌の完封勝利

新しい携帯電話で
「やまも」まで入力すると、
検索候補に
「山本」よりも先に「山本昌」が出てきた。

すごいなさすが大投手。
山本はかなり多い苗字なのに、たったひとりで他の全・山本を上回るなんて。

2015年6月3日水曜日

守るアプリ

胸に入れていたスマートフォンが、銃弾と凶刃からぼくの命を守ってくれた。

入れててよかった防弾アプリ!!

2015年6月2日火曜日

バレエダンサーかAV女優

特技と呼べるものがあるとしたらただひとつ、身体が柔らかいことだけだ。

前屈で手のひらを地面にべったりつけることができるし、脚を180度開脚して胸を地につけることができる。

たまにこの特技を人前で披露することがある(ズボンのお尻が破けるのでゆったりしたズボンのときだけだが)。
たいていの人は「うわっ、すごい!」といった驚きの反応を見せてくれるが、中には、
「で、それが何の役に立つの?」
なんて言葉を吐いたりする。

自分でやろうともせずに他人を否定することはたやすい。
深く考えもせずに「何の役に立つの?」なんて言う人間には、こう言ってやりたい。

「そう、何の役にも立たないんですよ」


 本当に、少しも役にも立たない。まじでまじで。
『金田一少年の事件簿』に、ズボンのポケットに入っていたほこりを使って火をつけるシーンがあった。
だからぼくの身体が柔らかいことは、ポケットのほこりよりも役に立たない。身体が柔らかくても火はつかない。

もしぼくが体操選手やバレエダンサーだったら、身体が柔らかいことはプラスにはたらいただろう。
また、もしぼくがAV女優だったなら、そういうジャンルの作品に出演することができて、仕事につながっただろう(女性の方には信じられないかもしれないが、ほんとにAVには『軟体もの』というジャンルが存在するのだ)。

でもぼくの柔軟性は1円にもならない。
こないだ整体師と話したときに
「ぼく、すごく身体が柔らかいんですよ。でも何の役にも立たないんですけどね」
と云ってみたら
「でしょうね」
と一蹴された。
人体を知りつくした整体師から太鼓判を押されるほどの役立たずなのだ。


しかしぼくはまだ、この柔らかさを活かすことをあきらめたわけではない。
あきらめてはいけない。
『SLAM DUNK』の安西先生も言っているではないか。
「シュート2万本です」と(そっちかい)。

ある種の鳥は、羽の色鮮やかさで異性を惹きつけるかどうかが決まるという。
またある種の昆虫は、大きな声で鳴く個体に魅力を感じるのだという。

だからぼくは期待する。
死んだ後、身体の柔らかいやつほどモテる生き物にうまれかわることを。

そのためには、この柔軟性を死後の世界へと引き継がなければならない。


だからお願いです。ぼくが死んだら脚を180度開脚した状態で棺おけに入れてください!

ぼくは柔軟性を墓場まで持っていくつもりなんです!

2015年6月1日月曜日

教師の呼称

中高生の頃、教師のことを(本人がいないところで)どう呼んでいたか。

・好きな教師、尊敬できる教師
→さん付け、または愛称

・嫌いな教師、軽蔑する教師
→呼び捨て、または蔑称

・どちらでもない教師、よく知らない教師
→○○先生

ぼくの場合はおおむねこんな感じだった。

つまり、「先生」という呼び方は敬称だとされているけれど、実際には単なる記号でしかなかった。
「民衆」とか「外人さん」とかと同じように、顔の見えない人を指す言葉なのだ。

       
だから「先生」と呼ばれたからといって、誇らしく思ったり、照れくさく感じたりする必要はない。
「あなたという個人には興味がありません」と言われているだけなのだから。