2023年1月17日火曜日

【読書感想文】米本 和広『カルトの子 心を盗まれた家族』 / オウム真理教・エホバの証人・統一教会・ヤマギシ会

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カルトの子

心を盗まれた家族

米本 和広

内容(e-honより)
平凡な家庭にカルト宗教が入り込んだ時、子どもはどんな影響を受けるのだろうか。親からの愛情や関心を奪われ、集団の中で精神的、身体的虐待を受けて心に深い傷を負った子どもたち。本書は、カルトの子が初めて自分の言葉で語った壮絶な記録であり、宗教に関わりなく現代の子育ての闇に迫るルポルタージュである。

 いやあ、壮絶だった。

 長年カルト宗教を取材している著者による、カルト二世にスポットを当てた本。昨年カルト二世が元首相暗殺事件を起こしたことでにわかに注目されるようになったけど、問題としてはずっとあったんだよな。みんなが見ようとしなかっただけで(ぼくもそのひとりだ)。


『超人類の子 オウム真理教』『エホバの証人の子 ものみの塔聖書冊子協会』『神の子 統一教会』『未来の革命戦士 幸福会ヤマギシ会』から成るんだけど、どれも強烈。

 最初の章を読んで「これはひどいけど、でもまあオウムだからな。あれは戦後日本史においても特別な団体だったから」とおもったんだけど、後の三章を読むと、いやこれひょっとしたらオウムよりひどいんじゃねえの、こんな団体が今でも大手を振って信者勧誘してんのかよ……と背筋が冷たくなった。




 特にエホバの証人の章はいろいろ考えさせられた。

 というのは、身近にエホバの証人の2世がいたからだ。


 ぼくがTとはじめて同じクラスになったのは中学一年生のときだった。Tの第一印象は「大人びてて怖いやつ」だった。

 休み時間にぼくが他の同級生とふざけていると、それまで話したこともなかったTから突然声をかけられた。「おい、そんな幼稚なことしておもろいか?」と。

 Tはクラスで一、二をあらそうほど身体も大きかったし、妙に落ち着いた雰囲気もあったのでぼくはすっかりびびってしまった。「こえーやつ」とおもうようになった。

 が、数ヶ月するとぼくとTはそこそこ仲良くなった。休み時間にコインを使ったゲームをしたり、文化祭の準備のときにいっしょにサボって遊んだり。「こえーやつ」という印象は相変わらずだったが、話してみるとふつうの中学一年生だった。


 Tがエホバの証人の家庭の子と知ったのは、体育の授業だった。Tと、もうひとりのNという生徒だけが柔道の授業を見学していた。Tと同じ小学校だった子がこっそり「あいつらはエホバだから格闘技禁止やねんて」と教えてくれた。

 とはいえ、それは「あいつの家は遠いから遊びに行けない」ぐらいの感じで、特に蔑むとかあわれむとかの響きはなかったようにおもう。ぼく自身も「ふーん、そんな家もあるのか」と単純に受け止めただけだった。小学生のときに、友人の家が宗教上の理由でアルコールやコーヒーを禁止という話を聞いていたので、そういう家もあるのだということは知っていた。ちょうどオウム真理教が世間を騒がせていた頃だったが、特にそれと結びつけるようなこともなかった。

 また、中学校に入ってすぐに音楽の授業で「校歌を覚えて、それをひとりずつ音楽の教師の前で歌う」というテストがあったのだが、Tは「声変わりなので歌えません」と拒否していた。当時は「ふつうにしゃべってるくせに、歌うのが恥ずかしいんだろうな」ぐらいにしか考えていなかったが、ずっと後になってエホバの証人は国歌や校歌を歌うことを禁じていることを知った。

 また「特別な理由がないかぎり生徒は全員いずれかの部活に所属すること」というルールのある学校だったのだが、Tは部活に入っていなかった。「特別な理由」がある生徒だったのだ。

 ぼくはTとそこそこ仲良くやっていたが、一度も宗教の話をしたことはない。たぶんぼくだけでなく他の生徒も。バカ中学生なりに「他人の宗教のことは触れてはいけないこと」という認識を持っていたのだ。


 Tが変わったのは中二になってからだ。はっきり言うと、グレた。

 といっても今にしておもうとぜんぜんたいしたことはない。ぼくの通っていた中学校は郊外の新興住宅地にあったので、不良といっても「先生に隠れてタバコを吸う」「夜にコンビニに集まる」ぐらいのものだ。他校の生徒と喧嘩とかバイクで走るとか警察の厄介になるとかはほとんど耳にしたことがない。

 Tも、授業開始のチャイムが鳴ったのにいつまでも廊下で遊んでいる(厳しくない先生のときだけ)とか、合唱コンクールの練習をサボるとか、教師の目を盗んで学校の備品を壊すとか、その程度だった。ちゃんと学校には来ていたし、ほとんどの授業ではおとなしくしていた。今おもうとかわいいものだ。

 もっとも、中二になって学校や教師に対して反抗的になったのはTだけでなく、他にも数人いた。中二とはそういう時期だ。

 それでも田舎の学校ではそこそこ大きな問題になり、Tたちの親が学校に呼ばれてくるのを目にした。


 そんな時期が何か月かあり、あるときを境にTははっきりと変わった。それまでの非行はなりをひそめ、急にふつうの生徒に戻った。グレた生徒は数人いたが「足を洗ってふつうに学校生活を送る生徒たち」と「学校を休みがちになる生徒たち」にはっきり分かれた。Tは前者だった。

 そしてTはぼくのいた陸上部に入った。「あれ? エホバって部活禁止じゃないの?」とおもったが、もちろん本人には訊けなかった。

 Tは陸上部員としてまじめに練習に取り組んでいた。ぼくよりもよっぽどまじめに。そしてなんとなく明るくなった。グレていたことなどなかったかのように、まじめな生徒として学校生活を送っていた。

 その頃何度か放課後に友人宅でTと遊んだことがある。それまではTは授業が終わるとそそくさと帰宅していた。おそらくエホバの証人の活動か決まりがあったのだろう。だがそれが解けたのか、放課後に遊べるようになったようだった。

 さらにTに彼女ができた。隣のクラスの女の子といっしょに帰宅する姿を何度か目にした。彼女のほうはふつうに部活をやっていたのでたぶん信者ではない。


 ここからはぼくの想像でしかないのだが……。

 Tがグレて、親が学校に呼ばれて教師と三者面談などをするうちに、エホバの証人からのTへの呪縛がゆるくなったのだとおもう。その後も柔道の授業は見学していないから、脱会などはしていなかったとはおもう。親の判断か、教団の判断かはしらないが、とにかく規制がゆるくなったのだろう。Tは部活に入り、ときどきだが放課後や休みの日に遊んだりもするようになった。男女交際もするようになった(親がそこまで知っていたかはわからない)。

 その後、同じ高校には進んだもののクラスが別になったこともあり、Tとは疎遠になった。高校卒業後にTがどこで何をしているかは知らない。噂も聞かない。Facebookで検索してみたが見つからない。

 今にしておもえば「Tとテレビや流行歌の話をしたことがなかったな」とか「Tは運動神経はよかったけど体育の授業でやった野球はすごく苦手だった。あれは遊びを禁じられていたからなんだろうな(走ったりボールを蹴ったりするのは持ってうまれた運動神経があればうまくできるが、野球の動きは日常にないものが多いので慣れていないと運動神経がよくても練習をしないとうまくなれない)」とか、いろいろエホバ二世としておもいあたるフシはあるけど、だいたいにおいてはふつうの学生だった。




 そんなエホバの証人だが、外から見える姿と内情は大きな差があるようだ。特に子育てにおいては。

 エホバの証人では、子どものしつけのための体罰が禁止されていないどころか、むしろ積極的に推奨されていたそうだ(今は多少変わったらしいが)。

 恵美の受難は誕生後十ヵ月目から始まった。聡子が振り返る。
 「生後十ヵ月から叩くようにしました。集会で泣いたり、騒いだりすると、おしめを取って恵美のお尻を竹のモノサシで叩きました。王国会館の物置部屋が『懲らしめの部屋』になっていて、静かにしないとみんな子どもをそこに連れていってムチを打ちました」
 聡子が属した会衆の長老は「どんなに子どもが小さくても、集会中は静かにしなければならないことを教えましょう」と語り、長老を指導する立場にある巡回監督も「小さい子をしっかり訓練しましょう」と聡子たちに教えた。

 生後十ヶ月なんてまだ言葉も話せない。今は静かにしなさい、なんて言って聞かせられるはずがない(ぼくなんか小学生になってもできなかったぜ)。

 そんな幼い子にムチを打つ。この〝ムチ〟は比喩ではない。ベルトやゴムホースなどを使って、文字通りムチ打つのだ。

 恵美の記憶を綴ることにしよう。
 彼女の記憶は三、四歳ぐらいから始まる。家族と遊園地に行ったというような子どもらしい、いい思い出は一つもなく、記憶にあるのは叩かれたことばかりだった。
 週三回王国会館で開かれる集会は、日曜日を除けば火曜日と木曜日の夜七時から始まった。曜日のほうが長く、集会とその後の打ち合わせを終えて王国会館を出るのは十時を回る。三、四歳の子にとっては退屈だし、眠い。そのため、集会中にキョロキョロしたり後ろを振り向く。子ども同士で私語を交わす。うとうとする。そうすると、母親の聡子は手や足をつねる。それでも直らないと、皮がむけるほどつねった。
 「三、四歳の子はふつう夜七時に寝るでしょ。伝道訪問で長時間歩いたあとだから、集会中眠くなりますよね。つねられて、目を開けてなきゃあと思うんだけど、つい瞼が閉じてしまう。すると、お仕置き部屋に連れていかれる。母が冷静なときにはお尻を叩きますが、カッとなるとスリッパで頭を殴ったりする。叩かれると痛い。痛いから泣くのに、反抗的だとまた叩かれた。鼻血が出たこともたびたびありました」
 聡子は竹の定規で叩いていたというが、恵美の記憶によれば、そればかりではなかった。父親のズボンのベルト。スリッパ。布団叩き。太い電器コード。洋服ブラシ。聡子の話とはずいぶん違う。
 「母にとって叩けるものだったら、なんでも良かったのでは。ブラシは柄の尖ったところで思いっきり殴られた。小学校高学年になると、お尻を出せと言われても素直に従えませんよね。そうすると、腕や足を叩いた。赤ちゃんの蒙古斑のような痣は中学に行くまで消えたことがありませんでした。首根っこをつかまれて引きずり回されたなんてこともしょっちゅうあった」
 こうまでやられれば立派な二世〟になるか、不満を鬱屈させたまま大人になっていくか、あるいは智彦のように親に暴力で立ち向かうようになるかのいずれかだろう。そういえば、二十二万人のエホバの証人の半数近くは二世だと言われている。

 これは決してめずらしい例ではなく、多くの二世が体罰を受けて育ったという。なにしろ教団が推奨しているのだから。

 エホバの証人は伝道訪問といって他の家庭をまわっては勧誘するのだが、訪問を受けた側はいっしょにやってきた「しつけのよく行き届いたお行儀のいい子」を目にする。

 だが「しつけのよく行き届いたお行儀のいい子」の実情はこれである。ムチによって行動を抑制させているだけなのだ。

 この本には、二歳の子に体罰を加えた結果死なせたエホバ信者のケースが載っている。


 こうやって育てられた二世が、将来親になったとき、どんな子育てをするか。容易に想像できる。仮に脱会していたとしても、自分が受けた子育てをくりかえす可能性はきわめて高いだろう。

 こんなことをやっている集団が愛だの平和だの言っているのだから、ぞっとする。




 さっきのTだが、はっきりいって、クラスメイトたちから距離を置かれていた。

 身体はでかいし力も強いからいじめるようなことはなかったが、

「放課後や休みの日に遊ぶことがない」
「テレビやゲームやマンガの話ができないので話が合わない」
「エホバの証人にまつわる話になっちゃいけないとおもうと気を遣う」

などの理由があったとおもう。人間、自分とはちがうものは排除してしまうのだ。


 また、Tと同じ小学校だった友人が語っていたことがある。

「小学校のとき、クラスでクリスマス会をしようということになったのに、エホバのTがみんなの前で反対した。『クリスマスを祝うのはおかしい』って言って。そのせいでクリスマス会が中止になった。みんな楽しみにしてたのに」

 それを聞いたときぼくは「Tも水を差すようなこと言わなきゃいいのに。嫌なら自分だけ祝わずに黙っていればいいだけじゃないか。どうせ学校のクラスマス会で本気でキリストの生誕を祝うやつなんていないんだから」とおもっていた。

 だが『カルトの子』を読んで、その内情を知った。

 本人の意思で信仰生活に入った一世が戒律を守るのは自由だが、それを強要される二世はたまったものではない。とりわけ、先の節分、七夕などは学校でも行われる行事であるため、参加しないエホバの証人の二世たちは白眼視される。
 そればかりではない。恵美が語る。「たんに参加しないだけならいいけど、みんなの前で『私はエホバの証人です。だから、七夕集会には参加しません」と証をしなければならなかった。とても嫌でした」。新しい宗教が胡散臭く見られる時代にあって、わざわざ自分が属する宗教団体名を明かすのは奇異なことのように思えるだろう。だが、「エホバの証人」は名前の如く、エホバ神の御言葉(証言)を伝えることを使命としている。子どもであろうと「証」から逃れることはできないのだ。
 証は二世にとって最も嫌なことの一つである。恵美も当然、抵抗した。
 「前の夜は言いたくないと、母親に泣きながら訴えました。学校の七夕集会に宗教的な意味なんかあるわけがない。飾りつけした笹の葉の横でゲームをやるだけ。先生に相談すると、出なさい。母は出るな、証をしろ。もう、分裂しそうでした。当日は参加したかったのに、みんなの前で証をしたあと、教室の片隅でじっとしていた。あんなに辛いことはなかった」
 クラス委員の選挙があるときでも、たんに白紙を出すだけではすまされず、「選挙に参加しない」とやはり証をしなければならなかった。
 クリスマス会、誕生会で、みんながわいわいがやがやしているとき、恵美はいつもひとりぼっちだった。

 Tはみんなの楽しみに水を差したかったわけではない。反対することが戒律だから、反対しないといけなかったのだ。そうしないと裁きを受けるから。

 Tも言わされていたのだ。つらかっただろう。

 今となっては同情的な気持ちになるが、小学生にはわからないよなあ。「こっちで楽しんでるんだからじゃまするなよ」という気になる。




 ぼくが「エホバの証人の子はオウム真理教の子よりもかわいそうかもしれない」とおもったのは、彼らが社会と関わらないといけないからだ。

 オウムの子ももちろんひどい。世間から隔離され、親からも引き離され、劣悪な環境に置かれ、いびつな教義を吹きこまれる。たしかに不幸なんだけど、それはあくまで〝外〟から見た不幸である。その環境で育った子からすると、そこしか知らないわけだから、それなりに順応するのではないだろうか。もちろん、いずれ世間の常識と衝突するわけだけど。

 だがエホバの証人の子が不幸なのは、彼らが世間と関わっていることだ。彼らは公立の小中学校や高校に通う(大学に通う子はすごく少なかったそうだ)。そこでは友人ができる。彼らは遊び、ゲームをし、漫画を読み、男女交際をし、親から殴られることもほとんどなく、自由を謳歌している。どの子にだって悩みはあるだろうが、エホバの証人の子から見たら悩みなんてないように見えるだろう。

 そんな子を横目で見ながら、親から殴られ、遊ぶことを禁止され、娯楽は与えられず、自由もなく、行動を制限される。「ふつうの子」はサタンだと言われるが、そっち側のほうがよほど幸せそうに見える。

 また、エホバの証人は伝道訪問という布教活動をする。子どもも親に伴って、近隣の家をまわってエホバの証人への信仰を訴えるのだ。ぼくの家にも来たことがある。エホバの証人の信者と、その子どもであるクラスメイトが。

 白い目で見られることがわかっていて、友人や好きな子の家に伝道訪問をしないといけないのだ。あんなつらいこと、他にそうはないだろう。


『カルトの子』によれば、中学生ぐらいで非行に走ったり自殺未遂をするエホバ二世が多いそうだ。ぼくのクラスメイトのTくんもそのひとりだったわけだ。

 あれ、当時は「エホバの証人の家庭だからおかしくなっちゃうんだ」とおもってたけど、今考えるとちっともおかしくなってない。むしろ正常な行動なんだ。正常だから、異常な世界から飛び出そうとして非行や自殺未遂を起こしていたのだ。

 ただ、仮に世間を知って脱会したとしても、幼いころから聞かされてきた教義はそうかんたんに抜けない。いろんなことを禁じられているため、脱会後にふつうの生活を送りながらも「こんなことをしたらいけないんじゃないか」と自責の念に駆られる元信者も少なくないという。やめたからはいおしまい、というわけにはいかないのがカルトのおそろしいところだ(そもそもやめるのがかんたんではないのだが)。




 エホバの証人についてだけで長々と書いてしまった。オウム真理教も、統一教会も、ヤマギシ会も、どれもひどくて書きたいことはいっぱいあるんだけど、あまりに長くなってしまうのでこのへんでやめとく。


 カルトに騙された大人の信者もかわいそうだが、彼らはまだマシだ。自分が信じて宗教活動をやっているのであれば、つらいことも耐えられるだろう(将来後悔することはあるだろうが)。だがカルト二世の日々は地獄だ。

 何かがおかしい、こんなのは嫌だと感じても、その世界しか知らないのだからうまく言語化できない。仮に言葉にしたって親がカルトにハマっているのだから抜けだすことはまず不可能だろう。

 カルト二世がまじめに宗教活動をしているように見えるのは、信仰よりも先に、親の愛を受けるため、親から認められるためだろう。特に幼い子にとって親の存在は絶対である。親が言うことを否定することや疑うことはまず不可能だ。

 大人はしょうがないにしても、せめて子どもはカルトから救いだす制度が必要だとおもう。

 それなのに。

 夫婦が属していた会衆は広島市安佐南区にあった祇園会衆(現在は発展して三つの会衆に分かれている)だった。ここでの懲らしめのムチは長さ五〇センチのゴムホースだった。当時この会衆にいた元女性信者は「子どもが集会中に居眠りをすれば、親はトイレに連れていき、ゴムホースで叩きました。体罰”は日常的でした」と語る。
 Aがこの信者に語ったところによれば、最初にエホバの証人の教えを実行したのは長男が一歳になったときだった。Aが大切にしていたオーディオを長男がいじくったので、ムチをしたのだという。
「『びしっと良くなった』とおっしゃっていました。それから体罰の味を知ってしまわれたのではないでしょうか」
 やがて二男が生まれた。二男には赤ちゃんのときから体罰を与えた。二歳になった頃から異常な摂食行動を見せるようになった。二歳にして食事の量が大人なみというだけでなく、炊飯ジャーの蓋を開けては手づかみで御飯を口に頬張る。冷蔵庫を開けて生の人参やキャベツをバリバリ噛んで口に入れる。落ちているものを拾って食べる。
 ムチで治そうとしたが、悪くなる一方だった。病院に行ったが、脳波に異状はなかったし、器質的にも異常は認められなかった。精神科では心の問題と言われるだけだった。
 先輩の兄弟姉妹にも相談したが、いつも決まって言われたのは「愛情不足ではないか」。そう言われれば、「むちを惜しむ人はその子を憎むのであるが、子を愛する人は努めて子を懲らしめる」という聖書の教えを実践するしかない。
 Aはムチを打ち続けた。
 事件前日の夜、Aはゴムホースで血が滲むほどに二男を叩いたあと、家から閉め出した。翌朝様子を見に行くと、息子の息は止まっていた。そのあとあわてて脱衣場に運んだという。
 判決はAに保護責任者遺棄致死罪を適用して懲役三年(執行猶予四年)の刑を申し渡し、事件は終わった。

 懲役三年執行猶予四年……!

 あまりに軽い。どれぐらい軽いか確かめるために、他の罪の刑について調べてみた。

 住居侵入罪の懲役が三年以下、有印公文書偽造罪が一年以上十年以下、常習賭博罪が三年以下、収賄罪が五年以下、監禁罪が三ヶ月以上七年以下、強盗罪や強盗未遂罪が五年以上……。

 他人の家に入ったり、無許可で賭け事をしたり、賄賂を受け取ったり。どれも悪いが、それと「幼い子に暴力をふるって殺すこと」がたいして変わらない罪なのだ。強盗なんて五年以上だから、強盗よりも軽いのだ。この感覚が理解できない(ちなみに保護責任者遺棄致死罪の最高刑は懲役五年)。


 カルトがここまで二世信者を不幸にしているのは、司法が親に甘いのも原因のひとつだとおもうんだよね。

「子どもは親の持ち物」って感覚があるんだろうな。だから幼児にムチを打って殺す殺人鬼に対して執行猶予四年なんて極甘判決を出せる。

 この判決を出した裁判官は憲法を知らないのか?

日本国憲法第十一条
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」

 すべての国民は基本的人権を持っている。ということは、赤ちゃんでも人権を持っているし、親でも子どもの人権を侵害することはできない。あたりまえだ。憲法を読めば誰でもわかる。それがわからない裁判官は辞職したほうがいい。


 何度か書いているけど、子どもを育てちゃいけない親ってのは確実に存在する。どんな時代でも、どんな社会でも、一定数いる。ぜったいに。

 だったら必要なのは「親の愛で子どもをいたわってあげましょう」とか「子どもは親といっしょにいるときがいちばん幸せなのです」なんておためごかしを唱えることではなく、親が無理だとおもったら子育てを放棄できる制度や、行政がこの親に子育ては無理だと判断したら親や子がどれだけ抵抗しても強制的に引き離せる制度だとおもうんだよね。「自分の子どもを育てたいエゴ」なんて、基本的人権の前ではとるにたらないものなんだから。




 深いところまで斬りこんでいて、すばらしいルポルタージュだった。危険な目にもいっぱい遭っただろうに(本書でもヤマギシ会から脅されたり裁判を起こされたりしたことを書いている)。


 ただひとつ気になったのは、サブタイトルの「心を盗まれた家族」。これだと親も一方的な被害者みたいだけど、親は加害者の面のほうが強いとおもうけどなあ。

 カルトにはまって子どもにもその教義を強制しておいて「私も被害者だったの。ごめんね」では済まされないだろう。


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