2022年6月27日月曜日

【読書感想文】『ズッコケ三人組の大運動会』『ズッコケ三人組のミステリーツアー』『ズッコケ三人組と学校の怪談』

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   中年にとってはなつかしいズッコケ三人組シリーズを今さら読んだ感想を書くシリーズ第十弾。

 今回は27・29・30作目の感想。

 ちなみにぼくが小学生のときに読んだのは26作目の『ズッコケ三人組対怪盗X』までで、今作以降はすべて大人になってはじめて読む作品だ。


『ズッコケ三人組の大運動会』(1993年)

 運動だけは得意なハチベエ。これまで運動会の徒競走では毎回一等だったが、足の速い転校生というおもわぬライバル出現。ライバルに勝つためひそかに特訓をはじめる。そんなとき、組体操の練習中に転校生がケガをするというアクシデントが発生し、ハカセがわざとケガをさせたのではないかと疑われる……。


 運動会かあ、このテーマでは派手な展開にはならないだろうなあとあまり期待せずに読んだのだが、いやいやどうしてこれはこれで悪くない。

 はっきりいって運動会は地味な題材だ。小学生からしたら大イベントだが、それはそのときだけの話で、大人になってみるとほとんど記憶に残っていない。なぜなら、運動会はやることがすべて決められているから。先生が決めたタイムスケジュール通りに先生が決めた通りの動きをするだけ。創意工夫などまったく発揮する余地はない。これでは思い出に残るはずがない。

 そりゃあ競争だから勝てばうれしいし負ければくやしいが、そこまで引きずるようなものではない。その日の晩になればもう忘れている。小学校の運動会なんて、ほとんど生まれもった素質で決まるのだから。速いやつは速いし、遅いやつは遅い。ただそれだけ。素質とその日の運で勝敗が決まるのだから、ドラマ性は低い。

 しかしながら『ズッコケ三人組の大運動会』では、「足は速いが人づきあいがうまくない転校生」「その子のあこがれのお兄ちゃん」といった配役を用意し、さらに運動会での活躍ははなから諦めていたハカセやモーちゃんが努力して結果を残すという意外な展開を見せることで、なかなかドラマチックなストーリーに仕立てている。

 ズッコケシリーズは、無人島に漂着したり、山賊に拉致されたりといった派手な事件が起こる話もいいが、学校新聞を作ったり、児童会長選挙の活動をしたり、文化祭で劇をしたり、放送委員でテレビ番組を作ったりといった「どこの小学校でもやっていること」を描いているときこそ光り輝くようにおもう。心理描写がうまいんだよね。描きすぎてなくて、想像の余地が大きい。

『ズッコケ三人組の大運動会』では、運動が苦手なハカセやモーちゃんが良いコーチに出会って努力することで(当人たちにとっては)すばらしい結果を残すのだが、だからといって努力は大事だよ努力をしよう、みたいな安易な結論に着地しないのがいい。

 運動会が終わっても早朝トレーニングを続けようと誘われたモーちゃんが「トレーニングで足が速くなるのもいいけど朝布団で寝る時間も捨てがたい」とおもいなやむラストシーンはなんともリアルだ。そうそう、ズッコケはこうでなくっちゃ。



『ズッコケ三人組のミステリーツアー』(1994年)

 旅行会社に招待されてミステリーツアーに参加することになった三人組。ツアーの参加者は、ハカセとモーちゃん以外は十年前の旅行にも参加したメンバーばかり。さらに十年前の旅行中に参加者が死亡していたことが明らかに。そして今回の旅行でも殺人事件が発生。はたして犯人は……。

 これはかなりのハズレ回。この時期の作品は迷走感が漂っている。『ズッコケ三人組のミステリーツアー』の刊行が1994年。『金田一少年の事件簿』の連載開始が1992年、『名探偵コナン』の連載開始が1994年ということで、子ども向けミステリが流行っていた時期。まんまと流行りに乗っかった形だ。ポプラ社の悪いところが出ているなあ。

 この作品、あからさまに『金田一少年の事件簿』によく似ている。旅行に参加した先で殺人事件に巻きこまれるところや、過去の事件との因縁が明らかになるところなど。さすがに連続殺人ではないけれど。

 真似だけならいいけど、問題は真似たところがことごとく失敗しているところだ。

 まず登場人物が多いのにキャラクターが立っていない。児童文学の分量では、十数人のキャラクターをしっかり説明しきれない。そして設定に無理がある。「道中で人が死んだツアー」に参加した人を十年後に招待して、再び来てくれる人がどれだけいるだろう? ターゲットが来なかったらどうする気だったんだろう? 初日に参加者が睡眠薬を飲まされているけど、その日は何も起きていない。あの睡眠薬が何のためだったのかまったく説明されない。

 そして最大の難点は、三人組の活躍がほとんど見られないことだ。ハチベエは一応目撃者の役目を果たすからいいとして、ハカセは一応推理するけどその推理は警察の捜査にはまったく生かされない。警察が捜査して警察が犯人を突き止めているのでハカセはいてもいなくても同じだ。そしてモーちゃんにいたってはただ旅館でいっぱいご飯を食べただけ。

 児童向けミステリとしては悪くない出来かもしれないが、これをズッコケシリーズで書く必然性がまったくない。

 どうも、困ったらミステリとホラーに逃げる(そしてその回はおもしろくない)傾向があるな。


『ズッコケ三人組と学校の怪談』(1994年)

 隣の小学校には「学校の七不思議」があるのに花山第二小学校には存在しないことに不満を感じた六年一組の面々が、「学校の八不思議」をでっちあげてうわさを広める。しかし、自分たちのつくった怪談通りの出来事が本当に起こりはじめ……。


 ほらきた、困ったときのミステリとホラー。ちょうどこの頃『学校の怪談』って小説が小学生の間で流行ってたんだよね。

 流行りに安易に乗っかっちゃってるだけあって、導入がめちゃくちゃ雑。あっという間に男子も女子も集まって「おれたちで学校の怪談をつくろうぜ!」と意気投合しちゃう。で、あっという間に「学校の八不思議」が完成する。とにかく早く「話をつくったとおりに怪異現象が起こる」という展開に持ちこみたくてたまらないという意図が見え見えだ。『児童会長』『株式会社』『文化祭事件』あたりでは丁寧に話を運んでいたのになあ。どうしちゃったの、那須先生。

 ストーリーとしても、徐々にふしぎな事件が起こって、派手な怪奇現象が起こり、なんとか解決したとおもったら最後に不安にさせることが……という怪談のよくあるパターン。ううむ、怖い話が好きな子どもだと楽しめるかもしれないけど、大人が読むとこれといって特筆すべきことはないかなあ。

 ズッコケシリーズ初期のホラーだと『心理学入門』や『恐怖体験』あたりは、ポルターガイスト現象について長々と説明したり、江戸時代のそれらしい話を作りあげたり、(それがおもしろいかどうかはおいといて)作者もおもしろがって書いていた感じがあるけど、今作はどうも「こういうの書いときゃ子どもはこわがるんでしょ」って意識が透けて見えてしまう。はっきりいうとなめてかかっているというか。

 ズッコケシリーズ初期作品の魅力って、大人が真剣に書いていたことなんだよね。伝わらなくてもいいから書きたいものを書くぜ、って姿勢が伝わってきたもん。北京原人の骨の話とか、株式会社の制度とか、大統領選挙のうんちくとか、天皇家とは別の一族をまつりあげて国家転覆を目指す一族の話とか、子どもの理解なんか度外視して書いているフシがある。もちろん子どもにとってはそんなとこおもしろくないから読み飛ばすんだけど、「今の自分にはわからないけど知識のある人にとっては大事だしおもしろいことなんだろうな」ってのは伝わるんだよね。

 そういうのが中期以降はどんどん少なくなってきたようにおもう。変装の名人の大怪盗に、忍者軍団に、殺人ツアーに、学校の怪談……。この頃の作品は〝こどもだまし〟がすぎるなあ。那須正幹先生自身の子どもが大きくなってきて、小学生のリアルな感覚がつかめなくなってきてたのかな。


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