2019年7月30日火曜日

【読書感想文】平面の地図からここまでわかる / 今和泉 隆行 『「地図感覚」から都市を読み解く』

このエントリーをはてなブックマークに追加

「地図感覚」から都市を読み解く

新しい地図の読み方

今和泉 隆行 

内容(e-honより)
方向音痴でないあの人は地図から何を読み取っているのか。タモリ倶楽部、アウト×デラックス等でもおなじみ、実在しない架空の都市の地図を描き続ける鬼才「地理人」が、地図を感覚的に把握するための技術をわかりやすく丁寧に紹介。オールカラー図解。

地図界では有名人の地理人こと今和泉隆行さんの本。
先日、この人のトークショーに行ってきた。『新しい地図の読み方』もトークショーの会場で買ってきたものだ。
地理人氏は、存在しない町の地図を描いた「空想地図」で有名だ。
空想地図については以下のサイトなどを参考にされたし。
 地理人研究所
 空想都市へ行こう!

空想地図もおもしろいのだが(トークショーで知って驚いたのだが、空想地図を描く人はけっこういるらしい。日本にひとりかとおもっていた)、『「地図感覚」から都市を読み解く』では空想地図の話はほとんどなく、「地図感覚」について語られている。


突然ですが、ここで問題。
この本、紙の本だけで電子書籍版は出ていない。
電子書籍にできない理由があるんだけど、それは何でしょうか?
(答えはこの記事の最後に)



地図感覚とは何か。
「地図を見て多くの情報を読み取る能力」のことらしい。

ぼくなんか地図を読むのが苦手で、地図を見るのは目的地までの経路を調べるときぐらい。
それも「ええと、駅を出て電車の進行方向に向かって進んで、ふたつめの角を左、で、公園の次の角を右にいったところか」と、必要な経路をみるだけでせいいっぱいだ。空間認知能力が低いので、情報を言語化しないとおぼえられないのだ。しかも「来たときは犬がいたところを右に曲がった」とか、まったくあてにならない情報に頼ってしまう。
もっとも最近はGoogleマップのおかげでほとんど迷うことはなくなった。ありがたい。

だが地理人氏のような地図感覚に長けた人は、ぼくと同じ地図を見ても
「このへんは古くから住んでいる人の多い地域だ」
「この道は週末は渋滞するね」
「ここは都市計画に失敗したところだな」
とかわかるらしい。
平面の地図から、街並み、人の流れ、住人の気質、歴史、将来の展望などもわかるのだ。ただただ驚くばかり。
 地図ネイティブになることは、最低限の実用性を得られるだけでなく、その土地と通じ合う感覚を得ることができます。しかしこうしたアプローチ、習得法はこれまでなく、本書で風穴を空けたつもりです。これまでの章では個別具体的な話をしましたが、ここまで例に出てきた地図は、比較的煩雑な地図ばかりでした。複雑なものは分解し、単純化する必要があります。頭の中でいくつかの層に分けて見たり、重ねたりすると咀嚼できるようになります。たとえば都市地図の場合、店舗ロゴからはチェーン店の密度、建物の色からは建物の用途、道路の色からは道路の重要性(幹線道路かどうか)、背景の色からは町域が見えてきます。そしてそれらを重ねて見えてくることもあるのです。

そういえば、サッカー好きの知人と話していたときのこと。
「サッカーって観てても退屈じゃない? なかなか点が入らないし、0ー0で終わることすらあるじゃない」
というと
「退屈なのはボールの動きしか追ってないからですよ。ボールを持っていない人の動きを見ていると戦術がわかるし、戦術がわかれば両チームの駆け引きが見えてくる。そこを楽しむのがサッカー観戦です。将棋は王将をとるのが目的ですけど、王将の動きだけ見ていてもぜんぜんおもしろくないでしょう。それといっしょですよ」
と言われた。
なるほど、と感心した。それを聞いたところでぼくには戦術なんてわからないわけだが、とにかくサッカー通は素人とはぜんぜんちがうところを見ているのだとわかった。

地図も同じようなものなのだろう。
地図感覚に長けた人にいろいろ解説してもらいながら街をぶらぶら歩いたら楽しいだろうなあ。




駅前が栄えている街と、そうでない街があることについて。
 鉄道は、今や大都市圏のみならず、全国県庁所在地等の地方都市周辺でも大きな役割を担っています。今や地方でも、短距離の普通列車は通勤通学に使われ、日常的な利用も多くなりましたが、開通当初は蒸気機関車で牽引される長距離列車や貨物列車が中心でした。蒸気機関車の時代は煙害もあれば、機関車や貨車が待機、転回するための広い敷地を要したため、駅は市街地から離れたところに作られました。このため鉄道駅の場所を見ると、そこが明治時代の市街地のぎりぎり外側であることが多いのです。さきほど紹介した熊本駅も、明治時代の街の外れです。ただ、山形市、福山市などのように、駅が城の真ん前にできる、という例外もあります。城の敷地が官有地として接収され、広大な空き地となり、ここに駅が作られることもありました。
 名古屋市で最も賑わうのは名古屋駅ではなく栄、福岡市では博多駅ではなく天神が中心的な市街地です。こうした中心市街地は江戸時代からすでに街でしたが、名古屋駅も博多駅も、明治初期の市街地の少し外側なのです。当初、駅は単なる遠距離交通の拠点で、街ではなかったのですが、今や名古屋駅、博多駅ともに、栄、天神に次ぐ大きな市街地になっています。

高度経済成長期以降に開けたような新しい街だと駅が街の中心になっていることが多いが、古くからにぎわっていた街だと駅は市街地のはずれにつくられたのだという。

そういえば、人気のない商店街を通るたびに
「なんでこんな微妙な位置に商店街があるんだろう。こんなに駅から遠かったらシャッター街になるのは当然だろ」
とおもっていたが、あれは順番が逆だったんだな。駅があってそこから離れたところに商店街がつくられたのではなく、商店街が先にあって、商店街のすぐそばには駅をつくる土地がないから離れたところにつくったらそっちのほうがにぎわうようになったのだ。
なるほどねー。

ぼくは京都市に住んでいたことがあるが、JR京都駅は街のはずれにある。
JRを利用するたびにバスで京都駅まで行かなくてはならないので「なんでこんな不便なところに」とおもっていたが、京都のように古い街だと中心部に駅や線路をひけないんだよな。建物も文化財も多いし。
だから京都の中心部である四条河原町付近には地上を走る鉄道はない(阪急や京阪が通っているが河原町付近では地下を走る)。
鉄道は新参者なんだね。

ぼくは鉄道網が整備されてから生まれたし、幼少期は戦後に開発された街に住んでいたので「鉄道があってその周りに人が住む」という感覚だったんだけど、逆パターンも多いのかー。

こういうことを知っていると、街歩きも楽しくなるね。




この人は「地図とは文章や写真と同様に表現手法のひとつだ」と書いていて、はじめはあまりぴんと来なかったのだが、講演や本の内容を見ているうちになんとなく共感できるようになってきた。
地図は事実をありのまま伝えているように見えるけど、三次元のものを二次元に落としこむ、大きなものを小さく縮尺するという過程で、必ず「何を載せて何を載せないか」と絶えず選択を迫られているはずだ。
情報をそぎ落とし、ときにはつけくわえる過程には必ず「車を運転する人が迷わないように」「住人が生活に困らないように」「山歩きをする人の助けになるように」といった作者の意図が入るわけで、そう考えるとたしかに地図は表現手法のひとつだよなあ。

考えたこともなかったが、自分とはまったく異なる考え方をする人の話を読むのはすごくおもしろい。
世界がほんのちょっと広がったような気がする。




(クイズの答え)

電子書籍だと、閲覧者の環境によって地図の大きさが変わってしまうので、「1/25,000」といった縮尺が嘘になってしまうんだよね。

ところでこないだ『チコちゃんに叱られる!』で「これがトウモロコシを400倍に拡大した画像です」ってやってた。
すべてのテレビでも400倍に見えるわけないだろ!


【関連記事】

おまえは都道府県のサイズ感をつかめていない



 その他の読書感想文はこちら



このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿