2015年8月31日月曜日

それが男の優しさ

「今日は食欲ないから晩ごはんいらないわ」
と妻に告げる。
 すると彼女は
「大丈夫? 明日仕事休んで病院に行ったほうがいいんじゃない?」
と私の身体を気づかった。

 その気持ちはありがたい。
 だが妻よ。
 男が、それぐらいのことで仕事を休むなんて弱音を吐くわけにはいかない。
 それが男のせいいっぱいの強がりってもんだ。

 ましてや、
「家に帰る途中で誘惑に負けてラーメンを食べちゃったから、満腹で妻が用意してくれた晩ごはんを食べられない」
なんてことは口が裂けても言うわけにはいかない。
 それが男のせいいっぱいの優しさってもんだ。
 そうだろう?

2015年8月30日日曜日

ラブコメの宿命

ラブコメ漫画って、けっこう早い段階で主人公とヒロイン(ヒーロー)がひそかに両想いになってしまって、もう結末は決まってしまう。
でもそれだと話がつづかないから、 お互いの勘違いによってぎくしゃくさせたり、フラれるとわかりきっているライバルを登場させたりするよね。

あれって、ドラゴンボールでいうと、
もうセルは死んでるのにまだ生きていると誤解している悟空たちが一生懸命修行をしていたり、
さあフリーザと闘うぞってときに今さらヤムチャが新キャラとして登場したり、
みたいなもんだよね。

2015年8月29日土曜日

【読書感想】真鍋 博『超発明: 創造力への挑戦』


『超発明: 創造力への挑戦』

真鍋 博

「BOOK」データベースより
星新一との仕事でも知られる天才イラストレーター・真鍋博が、頭の体操として考え、あたため、育ててきた“夢の発明品”129個の大博覧会!実現可能に見えるものからユーモアにみちた珍発明まで、ポップで精細なイラストとその解説文で、未だ実現しない夢に見る“日本の未来”を40年も前から語り続けています。日本SF界を支えた“思考”と“発想”をご堪能あれ!

 昔の人の「未来予想」は愚かでおもしろい。だってはずれているに決まっているから。
 自分だけが答えを知っているクイズのように、にやにやしながら「君たちにはわかんないよねー。難しいよねー」と底意地の悪い楽しみかたができる。
 明治時代のとある学者が「このままだと東京の街は馬車の馬糞でいっぱいになる」と真剣に憂慮していたらしいが、そういう的はずれな予想がぼくは大好きだ。

 真鍋博の『超発明』も、今から40年以上前に刊行された本なので、いわば”昔の人の未来予想”だ。当時の科学技術を土台に、ありったけの想像力というスパイスをふりかけて考案された発明たち。
 これがなんというか、性格の悪いぼくにとっては残念なことに、40年たった今でも色褪せていないのだ。今年書かれたと言われても信じてしまうくらいの鮮度の良さだ。
 予想は古くなるが空想は古びないのだと教えてくれる。

 真鍋博といえば星新一作品のイラストで有名だが、あらゆる刺激をなくして死を疑似体験する『無刺激空間』や、増えすぎた生物を狩る『天敵ロボット』なんて発明は上質のショートショートような味わいだ。
 諷刺やエスプリがたっぷりと効いて、さらなる想像をかきたてられる。

 輸送や陳列のコストを削減する『四角い卵』、味を記憶する『録味盤』、光そのものを絵の具にする『オプティカル・パレッ ト』、物体の一部分だけの重さを量る『部分体重計』のような、もうすぐ実現するんじゃないかという発明(ぼくが知らないだけでもう開発されているのかもしれないが)も魅力的だが、突拍子もないナンセンスな発明にこそ真鍋博の豊かな想像力が光る。

たとえば次の発明。
『球体レコード』
 円盤より球体の方が表面積は大きい。そして球体レコードがその歴史的発展の単なる延長でない点は、エンドレスであり、一個のレコードに何億曲でも収録できることだ。
まだレコードしか録音手段がなかった時代なので「レコードをいかに改良するか」という発想になるのは当然だ。だがそこから出発して、現代ではほぼ実現したといってもいい“一個のレコードに何億曲でも”という着地点にまで持ってくるのは、単なる空想にとどまらない、現実的な視点も必要になる。
 理論に裏打ちされた空想、これもやはり星新一に共通するものがある。

 最後に、ぼくがいちばん気に入った発明を。
 『空砲』
 かつて人類は人類同士の闘争のため大砲を撃ち合ったが、未来は人類が人類を救うためお互いに酸素の爆弾を落とし合い、空気の大砲を撃ち合わねばならないだろう。
 闘うのは人間の本能であり、それを否定した平和は不自然そのもの。しかし、それが花であり、鳥であり、きれいな空気の弾であれば、闘争はより建設的であり、より平和的であるといわねばならない。
美しいほどにリアリスティックでロマンティックな発想だ。
 隣国同士が憎み合わずに互いに贈り物をすれば世の中はよくなる。だが、それを支えるのは親切心ではない。愛は地球を救わない。なぜなら愛は長続きしないから。
 だが競争心や闘争心は持続する。数々の戦争が数多の偉大な発明を生んだように、米ソの対立が宇宙開発につながったように、『憎悪は地球を救う(可能性もある)』のではないか。

 地に足のつかない理想を並べたてる輩よりも、こういうリアリスティックなアイデアにこそノーベル平和賞をあげたほうがいいんじゃなかろうか。
 ノーベル平和賞だって “競争心を平和のために利用する発明” だしね。


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未来が到来するのが楽しみになる一冊/ミチオ・カク『2100年の科学ライフ』



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2015年8月28日金曜日

2番組の神

 クローン技術や人工臓器の分野は、欧米のキリスト教国が「神の意思に背くことになる」と二の足を踏んでいる間に、日本がじゃんじゃん研究を進めてクローン人間でもつくればいいとおもう。
 仮に神が全智全能なら、とうぜん人間がクローン人間をつくることもわかった上で人に知恵をお与えになったのだろうから。
 ぼくからしたら、時間の概念をいとも簡単にねじまげてしまう「2番組同時録画機能付きHDDレコーダー」のほうがよほど神をもおそれぬ所業である。


2015年8月27日木曜日

閉店いたしました

 なぜだろう。
 お店のシャッターに貼られたお知らせを見ると泣きそうになるのは。

『喫茶シャンゼリゼは□□月□□日をもちまして閉店いたしました。長い間ご愛顧ありがとうございました』

 この手の貼り紙を見ると、つい足を止めて見入ってしまう。
「そっか……。閉店か……。
 ちくしょう、なんで店をたたむ前にぼくにひとこと相談してくれなかったんだよ!」
と叫ばずにはいられない。

 深夜1時。
 喫茶店シャンゼリゼの店主、山井伸彦(仮名)は部屋の灯りもつけずにじっと目を閉じていた。
 もう決めたことだ。今さらどうなるものでもない。わかってはいるが、身体が石にでもなったように動かない。
 しかしいつまでもこうしているわけにはいかない。伸彦は痛む腰を押さえながら座布団から立ち上がった。
 たしかここにしまっておいたはず。階段下の物置部屋からすずりと筆を引っ張り出してきて、文机の上にならべた。
 ふうっと深い息をついた。墨を手に取りすずりに当てる。
 いつか絶対役に立つからと小学生のときに習わされていた書道。それがこんなときにやっと役に立つなんて。人生は皮肉なものだな、伸彦は苦笑した。
 なんと書こうかと墨を動かしながら考えた。
 未練がましいことは書きたくなかった。最後まで喫茶シャンゼリゼにはダンディーな店であってほしい。
 考えがまとまらないうちに自然と筆が動きだした。
「喫茶シャンゼリゼは閉店いたしました。長い間のご愛顧ありがとうございました」
 もっと気の利いたことを書きたかったが、結局ありきたりな文章になってしまった。だがそれが今の心情を過不足なく表しているように思えた。
 これをシャッターに貼ればすべてが終わる。二十数年積み上げたことも、こんな紙切れ一枚で終わってしまうんだな。
 思った瞬間、伸彦の目からは涙がとめどなく……。


 そんな光景が貼り紙の奥に透けて見える。
 伸彦(仮名)の苦悩や無念さが想像されて、途方もなく悲しくなる。
 実際、酔っ払って帰ったときには、閉店したパン屋の前で涙を流してしまったことまである。
 そのパン屋を利用したことは一度もないのに。

 これだけでもちょっとした異常者だが、だんだんエスカレートしてきて、最近では閉店のお知らせだけでなく、なんでもないお知らせを見ただけで涙腺が熱くなるようになった。
『お盆休みのため、八月十三日から十七日までは休業させていただきます』
の貼り紙を見ただけで
「そっか……。お盆休みか……。
 ちくしょう、なんでひとこと相談してくれなかったんだよ!」
と条件反射的に悲しみがこみあげてくる。

 ここまでいくとほとんどビョーキだ。自分でも気持ち悪いと思う。
 そのうち『全品2割引!』とか『アルバイト募集』の貼り紙を見ただけで涙を流すようになるかもしれない。
 
 べつにぼくは感受性豊かでも、情に厚いわけでもない。どちらかといえば冷たい人間だと思う。
 葬儀中の家にでている「忌中」の貼り紙を見てもなんとも思わない。
 ふーん、人間誰しも死ぬしねー、と思って5秒後にはもう忘れている。

 なぜお店の貼り紙だけが心に響くのだろうか。
 医者でも神でもないぼくが人の死をくい止めることはできないが、閉店や休業ならなんとかできたかもしれないと思うから、悔しいのだろうか。

 だが実際には財力も人脈もないぼくには、お店がシャッターをおろすことさえ止められない。
 なんて無力なんだろう。

 ぼくにできることはただひとつ。

 山井伸彦(仮名)のお盆休みが幸せなものになるよう、心から祈ること。
 ただそれだけだ。

2015年8月26日水曜日

【読書感想】森 晶麿『黒猫の遊歩あるいは美学講義』

「BOOK」データベースより

でたらめな地図に隠された意味、しゃべる壁に隔てられた青年、川に振りかけられた香水、現れた住職と失踪した研究者、頭蓋骨を探す 映画監督、楽器なしで奏でられる音楽…日常に潜む、幻想と現実が交差する瞬間。美学・芸術学を専門とする若き大学教授、通称「黒猫」と、彼の「付き人」を つとめる大学院生は、美学とエドガー・アラン・ポオの講義を通してその謎を解き明かしてゆく。第1回アガサ・クリスティー賞受賞作。

 知人が薦めるので買って読んでみた。「読んだら感想聞かせてね」と言われていたので、ぼくは今、すごく困っている。
 だってぜんぜんおもしろくないんだもの。

 ハヤカワだから一定品質は担保されてるミステリかと思ったら、ぜんぜん。謎の答えどころか謎そのものが作者の頭にあるだけで、ちっとも見えない。探偵が「真相はこうでっせ。どやすごいやろ」と言うんだけど、はあべつにそこはどうでもいいしな、それがわかったからなんなの、わからなくても誰も困らねえしな、という謎ばかりなのだ。
 レストランで飯食ってたら、呼んでもないシェフがしゃしゃりでてきて「実は材料は○○から取り寄せて、こんなに苦労して下味つけて……」と解説してくる感じというか。うっせえ聞いてねえよおまえの得意げな自慢聞いてたら飯がまずくなるから出てくんじゃねえよ、そもそもそこまでこだわってるわりにうまい飯でもねえよ、と言いたくなる。

 しかしぼくの好みに合わなかっただけで、これが駄作だというつもりはない。世の中にはシェフの自慢話を聞きたい人もいるのだ。ハーレクインとか、ちょいミステリ気取りのライトノベルとかが好きな人にはハマるんじゃないだろうか。
 実際、文章はうまいしね。思い出したかのように唐突に放りこんでくる過剰な言い回しが鼻につくだけで。

 おっと。いかんいかん。ついつい悪口になってしまう。
 今回ぼくに与えられた課題は「この本を薦めてくれた人に、嘘をつかずに、かといって相手の気を悪くさせることなく、いかに感想を伝えるか」である。

 ううむ。難しい。

「大学の教科書みたいだね。教授が書いた本で、学生たちに半分強制的に買わせるやつ」
ぐらいで、許してもらえないだろうか。

2015年8月25日火曜日

リアルインターネット

「インターネットと現実の区別がついていない若者の犯罪」
みたいな表現をニュースでよく耳にするけど、
ネットと現実との区別ってなんだよ、htmlもcssも現実にあるものなんだよ、もちろんそれを作った人間も使ってる人間も現実にいるんだよ、ネット上にあるものは全部現実なんだよ。
まさかすべて幻だと思ってるのか?

こういうこと言うやつのほうがよっぽど現実とネットの区別がついていないね。
インターネットは単なる通信手段であって、夢でも幻でもないんだよ。

「会話と現実の区別がついていない」
「手紙と現実の区別がついていない」
とかいう言い方をしてみれば、
「ネットと現実の区別」という表現がいかにばかまるだしかがわかるのにね。

2015年8月24日月曜日

洗う石油王


人と話すのが嫌いだ。

できることなら誰とも話したくない。
仕事中だって、隣の人ともチャットで話したい。
いわんや見ず知らずの人なんて。

とはいっても、仕事上、はじめて会う人と話さないといけないこともある。
イヤだけど、まだぼくの家の庭から油田が見つかって石油王になっていない以上、今のところ仕事をして稼がないといけない。

うちの会社では、お客さんが来ると受付の女性がお茶を出してくれる。
お客さんと話しおえると、ぼくはお茶の入っていたコップを持って給湯室へ向かう。コップを洗うためだ。
ほとんどの社員はコップを放置するので、ぼくのように洗いにいく人間はめずらしい。
受付の女性は「そんなことしなくていいですよ! わたしたちの仕事なんで」とか「洗ってくれるなんて優しいですね」とか言ってくれる。

ちがうんだ。
優しさから洗っているわけではない。
ましてや受付の女性によく思われたいという下心でもない(エロい目で彼女たちの尻を見つめることはあるけど)。

ただ洗いたいだけなんだ。
知らない人と話すとどっと疲れるから、食器洗いみたいに無心でできる作業をすることで、澱んだ精神を洗い流すのだ。

だからもしぼくの家の庭から石油が湧きだしたとしても、やはりぼくは仕入れに来た石油貿易会社の社員と話した後には、ひとり台所に行って黙々とコップを洗うことだろう。
油田つきの庭どころか、土地すら持ってないけど。

2015年8月23日日曜日

個性的な組織

いろんな組織に所属したことがあるけど、どこにいっても
「うちのサークルは個性派ぞろいだ」とか
「ここの業界は特別だから」とか
「この会社は変な人ばっかりだ」とか言う人がいる。

みんな自分のいる場所が特別だと思いたいのだ。

もし「うちは個性的だ」と言う人がひとりもいない組織があれば、それこそ真に個性的な組織にちがいない。

2015年8月21日金曜日

ロボットフェンシングコンテスト

あたしは思う。

いちばんかっこわるいスポーツはフェンシングよね。

たしかに剣士たちは優雅さと強さの両方を兼ね揃えていて、その動きは美しくさえある。

でもさ。

あの人たち、コード出てるでしょ。お尻のあたりから。

なんなのあれ。
いや、わかってる。
剣先が身体に触れたかどうかを判定するためのセンサーでしょ。
それはわかった上で言うんだけど、なんなのあれ。
なに線でつながれてんの。
これだけWi-Fiが飛び交ってる時代に、なにゆえ有線?

あたしには剣士たちが操縦されてるようにしかみえない。

テレビつけてフェンシングやってたら、あれ、ロボコンやってんの? これNHK?
って思う。
剣士の後ろをコントローラー持ちながらついてくる高専のメガネ男子の姿を探してしまう。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「優勝は近畿ブロック代表、舞鶴高専!」
 アナウンサーが高らかに叫び、会場いっぱいに鳴りわたる拍手にあわせるように紙吹雪が舞った。

 優勝を決めた舞鶴高専のメンバーは抱きあって涙を浮かべ、惜しくも準優勝に終わった都城高専の三人は笑顔で敵チームに惜しみない拍手を送った。
 勝者が泣きじゃくり、敗者が清々しい笑顔を見せるその光景が、いかに厳しい戦いだったかを物語っていた。

 敗れた都城高専のロボット剣士『ロビンfoot』の完成度は群を抜いていた。バランスよく二足歩行をしながらエアシューターの力で突きだされる剣は、スローカメラでやっととらえられるほどの速さだった。準決勝で受けた剣の影響で左アームが操作不能になるというハプニングさえなければ優勝してもおかしくなかった。
 だがロビンの隙を逃さず、ガードが甘くなった左胸に剣をつきつけた舞鶴高専のロボット『ミヤモト634号』の技術はそれ以上に目を見張るものがあった。1秒間に600回以上の振動を与えられた腕からくり出される鋭い攻撃は、ハチドリの羽ばたきから着想を得て、プログラムに改良に改良を加えたという必殺の剣だった。

 戦いは終わった。
 舞鶴高専の三人は、いまや四人目のメンバーともいえるロボット剣士にも抱擁をおこなった。そして、おつかれさまと労をねぎらうように電源ボタンをオフにしてからロボ剣士の尻のボタンを押した。
 尻から伸びた操縦コードは、しゅるしゅるしゅると音を立ててコード入れに吸いこまれてゆき、コントローラーがボディにぶつかってかたんと音を立てた。
 掃除機の電源コードから着想を得て、改良に改良を加えたという高い技術が、そこにも活きていた。

2015年8月20日木曜日

ハンカチにアイロンをあてるなんて

 同僚にA田さんという未婚女性がいる。
 そこそこの美人なのだが、常に「彼氏が欲しい」と嘆いている。
「誰か紹介して。収入があって借金と前科がない人」と。

 そんなA田女史と話していたときのこと。
 ぼくが自分でハンカチにアイロンをあてるという話をすると「えー!キモい」と云われた。
「マメすぎる。女の子みたい」だというのだ。
 これには驚いた。マメなんて云われたのははじめただ。
 自慢じゃないが、ぼくほどガサツな人間はいないと思っている。
 嘘だと思うなら、ぼくを自宅に招待してデニッシュを食べさせてみるといい。足下にこぼれまくったデニッシュにうんざりしてカーペットを買い替えるだろうから。

「じゃあA田さんはハンカチにアイロンあてないんですか」
  「あたし? あたしはハンカチ持ってない」
「えー!? じゃあトイレに行ったときはどうしてるんですか」
  「ジェットの力で吹き飛ばしてもらう」
「ハンドドライヤーがないトイレもあるでしょ」
  「そういうときは服でごしごしするしかないよね」
「男子小学生か」
  「だってね。女の人の服にはポケットがないの。だからカバンにハンカチを入れるでしょ。手を洗ったあとに濡れた手でカバンの中をあちこちさぐるでしょ。カバンの中がびしょびしょになっちゃうでしょ。ほら」
「ほら、じゃないですよ。あちこちさぐらなくてもハンカチくらいすぐ出せるでしょ」
  「あたしのカバンの中はものがぐちゃぐちゃに入ってるからすぐに出てこないの!」
「……」
 ここでA田さん、ひらめいた。
  「あ、そっか! ものが多いわりにカバンが小さいからぐちゃぐちゃになるのか! 大きなカバンを買えばいいんだな」
「いやたぶんそういう問題じゃな……」
  「あー解決したー!」
「……」

 ぼくは自分のことを相当ガサツな人間だと思っていたが、まだまだひよっこだということを思い知らされた。

 ちなみにA田女史の最近の悩みは
「食べ物じゃない物もついつい冷蔵庫に入れてしまうので、食べ物の入るスペースがなくなってきた」ことだそうだ。

2015年8月19日水曜日

彼氏と彼女の問題

 友人に彼女ができた。
「どうなん? うまくいってるの?」
と聞くと、
「うーん……。まあいろいろたいへんやな……」
と、微妙な反応。
「どうしたん?」
「彼女、ちょっと難しいところがあるっていうかさ……」
「たとえば?」
「潔癖症気味でさ、手をつなぐのも抵抗があるみたいなんだよね……」
「そっか。それはたいへんやなー」
「あとすごい猫舌なんだよね……」
「それはべつにええやろ」

2015年8月18日火曜日

【読書感想】首藤 瓜於『脳男』

脳男』

首藤 瓜於

内容(「BOOK」データベースより)
連続爆弾犯のアジトで見つかった、心を持たない男・鈴木一郎。逮捕後、新たな爆弾の在処を警察に告げた、この男は共犯者なのか。男の精神鑑定を担当する医師・鷲谷真梨子は、彼の本性を探ろうとするが…。そして、男が入院する病院に爆弾が仕掛けられた。 全選考委員が絶賛した超絶の江戸川乱歩賞受賞作。

 この“心を持たない男”、何かに似ているなと思ったら『羊たちの沈黙』のレクター博士だ。図抜けた知能、常軌を逸した行動、法の枠を軽々と飛び越える独自の倫理観、そして悪人(凡人の価値観に照らせば)なのになぜか憎めない存在。
 まちがいなくレクター博士の影響を大きく受けているに違いない。実際、この脳男というキャラクターは魅力的だ。

 にもかかわらず『脳男』が『羊たち』に比べて小粒な印象を受けるのは、 キャラクターの造形にページをかけすぎた結果、肝心の脳男の活躍が少なすぎるからだ。
 前半は脳男の説明に終始してしまい、 いよいよその能力を発揮するのは物語が八割すぎてから。やっと脳男に魅力を感じたころには物語が終わっている。おまけに説明に時間をかけすぎたことで、脳男の“得体の知れなさ”は薄れてしまっている。人が誰かに興味を持つのは「わからないから」なのに、脳男は説明されすぎている。


 とはいえ、“心を持たない男”という存在はすばらしい発明で、現実味のない会話、やたらと凝りすぎたために読みづらくなってしまっている固有名詞などの欠点をさしひいても十分に読む人を惹きつける。

 同じキャラクターが出てくる『指し手の顔』という続編があるらしいが、どうもこの『脳男』はその作品のためのプロローグになってしまったという印象。
 謎解きの妙やカタルシスは得られないが、もやっとした不快な読後感はクセになりそう。

 ま、説明が長くて疲れてしまったので当分続編は読まんけど。



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2015年8月17日月曜日

根拠はないけど

さっき電車のなかで女子大生ふたりが
「ほんとかっこいいよねー」
「ね。かっこよすぎ!」
と話していた。

おいおい、小声で話しているつもりだろうけど、本人(ぼく)に聞こえちゃってるぞ!

2015年8月16日日曜日

妻の熱と夫の行動 その2


妻に続いて娘も高熱を出したので、妻を家に残し、娘を近くのクリニックに連れていった。

担当のお医者さんがびっくりするぐらい若くてきれいな女医先生だったので、ぼくはただちに
『妻が若い男をつくって出ていってしまい、幼い娘と残されたあわれな中年男』
を演じることにした。
美人先生の同情を誘うためである。

幸い、娘はただの風邪だった。
家に帰るとちょうどお昼どきだったので、昼ご飯はかんたんに済まそうと思い、うどんを二人前茹でた。
さあうどんを食おうと箸を手にした。
ふと、背後に人の気配を感じる。
振り向くと、後ろに妻が立っていた。
ぼくはたいへん驚いた。

なにに驚いたかって、なんとぼくはその瞬間、
自 分 に 妻 が い る こ と を 完 全 に 忘 れ て い た の だ 。

自分でも信じられないことだが『妻に逃げられた中年男』を演じているうちに、すっかり役に入りこんでしまい、ずっと前から娘と二人暮らしだったような気がしていたのだ。
 
千の仮面を持つ少女である北島マヤがはじめてベスの役を演じたとき、舞台が終わってからもしばらく自分がベスであるような感覚に陥っていた。
ベスの仮面を急には脱ぐことができなかったからだ。
ぼくの場合もちょうど同じで、役に入ったままになっていた。
おそろしい子!

結婚して3年以上経つにもかかわらず。
ぼくは病気で寝ている妻の存在を忘れ、まったく無意識に自分と娘の分だけのうどんを茹でていたのである。
己の行動にぞっとした。

そして、妻の分のうどんを茹でなかった夫に対して妻が与える刑罰を想像して、さらにもう一度ぞっとした。

 しかしすぐさま機転を利かせ、
「うどん茹でたから食べや。あ、いいよいいよ。
 ぼくは冷蔵庫の残り物でええから」
と『よくできた夫』の仮面を咄嗟にかぶってみせたのは、今シーズン最高のファインプレーといっていいだろう。


2015年8月15日土曜日

妻の熱と夫の行動 その1

妻が39℃の熱を出している。
正直、まあ寝とけば治るだろう、今日は仕事からちょっと早めに帰ってやるかと軽く考えていた。
そのとき。
ふと、母から聞いた話を思い出した。



ぼくがまだ0歳、姉が2歳のときのこと。
母は風邪をひき、高熱でぐったりしていた。
彼女の夫、つまりぼくの父は病気の妻を気づかってこんな言葉をかけた。

「大丈夫か? 今日は何もせんでいいからゆっくり寝ときや」

そう言い残して、父は会社に出かけた。
そして母は2人の幼子とともに家に残された。

「『ゆっくり寝ときや』なんて優しい言葉をかけたつもりか知らんけど、赤ちゃんは泣くし子どもにはご飯作らなあかんしわたしもおなかへるし、何もせんとゆっくり寝とけるわけないやないの!」

と、母は憤慨していた。
そして彼女はこの一件をそうとう根に持っており、30年経った今でも折にふれては
「あのときお父さんは病気のわたしを置いて……」
と立腹するのである。



やべえ。
これはあれだ。
そのとき父に訪れたのと同じ試練が、30年のときを超えて再び息子であるぼくのもとに襲いかかってくるというインディー・ジョーンズ的展開だ。

人生のターニングポイントはいつだって突然訪れる。
ここでぼくが「ゆっくり休めよ」と言い残して会社に行ったならば、今後30年は(もっとかもしれない)妻から手ひどくなじられつづけることになるのだ。

あぶないあぶない。
教えてくれてありがとうおかあさん。
そして身を以て失敗例を示してくれてありがとうおとうさん。
げにありがたきは父母の教えよ。

こうしてぼくは会社に電話して「良好な夫婦関係のために休ませてください」と告げ、見事に通算47度目の夫婦の危機を乗り越えたわけである。


妻の熱と夫の行動 その2


2015年8月13日木曜日

帽子防止法

スーパーで見知らぬおばちゃんから店員とまちがえられた。
それ自体はべつにめずらしい経験でもないんだろうけど、問題はそのときぼくが帽子をかぶっていたということ。

そのおばちゃんは、帽子をかぶったスーパーの店員を見たことがあるのだろうか。
帽子をかぶっていいのは八百屋のおやじと服屋の店員だけだと法律で決まっていることを知らないのだろうか。

歩きスマホの夏

これだけ注意されても、歩きスマホや、傘の先端を後ろに向けて歩く人はいっこうになくならない。

あれは体臭がきつい人と同じで
「本人に自覚はないままに人から嫌われてしまうかわいそうな人」
なんだと思うようにしたら、少しだけ心穏やかに過ごせるようになった。

2015年8月11日火曜日

結婚のノルマ


結婚3周年を迎えた友人に「3周年おめでとう!」と言ったら
「ありがとう!結婚生活3年経過、みごとノルマ達成です!」と返ってきた。
 「ノルマ……?」
「そうそう。3年以内に離婚したときは、結婚式に呼んだ人から請求されたらご祝儀を返却せなあかんやん。その期間クリアしたからもう大丈夫」
 「へー。ああ、そういう裁判例があったの?」
「知らない」
  「知らない?」
「判例があるかどうかは知らん。おれが作ったルールやから」
 「へー……。じゃあ……たぶん……ないね……」


ご祝儀が返ってくるかどうかはさておき、なるほど3年というのはひとつの目安ではある。
3年連れあった夫婦が離婚したと聞いたら
「どっちに問題があったのかはわかんないけど、まあ人間同士だからね。いろいろあるだろうね」
と思う。
だが芸能人なんかが結婚2ヶ月スピード離婚!なんてのを聞くと、
「だったら結婚しなきゃいいのに。両方ともばかなんだなあ」
と思う。
新卒採用だって3年以内離職率を算出するし、石の上にも三年なんてことわざもあるから、3年続ければ一人前という考えが日本にはあるようだ。
結婚生活も3年続ければ、とりあえずノルマ達成。今度は心機一転、リクナビNEXTで新しいステージに挑戦、てなことも許されるのかもしれない。



「とにかくノルマ達成おめでとう。達成したことで特別報奨金みたいなのはもらえた?」

「いや、逆に3年記念のプレゼントを買わされた。
どっちかっていったら、おれが労働者で嫁さんが雇用主なのにさ……」

そう言って友人は寂しげにため息をついた。
社長が社員からボーナスせびるなんて、なんというブラック企業だろう。
安倍政権が推し進めている雇用政策の弊害が、こんなところにまであらわれているのである。
これでは若年者の早期離職率が高くなるのもむべなるかな。
一刻も早い労働環境の改善を求む。ついでに我が社(我が家)も。

2015年8月10日月曜日

とーちゃん、おきてー!

うちの2歳の娘は最近やっと2語の言葉をしゃべるようになって、ぼくが朝寝をしていると
「とーちゃん、おきてー!」
と起こしにきて、いとをかし。

しかししょせんは2歳児。
世の中のことわりというものをまったく理解していない。

もし今、ぼくが死んだとする。
娘は人が死ぬということを理解できないから、ちっとも悲しまないにちがいない。
葬式の間も、ずっと走り回ったり、あちこち触りまわったりしていることだろう。

そしていよいよ出棺のとき。
未亡人となった母親から「お父さんに最期の挨拶をしなさい」と促された娘は、遺体となったぼくの顔をたたきながら

「とーちゃん、おきてー」

と叫ぶだろうと想像したら、うわっこれたまらんな。想像で泣ける。
ぼくが死んでも誰も泣かないだろうけど、この瞬間だけは葬儀場の全員号泣するだろうな。

2歳児、最強。


2015年8月9日日曜日

怨嗟のニュース

「連休がスタート。新幹線は満員で、みなこれからはじまる休暇に期待いっぱいです」
ってニュースが、ゴールデンウィークやお盆、お正月には必ず流れる。

しかし、そのニュースをテレビで見ている人のほとんどは、遠出しないか、休みをとれない人だ。
おまけにニュース映像を作っている人も、読み上げているアナウンサーも、世間が休みなのに仕事をしている人たちだ。

流す側も流される側も「のんきに旅行かよ、いいよな、こっちはたいして休めないのによ」と不幸にさせるあの手のニュース、もうやめませんか?

その点、渋滞情報はいい。
旅行に行けない人が「ざまあみろ」と溜飲を下げることができるから。
ああいう、休めない人の怨嗟のこもったニュースをもっと流すべきだ。

2015年8月8日土曜日

流したっけ?

会社のトイレでうんこして、トイレを出て数歩歩いたところで
「あれ? ちゃんと流したっけ?」

水音を聞いていないような。
無意識にやっている動作だから、自信がない。
流した気もするし、流し忘れた気もする。

で、トイレに戻ってみると、ぼくが入っていた個室はもう誰かが入っておりドアが閉まっている。

ううむ。
大丈夫だったんだろうか。
それとも見られたんだろうかアレを。

もうしわけない。

はずかしい。

こわい。

2015年8月7日金曜日

乾燥ヒトデブーム

うちの近くの商店街。
大通りからは離れているので人通りは決して多くないが、ちょっとしたスーパーなんかもあるので地元の人はけっこう利用している。
その商店街の中に、表札屋がある。
家の表札を彫ってくれるお店だ。

このお店の存在が、ぼくには不思議でならない。
だってどう考えたって商売が成り立つわけがないんだもん。
表札なんてものは、一生に何度も買うものじゃない。
おまけに地元の人しか来ない商店街というのは最悪の立地だ(だってその地に長く住んでいる人はもう表札を持っているのだから)。
そんなわけで、案の定その表札屋に客がいるところを一度も見たことがない。
やる気だけはあるらしく、1月2日からもう営業していたのだが、もちろん正月から表札を買いにくる人はいない様子だった。

店主もさすがにこのままではまずいと感じたのだろう、店の片隅でべつの商売をはじめた。
火山石やヒトデの死骸や貝殻をどこからか仕入れてきて、一個二千円くらいの値を付けて売りだしたのだ。
ううむ。
表札と死んだヒトデ……。
謎の組み合わせだ。
共通点といえば、どちらも「せいをかいている(姓を書いている/生を欠いている)」ということぐらいしか考えられないが……。

なぜだか気になるこのお店。
とうぶん持ち家を購入する予定のないぼくにできることといえば、乾燥ヒトデブームが到来することを祈ることばかりだ。

2015年8月6日木曜日

イナゴ湧き肉踊る

ロシアで、猛暑のせいでイナゴが大量発生しているというニュース。
トウモロコシ畑があっという間にイナゴに食べつくされてしまうと伝えていた。
映像の中で、数百万匹のイナゴが空を覆いつくし、畑の持ち主であろうおやじがイナゴに向かって酒瓶を振りまわしていた。

冷静に考えれば、数百万匹いるうちの何十匹かを酒瓶で殴ったところで焼け石に水だ。
だがそれでもやらずにいられないのは、畑を愛する気持ちのためか、それとも暑さでやけくそになったからなのか、はたまた酒瓶に入っていたウオッカのせいなのか。

 イナゴ湧き
 ロシアおやじも
 ゆるむ夏

2015年8月5日水曜日

しれっとした嘘

書店で働いていたときのこと。

なにかと因縁をつけてくる常連客のおっさんがいた。
店員が勤務中におしゃべりをするなとか、この店は品ぞろえが悪いとか、だったら来るなと言いたくなるようないいがかりばかりつけてくる困ったおっさんだった。

あるとき。
大学生のバイトの子が、おっさんに因縁をつけられた。
「なんだその接客態度は!」だの
「お客様は神様だろうが!」だの怒鳴りちらし、
「店長を呼べ!」となった。
店長が出ていって、すみません注意しときますんでと言って客をなだめ、その場は収まった。



それから1ヶ月ほどたったときのこと。
おっさんが店に来て、店長に話しかけた。

「こないだおれが怒鳴りつけたバイトの子、最近見いひんな。どないしたんや」

そのバイトは大学4年生だった。
春になってめでたく大学を卒業し、地元に戻って就職したのだった。
就職したからバイトを辞めただけだったのだが、店長はしれっと嘘をついた。

 「ああ、あいつですか。クビにしましたよ」

「えっ!? なんでや!?」
と、おっさん。

 「こないだお客様に不愉快な思いをさせたでしょ。だから辞めさせたんですよ」

「いやいや、そこまでせんでもええやろ。まだ若い子やったんやし……」

 「いえ、給料もらって働いている以上、年齢は関係ないです。接客態度がなってないやつを働かせるわけにはいきません」

「だからって辞めさせんでもよかったのに……」

 「彼にも辞めたくないですって泣きつかれましたけどね。でもここはびしっとしないと他のアルバイトにもしめしがつきませんから」

「……」

罪の意識を感じたのであろう、それ以来、おっさんはすっかりおとなしくなり、理不尽なクレームをつけることはほとんどなくなった。

いやあ、あれは素晴らしいクレーム処理術だった。

2015年8月4日火曜日

大枚をはたいてタクシーを拾う

「土地をころがす」
っていうけど、「土地」には「ころがす」という表現は似合わない。
「めくる」のほうがしっくりくる。


「タクシーを拾う」
は、タクシーに「拾われる」のほうがふさわしい表現だ。


「大枚をはたく」
 せいぜい五十枚くらいまでならはたけるけど、一千万円とかになると「はたく」より「ぶちのめす」って感じかな。

2015年8月3日月曜日

重荷だと感じてる

自転車に二人乗りしているカップル。
後ろの女が彼氏に
「幸せだと感じてる?」
と訊いていた。

わー。
物理的にも精神的にも重荷!

2015年8月2日日曜日

お酒のCM

食べ物のCMよりも、お酒のCMに出てくる食べ物のほうが美味しそうに見える。

自分が思う自分の魅力と、他人から見た美点はちがうよね。

2015年8月1日土曜日

誤れ!社名

取引先の人がうちの会社の名前をまちがえているんだけど、こういうときどう訂正すればよいの?
おしえて おじいさん

はじめはこっちの聞きまちがいかなって思って聞き流したんだけど、あ、これ完全にまちがえてるわ。
だってものすごく流暢にまちがえてるもん。
ジュニアハイスクールの弁論大会かってぐらいハキハキとまちがえてるもん。
あーこれ訂正しづらいな。
だって2回もまちがえたもんな。
いま訂正したら、
「だったら1回目のとき訂正しろよなー。
 こいつマジだりーわ」
って思われること必至だわ。

あ。またまちがえた。
なんでこの人うろ覚えなのにこんなに会社名連呼するんだろ。

あれかな。
力強く主張しつづけたら現実のほうが曲がってくれると思ってんのかな。
実際の社名のほうが変わるじゃねえかなって。
夢は何度も口に出して公言することで必ず実現する、みたいなうすっぺらい自己啓発書を読みすぎたのかな。

でもずっとまちがわれてたら、なんかいい感じに聞こえてきた。
印刷のずれた切手にかえって高値がついちゃうみたいな感じで。
こうやって取引先の社名をまちがいつづけることがこの人の魅力なんじゃないかって。
逆に。

てなことを考えてたんだけど。
でも次の日電話でしゃべったら正確な社名を云ってた。
どっかで気づいちゃったみたい。
あの失礼極まりないまちがいが愛おしく感じられるようになっていたのに。
ちょっと寂しい。

ああ。
子どもの成長を見守る親も、きっとこんな感覚なんだろうな。

ちがうか。