2021年5月31日月曜日

【読書感想文】意志は思考放棄 / 伊藤 亜紗ほか『「利他」とは何か』

「利他」とは何か

伊藤 亜紗  中島 岳志  若松 英輔
國分 功一郎  磯崎 憲一郎

内容(e-honより)
コロナ禍によって世界が危機に直面するなか、いかに他者と関わるのかが問題になっている。そこで浮上するのが「利他」というキーワードだ。他者のために生きるという側面なしに、この危機は解決しないからだ。しかし道徳的な基準で自己犠牲を強い、合理的・設計的に他者に介入していくことが、果たしてよりよい社会の契機になるのか。この問題に、日本の論壇を牽引する執筆陣が根源的に迫る。まさに時代が求める論考集。


「利他」をキーワードに五人の執筆陣が論考をめぐらせた本だが……。

 正直、それぞれが好き勝手に書いているだけなので本としてのまとまりはない。しかも後半の執筆者になるにつれてどんどん話は抽象的・哲学的になってゆく。まあそりゃそうか。「利他」を語るなら、哲学の話になるのは必然か。

 とはいえ「コロナ禍によって世界が危機に直面するなか……」なんて説明文だから、もうちょっと即時性のある内容かとおもったぜ。




 伊藤亜紗さんの文章がいちばんおもしろかった。

 共感といってもいろいろありますが、それが近いところや似たものに向かう共感であるかぎり、地球規模の危機を救うために役立たないのは、彼らが指摘するとおりです。
 加えて共感は、もっと身近な他者関係でも、ネガティブな効果をもたらすことがあります。なぜなら、「共感から利他が生まれる」という発想は、「共感を得られないと助けてもらえない」というプレッシャーにつながるからです。これでは、助けが必要な人はいつも相手に好かれるようにへつらっていなければならない、ということになってしまいます。それはあまりに窮屈で、不自由な社会です。
 以前、特別支援学校の廊下に「好かれる人になりましょう」という標語が書いてあって、愕然としたことがあります。もしこの言葉が、「助けてもらうために」という前提を無意識に含んでいるのであれば、障害者には自分の考えを堂々と述べたり、好きな服を着たり、好きなことをしたりする自由がないということになってしまいます。これは、障害者の聖地カリフォルニア州のバークレーの街角で見かける、髪を紫に染めてタバコを吸いながら悠然と車椅子に乗って進むパンキッシュな障害者の姿とはまったく対照的です。

 よく「相手の立場に立って考えましょう」なんていうけど、あれは良くない。もちろん優しさにつながる面もあるけど、同時に他人の行動を縛るためにも使われる。
「自分があなたの立場に立ったらそんなことはしない。だからあなたもやめるべき!」という方向に容易に進んでしまう。「自分が障害者だったら他人に迷惑をかけないように暮らす。だから障害者はつつましく生きるべきだ!」となってしまう。

 想像力や共感は、他人の行動を制限するためにも使われるのだ。

〝想像力のある人〟が、「自分が車椅子ユーザーだったら電車に乗る前に駅員に連絡をする。だから連絡をせずに駅員に迷惑をかける車椅子ユーザーは非常識だ!」と叫ぶのだ。
 その想像はせいぜい「短期的に車椅子に乗ることになったら」ぐらいで、「一生車椅子に乗って生活する」ことまでは想像できていないことがほとんどなんだけど。

 利他的な行動には、本質的に、「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」という、「私の思い」が含まれています。
 重要なのは、それが「私の思い」でしかないことです。 思いは思い込みです。そう願うことは自由ですが、相手が実際に同じように思っているかどうかは分からない。「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」が「これをしてあげるんだから相手は喜ぶはずだ」に変わり、さらには「相手は喜ぶべきだ」になるとき、利他の心は、容易に相手を支配することにつながってしまいます。
 つまり、利他の大原則は、「自分の行為の結果はコントロールできない」ということなのではないかと思います。やってみて、相手が実際にどう思うかは分からない。分からないけど、それでもやってみる。この不確実性を意識していない利他は、押しつけであり、ひどい場合には暴力になります。「自分の行為の結果はコントロールできない」とは、別の言い方をすれば、「見返りは期待できない」ということです。「自分がこれをしてあげるんだから相手は喜ぶはずだ」という押しつけが始まるとき、人は利他を自己犠牲ととらえており、その見返りを相手に求めていることになります。

 親切にするとき、見返りを求めてしまう。べつに金銭的なものだけでなく「喜んでもらう」「感謝される」ことを当然のものとおもってしまう。

 被災地に入ったボランティアが、被災者の気持ちを無視して親切心を押しつけようとする、なんて話をよく聞く。利他的にふるまうときこそ他人に迷惑をかけやすいのだ。


 ダン・アリエリー『ずる 噓とごまかしの行動経済学』という本に書いてあったが、人は、自分が利益を得るときよりも他人が利益を得るときのほうが不正をしやすいそうだ。
 私利私欲のために不正をはたらくのは良心のブレーキがかかりやすいが、「チームのため」「会社のため」「国のため」とおもうと、言い訳がしやすくなる分不正に走りやすくなる。金儲けのために殺人はできない人でも、「国のため」と言い聞かせれば戦争で人を殺せるわけだしね。

 虐殺や残酷なリンチはたいてい〝崇高な目的〟のためにおこなわれる。
 募金活動をしている人が通行人の妨げになっている。
 よりよい未来をつくるはずの人が選挙カーで大音量で自分の名前を連呼する。

〝モラル・ライセンシング〟 という言葉がある。
 何かよいことをすると、いい気分になり、悪いことをしたってかまわないと思ってしまうという現象を指す言葉だ。
「自分はいいことをしている」とおもっている場合は要注意だ。




 國分功一郎さんの文章より。

 意志の概念を使うと行為をある行為者に帰属させることができます。たとえば「ずいずいずっころばし」という歌では最後に「井戸の周りでお茶碗欠いたのだあれ」と歌われます。ある少年がお茶碗を割ったことが分かったとしましょう。「自分の意志でお茶碗を割ったんだな?」と訊ねられて、少年が「はい、そうです」と答えると、お茶碗を割った行為はその少年のものになります。そして少年に責任が発生する。自分に帰属する行為であるから、その行為にも責任があるというわけです。
 しかし、実際には少年は母親にガミガミ叱られて腹が立ったのでお茶碗を割ったのかもしれません。そして母親が少年をガミガミ叱ったのは、少年の父親と夫婦ゲンカをしたからかもしれません。夫婦ゲンカになったのは父親が仕事で上司から責められてムシャクシャしていたからかもしれません。そうやって行為をもたらした因果関係はどこまでも遡っていくことができます。
 しかしどこまでも通っていくのでは誰にも責任がなくなってしまう。だから、意志の概念を使ってその因果関係を切断するのです。少年が自分の意志でやったとすれば、因果関係はそこでぷつりと切れて、少年に行為が帰属することになります。切断としての意志という概念は、行為の帰属を可能にすることで、責任の主体を指定することができるわけです。

 ほう。この考えはおもしろい。

「私の意志でやりました」というのは、潔いように感じる。
 だけどそれは、本当の原因を隠蔽する行為でもある。
 もちろん原因なんてひとつじゃないし、やろうとおもえばいくらでもさかのぼれる。最後は「人間が誕生したことが悪い」にまで行きついてしまう。
 だから現実問題としてはどこかで因果関係を切断する必要がある。それが「意志」だ。

 あいつが良からぬことをしようとした。だからあいつが悪い。それ以上はさかのぼる必要がない。
 これはすごくわかりやすい考えだが、危険でもある。もっと奥深くにある原因にたどりつくことができず、また同じ過ちをくりかすことにつながる。

 官僚が文書を改竄した。悪いことだ。
 だが、その官僚の「意志」でやったということになれば、責任を問われるのはその官僚まで。彼に指示した上司も、その上司の上司も、さらには「こんな文書があるとまずいことになるな」と忖度させた総理大臣も、責任をとる必要はなくなる。

「意志」は潔いことではなく、責任放棄、思考停止のための手段なのかもしれない。


【関連記事】

【読書感想文】障害は個人ではなく社会の問題 / 伊藤 亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

【読書感想文】闘争なくして差別はなくせない / 荒井 裕樹『障害者差別を問いなおす』



 その他の読書感想文はこちら


2021年5月28日金曜日

【読書感想文】旧知の事実を再検証しなくちゃいけない徒労感 / 清水 潔 『「南京事件」を調査せよ』

「南京事件」を調査せよ

清水 潔

内容(e-honより)
戦後70周年企画として、調査報道のプロに下されたミッションは、77年前に起きた「事件」取材。なぜ、この事件は強く否定され続けるのか?「知ろうとしないことは罪」と呟き、西へ東へ南京へ。いつしか「戦中の日本」と、「言論の自由」が揺らぐ「現在」がリンクし始める…。伝説の事件記者が挑む新境地。

 

『殺人犯はそこにいる』 『桶川ストーカー殺人事件』 などで知られる著者が(どちらも上質な骨太ノンフィクションなので超おすすめ)、テレビ番組の取材のために「南京事件」を調査することに。その調査報告(+清水さんの個人的な体験)。


 書かれていることに目新しさはない。すでに先行研究者が明らかにしていることを、清水さんが改めて検証したという内容だ。
「裁判所や警察にもまったく知られていなかった真実」をいくつも明らかにしてきた清水さんが書いたものとしては、正直にいって新鮮さがない。
 結論としては「南京大虐殺はあったとしか考えられない」というものだし、その内容はぼくが小学校のときに習ったものとほとんど同じだ。

 じゃあなぜ改めて「旧知の事実」を再検証しなければいけなかったのかというと、それを認めない人がいるからだ。

「南京大虐殺」「南京事件」で検索するとわかるとおもうが、「論争」だの「嘘」だの「デマ」だの「疑念」だのといった言葉が出てくる。『南京事件論争史』なんて本もあって、論争自体が歴史を持っているのだ。

 いやこれを論争といっていいのだろうか。
 もちろんぼくはこの目で見たわけじゃないから「南京大虐殺は100%あった!」と断言はできないが、数々の資料や証言を見聞きするかぎり、「99.9%あったんだろう」とおもうし「なかった!」と断言することは絶対にできないとおもう。

 だって中国側の証言だけでなく、日本人側にもいっぱい「あった」と言っている人がいるし、第三国の記者も証言してるし、虐殺を伝える当時の新聞や日記もある。
 もちろん、細かい状況だとか人数だとかに関しては不正確な部分はあるのだろうが、大筋として「日本軍が中国人捕虜や民間人に対して残虐な行為をおこなった」という事実は否定できないだろう。

 だいたい中国側はともかく、日本人には「虐殺をした」という嘘の証言をするメリットはないだろうし(隠蔽するメリットはいっぱいあるが)。

 第一報を伝えたニューヨーク・タイムズのF・ティルマン・ダーディン記者は、陥落後の15日に船で脱出。上海に停泊していたアメリカ海軍軍艦オアフ号から電信で記事を送稿していた。
 ニューヨーク・タイムズ 1937年12月18日版
 見出し<捕虜全員を殺害><民間人も日本軍に殺害され 南京に恐怖が広がる><中国人による統治と軍事力が崩壊し、南京の中国人の多くは日本軍の入城を期待し、その後に生まれる秩序と統治を受け入れるつもりだった><2日間の日本支配が大きく見方を変えた。無差別に略奪し、女性を凌辱し、市民を殺戮し、中国人市民を家から立ち退かせ、戦争捕虜を大量処刑し、成年男子を強制連行した。南京を恐怖の街に一変させた><多くの中国人は妻や娘が誘拐され、強姦されたと外国人に訴えた。中国人は必死に助けを求めたが、外国人はなすすべもなかった>
 同じニューヨーク・タイムズ1938年1月9日版では、
<日本軍による大量殺戮で市民も犠牲――中国人死者33000人に>などと特集されていた。もちろん日本人のほとんどはこんな記事を目にすることもなかった。

 にもかかわらず「なかった!」と主張する人がいる。

 写真についているキャプチャがおかしいとか、殺された人数が不正確だとか、細部の疑惑をとりあげて「だから虐殺自体がなかった!」と主張する人だ。
(ちなみによく聞く「当時の南京の人口は20万人しかいなかったのに30万人も殺されたはずがない!」という主張の有効性はこの本の中で明確に否定されている。)


 この本の後半で清水さんも書いているが、求めているものが違うのだ。

「事実」ではなく「イデオロギー」や「損得」を求めている人にとっては、「虐殺があったことを指し示す証拠」なんてものは見る価値がないのだ。
 そもそも「事実」や「証拠」なんて求めていなくて、「虐殺はなかったと信じさせてくれるもの」しか求めていないのだから、多くの研究者がどれだけ丁寧に証拠を並べてても否定派には届かない。

 だから、この本を読んでいると徒労感がぬぐえない。
 清水さんの調査方法は「そこまでやるか」というぐらいに慎重だ(一次資料にあたる、一次資料も誤りがないかあらゆる方法で検証する等)。
 それでも「でもここまでやっても否定派が考えを改めることはないんだろうなあ」と感じざるをえない。

 どれだけ丁寧に証拠を並べても「日本人がそんなことするはずがない」「それでも私はなかったとおもう」で否定されてしまう。はっきりいって虚しい作業だ。まともな研究者からすると、割に合わない作業だ。事実を求めてない人を相手にしなくちゃならないんだから。

 それでも言いつづけなくちゃならないんだろうな。
 さもないと「事実よりイデオロギー派」がどんどん増えていくばかりだから。




 多くの本を読み、多くの歴史を知ったことでわかったことがある。

「人間は命じられれば平常時には信じられないぐらい残虐なことをする」

「人間の記憶は、自分が信じたいものに改変される」

ということだ。

 調査を続けた小野さんから、こんな経験を聞いた。
 一人の元兵士の家を探し当てて訪ねた時のことだ。
 本人はこころよく調査に応じてくれたが、虐殺については最初から完全に否定したという。そこで「日記」の存在を尋ねると、男性はふと思い出したように、奥の部屋からダンボール箱を引っ張り出した。するとその中に三冊の日記があったのだ。男性はそれを開いて読み始めた。ところがあるページまで読み進むと……、突然に日記をバタリと閉じてこう言ったという。
「俺は絶対にこれは見せられない。見せられないんだ」
 彼は急いで日記を仕舞い込むと、二度と出すことはなかったという。
 興味深い話であった。
 紙面には自身の字で記された「何か」があったのだろう。だが、その人はいつの間にか自分の記憶の書き換えをしてしまっていたのだろうか……。

 だからぼくは自分の意思を信じていない。

 南京大虐殺の場に日本兵としていたら虐殺に加担していたかもしれないし、ナチスやクメール・ルージュにいたらジェノサイドに参加していたかもしれない。山岳ベースにいたら仲間を処刑していたかもしれない。

 そして矛盾しているようだけど、こういう「良心への懐疑」を持つことが、周囲に流されて暴力を振るうことへの抑止力になるともおもっている。

 積極的に虐殺に加担するのは「おれはどんな状況におかれてもあんな残酷な行動はとらないぜ!」って信じてる人だとおもうよ、ぼくは。


【関連記事】

【読書感想文】 清水潔 『殺人犯はそこにいる』

【読書感想文】調査報道が“マスゴミ”を救う / 清水 潔『騙されてたまるか』



 その他の読書感想文はこちら


2021年5月27日木曜日

【読書感想文】21世紀の子どもも虜に / 藤子・F・不二雄『21エモン』

21エモン

藤子・F・不二雄

内容(e-honより)
おんぼろホテル「つづれ屋」の跡取りで宇宙に憧れる少年・21エモンと、テレポーテーション能力を持つ絶対生物・モンガー、イモ掘りに執念を燃やすアクの強いロボット・ゴンスケなど、豊かなキャラクター性も魅力です。

  七歳の娘のためが半分、ぼくが読みたいからが半分という理由で『ドラえもん』の単行本をどんどん買っていたら、ほとんどコンプリートしてしまった(大長編も含む)。

 そんなときに古本屋で『21エモン』を見かけたのでまとめて購入。
 ぼくが子どものころにテレビアニメをやっていたのだ。好きだったなあ。美空ひばりの『車屋さん』をリメイクしたOPテーマ曲も、「ベートーベンに恋して ドキドキするのはモーツァルト」というわけのわからない歌詞のエンディング曲も好きだった。
 もちろん本編もおもしろかった。21エモンが宇宙で死にそうになるシーンはほんとにドキドキした。


 ……と、「おもしろかった」という記憶だけはあるのだがストーリーはほとんどおぼえていない。
 大人になって改めて読み返して「こんな話だったのか」と新鮮な気持ちを味わった。


『21エモン』の舞台はもちろん21世紀。
 手塚治虫作品もそうだけど、昭和時代にとって〝21世紀〟って遠い未来だったんだなあ(鉄腕アトムなんか2003年誕生だからね)。
『21エモン』のトーキョーは宇宙から観光客がどんどん押しかけてくるし、車は空を飛ぶし、ロボットは人間並みの知能を持って二足歩行している。未来~!

 その割に「宇宙からの電話代は高い」とぼやいたり、宇宙に行った21エモンが地球に宛てて手紙を書いたり、映像はカセットテープを入れ替えていたり、情報・通信の分野は昭和の延長なのがおもしろい。インターネットとか電子メールとかマイクロメディアとかは想像の範囲外なのだ。


『21エモン』は藤子・F・不二雄作品の中ではマイナーなほうだけど、王道の少年SF冒険話だ。
 随所にちりばめられる科学知識や、テンポのよいギャグなど、藤子・F・不二雄らしさが存分に発揮されている。子どもは惹きつけられるよなあ。

 ただ、大人になった今読むと少々退屈な面もある。
 中盤までは「つづれ屋(21エモンの父親が経営するホテル)に泊まりに来た宇宙人の独特な性質・風習のおかげでドタバタ騒動に巻きこまれる」というパターンがくりかえされ、少々飽きる。大人からすると先の展開が読めるし。

 そしてキャラクターが薄味だ。
 21エモンは「宇宙に行きたい」という強い意志を持っている以外はとりたてて特徴のない少年。秀でたものはないが、のび太ほどダメでもない。性格もぼんやりしている。

 マスコットキャラクター的存在であるモンガー。
 どんな環境でも生きられ、何でも食べてエネルギーにでき、テレポーテーション能力を持つというすごい生物でありながら、ドラえもんやオバQほどの個性はない。こちらもあまり我が強くなく、最終的には「ときどきテレポーテーション能力を使ってくれる21エモンの友人」ぐらいのポジションに収まってしまう。
 ちなみに当初は「一週間に一言しかしゃべれない」という設定だったのだが、藤子・F・不二雄先生がこの設定を持て余したのか、途中からべらべらしゃべるようになる(一応理由付けはあるが)。

 モンガーの印象が薄くなっていったのと入れ替わるように、道化役としてのポジションを築いたのが芋ほりロボット・ゴンスケ。
 前半は脇役のひとりだったのに、芋へのこだわり、守銭奴っぷり、プライドの高さ、モンガーとのライバル関係など次々に強烈な個性を身につけてゆき、終盤にはなくてはならない存在になった。

 終盤は、チームのリーダーであり調整役である21エモン、その補佐役であるモンガー、そしてロケットのオーナーでありトラブルメーカーのゴンスケという役割がしっかりしてきて、おもしろくなる。
 太陽系の外まで出かけて冒険の舞台も広がり、生死のかかるピンチに巻きこめられる状況も増える。
 やっとおもしろくなってきた……とおもったらそこで物語が終わってしまう。ううむ、残念。


 七歳の娘は「『21エモン』読んで読んで!」と毎日せがんできて、ぼくも「しょうがないなあ」と言いながら内心楽しんでいっしょに読んだ。娘はその後も何度もひとりでくりかえし読んでいる。

 21世紀の子どもも虜にするなんて、さすがは藤子先生。

 聞くところでは『モジャ公』が『21エモン』の続編的立ち位置の作品らしい。『モジャ公』を読んでみようかな……。娘に言ったらぜったいに「買って!」と言うだろうな……。


【関連記事】

【読書感想文】構想が大きすぎてはみ出ている / 藤子・F・不二雄『のび太の海底鬼岩城』

【読書感想文】たのむぜ名投手 / 藤子・F・不二雄『のび太の魔界大冒険』



 その他の読書感想文はこちら


2021年5月25日火曜日

助数詞はややこしい

 助数詞はややこしい。

 助数詞というのはものを数える単位だ。「匹」とか「枚」とか「個」とか。

 うちの長女は七歳なのでもうそれなりに日本語は使いこなせるが、それでも助数詞はよくまちがえる。
「ハトが一匹」とか「靴が一個」とか言ってしまう。

 日本語を学習する外国人も苦労するだろう。
 ぼくも中国語を学んでいたとき、量詞(やはりものを数える単位)をおぼえるのに苦労した。中国語の量詞は日本語の助数詞と同じようでちょっとちがう。
 水やお茶を「一杯」と数えるのは同じだが、「本」は本や雑誌を数える単位だったり、手紙は「通」ではなく「封」だったり、いろいろややこしい。


 そもそも助数詞は何のために必要なんだろう。

 英語にはほとんどない。「two dogs」「three dogs」だ。
(「a sheet of paper」とか「a cup of tea」などの言い回しはあるが)
 べつになくても困らないからないのだろう。。

 幼児はなんでも「一こ、二こ、三こ」で数えるけど、それでいいんじゃないだろうか。
 犬も本も人も家も「一こ、二こ、三こ」でいいんじゃないだろうか(家は今も「一こ、二こ、三こ」だけど)。

 助数詞を使うメリットはなんだろうか。
 考えられるのは、省略できるということである。
 スプーンとコップとテーブルクロスがあるとき、「それ一本とって」といえばスプーンのことだとわかる。「一個とって」ならコップ、「一枚とって」ならテーブルクロスだとわかる。
 英語なら「one spoon」と言わなくてはいけない。
 こういうとき、助数詞はちょっとだけ便利だ。

 とはいえ。
 こういう状況はあまり多くない。
 スプーンとフォークとナイフとお箸があるとき「それ一本とって」ではどれのことかわからない。
 覚える苦労と、メリットが釣りあわない気がする。


 なにより助数詞がややこしいのは、法則がないことだ。
 いや、一応法則はある。
 細長いものは「本」、薄っぺらいものは「枚」、書物の類は「冊」、小さい動物は「匹」、大きい動物は「頭」、鳥は「羽」というように。

 だけど例外も多い。
 ウサギは「羽」、イカは「杯」、タンスは「棹」、蚕は「頭」……。例外はいっぱいある。

 また、同じものなのに状況によって数え方が変わったりする。
 イカ・タコは生きてるときは「匹」で食べ物としたら「杯」、魚も「匹」と「尾」、家は「軒」だったり「戸」だったり「棟」だったり。
「1試合にホームラン3発」とはいっても「年間30発のホームラン」とはいわない。この場合は「30本」になる。そもそもホームランがなんで「本」なのかさっぱりわからない。細長くないし。

 さらには複数を表す単位もある。
「お箸一膳」とか「靴一足」とか「寿司一貫」とか言われるたびに、それってひとつ? それとも一セットのこと? と迷ってしまう。

 なんとかならんもんか。

 せめて人は「一人」、日にちは「一日」、月(暦)は「一月」、年は「一年」、株式は「一株」、米俵は「一俵」、戦いは「一戦」、瓶は「一瓶」、箱は「一箱」、畳は「一畳」、イニングは「一イニング」みたいにシンプルにできないものか。
 しかし「そのものの名前を使って数える」ものはごくわずかだ。上に挙げたものぐらいしかおもいつかない。




 以前読んだ『カルチャロミクス』という本に、英語の不規則動詞はどんどん減っていっていると書いてあった。

 昔は動詞の活用の仕方はばらばらだった。
 だがあるときから[-ed]をつければ過去形、過去分詞系になるという法則ができた。こっちのほうが覚えるのが断然楽なので、次第に動詞の活用は規則活用に変わっていった。特に使用頻度の高くない動詞は忘れられやすいので、規則動詞になっていったらしい。
 だから今も残っている不規則動詞は、[be] [do] [go] [think] [have] [say] など、基本的には使用頻度の高いものばかりだ。

 文法は(ほんのちょっとずつではあるけど)単純になっていくのだ。

 だから何百年後かの日本語は、助数詞がずっと少なくなっているにちがいない。
 犬もクジラも鳥も魚も人間も「匹」、椅子も机も鏡も「台」か「個」、シャツもズボンも着物も帽子も靴も「枚」。
 そんな感じで単純化していくにちがいない。

 とおもっているのは、ぼく一匹だけではないはず。

【関連記事】

【読書感想文】思想弾圧の化石 / エレツ・エイデン ジャン=バティースト・ミシェル『カルチャロミクス』





2021年5月24日月曜日

ツイートまとめ 2020年10月


Ω

星空の下の

治安

インタビューとは

かけ算の順序問題

二代目

ハンコ

出る杭

都にはなれない都構想

正道と信道

永沢

木こり風

優先席

走馬灯

なぜ

元農水事務次官長男殺害事件

全額

2021年5月21日金曜日

いちぶんがく その6

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。



僕は1時間、ニンニクを微分し続けていたのだ。

(橋本 幸士『物理学者のすごい思考法』より)




皮肉だが、手綱を手放すことは、影響を与えるための強力な手段なのだ。


(ターリ・シャーロット(著) 上原直子(訳)『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』より)




この女なら杉子みたいに、客の残した寿司の上だけ食べて返すことはしないだろうと思った。


(向田 邦子『思い出トランプ』より)




おやおや、お前に苦痛はもったいないよ。


(伊藤 計劃『虐殺器官』より)




そして何故こんなにも、多くの人が壊れ始めているのかを。


(堤 未果ほか『NHK100分de名著 メディアと私たち』より)




いきなり中年男性が身体をくねくね動かすだけでは、じつに怪しいでしょう。


(広瀬浩二郎『目に見えない世界を歩く』より)




障害者は「健全者」に気に入られようと思ってはいけない。


(荒井裕樹『障害者差別を問いなおす』より)




「可能性があればなんでもできると考えるのは、自分ではなにもしない奴だけだ」


(石持 浅海『三階に止まる』より)




ようやく「被害者」になれた。


(重松 清『十字架』より)




そこを流れ落ちていくのは、恐怖政治と下水だけだ。


(トム・バージェス『喰い尽くされるアフリカ』より)




 その他のいちぶんがく


2021年5月20日木曜日

【読書感想文】自由な校風は死んだ / 杉本 恭子『京大的文化事典 ~自由とカオスの生態系~』

京大的文化事典

自由とカオスの生態系

杉本 恭子

内容(e-honより)
折田先生像にバリスト、キリン!?西部講堂、こたつに石垣☆カフェ、タテカン、吉田寮まで…最後の(!?)自由領域を大解剖!森見登美彦(作家)インタビュー!&尾池和夫(元京都大学総長)特別寄稿掲載!

 京都大学に関する様々なキーワードを読み解きながら、「京大」の特徴や歴史を説明する本。ちなみに学問の要素はほとんどなく、京大という「場」に関する話が大半だ。

 著者は京大出身者ではなく、そのお隣の同志社大学出身。とはいえ学生時代はよく京大に出入りしていたらしい(京大吉田キャンパスと同志社大今出川キャンパスは自転車で10分ほどしか離れていないので京大内にもよく同志社の学生がいる。といっても女子ばっかりだが)。


 ぼくは20年近く前、京大に通っていた。2001年入学。国立大学が大学法人化したのが2005年だから、京大が国立だった最後の時代を過ごしたことになる。

 じっさい、今おもうとぼくが在籍していたのは「変わり目」の時代だった。
 ぼくが1回生(関西では大学1年生のことをこう呼ぶ)のとき、A号館改修工事がおこなわれた。改修前のA号館はとにかく汚くて、夜中でも出入りし放題だったし、地下には学生が勝手に運営しているバーがあった。ぼくが属しているサークル(持久走同好会)の部室もA号館の地下にあった。「校舎の下に部室があってそこにコタツや漫画やファミコンがある」という夢のようなシチュエーションに惹かれて持久走同好会に入ったようなものだ。
 地下部室では夜な夜な飲み会がおこなわれていた。飲みつぶれてこたつで寝る人もたくさんいた。今おもうとなんとすばらしい環境だろう。

 キャンパスに畳を敷くということにも、コテラさんは「場に対する関わりの特異さ」を感じていたそうだ。「畳を敷くことは『この場を、自分たちのものとして考えるぞ』という意思表示でもあるんですよ。しかも、所有や占有とはちょっと違う。畳によって誰のものでもない空間にしてしまってから、『この場を自分たちのものとして考えよう』と呼びかけるのがミソなんです」
 いつ、こたつをキャンパスに出すようになったのかは定かではないが、一九八○年代には現れはじめ、一九九〇年代には「吉田寮からこたつと古畳をリヤカーに乗せて運ぶ」ことはごく普通に行われていたようだ。なぜ、吉田寮生たちは、キャンパスにこたつを持ち出すようになったのだろうか?

 今はどうか知らないが、ぼくが学生のときはキャンパス内にこたつを出している人がときどきいた。
 冬の朝になるとこたつに入って寝ている酔っ払いの姿が見られたものだ。こたつには酒瓶や麻雀牌が散乱していた。

 たぶん、目的があってやっていたのではないだろう。キャンパス内でこたつに入ること自体が目的なのだ。
 ぼくも大学構内ではないが、公園にテントを張って友人たちと意味なく泊まったことがあるので気持ちはわかる。


 だがA号館は改修工事できれいな建物になり、夜間は立ち入れなくなった。まあそっちがふつうなんだけど。
 とにかくいろんなものがすごいスピードできれいになっていった。
 時計台の下に薄暗い生協や床屋もあったがいつしか消えていた。代わりにこじゃれたレストランができた。
 四回生ぐらいのとき、夜中に大学構内のテニスコートで遊んでいたら警備員に注意された。それまではそれぐらいのことで注意されたことなんてなかったのに(見つからなかっただけかもしれないが)。
 百万遍(地名)の石垣取り壊しに反対して学生たちが石垣を占拠し「石垣カフェ」を作ったのがぼくが卒業する直前。

「唯一無二の京大」が「数ある大学のひとつ」になっていった過渡期にぼくは居合わせていたのかもしれない。

 ま、大学から離れた今だからノスタルジックな思いに浸れるけど、在学中は食堂やトイレがきれいになるのは素直にうれしかったし、新しい教室での授業のほうが快適だった(古い校舎の大教室はめちゃくちゃ寒いんだもん)。




 在籍中は、他の大学と比べて「なんて自由な大学だ」とおもっていたが、しかしそれでも昔と比べるとずいぶんお行儀のいい大学になっていたようだ。
 一九六九年一月三〇日、一五○○人の学生が集まったという教養部代議員大会は、無期限バリストを可決。四月になってもバリストは続き、入学式の日には教養部や西部講堂などを舞台に映画上映や講演会を行う、バリケード祭」がはじまった。バリケードのなかで、学生たちが「反大学」をスローガンにした自主講座を立ち上げると、教養部の教官たちも正規の講義に代わる自主講座を開講。学生と教官は「どっちがおもしろいものをやるかで、学生という客を取り合」った。教官たちは「はからずもそれぞれ得意の分野やテーマをもとにして講義を行う機会」に恵まれ、講義の内容も充実していたようだ。ふだんは大学に来ない学生たちも出席。出版社からも聴講に来る人がいて「次はどの先生に本を書いてもらおうか」という算段まではじまったらしい。

 この時代に学園闘争をやっていたのは京大だけではないが、教官たちまでもがそれに乗っかっていた(あるいは対抗していた)というのがおもしろい。

 理学部の建物が学生たちに不法占拠した際(「きんじハウス」事件)、近くにいたサル学の教授がフィールドワーク経験を活かして出入りしている学生を個体識別して勝手に名前をつけていた……なんてエピソードも出てくる(ちなみにこのエピソードを語っているのが京大元総長の尾池和夫氏)。

 学生だけでなく、教官や職員にも「外の世界とちがうこと」を楽しむ余裕があったのだ。

 「反動的管理強化」とは、大学生をひとりの大人として認めず、「勉強させよう」とする京大当局への批判の言葉です。京都大学新聞の記事によると、経済学部は単位が取りやすいため、学生が積極的に講義に出席していないことを認めつつも、「勉強する・しないは学生の勝手である。勉強しなかった結果、おとずれたものが『堕落』であったとしても、それは学生の責任というものだ。否、それどころか学生は『堕落』する権利を有しているとさえ言える」ときっぱり主張。「少なくとも京大では学生の『自主性』『主体性』を重んじることを一つの『売りモノ』としてきたのではなかったか」とまで書いています。

 ぼくも、入学式の日に学部長から「大学に来るのは二流の学生です。一流の学生は大学に来ずに勝手に学ぶ」という話を聞いて面食らった。
 一教官ならともかく、学部長がこんなことを大っぴらに言うのかと。
 当時はまだ「学生には堕落する権利がある」という風土が残っていたんだなあ。


 だがその余裕はどんどん失われつつある。

 最大のきっかけは、さっきも書いたけど2005年の大学法人化だろう。
 国から独立した存在だったのが、何をするにも国にお伺いを立てなくてはいけなくなった。京大だけでなく全国の国立大学が。

 その結果、教職員は疲弊した。この十数年で日本の大学の国際競争力がぐんぐん低下したのは周知のとおり。
 研究力が落ちただけでなく、大学側には学生と対話する余裕もなくなっていった。

 しかし京大当局は吉田寮との話し合いを再開しようとはせず、二〇一九年二月一二日、「吉田寮の今後のあり方について」という文書を公開。吉田寮の運営は「到底容認できない」「不適切な実態」であると決め付けた。また、「安全性の確保」と「学生寄宿舎としての適切な管理」を実現するために現棟からの退去を求め、「入寮選考を行わない」「本学が指示したときは退去する」などの条件を遵守した者のみ、新棟への居住を認めるとした」。同文書では「学生の責任ある自治を尊重する」としながらも、吉田寮の現状について「時代の変化と現在の社会的要請の下での責任ある自治には程遠」いと書かれている。もう一度繰り返すが、寮自治の根幹は自主入退寮権だ。それを否定する京大当局は、いったいどんな寮自治を「責任ある自治」だと考えているのだろう。さらに、「危険な現棟での本学学生の居住をもはや看過することはできない」と、京都地方裁判所に現棟に対する占有移転禁止の仮処分の命令を申し立て、二〇一九年一月一七日に仮処分が執行された。

 これをおかしいとおもうかどうかは難しい。このへんの感覚って、大学自治、寮の自治を知らない人にはぴんと来ないとおもうんだよね。

「学校側の命令に従わない学生に対して、大学側が裁判所に訴えを起こす」
って、世間の人からしたら「それの何が悪いの?」って感じだとおもう。
 私立高校とか私企業とかだったらあたりまえのことだろう。会社所有の寮に住んでいる社員に対して、会社が出ていくよう要求した。いつまでも退去しないので裁判所に訴えた。会社の対応におかしなことはない。

 でも、大学ってそういうもんじゃないんだよね。東大ポポロ事件を知ればわかるように、大学というのは特殊な場だ。国家権力からは独立している。
 学問の自由があるので、外の世界の法律が通用しないこともある。勝手に大学に入った警官を学生がぶん殴っても、無罪判決が出る(ポポロ事件の場合は最終的には有罪になったが)。それぐらい大学における学問の自由というのは強い。

 だから「社員寮を立ち退かない社員」と「大学自治寮から退去しない学生」はぜんぜん違う。
 にもかかわらず京大は裁判所への訴えを起こしたわけで、あまり話題にならなかったけどこれはかなりの大事件だ。

 法的に問題はないのかもしれないけど、つまんねえ大学になっちまったな、とぼくはおもう。
 それって長期的に見ると自分たちの首を絞めてることだとおもうんだけどな。大学にとっても、国にとっても。


 尾池和夫元総長はこう書いている。

一九八九年、京都大学新聞によるサークルBOX特集のなかに、「国有財産は税金でつくられるのであり、特別に問題がない限り誰でも自由に使えるべきだ」という文章がある。最近、公文書を読む機会が多いので、税金を使う以上、その成果をわかりやすく国民に説明する必要があるという内容を頻繁に目にする。そのこととの関連で、京都大学新聞の表現は新鮮であった。何の役に立つかという言葉は、最近の予算書にはしかたなく出てくるが、ふだんの研究者の議論にはあまり出てこない。研究者たちは盛んに「面白い」という言葉を使う。面白いから研究をして、面白いから学習をするのが大学なのである。人類の存続のために、子孫の繁栄を願い、自分の心身の健康のために、食を楽しみ、芸術を楽しみ、知的好奇心に応える学習をする。それらを支えるのが大学であり、面白いと人びとが感じることができれば、それが大学で懸命に仕事する研究者や学生たちが、税金を使って挙げた成果なのである。

「役に立つ」ではなく「面白い」が研究の目的にならないと、大学の力は衰退していく一方だよ。




 巻末の対談で、京大出身の作家・森見登美彦氏がいいことを言っている。

ただねえ、阿呆は「阿呆っていいね」と言ったとたん腐るというかね。自由もそうじゃないですか?「我々は自由なんだ」って言ったとたんにすぐ自堕落なものになる。そこが京大について語るときのいやらしいところというか、ね。持ち上げたとたんに、急にそれが別なものに変わって腐ってしまうのがいやなんです。

「京大ってこんな自由な大学なんですよ」って書くのってすごく野暮なんだよね。そう書いちゃったとたんに自由でなくなる。
 そういうことをあえて口に出さないから自由でいられるというところはある。
「私おもしろいでしょ?」って言う人がおもしろくないのと同じで。

 だからほんとは、こんな本出ないほうがいいんだよね。
「京大ってこんな文化があるんです」
って書いちゃったらおもしろくなくなる。縛りがかかってしまう。

 でも残念ながら京大の自由さもおもしろさも過去のものになりつつある。だからこういう本が出たんだろう。有名人が死んだときに追悼番組をやるようなものだ。
 自由な校風(ほんとはこういうこと書かないほうがいいんだけど)はもう死んだのかもしれないな。悲しいけど。


【関連記事】

【読書感想文】変だからいい / 酒井 敏 ほか『京大変人講座』

【読書感想文】国の金でばかなことをやれる場 / 酒井 敏 ほか『もっと! 京大変人講座』



 その他の読書感想文はこちら


2021年5月19日水曜日

【読書感想文】ミラクル連発 / 東野 圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』

ナミヤ雑貨店の奇蹟

東野 圭吾

内容(e-honより)
悪事を働いた3人が逃げ込んだ古い家。そこはかつて悩み相談を請け負っていた雑貨店だった。廃業しているはずの店内に、突然シャッターの郵便口から悩み相談の手紙が落ちてきた。時空を超えて過去から投函されたのか?3人は戸惑いながらも当時の店主・浪矢雄治に代わって返事を書くが…。次第に明らかになる雑貨店の秘密と、ある児童養護施設との関係。悩める人々を救ってきた雑貨店は、最後に再び奇蹟を起こせるか!?

 元雑貨店に侵入した三人の若者。
 その家に突然手紙が投函される。読むと、どうやらこの家の郵便受けは過去とつながっているようだ。そしてこの雑貨店はかつて悩み相談を引き受けていたらしい……。

 そして
「オリンピックに向けての練習と病気の恋人の看病のどちらを選ぶか悩む女性」
「家業の魚屋を継ぐべきか音楽の道に進むか悩む青年」
「不倫相手の子どもを産むかどうか悩む女性」
「夜逃げをしようとする両親についていくべきかどうか悩む中学生」
「恩返しのために水商売で稼ごうと考えるOL」
から、続々と悩みが寄せられるわけだが……。


 どうもぼくは「悩み相談」をする人の気持ちがまったくわからないんだよね。
 深刻な悩み相談をしたこともないし、された記憶もない。「転職しよっかなー」ぐらいは言われたことあるけど、相談というか愚痴に近い。

「愚痴を聞いてほしい」はわかるが、「悩みの相談に乗ってほしい」という人の気持ちがぼくには理解できない。中島らもの明るい悩み相談室にふざけた質問を送りたい気持ちはわかるが。
 法律のトラブルを抱えているから弁護士に相談するとか、健康上の不安があるから医師に相談するとかならわかるけど。結婚の悩みを、一度ぐらいしか結婚していない人に相談してもなあ。

 以前、鴻上尚史『鴻上尚史のほがらか人生相談』という本を読んだ。
 中島らもの場合と違い、こっちは深刻な悩みが多く寄せられている。鴻上さんの回答はすごく親身になっているし、読んでいる第三者としても「なるほど。いいこと言うな―」とおもう。
 でも。
 悩み相談をした人って、回答を読んで考えを変えるんだろうか。鴻上さんに「あなたの考えはまちがってます」って言われて(鴻上さんはもっと婉曲に言うけど)、相談者は「ああ私がまちがっていた。これからは考えを改めます」ってなるんだろうか。ぼくはならないとおもう。人間、そんなかんたんに考えを改められない。そんなに柔軟な人はたぶん悩んで人に相談したりしない。「私こう考えてるんですけど正しいですよね?」と同意を求めたい人が悩み相談をするとぼくはおもっている。偏見だけど。

 だから公開悩み相談をすることは無駄じゃない。第三者は「なるほど。こういう視点があるのか」と気づかされるから。
 けど非公開悩み相談にあんまり意味はないんじゃないかとおもう。相談者が求めてるのは同意だけなんだから。


……と、そもそも悩み相談という行為をあまり肯定的に見ていないので、この設定自体があまり好きになれなかった。悩み相談をするやつなんてめんどくさいやつ、という感覚があるからなあ。




 とはいえ『ナミヤ雑貨店の奇蹟』はよくできた小説だった。『新参者』を読んだときもおもったけど、東野圭吾氏って「おもしろいミステリを書く作家」だったけど今は「うまい小説を書く作家」にもなっているよね。

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は、伏線の自然なはりめぐらせかたとか(下手な作家によくある「伏線回収やで! どや!」って感じじゃなくてほんとにさりげないんだよね)、物語の構成とかはほんとに見事。

 伊坂 幸太郎『フィッシュストーリー』を思いだした。
 あんまり書くと両作品のネタバレになってしまうけど、あれとあれがつながって、あれがこっちにつながって……というお話。

 ミラクル連発すぎてリアリティはまったくないけど、まあそれはいい。リアリティが求められるタイプの小説じゃないし。


 しかしこの作品が映画化されたらしいけど、映画で観たい小説じゃないけどな……。映画業界は東野作品ならまちがいなく売れるからなんでも映画化しとけっておもってるんだろうな……。

【関連記事】

【読書感想文】一歩だけ踏みだす方法 / 鴻上 尚史『鴻上尚史のほがらか人生相談』

【読書感想文】 東野 圭吾 『新参者』



 その他の読書感想文はこちら


2021年5月18日火曜日

【創作】若者党結党宣言

 我々はここに「若者党」の結党を宣言する。


 まず誤解をされないように言っておくが、我々の意図は決して年配者を排除するものではない。分断をあおる気はない。現在の若者もいずれは歳をとる。誰もが若者であったし、誰もが将来の高齢者だ。特定の世代だけを優遇するつもりはない。

 政治はすべての人を救わなければならない。だが現実的にリソースに限りはある。優先順位をつけざるをえない。その際、より若い人に恩恵のある施策を優先したい。当然ながら全世代の最低限度の生活を保障した上で。

 なぜ若い人を優先するかというと、若い人を救うことは将来の高齢者を救うことになるからだ。貧困状態にある若者の就労支援をすることで、将来貧困にあえぐ高齢者を救うことができる。教育や研究に税金を投下すれば二十年後経済は成長する。
 若者を救済することが高齢者を救うことになるのだ。
 ここ数十年間、この国は逆のことをやってきた。若者の就労や子育て世帯の支援や研究教育費を削り、付け焼き刃的な高齢者優遇制度をおこなってきた。その結果が経済成長の停滞であり、貧困層の拡大である。

 我々は未来のために多くのリソースを割く、未来のために投資をすることを党是とする。
 八十歳よりも六十歳、四十歳よりも二十歳、二十歳よりもゼロ歳に優先してリソースを投下する。
 二十年後の未来のための政治をおこなう。それが若者党の結党方針だ。


 若者党の議員は五十歳定年制とする。定年から逆算して、参議院選挙に立候補可能なのは四十四歳まで、衆議院選挙及び地方選挙には四十六歳までが立候補可能とする。
 なぜ五十歳を定年とするかというと、二十年後の未来のための政治をおこない、さらにその結果に対して責任を負うことを考えれば議員もある程度の若さが必要だと考えるからだ。
 若い人からすると五十歳でも十分年配だと考えるかもしれない。じっさい、五十歳で若者党メンバーを名乗るのはいささか気恥ずかしい。だが、被選挙権を有するのが参議院議員や地方自治体首長で三十歳以上であること、任期が最長六年であることを考えると五十歳以下が現実的なラインかと考える。
 なにより今の日本人の平均年齢が四十歳を超えていること、国会議員の平均年齢が五十歳を超えていることを考えると、全員五十歳以下であれば少なくとも政界においては十分「若者党」を名乗る資格があるだろう。

 もっともここでも我々は五十歳を超える人々を排除するものではない。
 五十歳を超えれば議員資格を失う、意思決定者である党幹部からは退くだけであり、何歳であっても党員資格はある。百歳でも十歳でも当人が望めば若者党のメンバーである。党を支えることは未来を支えることにつながるのだから、年齢を問わず党を支える立場として携わっていただきたい。


 我々が政策として掲げるもののひとつに、小選挙区制の撤廃と年齢別比例代表制の導入である。
 そもそも国政選挙を地域ごとに分割しておこなう必然性はない。かつては情報伝達手段や投票集計手段が未熟だったため地域ごとに分割するしかなかったが、現在においても国会議員が地域の代表者なのはナンセンスだ。国政は国民のためにおこなうものであり、特定の地域の住民のためだけにおこなうものではない。小選挙区制が、政治家の地元選挙区への利益誘導や一票の格差問題など様々な問題を生みだしている。

 そもそも小選挙区制は一票の格差を大きくするだけでなく、死票が生まれやすく民意が反映されない、得票数と議席数の乖離が大きい、投票率が下がるなど多くの問題をはらんでいる。
 アメリカ大統領選を見て「なぜ総得票数が多い候補者が少ない候補者に負けるのだろう」と疑問を持ったことのある人も多いだろう。小選挙区制は欠陥だらけの制度なのである。

 代わりに、年齢別比例代表制の導入を検討したい。二十代以下代表、三十代代表、四十代代表……と年齢別に議席を設ける。二十代以下代表枠に立候補できるのは二十代の候補者だけだ。今のように選挙に出馬するために住民票を移すようなことはできなくなる。

 一票の著しい格差が生じないよう、人口構成比別に議席数を割り振る。当然ながら人口の少ない二十代や三十代の議席数は少なくなるが、これはいたしかたない。それでも今よりはずっと若い議員が増えるだろうし、若い人の投票も議席に反映されやすくなるはずだ。


 若者のための政治をすることは、未来のための政治をすることだ。
 さあ、過去の穴埋めのためではなく、未来の財産を築くためにエネルギーを注ごうではないか!


2021年5月17日月曜日

【読書感想文】ゴーマン経済マンガ / 井上 純一『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』

がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか

井上 純一(著) 飯田 泰之(監修)

内容(e-honより)
野菜が高い、銀行の利子が低い、不景気で店がつぶれる…なんで日本はこうなった?身近な経済の疑問を、中国からきたお嫁さん・月サンに分かりやすく徹底解説!笑って読めて役に立つ、世界一やさしい経済マンガ!!

 経済解説マンガ、ということだが……。

 昔流行った『ゴーマニズム宣言』みたいな本だった。

 偏狭な自説を延々と聞かされるので、読んでいてうんざりする。『ゴーマニズム宣言』は「これは傲慢な意見だ」という前置きがあったので(本当にそうおもっていたかはともかく)、あっちのほうがまだマシかも。
『がんばってるのになぜ僕らは』のほうは、ただただ「こっちが絶対に正解なのに、この説を採用しないやつはバカ!」というスタンスが続く。

 そういやこの本には決め台詞のように「希望の光が見えてきた」という言葉がくりかえし出てくるが、これ「ゴーマンかましてよかですか?」とまったく一緒だよな……。




 正直言って、ぼくは経済に詳しくない。それどころかぜんぜん知らない。大学でマクロ経済学を履修したことがあるけどちんぷんかんぷんだった。経済の勉強なんて二十年前に『細野真宏の経済のニュースが良く分かる本』を読んだぐらいだ(あれはわかりやすかったなあ)。
 それでもなんとか生きていけるんだから世の中って案外ちょろいぜ。

 それはそうと、経済に詳しくないぼくだから『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』を読むと「なるほどねー」という気になる。ははあそういうことか、と。

 だが同時に、多くの本を読んできた経験がぼくに警鐘を鳴らす。
「気をつけろ! この本に書かれていることはとんでもない大嘘の可能性があるぞ!」と。

 なぜなら、謙虚さが足りないから。


 顕著なのは第8回。
「なぜ日本政府は増税するのか」というテーマだ。

 著者の結論はこう。

日本政府は雰囲気で増税している」(ほんとにこう書いている)

 減税がいいのか、増税すべきなのか、ぼくには判断できない。
 この本を読むと「減税して市場にどんどん金を流したほうがいいんだろうな」という気になるし、ぼく自身の考えもそれに近い。
 なにしろこの三十年あまり、増税をくりかえしてきた日本経済はちっともよくならないから。

 とはいえ、
「増税をくりかえしてきた時期」と「経済が停滞していた時期」がほぼ重なるからといって、増税は悪だ! と決めつけるのは短絡的すぎる。物事はそんなシンプルに決まらない。増税していなかったらもっともっと悪くなっていた可能性もある。


 ぼくは経済のことはちっともわからないけど、
「経済がどう動くかは、賢い経済学者たちがずっと考えているけど正解を見つけられないもの」
だということは知っている。どの国のどの時代にもうまくいく経済政策なんてないのだろう。
 だから経済学が誕生して百年たっても多くの国が試行錯誤しているし、専門家同士の意見も割れるわけだ。
 経済政策の失敗は事後的にしか測れないし、それだって「この政策を採用していなかったらもっと悪くなっていた可能性」は排除できない。

 フィリップ・E・テトロック&ダン・ガードナー『超予測力』には、
「未来予知の的中率が高い人は、『自分の考えは誤っているのでは?』という自問を絶えずくりかえす人」だと書いてあった。


『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』の著者に、その謙虚さはまったくない。
「日本政府は雰囲気で増税している」「政府は『なんとなく』でプライマリーバランスを黒字化しようとしている」
と書いている。

 ものすごく楽な考え方だ。
 自分の意見がぜったいに正しいとおもう。対立陣営の意見は「思慮が足りないから」で片付ける。
 どんな反対意見も「あいつらはバカだから」で片づけられるから、何も考えなくて済む。思考停止。
 もちろん、こういう人に成長はない。何度でも同じ間違いをくりかえす。


 この本に書かれている説自体は、もっともらしい。
 正しいかどうかの判断はぼくにはつかない。たぶんある点で正しくてある点で誤っているのだろう。経済に関する説のほとんどがそうであるように。

 ぼくにわかるのは、著者(もしくは監修者)が反対意見には耳を貸そうともせず、物事を単純化しようとする偏狭な人間だということだけだ。


 あとコマの強調が多すぎでしんどかったな。3コマに1コマぐらい強調が入る。実はこうなんだ! どやっ! って。

 いたなあ。教科書にマーカーで赤線引きすぎてどこが大事なのかわからなくなってる、勉強できないやつ。

【関連記事】

【読書感想文】チンパンジーより賢くなる方法 / フィリップ・E・テトロック&ダン・ガードナー『超予測力』

見事に的中している未来予想 / 藻谷 浩介『デフレの正体』



 その他の読書感想文はこちら


2021年5月14日金曜日

きりきり舞い

 「きりきり舞い」させられたことがあるだろうか。
 ぼくはある。

 小学生のとき、ぼくは野球の腕には自信があった。といっても野球チームには所属していなかった。放課後毎日公園で友人と野球をやっていただけだ。
 その中ではいつも好成績だった。たまに野球チームに所属している子と遊ぶこともあったが、そこそこいい勝負ができていた。
 あるとき、一学年上のMくんと対戦をしたことがある。このMくんというのは野球チームのエースで、中学でも市内の硬式野球チームのエースで、高校は野球推薦で強豪校に進み甲子園にこそ出られなかったもののエースとして活躍し、高校卒業後はドラフト8位で読売ジャイアンツに入ったすごい人だ。
 そんなMくん(当時は小学生だが)の球を、ぼくはバットに当てた。といってもファールだったが。それでも剛速球をはじきかえしたことで、ぼくは「慣れさえすればどんな球でも打てる」という(今考えれば誤った)自信をつけた。


 中学校に入ってすぐのことだった。
 公園で野球をしていると、Hという男が通りかかった。彼は隣の小学校出身で、この春から同じ中学校になったばかり。野球部に入っていた。
「おれも入れて」「ええで」
 Hもいっしょに野球をすることになった。

「ピッチャーやってや」
 バッターボックスに立っていたぼくは、Hに声をかけた。
 Hは身体が細く、いつもへらへらしているような男だった。ぜんぜんたいしたことなさそうだ。よしっ、こいつの球をはじき返して「おれは野球部にもぜんぜん負けない」ということを見せつけてやろう。

 Hはマウンド(といっても公園なので何もない)に立ち、ゆったりとしたフォームから球を放った。ぜんぜん速くない。余裕だ。
 ぼくは全力でバットを振った。からぶり。

 あれっ。大振りしすぎたか。「ちょっと狙いすぎたな」と言いながら再度かまえる。
 Hの投げた球はさっきといっしょ。ゆるい球。
 今度は確実に当てにいった。だがかすりもしない。ボールが逃げるようにバットから離れていった。

 ぼくはHの顔を見た。
 Hはにやりと笑った。「カーブ」

 これがカーブか……。
 ぼくは生まれてはじめてカーブを見た。もちろん存在は知っていた。ぼくも真似したことがある。本に載っていた「カーブの握り方」を真似して投げては「おっ、今の曲がったんちゃう!?」と友だちと言いあっていた。

 そのとき知った。
 ぼくらが「曲がった」とおもっていたのは、まったく曲がっていなかったことを。Hが投げたカーブこそが本物のカーブだった。

 だがぼくの自信はまだへし折られていなかった。
 さっきはカーブがくると知らなかったから打てなかったのだ。カーブがくるとわかっていれば対応できる。
 ぼくはHに「もう一回カーブ投げて」とリクエストをした。結果はからぶり。

 結局、十球ぐらい投げてもらったがぼくはバットに当てることすらできなかった。


 今にしておもうと、なまじっか野球に慣れていたのがかえってよくなかったのだとおもう。
「この速度でこの軌道でボールが来たらこうすれば打てる」という動きが身体に染みついている。カーブはそれとはまったく違う動きをする。頭ではわかっていても身体は対応できない。

 完敗。きりきり舞い。手も足も出ない。圧倒的な敗北だった。
「戦前、日米野球ではじめて変化球を見た日本人選手は度肝を抜かれた」という話を聞いたことがあるが(真偽は知らない)、まさにそんな状態だった。


 さらに驚くべきは、Hはぜんぜんすごいピッチャーではなかったことだ。
 決して強豪とはいえな中学の野球部(なにしろ一学年の部員数が十人もいないのだ)の中でも、二番手か三番手ピッチャーだった。

 ぼくは思い知った。自分が、井の中の蛙だったことを。
 ぼくがプロ野球選手になるのをやめたのは、あのときのきりきり舞いがあったからだ。


【関連記事】

4番打者という夢



2021年5月13日木曜日

【読書感想文】資源は成長の妨げになる / トム・バージェス『喰い尽くされるアフリカ』

喰い尽くされるアフリカ

欧米の資源略奪システムを中国が乗っ取る日

トム・バージェス(著) 山田 美明(訳)

内容(e-honより)
石油やダイヤモンドのほか、多くの資源に恵まれているアフリカ大陸。だが、そこに暮らす人々の多くは厳しい貧困と内戦に苦しんできた。膨大な資源が生み出した巨額の金はいったいどこに消えたのか?長くアフリカに住み丹念に取材を重ねたフィナンシャル・タイムズ紙の記者が直面したのは、欧米が作り上げ、中国がブラッシュアップした巧妙な略奪のシステムだった。グローバル経済の実態を暴く!


 タイトルが『喰いつくされる』でサブタイトルが『中国が乗っとる』なので「中国ひどい!」みたいな内容かとおもいきや、そうでもない。
 たしかに一部の中国企業もアフリカで暗躍しているが、悪いのは中国企業だけでない。欧米の企業も悪いし、アフリカの為政者も悪い。
 ちょっとこのタイトルは中国を悪者にしすぎだなあ。


 本の内容は、ほとんどタイトルが表しているとおりだ。
 アフリカには、天然資源の豊かな国が多い。石油、ダイヤモンド、天然ガスなどが産出される。だが資源が見つかったことでその国が豊かになるかというとそんなことはない。むしろ逆で、政治の独裁が進んだり、他の産業が衰えたり、悪い面のほうが多い。

 サリムの調査チームは、天然資源の輸出に依存している国について、世界銀行のデータを詳細に検討した。その結果、一九六〇年から二〇〇〇年にかけて、天然資源が豊富な貧しい国よりも、そうでない貧しい国のほうが、成長が二~三倍速いことがわかった。この期間に経済成長を維持できなかった四五か国のうち、実に三九か国が石油や鉱物資源に大きく依存していた。また、一九九〇年代、世界銀行から融資を受けていた国は例外なく、石油産業・鉱業に依存している割合が高い国ほど、経済が悪化していた。

 意外なことに、天然資源は経済発展をもたらすどころか、成長の妨げになることのほうが多いのだ。
 もともと民主主義制度があって経済的に十分強い国が資源を手に入れた場合は有効活用できるが、そうでない国の場合は経済バランスなどを崩す原因になってしまう。

 資源によってかえって産業が衰えるこの現象は、オランダでガス田が見つかってから他の産業が衰えたことに由来して、「オランダ病」と呼ばれる。

 この病気は、貨幣を通じて国に入ってくる。輸出された炭化水素資源、鉱物資源、鉱石、宝石にドルが支払われると、自国通貨の価値が上がる。すると、国内製品に比べて輸入品のほうが安くなり、自国の企業が弱くなる。こうして輸入品が国内製品に置き換わると、地元の農民は耕作地を放棄する。それでも工業化が始まれば、このプロセスは後退していくが、このような状況になってしまうと工業化はなかなか進まない。天然資源を加工すれば、その価値を四〇〇倍にできるかもしれない。だが工業力のないアフリカの資源国家では、原油や鉱石がそのままの形で流出していき、どこかほかの場所でその価値を高める加工が行われる。
 こうして経済的な依存症の悪循環が始まる。ほかの産業が衰えると、天然資源への依存率が高まる。天然資源ビジネスにしかチャンスはなくなるが、わずかな人々しかそのチャンスはつかめない。鉱山や油田の開発には莫大な資金が必要になる反面、農業や製造業に比べ、労働力は少なくてすむからだ。配電網や道路、学校といったインフラを整備すればチャンスは広がるが、石油や鉱物資源によってほかの産業が衰退していくため、インフラ整備もおろそかになってしまう。

 ナウル共和国という国を知っているだろうか。オーストラリアの北東、太平洋に浮かぶ小さな国だ。
 ほんとに小さい。面積は21平方キロメートル。日本の面積を小学校数で割ると17平方キロメートルぐらいらしいから、ナウルはだいたい平均的な小学校の校区ぐらいの広さだ。狭い。

 このナウル、1899年にリン鉱石が発見されたことで大きく運命が変わる。海鳥の糞が堆積してリン鉱石になっていたのだ。このリン鉱石が高く売れたことでナウル政府は豊かになり、税金ゼロ、教育や医療も無償、国民みんな働かなくても食べていけるようになった。
 ところが次第にリン鉱石が枯渇してゆき、国民は働かないし他に産業もないものだから経済は破綻状態になった(最近新たに採掘できるようになりリン鉱石の輸出が持ち直してきているらしい。それもいつかは尽きるが)。

「売家と唐様で書く三代目」という有名な川柳がある。
 財産を残しても、孫の代になると初代の苦労を知らないから道楽をして財産を食いつぶしてしまう、という意味だ。
 労せずして得た財産は身につかない。オランダ病も似たようなものだろう。後に残るのは道楽癖だけだ。




 また、資源が壊すのは経済だけではない。民主主義も壊す。
 資源の採掘には莫大な初期投資が必要になる。すると外国企業が入ってくる。採掘権を得るためにリベートを渡す。政府に近い一部の人間だけが儲かる。その他国民の反感が大きくなる。軍事力によって押さえこむ。為政者は権益を手放したくないので民主的な選挙を否定・妨害工作する。かくして内紛が絶えなくなる……。

 アフリカの資源国家の支配者は、国民の同意を得なくても国を統治できる。それが資源の呪いの核心にある。資源ビジネスがあるかぎり、支配する者と支配される者との社会契約は成立しない。社会契約とは、ルソーやロックといった政治哲学者が提唱した理論である。政府は、国民の同意を得て、国民の自由をある程度奪う代わりに、国民共通の利益を守る。そうすることで政府は、国民から正統性を認められる。これが社会契約である。だが資源国家の国民は、支配者の責任を問うこともできず、略奪の分け前を手に入れようとするだけの存在に成り下がってしまう。このような状態は、サウジアラビアの王族やカスピ海沿岸諸国の絶対的指導者など、専制君主にとって理想的な財政システムを生み出す。生涯にわたりアフリカの貧困の原因を研究しているオックスフォード大学の教授ポール・コリアーは、収集したデータを見ると、さらにいっそう悪質な影響があることがわかるという。「資源の呪いでいちばん怖ろしいのは、民主主義がうまく機能しなくなることだ」

 資源がない国では、政府の財源は基本的に国民の労働・納税だ。
 国民が政府に反旗を翻し、労働や納税をボイコットしてしまえば政府もまた倒れる。だから政府は国民の声を完全に無視することはできない(いくらかは無視するけど)。

 だが資源国家はそうではない。国民の労働や納税がなくても外国企業から入ってくる金があれば豊かな暮らしができる。
 たとえば産油国であるアラブ首長国連邦には普通選挙がない。石油収入で成り立っているから国民の声を拾いあげる必要がないのだ。




 日本は天然資源が少ないと言われている。石油もガスも鉄鉱石もほぼ100%輸入している。最近でこそ日本近海にメタンハイドレートが埋もれていることがわかったなどと言われているが、まだまだ採取や実用化には至っていないようだ。

 アラブ首長国連邦は教育費も医療費もほぼ無料で税金もないと聞いて「資源が豊富な国はええなあ」と感じていたが、『喰い尽くされるアフリカ』を読むと、日本にたいした資源がなくてよかったんだろうなと感じる。

 もしも資源が豊富な国だったら、幕末あたりか、太平洋戦争後にきっと外国に占領されていただろう(まあ資源が豊富だったら太平洋戦争を起こさなかった可能性もあるが)。
 太平洋戦争後にアメリカかソ連に占領されていたんじゃないだろうか。(村上龍 『五分後の世界』がまさにそういう世界を書いた小説だ)。
 もしくは、今頃中国に攻めこまれているかもしれない。
 大した資源がない(あっても豊かな水や温暖な気候など輸出しにくいもの)おかげで、今も独立国の地位を保っているのかもしれない。




 中国の対アフリカ貿易額は、2002年には約130億ドルだったが、10年後には1800億ドルになり、アメリカの対アフリカ貿易額の3倍になったそうだ。

 中国が経済成長したからというのもあるが、他にも理由はある。

 先述したように、資源によって急激に潤うと政権は独裁状態になりやすい。内戦により、政府軍が民間人を虐殺するようなケースもある。アンゴラのように。
 すると欧米諸国は政府軍の行動を非難し、経済制裁のため貿易を停止する。すると政府は困ってしまう。資源が輸出できないし、外国のものが入ってこなくなるのだから。

 そこに中国企業が入りこむ。うちは気にしませんよ。取引しますよ。
 困っている政府は飛びつく。中国は資源が手に入る。winnwinnだ。殺される国民以外は。

徐京華は、国際社会からのけ者にされ、誰もビジネスをしたがらない政府を見つけ、その政府に天然資源を現金に変える既存のテクニックを提供するのだ。軍事クーデターにより設立された政府は「資金に飢えている」とティアムは言う。「彼らはそんなときに近づいてきてこう言う。『ほかの誰も資金を出してくれないのなら、私たちが出そう』国家の利益や自分自身の権威が危機に瀕していれば、その資金を受け取るに決まっている」

 しかしことさらに中国を非難する気にもなれない。
 欧米がやってたことを中国がやってるだけだから。日本だってアジア諸国でやろうとしてたことだし。




「資源があることがかえって経済成長の妨げになる」という話はすこぶるおもしろかったのだが、後半は疲れてしまった。

 アフリカの様々な国のケースが紹介されるのだが、国はちがえどやってることはほとんど同じだし、固有名詞がどんどん出てくるので関係を追っていくだけで疲れてしまう。
 新聞記者だけあって、新聞記事みたいな文章なんだよね。とにかく関係者の名前とかを丁寧に書いている。調べたことは全部書いている。司馬遼太郎の文章みたい。
 こっちは捜査官じゃないからすべての情報を知りたいわけじゃないんだよ。

 というわけで後半は飛ばし読み。
 一応最後まで目を通したけど、前半だけで十分だったな……。


【関連記事】

【読書感想文】自由な競争はあたりまえじゃない / ダロン・アセモグル & ジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』

表現活動とかけてぬか漬けととく/【読書感想エッセイ】村上 龍 『五分後の世界』



 その他の読書感想文はこちら


2021年5月12日水曜日

ツイートまとめ 2020年9月


時空のねじれ

パトロール

レインボーマウンテン

シベリア超特急

指定校推薦

優しさ

ファービー

ニコリの思い出

香港警察

クラウチングスタート

AI

枕草子

核心

裏切り

ジャーマン

PTA

暴力団



ナス

胴長

入場制限

偏見

2021年5月11日火曜日

【読書感想文】自殺の影響力 / 重松 清 『十字架』

十字架

重松 清 

内容(e-honより)
いじめを苦に自殺したあいつの遺書には、僕の名前が書かれていた。あいつは僕のことを「親友」と呼んでくれた。でも僕は、クラスのいじめをただ黙って見ていただけだったのだ。あいつはどんな思いで命を絶ったのだろう。そして、のこされた家族は、僕のことをゆるしてくれるだろうか。吉川英治文学賞受賞作。


 いじめを苦に自殺した中学生。彼の遺書には、いじめをおこなった三人のうち二人だけの名前と、想いを寄せていたであろう女の子の名前、そして「親友」として僕の名前が書かれていた。僕は中学校に入ってからは彼とほとんど交流を持っていなかったのに……。


 という話。
 自殺した少年から「親友」と名指しされたせいで、周囲から同情され、少年の父親からは「親友ならなぜかばってやらなかった」と恨まれ、少年の母親からは「亡き息子の親友」として過剰にもてなされ、記者にはつきまとわれ、そのせいで事件のことを忘れることもできずに「十字架」を背負いつづける主人公。

 これはきついよなあ。もちろん「いじめの加害者」として名指しされるのもきついが、まあそれは自業自得だし、「おれのせいじゃないよ」と開き直ることもできるかもしれない。
 でも「親友」や「好意を寄せられていた相手」は、そんなんじゃないよと否定することもできない。忘れたいのに忘れられない。


 高校の同級生だったО君という子が卒業後まもなく自殺したらしい。理由は知らない。卒業後なんでいじめとかではないだろう。
 ぼくとO君はほとんど接点がなかった。同じクラスどころか隣のクラスになったことすらない。唯一の思い出は、高一のときにいっしょに文化祭をまわったこと。それもぼくと友人のNが歩いているところにO君も加わったってだけで、二人きりで話したことは一度もない。
 それでも、O君が自殺したと聞いたときは「ぼくにもなんとかできたんじゃないだろうか」「あの文化祭の後にもっと仲良くしてたらひょっとしたらO君は自殺せずに済む道を歩んでたかも……」とか考えてしまった。たった数時間話しただけなのに、責任の一端を背負いこんでしまった。

 もちろんぼくはいつまでもO君のことを考えたりせず、数年に一度思いだすだけなんだけど。
 しかし数時間話しただけの人間にもこうして後悔の感情を与えることができるのだから、自殺という行為の与える負の影響力はすごい。友人や家族だったらその影響は計り知れないだろう。


 ところで今思いだしたんだけど、昨年ぼくのいとこも自殺した。
 自分でも驚くことに「身近な人の自殺」を思い浮かべたとき、ぼくはいとこのことを完全に失念していた。ここ二十年ぐらい会っていなかったとはいえ子どもの頃はよく遊んだいとこ(しかも亡くなったのはたった一年前)よりも、たったひとつの思い出しかなくてしかも二十年も前に亡くなったO君のほうを先に思いだした。びっくりだ。

 こっちの感受性の問題だろうか。
 O君の自殺を知ったのは十八歳のとき。いとこの自殺を知ったのは三十代。感受性が衰えているのかもしれない。

 この感受性の衰えは、いいことなのか悪いことなのか。




 いじめについて。
 ぼくはいじめられたという記憶はない。そりゃ殴られたとか悪口を言われたとかはいくらでもあるが、基本的に殴りかえしたし十倍にして言いかえした。たぶん悪口を言われたことより言ったことの方が多い。
 どっちかっていったらいじめっ子側だ。恥ずかしい話だけど、男子の集団でひとりの女子に嫌がらせをしたこともある。「どっちかっていったら」なんて言い訳をしてしまったけど、完全にいじめっ子だな。

 暴力を振るったり金品を要求したりということはないが、ばかにしたり、無視を決めこんだりは何度もやった。
 傍観者だったことなんて多すぎて覚えていないぐらい。誰かがいじめられているのを止めた、なんてことは一度もない。

 いじめの相手が自殺したり登校拒否になったりといったことはないが、それはたまたま相手が強かっただけで、相手やタイミングによってはそうなってもおかしくなかった。

 そんな極悪非道のぼくでも、自分が親になると「我が子はいじめとは無縁でいてくれ」と願う。なんと勝手なことだろう。


 しかしいじめはなくならない。
 教師の力量とか学校の体制とかそういうことじゃなくて、もう絶対になくならないとおもう。特に中学生のいじめが深刻化しがちだけど、中学生にかぎらず人間ってのはいじめをする生き物なんだとおもう。狭い集団で閉じこめておいたら必ずいじめをする。大学でも会社でも軍隊でも老人会でもある。
 ただ、大きくなるにつれて居場所や選択肢が増える。嫌なやつからは遠ざかる、嫌な集団からは抜ける、そういったことができるようになる。
 小中学生には逃げ場が少ない。クラスは自分で選べないし、部活もやめづらい。だからいじめが深刻化するんだろう。

 とはいえ。
 今はインターネットがある。物理的な距離を超えて、いろんなコミュニティに所属できる。中学生でもたいていのスペースにはいける。
「ネットいじめ」なんてのも問題になってるけど、インターネットの発達はこといじめに関してはプラスの要素の方がずっと多いんじゃないかな。
 いじめ自体をなくすことより、逃げ場所をつくることのほうがずっと大事だとおもう。


【関連記事】

【読書感想文】墓地の近くのすり身工場 / 鳥居『キリンの子 鳥居歌集』

【読書感想文】サンプル数1もバカにできぬ / 雨宮 処凛『ロスジェネはこう生きてきた』



 その他の読書感想文はこちら


2021年5月10日月曜日

男と女の外遊び

 週末は公園で遊ぶ。
 娘と、その友だちと。
 多いときだと十五人ぐらいの子どもと遊ぶことも。
 何か月か前、子ども十二人+おっさん一人でけいどろをした。

 子どもたちの成長とともに遊びも変わってきた。
 四~五歳のときはおにごっこ、かくれんぼ、自転車に乗るなど単純な遊びが多かったが、小学二年生になった今ではドッチボール、缶けり、けいどろなどちょっと複雑なルールのゲームをするようになった。

 二年生になると、男女別で遊ぶことが増えた。
 少し前までは男女みんなでわいわい遊んでいた。今もいっしょに遊ぶが、気づくといつのまにか男グループ女グループに分かれている。

 ただぼくらの時代とちがうのは「好きな遊びがそれぞれちがうから別々に遊ぶ」だけで、「男なのに女子と遊ぶなんて恥ずかしいぜ」みたいな雰囲気はぜんぜん感じないことだ。
 四年生ぐらいの子でも男女混成でドッチボールをしたりしているのをときどき見るから、時代は変わったんだなあ。ぼくが小学四年生のときなんて休みの日に女子と遊ぶなんてめったになかった。


 時代が変わったと感じる一方で、男の子が好む遊び、女の子が好む遊びは昔とあまり変わらない(公園での遊びに関しては)。

 男子はドッチボールやサッカー、女子は鉄棒や縄跳びや長縄飛び。
 ぼくが小学生のときとほとんど変わらない。
 男子はやっぱり戦いが好き。はっきり勝ち負けをつけたがる。
 女子は争いを避ける。ひとりで技を磨いたり、みんなで協力する遊びが好き。これはもう生まれもっての性差なんだろうな(個人差あります)。

 ぼくは縄跳びも鉄棒も嫌いだった。苦手だったし。
 でも女子は鉄棒好きだよね。地上にいるより鉄棒にとまってる時間のほうが長いんじゃねえかっていうスズメみたいな女の子いるもんね。ずっとくるくる回ってる。
 やっぱあれかね。男子はちんちんがあるから鉄棒苦手なのかな。

 一方ドッチボールなんかははっきりと男女差がつきはじめる。
 ドッチボールって、苦手な子にとってはぜんぜんおもしろくない遊びなんだよね。ただボールをぶつけられるだけだもん。ぶつけられたらあとはほとんどやることないし。苦手→嫌いになる→ますます苦手になるの悪循環。
 けいどろだったら、足の遅い子でも助けてもらえたり、はさみうちによって敵をつかまえたりできるからみんな楽しめるんだけどね。


 他方、男子も女子も大きい子も小さい子も運動が得意な子も苦手な子も熱くなる遊びがある。
 リレーだ。

 まず、ルールがとにかくわかりやすい。三歳でもわかる。

 それから、走るのが遅い子でもがんばろうという気になる。遅い子が縮めた一秒と速い子が縮めた一秒は同じ価値を持つ。
 ドッチボールやサッカーは、何もしない人がいてもチームが勝つことはあるが、リレーだと何もしない人がいるチームは確実に負ける。だからみんながんばる。

 あと、ゲームバランスを調整しやすい。
 速い子と遅い子を同じチームにしたり、遅いチームは人数を減らしたり、速い子は二周続けて走らせたり、小さい子は半周前からスタートさせたり。
 さらに大人(主にぼく)が入ることでより調整がしやすくなる。差がつきそうなときは本気で走ったりわざとスピードを落としたりして、接戦になるように調整する。
 あからさまに手を抜いて走ると同じチームの子らから怒られるので、一生懸命走っているふりをしながら上手に手を抜かなくてはならない。わざと大回りをしたり。接待リレーだ。

 リレーはおもしろい。誰もが熱くなる。だからドラマが生まれる。
 箱根駅伝が何十年にわたって人気コンテンツでありつづけるのもよくわかる。


2021年5月7日金曜日

【読書感想文】闘争なくして差別はなくせない / 荒井 裕樹『障害者差別を問いなおす』

障害者差別を問いなおす

荒井 裕樹

内容(e-honより)
「差別はいけない」。でも、なぜ「いけない」のかを言葉にする時、そこには独特の難しさがある。その理由を探るため差別されてきた人々の声を拾い上げる一冊。


 少し前に、ある車椅子ユーザーのブログ記事がちょっとした話題になった。話題というか、どっちかというと「炎上」だ。
 経緯はこうだ。

 車椅子ユーザーI氏がJR小田原駅からJR来宮駅まで行こうとするも、JR職員から「来宮駅は階段しかないので案内できない。途中の熱海までにしてほしい」と伝える。I氏がバリアフリー法や障害者差別解消法を根拠に「駅員3、4人で車椅子を持ちあげて階段を移動してほしい」と伝えるも、駅員は拒否。だが熱海まで行くと、駅員が4人待機していて階段移動を手伝った。
  I氏はこの経緯を「JRで車いすは乗車拒否されました」というタイトルでブログ記事として公開、さらに新聞社にも連絡をして取材をしてもらった。

 この件に対して「車椅子ユーザーが抱えている社会的障壁が明らかになった」など評価する声も上がる一方、「事前に連絡すべき」「JRという会社に言うならともかく、現場の駅職員に迷惑をかけるのはおかしい」「そもそもこの人はJR職員」といった批判の声も上がった。

 数年前ならぼくも「車椅子での移動を駅員に手伝ってもらいたいなら事前に言っておけよ! 特別な対応を望むなら極力駅員に迷惑がかからないようにしたほうがいいんじゃない?」っておもってただろう。

 でも、昨年読んだ伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』のこの文章を読んで、身体障害に対するぼくのとらえ方は少し変わった。。

 そして約三十年を経て二〇一一年に公布・施行された我が国の改正障害者基本法では、障害者はこう定義されています。「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」。つまり、社会の側にある壁によって日常生活や社会生活上の不自由さを強いられることが、障害者の定義に盛り込まれるようになったのです。
 従来の考え方では、障害は個人に属していました。ところが、新しい考えでは、障害の原因は社会の側にあるとされた。見えないことが障害なのではなく、見えないから何かができなくなる、そのことが障害だと言うわけです。障害学の言葉でいえば、「個人モデル」から「社会モデル」の転換が起こったのです。
「足が不自由である」ことが障害なのではなく、「足が不自由だからひとりで旅行にいけない」ことや「足が不自由なために望んだ職を得られず、経済的に余裕がない」ことが障害なのです。

 車椅子に乗らないといけないことが障害ではなく、「車椅子だと他人に手伝ってもらわないと移動できない」ことが障害だとする考え方だ。
 眼鏡やコンタクトレンズがあれば近視の人が障害者でないのと同じように、エレベーターやスロープがどこにでもあって車椅子での移動にほとんど不自由を感じない社会になれば「車椅子に乗らないにいけない人」は障害者ではなくなる、という考えだ。

 この考え方を知っていたから「これは脊髄反射的に是非を判断してはいけない問題だぞ」とおもった。
「駅員の手を煩わせた」という一点だけを見れば、たしかにI氏の行為は批判されるべきものだ。だがその行為を批判すべき前に「なぜI氏は駅員の手を煩わせる必要があったのか」を知るべきだ。

 ということで『障害者差別を問いなおす』を手に取った。




 とても勉強になった。
 そして、いかに我々健常者の認識が進歩していないかを。

 I氏の一件に対して「この人はクレームを言うのが目的だろ」という指摘がたくさんついていた。
「むやみに敵を作っても賛同者は集まらない。もっとスマートなやりかたがあるだろ」という立場だ。ぼくもかつてはこの立場だった。

 だが『障害者差別を問いなおす』を読んでわかった。I氏をはじめとする障害者が批判しているのは、まさにおためごかしに「むやみに敵を作っても賛同者は集まらない。もっとスマートなやりかたがあるだろ」という人たちなのだ。


 この本は『障害者差別を問いなおす』というタイトルではあるが、書かれているのは障害者差別全般の話ではなく、主に「〝青い芝の会〟の運動の歴史」である。

「青い芝の会」とは、脳性マヒの人たちによる障碍者団体。特に「神奈川青い芝の会」は激しい社会運動により1970年前後には多くの話題を集めた。

「青い芝の会」の行動綱領を読むと、その主張の激しさに驚かされる。

一、われらは愛と正義を否定する
 われらは愛と正義の持つエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且、行動する。
一、われらは問題解決の路を選ばない
 われらは安易に問題の解決を図ろうとすることがいかに危険な妥協への出発であるか、身をもって知ってきた。「われらは、次々と問題提起を行なうことのみ我等の行いうる運動であると信じ、且、行動する。
一、われらは健全者文明を否定する
 われらは健全者の作り出してきた現代文明が、われら脳性マヒ者を弾き出すことによってのみ成り立ってきたことを認識し、運動及び日常生活の中からわれら独自の文化を創り出すことが現代文明への告発に通じることを信じ、且つ行動する。

 彼らが目指したのは「健常者に居場所を与えてもらう障害者」ではなかった。障害者だからといって不自由を感じることがあってはならない、たとえ車椅子に乗っていても歩ける人と同じ暮らしができる世の中をつくるために闘うことだった。

 そのための活動のひとつが、1977~1978年におこなわれた「川崎バス闘争」だ。車椅子利用者が乗車するときには「介護人の付き添い」「車椅子を畳んで座席に座ること」を求めたのに対し、青い芝の会は「ひとりでも乗れるようにすること」「座り慣れた車椅子のまま乗車できるようにすること」を要求し、強引にバスに乗車したり、バス会社と揉めた結果バスの窓ガラスを割るなどしてバスの運行をストップさせたりした事件だ。

 これを読むと、前述のI氏の一件や、2017年に起きたバニラ・エア騒動(車椅子利用者がバニラ・エアの航空機を利用する際に車椅子に乗ったままの搭乗を拒否されたことに対して抗議した)などはなんと穏便なことだろうと感じる。

「車椅子での乗車を拒否されたから力づくでバスの運行を妨害する」と聞いて、どう感じるだろう。
 ほとんどの人は「もっと紳士的なやりかたがあるだろうに」と感じるだろう。ぼくもやはりそうおもった。「いくらなんでもそれは無茶だよ」と。
 だが「青い芝の会」が痛烈に批判したのは、まさにそういう人なのだ。

「むやみに敵を作っても賛同者は集まらない。もっとスマートなやりかたがあるだろ」の人たちは一見障害者に対して理解があるようでじつは完全に障害者を下に見ている。その自覚すらない

 それは「健常者からかわいがられる障害者になりなさい。そしたら我々が持っている権利の一部を障害者にも分け与えてあげよう」という立場なのだ。
「女の子はにこにこしてたほうがいいんだよ。愛嬌のある子のほうがみんなから好かれるよ」
というのと同じで、対等なものとは見ていない。言葉は悪いが、ペットと同じ扱いだ。


 この「川崎バス闘争」を読んで、ぼくは高校生のときに英語の教科書で読んだモンゴメリー・バス・ボイコット事件を思いだした。
 白人と黒人で座席が分かれていたアメリカで、ローザ・パークスという黒人女性が黒人優先席に座っていた。運転手から白人のために席を空けるように指示されたパークスが拒否し、警察に逮捕された。これに抗議するためにキング牧師がバスのボイコットを呼びかけ、さらには人種隔離政策に対する違憲判決につながった。

「川崎バス闘争」はまさに「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」と同じだとぼくはおもう。
 今、多くのバスでノンステップ型が採用され、車椅子やベビーカーのまま乗れるのがあたりまえになっている。ぼくも子どもが小さかったときはベビーカーを押して移動したからお世話になった。これは「青い芝の会」をはじめとする先人たちの闘いがあったからこそ享受できている利便性ではないだろうか。


 アメリカでは黒人が奴隷扱いを受けていた。だが多くの人の闘争により、奴隷から解放された。
 もしも黒人たちがずっと「白人のご主人様に立ち向かってたら、嫌われるだけだよ。嫌われないようにもっとうまくやらなくちゃ」というスタンスだったなら、きっと今でも「昔よりは若干待遇のよくなった奴隷」のままだっただろう。

 人権が制限されるかもしれない状況というのは、いってみれば「生きるか死ぬかの瀬戸際」だ。どんなことをしてでも人権を守らなければならない。たとえ暴力を使ってでも。
 暴漢に喉元にナイフをつきつけられている人に「暴力で抵抗するのは良くない。もっとスマートなやりかたをとるべきだ」と言えるだろうか。人権が制限されている人の闘争に「もっとスマートなやりかたを」というのは、それと同じことだ。




 先述のI氏も、バニラ・エア事件を引き起こした車椅子男性も、バスの運行を妨害した「青い芝の会」も、おそらくわざと事を荒立てたのだろう。
 あえてトラブルになるような方法を選んで。

 だが、これを「クレーマー」の一言で片づけてはいけない。事を荒立てないと、一部の人の人権を制限し、制限していることにすら気づかない社会にこそ問題があるのだ。

 横田弘は一九七〇年の時点で、〈今の我々は、相手に理解されようとする事よりも、むしろ相手に拒否される事が大切なのではないか〉と述べています(「メーデー会場にて」)。
 そもそも「他人を理解する」とは、その他人が自分とは異なる存在であることを認めるところからはじまります。「相手は自分とは異なる存在なのだから、相手のことを勝手に決めてはならない」という最低限の一線を守らなければ「相互理解」など成り立ちません。
「相手のことを勝手に決めてよい理解」は、強者による弱者の支配に他なりません。こうした「理解」は「自分の理解を超える者」「自分が心地よく理解できない者」を必ず攻撃します。
 横田が〈理解〉よりも〈拒絶〉が必要だと感じたのは、「あなたとは異なる存在がここにいるのだ」といったメッセージを発するためだったのだと思われます。真の「相互理解」を築き上げるためには、一度、根底から〈拒絶〉され、「健全者には理解できない障害者」といった像を立ち上げる必要があったのでしょう。
 青い芝の会の運動とは、「健全者」たちから過激だと忌避されるような言動を通じて自己主張しなければ、自分たちの存在などないものとされてしまう立場に置かれていた障害者たちによる闘いだったと言えるでしょう。

 そう、こういう人がいなければぼくらの多くは自分が差別者であることにすら気が付かない。
「すべての駅を車椅子に乗ったまま利用できるようにすると金がかかるから、車椅子ユーザーは前日までに何時に駅に着くので介助よろしくと伝えなければならないのはしょうがないよね」
という差別発言を、それが差別だということに気が付かずに口にしてしまうのだ。

……とはいえ日本にひとりしかいない病気の人でも快適に暮らせるようにするためのシステムをすべての施設に設置すべきかというとさすがにそれは無理なのでどこかで線引きをする必要はあるんだろうけど……。


 この本を読んでつくづくわかる。
 自分はずっと差別をしているのだと。そしてそのことにまったく無自覚であると。
「気が向いたときにふらっと電車に乗れる人と前日までに細かい日時を指定しないと電車に乗れない人がいる」ことを、なんともおもっていなかったことに気づかされる。

 右に引用した横塚晃一の文章を、もう少し細かく見てみましょう。横塚はボランティアたちに対し、〈その社会をつくっているのは他ならぬ「健全者」つまりあなた方一人一人なのです〉と呼びかけています。
「この社会には障害者差別が存在している」という言い方に対して、真正面から反対する人は、おそらく多くはないと思います。しかし、この「社会」という言葉は「大きな主語」の代表格のようなもので、「マジョリティ」はともすると、自分自身が障害者差別を残存させている社会の一員であることを忘れてしまいます。
 その人自身は個別に責任を問われることのない安全地帯から、「社会」という抽象的な存在に責任を押しつけるような発想に対して、横塚晃一は釘を刺そうとしているのです。彼は「健全者」という言葉を使うことによって、〈あなた方一人一人》へと呼びかけます。〈あなた方一人一人〉が、障害者と対立的な位置にいる「健全者」なのであり、そうした「健全者」がこの社会をつくっているのだと訴えているのです。

 恥ずかしながら、ぼくもこのブログで「○○は社会の問題だ」「国が救わなくてはならない」なんてものの言い方をしていた。
 そこにはまったく当事者意識がなかった。無意識に「ぼく以外の誰かがなんとかしてくれ」とおもっていた。
 そのことにも気づかず、自分は他人を思いやることのできる想像力豊かな人間だとおもっていた。とんでもない。いちばん無責任なのはぼくじゃないか。



 かつてぼくは「障害を持った児童は基本的に特別支援学校に入れたほうがいい」とおもっていた。もちろん自分の子どもに障害があれば、特別支援学校に入れるつもりだった。
 そちらのほうがよい教育を受けられるとおもったから。

特別支援学校とプロの仕事について

 だが、この文章を読んで自信がなくなった。

 これについては、各種障害者団体、障害児をもつ親の会、医療・福祉・教育関係者の団体などの間で激しい議論が交わされました。障害のある子どもは養護学校のような場所で、障害児教育の専門家から個性に合わせた特別な教育を受けた方がよいという立場と、障害のある子どもも、障害のない子どもたちと同じ場所で共に教育を受けた方がよいという立場がぶつかり合いました(前者のような考え方を「発達保障」、後者のような考え方を「共生・共育」と言いました)。
 養護学校義務化に対して、特に強硬に反対を唱えたのが青い芝の会でした。養護学校は障害児を地域の人間関係から隔離・排除することになるとして、全国の青い芝の会が一丸となって反対運動を展開したのです。その運動は、障害児の転入学を拒否した小学校への抗議行動や、文部省や各県教育委員会への座り込みなど、激しい実力行使を伴いました。

 ふうむ。
 少なくとも「ぜったいに特別支援学校のほうがいい」とは言えないかもしれない。だからといって青い芝の会のように「ぜったいに特別支援学校がダメ」とも言えないとはおもうけど。
 中学生ぐらいだったら自分で決めたらいいんだろうけど。でも六歳児には決められないよなあ。どっちがいいんだろう。ぼくの中でまだ答えは出ない。


【関連記事】

【読書感想文】障害は個人ではなく社会の問題 / 伊藤 亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

【読書感想文】虐げる側の心をも蝕む奴隷制 / ハリエット・アン ジェイコブズ『ある奴隷少女に起こった出来事』



 その他の読書感想文はこちら


2021年5月6日木曜日

屁は貨幣経済から完全に自由

「女は結婚相手を経済面で選びすぎ!」
みたいなことを言われるじゃない。批判的に。

 ぼくもそうおもってた。金じゃないだろ。もっとあるだろ。ほら、顔とか、見た目とか、容姿とか、器量とか、ルックスとか(全部いっしょだった)。

 しかし自分が結婚して、どうにかこうにか十年ほど結婚生活を続けて、いややっぱり経済面ってすごく大事だなとおもう。


 といっても、貯金額とか年収いくら以上とかそんな話でもない。どっちかっていうと、金銭感覚かな。
 週末の外食にいくらまで出せるとか、年に一度の旅行だったらどのクラスのホテルに泊まるかとか、どこのスーパーで買い物するかとか、自販機でジュースを買うのはありかなしかとか。

 そういう感覚が夫婦間で大きくずれてたらしんどいだろうなとおもう。夫婦でずれていれば当然嫁姑間でもずれるだろうし。

「釣りあわぬは不縁のもと」という言葉がある。
 身分のちがう男女が結婚してもうまくいかない、という意味だ。
 現代人の感覚からするとすごく差別的で、ぼくは古典落語以外でこの言葉を聞いたことがない。でも、だいたいあっているとおもう。人々の経験則はだいたい正しい。
 金銭感覚のちがう人と長く付き合っていくのはしんどい。深い愛で一時的に乗りこえたとしても、高まった愛を持続するのは難しい。

 結婚生活においていちばん重要なのは「楽なこと」だ。
 お互いに無理をしなくてもつきあっていけること。
「家の中では盛大に屁をこきたい人」と「家の中であっても他人の屁の音を聞かされるのは我慢ならない人」が一緒に暮らすのであれば、どちらかが我慢しなくてはならない。
 まあ屁ぐらいなら我慢できるかもしれないが、金はあらゆることに関わるので(ただし屁以外。屁は貨幣経済から完全に自由だ)、金銭感覚がちがうとあらゆる面で我慢する必要がある。
 ぼくは一円でも安いものを買わないと気が済まない人とは暮らせないし、五百円のランチを「そんな安い味のもの食べられない」と拒絶する人とはたとえその人の年収が一億円であっても暮らせない。


 妻や友人など、長く付き合っている人はだいたい似たような経済感覚を持っている。二十年来の友人が何人もいるが、みんな同じぐらいの裕福さの家庭で育ち、今も同じぐらいの稼ぎで暮らしているとおもう。もちろん「いくら稼いでんの?」なんて聞かないけど、でもまあだいたいの想像はつく。
 逆に、やたらと羽振りがいい人とは自然と疎遠になる。これは単純な収入の話ではない。同じ会社の同年代の社員であっても(つまり給与はだいたい同じ)昼飯にいくらかけるかは人によってちがう。結果、近い感覚の人と親しくなる。
 楽なんだよね。お互いに。ストレスや気遣いを抱えなくて済むので。


 だから「女は経済的な条件で結婚相手を選びすぎる!」というよりむしろ「男が経済状況で選ばなさすぎる!」だとおもう。そこがいちばん気にすべきところでしょ。
「女は経済的な条件で結婚相手を選びすぎる!」というのは、「就職する会社を給与で選ぶな!」「ビールを味で選ぶな!」みたいなことやで。


2021年5月1日土曜日

【読書感想文】冷しゃぶサラダのような漫画 / 和山 やま『カラオケ行こ!』

カラオケ行こ!

和山 やま

内容(e-honより)
毎週火曜と金曜は、フリータイムでカラオケ地獄。合唱部部長の中学生と歌が上手くなりたいヤクザの変な友情物語!描き下ろしも収録!

 上質なコメディ漫画。おもしろかった。

 合唱部の部長である聡実くんは、コンクールの後でヤクザの狂児に拉致される。連れてこられたのはカラオケ店。組長が主催するカラオケコンクールで最下位だと、刺青が好き(だけど絵心がない)な組長に刺青を入れられるという。はじめはおびえていた聡実くんだったが、徐々に狂児への指導に熱が入っていき……。

 というむちゃくちゃな設定。むちゃくちゃなんだけど、最初のぶっとんだ設定以外は地に足がついている。「この立場に置かれたらこうするかもしれないな」という行動を登場人物たちはとる。みんな、ほんとはいないけど、だけどどこかにはいそうな人たちだ。

 笑わせたるでえ! みたいな感じではなく、まじめにおかしなことをやっているのがいい。登場人物みんなまじめだからね。カラオケ大会を主催する暴力団組長も、カラオケ大会に必死になる組員も、中学生に歌を教えてもらおうとする組員も、なんだかんだ言いながらちゃんと教えてる中学生も、みんなふざけてない。でもどこかずれている。

 この漫画を読んだ妻は「『動物のお医者さん』みたい」と言っていが、ぼくは同じ佐々木倫子の『Heaven?』や忘却シリーズ(『食卓の魔術師』『家族の肖像』『代名詞の迷宮』)に似ているとおもった。常識人で主張は強くないが自我のしっかりした主人公と、悪気なく周囲に迷惑をかけるパートナー。
 そうおもうと、聡実くんが将来の伊賀くんなんじゃないかとおもえてきたぞ。



 登場人物がみんななめらかな関西弁を話すので作者も関西出身者かとおもったら沖縄出身なんだそうだ。意外。

 こてこてのヤクザ+こてこての関西弁なのに、なぜか上品な仕上がり。ふしぎな味わい。冷しゃぶサラダみたいな漫画だ。豚肉がこんなにさわやかな料理になるなんて。


【関連記事】

【読書感想文】女子校はインドだ/ 和山 やま『女の園の星』



 その他の読書感想文はこちら