2017年12月31日日曜日

かっこいいおごりかた


人にご飯をおごるのってむずかしいよね。
たまに後輩におごることがあるんだけど、スマートにおごることができない。おしつけがましくなく、相手に気を遣わせないようにおごることができたらいいんだけど、どうやったらいいのかわからない。
「おごるよ」とストレートに言うのはなんだか照れくささがあって、「あっここはぼくがモゴモゴモゴ……」みたいな感じでなんとなく言葉を濁してしまう。

「知らない間にお会計を済ませている」みたいなのが理想だと思うけど、タイミングがよくわからない。
もうみんな食べ終わったかな? と思っても、追加注文をするかもしれないし。
さりとて「もう会計締めちゃっていい?」と訊くのはスマートじゃないし。
一度、ラストオーダー後にトイレに行くふりをして支払いを済ませたことがある。「よし、今日はスマートにできたぞ」と思った。
でもその後、店を出るときに後輩から「あれ? お会計は」と訊かれ、「もう済ませたよ」というのが気恥ずかしくて「まあそれはいいじゃないモゴモゴモゴ……」みたいな感じでそそくさと店を出たせいで、食い逃げみたいになってしまった。ダセえ。

体育会系から遠い人生を送ってきたし、女性との交際経験もあまりないから、おごりおごられってのに慣れてないのよね。





これはスマートだ、と思ったおごりかたを見たことがある。

大学生のとき、三学年上の先輩と食事に行った。
店を出るときに財布を出すと「いや、いいから」と言われた。
「じゃあ千円だけ……」というと、先輩が言った。

「あほか。おまえみたいなしょうもないやつに払わせられるか」

おお、かっこいい。
冗談にくるんでいるので恩着せがましさがまったくない。

さらにその後べつの先輩が「おれもしょうもないからおごってー」と言い、「いいや、おまえは立派なやつや。だから金を出せ」と返したところまで含めて、かっこよかった。


ぜひまねをしたいと思い、一度自分がおごるときに後輩に「おまえみたいなしょうもないやつに金を出させられるか!」と言ったところ、後輩が「あっ、はい、すみません……」と半分本気にとってしまい「あっ、うそうそ冗談」とあわてて取りつくろい、変なかんじになってしまった。
言う人のキャラクターもあるんだろうなあ。兄貴肌の先輩だったからかっこよかったんだけど、ぼくが言うとただの悪口になってしまう。
ということでその技は、それ以来使っていない。

2017年12月28日木曜日

2017年に読んだ本 マイ・ベスト12


2017年に読んだ本は、このブログに感想を書いているものだけで約百冊だった。
その中のマイ・ベスト12を発表。ベスト10にしようと思ったけど、どうしても絞り切れずに12作になってしまった。

なるべくいろんなジャンルから選ぶようにしました。
順位はつけずに、読んだ順に紹介します。

こだま 『夫のちんぽが入らない』

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私小説。
同人誌版を以前に読んでいたので「2017年に読んだ本」に含めるかどうか迷ったけど。
でも書籍版では大幅に加筆されて内容もさらに良くなっていた。プロの編集者ってすごいんだなあ。

タイトル含め今年大きな話題になった本だけど、やっぱりいいタイトルだ。タイトルでぎょっとするけど、内容を読むと「これでも穏便なほうだ」と思う。



前川 ヤスタカ 『勉強できる子 卑屈化社会』

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ノンフィクション。
なぜ「勉強できること」を後ろめたく感じてしまうのか、について論じた本。
元・勉強できる子としては「学生時代に読んでおきたかった!」と思った。
ぼく自身は生きにくかった、というほどではなかったけど「勉強できるだけじゃないんだぜ」ということを見せようとしてむりにバカなことをしていたフシはあったなあ。



木村 元彦 『オシムの言葉』

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ノンフィクション。
サッカーはほとんど観ないけどこの本はおもしろかった。
ユーゴスラビアという民族紛争を抱えた地域。采配や勝敗によっては殺されかねないという状況で、文字通り"命を賭けて"サッカー・ユーゴスラビア代表の監督をやっていたイビチャ・オシム氏。
この本を読んだ人は、「絶対に負けられない闘いが……」という言葉を恥ずかしくて口に出せなくなるだろうね。



牧野知弘 『空き家問題』

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ノンフィクション。
この先、日本は空き家だらけになり、家は負債でしかなくなる……。という状況について不動産の素人にもわかりやすく解説している。
超高齢化社会にさしせまった恐怖。へたなホラーよりよっぽど怖いぜ。



岩瀬 彰 『「月給100円サラリーマン」の時代』

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ノンフィクション。
あまり語られない戦前~戦中のサラリーマンの生活をいきいきと描写している。
日本史の授業の副読本に使ってもいいんじゃないかと思うぐらいうまくまとまっている。おもしろいし。
サラリーマンが戦争に駆り出されるくだりは、70年後のサラリーマンとしてぞっとした。



伊沢 正名『くう・ねる・のぐそ』

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エッセイ。
屋内でウンコをしないという筆者による、野糞まみれ だらけの一冊。どのエピソードもぶっとんでいるようで、意外とまじめ。
もしかしたらこの人、百年後にはファーブルのような扱いを受けて子ども向けの伝記になっているかもしれないな。



貴志 祐介 『黒い家』

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サスペンスホラー。
後半の殺人鬼に追い詰められるシーンもスリル満載でおもしろいが、なんといっても前半の正体のわからない恐怖がじわじわと迫ってくる描写が見事。
寝る前に読んでいたけれど、「これ中断したら怖くて眠れなくなるやつだ」と思って夜更かしして最後まで読んでしまった。



池井戸潤 『空飛ぶタイヤ』

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小説。
実際にあった横浜母子3人死傷事故を題材に、ホープ自動車(モデルは三菱自動車)と関連会社の腐敗を描いた小説。
三菱銀行の社員だった池井戸潤が書いただけあって重厚。ストーリーはよくある展開なんだけど、圧倒的なパワーで引きこまれてしまった。



ミチオ・カク『2100年の科学ライフ』

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ノンフィクション。
最先端の研究者たちの話をもとに、2100年までに訪れる科学の変化を大胆に予想している。
もしかしたら、ぼくらが「寿命のあった最後の世代」なのかもしれない。



石川拓治 NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」制作班
『奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』 


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ノンフィクション。
農薬を使わずにリンゴをつくる、それだけ(といったら失礼だけど)でこんなに感動するなんて。
木村秋則というたった一人の農家の偉業が、世界中の農業の姿を変える日がくるかもしれないな。わりと本気でそう思う。


高野 誠鮮『ローマ法王に米を食べさせた男』

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エッセイ。
過疎化・超高齢化が進む地域を「UFOの里」「ローマ法王が食べた米の生産地」として有名にした公務員の話。
これを読むと、自分がふだんいかに想像力にふたをして生きているかがわかる。
活力が湧いてくる本だ。



小熊 英二 『生きて帰ってきた男 ――ある日本兵の戦争と戦後』


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ノンフィクション。
まったく無名な男のさしてドラマチックでない生涯を淡々とつづっただけ……なのにめちゃくちゃおもしろい。
戦争ってドラマじゃなくて現実と地続きのものなんだと改めて思わされた。



来年もおもしろい本に出会えますように……。


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2017年12月27日水曜日

まったく新しい形容詞は生まれるだろうか / 飯間 浩明『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』【読書感想】


『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』

飯間 浩明

内容(e-honより)
日々、ことばと暮らす著者が、ことばと向き合い、さらに使いこなす。気になる日本語として「あやまる」と「わびる」の違い、紋切型の表現について、敬語を省略して使う、穏やかに注意する方法のほか、漢字と仮名の使い分け、読点(、)の付け方、辞書の活用法等、多岐にわたって提案。さりげないけれど、知っているとお互い気持ちよく過ごせる表現方法が満載!『三省堂国語辞典』編集委員の著者が探究する、今よりちょっと上の日本語生活。

タイトルと、新書という刊行形態から「辞書編纂者が日本語について考察した本なんだろうな」と思っていたのだが、序盤~中盤はとりとめのないエッセイのような内容だった。
もちろん日本語についての話なんだけど、辞書編纂とは関係のない話も多い。

たとえば……。
いつまでも敬語を使っていたら親しくなれない。かといっていきなりタメ口を使うのは失礼……というときに使える「省略話法や独り言形式を用いて敬語でもタメ口でもないグレーゾーンをつくる」というテクニックについて。

 敬語は他人に向かって使うもので、独り言には表れません。そこで、たとえば、
「ああ、おなかが空いてきた」
 と、誰にともなくつぶやきます。それから、「○○さんは?」とつけ加えれば、敬語も使わず、また、なれなれしくもない言い方になります。
 答えるほうも、「私もおなかが空いております」なんて言わずに、
「そう言えば……。ああ、もうお昼なんだ」
 と、これまた独白体で応じます。以下、動詞の省略を組み合わせながら、
「もしよかったら、一緒におすしか何か(食べにまいりましょう)」
「わあ、うれしい(これも独白体)。じゃあ、ぜひ(お願いします)」

なるほど。
ぼくはいつまでたっても敬語を崩せないから、これはいい手だと感心した。
でもこういうのを意識してやってるからいつまでたってもぎこちない話し方になるんだろうな。コミュニケーションが得意な人はきっと無意識にやってることなんだろうね。

辞書編纂者っていうと「いついかなるときも厳格な言葉の使い方を求める人」ってイメージがあったけど、この本を読むとむしろ逆で、著者は言葉の変化に対してすごく柔軟な人だという印象を受ける。上に挙げた「敬語とタメ口のグレーゾーン」の提唱もそうだし。
いろいろ知っている人が最終的にあいまいな表現に行きつくってのはおもしろいな。初心者にかぎって他人の過ちに厳しいってのは他の業界でもありそうな話だ。

辞書って版を重ねるごとにどんどん改訂しているから、「はじめは間違った用法でもそれが主流派になって伝わるようになるのであればもはや間違いとは言えない」という現実即応的なスタンスを持っていないといけないんだろうね。
「あらたし」が誤用されて「新しい」になったように、誤った言葉もいつかは正しくなるかもしれない。
逆に、かつては正しかった言葉が誤りになってしまうことも。

 2008年の北京オリンピックを前に、当時の福田康夫首相が日本選手団を激励して、
「せいぜい頑張ってください」
 と言いました。この発言が、新聞などでからかい気味に報道されました。
「せいぜい」というのは、「今度のテストはせいぜい70点だろう」というように、あまり高い水準を望めない場合にも使います。記者は、首相が日本選手の活躍に期待していないと受け取ったようです。
 でも、もともと「せいぜい」には「精を出して努力する」という意味があります。「せいぜい頑張ってください」は「十分に頑張ってください」ということです。

ぼくも「せいぜいがんばってください」と言われたら、「どうせ無理だろうけどがんばれよ」という意味だと受け取ってしまうなあ。なるほど、そんな意味もあるのか。
聞いたことのない言葉なら調べるかもしれないけど、「せいぜい」はなまじっか知っている単語だから、ろくに調べることもせずに「こんなこと言うなんて!」と怒る人も多かったんだろうな。ぼくも気を付けよう。

ただまあ、そもそも首相がオリンピックを応援しなきゃいけない理由なんてないから、ほんとに「期待しないけど」の意味で使ったとしても非難される筋合いはないんだけど。
世の中には「日本人はオリンピックを応援しなきゃいけない」と思ってる、"最後の体育祭と文化祭のときだけやたら張りきる迷惑なヤンキー" みたいな人がいるからなあ。




後半は辞書編纂者ならではの話題が多かった。新しい言葉を辞書に載せる基準とか、言葉を説明するのに苦労しているところとか。個人的にはそのへんの話だけでもよかったな。

 昔流行した形容詞が古く感じられることもあります。たとえば、「ナウい」は1979年から流行したことばで、今では「死語」として冗談のネタにされます。
 でも、新しく生み出される形容詞は、数として多くありません。ここ何十年かで一般化したと思われるものを挙げてみても、「ウザい」「エロい」「グロい」「キモい」「チャラい」「ハンパない」……など、一生懸命探して2ケタ程度といったところでしょうか。
 つまり、形容詞というのは、そうそう新しいものが生まれもせず、入れ替わりのサイクルは居たって緩やかなのです。

最近だと、「ゲスい」「エモい」あたりがわりとメジャーになった形容詞かな。
形容詞って、誕生しても定着するのに時間がかかるんだろうな。身体性をともなうから。

たとえば名詞だと客観的な説明ができる。
ドローンを説明するのに身体性や文化の共感はいらない。写真を見せて、こういう形状で空を飛ぶ機械製品がドローンだよ、といえばそれなりに日本語がわかる人であれば老若男女関係なく理解できる。アメリカ人の思い描く「ドローン」も、日本人の「ドローン」もたぶんほぼ同じ。

でも形容詞はそうかんたんには伝わらない。身体的な感覚として実感しないと使えない。
たとえばすごく影響のある人が新しく「ペヌい」という形容詞を使いはじめたとしても、人々がすぐにそれを使いこなせるようになるということはない。
他者が「この巨大化したマリモ、めちゃくちゃペヌいな」と言い、「ああこの巨大化したマリモを見たときに味わう感覚がペヌいか」となってはじめて己の中に「ペヌい」が定着する。
しかし形容詞は感覚的な表現であり、自分の感覚と他者の感覚はまったく同じではないから、「これってペヌい、よね……?」「うんペヌいペヌい」「やっぱりペヌいよね」というすりあわせが必要になる。いったん他者の感覚を想像しないと形容詞を共有することはできない。
これを繰り返して、形容詞は使いこなせるようになっていく。

英語の「beautiful」は「美しい」という意味だということは中学生でも知っている。
でも英語ネイティブスピーカーの言う「beautiful」と日本語話者の「美しい」は同じものなんだろうか。ぼくはちがうと思う。共通している部分が多いけど、でもたぶん少しずれている。ぼくの「美しい」と、八十歳のおじいちゃんが思う「美しい」も、たぶんちょっと違う。

そんなことを考えると、新しく形容詞を作ってそれを共有していくってとんでもなくたいへんな作業だな。
上に挙がっている新しい形容詞にしても、「ゲスい」「エモい」「エロい」「グロい」は「下衆」「エモーション」「エロ」「グロテスク」「チャラチャラ」「半端」といった言葉を用言化したもので、「キモい」「ウザい」はそれぞれ「気持ち悪い」「うざったい」という既にある形容詞の省略形だ。
既にある言葉がベースにあるから受け入れられたけど、まったく新しい形容詞が広範に使われるようになることってあるのかな。
もしかすると、ここ数十年ぐらいのスパンで見ても他の言葉に由来していない「まったく新しい形容詞」ってほとんどないんじゃないの?
「しょぼい」、「せこい」あたりも新しいようで古い言葉に端を発しているらしいし。
「ダサい」ぐらいかな?
(タモリが「ダ埼玉」と言いだしたのが語源、とする説もあるが、実際は順番が逆で「ダサい」+「埼玉」で「ダ埼玉」になったらしく、「ダサい」のほうが古いようだ)
新しい形容詞ってないかと探してみたら、「けまらしい」という形容詞をつくった人もいた(→ リンク)らしいが、ちょっと流行ったものの結局定着しなかったようだ。

うーん、形容詞ってなかなかペヌいな……。



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2017年12月26日火曜日

紙の本だから書けるむちゃくちゃ/島本慶・中崎タツヤ『大丈夫かい山田さん!』


『大丈夫かい山田さん!』

中崎タツヤ(漫画) 島本慶(文章)

内容(e-honより)
酒に歌えば女を想う。漫画界の鬼才と特殊分野ルポライターが織りなす哀愁と含み笑いのオヤジ劇場。疲れたあなたのココロにしみわたる大傑作!

中崎タツヤの漫画に惹かれて買った本。島本慶という人のことはまったく知らなかった。
五十歳をすぎてから歌手になったという人で、"舐達磨親方" 名義で風俗記事を書いたりもしていたとか。つまりわけわかんない人ですね。"舐達磨親方" は西原理恵子の漫画にときどき名前が出てくるので聞いたことだけはあった。


エッセイはキレが良くない。とりとめのない話をひたすらだらだらと書いている。ザ・酔っ払いの話って感じ。
役に立つ知識は得られないし、人生に大きな示唆を与えてくれるような話もない。でもまあそういうものだと思えばこっちも「本は読みたいけど頭は一デシベルも使いたくないな」ってときに開けばいいから気楽に読める。

正直ほとんどのエッセイはつまんないんだけど、ときどきすっごく乱暴な持論を展開しているのがおもしろい。

 それと、高田馬場の栄通りを突っ切った先の、神田川沿いにある自転車置場あたりでも遠く後ろの方から「コラァ! ここは禁煙だぞぉコラコラコラァ!」と、新宿区に雇われたオッサンが怒鳴りまくります。本当に柄の悪い奴です。私は振り返って、冷静な態度で紳士的に、「あっ私、携帯の灰皿をこのように片手に持ってますから」と話しながら灰皿を上に持ち上げて見せます。オッサンはキョトンとして、眉をしかめながら黙りこくりました。その表情には、ほんの少しだけ「そういうこっちゃねぇんだよぉ!」って感じが見てとれましたが、そんなの無視です。私は心の中で「ジャカッシャイ! テメェこのカス、ワシがどこでタバコを吸おぅとワシのかってじゃあ! 文句あんなら警察でも何でも読んだらんかいワレェ!」と心の中で叫びつつ、あくまで紳士的に遠ざかったのでした。いやぁ本当に柄の悪い奴多いですよ、禁煙関係者は。

ふはは。イカれてるなあ。
完全に禁止区域でタバコ吸ってるおまえが悪いじゃねえか。
酔って書いたんだろうなあ。”心の中で「……」と心の中で叫びつつ” とか文章もおかしいしな。校閲してないのかな。


かつて人々が文章を発表する手段として書籍や新聞しかなかった時代。何人ものチェックが入るから、むちゃくちゃなことは書けなかった。
インターネットの普及によって誰でもかんたんに自作の文章を発表できるようになりどんな乱暴なことでも自由に書けるように……とはならなかった。残念ながら。
いや、昔のインターネットってそういう場所だったんだけどね。いわゆるチラシの裏的な場所。どうせ誰も読んでないから何を書いてもいい場所、という雰囲気があった。
でも今のインターネットでは、誰かの癇に障ることを書いたらいともかんたんに炎上する。批判のレベルを超えて身の危険を感じるぐらいの攻撃を食らうこともある。結局、インターネットでも紙媒体と同じように、いやもしかするとそれ以上に、正しさ(というか無難さ)が求められるようになってしまった。

この「喫煙禁止区域でタバコを吸ってたら注意してきた人がいたので毒づいている話」なんか、著名人がブログで発表したりしたらあっという間に炎上するだろうね。有名人じゃなくたってタチの悪い人に見つかったら大炎上だ。
でも紙の本ならたぶん大丈夫。拡散させにくいから。
ブログやSNSの素人の投稿よりも出版社が出している本のほうが乱暴なことを書いても許される時代が来るとは思わなかったなあ。


ぼくらが読みたいのは正しいことだけじゃないんだよね。
論理的にむちゃくちゃでも、べつの誰かを傷つける言葉でも、場合によっては自分を攻撃する言葉であっても、楽しませくれるならかまわない。
どこか別のサイトから切り貼りしてきただけの文章を並べたWEBサイトじゃなくて、乱暴でもまちがっててもいいから自分の言葉で語っている文章なんだよ。ぼくがインターネットで読みたいのは!
聞いてるかアクセス数目当てにコピペでコンテンツつくってるやつら!



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2017年12月25日月曜日

生きる昭和史/ 小熊 英二 『生きて帰ってきた男』【読書感想】


『生きて帰ってきた男
――ある日本兵の戦争と戦後』

小熊 英二 

内容(e-honより)
とある一人のシベリア抑留者がたどった軌跡から、戦前・戦中・戦後の日本の生活面様がよみがえる。戦争とは、平和とは、高度成長とは、いったい何だったのか。戦争体験は人々をどのように変えたのか。著者が自らの父・謙二(一九二五‐)の人生を通して、「生きられた二〇世紀の歴史」を描き出す。

いい本だった。
1925年(大正14年)生まれの小熊謙二さん(筆者の父親)の生涯をつづったノンフィクション。大正15年=昭和元年だから、大正14年生まれだと、昭和20年=満20歳ということになる。まさに昭和とともに生きた人。生きる昭和史だ。

小熊謙二さんは、戦前に少年時代を送り、会社勤めをした後に徴兵されて満州に行き、捕虜としてシベリア抑留され、帰国後は肺炎や子どもの死を経験しながらもさまざまな職を転々とした人。
そんな一市民の人生を描くことで、戦前~戦中(シベリア収容所)~戦後の雰囲気がありありと伝わってくる。

戦争体験について書かれた本は多いが、こういう本はめずらしい。
あとがきで筆者も書いているが、ひとつには戦中だけでなく戦前から戦後数十年にわたって戦争体験者の一生を追いかけていること。もうひとつは、主役が軍幹部やエリート、著名人ではなく、さらに「これは伝えたい!」という熱い感情を持っていないこと。
今でこそ誰でもブログやSNSで気軽に情報発信できるようになったが、少し前までは著名人や強い熱情(とある程度のお金)を持った人しか情報発信する機会がなかった。息子がライターでなければ小熊謙二さんの生涯がこうして本になることはなかっただろう。そういう点で稀少かつ価値のある本だ。



事実を淡々と、かつ詳細に書いているのがいい。ときおり「あのときはこう思った」という謙二さんの言葉がさしこまれるが、「特に気にしなかった」とか「たいへんだとは思ったが仕事が忙しくてそれどころじゃなかった」とか、終始冷静だ。語られる人も語る人も感情的でないことで、かえって情景が伝わってくる。リアルな日本人の実感、という感じだ。
たとえば東日本大震災だって、遠く離れた所に住んでいる人の大半からしたら「たいへんなことが起こったとは思ったがすぐにふだんの生活に戻った」というのが偽らざる心情だろう。真珠湾攻撃も玉音放送も、歴史の本を読むと天地がひっくり返るような出来事として書いているけど、ほとんどの人はそんな心境だったんじゃなかろうか。

たとえば、軍に召集される直前の心境についての回想。

「自分が戦争を支持したという自覚もないし、反対したという自覚もない。なんとなく流されていた。大戦果が上がっているというわりには、だんだん形勢が悪くなっているので、何かおかしいとは思った。しかしそれ以上に深く考えるという習慣もなかったし、そのための材料もなかった。俺たち一般人は、みんなそんなものだったと思う」

何かおかしい、と思いながらも声を上げず、深く考えることもやめて、破局に向かっていく。
こういう後世には伝わりにくい"空気"を文章にして後世に残す、というのはとても有意義なことだと思う。たぶん次の戦争のときも同じようなことになるだろうから。
ぼくは今の時代のあれやこれやに対しても「何かおかしい」と思っている。でも特に行動を起こしていない。まさに、同じ心境なんだろうな。



南京大虐殺について。

「米軍の残虐行為は報道で知ったが、日本軍の残虐性にくらべれば、米軍のやっていることはオモチャみたいなものだと思った。中学生のころには、クラスのなかで同級生が、中国戦線から帰った兵隊からもらったという写真を内緒で見せあっていた。捕虜の中国人の首を、軍刀でちょん切る瞬間だった。中学生でもそういうものに接する機会が、当時の日本にはよくあったと思う」
「シベリアの収容所にいたとき、『日本新聞』に南京事件のことが載った。同じ班に『満州日日新聞』の記者がいて、「この事件は日本では伏せられていたが、外国ではオープンで知れ渡っていた」と言っていた。収容所では、中国戦線の古参兵である高橋軍曹が、猥談のついでに残虐行為の話をしていた。戦火をさけて中国人の婦女子だけが隠れている場所を発見し、集団暴行をしたというような内容だった。ほかにも古参兵たちの伝聞で、日本軍がどんなことをやっていたのかはだいたいわかった」
「だから「南京虐殺はなかった」とかいう論調が出てきたときは、「まだこんなことをいっている人がいるのか」と思った。本でしか知識を得ていないから、ああいうことを書くのだろう。残虐行為をやった人は、戦場では獣になっていたが、戦後に帰ってきたら何も言わずに、胸に秘めて暮らしていたと思う」

この人だけじゃなく、多くの戦争経験者がこういう話をしている。規模の違いこそあれ、あったことはまちがいないのだろう。
こういう話を聞いても「なかった。でっちあげだ」と言う人って、どうかしてるとしか思えない。経験者の多くがあったと言っているのに、その時代に生まれていなかった人がどうして否定できるんだろう。
これでも「南京事件はなかった」と言う人って証拠を欲しているわけじゃないから、仮にタイムマシンができて実際に見たとしても信じないんだろうね。




この本を読むまで知らなかったのだが、基本的に日本政府は戦争被害者に補償はおこなっていないらしい。

シベリア抑留された人に対しては、戦後四十年以上たった1988年、"補償金"ではなく"慰労金"として10万円と銀杯が支給されただけだとか(ちなみに他国では捕虜として労働に従事した場合はその労働に対する賃金がもらえるそうだ)。
数年働いての報酬としては雀の涙だが、徴兵されていた朝鮮人に対してはそれすら支給されていなかった。
その不支給がおかしいといって元日本軍の朝鮮人が日本政府を訴えた裁判で、小熊謙二さんは共同原告として証言台に立つことになる。
そのときの演説が胸を打つ。

 数年前私はシベリア抑留に対する慰労状と慰労金を受け取りました。しかし日本国は彼が外国人であるとの理由で対象としておりません。これは納得できないことであります。
 何故、彼がシベリアで抑留生活を送らねばならなかったかを、考えて下さい。かつての大日本帝国は朝鮮を併合して朝鮮民族の人々を日本国民としました。その結果私と同じく彼も日本国民の義務として徴兵され、関東軍兵士となり捕虜となったのであります。慰労がシベリア抑留という事実に対し為された以上、彼はそれを受ける権利があります。
 日本国民であるからと徴兵しシベリア抑留をさせた日本国。その同じ日本国が無責任にも、今になってあなたは外国人だからダメというのは論理的に成り立ちません。
 これは明らかな差別であり、国際的に通用しない人権無視であります。

 この陳述書を裁判官たちの前で読み上げたことについて、謙二はこう述べている。
「勝つとも思えなかったが、口頭弁論で二〇分間使えるというので、言いたいことを言ってやった。むだな戦争に駆り出されて、むだな労役に就かされて、たくさんの仲間が死んだ。父も、おじいさんもおばあさんも、戦争で老後のための財産が全部なくなり、さんざん苦労させられた。あんなことを裁判官にむかって言っても、むだかもしれないけれど、とにかく言いたいことを言ってやった」

戦争に駆り出されたことにも、シベリアの過酷な環境で強制労働をさせられたことにも、財産を失って戦後に苦しい思いをしたことにも、「そういう時代だったから」とぜんぜん恨みがましいことを言っていなかった人が、どんなに理不尽な目に遭ってもじっと耐えてきた人が、それでも我慢できなくなってにじみだすようにして語るこの言葉。
小熊謙二さんの、静かで、深い怒りが伝わってくる。

特に政治家には読んでもらいたい本だ。戦前・戦中・戦後を生きた人の肌感覚を多少なりとも理解するために。


この人が典型的日本人だとは思わないけど、こういう考えの人は決して少数派ではないと思う。なのに多数派の考え、人生は、いつの時代も世に出ることがほとんどない。
これはすごく貴重な一冊だ。息子がライターだったから、さらに戦後思想史に十分な知識があったからこそ生まれた、偶然のような一冊。
著名人も出てこない、個性的な人も出てこない、ドラマチックな出来事も起こらない。なのにめちゃくちゃおもしろい。

NHK大河ドラマで、こういう市井の人の生涯を一年かけて描いたらすごくおもしろいだろうなあ。朝ドラみたいに安っぽいメッセージは込めずに、ただ事実をありのままに再現する。
観てみたいなあ。


【関連記事】

岩瀬 彰 『「月給100円サラリーマン」の時代』




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2017年12月24日日曜日

阪神大震災の記憶


大した被害を受けていない人間の、阪神大震災の記憶。


 阪神・淡路大震災が起こったときぼくは小学六年生だった。
 大地震の起こる二ヶ月ほど前から、ぼくの住んでいる兵庫県川西市北部では頻繁に地震があった。震度2とか3くらいの小さな地震が何度も起こる。はじめは「怖いね」と言いあっていたが、多い時は一日に何度も起こるのでそのうち不感症になってしまった。授業中に地震があっても、先生が「おっ揺れたな」と言って五秒後に授業に戻る、そんな感じだった。一ヶ月に百回以上の地震があったらしいが、この地震があの大地震と関連があったのかどうかはいまだによくわかっていないようだ(→ 猪名川群発地震)。

 だから一九九五年の一月十七日の五時四十六分にマグニチュード7.3の地震が起こったときも「またか」ぐらいの感じだった。揺れで目が覚めたが、「今度のはちょっと大きいな」と思ってまた寝てしまった。ぼくの家族も同じだった。
 六時半くらいに母がぼくの部屋に飛びこんできた。「ちょっと、テレビ見てみ。たいへんなことになってるで!」
 リビングに行ってテレビをつけると、地震のニュースをやっていた。といってもあまり覚えていない。高速道路がぽっきり折れてバスがぶらさがっている映像をそのときに観たような記憶がするが、後から合成した捏造記憶かもしれない。
 そのときはおおごとだと思っていなかった。我が家は揺れたが本棚の本が倒れていたぐらいで、つまり被害はなかった。
 ニュースでも、朝の時点では本当に被害の大きかった地域の映像がまだ届いていなかったのだ。とにかく大きい地震が起こったということはわかったが、いつも通りに朝食を食べて家を出た。

 ふだんと同じように学校へ行き、ふだんとおなじように始業前に校庭で遊んでいると、校内放送のチャイムが鳴った。
「本日は地震の影響で休校になりました。みなさん、気をつけて帰宅してください」
 小学生たちはのんきなもので「ラッキー。休みだー!」と喜びながら帰った。
 帰ってすぐに公園に遊びに行った。母から「また地震があるかもしれんからやめといたら?」と言われたが、「公園におるのがいちばん安全やん」と返し、母が「それもそうやな」と納得したことを覚えている。

 ぼくらは気楽なものだったが、父はたいへんだったらしい。
 父は大阪ガスに勤めていた。地震の影響で広範囲にわたってガスが停止し、その対応に追われていた。父の所属は広報部だったので現場に行って復旧作業をすることはなかったが、情報収集やあちこちへの報告に追われてたいへんだったようだ。今のようにインターネットのない時代だ。
 父は数ヶ月の間ほとんど家に帰ってこず、たまに帰ってきても夜遅くに帰って翌朝早くに出ていくという生活をしていた。休日も出勤していたので、小学生だったぼくとは二ヶ月ぐらいほとんど顔を合わせなかった。
 地震の一ヶ月後ぐらいに大阪ガスの広報担当者として父が『ニュースステーション』に出て復旧状況を伝えたことがある。ぼくは「お父さんがテレビに出た!」と能天気に喜んでいた。

 ぼくの住んでいた地域でもガスが止まった。電気や水道は問題なかったが、ガスの復旧には時間がかかった。もしガス管が破損していると爆発などの大事故につながるため、すべてチェックをするまではガスを通せないためらしい。
 他の家も苦労したと思うが、我が家は特に苦労した。父が大阪ガスの社員だったため、家にあるのはガス製品ばかりだったからだ。
 暖房はガスファンヒーターとガスエアコンのみで、灯油ストーブも電気ストーブもなかった。炊飯器もガス式、オーブンレンジもガス、コンロも風呂ももちろんガス。ガスが止まったことで、我が家の暖房と調理器具はほぼ全滅状態だった。
 数日後に母が小さな電気ストーブとボンベ式のコンロを買ってきたので、とりあえず寒さ対策と調理はできるようになった。ボンベのコンロだけでは何品もつくることができないので、毎日鍋料理だった。小さなストーブではリビング全体を暖められないので、隣の六畳間にこたつやテレビを持ってきて、母と姉と狭い部屋でぎゅうぎゅうになって過ごした。

 風呂は沸かせないので、電気ポットで沸かしたお湯にタオルを浸し、体を拭くだけだった。週に一度くらい隣町の温泉に行ったり、都市ガスが通っておらずプロパンガスを使っている知人の家に風呂を借りに行ったりしていた。
「あんまり汗をかかない冬場でよかったわ」と母が言っていた。しかし今考えると夏なら水浴びもできたので、やはり冬にガスが止まるほうがつらいと思う。

 学校が休校になったのは一日だけで、翌日以降は平常運転だった。
 ガスが使えないので給食の調理はストップし、おかずがサバの味噌煮などの缶詰になった。おかず不足を補うためかプリンやヨーグルトなどのデザートが毎日つくようになり、ぼくらは「地震前よりこっちのほうがいいな」と喜んでいた。
 一度、プリンを皿の上に開けて "プッチンプリン" にして食べたら、担任の先生から「お湯が使えないから洗い物を減らすためにこういうメニューにしてるのにむやみに皿を汚すな」と注意された。洗い物のことまで考えていなかった、と素直に反省した。

 学校で、鉛筆とノートをもらったことがある。どこかの小学生が被災地へ寄附した物資らしい。なぜそれが、ほとんど被害のなかったぼくらの小学校にまわってきたのかわからない。地震で文房具を失った生徒など、この学校にはひとりもいないのに。
 もっと困っている子にあげたらいいのに、と思った。もっと困っている子は文房具どころではなかったのかもしれないが。

 地震で大きな被害を受けた人には申し訳ないが、正直に言って、小学生のぼくはふだんと違うイベントとして震災後の生活を楽しんでいた。ガスの止まった生活も、いつもと違う給食も、キャンプに来たときに感じるぐらいの不便さだった。
 ニュースを見て被災地の状況は知っていたが、身近に悲惨な目に遭った人がいなかったので、テレビの向こうの出来事として見ていた。義援金として小遣いからいくらか寄附をしたが、それも心から同情してのものではなく「やらないと怒られそうだから」やっていただけだった。
 テレビ番組が自粛ムードになり、おもしろい番組をやらなくなったのが残念だった。公共広告機構の「生水飲まんとってや」とイッセー尾形のゴミの分別のCMを飽きるほど見た。学校でもよく真似をした。
 ぼくの住んでいた兵庫県川西市での死者は一人だけだったらしい。「地震にびっくりして家から飛び出したおばあちゃんが転んで死んだんだって」という話を耳にしたが、真実かどうかは知らない。小学生のうわさ話だ。

 祖父母が兵庫県西宮市に住んでいた。西宮は震源地に近く、うちよりもずっと被害が大きかった。
 祖父母の住んでいるマンションは倒壊こそ免れたが大きな亀裂が入り、ガスだけでなく水道も止まった。ぼくも一度、水を汲みに行くのを手伝いに行った。西宮市内にある関西学院大学のキャンパスに給水車が停まり、そこでポリタンクに水を入れてもらって持って帰るのだ。
 だがおもしろいものではなく、次からは両親に「おばあちゃんたちを手伝いに行くよ」と言われても「友だちと遊ぶ約束があるから」と言って逃げだしていた。「いっつもおじいちゃんおばあちゃんにかわいがってもらってるくせに、困ってるときに助けに行かないなんて……」と強く怒られたが、「もう約束しちゃったから約束を破るわけにはいかない!」と言って自転車で家を飛びだした。ほんとは約束などしていなかったのに。
 なんと身勝手だったのだろう、休みの日ぐらい祖父母孝行しとけばよかった、と当時のことを思いだすと胸が痛む。

 そんな感じで地震から二カ月が経ち、ぼくは小学校を卒業した。小学校の卒業式は三月二十日。なぜ日付を覚えているのかというと地下鉄サリン事件のあった日だからだ。
 卒業式を終えて家に帰ってくるとサリン事件のニュースをやっていた。同じ県内で起こった地震ですら他人事だったぼくにとって、東京の地下鉄で宗教団体が起こした事件など遠い異国の出来事だった。

 三月になると父の仕事も少しは落ち着いたらしく、休みもとれるようになっていた。父は一日中寝ていた。何ヶ月ぶりかの休みなので、一気に疲れが出たのだろう。
 ガスも使えるようになり、ぼくらの周囲は地震以前と同じ状況に戻りつつあった。

 春休みに友人たちと甲子園球場に行った。開催があやぶまれていたセンバツ高校野球がなんとか開催されることになり、その観戦に行ったのだ。
 兵庫県代表が三校も出場し、しかも三校とも初戦を突破した。ぼくらが見にいったのは二回戦だったと思う。

 ぼくらが住んでいた川西市は兵庫県だが、西宮市の甲子園球場に行くには一度大阪に出てから阪神電車で行くのがいちばん早い。
 阪神電車は被害の大きかった尼崎市や西宮市を通る。電車の窓から大量のブルーシートが見えた。倒壊した家屋はある程度撤去されていたが、仮設住宅が立ち並んでおり、まだまだ復旧・復興とはほど遠い状況だった。鮮やかなブルーのシートが線路に沿ってずっとずっと続いていたのを覚えている。

 同じ車両の人たちは、みんな窓の外を見ていた。無言で外を見ていた。
 それまでわいわいと騒いでいたぼくらも言葉を失った。隣に立っているおばさんが涙ぐんでいた。
 同じ県内に住みながら、ぼくが阪神大震災を理解したのは、地震発生から二ヶ月以上たったそのときがはじめてだった。


2017年12月23日土曜日

イタリアンの天才店員


イタリアン料理店で天才店員に出会ったことがある。
といっても、シェフではなくウェイターだ。


会社の同僚たち四人と、さびれたイタリアンレストランに行ったときのこと。
ランチ千円とちょっと高めだったが、たまには贅沢するかと足を踏み入れた。

内装はなかなかしゃれた造りで、ランチメニューは
・三種類のオードブルから一品
・三種類のピザまたは二種類のパスタから一品
・肉料理または魚料理または野菜料理から一品
・五種類のドリンクから一品
を選ぶという、ボリュームたっぷりかつ自由度の高いメニューだった。
「これで千円は安いな」と、ぼくらはメニューを見ながら言いあった。

店員を呼ぶと、やってきたのは若い兄ちゃんだった。茶髪にピアス、ちゃらそうな男だ。やる気はなさそうだ。

ぼくらは口々に注文した。
「前菜はバーニャカウダ、マルゲリータのピザ、肉料理とアイスコーヒー」
「おれはね、コーンポタージュとペペロンチーノ。メインディッシュは魚料理で、飲み物はジンジャエール」
こんな感じで、五人分。

注文しながら、ぼくらは不安を感じていた。
なぜなら店員の兄ちゃんがまったくメモをとらないのだ。
一応「はい、はい」と言いながら聞いているが、メモをとるわけでもなく、ファミレスの店員が持っているようなでかい端末を操作するでもなく、ただ突っ立っている。

兄ちゃんは注文を復唱することもなく、厨房のほうへと立ち去っていった。

「あいつ大丈夫か。まったくメモとってなかったけど」
「いやどう考えても大丈夫じゃないだろ。メニュー、めちゃくちゃややこしいぞ」
「覚えられるわけないよな。もしかしてICレコーダーでも隠し持ってたのかな」
「ぜんぜんちがう料理が運ばれてきたりして」
「まあそれはそれでおもしろいんじゃない?」
ぼくらは不安を感じながら、料理の到着を待った。

料理が運ばれてきて、驚いた。
オードブル、ピザ、パスタ、メインディッシュ、ドリンク。
すべて注文した通りに運ばれてくる。タイミングも完璧。言った通りにアイスコーヒーとジンジャエールは食前、ホットコーヒーは食後に運ばれてくる。

「あの、すみません」
思わず料理を持ってきた店員の兄ちゃんを呼び止めてしまった。

「さっきぜんぜんメモをとってませんでしたけど、もしかして覚えてたんですか?」
「はい」
「録音してたとかじゃなくて?」
「いえ。覚えてました」
「めちゃくちゃ記憶力いいですね!」
「はあ、まあ」
相変わらず兄ちゃんはやる気なさそうだ。だが今やそのやる気のないたたずまいすら、逆に神秘的に感じる。

兄ちゃんが厨房に引っ込んだ後も、ぼくらはその話で持ちきりだった。
・三種類のオードブルから一品
・三種類のピザまたは二種類のパスタから一品
・肉料理または魚料理または野菜料理から一品
・五種類のドリンクから一品
この組み合わせ、それも五人分を覚えてしまうのだ。しかも一回聞いただけで。
世の中にはすごい人もいるもんだ。

こんな超人的な記憶力を持っているならレストランのウェイターよりもっと他の仕事についたほうがいいのに……。

と思ったけど、じゃあなんの仕事なら彼の才能を活かせるのかと考えると……。ううむ、よくわからん。
やっぱりウェイターが天職なのかもしれない。

2017年12月22日金曜日

おじさんじゃないもの


ぼくのおじさんはちょっと変わりもので、田舎で陶芸家をやっている。

四十歳くらいのときに縁もゆかりもない村に移住して、隣の家が五十メートルぐらい離れているという広い敷地に住んでいる。
そんな田舎だから人付き合いは濃厚らしいのだが、おじさんはやれ祭りだ町内会だ青年団だといった風習にいちいち反発していたらしい。

はじめは喧嘩になっていたそうだが、そのうち「あの人は変わりものだから」ということで周囲も近寄ってこなくなったらしく、「うるさいやつらがこなくなって快適だ」と言って喜んでいた。

偏屈な陶芸家、というと無口な人を想像するかもしれないが、ぜんぜんそんなことはない。
親しい人の前ではむしろ饒舌で、甥っ子であるぼくなどはずいぶんかわいがってもらった。
下品な冗談や役にも立たない知識をずいぶん教えてくれた。

たとえば、
「"一盗二卑三妾四妓五妻" っていう言葉があってね。相手をするのにいちばんいいのは盗んだ女、つまり人妻だね。次が卑、女中さんに手を付けるのが楽しいってことだね。今でいうメイドさんかな。その次の妾はわかるね、おメカケさん、愛人だ。妓っていうのはちょっと難しいね。これは商売女、つまり売春婦。そして最後が自分の妻だ。これは最悪とされている」
なんてことを、まるで塾講師のような口調で中学生のぼくに教えてくれたのはこのおじさんだ。
中学生に何教えてくれとんねん。すぐ覚えたけども。



大学生のとき、友人たちといっしょにおじさんの家に遊びにいった。
すごく広い家だから、家の庭にテントを張らせてもらい、毎晩酒を飲んで走りまわった。

おじさんは「女子大生ならよかったのに」と言いながらもぼくたちバカうるさい男子大学生を歓迎してくれて、陶芸を教えてくれたり、車であちこち連れていってくれたりした。

そんなおじさんの口癖が「おじさんじゃないもの」だ。

おじさんが渓谷に連れていってくれた。
高さ二メートルぐらいの岩があり、下にはそこそこ深い川が流れている。
おじさんは云う。「地元の子どもたちはあそこから飛びこむんだよ。君たちもやってごらんよ」
ぼくは怖気づいて尋ねる。「えっ、でもけっこうな高さがありますよね。失敗してケガする人とかいないんですか」
おじさんは笑って云う。「大丈夫だよ、失敗したってケガするのはおじさんじゃないもの

万事その調子で、あれやこれやとけしかけては
大丈夫、バレたって逮捕されるのはおじさんじゃないもの
平気平気。だめだったとしても困るのはおじさんじゃないもの
と笑うのだ。

なんでいいかげんな人なんだろう、と思っていた。



でもよくよく考えてみると、悩み相談やアドバイスなんて、結局みんな他人事だ。

だったら「若いんだから失敗を恐れずにやってみな。大丈夫、なんとかなる!」なんて無責任なことを云う人よりも「だめでも困るのはおじさんじゃないもの」とはっきり口にするおじさんのほうが、ずっと誠実なのかもしれない。


2017年12月21日木曜日

目をつぶったろう


小学五年生のとき。
休み時間に体育館周りのテラスでボールを転がして遊んでいたら、担任のヤスダ先生に見つかった。

ふつうの先生なら「ボール遊びは運動場でしなさい!」と叱るところだが、このヤスダ先生はすばらしい先生で、頭ごなしに叱りつけるということをしない人だった。

ぼくらがどんな遊びをしているか聞くと、
「なるほど。ほんまはテラスでボール遊びをしたらあかんけど、ここはあんまり人も通らんし、ボールを転がしてるだけやったら窓を割ることもないやろうな。危なくなさそうやから、目をつぶったろう」
と云った。
なんと理解のある先生だろう。

ところが、小学五年生の男子というのはヤスダ先生が思っているよりもバカだった。

数日後、別の教師に見つかって叱られたときに、ぼくらは
「でもヤスダ先生はやってもいいって言ったで!」
と言いかえした。

なんとバカなんだろう。ヤスダ先生は「ほんまはあかんけどおれは目をつぶる」と言ってくれたのに、ぼくらにはその心配りがまったく理解できず「やってもいいと言われた」と解釈してしまったのだ。

ぼくらを叱った教師からヤスダ先生に苦情が入り、ヤスダ先生が怒られたらしい。
後でぼくらを呼びだして「おまえらなあ……。目をつぶるってのは、やってもいいってこととはちゃうんやで……」とつぶやいたヤスダ先生の寂しそうな顔が忘れられない。

当時はそれでもなぜ怒られたのかよくわかっていなかったけど、今ならわかる。
ヤスダ先生、バカでごめんなさい。

2017年12月20日水曜日

銭湯と貧乏性



銭湯が好きでときどき行くのだけれど、毎回ちょっと損をした気分になる。

ぼくは長湯が苦手だ。時間を持て余してしまう。
「あー、やっぱり広い風呂は気持ちいいなー」と思って手足を伸ばすのだが、五分もすると「飽きてきたな」と思えてくる。

家の風呂だと本を読みながら一時間くらい浸かっていることもあるのだが、銭湯で本を読むのはなんとなく気が引ける。たぶんダメではないと思うんだけど、湯船に浸かりながら本を読んでいる人を見たことがないので、その勇気が持てない。
近所の銭湯には一応テレビがあるけど、画面がちっちゃいし、音は聞こえないし、観たい番組をやっているとはかぎらないしで、あまりテレビを見ようという気になれない。

風呂好きの友人にその話をすると「飽きてきたらサウナとか電気風呂とか水風呂なんかをローテーションしたらいいんだよ」と云われた。

でもぼくはサウナが嫌いだ。だって暑いもの。
ぶったおれそうになるし、全裸の男たちが狭いところでハァハァ言ってるのも快適じゃないし、なにより「外から鍵をかけたらたらどうしよう」と思うと一刻も早く外に出たくなる。

電気風呂も嫌いだ。痛いもの。
身体にいい、ということになっているがほんとうなのか。銭湯に対してこんなこと言いたくないけど、身体にいいというエビデンスはあるのか。それどころか心臓に悪そうだぞ。毎年多くの人の命を奪ってるんじゃないのか。

水風呂はけっこう好きだ。気持ちがいいから。
でも一分も入っていたら身体の芯から冷えるので、それ以上入っていられない。

ぼくの銭湯スケジュールは、
洗体・洗髪(五分) → ジェット風呂(五分) → 水風呂(一分) → ふつうの風呂(二分)
だいたいこんなもので、着替えの時間を入れても二十分くらいだ。

大きい風呂に入って気持ちよかったと思うんだけど、同時になんかもったいない気がする。
銭湯の入浴料というのは三十分入ろうが二時間入ろうが同じ値段なわけで、だったらもっと長湯をしたほうが得、と思ってしまう。サウナも電気風呂も料金の中には含まれているのに、それを利用しなかったから「元をとっていない」ような気になるのだ。我ながら貧乏くさい。

せめてもの元をとろうと、風呂から出た後には休憩スペースでゆっくりくつろぐ。
牛乳を飲み、本を読み、壁に貼ってある銭湯からのお便りやら周辺地図やらまでじっくり目を通し、べつに観たいわけでもないテレビを観て、気づいたら一時間くらい経っている。
二十分風呂に入り、六十分だらだらする。
おかげで身体はすっかり冷えており、銭湯からの帰り道には毎回己の貧乏性が嫌になる。


2017年12月19日火曜日

『約束のネバーランド』に感じた個人芸術としての漫画の終焉


『約束のネバーランド』

白井カイウ(原作) 出水ぽすか(漫画)

内容(e-honより)
母と慕う彼女は親ではない。共に暮らす彼らは兄弟ではない。エマ・ノーマン・レイの三人はこの小さな孤児院で幸せな毎日を送っていた。しかし、彼らの日常はある日突然終わりを告げた。真実を知った彼らを待つ運命とは…!?

宝島社『このマンガがすごい! 2018』でオトコ編1位だったので購入。
本屋大賞は嫌いだけど(理由は これ とか あれ とか)、『このマンガがすごい』は信頼してる。

一見幸せいっぱいに見える孤児院にはじつは裏の顔があった。里親に引き取られていったはずの子が殺されていることがわかり……。
というサスペンスっぽい導入の話。
最新刊(6巻)まで読んだけど、どうやって孤児院を脱走するか、孤児院の外はどうなっているか、世界観から細部までよく練られており、評判にたがわぬおもしろさだった。


おもしろかった。うん、おもしろかった。おもしろかったんだけど……。

なんだろう、あんまりわくわくしなかった。
「この先どうなるんだろう!?」って緊迫感が味わえなかった。
ひとつには、ぼくがおとなになっちまったからってのもあると思う。多くのストーリーに接したせいで感受性が鈍った。
でも、周到につくりこまれた綿密な原作も、"わくわく感" を損なう原因になっているように思う。


このマンガ、ほんとによくできてる。一切の無駄がない。伏線がほどよくわかりやすい形でちりばめられている。どのエピソードもなくてはならない。どうでもいいセリフがない。ひとコマひとコマ丁寧に描かれている。
でもそれがかえって、窮屈な印象を与えている。

主人公たちがどんなにピンチになっても「はいはい原作にのっとってピンチになったのね」って感じしかしない。「おいおいこれ助かるのか!?」って思えない。「予定通りピンチになったのね」と思えてしまう。
よくできすぎてるからなんだろうな。

比べるようなものではないと思うけど、名作『ドラゴンボール』は行き当たりばったり感が強かった。伏線もほとんどなかったし、たぶん作者自身が「次どうしよう」って考えながら描いていたのだろう。当然、読者からしたらまったく先が読めない漫画だった。
だから、悟空が死んだときは「おいおい主人公が死んじゃったよ。どうすんだよ」と思ったし、フリーザ様が「私の戦闘力は530000です」といったときには絶望感しかなかった。
「この先、うまく解決するの?」と不安になった。

たとえるなら、『ドラゴンボール』は道なき道を走る暴走トラックだったのに対し、『約束のネバーランド』はレールの上を一直線に走る快速列車。快速から見える風景もきれいなんだけど、どこに連れていかれるのかわからないドキドキ感はない。

『ドラえもん』に、『あやうし! ライオン仮面』というエピソードがある。
フニャコフニャ夫という人気漫画家が、〆切に追われるあまり先の展開をまったく考えずに連載漫画主人公・ライオン仮面をピンチに陥れてしまう。そしてその先の展開が思いつかず、未来の『ライオン仮面』を読んだドラえもんから続きのストーリーを教えてもらう……というタイムパラドックスを扱った名作SFエピソードだ。
この『ライオン仮面』、たぶん雑誌連載で読んでいるのび太たちにとってはめちゃくちゃおもしろかったにちがいない。だって作者にすら先が読めていないんだもの(もっとも『ドラえもん』の読者からするとぜんぜんおもしろくない)。



『約束のネバーランド』が、漫画界の最高峰といってもいい『このマンガがすごい!』大賞に選ばれたのは、個人の創作活動としての漫画が終焉に近づいているということの示唆なのかな、と思う。

たいていの漫画はプロダクションで複数人によって制作されていると思うが、基本的に作者として名前が表に出るのはひとりだけ。企画も話作りも構成もキャラクターデザインも作画も、作者がやっている(ということになっている)。他のスタッフはその他大勢のアシスタントで、せいぜい誰も読まない単行本最後のページに「special thanks!」みたいな形でちょろっと名前が出るだけだ。

アメリカのコミック、いわゆるアメコミは徹底した分業制をとっているそうだ。話作りと作画と着色とすべて別の人が担当し、さらにそれぞれ複数人が担当している。タイトルは同じ『バットマン』でも、いろんな絵柄の『バットマン』が存在する。バットマンは個人の創作物ではなく、映画のような共同作品だ。

『約束のネバーランド』にも同じようなものを感じた。
原作者と漫画家が別だから、だけじゃない。
丁寧かつわかりやすく伏線が張りめぐらされていること、無駄なエピソードやセリフがないこと、お手本のような起承転結ストーリーになっていること、あまりにもよくできていて「セオリーにのっとってシステマチックに作ったなあ」という印象を受ける。


悪口を言ってるみたいになってきたけど、最初にも書いたようにおもしろい漫画だと思う。
ただ、個人芸術ではなくこれはもう工業製品だなー、とも思う。
漫画雑誌は人気競争だから、他の漫画はこの大手メーカーによる大量生産車のような漫画と闘っていかなくてはならない。あと何年かしたら個人の漫画は駆逐され、SNSやブログで細々と発表する趣味のものだけになり、商業漫画は漫画制作会社が会議を繰り返して作った製品だけになるんじゃないだろうか。

それが業界の成熟ってことだろうし全体のレベルが上がって読者としては楽しめるようになるんだろうけど、漫画がシステム化されてゆくことに一抹の寂しさも感じる。



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2017年12月18日月曜日

見て見ぬふりをする人の心理 / 吉田 修一『パレード』【読書感想】


『パレード』

吉田 修一

内容(e-honより)
都内の2LDKマンションに暮らは男女四人の若者達。「上辺だけの付き合い?私にはそれくらいが丁度いい」。それぞれが不安や焦燥感を抱えながらも、“本当の自分”を装うことで優しく怠惰に続く共同生活。そこに男娼をするサトルが加わり、徐々に小さな波紋が広がり始め…。発売直後から各紙誌の絶賛を浴びた、第15回山本周五郎賞受賞作。

吉田修一氏の小説を読むのは『元職員』『怒り』に次いで三作目。
公金を使いこんだ男の逃げ場のない焦燥感がにじむ『元職員』、隣人が殺人犯かもしれないと思い疑心暗鬼になって不幸になっていく人々が描かれる『怒り』、どっちも嫌な小説だった(褒め言葉ね)。
だから吉田修一といえば嫌な小説を書く人というイメージだったんだけど、こんな「四人の若者が共同生活を通して少しずつ変わっていく」みたいな青春ストーリーも書けるのかー。

……と思いながら読んでいたら。
おおっと。後半で思わぬ展開に。
やっぱり "嫌な小説" だった。前半が青春ぬくぬく小説、みたいな感じだったから余計に後半の醜悪さが際立っている。
こういう裏切り、ぼくは好きなんだけど、嫌な人はとことん嫌だろうね。

以下ネタバレ。



『パレード』では、共同生活を送る住人のひとりが通り魔をやっている。それを隠して、同居人に対しては明るく楽しく接している。会社ではまじめに仕事をしている。信頼も厚い。
彼にとっては、友人や同僚の前で見せる面倒見のいいすてきなおにいさんも真実の姿だし、夜道で女性を殴りたくなるのも彼の本当の姿。
怖い。怖いんだけど、でもわかる。
ぼくは通り魔はやらないけど、人に言えない秘密は持っている。家族に見せる顔と友人に見せる顔と仕事の顔と知らない人向けの顔はそれぞれ少しずつ違う。
だから「親しい人の前では気のいいにいちゃんが、じつは通り魔」というシチュエーションは共感はできないけど理解できる。
もしぼくが通り魔だったとしても、24時間通り魔らしいふるまいをしたりはしない。人に親切にすることもあるだろうし、近所の人にはあいそよくふるまうだろう。

『パレード』でぼくが怖いと感じたのは「同居人たちも実は彼が通り魔だと気づいているのに気づかないふりをしている」というとこ。
あえて口をつぐんでいる理由も、同居人が通り魔だと知った後の心境も書かれていない。だから何もわからない。わからないから怖い。



自分の家族や親しい友人が「どうも犯罪者らしい」と気づいてしまったら、ぼくならどうするだろう。
「問いただす」「自首を促す」「本人が自首しないなら警察に通報する」
法治国家の市民としてそれが適切な対応だとわかっているけど、でもいざそういう状況になったときに正しく行動できるか自信はない。
よほど決定的な証拠を見つけてしまわないかぎりは、見て見ぬふりをしてしまうのではないだろうか。ごまかせるものならうやむやにしてしまいたい、と願うのではないだろうか。

以前、自宅の一室に少女を十年近くも監禁していた男が逮捕される、という事件があった(新潟少女監禁事件)。
犯人の男は母親と同居しており、当時「人を部屋に監禁していたら同居人が気づかないわけがない。母親も共犯だったのでは」と問題になった。でも結局、母親の関与はなかったとされて立件はされていない。
ふつうに考えれば「家族が自宅に人を十年監禁していたら気づかないわけがない」だろう。ぼくもそう思う。でも、「気づかないことにしてしまうかもしれない」とも思う。

家族が殺人罪で逮捕したら、ぼくは家族の無実を信じると思う。
でもそれは愛情からくる美しい信頼ではなく、「めんどくさいことになってほしくない」という身勝手な願望から信じるだけだ。嫌な事実を受けとめる強さがないから、ありえなさそうだけどあってほしい都合のいい嘘を信じる。新潟少女監禁事件の犯人の母親がたぶんそうだったように。

「人を部屋に監禁していたら同居人が気づかないわけがない」というのはまっとうな言い分だが、みんながみんな強く正しく行動できるわけではないと思う。ぼくも自信がない。

『パレード』は、そんな己の身勝手さ、弱さを眼前につきつけてくるような小説だった。


【関連記事】

吉田 修一 『怒り』 / 知人が殺人犯だったら……

吉田 修一『元職員』




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2017年12月17日日曜日

義父の扱いがひどい

義父の扱いがひどい。
友人の話だ。彼は結婚して、妻の両親と同居している。
そのお宅に招待され、共に食事をする機会があった。

食事の後、子どもたちとシールを貼って遊んでいると、友人が自分の娘に言った。「このシール、おじいちゃんのはげ頭に貼ってみ」

えっ、と声が出た。
娘のおじいちゃんって、つまり義理のお父さんだよね。そんな扱いでいいの?
友人の娘は、おもしろがっておじいちゃんにそっと近寄り、はげ頭にシールをぺたっと貼った。孫娘にいたずらをしかけられたおじいちゃんは笑いながら「こらっ」と叱り、叱られた孫娘はけたけた笑い、いたずらを指図した友人もげらげら笑っていた。

おいマジか。義父のはげをイジっていいのか。
いくら一緒に住んでいるからといって遠慮がなさすぎないか。

ぼくは義父に対してそんな扱いぜったいにできないぞ。実の父に対してでも無理だ。
ところが友人は義父のはげ頭で遊び、友人もお義父さんもいっしょになって笑っている。
なんつう距離の近さだ。感心をとおりこして恐ろしさすら感じた。

後に友人とふたりっきりになったときに「おまえ義理のお父さんに対してあんなことしていいのかよ」と訊くと、「いいのいいの、家族なんだから」と笑っていた。
いや家族でも越えちゃいけないラインがあると思うんだけど。


将来、ぼくの娘が結婚して夫を家に連れてきたとしたら。ぼくは「ぜんぜん遠慮しなくていいよ」と言うだろう。「自分の実家のようにくつろいでくれたらいいよ」と。
でも、その婿が「ぼくブロッコリー嫌いなんでお義父さんに食べてもらおっと」と言って勝手にぼくの皿にブロッコリーを乗せてきたら。自分の子どもをけしかけてぼくの頭にシールを貼らせたら……。
その場は笑って寛容なところを示す。
でもその後で娘を呼び「いくらなんでもあれはだめだろ」と間接的に注意すると思う。「たしかに遠慮するなって言ったけど、ふつうは遠慮するだろ」と。


後日、その友人と会ったとき、友人の娘が「今日はチビが来るんだよ」と言ってきた。
「チビ?」と訊くと、友人が「ああ、うちの親父のこと。背が低いからうちの家ではチビって呼んでるんだ」と教えてくれた。
おお……。義理のお父さんに対してひどい扱いをすると思ったけど、自分のお父さんへの扱いはもっとひどかった。
ということは「はげ頭にシールを貼らせる」ぐらいなら、彼にしたらぜんぜん遠慮してるほうなのかもしれないな。一応敬語は使ってるし。

世の中にはいろんな距離感の家族があるもんだ。

人工知能を大統領に


こんな記事を読んだ(『ニューズウィーク日本版 2017/12/19号』)。
 ロシアのプーチン大統領は12月6日、来年の大統領選への立候補を表明した。一方で、何万人もの国民が新たな未来派候補を支持している。人工知能(AI)搭載音声アシスタント「アリサ」だ。
 選挙運動サイトでは、アリサは感情より論理に忠実で、老化や疲れを知らないなど6つの点で人間に勝ると喧伝。現時点で4万2000人以上が賛同の署名をしている(正式な立候補には30万人の署名が必要)。
なんともすてきな話だ。
大統領なんて人工知能のほうがよっぽどうまくできると思っている人が少なくないのだろう。



今の人工知能にどこまで的確な判断を下せるかどうかはわからないが、某国の大統領や某国の総理大臣や某国の総書記なんかを見ていると、国のトップなんて「的確な判断なんか下さなくていい。いらんことさえしなければいい」ぐらいでいいのかもしれない。官僚が優秀なら誰がなっても大丈夫だろう。

2010年のサッカーワールドカップで勝敗を予想するタコが有名になったが、もしかしたら国のトップなんてタコでも務まるのかもしれない。法案を決める際はA案とB案の容器を並べてタコがどっちに入るか、で決めたほうが案外うまくいったりして。反対派の人もあきらめがつくしね。タコが決めたならしょうがないか、って。

まあ政治家の仕事って意思決定だけじゃないから、タコに政治家は務まらないだろう。タコに外交はできないからね。
でも人工知能なら外交もうまくやるかもしれない。あと十年したらわからない。2027年にはアメリカを代表する人工知能と日本を代表する人工知能がバーチャルゴルフをしているかもしれない。


政治は難しくても、サッカーの監督なんかはもうAIでも務まるんじゃないだろうか。
ビッグデータと試行錯誤をもとに判断すれば、あっという間に人間の監督よりいい成績を収められると思うんだよね。
どっかのチームでやってくれないかな。


2017年12月15日金曜日

キャバクラこわい



キャバクラがこわい。

って書くと「まんじゅうこわい」的なやつでほんとは好きなんでしょと思われるかもしれないけど、そういうんじゃなくてほんとにこわい。

キャバクラが嫌いな男性ってけっこういると思うんだけど、でもなぜかキャバクラ好きの人って「キャバクラが嫌いな男なんていない!」って思ってる。「連れてってやる!」と言われたことも一度や二度ではない。いやいや。なんで上からなんだよ。

とはいえ三回ほど行ったことがある。一度は「まあ食わず嫌いはよくないだろう」ということで、あとの二回は断りきれなくて。もちろん三回ともつまらなかった。
元来が人見知りだから、はじめて会った人と隣に座って長時間話さないといけないなんて苦痛以外のなにものでもない。年齢も職業も趣味嗜好も違うから共通の話題もないし。いや共通の話題とか探すからだめなのか。自分の好きなことを好きなだけしゃべっていい場なんだよな、キャバクラって。そのためにお金払ってるんだし(身銭を切って行ったことはないけど)。そうはいっても初対面の人に「会社にいるTってやつがほんとに嫌いでさあ……」なんて言ってもしょうがないしな、と思ってついつい「出身地はどこですか?」なんて話題の切りだし方をしてしまう。我ながらつまんねえなあと思い、ますますキャバクラという場が嫌になる。おお、怖い。

キャバクラには逃げ場がない。
パーティーなんかだと、親しく話せる人がぜんぜんいなくても「黙々と食事をする」という手がある。ぼくはカラオケが大の苦手だけど、どうしても断れなくてカラオケに行ったときは「ひたすら曲を探すふりをする」という手を使う。
キャバクラにはそういう逃げ道がない。「しゃべる」しかないのだ。

以前勤めていた会社で社長にキャバクラに連れていかれたとき、やはりキャバクラを苦手としている男がいた。ああ助かったと思い、彼の隣に移動し、男同士で話しはじめた。さして親しいわけでもなかったが、まったく知らない人と話すよりはまだ話題もある。
ところがキャバクラ嬢がぼくらの話に割りこんでくるのだ。男二人につきキャバクラ嬢が一人つく店だったので、自分も仲間に入ってこようとする。なんだこいつと思いながら一応話につきあったが、ぼくらがしていた「最近読んだミステリの本」の話題にはまったくついていけず、とんちんかんな相槌しか返ってこない。知らないんなら黙ってろよと思ったが、話をするのがキャバクラ嬢の仕事なので仕方ないのだろう。
知らない女に会話のじゃまをされるぼくらも不幸なら、まったく興味のない話に入っていかざるをえずおまけにあからさまに迷惑そうな顔をされるキャバクラ嬢も不幸。ぜんぜん楽しんでないぼくらのために金を払う社長も不幸。
なんだこれ。誰も得をしていないじゃないか。

あとキャバクラ嬢は、酒を勝手に注いでくる。これも嫌だ。自分が払うわけじゃないけど、嫌だ。
なぜならぼくは食事に関する脳の回路がぶっこわれているから、目の前に食べ物や飲み物があると口にせずにはいられない。腹いっぱいになっていても目の前に食べ物があれば口に運んでしまう。後で吐くぐらい食べる。
だから「そろそろ腹いっぱい/酔ってきたな」と思ったら食べ物や酒を自分の前に置かないようにするのだが、結婚式場とキャバクラではグラスが空くと勝手に注ぐやつがいる。
なんだそのシステム。わんこそばか。
今どき落語家のお弟子さんでもそこまでしないぞ。最近の落語家弟子事情は知らんけど。
自分の酒は自分のタイミングで飲ませろよ。入れられたら飲んじゃうだろ。話が途切れがちになるから、余計に酒が進む。

というわけで三回キャバクラに行ったときは三回ともべろべろになって、正直何を話したかよく覚えていない。
だから、もしかしたら後半は酔っぱらってめちゃくちゃ楽しくなって「いえーい! キャバクラさいこー!!」と叫んでいた可能性も、ないではない。


2017年12月14日木曜日

子育てでうれしかったこと


子育てに関して、最近うれしかったこと。

1.
保育園での面談のとき。

先生「〇〇ちゃん(娘)は恐竜が好きですよねー」

ぼく「そうなんですよ。百均で恐竜のおもちゃを買ったら思いのほか興味を持ったので、図鑑を買って一緒に読んだり、博物館に連れていったりしてたら、ぼくよりずっと詳しくなっちゃいましたね」

先生「そうやって子どもが何かに興味を示したときに次々に興味を満たす環境を用意してあげるのってすごくいいことですよ。すばらしいですね」

ぼく「ありがとうございます」

という話をした。
家に帰ってこのやりとりを思いかえしたら、うれしさがこみあげてきた。
そんなに大したこと言われてないのになんでこんなにうれしいんだろうと思ったら「そうか、褒められたからか」と気づいた。

子育てをしていると、いろんな人から褒め言葉を言ってもらえる。「おたくの〇〇ちゃんはもう××ができるなんてすごいですねー」とか「〇〇ちゃんはかしこいですよねー」とか。
もちろん、親としてはうれしい。
でも、子どもが褒められる機会は多くても、親が褒められることは意外と少ない。というよりほとんどない。公園で子どもと遊んでいると「いいパパですね」はときどき言ってもらえるが、やっていることといえば単に一緒になって遊んでいるだけなのでいまいち褒められ甲斐がない。

その点、「子どもが何かに興味を示したときに次々に興味を満たす環境を用意してあげるのってすごくいいことですよ。すばらしいですね」はうれしかった。
子育てには正解がないからこそ、育児のプロである保育士さんから「それはいいことですね」とお墨付きをもらったことは、すごく自信になった。

ビジネスの世界でも、出世をすると褒められる機会が少なくなるから偉い人を褒めるとすごく喜ばれる、という話を聞く。
親もあんまり褒められない。でも親だって褒めてほしい。

ぼくも、よその子どもだけでなく、その親もどんどん褒めていこうと思う。


2.
保育園に娘を送っていったときのこと。
他の子がぼくに「あっ、おじいちゃんだー」と言ってきた。
ぼくは「おじいちゃんちゃうわ! おっちゃんじゃ! 君こそおばあちゃんやろ!」と言いかえす。
その子はおもしろがって「おじいちゃん! おじいちゃん!」と言う。いつものやりとりだ。

ただ、その日は周りの子も一緒になって、ぼくに向かって「おじいちゃんだ!」と言いだした。
あっという間に十人ぐらいによる「おじいちゃん! おじいちゃん!」コールがはじまった。
これにつきあっていると仕事に遅れるので「おじいちゃんちゃうわー!」と言い残して保育園を出ていったのだが、去り際にぼくの娘が「うちのおとうちゃん、おもろいやろ」と自慢げに言う声が聞こえた。

背中で聞いたその言葉がすごくうれしかった。娘が父親を誇りに思ってくれたことが。

やったことといえば、四歳児たちにからかわれただけなんだけど。

2017年12月13日水曜日

みんなあくびが教えてくれた


 小学生のとき、担任の先生の説教中にあくびをしたら怒られた。
「怒られてるのにあくびをするんじゃない!」と。

 本を読んで知識だけはある嫌なガキだったので「あくびをするのは脳内に酸素をとりこんで活性化させるためで、集中しようとする意欲の表れですよ」という意味のことを言った。もっと怒られた。
 おかげで、怒られてるときに正論で返さないほうがいいということを学んだ。

「あくびをするのはたるんでる証拠」みたいな風潮には今でも与することができない。むしろ「あくびをするなんて、眠いのに俺の話を聴こうとしているんだな。感心感心」と褒めてほしいぐらいだ。


 前にいた会社では、毎朝十五分も朝礼をやっていて、まったく異なる部署の人たちのまったく自分に関係のない報告を延々と聞かされていた(そんな朝礼の最後に「効率的に行動せよ」みたいなことを言われるのがたまらなくおもしろかった。サイコー!)。
 どうでもいい話を聞かされるわけだから当然眠たくなる。しかし人が話しているときにあくびをするのは印象が悪い、ということを大人になったぼくは知っている。だからといって眠るのはもっとよくないことも。
 仕方なく、持っていた手帳に落書きをすることで時間をつぶしていた。"ごんべん"の漢字を思いつくかぎり書くとか、「〇ー〇ン」という条件を満たす単語(カーテン、ローソン、ピータンなど)を思いつくかぎり書くとか、手帳の後ろに載っている東京近郊の鉄道路線図を見てどこからどこへ行くのがいちばん乗換回数が多くなるか考えてみるとか、そんなことばかりやっていた。

 親しい同僚からは「おまえぜんぜん話を聴いてないな」と言われていた。あたりまえだ。
 ところがさほど親しくない同僚や上司からは「犬犬くんは熱心にメモをとってますね」と褒められることがあった。ばかか。他人の「今月目標〇件、達成〇件、見込〇件!」をメモするわけないだろ。でもぼくが神妙な顔をしながら遊ぶのがあまりに上手なので、まんまと騙されていたらしい。


 あのときあくびを叱ってくれた先生、見ていますか。
 おかげでぼくはこんなに立派なこずるい大人に育ちましたよ。


2017年12月12日火曜日

走れ読書人


"遅刻"に対して恐怖といっていいほどの感情を持っている。前世では大事な式典に遅刻して将軍様に粛清されたのかもしれない。

学生時代は授業がはじまる一時間以上前に学校に行っていた。野外観察同好会なのに運動部の朝練よりも早かった。
今でもはじめての場所に行くときはかなり早めに出発する。方向音痴なので三度目くらいの場所でもだいぶ早めにでかける。迷うことも勘定に入れてスケジュールを組む。最近はスマホのおかげで迷うことはほとんどなくなったが、それでも早めに出発する習慣は変わらない。
だからだいたい約束の二十分前ぐらいに目的地に到着する。二十分前というのは半端な時間で、トイレに行ったりして時間をつぶすには長すぎるし喫茶店を探してコーヒーを飲むには短すぎる。だいたい路上で本を読んで時間をつぶす。路上で本を読んでいる人を見たらぼくだと思ってもらってまずまちがいない。


路上で本を読むとおどろくほど集中できる。自宅で読むよりよっぽど没頭できる。路上には人や車や音が多いが、情報が多すぎるとかえってひとつのことに集中できるのかもしれない。
おかげでこないだあやうく遅刻しそうになった。本を読んでいるうちに気がついたら時間ぎりぎりになっていたのだ。
あわてて待ち合わせ場所まで走った。間一髪、すべりこみセーフ。しかし肩で息をしているぼくを見て、待ち合わせの相手は「こいつ遅刻しかけたな」と思ったにちがいない。
ちがうんです、ぼくは二十分前に来ていたんです。
路上で本を読んでいたと思ったらいきなり走りだした人がいたら、まずぼくだと思ってもらってまちがいない。

2017年12月11日月曜日

お金がないからこそ公共事業を!/藤井 聡『超インフラ論 地方が甦る「四大交流圏」構想』


『超インフラ論
地方が甦る「四大交流圏」構想』

藤井 聡

内容(e-honより)
「日本は道路王国で、もう高速道路なんて必要ない」「公共事業は、国の『借金』を膨らませるだけで、税金の無駄使いだ」。こんな言説をよく耳にする。しかし、それは全くの「デマ」に過ぎない。じつは日本は、先進諸外国に比してはるかに「インフラ後進国」であり、さらに、インフラ投資は地方を甦らせる最短の道なのである。今こそ、これまでの常識を「超」えて、景気停滞や人口減少を解決するための「超インフラ論」を力強く推し進めていかなければならない―。「大阪都構想」反対派急先鋒として注目を集めた著者による、渾身の最新刊。

社会工学を専門とする学者による、インフラ論。
この人、大阪都構想に反対していることもあって橋下徹とすごく仲が悪い。ちょうどこないだ橋下徹・元大阪市長の講演を聴く機会があったのだけれど、橋下氏は「あの京大の藤井っていうクソヤローが……」と悪口をまき散らしていた。
でもその公演の中で橋下氏はインフラ(鉄道、高速道路)の重要性を語っていて、一方で藤井聡氏もこの本の中でインフラ整備がいかに重要かをくりかえし書いている。犬猿の仲なのに主張の内容は同じなんだなあ、と笑ってしまった。方向性が近いからこそ敵対するのかな。


著者の主張はわりとシンプルだ。「高速道路や新幹線といった交通インフラを整備することで雇用は増え、社会資本は増え、経済は活性化する」と。

 我が国はインフラ先進国ならぬ、インフラ後進国と言わざるを得ない状況にある。
 しかも、自然災害の危機は、諸外国では考えられぬほどに深刻だった。普通に考えれば、インフラ政策費は増やしこそすれ、削減するなど、ありえないのではないかと言うところである。折しも我が国よりもより高いインフラを抱えている諸外国は、インフラ政策費を増やし続けているのである。それを踏まえるなら、彼らよりもより速いスピードで、インフラ政策費を増やしてもいいくらいなのだ。
 さらに付け加えるなら、高度成長期に大量につくられ始めたインフラは一挙に老朽化し、そのための維持更新費用もさらに必要とされている。だから、この一点だけをとってみても、インフラ政策費を増やさなければ、どうにも対応できなくなることは明白なのだ。
 こうした状況があるにもかかわらず、我が国は、インフラ政策費を「半分以下」にまで、過激に削減し続けているのである。
 このままでは、我が国の後進国化に、さらなる拍車がかかることは決定的だ。
 欧米と日本の格差は、さらに拡大していくことだろう。一方、かつては後進国と言われた中国は、想像を絶するほどのスピードでインフラを整備し続けている。そうした国々からも抜き去られ、近い将来、彼らの後塵を拝するようになっていくことは間違いない。

今の日本は「お金がないから」といって将来への投資をどんどん減らしている。本来なら、お金がないからこそインフラへの投資を増やしていかなければならないのに。

さらに「交通インフラが整備されれば東京への一極集中化も軽減され、災害リスクを減らすことにもなり、一極集中が緩和されれば国民の生活の質は上がり少子化にもブレーキがかかる」とも主張している。

 もちろん、グローバル化が進展する過激な国際競争に打ち勝つためには、都市に集中させることが必要なのだ──という意見がある。
 しかし、それは完全なるデマだ。
 そもそも、先進諸外国の中で、日本ほど首都にあらゆるものを集中させた国家はない(前掲の図6-1参照)。それにもかかわらず、我が国の過去十年、二十年間の経済成長率は、先進国中、文字通りの「最下位」だ。一方で、大きく力強い成長を続けるアメリカもドイツも一極集中どころか、それとは真逆に、主要都市の人口比は、年々低下しているのが実態だ。
 つまり、東京一極集中、太平洋ベルト集中構造を維持し続けなければならない合理的な理由なぞそもそも存在しない。あるとするならそれは、東京や太平洋ベルト地域の人々の「地域エゴ」くらいなのではないか。国益の視点から言えば、明らかにそのデメリットがメリットを上回っている。だからそれらの集中の解消は、今日の日本国家の最重要課題の一つであるのは明白なのだ。

通信機器の貧弱だった時代ならともかく、少なくとも情報通信の面においては物理的な距離の持つ意味合いが小さくなっているわけで、居住区やビジネスの拠点はもっと分散したほうがいいよね。

でも、今の日本で「もっと道路を! もっと鉄道を! 公共事業を!」と主張すると、「もう十分道路も鉄道もあるじゃないか」「利権を守りたいだけでしょ」っという話になってしまう。
ということで、日本がいかに他の先進国に比べて社会インフラの整備が遅れているか、インフラを充実させることでどれだけのプラスになるかということを、手を変え品を変えながら主張している。
論理はいたって明快で、少々強引なところはあるけど説得力がある。頭のいい人なんだろうなあ。



インフラ整備の重要性は納得できる。
ぼくも昔は「道路なんかもういらないだろ! 環境破壊になるし税金の無駄遣いだ!」と思っていた。でも大学に入って『公共政策論』という講義を聴いて、考えが変わった。
一兆円の減税は国民に一兆円のお金しかもたらさない(しかもそのお金は元々国民から出ているものだ)。でも一兆円の公共事業をやれば、賃金という形で国民に一兆円を渡すことができるうえに一兆円分の財を作ることができる。さらにそうやってつくった道路や橋を使って、より効率的な経済活動ができるようになる。
労働力は溜めておいて後でまとめて使うことができないのだから、特に不況期においては引き締めをするのではなくじゃんじゃん公共事業をおこなって市場にお金を回したほうがいい。
というのが『公共政策論』でぼくが教わったことだ。なるほどーな、と感心した。
おまけに公共事業をやれば労働者にまっさきにお金が回るわけだから、労働していない資産家→労働者という資産の再配分のためにも有効だ。不況だから還付金、というのがもっとも愚策だ(なんたって働いている世帯からまきあげて働いていない世帯にまわすのだから)。それ以来、減税だの還付金だの言う政治家をまったく信用していない。

公共事業が嫌われるのは、
・無駄なことに金を使う
・お金の流れが不正(特定の事業者が有利になる)
からであって、公共事業自体が悪いわけではない。悪い医者や誤った医療があるからといって「医療行為なんてものはいらない!」とならないのと同じように。

ふるさと創生事業(→Wikipedia)みたいな世紀の愚策が公共事業のイメージを地に落としてしまったんだろうね。地方に金をばらまいちゃだめですよ。



上でも書いた橋下徹氏の講演で、氏は「大阪の経済が停滞しているのは交通インフラが整備されていないからだ。それは府と市が別々に行動していて物事が決まらないからだ」と、大阪都構想の必要性を語っていた。
橋下氏の言うとおり、大阪市営地下鉄と私鉄の連携はすごく悪い。それは大阪市を越えたとたんに「府と市のどっちが金を出すんだ」という話になるために路線を延伸できないからだそうだ。

ぼくはインフラ拡張の主張には納得できるけど、だから大阪都構想だ、という話には賛同できない(数年前の住民投票でも反対に投じた)。
それを大阪でやる、大阪維新がやる、ということに納得できないのだ。
交通インフラを整備するのであれば、話は大阪市や大阪府だけにとどまることじゃない。「なんてみみっちい話をしてるんだ」と思えてしまう。
交通インフラ整備のためには近隣の都道府県、はたまた中四国や北陸・東海など、他地域とも連携しないといけない。他市長や県知事との連携を進め、さらには国を動かす。住民投票よりもそういうことをやるのが先だろうと。堺市長すら説得できない大阪維新にそれができんのかと。
もちろんとんでもなくたいへんなことだろうけど、政治家はそれぐらいの大きな構想を持っていてほしい、そして実行してほしいとぼくは思っている。



こないだNHKの『ブラタモリ』で黒部ダム建設の話をしていた。
着工から完成まで七年かかっているというから、計画段階も含めると十年以上だろう。それが「関西地方で停電が相次いでおり、電力不足を解消するために作られたというから驚きだ。十年後の電力不足解消をめざしてダム建設計画を立てる。なんと先を見据えたビジョンだろう。
2011年の東日本大震災の後、原発停止を受けて都市部が電力不足に陥った。そのとき、「じゃあ電力不足解消のために十年後の完成を目指してダムを造りましょう」と言える政治家がいただろうか(いたとしても国民が許さなかっただろうね)。そういうスケールの大きい話をできる政治家は、今ほとんどいないんじゃないだろうか。

二十年後を見すえた仕事をするのが政治家の仕事だと思う。
たとえば2016年に北海道新幹線が開業したが、北海道新幹線の計画が策定されたのは1972年だ。田中角栄が『日本列島改造論』を打ちだした年。四十年後を見すえた計画にのっとって作られた北海道新幹線は、当時の見通しのとおり、北海道に大きな利益をもたらしている。
はあ。感心してため息しか出ない。

ギザのピラミッドは数十年かかって作られたが、その後四千年以上たっても地域に富をもたらしている。公共事業とはそういうものだ。
次の選挙に向けて減税だ増税先送りだと主張している政治家に、クフ王のミイラを煎じて飲めと言ってやりたい。そういや江戸時代にはミイラって薬だったらしいね。関係ないか。

社会インフラの整備って数十年スパンで考えないといけない話だから、国家単位でやらなきゃだめだと思うんだよね。地方分権とか言ってる場合じゃないでしょ。だいたい数十年後にその自治体が存続しているかどうかもわからないわけだし。



藤井聡氏の主張は明快であるがゆえに「ちょっと話がうますぎるんじゃないの?」と思えてしまうところもある。そんなにすべてうまくはいかんだろ、と(当然藤井氏はそのへんもわかっててあえて書いてないだけだと思うけど)。

でも「公共事業=悪」ではない、という点だけは深く納得できる。
これ以上日本に道路も線路もいらない、と思っている人にこそ読んでもらいたい一冊。



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2017年12月10日日曜日

四人のおとうちゃん


ぼくには子どもがひとりいるが、ぼくのことを「おとうちゃん」と呼ぶ子は四人いる。隠し子ではない。

娘の保育園の友だちといっしょに遊んでいたら、娘がぼくのことを「おとうちゃん」と呼ぶので、その友だちもぼくのことを「おとうちゃん」と呼ぶようになった。
彼らは自分の父親のことを「パパ」と読んでいるので、ぼくのことを「おとうちゃん」と呼んでも呼び名はバッティングしない。だから抵抗なくよそのおじさんを「おとうちゃん」と呼ぶ。
(ぼくが子どもの頃は「パパ、ママ」派はほとんどいなかった。でも今の子どもたちは、ぼくが観測しているかぎりでは八割ぐらいは「パパ、ママ」派だ。時代は変わったなあ)

よその子から「おとうちゃん」と呼ばれるぐらいなつかれるのはちょっとうれしいけど、でも実のおとうちゃんに申し訳ない。だから「おっちゃんだよ」と訂正するのだけど、うちの娘が「おとうちゃん」と呼ぶのでつられて「おとうちゃん」になってしまう。そんなわけでぼくは四人の子どものおとうちゃんをやっている。



子どもを持つようになってわかったのは、世の中の人はあまり子どもと遊ぶのが好きじゃないんだなあ、ということ。
ぼくの父親はよく子どもと遊ぶ人だった。自分の子どもだけでなく、よその子とも遊んでいた。よく会っていた伯父さんもそういう人で、しょっちゅう家に子どもたちを招いて遊んでいた。
だから子どもを持つようになると「意外とみんな子どもと遊ばないのね」と思った。公園に行っても、子どもがひとりで遊んでいて親はおしゃべりしたりスマホを見たり、という光景をよく目にする。

子ども好きのおじさんに囲まれて育ったからか、ぼく自身は子どもと遊ぶ。自分の子はもちろん、よその子とも。
娘の友だちと遊んでいるうちに気づけば娘がほったらかしになっている、なんてこともある。子どもとどれだけ遊んでいても苦にならない。というより、よそのお父さんお母さんと話すのは気を遣うので、子どもと遊んでいるほうがずっと楽だ。

よその子と一緒に二時間くらい走りまわっていると「いいパパですね」なんて言われることがある。遊んでいるだけで褒められるのだからいい身分だ。いえーい。
でも、ちがうぞ、と思う。べつにいいパパじゃないぞ。まず「おとうちゃん」だし。

以前、こんなことを書いた。

 子どもがぼくのおしりをさわったら、おおげさに嫌がる。「きゃっ、やめてやめて!」と叫ぶ。
 これで子どもはイチコロだ。
 けたけたけたと笑い、もっと困らせようとぼくのおしりをさわろうとしてくる。
 あとは両手でおしりを押さえながら「やめてやめて!」と逃げればいい。猫じゃらしを振られたネコのように、子どもは逃げまどうおしりを追いかけずにはいられない。
 その後は走って逃げたり、ときどきわざと捕まったり、逆襲して子どものおしりを軽くたたいたりすればいい。
 あっというまに子どものテンションはマックスまで上がる。子どもの数が多ければ多いほど興奮の度合いは高まる。

ぼくが子どもと仲良くなる方法は「自分を相手と同じレベルに持っていく」だ。おしりをさわられたらおしりをさわりかえす、「あっかんべー」とされたら「おならプー」と言いかえす、かけっこをする前には「おっちゃんは子どもより速いからぜったいに負けへんで!」と宣言する。こういうことをすると、子どもは「この人はいっしょに遊んでくれる人だ」と認識するらしく、たちどころに心を開いてくれる。
つまり、"おとなげないふるまいをする"ことが、子どもと遊ぶときにぼくが心がけていることだ。かけっこで負けても「〇〇くん、足はやいなー」と褒めたりしない。「今のはスタートが早かった。ズルしたからもう一回!」とおとなげなく食いさがる。これこそが子どもと遊んでもらう秘訣だ。そう、遊んであげるのではなく遊んでもらうやり方なのだ。


だから「いいパパ」と言われると、それはちょっと違うんじゃないか? と思う。いいパパってのは、優しくて鷹揚な良き指導者なんじゃないだろうか。
ぼくがやってるのはむしろ、いい歳しておとなげない「困ったおじさん」だ。だからせいぜい「いいお友だちが見つかって良かったね」ぐらいのほうが身の丈にあっているお言葉だと思うんだよな。


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2017年12月9日土曜日

トイレ・ウォーズ ~ションドラの逆襲~


ほとんどの女性は知らないと思いますが、男性用の公衆トイレには用を足したあとのちんちんを乾かすためのドライヤーがついています。
正式な名前は何というのか知りませんが、ぼくが生まれ育った地域では「ションドラ」と読んでいました。しょんべんドライヤーの略でしょうね。

ションドラは髪の毛用のドライヤーとはちがい、ちんちん専用の細長くて銀色のドライヤーです(ちなみに銀色なのは西日本だけみたいですね。東京駅のトイレで真っ白のションドラを見たときはびっくりしました)。
温度や風量の調整はできず、ただ風が出るだけの代物です。小便器の上にあるセンサーに手をかざすとションドラが伸びてきて、ごーっと風が吹きだします。10秒ほどで勝手に止まり、また引っこんでいきます。ウォシュレットトイレのノズルに似た動きです。

紙を手で持って拭く必要がないので衛生的ですし、風でちんちんを乾かすときはなんともいえぬ爽快感があります(冬場はちょっと寒いですけどね。冬は温風が出てくれたらいいのに)。


そんなションドラに関する失敗談をひとつ。
今でこそほとんどの公衆トイレに設置されているションドラですが、ションドラが日本に普及したのは1980年代のことで、ぼくが子どもの頃は田舎で育ったこともありションドラなんてものは見たこともありませんでした。
はじめて見たのは、小学六年生のとき、家族旅行で行った京都でのことでした。
京都駅のトイレに入って小便器に向かっておしっこをしていると、目の前に見慣れぬボタンがあります(昔はまだセンサー式ではなく押しボタン式でした。衛生的でないので後にセンサー式でになったのでしょう)。
もちろん「排尿完了後にこのボタンを押してください」というような注意書きがあったのだとは思いますが、なにしろ好奇心旺盛な男子小学生のこと、注意書きを読むより早く、押したらどうなるんだろうとボタンに手を伸ばしていました。

さあたいへんです。なにしろまだおしっこが出ているのですから。
うにょーんとションドラが伸びてきて、これはなんだかやばいと思ったけれど一度出はじめたおしっこは止まらない。ションドラはぼくの股間に向かって風を吹きつけます。放出したおしっこは逆風にあおられて霧状になり、ぼくのパンツとズボンを盛大に濡らしました。
うわあああと思わず声をあげましたが、まだおしっこが出ているから便器の前を離れるわけにもいかない。そのまましばらくおしっこの霧を浴びつづけてしまいました。

幸い旅行中だったためにリュックに着替えが入っていました。あわてて個室に駆けこんで着替えましたが、トイレから出たとたんに目ざとい姉から「あんたなんでさっきとズボンがちがうの」と言われてしまいました。事の顛末を正直に話すと両親と姉から「あんたばかねえ」と大笑いされました。


最近のションドラは水流を感知するセンサーがあるので、おしっこが出ている間は手をかざしても風が吹くことはありません。
きっとぼくみたいな不幸な事故が多発したために改良されたのでしょう。
あんな悲しい思いをするのは、ぼくの世代で最後にしてもらいたいものです。戦争の悲惨さを語り継ぐ戦争体験者のように、ぼくもションドラの逆襲の恐ろしさを後世に語り継いでいきたいと思います。

2017年12月8日金曜日

不良中学生のチキンレースが生んだ殺人/大崎 善生『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』


『いつかの夏
名古屋闇サイト殺人事件』

大崎 善生

内容(e-honより)
2007年8月24日、深夜。名古屋の高級住宅街の一角に、一台の車が停まった。車内にいた3人の男は、帰宅中の磯谷利恵に道を聞く素振りで近づき、拉致、監禁、そして殺害。非道を働いた男たちは三日前、携帯電話の闇サイト「闇の職業安定所」を介して顔を合わせたばかりだった。車内で脅され、体を震わせながらも悪に対して毅然とした態度を示した利恵。彼女は命を賭して何を守ろうとし、何を遺したのか。「2960」の意味とは。利恵の生涯に寄り添いながら事件に迫る、慟哭のノンフィクション。

2007年に起きた強盗殺人事件。インターネットで知り合った初対面に近い男たちが共謀し、やはり面識のない女性を拉致して殺害した。いわゆる「闇サイト殺人事件(→Wikipedia)」。
かつては、今のように誰もがスマートフォンを手にしておらず、テレビの報道なんかでは「インターネットはネクラなやつがやる陰湿なもの」という扱いを受けていた時代。そうしたイメージを裏付けるような事件だったので、「インターネットの闇」というような言葉とともにセンセーショナルに報道されていた。

そんな事件について、被害者の生い立ち、犯行の一部始終、そして事件後の裁判まで克明に記録したノンフィクション……かと思ったら。

うーん、これはノンフィクションじゃなくて小説だなあ。それも趣味の悪い。

 左腕にできた激しい傷は語っている。
 私は生きたいのだ。
 それが富美子には聞こえる。体に残した傷痕で利恵は自分への最後のメッセージを伝えようとしている。言葉はもう届かない。手紙も電話もメールもできない。でもこうして、自分の体に傷を残すことで母に伝えることができるかもしれないと利恵は考えたのではないだろうか。母ならばきっとその意味を汲み取ってくれる。
 富美子は静かに利恵の手首を指でなぞった。
 そこには利恵の生きることへの強い意志が残されていた。

こういう描写がちりばめられていて、すごく気持ち悪い。

「無計画で残忍無比な犯人」と「最期まで毅然として立派だった被害者」の対比として書いているのはまあいいとして、作者の「こうあってほしい」という理想を含んだ描写が強すぎて嫌悪感が生じる。人が残酷に殺された事件を美談にするなよ。

たとえばこんな文章。
(「瀧」は被害者の恋人の男性、「利恵」は被害者)
 瀧にとっては忘れられない光景。
 目に染みるような浴衣姿の利恵。
 手にはビールとイカ焼き。
 ベンチに並んで座り、自分の方へ向けて団扇をあおいでくれる利恵。
 いつまでも失いたくない。
 そう思うと胸が苦しくなる。
 これが愛しさなんだ。
 そんなことを教えられた真夏の一日。
おえー。なんだこのポエム。
いやポエムを書くのは好きにしたらいいんだけど。
勝手に実在の人物の心情を代弁すること、そして殺人事件を使って美しい物語にしあげることが気持ち悪い。

ノンフィクションって、作者が感情をあらわにしたらだめだと思うんだよね。事件が凄惨で衝撃的であるほど、冷静な筆致で書いてほしい。新聞記事のような客観的な文章のほうが、読む人の想像力がはたらく。

どうしてもポエティックな美談を書きたいなら、ノンフィクションの体裁をとらずに事件を題材にした小説を書けばいい。
桐野夏生の『グロテスク』(東電OL殺人事件が題材)や、やはり桐野夏生『東京島』(アナタハンの女王事件が題材)のように。


同じ作者の『聖の青春』『将棋の子』『赦す人』では、そんな気持ち悪さを感じなかったんだけどな。
ぼくは書かれたものに対してあまり倫理観を求めないほうだと思うけど(ピカレスクものなんかも好きだ)、それでも殺人事件を踏み台にして美しい物語を書くことには生理的な不快感をおぼえる。



とはいえ、犯人たちが殺人に至るまでの描写や、公判の様子なんかは丁寧な取材に基づいていて、かつ冷静に書かれていて良質なルポルタージュだった。

ずっとこんな調子だったらいいノンフィクションだったんだけどな。

 神田がこれまで主にやってきたことはほとんどが詐欺である。神田にとっては強盗などという短絡的なことではなく、詐欺組織のようなものを立ち上げてゆっくりと稼いでいこうという考えがあった。しかし目の前にいる男たちは金に困っていた。堀も今週中に何とか三十万円欲しいという。川岸も西條も同様に切羽詰まっている。「殺すのか」という神田の問いに、同意する二人。
 川岸は後に虚勢の張り合いだったと言っているが、しかし見知らぬ三人が見栄を張り合っているうちに強盗殺人も辞さない方向へといつの間にか話は転げ落ちていく。

犯人の三人が集まったときは、おそらく誰も人を殺そうとは思っていなかった。詐欺や強盗で金さえ手に入れられればいい、と思っていた。どうやって金を手に入れようかといきあたりばったりに行動していることや、犯人のひとりが犯行直後に自首していることからも、「闇サイト殺人事件」という言葉から連想されるような殺人願望はなかったんだろう。
でも、三人が(当初は四人)顔を突きあわせ「おれのほうがワルだぜ」という意地の張り合いをしているうちに、誰も「殺人はやめとこう」と言いだせないまま突き進んでしまった。
いってみれば、不良中学生のチキンレース。「びびってんじゃねーよ」と言われるのが怖くて降りるに降りられなくなってしまっただけ。

そんなばかばかしいチキンレースでも、とうとうほんとに人を殺すところまで突き進んでしまうのだから集団心理は恐ろしい。
「悪友と一緒にいたせいで、ひとりではぜったいにしないような悪さをしてしまった」という経験はぼくにもあるから、犯人たちの心理状態もわからないでもない。
もちろん人を殺すまで至る気持ちまでは理解できないけど。

この犯人たちだって、インターネット上で犯行計画を練っているだけなら冷静に「殺人はやめとこう」ってなって振り込め詐欺ぐらいで済んでいたかもしれないと思う(それもあかんけどさ)。じっさいに顔をあわせてしまったことでマウントのとりあいがはじまり、殺人事件にまでエスカレートしてしまったんじゃなかろうか。

だからこの事件を「闇サイト殺人事件」という名前で呼ぶのはふさわしくない。
ほんとに恐ろしいのは生身のコミュニケーションなのだから。


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2017年12月5日火曜日

氷漬けになったまま終わる物語



四歳の娘とともに、今さらながら『アナと雪の女王』を観た。
あれだけ話題になっていた作品だがぼくが観るのははじめて、公開当時ゼロ歳だった娘ももちろん初鑑賞だ。

噂にたがわぬ良い作品だった。テンポの良い展開、映像の美しさ、わかりやすくもほどよく意外性のあるストーリー、心地いい音楽、上品なユーモアといかにもディズニー映画らしい魅力にあふれていた。


で、「この人は誰?」「今エルサはどうなってるの?」としきりに訊いてくる娘に対して「クリストフっていう氷を売っている人だよ」とか「今はひとりで氷のお城にいるよ」とか説明しながら観ていたのだが、終盤のアナとエルサがピンチに陥るシーン、ふと見ると娘の様子がおかしい。
「アナは凍っちゃったん?」と尋ねるその声は、完全に涙声。顔をのぞきこむと、泣いてこそいないものの目を真っ赤にして涙をいっぱいに浮かべている。


なんとひたむきな鑑賞姿勢だろう、とその姿に感動してしまった。

『アナと雪の女王』を観るのはぼくもはじめてだけど、こっちは「まあディズニー映画だからいろいろあってもみんな助かって誤解も解けて悪いやつは罰を受けて、最後はみんなで楽しく踊るんでしょ」という心持ちで観ている。エルサが捕まって牢屋に入れられるシーンも、アナが凍ってしまうシーンも「このままのはずはない」と思っている。これまでに観て、聴いて、読んだ数多くの物語の経験から知っている。

だが四歳児は己の中に蓄積した物語の量が圧倒的に少ないから、「この先どうなるか」という選択肢を限定せずに観ている。登場人物が「このままじゃ死んじゃう!」と言えば、物語慣れしている大人は「ということは助かる道があるのね。そして助かるのね」と読みとるが、四歳児は素直に「死んじゃうんだ」と思う。


もちろん最後はハッピーエンドになるが(ネタバレになるが、エルサが暗い牢屋に閉じ込められてアナが氷漬けになったまま終わらない)、最後まで観終わった娘はしばらく茫然自失だった。
もし自分が殺されそうになって間一髪で助け出されたら、こんな状態になるのではないだろうか。
四歳児がストーリーをどこまで理解できたかはわからない。だが、彼女は完全に物語の登場人物たちと同じ体験をして同じ気持ちを味わっていたのだ。

ドラえもんの道具に『絵本入りこみぐつ』という、絵本に入って登場人物と同じ体験ができる道具があるが、幼児はそんな道具を使わなくても同じことができている。
なんともうらやましい話だ。


2017年12月4日月曜日

パワーたっぷりのほら話/高野 和明『13階段』


『13階段』

高野 和明

内容(e-honより)
犯行時刻の記憶を失った死刑囚。その冤罪を晴らすべく、刑務官・南郷は、前科を背負った青年・三上と共に調査を始める。だが手掛かりは、死刑囚の脳裏に甦った「階段」の記憶のみ。処刑までに残された時間はわずかしかない。二人は、無実の男の命を救うことができるのか。江戸川乱歩賞史上に燦然と輝く傑作長編。
過失致死で服役後に仮出所した青年がとある死刑囚の疑いを晴らすために刑務官と証拠探しをする、というストーリー。

導入はちょっと不自然。そんなにうまく事が運ぶかね、よく知らない人が持ってきた話にほいほい乗りすぎじゃない?
作者としては早く「冤罪を晴らすための証拠探し」に持っていきたかったんだろうけど、そこはもうちょっと丁寧に話を進めてほしかったな。
死刑囚が「おれは冤罪だ!」と主張しているならともかく、彼は犯行時の記憶がなく、さらに被害者の遺品を持っていたわけで、そんな「誰がどう見ても犯人」な見ず知らずの人の言い分をかんたんに信じられる?

ということで導入はいまいち入りこめなかったが、大量に散りばめられた伏線が最後に次々に回収されていくところではページをめくる手が止まらなくなった。
真相は偶然が過ぎるけど、それにしても見事な筋書き。これを個人で考えてるってのがすごいよね。大作映画ぐらいの複雑に入り組んだプロットだ。

これがデビュー作かー。死刑制度に関する重厚な知識といい複雑かつ丁寧な物語の組み立て方といい、途方もないスケールだ。
江戸川乱歩賞ってすごいね。新人賞でこのレベルが求められるのか。


高野和明の小説を読むのは『ジェノサイド』に続いて二作目。『ジェノサイド』もそうだけど、すごく上手にほらを吹く人だね。
よくよく考えたら到底ありえない話なんだけど、圧倒的な情報、綿密に設定されたディティール、映像的な迫力ある描写で嘘を嘘と思わせない。「そんなにうまくいかないでしょ」という批判を力でねじ伏せるというか。
小説家としてすごい力を持ってる人だと思う。



死刑と冤罪というテーマって意外とミステリでは多くないよね。
ミステリの世界では連続殺人事件もめずらしくないから、その犯人たちの多くは死刑になっているはずなんだけど、ミステリの多くは謎の解明と犯人逮捕(または逃亡)がゴールになっているから、裁判→死刑確定→死刑実行が描かれることはほとんどない。

「ああ犯人が捕まってよかった」と思っているところに「でもこの犯人は後に処刑されます。刑務官がボタンを押して絞首刑にされます」って書いちゃうとすっきりしないもんね。

ミステリでも現実でもぼくらはなるべく死刑について考えないようにしているんだなということを改めて気づかされたね。


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【読書感想文】高野 和明『ジェノサイド』




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2017年12月3日日曜日

葬式に遅刻してスニーカーで行った男


祖母の葬式に遅刻した。
大学生のときだ。

ぼくは関西在住、祖母は福井県の田舎に住んでいることもあり、顔を合わすのは子どものときでも一年に一度くらい、中学生になって親戚付きあいを疎ましく思うようになってからは三年に一度くらいしか会わなかった。
祖父母の家は田舎の農家だから絵にかいたような亭主関白の家庭で、ぼくたちが遊びにいっても祖母は常に台所にいて働いており、食事のときも常に忙しく立ちふるまっていてみんなの食事があらかた済んでから部屋の隅で自分の食事をとっていた。愛想のない人ではなかったが、遊んでもらったという記憶はない。孫が来たときでもそうなのだからずっと働きづめだったのだろう。

そんな祖母だから、あまり思い出がない。
唯一おぼえているのは、ぼくが中学生のときに祖母が家にやってきて、ぼくの姉に向かって「よう肥えたねえ」と言ったことだ。「大人っぽくなった」「女らしくなった」という意味で言った褒め言葉だったのだと思うが、思春期の姉には「デブ」と聞こえたらしく、翌日から食事制限をするようになった。田舎のおばあちゃんらしいエピソードだ。


あまり思い出がないからというわけではないが、ぼくは葬式に遅刻した。
原因は、二度寝。最悪のやつだ。
父から祖母が死んだという電話があり、翌日、下宿先の京都から特急に乗って福井に向かうことになっていた。起きたら出発予定時刻を一時間半も過ぎていた。
前日から行って通夜や葬儀の準備をしていた父に電話をした。
「ごめん、寝坊した」と告げると父は絶句した。「……」絵にかいたような絶句。母親が死んだときに息子から「寝坊したから葬式に遅れる」と告げられた中年男の感情は今でもうまく想像することができない。絶句するしかないのだろう。

「ともかく急いで来い。駅からはタクシーで来い」とだけ言われた。
あわてて喪服を着て家を出た。電車に乗ったところで、いつもの習慣でスニーカーを履いてきてしまったことに気がついた。大学生らしいかわいい失敗だ。しかし今さら取りに帰る時間も、革靴を買う時間もない。そのまま特急サンダーバードで福井へと向かった。
駅でタクシーを拾い、行き先を告げた。本当なら父親が駅まで迎えにくる手はずになっていたが、もう葬式がはじまっている時刻だ。故人の次男が葬式を抜けだすのは無理だろう。
祖母の家は最寄駅から車で四十五分の山中にある。父親が幼少の頃は牛を飼っており、冬の夜は凍えないように家の中に入れていたという。そんな昔話のような家の「ただ、広い」という唯一の長所を活かして家で葬儀をあげることになっていた。
タクシーで四十五分だから料金は一万円くらいだったか。大学生には痛かったが致し方ない。

ぼくが到着すると、葬儀は故人に最後のあいさつをするくだりだった。いよいよ大詰め。ぎりぎり間に合ったのだ。
あまり悲しくなかったが、泣きくずれている父親を見ていると「この人はお母さんをなくしたんだな」と思ってつらくなった。祖母が死んで悲しいというより「母親が死んで悲しい人の気持ちを想像して悲しい」だった。他人の悲しみを拝借しているのだ。人間の感情って複雑だな、とひとごとのように思った。

無事に葬儀が終わった。盛大に遅刻したうえに喪服にスニーカーでやってきたぼくは親戚一同から怒られるだろうなと覚悟していたのだが、ちっとも怒られないどころかおばちゃんたちから「たいへんだったねえ」「よく来てくれたねえ」と労われた。
終わるぎりぎりに現れた変な恰好のぼくを見て「忙しいのにとるものもとらず急いで駆けつけたおばあちゃん想いの孫」と解釈してくれたようだった。
ちがうんです、ただの寝坊です。しかも一度は起きたのに二度寝しちゃったんです。スニーカーなのはただばかなだけです。

父親は苦々しげにぼくを見ていたが、「でもまあ間に合ってよかった」とタクシー代として一万円をくれた。
ラッキーと思ったが、「でも母親を亡くした直後にばかな息子にお金を渡さなきゃいけないなんてこの人もつらいだろうな」と思うとひとごとのように嘆かわしくなった。父親の嘆かわしさを拝借しているのだ。人間の感情って複雑だな。