世界の果てのこどもたち
中脇 初枝
いやあ、すごい小説だった。胸やけするぐらいカロリーの高い小説だ。寝る前にちょっとずつ読んでたんだけど、後半は不眠症になるぐらい刺激的な小説だった。
【ネタバレあり】
主人公は戦時中の満州で出会った三人の少女。開拓民の子として親しく遊ぶ仲だったが、やがてばらばらに。横浜に戻った茉莉は空襲で親や親戚を失い、美子は在日朝鮮人として差別や貧困と闘いながら生きてゆく。満州で終戦を迎えた珠子は日本を目指すが……。
三人ともとんでもなく苦労をするのだが、中でも珠子のおかれた境遇はつらい。戦争が終わったとたん、それまで奴隷のように扱っていた中国人たちに襲われる。
歴史の教科書やドラマでは、終戦は「戦争が終わった! これからは戦争のない世の中が始まる!」といった明るい転機として描かれる。だがそれは日本本土の話であって(もちろんそっちも大変だったのだが)、満州に残された日本人にとっては終戦は過酷な戦いのはじまりだったのだ。想像したことなかったなあ。
財産をすべて奪われ、命も奪われ、命を守るために我が子を殺し、年老いた親を見殺しにし、それでも日本を目指してあてのない旅を続ける人々。
ある年代の人々の中には中国人を蛇蝎のごとく嫌っている人がいたが、こういう経験をしたんなら一生憎むのもわからんでもないかなあ。もちろん、それ以前に日本人が中国人に手ひどい仕打ちをしてきたからこそ仕返しをされたのだけど。
とはいえ軍人や官憲がおこなった悪行のしかえしを開拓民が被ったわけで、開拓民からすれば「一方的にやられた」と感じるだろうなあ。
「我々はただ開拓民として農業をして平和に暮らしていたし中国人とも仲良くやっていたのに、戦争に負けたとたん中国人たちがいきなり襲ってきた」という印象なのだろう。中国人にとっては、「先祖代々の土地を奪った憎い相手だが日本軍がいばっているのでおとなしく言うことを聞いていた。その軍隊が撤退したので、奪われたものを取り返した」って感覚なんだろうけどなあ。
こうして憎しみは受け継がれてゆくんだなあ。
さらに敵は中国人だけではない。
中国人に襲われ、ソ連兵にも襲われ、さらには日本人同士でも奪いあいがくりひろげられる。
『世界の果てのこどもたち』には、空襲で親を失った子どもから食べ物を奪って我が子に与える大人や、死者の所持品を奪う人々、敵に見つからないように子どもを殺させる大人(そしてそれに従って我が子を殺す親)、弱い者をだまして少しでも多くの食料を手に入れようとする人間などが描かれる。
彼らは、決して生まれながらの極悪非道な人間ではないのだろう、きっと。彼らは彼らで生きるか死ぬかの状況にあり、生きるため、あるいは家族を生かすために他者を騙し、攻撃し、奪うのだ。
「苦しいときこそ助け合う」なんて真っ赤な嘘だ。他人に優しくできるのは、自らに余裕があるからだ。苦しいときこそ奪いあうのだ。
珠子は中国人の襲撃から逃げ、ソ連兵から逃れ、その途中で妹や親しい人たちを失う。やっとのことでたどりついた収容所でも劣悪な環境によりばたばたと人が死に、さらに珠子は人さらいに捕まって売られてしまう。たまたま親切な中国人夫婦に買われて、中国人として育てられるのだが、今度は日本人であることが理由で辛酸をなめる。
中国では大躍進政策、そして文化大革命の嵐が吹き荒れていたのだ。
やっと手に入れた平穏の末、ついに日本に帰還を果たす珠子。だが幼少期から中国人として暮らしていたために、その頃には日本語どころか日本人として暮らしていた日々の記憶もほとんど失われていた……。
なんとも壮絶な人生だ。もちろん珠子だけでなく、孤児となった茉莉や、在日朝鮮人として生きる美子もまたそれぞれ想像を超えるほど苦しい日々を送ることになる。
「戦争の悲劇」について語るとき、どうしても死者のつらさに重点が置かれるけど、ひょっとしたら生きのびた人のほうがずっと苦しい思いをしているかもしれない。「それでも生きていただけマシ」とはかんたんに言えないなあ。
なんとも強烈な小説だが、あの時代を経験した人々からするとさほどめずらしくもない話なんだろう。一家全員無事でした、なんてケースのほうがめずらしいぐらいかもしれない。
ぼくの祖父母は大正後半~昭和ヒトケタの生まれだった(昨年祖母が九十九歳で死に、全員鬼籍に入った)。戦争の記憶がある最後の世代だ。この世代は生きていても百歳ぐらいなので、もうほとんど残っていない。
ぼくはとうとう祖父母から戦争体験談を聞かずじまいだった。祖父に関してはふたりとも出征していたそうだが。
なぜ言わなかったのだろう、と彼らの心境を想像する。単純に「聞かれなかったから言わなかっただけ」の可能性もあるが、やはり言いたくなかったんじゃないだろうか。
きっと、ぼくの祖父母も、生きるために他者から何かを奪ったんじゃないだろうか。金銭だったり、物資だったり、ひょっとすると生命を。きれいごとだけでは生きられなかった時代だ。もちろん奪われることもあっただろうが、奪うことも多かっただろう。
きっと平和な時代にのほほんと生きる孫には言えなかったのだろう。どうせ「そうしないと生きていけない時代だったんだよ」と言っても、平和な時代しか知らない孫には伝わらない。だから戦争の思い出をまるごと封印したんじゃないだろうか。
すべてはぼくの勝手な想像にすぎないけど。
ものすごくパワフルな小説だった。三冊の重厚な小説を読んだぐらいの圧倒的なウェイト。
まだ年のはじめだけど、たぶん今年トップクラスの本になるだろうな。
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