2019年9月20日金曜日

【読書感想文】暦をつくる! / 冲方 丁『天地明察』

このエントリーをはてなブックマークに追加

天地明察

冲方 丁

内容(e-honより)
徳川四代将軍家綱の治世、ある「プロジェクト」が立ちあがる。即ち、日本独自の暦を作り上げること。当時使われていた暦・宣明暦は正確さを失い、ずれが生じ始めていた。改暦の実行者として選ばれたのは渋川春海。碁打ちの名門に生まれた春海は己の境遇に飽き、算術に生き甲斐を見出していた。彼と「天」との壮絶な勝負が今、幕開く―。日本文化を変えた大計画をみずみずしくも重厚に描いた傑作時代小説。第7回本屋大賞受賞作。

いやあ、すごいなあ。
「算術」「天体観測」「改暦」といった、小説としては地味なテーマを描いているのに、こんなにおもしろくなるんだから。

冲方丁さんはSF作家で、時代小説はこれがはじめての作品だそうだ。
以前に「時代小説はファンタジーだ」という持論を書いたけど(【読書感想文】時代小説=ラノベ? / 山本 周五郎『あんちゃん』)、この主張を裏づけてくれるかのようなSF作家の時代小説。
「星はときに人を惑わせるものとされますが、それは、人が天の定石を誤って受け取るからです。正しく天の定石をつかめば、天理暦法いずれも誤謬無く人の手の内となり、ひいては、天地明察となりましょう」
 自然と、いつか聞いたその言葉が口をついて出た。あの北極出地の事業で、子供のように星空を見上げる建部と伊藤の背が思い出され、我知らず、目頭が熱くなった。
「天地明察か。良い言葉だ」
 正之が微笑んだ。先ほどの殺伐とした枯淡さはなく、穏やかで、ひどく嬉しげだった。そしてその微笑みのまま呟くように言った。
「人が正しき術理をもって、天を知り、天意を知り、もって天下の御政道となす……武家の手で、それが叶えられぬものか。そんなことを考えておってな」
 半ば盲いた正之の目が、そのとき真っ直ぐに春海を見据え、
「どうかな、算哲、そなた、その授時暦を作りし三人の才人に肩を並べ、この国に正しき天理をもたらしてはくれぬか」
 それが三度目の、そして正真正銘の落雷となって、春海の心身を痺れる思いで満たした。
「改暦の儀......でございますか」
 すなわち八百年にわたる伝統に、死罪を申し渡せということだった。

「新しい暦を作る」と言われても現代人にはぴんとこない。ぼくらは生まれたときからずっと同じ暦(グレゴリオ暦)を使いつづけているのだから。
「暦を変えたらカレンダー屋さんや手帳を作っている出版社はたいへんだろうな」とおもうぐらいだ。
しかしこれがとんでもないことなのだ。

当時の日本では八百年にもわたって宣明暦という暦が使われていた。
しかし当初の計算が正確ではなかったため、八百年も使いつづけているうちに実際の天体の動きとの間に二日間のずれが生じてしまったのだ(九世紀に作られた暦が八百年で二日しかずれなかったってのもすごいけど)。

そこで、主人公である渋川春海がより正確な暦をつくることを命じられ、数学や天文学などを駆使して新暦を作りつつも朝廷らとの政治争いにも巻き込まれ……。

と、ストーリーを説明してもこれがスリリングな展開になるということがなかなか伝わらないだろうなあ。
うーん、申し訳ないけど一度読んでみてというほかない。



しかし暦をつくるのってたいへんなんだなあ。
あたりまえのように使っている暦だけど、天体の動きを表したものであり、人々の生活の土台であり、統治者の威光を示すものであり、未来を予測するためのものなんだもんなあ。
 膨大な数の天測の数値を手に入れ、何百年という期間にわたる暦註を検証した結果、太陽と月の動きが判明したのである。
 太陽と惑星は互いに規則的に動き続けている。そのこと自体は天文家にとって自明の理である。
 だがその動き方が、実は一定ではないということを、春海は、おびただしい天測結果から導き出したのだった。
 太陽は、地球に最も近づくとき、最も速く動く。逆に最も遠ざかるときには、最も遅く動いているのである。これは、厳密に秋分から春分までを数えるとおよそ百七十九日弱なのに対し、春分から秋分までは、およそ百八十六日余であることから、明らかになっていた。
 後世、″ケプラーの法則″と呼ばれるものに近い認識である。このいわば近地点通過、遠地点通過の地点もまた、徐々に移動していく。となると、その運航はどんな形になるか。
 楕円である。
「……そんな馬鹿な」
 思わず呟きが零れた。だがそれが真実だった。今の世の誰もが、星々の運行を想像するとき、揃って円を思い描く。真円である。それが、神道、仏教、儒教を問わず、ありとあらゆる常識の基礎となっている。そのはずではなかったのか。星々の運行、日の巡り、月の満ち欠けにおいて、いったい誰が、こんな、奇妙にはみ出したような湾曲した軌道を想像するというのか。
今のように優れた観測器具やコンピュータもない江戸時代に、観察と計算だけでこんなことまで明らかにしていた人がいたなんて。
ただただ感心するばかり。


そういえば、地理人(今和泉隆行)さんという人のトークイベントを聴きにいったときのこと。
地理人さんは「存在しない街の地図を精密に描く」という趣味を持っているのだが、最近はよりリアルな街の地図を描くためにプレートテクトニクスを学んでいる、と語っていた。
なぜこんな街並みなのか。それはここに川があるから。
なぜここに川があるのか。それはあそこに山があるから。
なぜあそこに山があるのか。それはプレートとプレートがぶつかって……。
ということで、地図を知るためには地球そのものについて学ぶ必要があるのだ、と。

もちろんプレートテクトニクスだけではいけない。
街がその形になったのには、いろんな原因がある。それをつかむためには歴史、文化、経済、法律、軍事、宗教、さまざまなことを知らなくてはならない。
精密な地図を書こうとおもったら、森羅万象を知らなくてはならないのだそうだ。

暦も同じなのだろう。
あらゆる方面に深い造詣を持ちながらも謙虚さを崩さない渋川春海の姿に、同性ながら惚れ惚れする。

『天地明察』には主人公の渋川春海と並んで、和算を興した関孝和という天才も出てくる。
登場シーンは少ないのだが(話題にはよくのぼる)、この天才の姿もまたかっこいい。

いやあ、江戸時代にもとんでもない天才がいたんだねえ。
なめてたよ、江戸を。すんませんでした。


【関連記事】

【読書感想文】平面の地図からここまでわかる / 今和泉 隆行 『「地図感覚」から都市を読み解く』



 その他の読書感想文はこちら


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿