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2024年3月5日火曜日

小ネタ12

切手

 切手が値上げするらしい。はがきは63円→85円、封書は84円 or 94円→110円になるそうだ。

 ずいぶん高くなるなあと感じたが、よく考えたら、日本中どこにでも、しかも相手の玄関にまで届けてくれるサービスが100円前後だなんてそれでもめちゃくちゃ安いよなあ。

 しかしスケールメリットがあるからこそ100円かそこらでできているわけで、値上げによって利用者が減ればスケールメリットもなくなってさらに値上げして……と値上げスパイラルになるかも。

 ま、「面倒だから手紙出さない」人はたくさんいるけど「63円が85円になるから出さない」って人は少ないだろうな。



後頭部

 散髪が終わった後、理容師が手鏡で後頭部を見せてくれて「どうでしょう?」と言われる。

 どうでしょうと言われても、自分の後頭部を見るのなんて散髪後だけなので、いつもと比べていいのか悪いのかわからない。

 せめて髪を切る前にも手鏡で後頭部を映して「こちらがカット前の後頭部です」とやっといてくれよな(やらなくていい)。


知らんけど

関西人「知らんけど」

論語「子曰く」

ニーチェ「ツァラトゥストラかく語りき」



2024年3月4日月曜日

小ネタ11

ネーミング

 おしりふきは汎用性が高くてすごく便利なのに、ネーミングのせいで使われにくくなっている。もっとしゃれた名前にできないものか。


五十音順

 世界史の教科書に出てくる人物名を五十音順に並べたら、たぶん愛新覚羅(あいしんかくら)が最初だろう。

 ……とおもったけど、愛新覚羅よりもアイザック・ニュートンのほうが前だな。世界史の教科書には出てこないかな。他にもっと早い人はいるかもしれないが、最後は完顔阿骨打(わんやんあぐだ)でゆるぎない。


メイン

 学生時代、中国に旅行していた。数人の日本人で話していたとき、話の流れでひとりの女の子が「それだったら私みんなのためにメイドさんになったげるわ」と言った。

 そのとき「メイド・イン・チャイナやな」と言ったのは、ぼくの生涯ベストダジャレだとおもう。


SDGs

 娘が小学校でSDGsについて教わっている。

 それはいいんだけど、いまだに「一年生の算数で数回使うおはじきセット」とか「三年生で数回使うだけのそろばん」とかを生徒全員に買わせるのはなんでなんだ。学校で買って貸与してくれよ。鍵盤ハーモニカとかは口をつけるからわかるけど。SDGsってなんなんだ。




2024年3月1日金曜日

ハーファログ現象


 テレビで「電車内での通話は禁止行為とされているのはなぜなのか、改めて考えてみよう」という話題をやっていた。

 たしかに考えてみれば妙な話だ。かつては電車内での携帯電話の使用自体をやめましょうと言われていたが(ペースメーカーに悪影響を及ぼすという理由で)、それもなくなった。

 また、電車内での通話がうるさいと言われればたしかにそうなのだが、隣の人とうるさくしゃべっている人もいる。電車内での大声でのおしゃべりもマナー的には良くないが、禁止行為というほどではない。

 じっさいぼくも電車内で通話している人がいれば「やめろよ」と不愉快におもうが(口には出さない)、それは「禁止されている行為をしている」から腹を立てるのであって、そもそも禁止されていなければそこまで腹は立たない。


 番組では「ハーファログ現象」という言葉を紹介していた。

 近くに電話でしゃべっている人がいると、聞いている人の脳が「相手は何と言っているんだろう?」と勝手に想像してしまい、ストレスがかかるのだという。番組では「脳が乗っ取られたような状態」とまで言っていた(さすがにそれは言いすぎだ。それぐらいで乗っ取れるのなら話しかけるだけでも乗っ取れてしまうだろう)。

 まあ、それもわかる。たしかに会話の一方の声だけが聞こえてくる状況は非常にストレスフルだ。


 昔、自室にいたら隣の部屋で姉が観ているテレビの音が聞こえてきたことがあった。

 漏れ聞こえてくる程度なので、何を話しているかはわからない。だがひとりの声だけが妙に甲高くてやかましいのだ。他の人たちの声はぼそぼそ低い音が聞こえてくるだけで気にならないのだが、ひとりの声だけがとにかくやかましい。まるで猿の鳴き声のように。

 なんでこいつの声だけがやかましいのだろうとおもって隣の部屋に行ってテレビ画面をのぞいて納得した。明石家さんまがしゃべっていたのだ。


 それはそうと、「ハーファログ現象」のせいで一方の声だけが聞こえる電車内の通話が不愉快ということであれば、いい解決策がある。

「スピーカーONにするのであれば電車内で通話してもよい」というルールにするのだ。


2024年2月22日木曜日

エレベーターのボタンを両方押すとかえって遅くなる。自分自身も。

 

 エレベーターに早く来てほしくて、ボタンをふたつとも(ふつうの呼び出しボタンと車椅子用エレベーター用呼び出しボタン)押すやつがいる。早く現世から退場してほしい。

 彼ら彼女らが愚かなのは、「自分さえよければ他人はどうでもいい」やつだからではない(それもあるが)。「他人はもちろん、自分も損しているのにそれに気づいていないから」だ。

 エレベーターのボタンを両方押すと、かえって遅くなる。


 たとえばエレベーターが2機あるとする。1機は小さめのエレベーター(A)、もう1機は車椅子用エレベーター(B)とする。ともに1階に停止している。

 10階から1階に行きたい人が[↓]のボタンを押す。するとエレベーター(A)が上昇をはじめる。

 数秒遅れて5階の人が[↓]のボタンを押す。エレベーター(B)が上昇をはじめる。

 他にボタンを押す人がいなければ、エレベーター(A)もエレベーター(B)も1階から呼び出された階まで上昇し、人を乗せ、止まることなく1階に到着する。どちらも必要最低限の時間で1階に到着する。


 一方、10階から1階に行きたい人の思考能力が欠如しており、[↓]のボタンを押し、さらに車椅子用エレベーター呼び出しボタンも押した場合を考える。

 この場合、エレベーター(A)が上昇をはじめ、10階に向かう。少し遅れてエレベーター(B)も10階に向かう。

 5階の人も[↓]のボタンを押すが、エレベーターは2機とも5階を通過して10階に向かう。なぜなら両機とも「10階から先に呼び出された」という指示を優先するから。

 10階でボタンをふたつとも押した阿呆は、先に到着したエレベーター(A)に乗る。当然ながら、エレベーターが到着する時間はボタンをひとつだけ押したときと変わらない。

 少し遅れてエレベーター(B)も10階に到着するが、誰も乗る人がいないのでそのまま無駄に待機する。

 エレベーター(A)は阿呆を乗せて下に降りる。そして5階で止まる。5階で呼び出した人を乗せるため。


 つまり、阿呆がボタンをふたつとも押すことで、

・5階の人は、本来スムーズに来たはずのエレベーター(B)に一度素通りされるので損

・10階の阿呆は、本来ノンストップで1階まで降りられたはずなのに、途中で5階に止まるので損

・エレベーターは両方とも10階に向かうことになり、無駄にエネルギーを消費

と、三方一両損なのだ。

 ボタンを全部押す阿呆は思考能力が欠如しているので「全部押せば早くなる。少なくとも遅くはならない」と信じているかもしれないが(すべてのエレベーターが独立して動いているのであればその通りだが、そんなエレベーターはほぼないだろう)実際は「全部押しても早くはならない。状況によっては遅くなる」のだ。


 自分自身も損をすることに気づかず、今日も阿呆はエレベーターのボタンを全部押す。



 ということで、エレベーターのボタンを全部押すやつはきっちり捕まえて、1時間の違反者講習を受けさせることにしようぜ!



2024年2月20日火曜日

小ネタ10

ジブリの乗り物

 ジブリアニメでいちばんスリルのある乗り物は、ドーラの飛行船でもなく、ポルコ・ロッソの飛行艇でもやく、キキのほうきやトンボの改造自転車でもなく、誰が何といってもリサの軽自動車。


今はもう

 ひゃくねんやすまずに チクタクチクタク

 おじいさんといっしょに チクタクチクタク

 いまは もう うごかない

 その点P


四段論法

 馬鹿な子ほどかわいい

 かわいい子には旅をさせよ

 旅は道連れ

→ 馬鹿は道連れ



2024年2月16日金曜日

懺悔

 みんなで食べようと買ってきたじゃがりこを置いていたら、なくなっている。家族の誰かが食べたにちがいない。

 買ってきてから、なくなっていることに気づくまで、家にひとりでいたのは長女だけ。

 長女は学校から帰った後にときどきお菓子を食べている。だらしないのでよく机の周りにお菓子のごみが置きっぱなしになっている。

 長女に「食べた?」と訊くと、知らないという。

 しかし、状況的に長女以外はありえない。

「食べたらだめって言ってるわけじゃないんだよ。何も言わずに置いといたお父さんが悪いんだから。食べたからって怒ったりしないよ」と伝えた後に、「食べたでしょ?」と訊くと、やはり長女は「食べてない」と言う。

 以前にも同じようなことがあって、そのときも犯人は長女だったのだが嘘をついてごまかそうとした。こいつぜんぜん反省してないじゃないか。

「なあ、食べるなって言ってるんじゃない。食べたことを隠すなって言ってるの!」と強めに叱った。長女は「知らんし……」と言ったきり黙りこんでしまった。


 出勤のために家を出てからも、もう、なんで嘘を認めないんだとぷりぷりし、電車の中で「子ども 嘘 認めない」なんて検索してどう対処したら潔く嘘を認められるんだろうと考え、帰ってからも長女に対して「今日はお菓子食べたらだめだよ!」なんて冷たくあたっていた。

 少しして、長女が食料品置き場をごそごそやっていたとおもったら、出てきたのだ、じゃがりこが……。


長女「あったよ」

ぼく「えっ……、どこに」

長女「べつのお菓子の袋の奥のほうに入ってた」

ぼく「あー……。ごめんなさい」


 めちゃくちゃばつが悪い。

 しかも、長女はそれ以上何も言わないのだ。いっそ「ほら、食べてないって言ったじゃん!」とか責めたててくれたほうがまだいいのに、何も言わないのだ。ぼくの謝罪をあっさり受け入れ、あとは普通に接してくる。余計に心苦しい。

 こいつ、なんて大人なんだ……! 父親があんなにみっともないふるまいをしてというのに……!


 愚かな自分を忘れぬよう、自省のためしたためる。



2024年2月13日火曜日

第2回門戸厄神厄払いツアー

「厄払いしないと悪い目に遭うと脅されて行くのは嫌だから、厄年のおっさんたちが楽しく行く厄払いツアー」を今年も決行した。

 早生まれのぼくは今年が本厄、同級生たちは後厄だ。


 去年は厄年おっさん四人で行ったが、うちひとりは子どもの病気のため今年は欠席。しかし新たに二人を加え、おっさん五名での厄払いツアーとなった。それぞれ子どもたちも連れてきて、おっさん五名+子ども五名の大所帯だ。

 去年は阪急門戸厄神駅から歩いたが、今年は甲東園駅に集合。そこから「山陽新幹線記念公園」なる公園に行く。公園から山陽新幹線が通るところをを見下ろすことができるという新幹線好きにはたまらないスポットなのだ。が、電車好きの子どもが病気により欠席だったため、特に新幹線に心躍る人はいない。「新幹線が見える」と「新幹線建設工事中に亡くなった人の慰霊碑がある」以外には何にもない公園なので、すぐに退去。そこから歩いて厄神明王のおわします東光寺へ。

 去年もやってもらった「そえごま」なる厄払い儀式。八百円払う。

(去年の日記を見て気づいたのだが、去年は五百円だった。一年で六割の値上がり! 原油価格高騰の影響がこんなところにまで)

 お参りをして、御守りを買う。そういえば去年ここで娘に御守りを買ってやってランドセルにつけていたのだが、少し前にその御守りが破れて穴が開いていた。ランドセルにぶらさげているだけなのになぜ穴があくのか、とおもって買いなおしたのだが、その御守り、なんと「身代わり御守り」という名前なのだ。ということは娘の身代わりになって破れたのか。御守りがなかったら娘が破れていたかもしれない。


 参拝の後、近くの関西学院大学まで歩く。関西ではよく知られた名門大だ。「かんさいがくいん」ではなく「くゎんせいがくいん」と読む。小さい「ゎ」の字を使うのは関学とシークヮーサーだけだ。

 関学は関係者以外でも自由に出入りできる。芝生の上では、近所の家族連れがシートを広げてお弁当を食べたり、子どもたちがボールやラジコン遊びに興じている。

 偶然にも我々五人のおっさんのうち二人が関学に通っていた。だが一人は関学に一年だけ通った後他の大学を受験しなおしてそちらに移り、もう一人は関学卒業後に別の大学に入りなおした。ふたりとも最終学歴が関学でない。つまりは「関学を捨てたやつら」だ。だがそんな連中も関学は拒まない。懐の広い、いい大学だ。


 関学の芝生で缶蹴りや大縄跳びやケイドロで遊び、おやつを食べた。おっさんのひとりが「嫁さんが怒っているから早めに帰るわ」とトボトボと帰っていった。後ろ姿の悲壮感がすごかった。厄払いしても、厄は家にいる。


【関連記事】

門戸厄神厄払いツアー

2024年2月6日火曜日

高級腕時計の世界

 少し前の『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』で腕時計の話をしていた。

 高級腕時計が好きな村上さんが、腕時計にまったく興味のない野田さんに数百万円出してもなかなか買えない高級腕時計の話をしていたのだが、そこで野田さんが放った質問がおもしろかった。

「えっ、それだけ高いってことは……。もしかして、ゲームとかできたりする?」

 もちろんこれはボケだ。その後で村上さんに「そういうのはできない」と否定され、さらに「じゃあアラーム機能は?」とボケを重ねていた。

 子どもの質問のようなボケなのだが、意外と真理をついている。改めて「何百万円もする腕時計なのに数千円で買える腕時計よりも機能が上回っていないのはなぜか」と考えるとなかなか答えるのはむずかしい。


 ぼくも高級腕時計のことは知らないが、高級腕時計に「時を知らせる」以外の機能がついていないことは知っている。もちろん指す時刻が正確だとか、自動巻き機能がすごいとかはあるのだろうが、大したメリットとはおもえない。ほとんどの人はゼロコンマ数秒のずれなんか気にしないし、なんなら今は自動で時間をあわせる機能のついた時計もお手頃価格で買える。自動巻き機能だってそれがなに? って感じだ。数百万円の腕時計を買う人が電池代を惜しむとはおもえないし。

 機能面、実用性で考えたら高級腕時計はデメリットだらけだ。自動巻きなので数日使わなかったらずれてしまう。アラーム機能がない。日付も曜日もわからない。歩数計機能もない。重い。文字盤が読みにくい。なにより高い。

 三万円も出せば、自動時刻合わせ機能があって、防水機能があって、傷がつきにくくて、歩数計もついてて、アラーム(スヌーズや曜日別設定も可能)もあって、ストップウォッチにもなって、日付も曜日もわかって、心拍数も測れて、スマホと連動して通知機能もあって、文字盤も自由に変えられるスマートウォッチが買える。

 値段を伝えずに小学生に「どっちが欲しい?」と訊いたら、多くは三万円のほうを選ぶだろう。大人だってそうかもしれない。


 でも、現実問題として使いにくいほうの腕時計のほうが高い値がついている。

 腕時計に限った話ではない。服でも靴でも自動車でも料理でも、ある程度の価格までは価格に比例して機能も充実するが、一定の価格以上は機能と比例しない。「誰がつくったか」「誰が使っているか」「みんなが欲しがるか」など、機能とは関係のないところで価格が決まっている。五千円のシャツは五百円のシャツよりも質のいい生地を使っているだろうが、五万円のシャツが五千円のものよりいい生地を使っているかというと、必ずしもそんなことはない。

 つまりモノの価格には「機能や材料によって決まる価格(主に売り手の事情によって決まる価格)」と「機能や材料とは無関係の価格(主に買い手の事情で決まる価格)」の二種類があるわけだ。

 野田さんが言った「それだけ高いってことはゲームとかできたりする?」は前者の考えであり、村上さんの「高い時計だからそういうのはできない」は後者の考え方だ。どっちも部分的にはあっている。


 ちょっとしたボケだが、価格決定のメカニズムを問うやりとりだ。経済学の入門書に載せてほしい。


2024年1月18日木曜日

オブラート VS おくすりのめたね

『おくすりのめたね』という商品がある。

 粉薬や錠剤など子どもが飲みにくい薬を、ゼリー状の物質で包むことで飲みやすくするという商品だ。子どもだけでなく大人でも使える。


 最近「『おくすりのめたね』が普及したせいで、オブラートが売れなくなっている」という話を耳にした。

 オブラートは絶滅寸前のようだ。そもそもぼくは薬を飲むのにオブラートを使ったことがない。オブラートを口にするのはボンタンアメを食べるときだけだ。それすら二十年以上食べていない。


 物質としてのオブラートは絶滅寸前だが、比喩の世界ではまだまだ現役だ。

「言いにくいことを遠回しに伝える」ことを指す比喩として「オブラートに包む」という表現が使われる。

 このまま物質としてのオブラートは消滅して「走馬灯」や「拍車」や「超新星」のように“比喩の中だけで生きる言葉”になるのだろうか。

 それとも比喩のほうでも消滅して、『おくすりのめたね』に取って代わられるのだろうか。

 義母に向かって来るなとも言えず、恵は「お忙しいでしょうし、わざわざ来ていただかなくて大丈夫ですよ」とおくすりのめたねに包んで伝えた。




2023年12月26日火曜日

都市と郊外の外食文化について

 通信技術の発達により、都市と文化で入手できる情報の差は大きく縮まった。

 もちろん劇場に足を運んだり、映画館に通ったり、展覧会に行ったりは圧倒的に都市のほうがしやすい。とはいえ、まったく同じではないにせよ、オンライン配信などで現地に行かなくてもアクセスできる機会は大きく増えた。

 また、ネット通販などの普及で、ほとんどのものが日本中どこでも買えるようになった。


 そんな時代において、都市と地方でもっとも差が大きいのは外食文化じゃないだろうか。

 そもそも外食店がほとんどない田舎はもちろん、郊外都市においても、外食文化は都市部と比べて大きく見劣りする。

 イオンモールや国道沿いに立ち並ぶ店に行けば、ひととおりのものは食べることができる。ラーメン、ハンバーガー、うどん、そば、和食、中華、イタリアン、寿司、お好み焼き、しゃぶしゃぶ、洋食、牛丼、カレー、珈琲……。一通りはある。一通りは。

 だが、選択肢は少ない。そばならあの店、寿司ならあそこかあそこ。選択肢はせいぜいひとつかふたつ。

 また、一通りはあるが、それ以上はない。スリランカカレーの店も、スペインバルも、タコスのうまい店も、太刀魚料理専門店も、高知郷土料理も、創作寿司の店も、立ち呑み屋も、鯨料理の店も、玄米食堂も、ない。

 ぼくが生まれ育った郊外の市(人口十数万)がそんな感じだった。だいたいの店はある。けれど個性的な店は少ない。そもそも個人店が少ない。人口百万超都市に引っ越して、世の中にはこんなにもいろんなめずらしい料理屋があったのかとおもったものだ。


 日本中、いや世界中どこにいてもいろんな情報やモノにアクセスできる時代になったけど、メシばっかりはそうかんたんにはいかない。お取り寄せは食べに行くのとぜんぜんちがうものだし。そもそも「注文して、1週間後に到着して、盛り付けたりあたためたりして食べる」と「今日何食べよっかなーと考えながら店に行く」が同じ体験であるはずがない。

 メシって人生においてかなり重要な部分なのに、地方移住の話をするときにそのへんの話が語られなさすぎるんじゃないかな。

「うちの市は人口のわりに飲食店がすごく多くて、バラエティも豊富で、台湾みたいに外食文化が盛んなんですよ」って街があったらけっこう人を惹きつけられるんじゃないかな。外食好きな人が集まれば飲食店も増えて、相乗効果でどんどん盛り上がるだろうし。


2023年12月18日月曜日

小ネタ8

3in1

 レゴにクリエイター3in1というシリーズがある。これは、1つのセットで異なる3つ(以上)の作品をつくれるというものだ。たとえば3in1ダイナソーなら、ティラノサウルスをつくることができ、組み替えればトリケラトプスになり、また組み替えればプテラノドンになる(ついでに首長竜にもなる)。

 このシリーズ、動物、犬、乗り物、船、家、商店、町などさまざまなものがあるが、ぼくがあったらいいなとおもうのは「行事」だ。

 組み立てればクリスマスツリーになる。ばらして組み立てなおせば門松と鏡餅になる。また雛壇になってレゴ人形を飾ればひな飾りになる。兜とこいのぼりになり、笹と短冊になり、ハロウィンのカボチャになる……といったぐあいに。狭い日本の住宅にぴったりだ。

 もちろん最後は墓になってくれる。ぼくが死んだら墓はレゴでいい。


Winnie-the-Pooh

『くまのプーさん』の原題は『Winnie-the-Pooh』だ。

 英語で「A the B」は「BであるA(固有名詞)」という意味になる。たとえば『Popeye the sailor man』は「船乗りであるポパイ」、『Shaun the Sheep』の邦題は『ひつじのショーン』だ。Jack the ripper(切り裂きジャック)や、André the Giant(アンドレ・ザ・ジャイアント)など、人や動物の特徴を表すのに使われる。

 つまり『Winnie-the-Pooh』は日本語にすれば「プーであるWinnie」となる。調べたところ、“Winnie”とはアメリカで有名だったクマの名前だそうだ。クマといえばWinnie、というほど有名だったそうだ。レッサーパンダといえば風太、コリーといえばラッシー、ゴマフアザラシといえばゴマちゃん、みたいなものか。クリストファー・ロビンもクマといえばWinnieだよね、と安易に名付けたようだ。

 じゃあpoohってなんなんだ。この言葉、ふつうの辞書には載っていない(載っていたとしても「くまのプーさんのこと」などと書いてある)。諸説あるが、一説には「風の吹く音」からきているだそうだ。日本語の「ぴゅー」みたいなもの。

 つまり、『Winnie-the-Pooh』は『ピュ〜と吹く!ジャガー』とほぼ同じ意味。


死人に鞭うて

 とっととなくしたほうがいい慣習はいろいろあるが、そのひとつが「死人に鞭うつな」だ。

 隠蔽されたり言い逃れされたりするおそれがないんだから、生前の悪事を徹底的に追及したらいい。

 生きてる人と死んでる肉片、どっちを大事にしたほうがいいかっていったらどう考えても生きてる人だろう。

 ぼくのことも死んだら好き勝手言ってくれていい。だから死ぬまではあれもこれもだまっててほしい。



2023年12月1日金曜日

きびきびしていない

 こないだ、娘が通う小学校の運動会を見に行った。

 で、「〇〇さん基準、体操の隊形にー、開け!」ってやっていた。それを見ておもったこと。


・そういや去年まではやってなかった

 娘は四年生なので去年までも運動会はやってたんだけど、去年まではコロナ禍での開催ということで、最初から生徒同士の間隔を空けていた。だから当然「体操の隊形に開け!」もなかった。「体操の隊形に開け!」もコロナでなくなっていたもののひとつだ(「体操の隊形」自体はあった。「体操の隊形じゃない隊形」がなかった)。


・まだやってんのか

 「体操の隊形に開け!」をすごくひさしぶりに見た。大人になったらやらないもんな。体操するとしても「横の人との間隔をとってくださーい!」とか言うもんな。


・きびきびしてない

 他の学校はどうだか知らないけど、娘の小学校の「体操の隊形に開け!」はぜんぜんきびきびしてなかった。みんなダラダラ歩いて、ゆっくり広がっていた。

 すばらしい!

 ぼくが学生のときはそんなことなかった。「体操の隊形にー」で走る準備をし、「開け!」で一斉に走り出さないといけなかった。所定の位置まで駆けたらぴたっと止まり、細かい位置調整のほかは極力動かないように厳しく言われていた。

 はっきりいってなんの意味もないクソ無駄行為だ。体育教師が軍の上官気分になって嗜虐趣味を満たすことをができるという以外には何も生み出さないゴミくず蛮習だった。

 その「きびきび動く」が令和の小学校においてはなくなっているのだ(他の学校は知らない)。

 きっと、「走れ!」とか「きびきび動け!」とか言う、何も考えていない教師が絶滅したのだろう。たいへん喜ばしいことだ。ビバ絶滅!


 さあ、次は保護者をさしおいていちばん正面のテントでえらそうにしている来賓を滅ぼす番だ!


2023年11月21日火曜日

小ネタ6

 

引き取り

ここはひとつお引き取りください。息を。


余計な真実を言う人

「まあまあ、本人もこうやって反省してるポーズをとってるわけですし」


みみ

食パンの耳を表す漢字は「餌」。


好調

テレビのニュースで「クマの出没増加を受けて、クマ撃退グッズが好調です」と伝えていた。

それを「好調」と呼ぶのってあってるんだろうか。そりゃあ武器商人にとっては「戦争が起きて武器が好調です!」って気持ちかもしれないけど、買うほうは買いたくて買ってるんじゃないよ。

どこかの100均ショップで香典袋に「今売れてます!」というポップがつけられていたけど、それに似たものを感じる。売れてるからって人気とはかぎらんぞ。



2023年11月14日火曜日

小ネタ5

カッパチーノ

 アンパンマンのサブタイトルが「バタコさんとカッパチーノ」だった。

 てっきりアル・パチーノみたいなマフィア風のキャラが出てくるのかとおもって観ていたら、お皿の部分がコーヒーカップになっている河童のキャラが出てきた。

 アル・パチーノじゃなくてカプチーノのもじりだった。


鼻にティッシュ

 近所の男の子が鼻にティッシュを詰めて歩いていたので「鼻血?」と訊いたら、「なんでわかったん!?」と驚かれた。


アクセント

 インディーズのCD、と発音するとき「ディ」にアクセントを置いて発音する。本来の発音は「イ」にアクセントだとおもうのだが。なぜだろう。

 雑貨屋のLOFTや、住宅の中二階のロフトも、フにアクセントが置かれる。最初に言い出した人がまちがえたというよりわざとやっているとしかおもえない。

「外国語をわざとイントネーションを変えて発音する」現象に名前はついているのだろうか。


インディーズ

 ついでに「インディーズ」の定義を調べたら、Wikipediaに「主要なインディーズ音楽レーベル」という項目があった。インディーズなのに主要とはこれいかに。「ベテラン若手芸人」みたいなものか。



2023年11月10日金曜日

小ネタ4

紫外線

「紫外線は肌に悪い」なんていうけど、ずいぶんと雑なくくりじゃないか。

 紫外線とは、波長が400ナノメートルより短い光線のことを指す。ヒトの目に見える最も短い波長が紫で、それより短いから紫外線というわけだ。

 くわしいことはよく知らないけど、400ナノメートルより短い波長の光がどれも等しく肌に悪いかというと、たぶんそんなことないだろう。めちゃくちゃ悪いやつもあれば、わずかに悪いやつもあるはずだ。もっといえば、紫外線じゃないけど紫外線と同じくらい肌に悪い光線だってあるんじゃないか。

「紫外線は肌に悪い」なんていうのは、「海外は治安が悪い」というぐらい雑な論調じゃなかろうか。


わり算のあまり

 小学四年生くらいで「わり算のあまり」を習う。15÷4は3あまり3、みたいなやつ。

「あまりを求めましょう」ばかり出題されるけど、現実には「たりず」が求められる場合もけっこうある。

 たとえばさ。15個のプチシュークリームをもらいました。家族4人で分けます。算数のわり算だと「3あまり3」となるけど、「3あまるから、1人3個ずつ分けて、あまった3個は捨てましょう」……とはならないわけじゃん。現実的には。

 あまってもしょうがない。プチシューは日持ちしないし、おすそわけするようなものでもない。りんごだったら3/4ずつできるけどシュークリームを分割したらべちゃべちゃになる。

 だからじっさいは「1人4個ずつね。お父さんは3個でいいよ」となるわけだよね。計算式でいえば「15÷4は4、1たりず」という思考が求められる。

「あまりを求めましょう」だけでなく「たりずを求めましょう」の問題があってもいい。


モテ自慢

 ふと気づいたんだけど、「モテ自慢」をするのは99%男だ。

 女は「彼氏/夫がステキ自慢」をすることはあっても「多くの人にモテる自慢」はしない。



2023年11月9日木曜日

俳優が不祥事を起こしたら、その人の過去の出演作品が公開停止になる件

“俳優が不祥事を起こしたら、その人の過去の出演作品が公開停止になる”件について。

「これから公開しようとしていた映画」や「公開したばかりの映画」をお蔵入りにするのには反対だ。罪のない、制作会社や監督や他の出演者が被害を受けるので。


 その一方で、「過去の出演作品」を配信停止にするのはどうなんだろう。

 観られなくなるのは困る、という気持ちはわからんでもないが、「そもそも十年前の作品を今観る人がどれだけいるんだ?」ともおもう。

 俳優Aが逮捕されたらしい → 俳優Aって何に出てた人だっけ? → そうだ、十年ぐらい前のZという作品に出てたんだ → ひさしぶりにZを観たくなったなあ → えっ、Zが配信停止? 観たかったのに!

……みたいなケースも多かったんじゃないだろうか。

 つまり、Aが逮捕されたから観られなくなったZは、Aが逮捕されてなかったらそもそも観ようともおもわなかったんじゃないだろうか。


 仮に、過去作品の配信停止の基準をもっと厳しくしたらどうだろう。出演者が逮捕されたら配信停止、逮捕されなくても不倫とか炎上でも配信停止、出演者だけでなく裏方がやらかしても配信停止、とする。

 すると「この作品は今観とかないといつ観られなくなるかわからない!」となり、積極的に新作を観ようとする人が増えるんじゃないだろうか。

 そして、俳優や制作会社からすると古い作品を何度も観る人よりも最新作を観る人が増えるほうがありがたいんじゃなかろうか。


「これは貴重な作品ですよ」

 「というと」

「五十年前の作品なんですけどね。キャスト、スタッフ誰ひとりその後何の問題も起こしていないんです。五十年前の作品で今でも観られるのはこれぐらいですよ」



2023年11月8日水曜日

オセロの先手

 前にもちらっと書いたことがあるけど、オセロ(リバーシ)の先手は実質後手だ。


 初手で先手(黒)が置ける場所は以下の4つだ。


 この4つ、回転・反転させればどれも同じ形になる。たとえばAとBは線対称、AとCは点対称、AとDも線対称だ。オセロは上下左右が意味を持たないので、どれも同じ形とみなしていい。

 指す手によって盤面が変わるのは二手目(後手側)からだ。だから、上図の形から白先手ではじめてもいっこうにかまわない。


 つまりオセロの初手は野球の始球式と同じで、単なるセレモニーにすぎないのだ。

 オセロの大きな大会を開催するときは「アイドルや金メダリストがやってきて初手だけ指す」というファンサービスイベントをやってもいいかもしれない。




2023年11月2日木曜日

他人のジョーク

 こないだ、某氏の市長が公式のスピーチで「スピーチとスカートは短いほうがいい」と発言し、内容が不適切だとしてニュースになっていた。

 けしからん。じつに不適切だ。

 ぼくが不適切だとおもうのは、「どこかの誰かが考えて、さんざん使われて、誰もが知っているジョークを我が物顔で使うこと」だ。


 なんなんでしょうね。ああいうこという輩。

 レストランで食事が運ばれてくるのが遅かったら「遅いな。今、魚釣りに行ってんちゃうか」みたいなのはまだいい。身内でやっているだけだから。

 問題は、不特定多数が集まる場。式典の来賓あいさつとか、結婚式のスピーチとか。

 そういう場で「誰かが考えた話」を我が物顔で披露する人の気が知れない。寄席じゃないんだから、気の利いたことを考えられないなら言わなくていいのに。まじめに、あたりさわりのないスピーチをしてればいいのに。誰もそういう場で「心の底から笑える話」とか「深く感銘を受ける話」なんて期待してないんだから。

 

 以前、友人の結婚式に出席したとき。仕事関係で来ていたえらい(らしい)おっさんがそういうスピーチをやらかしていた。

「えー、みなさん、楽しいときはどう笑いますか。『はっはっ』と笑いますね。はっぱ六十四です。悲しいときには『しくしく』と泣きますよね。しく三十六です。六十四と三十六、たしてちょうど百になります。人生の三分の二ぐらいは楽しいことがあり、三分の一ぐらいは悲しいことがあります。〇〇くんと××さんのおふたりには、楽しいことは共有して、悲しいときは分けあって……」

とやっていた。それも「どや、うまいこと言うたったやろ!」という顔を満面に浮かべて。


 どういうつもりなんだろう。どういう神経をしていたら、誰もがどこかで何遍も聞いたことのある話をさもオリジナルであるかのように話せるんだろう。

 自分が考えた話ならいい。「なんで六十四が人生の約三分のニなの。合計を百とするって誰が決めたの」とか「なんでだじゃれで人生のおもしろさと悲しさの配分が決まるの」とか言いたいことはいろいろあるけど、本人が一生懸命考えて人前で話したのなら、他人がとやかく言うことじゃない。

 でもそのおっさんは、他人のつくった話を、我が物顔で披露していた。殊勝に「すみません、私は気の利いたスピーチを考える才能がまったくなくて、スピーチ集の本に載っていた話をそのまま話させていただくんですが……」と前置きすればまだかわいげもあるが、まるで自分がうまいことを言ってやったみたいなしたり顔で。


 ほんと、センスがない人は他人が考えた話をパクってまで無理に気の利いたことを言おうとしなくていいから! 誰も得しないから!


2023年10月31日火曜日

小ネタ3

嘘略語

 バーの店員、略してバーテン


放送禁止用語

 エッチな言葉とかより「心頭滅却すれば火もまた涼し」とか「お客様は神様です」みたいな間違った考えを植えつけようとする言葉の方を放送禁止用語にしたほうがいい。


インドの国旗

 


 インドの国旗の上部の黄色っぽい部分の色の名前は「サフラン」だそうだ。サフランといえばカレーに使う香辛料。どんだけカレーが好きなんだ、インド人。いっそ片方をカレー色にして、もう片方をナンの色にしたらいいのに。

 しかしインド人はインド人で、
「えっ、ごはんと梅干しを日の丸弁当っていうの。弁当にちなんで国旗をつくるなんてどんだけ梅干しとご飯が好きなんだ、日本人」
とおもっているかもしれない。


スーパーマンのマント

 スーパーマンはマントをつけているが、飛ぶためにマントはまったく必要ない。むしろじゃまだ。枝とかにひっかかりそうだし。

 あれは飛ぶためではなく飛んでいることを視覚化するためだろう。空に浮いている人の絵を見ても、飛んでいるのか空中で静止しているのかわかりにくい。でもマントが一方向にたなびいていたら飛んでいることがわかる(もしくは強風の中で静止しているか)。



2023年10月30日月曜日

一斉掃除

 世の中には「みんなで一斉に掃除をしないと意味がない」とおもっている人がいるらしい。


 朝、オフィス街を歩いていると、たまに「社員が外に出てきてごみ拾いをしているをしている会社」を見かける。一社ではないので、「社員にごみ拾いをさせることでいいことがある!」みたいな思想が世の中にはびこっているらしい。

 といって毎朝やっているわけではない。たとえば、ぼくがよく見るO社の場合、毎月一日だけ(一日が休日のときは翌日)社員が外に出てゴミ拾いをやっている。

 その思想自体にはもちろん反対しない。が、ふしぎなのは社員が一斉にやっていることだ。


 みんなでほうきやちりとりを持ってごみを拾っている。だがオフィス街にはそんなにごみが落ちていない。オフィス街にいるのはたいてい常識人なので喫煙者以外はゴミのポイ捨てをしないし(タバコが人を狂わせることがよくわかる)、行政もちゃんと仕事をしているので、さほどごみは落ちていない。

 そこにO社の社員数十人が出てきても、たいして拾うものがない。見るからに手持ちぶさたで、みんな目を皿のようにして必死にわずかなごみを探している。

「もし今ぼくがごみをばらまいたら、この人たちは非難するどころか『ごみを捨ててくれてありがとう!』と感謝してポップコーンを撒かれた鳩のように群がってくるんだろうな」なんてことを考えてしまう。


 ふつうに考えたら、六十人がみんなで一斉に一日だけ掃除をするよりも、社員を三人ずつの二十のグループに分け(月の営業日を二十日とする)、今日はこのグループ、明日はこのグループ、と交代でやるほうが効率がいいに決まっている。

 ごみが出るペースは毎日ほとんど変わらないのだから。月初だけきれいにするより毎日きれいにしたほうがいい。

 グループ分けをしても、社員にとって「月に一回だけごみ拾いをする」ことは変わらない。

 しかも六十人が一斉に掃除をすると掃除道具も人数分いるが、三人ずつでやれば掃除道具も三つで済む。

 どう考えても、「六十人が一斉に同じ日にごみ拾いをする」より「日替わりで三人ずつが掃除をする」のほうがいい。

 O社は一流企業である。そこで働いている人たちは頭のいい人なんだから、ほとんどの人はそれに気づいているだろう。

 でもそれをやらない。効率よりも、一斉に掃除をすることのほうがが大事と考えている人がいるのだ。



 ぼくが以前働いていた会社にもいた。

 その会社では「始業十分前になったらそれぞれ自分のデスクの周りを雑巾で拭く」というルールがあった(始業時間前に命じている時点で法令違反なのだがこの際それは置いておく)。

 十分前になるとみんなが雑巾を持って洗面所に行くのですごく込みあう。雑巾洗い待ちの長い行列ができることになる。

 ある日、ぼくは始業二十分前に掃除を終わらせ、みんなが雑巾洗い待ちの長い行列をつくっている間、PCに向かって仕事をしていた。

 すると上司が言う。

「おい、掃除の時間だぞ」

「はい、さっき終わらせました」

「そういうことじゃないだろ」


 えっ、そういうことじゃないの!?

 やらずに注意されるとか、みんなより遅くて怒られるとかなら理解できる。だが、みんなより先に掃除に取り掛かって誰よりも早く終わらせて、それが原因で怒られるとはおもわなかった。なんなら「おお、もう終わらせたのか。早いな」と褒められるんじゃないかとすらおもっていた。


 ということで、効率化とか成果とかより「みんなが一斉に掃除をすること」を重視する人はけっこういる。

 いいですか、みなさん、先に金持ちになってはいけませんよ。みんなで一斉に貧しくなることに意味があるんですよ。