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2025年3月21日金曜日

夏休みの宿題をさっさと終わらせてしまう人の心理

 「夏休みの宿題をやっていかなくて、最初のうちは先生から早く宿題出せよと言われるのに、そのうち何にも言われなくなる。その経験が今の自分を形作っている」

と書いている人がいた。


 なんかしみじみと納得した。

 そうなんだよなあ。「早く宿題出せよ」と言われるのはつらいけど、あれは意地悪ではなく、むしろ温情だったんだよなあと大人になってから気づくんだよね。更生するなら今のうちだぞ、とチャンスをくれてるんだよね。


 今でも忘れない、小学二年生の冬休み、始業式の前日の夜になっても宿題が終わってなくて、半泣きになって両親に手伝ってもらいながら(といっても答え合わせをやってもらうとか)なんとか終わらせた。

 親からは「今度からは早めにやるんだぞ」と言われ、つくづくその通りだとおもい、それからぼくは長期休みの宿題は毎回早めにやるようになった。

 今おもうと、小二の冬休みの「始業式前日なのに宿題が終わってない」はいい経験だとおもう。あの失敗があったからこそその後の大きな失敗を回避できたのだろう。


 夏休みの宿題をやらないと、嫌なことからすぐ逃げる大人になるのかどうかはわからない。相関があるようにおもうが、もしかするとぜんぜん関係ないのかもしれない。


 大人になってわかるのは、バイト、いやそれどころか正社員であっても、「何も言わずに来なくなる大人はめずらしくない」ということだ。

 いやまあいろんな事情があるんだろう。精神的に追い詰められているのかもしれない。

 それでも、いや、だからこそ、「やめます」の連絡はしたほうがいい。だって何も言わずに辞めるほうがずっとめんどくさいことになるんだから。電話して「今日でやめます」と言ったら雇い主から文句を言われて(まあ文句っていうか当然の抗議なんだけど)嫌な思いをするかもしれないが、せいぜい数分だけだ。

 連絡せずに仕事をサボり、その後何度も電話がかかってきてそのたびに嫌な思いをして、その店や会社の近くに行くたびにびくびくしたりするほうがずっとしんどい。へたしたら一生嫌なおもいを引きずることになる。


「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」という言葉があるが、「面倒ごとをやるのは一時の苦痛、やらないのは一生の苦痛」だ。


「夏休みの宿題を早めに終わらす」というと「嫌なことに耐える性格」のようにおもわれがちだが、ぜんぜんそんなことはない。

「宿題をやること」と「宿題が終わっていないこと」のどっちが嫌かを考え、後者のほうがより嫌だとおもっているから宿題をさっさとやってしまうのだ。

 つらいことに耐えたくないから、つらいことをやってしまうのだよ。



2025年3月14日金曜日

小ネタ 31(見たことがない踊り / 一人称 / 幸せ)

見たことがない踊り

名前は多くの人が知っているが誰も見たことがない踊り

それはアルペン踊り


一人称

ケイちゃん「ケイちゃん、きのうあそびにいってね」

担任「自分のことを『ケイちゃん』と呼ぶのは小さい子みたいでみっともないですよ。もう三年生なんだから、おうちの外では、まわりの人から呼ばれる呼び名で自分のことを呼ばないほうがいいと先生はおもいますよ」

ケイちゃん「先生の一人称は『先生』ですよね? 『先生』というのは周囲の人が使う敬称であって、敬称を一人称として使うのは名前を一人称にすること以上にみっともないとケイちゃんはおもいます」


幸せ

 あるコンテンツを褒めるときの「まだ〇〇を読んだことがない者は幸せである」という陳腐化した言い回しをまだ聞いたことがない者は幸せである。

 これから先も聞かずにすむ者はもっと幸せである。



2025年3月7日金曜日

ブログにコメントをつけることについて

 このブログにはコメント投稿があるのだが、ほとんどコメントを頂戴することはない。

 数ヶ月に一度あるかどうか。明らかなスパムとかもあるので、まともなコメント(記事に対する意見や感想など)は年に十件ぐらいだろうか。

 アクセス解析ツールによると、このブログには月10,000ぐらいのアクセスがある。それだけアクセスがあってもほとんど誰もコメントをつけないのだ。


 ことわっておくが、ぼくのスタンスとしてはコメントは大歓迎だ。

 さすがに悪口雑言は勘弁してほしいが、たいていのコメントはもらえるとうれしい。


 以前やっていたブログも含め、ぼくはもう二十年近く前からブログをやっている。

 その二十年で感じたのは、ブログというのはコミュニケーションツールではなくなったということだ。

 二十年前のブログは、書き手と読み手のコミュニケーションの場だった。書き手が話題を提供して、読み手がそれに対してコメントをする。場合によっては読んだ人が自分のブログにアンサー記事を書いたりもする。そこから別の人へと話題が広がり……ということがよくあった。

 それが、SNSが普及したことで、他者とのコミュニケーションはSNSでやりましょう、ブログは書き手が一方的に見解を述べる場、という感じになった。ある日突然そうなったわけではなく、ちょっとずつそうなった。


 ブログにコメントがつかないことを嘆いているぼく自身も、他者のブログにコメントをつけることはほとんどしなくなった。

「あーわかるわかる。ここに書かれている以外にもこんな事例もあるよね」なんてことをおもったりするけど、たいていコメント欄には書かない。

「コメントを書いたら、知らない人が急に会話に参加してきたみたいでいやな気持ちにさせてしまうんじゃないかな」なんて考えてしまう。

〝ブログがコミュニケーションツールだった時代〟を知っているぼくですらそうおもうのだから、物心ついたときからSNSがあったような世代の人にとっては「ブログにコメントをつけるなんてそんな非常識な!」という気持ちかもしれない。


 だからといって「もう一度ブログをコミュニケーションの場にしよう!」なんて唱える気もないし、「このブログを読んだ人はコメントを残せよな!」なんて言う気もないのだが、でも基本的にコメントをもらえたらうれしいですよ、ということだけ書いておく。

 ぼくも他の人のブログに臆せずコメントするようにしようかな。

 コメント機能をオフにしてないってことは、知らない人がなんか書いてもいいってことだもんね。


2025年3月6日木曜日

就活詐欺

 何度か書いているが、就活がほんとに嫌だった。人生でいちばんつらかったのは就活をしていた時期だったかもしれない。


 人と話すのが得意でないとか、慣れない場所に行かないといけなかったとか、基準のよくわからない試験を受け続けないといけないといけないとか、不採用になるたびに人格否定されたような気になるとか、そもそも働きたくなかったとか、いろいろあるけど、最近ふと「丸腰で戦地に行かなくてはならなかったのがつらかったのだ」とおもい、その言葉が当時の自分の心情をうまく言い表せていることに気づく。


 もっと後になって何度か転職の面接を受けたが、そんなに嫌じゃなかった。人間的に成長したからというのもあるが、転職の面接ではわりと対等に話ができる。

「自分はこんな仕事をやってきました。これができます」と自己を開示し、企業のほうは「こんな仕事をやってもらいます。あなたに対してこれだけの給与を払います。労働条件はこうです」と条件を提示する。お互いが相手に価値を感じれば採用→入社となる。単なる交渉だ。不動産屋で部屋を借りるのとそんなに変わらない。

 ところが就職面接に関しては「自分はこんな仕事をやってきました。これができます」と伝えるべきものがない。なぜなら仕事をしていないから。

 一応「アルバイトやサークルなどの課外活動を通してこんな経験を得られました」みたいなことを語るが、そんなものが仕事に何の役に立たないことは言ってる当人だってよくわかっている。

 結局のところ「自分はこんなことができます」がないので、企業側には“可能性”を売るしかないのだ。

 これがきつい。

 可能性を売るってさ、「金貸してくださいよ。万馬券当たったら倍にして返すんで」と変わらないわけじゃない。あるんだかないんだかわからないものを売るなんてほとんど詐欺だ。

 まれにその“可能性”を買って「給与と教育与えてあげる。出世払いでいいよ」と言ってくれる企業もあるが、やっぱり対等な取引じゃないよね。

 まだないものを売ってくるんだから就活がキツいのも当然だ。投資詐欺の営業やらされてるみたいなもんだもん。


2025年3月4日火曜日

『お料理行進曲』2番


『お料理行進曲』という曲をご存知だろうか。

 勇壮な音楽に乗せてコロッケの作り方を歌いあげるふしぎな味わいの曲で、アニメ『キテレツ大百科』のオープニング曲だったので今の中年にはなじみのある歌だ。

 テレビでは1番しか流れていなかったのであまり知られていないが、コロッケの作り方を説明した後は長尺の間奏が入り、2番ではナポリタンの作り方が歌われる。

 その中に、

炒めよう かるく 塩・コショウで
忘れるな スパゲッティ ケチャップで混ぜて

という歌詞があるのだが……。




 ナポリタンをつくるときにスパゲッティを忘れることなんてある?




2025年2月25日火曜日

いかにも浮気してるやつのFacebook

 高校時代の友人たちと話していて、Tという男の話題になった。


「Tって最近どうしてんの?」

「いろいろ悪いことしてるみたいやで。女癖悪いから」

「結婚して子どももいるんやろ?」

「そう。Facebookにマメに投稿してるんやけど、やたらと家族の写真載せてるわ」

「うわー。いかにもやなー」

「そりゃあな。ほんまに家族円満やったらわざわざFacebookでアピールする必要ないからな」

「やましい気持ちがあるからSNSでいいパパアピールするんやろな」

「この前ちょっと大きい地震があってさ、そのときにTのFacebook見たら『地震があったから子どもを守った。俺がこいつらを守っていけないという思いを改めて強くした』とか書いてて」

「うわー。モテようとしてるやん」

「いやほんま。心の中でおもっといたらいいことを、なんで世界に向けて発信するねんってことよ」

「いかにも浮気してるやつのFacebookって感じやな」


 というわけで、Facebookでいいパパアピールしてる男はもれなく浮気してます。現場からは以上です。



2025年2月1日土曜日

消防署の向かいの生活

 昨年、消防署の向かいのマンションに引っ越した。

 ご想像の通り、うるさい。

 うちは九階なのだがそれでもけっこうサイレンの音が聞こえる。出動時は窓を閉めていてもテレビの音が聞こえないぐらいだ。

 ま、それはいい。消防署が先にあって、それを承知で後からこちらが引っ越してきたのだから。消防署員の方々に対してはなんら不満はない。ごくろうさまです。


 発見したのは、音にはけっこう慣れるということだ。

 たぶん閑静な住宅街に住んでいた人が我が家に来たら「よくこんな騒々しいところで生活できるね」とおもうだろうが、慣れてしまえばどうということもない。寝室は消防署と反対側なので、深夜のサイレンも気にならない。さすがに窓を開けて寝ていたらサイレンで起きてしまうが。


 向かいなので、消防署の様子がよく見える。消防隊員たちはいつも訓練をしている。腕立て伏せをしたり、走ったり。また署の敷地内にSASUKEのセットみたいなやつがあって、そこで登ったり走ったりしている。

 すごいなあ。軟弱者としてはただただ頭が下がる。

 おもったのは、消防活動に関する道具の進歩はいろいろあるけど、現場で消火活動をする人たちに求められる能力ってのは江戸の火消しの頃から(あるいはもっと前から)そんなに変わってないんだろうな、ということ。

 どれだけ道具が進歩しても、最後は身軽さとかが求められるんだな。



2025年1月27日月曜日

小ネタ29(全盲ランナー / GM / 世界海賊口調日)

全盲ランナー

 以前、ニュースで「パラリンピックで全盲ランナーが金メダルを獲得しました」と伝えていた。

 それ、わざわざ報道する必要ある?

 オリンピックならわかる。オリンピックで全盲ランナーがメダルを獲得したら特筆すべきニュースだろう。

 でもパラリンピックで障害者がメダルを獲るのはあたりまえだ。障害者じゃない人がメダルを獲ったらそっちのほうがニュースだ。

「パラリンピックで全盲ランナーが金メダル」と伝えるのは、「女子サッカーの大会で女子チームが優勝」とやるようなものだ。


GM

 ガムとゴムとグミはたぶん語源が一緒なのだろう。全部「G」+「M」の音だ。

 そのせいで我々は「G」+「M」を聞くとぶにぶにした感じを思い浮かべる。

 今後、ああいう食感のお菓子を開発したときは、食感をイメージしやすいように「G」+「M」の命名をするといい。ギモとかゲマとか。あとゴマとか。あとゴミとか。


世界海賊口調日

 毎年9月21日は世界海賊口調日(International Talk Like a Pirate Day)だそうだ。海賊のような口調で話す日とのこと。よくわからない。詳しく調べれば由来とかがわかるのだろうが、わかってしまうとつまらない気がするのであえて調べないことにする。

 ハロウィンとかより気軽に参加できそうなのがいい。相手やその場の雰囲気によって「海賊口調で話すかどうか」を決められるのもいい。仮装だとこうはいかない。ハロウィンよりもこっちが流行ってほしい。でも日本だと「海賊口調」のイメージがあまりないので、「侍口調」のほうが良さそうだ。



2025年1月9日木曜日

どうしてテーマパークは変に凝ったメニューを作るのか

 テーマパークや動物園のレストランが嫌いだ。

 たぶんたいていみんな嫌いだろう。めちゃくちゃ高くて、買うのに時間がかかって、こんでいるからなかなか席がとれなくて、それでいてそんなにおいしくない。


 何がイヤって、「時間がかかって高くてうまくない」の三拍子そろっているところだ。「早い・安い・うまい」の逆だ。

 このうち二つなら許せる。個人的には「時間がかかる」がいちばんイヤだ。

 なぜならテーマパークや動物園には飯を食いに行ってるわけではないから。飯を食うのはトイレと同じで「生存のために必要だからやるがなるべく時間をかけたくない行為」だ。

 そこで儲けたい会場側の思惑もわかる。だから値段に関してはしかたないと諦める。まずくてもいい。ただ、「高くてまずくていい」と割り切ってしまえば、時間のほうはなんとかできるだろ、とおもうのだ。

 コンビニで売ってるようなおにぎりとかサンドイッチを仕入れて、市価の二倍で売る。こっちはそれでいいのだ。歩きながら食べられるし。

 会場側としても、施設や人を割かずに稼げる。悪くない話だとおもうのだが。


 なのに。

 どうして変に凝ったメニューを出すんだ。

 そのテーマパークのキャラクターをイメージしたハンバーグランチとか、動物園の人気のペンギンをあしらったプレートランチとか、余計なことをするんだ。

こんなのとか

こういうの


 その変に凝ったメニューを、調理に慣れてない学生バイトが一生懸命用意するのだ。時間がかからないわけがない。

 いや、そういうメニューがあってもいい。求めている人だっているだろう。

 ただ、それとは別窓口で(ここ重要)、市販のパンやおにぎりを売ってくれ。同じ売場にすると結局全部混むからやめてくれ。


 なに? 客単価? いっぱいお金を落とさせたい?

 わかった。じゃあ二倍と言わずもっととっていい。市販のおにぎり二個と市販の魚肉ソーセージのセットにして2,000円にしていい。その代わりすぐ提供してくれ!



2025年1月7日火曜日

名物・豚汁がうまい店(ただし氷点下)

 昼時に慣れない道を歩いていたら「名物・豚汁がうまい店」と書かれた看板を見つけたので店に入った。

 うん、こんな寒いときに食べる豚汁はたまらない。


 15人も入ればいっぱいのそう大きくない店。店員は四十代ぐらいの男性と四十代ぐらいの女性。一人客のぼくはカウンターに座った。さっそく塩さば・豚汁定食を注文する。

 店内には豚汁のいい香り。これは期待できそうだ。

 定食の到着を楽しみにしていながらカウンター内の様子をうかがっていたのだが……。


 どうも店員の男女の仲が悪いのだ。

 静かに喧嘩をしている。断片しか聞こえてこないのだが、


女「あ、それごはん大盛りです」

男「大盛りにしたつもりですけど?」

女「……」


というやりとりがあったり、


女「~って言いましたよね?」

男「主語がなかったのでわかりません。はっきり言ってもらわないと」

女「……」


と、丁寧語で喧嘩をしている。


 すごく感じが悪い。

 ふたりともいい大人なのでさすがに声を荒らげたりはしないが、ずっと押し殺した声で喧嘩している。


 そりゃあ、まあさ。店員だって人間だから腹の立つこともあるさ。働いていたらいろいろ言いたくなることもあるだろう。ぼくだって同僚相手に文句や嫌味を言ったこともある。

 でもさあ。


 豚汁のうまい店で険悪な空気出さないでよ!

 コンビニとか、国道沿いのチェーンのラーメン屋とかなら、まだいい。そういう店にあったかい接客なんて期待してないから。金髪ピアスのにいちゃんが気だるげにラーメン持ってくるみたいな接客でもいい。

 でも「名物・豚汁がうまい店」はちがうじゃない。にこにこした小太りのおばさんかおじさんが「はい、豚汁おまたせ! 寒いからこれ食べて元気つけてね!」と言いながら豚汁よそってくれるみたいな雰囲気を期待しちゃうじゃない。

 喧嘩するんなら豚汁の看板をはずしてくれ!



2025年1月6日月曜日

おこたとおバズ

「おこた」って言葉、いいよね。「こたつ」よりもあったかい。

 おばあちゃんが言ってるイメージ。実際、ぼくの母親(70歳近い)は「おこた」と言う。とはいえ実家は床暖房が完備されてもうこたつはないので母が「おこた」と口にする機会は二度とないかもしれないが。


「おこた」は「こたつ」に丁寧語の「お」をつけて、後ろの「つ」を省略した言葉だ。

 調べてみたら、女房言葉というそうだ。おかみさんではなく、宮中の女房が使っていた言葉。

 他にも、「おさつ(お+さつまいも)」「おでん(お+田楽)」「おにぎり(お+にぎりめし)」などがこの形だ。ほう、けっこうある。

 食べ物ばかりではない。「おでき(お+できもの)」「おなら(お+鳴らす)」などもそうだ。

 汚いものを指す言葉だからこそあえて上品に言い換えたのだろう。今ではあたりまえの「おなら」もかつては隠語だったんだな。

 名詞だけでなく、「鳴らす」のような動詞にまで「お」をつけて名詞化してしまうのはおもしろい。

「お」の力はなかなかすごくて、いろんな言葉をむりやり丁寧化してしまう。

 おニュー、おセンチのように英語につくこともあるし、おばか、おデブのように悪口にくっついて侮蔑的な意味を若干やわらげ、その代わりに皮肉っぽい意味を持たせたりもする。


 外来語を力技で丁寧化してしまう「お」、個人的にはけっこう好きなのだが残念ながらおニューもおセンチもほぼ死語だ。

 もっと流行ってほしい。

「ごインスタでおバズのおエモなおインフルエンサー」とか言いたい。


2024年12月19日木曜日

小ネタ28 ( でかい顔の市 / おばけなんてないさ )

でかい顔の市

 日本三大「市のくせに県よりでかい顔をしている市」といえば、神戸市、横浜市、金沢市であることは全国民が知っているところだ(次点で仙台市)。

 奇しくも、神戸市には兵庫区があり、横浜市には神奈川区がある。「兵庫(神奈川)の中に神戸(横浜)があるんじゃない、神戸(横浜)の中に兵庫(神奈川)があるんだ」というために兵庫区(神奈川区)をつくったのだろう。あいつらならそれぐらいのことはやる。

 だが石川区はない。そもそも金沢市は政令指定都市ではない。

 金沢区はあるが、石川県ではなく、神奈川県横浜市の中にある。横浜はどこまでも貪欲だ。


おばけなんてないさ

 童謡『おばけなんてないさ』の一番の歌詞はみんなよく知っているように
「ねぼけたひとが みまちがえたのさ」だ。

 あまり知られていないが、あの歌は五番まであり、二番以降はAメロを二回くりかえす。

 二番は「ほんとにおばけが でてきたらどうしよう れいぞうこにいれてかちかちにちちゃおう」

 三番は「だけどこどもなら ともだちになろう あくしゅをしてから おやつをたべよう」

 四番は「おばけのともだち つれてあるいたら そこらじゅうのひとが びっくりするだろう」

 五番は「おばけのくにでは おばけだらけだってさ そんなはなしきいて おふろにはいろう」


 いい歌詞だ。世界の広がりがある。

 一番はただ今の心情を歌っているが、二番では「でてきたらどうしよう」と心配から空想になる。

 三番、四番はその空想を発展。「ほんとにおばけがでてきたら」「こどもなら」「つれてあるいたら」と想像の上に想像を重ね、ともだちになったおばけと歩く空想までしている。

 五番では「そんなはなしきいて おふろにはいろう」と一気に現実に引き戻される。夢オチみたいなものだ。ここだけ、前の章とのつながりが途切れているように感じる。

 だが、“おばけだらけだってさ” “そんなはなしきいて”を読むと、歌い手におばけの話をしてくれた者がいることがわかる。それは誰か。おとうさんやおかあさんとも考えられるが、ぼくは“おばけのともだち”じゃないかとおもう。おばけのくにの話を聴かせてくれるのはおばけだろう。

 つまり五番は現実に引き戻されたわけではなく、まだ空想の中にいるのだ。空想の中で空想のおばけから空想の話を聴いて、空想の中でおふろに入ろうとしているのだ。

 どこまでも広がってゆく空想。空想に終わりなんてないさ。


2024年12月11日水曜日

女子の遠慮、男子の欲望

 娘(小学五年生)と、その友だち(女の子二人)といっしょにファミレスで食事をする機会があった。

 女の子たちは「ピザをとってみんなで分けよう」と言い、一枚のピザを頼んだ。

 興味深かったのが、ピザの分け方。


 三人いたので、まずピザカッターでピザを六つに分ける。とはいえもちろん均等に分けることなんてできないから、大きさはばらばら。

「けっこう大きさちがうね」「どうするー」と話していた彼女たちは、驚いたことに、なんと大きなピザの押し付けあいをはじめた。

「わたしこの小さいのでいいから大きいのどうぞ」

「いやいや、〇〇ちゃんが大きいの食べなよ」

「いいって。△△ちゃんが食べて」

 遠慮かなとおもっていたら、いつまでたっても押し付け合いが終わらない。どうやら彼女たちは本気で大きなピザをとることを嫌がっているようだ。

 結局、大きなピザをさらに分割してなるべく公平に近づくようにして、さらにじゃんけんをして、じゃんけんで負けた子がいちばん大きなピザを食べることになった


 その様子を見ていて、女子だなあと感心した。

 これが男子ならどうだろう。よほどの満腹とかでないかぎりは、「おれが大きいのを食べたい!」で揉め、じゃんけんをした場合は「勝った人がいちばん大きいものを取る」になるだろう。もしかすると、話し合うより先に誰かが「早い者勝ち!」といちばん大きいピザをつかんでしまうかもしれない。

 男子はこうだ女子はどうだと言うのもアレだけど、やっぱり傾向として違いはある。


 たとえ軋轢や争いが生じても己の欲を優先する男子と、争いを避けることが最優先でとにかく妬みや恨みを買いたくない女子。

「ピザの分配」にはっきりと違いが表れていると感じた。


2024年11月20日水曜日

小ネタ30 (ひざこぞう / 定規とものさし / 英語で)

ひざこぞう

 ひざこぞうとは言うがひじこぞうとは言わない。

 なんでだ。ひざよりひじのほうが小さくてかわいいだろ。

 こぞうはひじに譲って、ひざのことはひざ入道と呼ぶことにしよう。


定規とものさし

 定規とものさしの違いは、0と端の間にスペースがあるのが定規、端が0になっているのがものさしだそうだ。定規には「0を起点とする線を引きやすい」というメリットがあり、ものさしには「床や壁からの長さがはかりやすい」というメリットがあるそうだ。

 ふうん。たしかに定規では床や壁からの距離が測りにくい。

 それはしかたないんだけど、ぼくが常々おもっているのは「0と端の間にスペースがあってもいいんだけど、そのスペースをぴったり1cmにしておいてほしい」ということだ。そしたら、定規の端を床にぴったりつけて長さを測り、読み取った目盛りから1cmを足すだけで正確な長さが求められる。定規とものさしのいいとこどりだ。

 でもだいたいの定規は「0と端の間のスペース」が0.4cmとか半端な長さなんだよね。何か理由があるのかな。


英語で

「イヌは英語でドッグだ」と「ドッグは英語でイヌだ」は、どちらも同じ意味になる。

 前者の「だ」は「と呼ばれる」の意味であり、後者は「の意味」だ。



2024年9月17日火曜日

すごろく向きのサイコロをつくる

  ふつうのサイコロを1つ振ったとき、出る目は1~6の6通りで、その確率はそれぞれ1/6ずつだ。


サイコロを2つ振ってその差を求め、それに1を加えたものを出目とする」としてみよう。この場合もやはり出目は1~6の6通りとなる。

 ただし確率はそれぞれ等しくない。1(つまり2つのサイコロが同じ目)になる確率は1/6。これは通常のサイコロと同じ。

 2や3になる確率は1/6より高く、6になる確率はかなり低い。

(分母を18にそろえるとわかりやすい。
  1:3/18
  2:5/18
  3:4/18
  4:3/18
  5:2/18
  6:1/18)

左の表は出目 右の表は出目の確率
ABS関数と参照の絶対/相対をうまく使ってるのがオシャレだね♪

「1~6の6通りの出目」を維持したまま、確率に傾斜があるサイコロができるわけだ。


 すごろくをすると「おもしろいイベントマスがあるのに、誰も止まらない」ということがままある。みんなが5とか6とかの大きい目を出して、すっ飛ばしてしまうのだ。

 この「(2つのサイコロの目の差+1)サイコロ」だと、5や6が出にくいので、指示のあるマスに誰も止まらないという事態が起こりにくくなる。

 それでいて2~4あたりはよく出るので「あらゆるマスに止まってしまう」というイライラ展開も防げる。

 すごろく向きのサイコロといえるだろう。




2024年9月11日水曜日

小ネタ26 (ハンマー投げ / 砲丸投げ / プールサイドを走ってはいけない理由)


ハンマー投げ

 陸上競技の投擲種目について。

 古代オリンピックは軍事演習みたいなものだったそうだ。当然、投擲に使うものは武器だ。

 槍はもちろん、砲丸も武器として使える。円盤もギリわかる。

 よくわからないのはハンマー投げだ。

 どう考えても武器として優れているとはおもえない。あんなぐるぐる回って放り投げて、狙ったところに当てるなんてほぼ不可能だろう。へたなやつがやったら味方を攻撃してしまいそうだ。おまけに回っている間は隙だらけだ。

 ハンマーブロスみたいな投げ方をするのならわかるのだが。


砲丸投げ

 学生時代、砲丸投げをしたことがある。

 投げ方について「決して野球のように肩で投げてはいけない。肩を壊すから」と何度も念を押された。

 まああんな重いものを肩で投げたら肩が壊れるだろう。

 だが世界は広い。砲丸を肩で投げられる人がどこかにいるんじゃないだろうか。めちゃくちゃ肩と腕を鍛えたらソフトボール投げみたいなフォームで砲丸を投げられないだろうか。そしてふつうの砲丸の投げ方よりも遠くへ飛ばせるんじゃないだろうか。

 肩が壊れるかもしれない。だが今大会で引退を決めている選手だったら「もう肩がぶっ壊れてもいいからこの一投に賭ける!」みたいな気持ちでやったりしないのだろうか。


プールサイドを走ってはいけない理由

 プールに行った。「プール内で子どもを持ち上げて放り投げる」という遊びをしていたが、監視員に注意されることはなかった(もちろん周囲に人がいないのを確認してから投げていた)。

 プールによっては注意される行為だ。ここは監視がゆるいんだな、とおもっていたのだが、プールサイドを走る子どもに対しては異様に厳しくて、監視員がでかい音でホイッスルを鳴らして怖い声で「走らない!!」と注意していた。

 そういや子どものころから「プールサイドを走るな」と口を酸っぱくして注意されたものだが、なんでだろう。

 他人とぶつかると危ないから?

 でも走ってて他人とぶつかる可能性があるのはプールサイドだろうが公園だろうが公道だろうがあんまり変わらない。公園や公道で小走りしたぐらいで笛を鳴らして「そこ走らない!!」と厳しく叱責されることはないのに、プールサイドだけは親の仇のように厳しく注意される。

 すべって転びやすいから?

 たしかに濡れた地面はすべりやすい。でもすべりやすい場所をすべって転ぶのは、はっきり言って自業自得だ。「気を付けなよ」みたいな言い方ならともかく、赤の他人が叱るほどのことか。アイスクリームをたくさん食べている子どもに赤の他人が「こらっ、そんなに食べたらおなかこわすだろ! 食べるな!」と怒鳴りつけていたら頭のおかしい人だ。それがなぜか「プールサイドを走ること」についてだけ許容されている。

 プールサイドを走っていると異常に厳しく注意される理由としてもうひとつおもいついたのは「笛を持っていると吹きたくなってしまうから」というものだ。

「笛を持たされるけど吹いてはいけない状態」というのはしんどいものだ。だから理由をつけて吹いてしまう。案外これが正解かもしれない。



2024年9月5日木曜日

小ネタ25(求人サイト / 演技プラン)


求人サイトはいつもひとつ 

「私が犯人だって? はっはっは、君、その想像力を活かして小説家にでもなったらどうだ? 小説家が嫌なら脚本家でもいいし、漫画の原作者という道もあるぞ。絵が描けるのなら漫画家になったらいいし、最近だと映像作品を作って世に出る人も少なくないな。またCMプランナーなんかも想像力を活かせるだろうからマーケティングの勉強をしてみるのはどうだ? 大学に入りなおすという手もあるがやはり近道は広告代理店に就職することかな。大手は狭き門だが中小企業なら今はどこも人材不足だから中途未経験でも決して無理ではないだろう。まずはこちらからかんたん60秒登録で君にぴったりの仕事が見つかるぞ!」


演技プランはいつもひとつ

探偵「そう、犯人はおまえだ!」

「私が犯人!? はっはっは。はーはっはっはっはっ。あははははははは。いーひっひっひっひっ。あは。あははは。あはは。えっ、ちょっ、まじで言ってんの、ひひひひ。待って待って腹痛い。ひいっ、ひいっ、いひひひ。やばいやばい、ふははははは、はあ、苦しい、わ、わたしが、はんにんひひひひひひうはははは。ありえんありえん、ははははんにんはははは。ぎゃははははふはーはっはっはっ」

探偵「これが芝居だとしたらすごい演技力だな。その演技力を活かして俳優にでもなったらどうだい?」



2024年9月2日月曜日

小ネタ24 (成人式 / 世界一どうでもいいニュース / ジェンダーフリー)


成人式

 知人が「来週、四十九日の法要があって、次の日は結婚式に参列して、その次の日はフェスに行く」と話していた。

 あと成人式さえあれば冠婚葬祭全制覇だ。

 ただ結婚式や葬儀に参列する機会はまあまああるが、市長にでもならない限り成人式に出席するのはたいてい一生に一度(かゼロ)なので連続コンプリートはむずかしい。


世界一どうでもいいニュース

 ニュースで「アイドルグループ××を卒業した○○さんを直撃! 卒業後に最初に食べたものとは!?」という世界一どうでもいいニュースをやっていた。

「出た後最初に何を食べた?」と訊かれるのは、アイドルグループを卒業した人と刑務所から出た人ぐらいだろう。


ジェンダーフリー

 テレビで男子高校生がスカートを履いてダンスを披露していて、審査員として来ていたおじいちゃんの某演出家が「ジェンダーフリーで良かったです」とコメントしていた。

 いやいや、ジェンダーフリーって言っちゃったらジェンダーフリーじゃないんだよ。それをジェンダーフリーだと明示するということは「ふつう男はスカートを履かないもの」という意識を明らかにするのと同じなわけで。

 「私は黒人も差別しません」と言うようなもので、その発言自体がフリーじゃない。



2024年8月23日金曜日

小ネタ23 (早口言葉 / ウナギ / テツandトモの無駄づかい)


早口言葉

スモモも酢の物のモモもモモのうち


ウナギ

 水産庁が、ウナギの稚魚を安価に生産する技術を発表した、というニュースを見た。

 生物を“生産”ってどういうことだろ? という技術はさておき、ある本で読んだクロサイ保護の方法をおもいだした。

 アフリカで、密漁によって数が減ったクロサイを保護するためにクロサイ猟を認めた、という事例がある。保護するために猟をするってどういうこと? とおもうかもしれない。だが、これはちゃんと効果のある保護方法なのだ。

 クロサイ保護には近隣住民の協力が欠かせないが、サイは人間にとって役に立たないので、研究機関や自然保護団体の人以外は、保護しようという動機を持たない。ところがクロサイ猟を政府が公式に認めて「お金を払えばクロサイを狩ってもいいですよ」ということになれば、クロサイは金儲けのための資源になる。なにしろクロサイが増えるほど手に入る狩猟代が増えるのだから。

「金儲けの道具」にすることで保護しようとする動機が生まれるのだ。倫理的には微妙な気持ちになるが、現実的には効果のある手法だ。

 ウナギも同じで、ウナギがおいしいからこそ、人々が金と労力を使って増やそうとするわけだ。もしもウナギがぜんぜんおいしくなかったら、積極的に増やそうとする人はずっと少なかっただろう。

「金儲けの道具」になるせいで減少したのなら、増やすことが「金儲けの道具」になるようにすればいい。


テツandトモの無駄づかい

 テレビCMで、テツandトモが出てきてお墓の宣伝をはじめた。ぼんやり見ていたのだが、最後まで見て驚いた。なんとテツandトモが歌わないし踊らないのだ。

 ふつうに「お墓が安く買えます!」としゃべるだけだ。

 テツandトモを使ってお墓のCMをつくってくださいと言われたら、百人中九十九人は「お墓がこんなに安く買えるのなんでだろう~♪(なんでだろう~♪)」みたいなことを言わせようとするだろう。

 それなのに、ふつうにしゃべらせるだけ。すごい。最高の無駄づかい。


2024年8月19日月曜日

小ネタ22 (仰げば尊し / レジの効率化 / 冷)

仰げば尊し

『仰げば尊し』の一番の歌詞は、

あおげばとうとし 我が師の恩
教えの庭にも はやいくとせ
おもえばいととし このとし
今こそわかれめ いざさらば

と、三回「とし」という言葉が出てくるが、すべてまったく別の言葉だ。古文の問題に使えそうだ。


レジの効率化

 スーパーやコンビニのレジの流れを効率化するアプリがあるらしい。アプリに「持っているポイントカードは何か」「支払いはカードかお財布ケータイか現金か」「20歳以上かどうか」「マイバッグを使うか」などの情報を登録しておくと、レジに近づいただけで店員にその情報が表示され、いちいち「ポイントカードはお持ちですか?」などの会話をする手間が省ける、というふれこみだ。

 予想だけど、レジの流れをスムーズにしたいとおもってこのアプリを使ったら、余計にイライラすることが増えるような気がする。

理由1)「アプリに登録してるんだからいちいち訊いてくるなよ!」とおもう。

 たとえば「エコバッグを持っている」と登録していても、店員からしたら「レジ袋は必要ですか?」と訊かざるをえないだろう。だってその日はたまたま持っていないかもしれないんだから。

理由2)自分が早くなるほど他人が遅いのが許せなくなる

 みんなレジの支払いに1分かかっていたら、前の客が1分かかっていても気にならない。でも自分はアプリを使って20秒で終わるようになれば、1分もかけている前の客が許せなくなる。「おれはアプリまで入れてこんなに早くやってるのになんでこいつはやらないんだよ!」

 世の中のいろんなシステムが効率化してスピーディーになっているが、その分イライラすることが減ったかというとそんなことはない。むしろ逆じゃないか。


 知人が家を建てたので、新居祝いに高級牛肉(しゃぶしゃぶ用)を贈った。お礼のLINEが届いて「ありがとう! 冷しゃぶにして食べたけどおいしかった!」と書いてあった。

 いいんだけど、ぜんぜんいいんだけど、冷しゃぶかーとおもってしまった。

 せっかくのいい肉なんだから、冷しゃぶじゃなくて、あったかいしゃぶしゃぶで食べてほしかったな。ぜんぜんいいんだけど。

 なんでかうまく説明できないんだけど、肉の良さを百パーセント引きだすのは冷しゃぶじゃないだろう、とおもっちゃうんだよね。この感覚、ぼくだけだろうか。

 たとえば、コーヒー好きの人にいいコーヒー豆を贈ったら「ありがとう! アイスコーヒーにして飲んだらおいしかったよ!」と言われたような気持ち、と言ったら伝わるだろうか。

 いいんだけどさ。冷しゃぶでもアイスコーヒーでもいいんだけどさ。