中年にとってはなつかしいズッコケ三人組シリーズを今さら読んだ感想を書くシリーズ第九弾。
今回は24・25・26作目の感想。
『夢のズッコケ修学旅行』(1991年)
三人組を含む花山第二小学校の六年生は一泊二日の修学旅行に出かける……。
あらすじを書くと、ほんとにこれだけで終わってしまう。ほんとに修学旅行の思い出なんだよな。もちろんちょっとした事件が起きるのだが、どれもささやか。他校の子といざこざを起こしたり、銀山で銀鉱石を拾ったり、女子の下着を見てしまったり、旅先で不良にからまれたり、女子の部屋に行ってみたり、就寝後に異性の話で盛り上がったり……。
小学生からしたら印象に残るイベントかもしれないが、全部「まあそんなこともあるだろうね」レベルなのだ。ズッコケシリーズ屈指の何も起こらなさだ。
でもまあそこが修学旅行らしいといえば修学旅行らしい。修学旅行ってそんなものだもんね。
旅行の醍醐味って、予定通りにいかないことじゃない。予定していた電車に乗れなかったり、道に迷ったり、お金をだましとられたり、危険な目に遭ったり。そのときはたいへんでも、終わってみればそうしたトラブルがいい思い出になったりする(もちろん無事に帰れたら、だけど)。
でも修学旅行って先生たちが入念に計画して万難を排しているから、まずイレギュラーなことは起こらない。そりゃあこっそり抜け出すやつとか無茶してけがするやつとかはいるけど、それすらも想定内だ。どの学校でもだいたい毎年起こっていることだ。だから小説にしてもつまらない。
まだ旅行記としておもしろければいいのだが、それも失敗している。せっかく山陰地方の名所旧跡について文字数を割いて説明しているのに、なぜか岩屋銀山だの南雲大社だのと架空の名前にしているのですべてが台無し。石見銀山、出雲大社、宍道湖……と書けばいいのに。有名な観光名所なんだからまったく伏せる必要ないとおもうのだが。
架空の場所を周っている、架空の小学校の、とりたてて変わったことも起こらない修学旅行。そりゃおもしろくないわ。
今作がシリーズの他の作品と毛色が異なるのは、性的な描写がかなり多いこと。といっても女子のパンツを見たり、引率の先生のブラジャーがちらりと見えたり、女子に抱きつかれたりぐらいでごくごくささやかなものなのだが、今までのズッコケシリーズにそうした描写が皆無だったことをおもえば「急にどうしちゃったの?」という気になる。男子のリアルな生態を書くのはいいけど、前作までと急にキャラが変わるので違和感が強い。性に関心のあった小学生当時ですら「いやズッコケシリーズにそういうの求めてないから」とおもった記憶がある。
〝児童文学では性の話をしない〟というタブーに挑戦したかったのかもしれないが、だとしても唐突なんだよね。そもそもハチベエが「誰でもいいからガールフレンドがほしい」とおもうところからして無理がある。ませてる小学生でもせいぜい「好きなあの子を彼女にしたい」だろう。大学生ならいざしらず、「誰でもいいから」と手当たり次第に女の子に声をかけるのはもはやリアリティのかけらもない。
『ズッコケ三人組の未来報告』(1992年)
二十年後の未来に開けるため、タイムカプセルを埋めた六年一組の生徒たち。
それから二十年後。タイムカプセルを開けるために集まった面々。だが六年一組のタイムカプセルだけがなくなっていることに気づき……。
これをはじめて読んだときの感想はおぼえている。「あれ? 期待してたのに……」
たしかに気になる。三人組がどんな大人になるのか。どんな仕事をするのか。誰と結婚するのか。
でも、答えを知ってしまったらつまらない。あれこれ想像をはたらかせていたときのほうがずっとおもしろかった。
そりゃそうだ。未来なんて知ってしまったらつまらない。だってたいていの場合想像を下回ってるんだもの。クラス一おもしろかったあいつも、めちゃくちゃサッカーがうまかったあいつも、ナンバーワン美少女だったあいつも、いつも悪ぶっていたあいつも、大人になってみれば意外と平凡な人生を送っているものだ。あるいは消息不明になっているか。
そりゃあ中には会社をおこして社長になったり、芸能関係の道に進んだやつもいるやつもいるけど、それだって「まああいつはあいつでたいへんそうだよな。華やかなことばっかりじゃないだろうし」みたいな感じで、知ってしまえば存外つまらない。
こういうのって読者が勝手に想像するから楽しいんだよな。作者が「未来はこうです」と提示してしまっちゃあつまらない。一応ラストに〝夢オチ〟というどうしようもない逃げ道を作って「未来はわかりませんよ」というエクスキューズを用意してはいるが、これだけ長々と書いておいて「これは本当の未来とは別ですよ」はさすがに通らないだろう。実際、後の『ズッコケ中年三人組』でほぼ実現しているわけだし。
この作品はないほうがよかったな。今後の作品にも悪影響を与えてしまう。荒井陽子や安藤惠子が出てくるたびに「こいつらはハカセやハチベエといい仲になるんだよな」という気持ちで見てしまう。
ストーリーはよく練られている。単に未来の三人組を描くだけでなく、「タイムカプセルが消えた」「なぜかミドリ市で公演をするアメリカの謎のロック・スター」「死んだ同級生・長嶋」といったフックをいくつも用意して謎解きものに仕上げている。
とはいえ、長嶋くんというキャラクターの少年時代がまったく描かれていないので、「長嶋はいったいどうなったのか?」という謎を提示されてもまったく関心が持てない。田代信彦とか中森晋助ぐらいに活躍したことのあるキャラクターならまだ興味が持てるんだけど。知らんやつが死のうが生きてようがどうでもいいからなあ。
つまらない、というほどではないのだけれど、シリーズの中の一作として見たら完全に失敗作だったとおもう。シリーズ全体の設定をぶち壊しにしてしまったという意味で。『トイ・ストーリー4』みたいなもんだね。
『ズッコケ三人組対怪盗X』(1992年)
世間を騒がす大泥棒・怪盗Xから三人組の後輩の家に犯行予告状が届いた。見事にXの企みに気づいて犯行を阻止した三人だったが、Xは逃走。三人組は再びX逮捕に向けて行動するが逆に捕えられてしまい……。
王道探偵小説。
これまでにも『ぼくらはズッコケ探偵団』『こちらズッコケ探偵事務所』『ズッコケ三人組の推理教室』と推理ものはあったけど、書かれている事件が「殺人事件(探偵団)」→「誘拐事件(探偵事務所)」→「猫の誘拐(推理教室)」→「大怪盗による犯行予告」と回を追うごとに幼稚化していっているぞ。
怪盗ものは、ルパンや怪人二十面相やパーマンの怪人千面相でさんざんやりつくされていてイメージもできあがっているので、怪盗ものと聞くと「那須正幹先生もずいぶん守りに入ったな」とおもってしまう。
じっさい、変装の名人だったり、世間を騒がす大胆な犯行だったり、ポンコツすぎる警察の裏をかく逃走劇だったり、怪盗Xもこれまでの怪盗とさしてやっていることは変わらない。
もちろん読者である子どもは入れ替わっているので、必ずしも新しいことをやらなくてもいいとはおもうが、ズッコケ三人組らしさがあまり出ていない。特にハカセが怪人二十面相シリーズにおける小林少年のような「ただ賢いだけの少年」になってしまっていて、ミスやドジを踏まない。
これは怪盗ものの宿命だよね。どうしても「怪盗があっという方法で盗みをはたらく」→「主人公が見破って追いつめる」→「警察がドジって取り逃がす」という流れになるので、主人公側から積極的に動くことができず、怪盗の動きを受けて後を追う形になる。おまけに主人公側はミスもできない。必然「与えられた問題に対して正解を出す」のくりかえしになってしまう。これでは主人公が輝かない。テストで百点をとるだけの主人公の何がおもしろいのか。
そう、この巻の主人公は怪盗Xである。ハカセは単なる脇役にすぎず、モーちゃんやハチベエはその助手に近い。モーちゃんはまだ単独行動をとるシーンがあるが、ハチベエにいたっては「父親がXの変装を見破ったことをハカセ伝える」役割に甘んじている。
ということで、ズッコケ三人組シリーズの一作として読むとものたりない本作だが、作品自体の出来は決して悪くない。二転三転するXとの攻防だけでなく、Xを荒唐無稽な超人にせず「Xとその部下が過去に勤めていた会社が倒産したらしい」「Xには妻子がいるらしい」といった生身の人間としての情報を出しているところ、それでいてすべての情報は明かさずに謎をもたせていること、そしてX逮捕で大団円……かとおもいきや脱走をにおわせるラストなど、単なる怪盗ものとして終わらせず、深みのある物語に仕立てている。
まだ読んでいないけれど、この後に『ズッコケ怪盗Xの再挑戦』『ズッコケ怪盗X最後の戦い』と続くらしいので、三部作の一作目としては決して悪くない、いやむしろおもしろい部類に入る作品だとおもう。
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