中年にとってはなつかしいズッコケ三人組シリーズを今さら読んだ感想を書くシリーズ第十三弾。
今回は37・38・39作目の感想。
すべて大人になってはじめて読む作品。
『ズッコケ脅威の大震災』(1998年)
三人組の住むミドリ市付近で、漁獲量が急減する、海の魚が川に上ってくる、鳥が集団移動する、変わった形の雲が観測されるなど次々に不気味な異変が起こる。そしてついにミドリ市を襲う大地震が発生。ハチベエの家は燃えて父親が骨折、ハカセの住むアパートは倒壊、モーちゃんは百貨店で地震に襲われる。三人とも無事だったが、避難所暮らしを余儀なくされる……。
ドキュメンタリータッチで描かれた異色の作品。特に前半は地震の前触れや被害状況を説明するのにたっぷりページが割かれて、三人組の物語というより群像劇。
震災というテーマをエンタテインメントにするわけにはいかないのはわかるが、それにしても書くのが早すぎたんじゃないだろうか。阪神大震災が1995年。その三年後に発表された作品なので、まだ震災の記憶が生々しすぎたのでは。もう少し時間をおけば、作者の中でも読者の中でも記憶が整理されて、楽しめる物語になったんじゃないかな。まだ消化不十分のままアウトプットしちゃった感じだな。
地震の予兆にはじまり、地震の生々しい描写、震災直後の街の様子(ただし死者や重傷者は描かれない)、避難所での暮らし、避難生活におけるトラブル、被災者間での格差や軋轢などを丹念に書いている。よく取材して書いたのだろう。が、その結果、新聞記事みたいな内容になってしまった。「書かなきゃいけないこと」をぎゅうぎゅうに詰めこんだ結果、遊びがない。特に前半。
この作品に意味がないとは言わないが『ズッコケ三人組』でなくてもよかったとおもう。ここまでリアリティを持たせるのなら、いっそ舞台を神戸にしてドキュメンタリーにすればよかったのに。
良かった部分は、子どもたちが避難所での暮らしを楽しんでいるところ。そうそう、いっちゃ悪いけど、小学生にとっては震災って心躍るイベントなんだよね。もちろん近しい人が無事だからこそ、だけど。
奇しくも、ぼくも三人組と同じ小学六年生のときに阪神大震災を体験した。といっても我が家はガスが数ヶ月止まったぐらいの被害だったが。
阪神大震災の記憶
親はたいへんそうにしていたが、ぼくにしてみれば震災後の日々はちょっとしたキャンプぐらいのイベントだった。ガスが止まったことで日々の料理が変わり、風呂に入れなくなり、エアコンが使えなくなったので家族みんなで狭い部屋に固まって過ごした。多少の不便は強いられたが、しょせんは小学生。財産とか地震保険とか家のメンテナンスとかこれからの暮らしとかの心配はまったくしなくていい。
だから、地震後に子どもたちが活き活きと働くところを描いているところは真実味があっていい。三人組はハチベエの店の再建を手伝ったり、避難所のトイレを掃除したり、自主的に学校を片付けたり、たいへんながらもとても楽しそうだ。小学生にとって大きな天災は、「人から必要とされる喜び」を感じられるチャンスなのだ。
避難所生活に慣れてくる後半以降は、冒険感があってなかなかわくわくさせる。震災そのものよりも、避難所生活や復興のほうに重点を置いた話を読みたかったな。
『ズッコケ怪盗Xの再挑戦』(1998年)
三人組の活躍で逮捕寸前まで追い詰められた怪盗Xは逃走し、仲間たちを脱走させた。さらにXは催眠術を使って三人組に骨董品を盗み出させた。そして百貨店で開催される世界の宝石展で盗みをはたらくと予告。三人組は警察や百貨店の店長と協力してXの犯行を阻止するために奮闘する……。
ズッコケシリーズは50作あるが、基本的にすべて独立した話だ。『ズッコケ脅威の大震災』でミドリ市は壊滅的な被害を受けたが、他の作品ではみんな平和に暮らしている。別次元で起こっている話といってもいい。そうでないと、彼らは六年生の夏休みの間に漂流して無人島で暮らし(『探検隊』)、モーちゃんの親戚の家に行き(『財宝調査隊』)、ハカセの祖父母の家に行き(『恐怖体験』)、山で遭難し(『山岳救助隊』)、隣の小学校の連中と戦争し(『忍者軍団』)、ハワイに旅行した(『ハワイに行く』ことになってしまう。
と、そんなパラレルワールドだらけのズッコケシリーズではじめての続編がこの『ズッコケ怪盗Xの再挑戦』だ。『ズッコケ三人組対怪盗X』と同じ世界線の話である。この年(1998年)に映画『ズッコケ三人組 怪盗X物語』が公開されたので、それにあわせて続編を書いたようだ(しかし映画公開が7月でこの本の刊行が12月なので遅すぎる気もするが)。
映画公開にあわせて発表された続編、ということでイヤな予感がしていたのだが、まんまと的中。ひどい出来栄えだった。
冒頭のXの部下を脱走させるところはいいとして、壺を盗みだすところやデパートの宝石を盗みだすところは読むに堪えない。まず催眠術を使って三人組を思い通りに動かす、ってのが無茶苦茶だ。いやもうそれができるなら何でもありじゃない。催眠術が出てくる作品嫌いなんだよね。それもう「犯人は実は超能力を使えるんです!」ってのといっしょだから。推理ものでそれをやっちゃおしまいだ(宮部みゆき『魔術はささやく』も大嫌い)。あ、西澤保彦作品みたいに先に超能力を明かしておくのならオッケーだよ。
っていうかXが催眠術が使えるならなぜこれまでは使わなかったのか。そもそも「催眠術を使って小学生を動かし、壺を盗ませる」ってのが意味不明。そんな都合のいい催眠術が使えるなら、壺の持ち主に催眠術をかけろよ。
さらにひどいことに、壺にしても宝石にしても「催眠術を使わなくてもXには盗むチャンスがあった」んだよね。まったく無駄かつアンフェアな催眠術が出てくる時点でこの作品は失敗だ。
ラストの「ハチベエがルアーを投げてXから札束を取り返すシーン」こそ見ごたえがあったものの、そこに至るまでの流れはたんなる偶然。結局、ハカセは推理力を発揮することもなく、モーちゃんは例によって何の活躍もなく、終了。
推理物の常として、大怪盗を登場させてしまうとそっちが主役になってしまうんだよね。「主人公たちは怪盗をあと一歩までは追い詰めるが結局は逃がしてしまう」になってしまうので。
そしてこの巻では怪盗X自身の魅力もまるで感じられない。『ズッコケ三人組対怪盗X』では、X一味は倒産した会社の元社員らしいという過去が垣間見えたのだが、今作はそういう背景も一切なし。ほとんど読み応えのない作品だった。
『ズッコケ海底大陸の秘密』(1999年)
ハチベエのおじさんの家に泊まりに来た三人は、ひとりのダイバーが行方不明になったという話を聞き、ダイバーの娘の恵といっしょに捜索をすることに。捜索中に謎の生物に出会って気を失った四人が連れてこられたのは、なんと海底人の住む世界だった……。
『あやうしズッコケ探検隊』で登場したタカラ町のおじさんが再登場。『探検隊』といい今作といい預かった子どもたちが行方不明になってしまう展開で、おじさんとおばさんがなんとも気の毒だ(自分が親になったのでどうしてもおじさん側に感情移入してしまう)。
読んだ感想は「なんか大長編ドラえもんみたいだな」。ひょんなことから別の文明に遭遇し、彼らと人類との意外な過去が明らかになる。そして環境破壊をする人類に警告を鳴らしつつ、一応平和的に解決……。完全に、説教くさくてつまらなかった頃の大長編ドラえもんだ。
導入はわりと良かったんだけどね。無駄に細かい釣りの描写、行方不明になったダイバー、謎の大金持ちの別荘、と丁寧にお膳立てをした上で満を持して海底人登場!
ここ数作はずっと狭いスケールの話が続いていたので、『ズッコケ宇宙大旅行』以来じつに14年ぶりの未知との遭遇系ストーリーだ! とわくわくした。けど……。
中盤以降のズッコケシリーズのつまらなさって「三人組が巻きこまれるだけで活躍しない」ことに原因があるんだよな。そしてこの作品もその例に漏れない。
海底人に出会ってからは、案内されて海底大陸を見学し、海底大陸での快適な暮らしを提供され、海底人たちの歴史を教えられ、わけもわからぬまま地上に戻される。その間ずっと受け身。ずっとなりゆきに身を任せている。ここ数作はほんとにこのパターンが多い。『ミステリーツアー』も『死神人形』も『ハワイに行く』も『怪盗Xの再挑戦』も、ただただめずらしい出来事に巻き込まれただけで後は流れに乗っているだけ。もううんざりだ!
『ズッコケ海底大陸の秘密』は、話の展開としては『ズッコケ山賊修業中』と似ている。しかし『山賊修業中』では山賊の連中と喧嘩をしたり、脱走したり、その間の心中描写があったりで退屈させない。それに比べて『海底大陸の秘密』はそれらが何にもない。ハカセの心中だけはわずかに描写されるが、他のメンバーは機械的に動いているだけ。
やれ環境破壊だやれ原発だって説教もしゃらくさいし(そういう教訓めいたことがないのがズッコケシリーズの魅力だったのに)、導入は良かっただけに肩透かしを食らった気分だ。
「かつて地上で栄えた種族が、遺伝子操作によって海底で生活できる種族を作りあげた」ってほら話はわりと好きだったけどな。ただそれがストーリーとあんまり関連なかったな。
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