知恵遅れ、という言葉を最近聞かない。
ぼくが小学校のときは、子どもも大人もふつうに使っていた。
あの子は知恵遅れだからしょうがないね、というように。
今だったら発達障害とかADHDとか自閉症とかダウン症とかいろいろ難しい名前が付けられるんだろうけど、当時は「知恵遅れ」とひとくくりにされていた。
今、「知恵遅れ」は差別的だとして放送禁止用語になっているという。
「知的障害者」というのが正しいらしい。
言われた側がどう受け取るかわからないけど、ぼくにとっては「知恵遅れ」のほうが寛容な言い方だという印象を受ける。
「知的障害者」というと、何かが決定的に欠けている人で、彼我の差は何があっても埋められないイメージ。
「知恵遅れ」のほうは、ただ遅れているだけ、そのうちそれなりの域に達するさ、いろんな人がいるからね、という懐の広さを感じる。
「知恵遅れ」もそれと同列のような感じだ。まだ十分な知恵がついていない子。
でもこれは「知恵遅れ」という言葉が公的に使われなくなったことで、イメージが変わっただけなのかもしれない。
昔は「便所」というのは丁寧な言い回しだった、と聞いたことがある。
「厠」を丁寧に言い換えたのが「便所」だったのだとか。
でもその言い方が普及するうちに、「便所」に汚いイメージがついた。便所はきれいな場所ではないから当然だが。今では「便所」と言われると汚いトイレ、というイメージだ。
そこで「トイレ」が使われるようになった。「便所」より上品な言い方として。だが「トイレ」のイメージもだんだん汚れてきて、さらに上品に言いたい人は「お手洗い」と呼ぶようになった。
きっと近い将来「お手洗い」も汚い言葉になってしまい、また新しい言葉が代わりに用いられることだろう。
一方、ほとんど使われなくなったことで「厠」には汚いイメージがなくなった。ときどきトイレの入り口に「厠」と書かれた居酒屋がある。耳になじみの薄い言葉になったことで、逆に粋な言葉に昇格したのだろう。
「知恵遅れ」も同様に、使われなくなったことでマイルドなイメージになっただけなのかもしれない。トイレで例えて申し訳ないけど。
これは「便所」ではない |
「ボケ」が「認知症」になり、「デブ」が「メタボリック」になり、「オバサン」が「熟女」になった。
いずれも差別的なイメージを和らげるために考案された言葉なんだろうけど、人口に膾炙したことで、いずれの言葉も差別的なイメージを持ちつつある。
こないだ病院に行ったら「AGAの方はご相談ください」というポスターが貼ってあって、AGAって何だろうと思って見てみたら「男性型脱毛症」(AGA:Androgenetic Alopecia)だと書いてあった。「ハゲ」が「AGA」になったのだ。
きっと10年後の小学生は、ひたいの広い友人を「やーい、AGA!」と言ってからかっていることだろう。
マイナスイメージのある言葉を次々に言い換えることに意味があるのだろうか、と思う。
そんなことをしても、くさいものにふた、いやこれは差別的表現なので訂正しよう。臭的障害物質にふたをしてるだけじゃないだろうか。
同感です。統合失調症という病気もかつての名称・精神分裂病のほうがよっぽど病気の実態に即していたと思います。素晴らしい考察をありがとうございました。
返信削除コメントありがとうございます!
削除その通りと思いました。さて、外国の場合はどうなのでしょうか?
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