2016年10月31日月曜日

【おもいつき】イカれのには理由がある

イカれたメンバーを紹介するぜ!


まずはギター!
彼女にフラれてから、投函もしない愛の手紙を毎日書きつづけている!


次はベース!
毎日終電までの激務のせいで、朝布団から出られなくなった!


それから紅一点!
自分は汚れていると思って1時間以上も執拗に手を洗いつづけるキーボード!


最後はこの俺!
創作の苦悩のあまり、自分の耳をそぎおとしたボーカル!


このイカれた4人のメンバーがお送りするぜ!



観客(内に向かうタイプのイカれかたか……)

2016年10月28日金曜日

【エッセイ】結婚式における脇役

妻の妹の結婚式に出席した。

で、思ったんだけれど、「新婦の姉の夫」って結婚披露宴の出席者の中でもいちばんの脇役じゃない?
新郎新婦と直接交流があるわけでもない。血のつながりもない。


結婚披露宴における主役は、誰がなんといおうと花嫁。
これは異論がない。
野球でいうとピッチャーで4番。

準主役は花婿。
野球でいうとキャッチャー。
花嫁に比べると大きく差はあるけれど、いなくてはゲームが成立しないポジション。

内野手は、新郎新婦の両親あたり。
新郎父親は、両家を代表して挨拶するので、内野の要のショート。
新婦父は花嫁をエスコートするので、重要だけどさほど難しくないファースト。
『お母さんへ』の手紙を読んでもらえる新婦母がサードで、特に出番のない新郎母がちょい地味なセカンド。


身内だけでやる結婚式もあるぐらいだから、内野手だけでもいちおう野球の試合にはなる。

でも本格的にやるなら外野手もいないとね。

新郎新婦の友人たちや会社の同僚たちが外野手だね。
新郎新婦からはちょっと離れたところにいるけど、活躍次第ではピッチャーよりも目立つこともあったり。
「式のことはぜんぜん覚えてないけど、余興やスピーチだけは印象に残っている」って披露宴もあるもんね。


披露宴の司会者はウグイス嬢。
受付はビールの売り子。
決して目立つことはないけれど、この人たちの働きがあるからこそ野球観戦は大いに盛り上がる。


新郎新婦の親戚は、球場に観にきているファン。
特に出番はなく、拍手を贈るのが仕事。
「あの小っさかった○○ちゃんがこんな立派な花嫁さんになって......」と感動したりもする。
多めのご祝儀という形でお金を落としてくれるところもファンと一緒だね。


で、新婦の姉の夫(ぼく)はというと......。

「野球ファンの彼氏につれてこられた、野球にぜんぜん興味のない彼女」ですかね......。


2016年10月26日水曜日

【エッセイ】素材の味を楽しむために

寿司食ってたら、食通ぶったやつが

「醤油をつけると素材の味が死んじゃうから、通は醤油をつけずに云々」

としょうもない持論を展開していて、

うるせえよ素材の味を楽しみたいならシャリじゃなくて稲に生魚のせて食っとけよばか!


2016年10月24日月曜日

【エッセイ】てっきり的な話


高校の同級生たちと飲む。
高校時代にひそかに思いを寄せていた女性に云われた衝撃の一言。

「久しぶりだねー。会うの、高校卒業以来だね」

え?

嘘でしょ?

うわーこれ冗談の顔じゃないわ……。

いやいやいやいや。
高校卒業してから10回以上は会ってるからね!

成人式でも会ったし。

同窓会でも会ったし。

何度か一緒に飲み会やったし。

そういや京都を案内してほしいって云われて南禅寺と銀閣に連れてったことあったし。

その後数人で朝まで飲んだし。

よく考えたら去年も友人の結婚式で会ってるし。

ぼくの基準に照らし合わせればこれってかなり親しくしてるほうだったと思うんだけど、それ全部忘れてる……!?

あれかな。
記憶的なものを喪失的なことしちゃった的な話かな?

うん、そうだよね。
そうゆう路線ね。

記憶回路にね、若干のトラブルがあるパターンね。
脳のシナプスとか海馬みたいなとこが大型連休とってる感じね。

はいはいはいおっけーおっけー。

そうだよね、でなきゃね、忘れるわけないよね。
10回以上会ってる人を。ぼくを。

あー、あせったー!
てっきりあれかと思ったわ。
ぼくに対しては何の関心も無いから覚える必要を感じなかったみたいなやつかと。てっきり。

あーっ、よかったー! ちがっててよかったー!

2016年10月21日金曜日

【読書感想文】高野 和明『ジェノサイド』

高野 和明『ジェノサイド』

内容(「BOOK」データベースより)
急死したはずの父親から送られてきた一通のメール。それがすべての発端だった。創薬化学を専攻する大学院生・古賀研人は、その不可解な遺書を手掛かりに、隠されていた私設実験室に辿り着く。ウイルス学者だった父は、そこで何を研究しようとしていたのか。同じ頃、特殊部隊出身の傭兵、ジョナサン・イエーガーは、難病に冒された息子の治療費を稼ぐため、ある極秘の依頼を引き受けた。暗殺任務と思しき詳細不明の作戦。事前に明かされたのは、「人類全体に奉仕する仕事」ということだけだった。イエーガーは暗殺チームの一員となり、戦争状態にあるコンゴのジャングル地帯に潜入するが…。

学生時代の読書は、小説:ノンフィクション=8:2ぐらいの比率でした。
ですが30代くらいになると、その比率は逆転。2:8ぐらいになりました。
勉強したいという気持ちが学生時代よりも強くなったからなのでしょうか(学校に行かなくなると知識欲を満たす場が読書ばかりになりますからね)。
ノンフィクションのほうが楽しめるようになり、月並みな表現ですが「やっぱり事実は小説よりも奇なりだな」と思うこともよくあります。

ですが、高野 和明『ジェノサイド』を読んで思ったことは
「いやいや、人間の想像力には限度がない。小説はどこまでもおもしろくなる!」

つづきはこちら


2016年10月19日水曜日

【考察】歌舞伎俳優のふしぎ。


歌舞伎俳優のふしぎ。

テレビのワイドショーを観ると、よく歌舞伎俳優が話題に上がっている。

ぼくは歌舞伎のことはさっぱりわからないのだけれど、やれカンクロウが死んだだの、カンザブロウが熱愛発覚しただの、カンタロウが舞台を休んだだの、けっこうな頻度で歌舞伎ネームを耳にする。


ふと疑問に思ったんだけど、世の中の人ってそんなに歌舞伎を好きなの?

歌舞伎はテレビ中継もしないし、公演をテレビCMで宣伝しているのも観たことがない。
テレビを観ている人たちの大半は、歌舞伎そのものにはぜんぜん興味がない。たぶん。

なのに歌舞伎俳優のプライベートは、報道の価値があるらしい。ふしぎだ。

歌舞伎ファンってどれぐらいの数がいるんだろう。
少なくともぼくは「歌舞伎ファンです」という人に会ったことがない。
野球ファンとかジャニーズファンとかに比べれば、ずっとずっと少ないと思う。
人口でいったら、落語ファンとかオペラファンとか骨董好きとかとそれほど変わらないんじゃなかろうか。

なのに、
「落語家Sが熱愛発覚!」
「あの大御所オペラ歌手Cが緊急入院!」
「新進気鋭の女流陶芸家Yが離婚間近!?」
なんてことは、まず報道されない。

どうして歌舞伎俳優ばかりが話題になるのだろう。

誰か知ってる?

2016年10月17日月曜日

【エッセイ】どっちもがんばれ大統領候補

アメリカ大統領選をめぐり、どちらを支持するか。
アメリカ国民に問うた、とあるアンケートの結果。

クリントン氏支持が48%

トランプ氏支持が41%


おお、すごい。
なんと、89%の人が、明確にどちらを支持するかを明確にしているとは。

日本だったら、「わからない」「どちらともいえない」などの回答がずっと多くなるにちがいない。



自分の気持ちを白黒はっきりうちだすアメリカと、あいまいにぼやかす日本。


どっちがいいかは……。

「どちらともいえない」よね。
日本人だもの。


2016年10月16日日曜日

【読書感想文】 中山 七里『贖罪の奏鳴曲』

中山 七里『贖罪の奏鳴曲』

内容(「BOOK」データベースより)
 御子柴礼司は被告に多額の報酬を要求する悪辣弁護士。彼は十四歳の時、幼女バラバラ殺人を犯し少年院に収監されるが、名前を変え弁護士となった。三億円の保険金殺人事件を担当する御子柴は、過去を強請屋のライターに知られる。彼の死体を遺棄した御子柴には、鉄壁のアリバイがあった。驚愕の逆転法廷劇!

いろんな本を読みますが、めったにこういう感想は抱くことはありません。
この本の感想は
「おもしろいけど好きになれない小説」
でした。

続きはこちら

2016年10月13日木曜日

【エッセイ】ハロウィンの仮装をおもしろくするために

ハロウィンの仮装で、おもしろいものを見ないのはなぜなのだろう。

あれだけたくさんの人が仮装しているのだから、1割くらいは笑えるもの、センスが光るものがあってもよさそうなものなのに、まあつまらない。
誰一人としてセンスを感じない。

なぜかと考えてみたのだが、やっぱり「仮装していいときに仮装してるから」なんだろうね。
ハロウィンに仮装をするのって葬式に喪服を着るようなものだから、そりゃ笑えない。
仮装は場違いだから笑えるのであって、これだけハロウィンが市民権を持ってしまった今日では、どんな格好をしてもそれは正装にすぎない。


卒業式や成人式にヤンチャな服装で出席するヤンキーに対しては
「やるべきときにやるべきことをやっていてすごくまじめな人なんだな」という印象しか持たないけど、それに似ている。

「ハロウィンに仮装」も「まじめにふつうのことをやっている」だけだから、それを見て笑えるわけがない。


新入社員が初出社の日に喪服を着てきたら
「なんであいつ喪服なの。これは大物ルーキー現る!」
ってな感じですごく笑えると思う。


そこでぼくが提案する仮装は
「ハロウィンの1週間後あたりにゾンビの格好して
 『あれ? おれだけ? 今週じゃないの? まじで!?』
 みたいな顔で赤面する人」
の仮装。

これだったら見てみたい。
そして恥ずかしすぎるからぜったいにやりたくない仮装でもある。

2016年10月12日水曜日

【エッセイ】ハンコぺったん


4歳の姪と電話をしていたときのこと。
「今なにしてたの?」と訊くと
 「ハンコぺったんしててん」とかわいい返事。

「へー。ハンコで遊んでたの」
 「遊んでるんとちゃうねん。ハンコぺったんせなあかんねん」
「ん?」
 「この電話が終わったらまたぺったんせなあかんねん。たいへんやわ」
「ん?遊んでるんじゃないの?」



彼女の母親(ぼくの姉)に話を聞いてみると、こういうわけだった。

夕食の支度をしていると、姪が「おてつだいする!」と言いだした。
しかし揚げ物をしているので近寄らせたくない。
かといって、せっかくお手伝いをしようという気になっているのに無下に断るわけにもいかない。
そこでハンコと紙を渡して
「おかあちゃんの代わりにこの紙いっぱいにハンコぺったんしといて。お願い」
と頼んだのだそうだ。

なるほど。
これならひとりでやらせても危なくないし、子どもも達成感を味わえて仕事の喜びを学べる。

これはいい子育て術を知ったと思い、妻にも教えた。妻も感心していた。


 
一週間後。
妻が黙々とミシンを踏んでいたので「よっしゃ、手伝ったろ」と言ってみた(ミシンの電源ボタンがどこにあるのかも知らないけど)。

すると妻は微笑みながら
「んー。じゃあハンコぺったんしといて」

こいつ……。さっそく実践しとるっ!!


で、質問なんだけど、あと何回ぺったんしたらいいのかな?

2016年10月9日日曜日

【読書感想文】曽根 圭介『藁にもすがる獣たち』

 

曽根 圭介『藁にもすがる獣たち』

内容(「BOOK」データベースより)
サウナの客が残していったバッグには大金が!?持ち主は二度と現れず、その金で閉めた理髪店を再開しようと考える初老のアルバイト。FXの負債を返すためにデリヘルで働く主婦。暴力団からの借金で追い込みをかけられる刑事。金に憑かれて人生を狂わされた人間たちの運命。ノンストップ犯罪ミステリー!
いやあ、実に「うまい」小説でした。

続きはこちら

2016年10月8日土曜日

【エッセイ】さながら石油王

今日は会社の飲み会。
妻に対しても、一週間前から「帰りが遅くなる」と言ってある(上司への報告は社会人の基本だからね)。

そんなとき、妻が風邪をひいた。
かなりしんどいらしく、朝から寝込んでいる。


これは……。

チャンス!!

圧倒的チャンス!!



他の家庭はどうか知らないが、夫婦の立場というのはポイント制だとぼくはとらえている。

ごはんを作ったら2FP、洗い物をしたら1FPがプレイヤー(夫または妻)に加算される。
 ※FPとは夫婦ポイントのこと

逆に、連絡なしに帰りが遅くなった場合や、余計なものを買ったことがばれた場合などはFPが減点される。


日常のあらゆる行動に対して、FPのプラスマイナスが規定されており(ポイントは夫婦によって異なる)、
このFPの累積によって各プレイヤーのランクが決定し、すなわち家庭内での地位が確定する。
(つまりぼくのFPは妻よりも圧倒的に少ないということになる)


また、プレイヤー間のFPに著しい差が生じた場合は、上位のプレイヤー(=妻)は下位のプレイヤー(=夫)に対して攻撃を加えることができる。
攻撃とはすなわち、怒りを爆発させるということであり、
この際の攻撃力は、

(直近1ヶ月のFP差)+(直近1週間の相手のマイナスFP)/(1+(直近1週間の相手の獲得FP))×14.2

という式で求められる。


さらに、攻撃力が550を超えると、特別ボーナスが加算される。

属性が同じ相手プレイヤーのエラーを過去40年までさかのぼって召喚し、攻撃力に加算することができるのだ。
「4年前のあのときもあなたはこう言ったわよね!」という過去ほじくり攻撃である。


2016年10月4日火曜日

【エッセイ】放屁の文化史

突然だが、ぼくが生まれ育った家庭では
「放屁は黙殺」という掟があった。

一家団欒の席において誰かがことに及んだ(つまり音の出る屁を放った)場合、家族の誰もそのことに言及しない。
顔色ひとつ変えずに、会話を続けるのが鉄則である。

とはいえ、掛け軸に「放屁は黙殺」としたためた書が床の間に飾ってあるわけではない。

家族会議が開かれて三日三晩話し合って
「やはり放屁については言及しないこととしよう」
という議決を出したわけでもなく、いつの間にかなんとなく決まった不文律だ。


基本的にはおならは我慢する。
それでも人間なんだから、おならの一発や二発、うっかり出てしまうことはある。
事を大げさにするほどのことでもあるまい。そっと目を閉じて(というより耳と鼻を閉じて)、なかったことにするのが大人のたしなみだろう。
これが、(話し合ったわけではないけどおそらく)うちの実家の共通認識である。


どこの家でもそうなのだと思っていた。
ところが最近判明したのだが、どうも各家庭によってそのへんの処遇についてはまちまちであるらしい。


ぼくの妻。
彼女の生まれ育った家庭においては、そもそも「おならは御法度」であるらしい。
だから万にひとつもおならをするようなことがあってはならないし、よしんばその禁を破った場合は速やかに頭を下げてその場にいる者の許しを乞わなければならないのだという。

たとえば、会話中にぼくがうっかり放屁をしてしまう。
ぼくは三十年来の習慣に従い、なにくわぬ顔で話を続ける。
このとき、ぼくの親族であればやはり聞かなかったことにして会話を続行してくれる。

しかし妻は許さない。
アゲハチョウの幼虫には外敵を追い払うために顔みたいな模様がついているけど、ちょうどあれぐらいの怖い顔をしてぼくを睨みつける。
その表情の変化に気づかないふりをして会話を続けるぼく。
すると彼女はとうとう、口に出して夫の不始末を咎める。

「ごめんなさいは?」

これがぼくには理解できない。
なぜそっとしておいてくれないのか。

いうなれば、ぼくの実家は『恥の文化』。
放屁をしても、誰も何も言わなければしなかったのと同じだから、恥ずかしくない。
和をもって貴しとなす日本古来のやりかただ。

一方、妻が説くのは『罪の文化』。
放屁はそれ自体が罪だから、周囲の反応には関係なく償わなければならないと主張する西洋文化だ。


はたしてどちらが正しいのか。
ぼくは、旧友のSくんに相談してみた。

彼は云った。
「おれの実家は事前申請制を採用してる」

なんと、彼が生まれ育った家では、おならが出そうになったら
「もうすぐ出る!」と宣言して、家族が心の準備を整えてから出すのだという。

彼の家ではおならをすること自体は罪ではないが、黙っておならをしてそれが明るみに出た場合にはじめて非難を浴びるのだという。
「黙っておならしたの誰?」と。

Sくんにはたいへん美人なお姉さんがいるが、そのお姉さんもやはり宣言してからなさっていたそうだ。


なんと。
新たなルールが見つかった。
例えるならば、戦国文化であろうか。
戦国武将のように「やあやあ我こそは……」と名乗りを上げてから出陣しないと卑怯者と見なされる、たいへん勇ましい文化だ。

いろんな家庭があるものだ。


ところでこのSくん、今では結婚して二人暮らしだ。
「今も宣言してるの?」
と尋ねると、彼は首を振った。
「おならをしたら奥さんにめちゃくちゃ怒られる。事前申請しても、後から謝ってもだめ。そもそもおならをしたらだめだって言われる。『たとえ私が留守にしているときでもだめ』だってさ」

高らかに名乗りを挙げて刀を振り回していたのも、今は昔。
もう今は武士の時代ではないのかもしれないな……。
剣の道に悩む宮本武蔵の顔が、寂しそうに笑うSくんにだぶって見えた。


2016年10月3日月曜日

【創作】たまごのしょうたい

そのときです。

おなかにきょうれつないたみと、からだがきゅうにもちあげられるかんかくがありました。

オオワシです。
オオワシのおおきなつめが、おなかにくいこんでいるのです。
じたばたとあばれましたが、ぎらりとまがったかぎづめがからだにくいこむいっぽうで、とてもにげられそうにありません。

オオワシがおりたったのは、じぶんのすでした。

ナイフのようにするどいくちばしで、ふたりのはらわたをひきさきます。



ああ、あそこにおちていたのはオオワシのたまごだったんだ。

あのたまごをホットケーキにしてしまったぼくたちのことを、うらんでいたのか。

やけるようなはらわたのいたみと、うすれゆくいしきのなかで、ぐりとぐらがさいごにおもったのはそのことでした。

2016年10月2日日曜日

【エッセイ】心に傷を持った老ニワトリ


大阪・天王寺動物園の情報紙を見たら、「幸せを呼ぶニワトリ・マサヒロ」という記事が乗っていた。

記事によると、マサヒロは肉食動物の生き餌として入荷したが、カモに餌の食べ方を教える「先生役」に抜擢されたために命拾いし、その後は野生のイタチを捕獲するための「おとり餌」にされたがイタチが現れなかったために九死に一生を得て、また餌になるところだったが偶然需要がなかったために、現在は動物園で飼われているとのこと。



「今や、マサヒロは動物園の一員として、命の大切さを伝える大切な役目を担っているのです」

と締めくくられてるけど、いやあ......。
この話から読み取れるのは「命の大切さ」なんて、そんな単純な美談じゃないでしょ......。

「人間が動物の生殺与奪の権利を握っているんだな」ってことでしょうよ......。


命の大切を教えるなら、このニワトリが過酷な戦地から帰還した傷痍軍人のように、

「仲間たちはみんな死んだ。腕っぷしが立つやつも、頭のいいやつも、みんなから好かれてたやつも、家族思いだったやつも、みんな死んだ。私が生き残ったのはただ運がよかっただけだ。だから二度とあんな悲惨な入荷がおこなわれないことを願う」

って、未来を担うヒヨコたちに語りついでいくしかないのでは。