本渡 章
大阪の古地図(江戸時代~大正ぐらい)についての本。
大学での講義を本にしたものらしく、うーん、とにかく読みづらい。地図を見ながらあれこれ解説を聞いたりするとわかるのかもしれないが、本を読みながら地図を見るのは不可能なんだよなあ……。
そういや以前『ブラタモリ』の本を読んでみたことがあるのだが、あれもわかりづらかった。テレビで観るとあんなにわかりやすくておもしろいのに。
本には小さい地図も載っているのだが、文章を読んで、地図で該当の場所を探して、また文章を読んで、また探して……とやっていると疲れてしまう。そうまでしても結局よくわからない。
「地図」と「本で解説」はとにかく相性が悪いことがわかった。
地図そのものはよくわからなかったが、その制作背景の話はおもしろかった。
ほとんどの現代人にとって地図は単なる〝ツール〟でしかない。目的地にたどりつくことが目的なので、その手段は紙の地図でもカーナビでもGoogleマップでもいい。より便利なものがあればそちらを使う。
しかしこの「ボロボロになった部分まで忠実に描き写した地図」は単なるツールではない。持ち主にとっては、アルバムや日記のような、いろんな感情を想起させてくれるものだったのだろう。
古地図にもいろいろあるが、ほとんどの場合は、縮尺や方角はかなりいいかげんだ。なので、古地図を見ても正確な地形情報は得られない。
しかし正確でないからこそ伝わる情報もある。
たとえばお寺が地図に描かれている。現代でも残っているお寺。大きさは今と同じだ。だが、古地図では今の地図よりもずっと大きくそのお寺が描かれている。そうすると、当時の人々にとってはそのお寺の存在が今よりずっと重要だったのだろうとわかる。
日本史で地図と言えば伊能忠敬だ。
伊能忠敬の地図を見ると、今から三百年前の測量機もGPSもなかった時代にこんなに正確な地図を作れたのかと驚かされる。
だが、伊能忠敬の地図が実際に使われることはほとんどなかったそうだ。
伊能忠敬の地図は形状は正確だったが、人々の住んでいる町や村の情報は乏しかった。
だから人々は正確な伊能忠敬の地図よりも、不正確だが身の周りの情報が豊富な長久保赤水の地図が選ばれた。
おもしろい話。ビジネス書なんかに載ってそうな話だよね。「重要なのは品質ではなく、クライアントが求めている価値を提供できることです」なんつって。
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