岩瀬 彰 『「月給100円サラリーマン」の時代』
講談社現代新書で2006年に出版されたものの絶版になっていたのを、ちくま文庫から再刊されたもの。
いやあ、いい本。再刊してくれてよかった。筑摩さん、ありがとう。
戦前は意外と今と近い
昭和十年頃(日中戦争、太平洋戦争が始まるちょっと前)の都市生活者の暮らしを、「お金」という切り口で描いた本。
「戦前の生活」というのは江戸時代の暮らしと同じくらい遠い時代のイメージだったんだけど、この本を読むと、サラリーマンはスーツを着て会社に行き、学生は勉強そっちのけでビリヤードに精を出したりしていたらしい。なーんだ、今と似たような生活を送っていたんじゃないか(少なくとも男性は)。
「玉音放送で価値観がガラッと変わった」なんて話をよく聞くけど、大きな断絶があるのは「戦中から戦後になったとき」であって、「戦前の平和な時代と戦後の復興後」はけっこう近い生活をしていたんだとか。
どうも、江戸時代よりはずっと近いようだ。
といってもこれは都市生活者の暮らしの話で、農村部と都心部の暮らしの差は今よりもずっと大きかったのだろう。
ぼくの父は昭和30年生まれだけど雪国の農家で育ったので、幼少の頃は「牛を飼っていて、冬になると家の中に入れて一緒に生活していた」そうだ。日本昔ばなしみたいな話だけど、昭和40年くらいでもまだそんなところはあったんだねえ(もしかしたら今でもあるのかも)。
母は同世代だけど都会育ちなので、母がテレビで『鉄腕アトム』を観ていたころに、父は「村で唯一電話があるのが自慢だった」という。ずいぶんと差がある。
戦前の金銭感覚について
物価についてはいろいろと説があるようだが、だいたい2,000倍して考えるとだいたい今の価値に近くなる、とこの本には書いている。
外食で30~50銭ぐらい出せばそこそこの食事ができたらしいから、今の価値だと600~1,000円。まあそんなもんだろう(東京だと600円で食事できるところはファーストフードしかないだろうけど)。
外食で30~50銭ぐらい出せばそこそこの食事ができたらしいから、今の価値だと600~1,000円。まあそんなもんだろう(東京だと600円で食事できるところはファーストフードしかないだろうけど)。
しかし月に100円ということは、今の価値だと20万円。しかもボーナスを入れての金額なので、毎月支給されるのは10万円をちょっと超えるぐらい。10万円ちょっとで「そこそこいい暮らし」ができたのだから、いい時代だ。
今は30代の平均年収が400万円くらいらしいので(賞与含む)、月収ベースにすると30万とちょっと。
物価は2,000倍で所得は3,000倍以上になっているから、それだけ今の暮らしは楽になっていることになる……。単純に考えるとそうなんだけど、じっさいはそうでもないよね。
家賃は2,000倍どころでなく上がってるし、昔はなかった家電や携帯電話に使うお金もあるし……。
「平均的な暮らし」をするためのコストで考えると、昔も今もたいして変わらないんじゃないかなあ。
そうしてサラリーマンは戦争へ駆り出された
特に興味深かったのは、最終章の「暗黙の戦争支持」。
日本が勝ち目のない戦争に突き進んだ責任の一端はサラリーマンたちにもあると著者は指摘する。
さまざまな問題を知りながら、「自分の生活のため」に目をつぶっていたサラリーマンたち。
民衆の不満はくすぶっていた。その不満を解消する手段として選ばれたのが、戦争だった。
戦争に勝てば景気は沸き、贅沢もできないから格差は縮まり、軍人は大きな顔をできる(戦前の軍人は安月給で扱いも低かったらしい。彼らの鬱屈した思いが戦争を招いたとも言えるかもしれない)。
かくして「今の良くない状況を打開してくれるもの」として戦争支持者は歓声を上げ、日本は後には引けない戦争へと足を踏み入れる。
この描写にぞっとした。
そうだったのか。出兵していた兵士たちって、元サラリーマンもいたのか。想像したこともなかった。
今ぼくらが耳にする戦争体験って、昭和生まれの人の話が多い。だって大正生まれはもう90歳を超えているのだから。
戦中育ちの人の戦争体験は、どこか遠い世界の話だった。
でも、サラリーマンも戦争に行っていたというのは、現在サラリーマンであるぼくにとってはかなりショッキングだった。
今の日本も、格差は広がり、ほとんどの若者が豊かな生活を送れていない。今後高齢化は進む一方だから将来的な展望も暗い。
『「月給100円サラリーマン」の時代』を読むと、昭和十年頃の空気はもしかしたら今と同じように閉塞的な雰囲気が漂っていたのかもしれないなと思う。
今、裕福でない家庭に生まれて高い技能を持たない若者にとっては、状況を打開する手段はもはや宝くじで一発当てるか、戦争が起こることぐらいしか残されていない。
だからってすぐに日本が戦争を始めるとは思わないけど、しないとも言い切れない。「防衛のための戦争」という大義名分があれば今の憲法でもできるしね。ちょうど東アジアの情勢が不安定になっていることもあるし。
戦争をしたい人は少ないだろうけど、「戦争をするといわれても積極的に反対はしない」という人も少なくないんじゃなかろうか。
ぼくは思う、日本が戦争をすることは、ない話じゃないと。
そしてこうも思う。いざその道に進みかけたときに、ほとんどの人は何もしないんじゃないかと。
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