ぼくが小学生のときにいちばん読んだ本は、まちがいなくズッコケ三人組シリーズだった。
著者は那須正幹さん、挿絵は前川かずおさん(後に逝去により高橋信也さんに交代)。
今でこそ児童向けの文庫を各出版社が出しているけど、ぼくが子どものころって中学年以上の子が読む小説ってあんまり多くなった気がする。江戸川乱歩とかホームズとかルパンとかの、いわゆる名作小説か、翻訳小説か、あとは伝記とか。中学年以上が読むに耐える、純粋におもしろい小説はあまり多くなかった(ぼくが知るかぎり)。
だから本好きの子はみんな『ズッコケ』を読んでいた。ちなみにぼくは一年生から読んでいたのだが、今読むと漢字が多く、ルビも少なく、よく一年生でこれを読んでいたなあと感心する。なにしろぼくは二歳でひらがなを半分ぐらい読めた、幼稚園で挿絵のない本を読んでいた、二年生で宮沢賢治作品を読破したなど数々のエピソードを持つ神童だったからね。今じゃ見る影もないけど。
そんなわけで、ズッコケシリーズは誰もが読んでいるとおもっていたのだが、意外や意外、同世代の人に訊いてみても
「まったく知らない」「名前だけは知ってるけどほとんど読んだことはない」
という人がけっこういて驚かされる。
ぼくは読書好きの母の影響で本に囲まれた生活をしていたからそれがあたりまえだとおもっていたけど、本をぜんぜん読まない家庭も少なくないんだよな。
こないだ「家に本が一冊もない」という人と話してたら、「あ、でもうちの奥さんはわりと本読みますよ」って言うんで、「へえ。奥さんはどんな本読むんですか」って訊いたら「あれ読んだって言ってました、ほら、『ハリー・ポッター』」と言われて仰天した。
本を読まない人からすると、読書歴が『ハリー・ポッター』で止まっている人でも「わりと本読みますよ」になるのか……。
閑話休題。
上の娘が小学二年生になり、「小説が読みたい」と言いだしたので、そろそろいいかとズッコケ三人組シリーズを勧めてみた。
おもしろいと言っていたが、いかんせん読むのが遅い。おまけに習っていない漢字や聞きなれない言葉が多いので、しょっちゅうぼくに読み方や意味を訊いてくる。
もうまどろっこしいので、ぼくが読んで聞かせてあげている。
……というのは口実で、ほんとはぼくもいっしょに読みたいんだよね。
改めて読むと、小学生のときとは感じるところも違う。以下、感想。
『それいけズッコケ三人組』(1978年)
シリーズ第一作にして唯一の短篇集。
トイレにいるハカセが泥棒とニアミスする『三人組登場』、万引き中学生をこらしめる『花山駅の決闘』、同級生の女の子を脅かすつもりが逆におそろしい目に遭う『怪談ヤナギ池』、ハチベエが防空壕跡に迷いこむ『立石山城探検記』、モーちゃんがテレビの公開収録に挑戦する『ゆめのゴールデンクイズ』の五篇からなる。
小学生のとき、『ズッコケ三人組』シリーズの主人公はハチベエだとおもっていた。持ち前の行動力でストーリーをひっぱる役どころが多いからだ。じっさい、名作との呼び声高い『花のズッコケ児童会長』や『うわさのズッコケ株式会社』の主人公はまちがいなくハチベエだ。
だが改めて読むと、シリーズ通しての主役はハカセなんじゃないかとおもう。活躍シーンは多くないが、ハカセの一言をきっかけに物語が転がることがよくある。また、第一話『三人組登場』の主人公がハカセであったり、続編にあたる『ズッコケ中年三人組』シリーズではハカセの恋愛模様が描かれることからも、やっぱり真の主役はハカセだ。
『それいけズッコケ三人組』はどれもスリルあふれていておもしろい作品。『三人組登場』はサスペンス&コメディ、『花山町の決闘』はバイオレンス、『階段ヤナギ池』はホラー、『ゆめのゴールデンクイズ』はヒューマンドラマ。だが『立石山城探検記』だけは小学生にとってはおもしろい話ではなかった。
題材が難しいし、ハチベエがただ真っ暗な穴の中を歩くだけで盛りあがりどころは少ない。ピンチではあるけど、スピード感がない。
でも大人になってから読むと、ちがう楽しみかたができる。そうか、この時代って防空壕とか戦争体験者とかがまだ身近な存在だったんだな。1978年に小学6年生ということは、三人組の生まれは1966年ぐらい。両親はギリギリ戦中生まれかな。ちょっと上の世代だともう戦争体験があるんだよな。ズッコケ三人組の担任の宅和先生なんか戦争経験者どころか出征していた世代だよな。
『ぼくらはズッコケ探偵団』(1979年)
二作目、長編としては一作目。
推理小説だが、小学生のときはあまりあまりおもしろくなかったな。野球のボールが飛んでいった屋敷で殺人事件に遭遇する、という展開まではおもしろかったんだけど、中盤からは小学生にとっては難しかった。今読むとかなり本格的なミステリだ。
ガラスは二度割れた、トリックに使われた釣り竿のさりげない提示、目撃者を消すための第二の事件など、ちゃんとしたミステリをやっている。児童文学なのに、決してこどもだましでないのが初期ズッコケシリーズのすばらしいところ(後期の怪盗Xなんかはこどもだましだけど)。
ただ、やっぱり本格的なミステリを子ども向けにやるのはむずかしい。うちの子は、ガラスが二度割れたトリックなんかは説明してやらないとわかっていなかった。
作者もそれをわかっていたのか、中盤には「学級会でおこなわれる男子と女子の対決」が描かれる。ハカセが口先三寸で女子をやりこめるところは、しょっちゅう悪さをしては女子に告げ口されていたぼくとしては痛快だったなあ。
しかもこの学級会のシーンも無駄に差しこまれるわけではない。学級会では敵だった安藤圭子が終盤で命を狙われて、三人組が助ける展開は胸が熱くなる。
『ズッコケ㊙大作戦』(1980年)
タイトルに環境依存文字が使われている作品。読めない人のために説明しておくと、○の中に秘、でマルヒです。そういやマル秘っていつのまにか聞かなくなったな。
これも小学生のときはあまり好きな作品じゃなかった。男子小学生にとっては、恋愛をテーマにした小説よりも手に汗にぎる冒険譚のほうが魅力的なんだよね。
でも今読むとずいぶん印象がちがう。これはすごい小説だ。
スキーに出かけたズッコケ三人組。そこで謎めいた美少女と出会う。
その数ヶ月後。スキー場で出会った美少女・マコが、転校生として三人のクラスにやってきた。マコはお金持ちで、誰にでも優しく、知性あふれる少女だった。おまけに水難救助をおこなう勇敢な一面もある。
たちまち三人はマコの虜に。はたしてヒロインは三人のうち誰にほほえむのか……とならないのがこの作品のすごいところ。
マコのまわりには怪しい男がうろつき、お嬢様であるはずのマコはボロアパートに住んでいることが明らかになる。おまけに水難救助は自作自演だった。
彼女は「お父さんがスパイに追われている」と三人に説明する。三人はそれを信じるが、すぐにそれも嘘だと判明。マコは虚言癖のある少女だったのだ……。
男子小学生向けのフィクションでは、美少女は完全無欠の存在として書かれがちだ。美しくおしとやかで家柄も良く、誰にでもわけへだてなく優しい。そう、しずかちゃんのような存在。
だがこの作品のマコはそんなうすっぺらい存在ではない。家は貧乏、嘘つき、見栄っ張り、保身のためなら人を傷つけ騙すこともいとわない……。とんでもない悪女である。
小学生のとき、ぼくは「マコはなんて悪い女だ」とおもったものだ。
だが大人になって読み返すと、それもまた一面的な見方だったと気づかされる。貧しい家に生まれ、恵まれない境遇で育ったマコ。周囲は何の苦労もなくのほほんと育った子どもたちばかり。これで博愛精神を持って生きていけというほうが無茶だろう。そのへんの小学六年生男子に比べて圧倒的に精神年齢が高いのだ。
三人組は、マコの嘘を知りながらも最後まで騙されたふりをしてマコの夜逃げに協力してあげる。そういやサンジも「女の嘘は許すのが男だ」と言っていた。これこそ愛。
見た目が良くて、性格が良くて、素直で、自分のことを好きな女の子に惚れるのなんて、あたりまえ。そうじゃない女の子を好きになっちゃうからこそ恋愛はおもしろい。
この作品にかぎらず、基本的にズッコケシリーズに出てくる女の子ってみんな強いんだよね。『ぼくらはズッコケ探偵団』で重要な役割を演じる安藤圭子もそうだけど、ヒロインである荒井陽子や榎本由美子も、基本的に男子を下に見ている。ほとんどサルと同じぐらいにしかおもっていない(まあこの年頃の女子ってそうだよね)。
後の作品でも、『大当たりズッコケ占い百科』や『ズッコケTV本番中』など、三人組が女子にふりまわされる話がいくつもある。
あたりまえだけど、男子だろうが女子だろうが、ずるくて意地悪な面を持っているものだ。それをきちんと書いている。単なる〝美少女〟という記号に終始していない。
改めて読むと、三人組だけでなく、脇役たちもみんな活き活きとしていることに気づく。へたな小説だと主要人物以外は物語を進めるためだけに存在する平坦な人物だが、ズッコケシリーズでは脇役もみんな生きて息をしている。
刊行から四十年たってもおもしろい。大人が読んでもおもしろい。すごい作品だね、ほんと。
その他の読書感想文はこちら
0 件のコメント:
コメントを投稿