人怖
人の狂気に潜む本当の恐怖
村田 らむ
怖い話、といっても幽霊だのおばけではなく、生きている人の怖い話を集めた本。
死体遺棄、悪意、暴力、動物虐待、詐欺など、個人的には「怖い」というより「胸くそ悪い」話がほとんどだった。
ぼくもけっこう胸くそ悪い話が好きで(というと語弊があるけどついつい読んじゃう)、後味の悪い小説はよく読む。ということもあって、『人怖』に載っている話は「たしかに嫌な話だけどそこまで衝撃的なものはないな……」という印象だった。
描写のグロテスクさでいえばこないだ読んだ『特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録』のほうがずっと上だったし、読後感の気持ち悪いさでいえば吉田修一氏の小説のほうがよっぽど嫌な気持ちになる。
ハッピーな物語しか読まない人だったら『人怖』もずいぶん衝撃的な内容だとおもうけど。
ホームレスの取材相手を探している雑誌記者の話。
こういう報道関係者はいっぱいいるんだろうな。ここまであけっぴろげではなくても、うっすらと願っている記者はいっぱいいるだろう。
こないだ読んだNHKスペシャル取材班『ルポ車上生活 駐車場の片隅で』にも近いものを感じた。記者がストーリーを作って、それにあう被取材者を探して、ストーリーにそぐわない話は切り捨てる。さらにたちの悪いことに、記者たちは「社会正義のため」と信じてやっている。「自分や視聴者の野次馬根性を満たすため」だということをすっかり忘れている。
仕事とか社会正義という大義名分があるときのほうが、道徳心は忘れやすいんだよね。
テレビディレクターの藤井健太郎さんが『悪意とこだわりの演出術』の中で、こんなことを書いていた。
悪ふざけだとおもっているときは、「渡っちゃいけない橋」に対して慎重になる。やりかたを間違えると、反撃されたり、訴えられたり、捕まったりすることがわかっているからだ。
ところが〝正義〟のためならついつい暴走してしまう。先のホームレスで言うなら「ホームレスを取材して悪意たっぷりのおもしろおかしいコンテンツを作ってやろうぜ!」とおもっている人は、法や人々の道徳心にぎりぎり触れないラインを狙うだろう。
ところが「『我々はなぜ、彼を救えなかったのだろう?』がテーマの美しくて崇高な物語をつくろう」とおもっている人は、ついついそのラインを踏み越えてしまう。正義は危険だ。
犬を飼うのに世話をしない母親の話。
たしかにひどい話なんだけど、こんなのめずらしくもなんともない話で、ペットを捨てたり、保健所に犬や猫を連れていくやつってたいがいこんなんじゃないの?
自分では責任はとりたくない、でも好きなときだけかわいがりたい、でもそのために金や時間や労力を犠牲にしたくない、でも動物は好き、だけどめんどうなことを引き受けるぐらいなら動物が死んでもしかたない、でも死んだら悲しい。
そういう思想じゃなきゃ、なにがあっても最期まで飼う覚悟もないのに犬猫をペットショップで買ってきたりしないでしょ。ペットショップ界隈には掃いて捨てるほどありそうな話だ。
(おそらく)最近話題になっている某宗教について。
2022年になって急にニュースになったけど、ずっとこういうことをやってきた団体なんだよねえ。
「人から聞いた話」がほとんどで、もちろん確かなソースなどもなく噂話とか都市伝説に近い。 掘り下げなどもなく、一冊の本として読むと少々読みごたえが薄い。
Twitterとかで流れてきたら目を惹くような話なんだけどな。
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