2023年1月20日金曜日

【読書感想文】スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』 / 人間はけっこう戦争が好き

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戦争は女の顔をしていない

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(著) 三浦 みどり(訳)

内容(e-honより)
ソ連では第二次世界大戦で百万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦った。しかし戦後は世間から白い目で見られ、みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかった―。五百人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした、ノーベル文学賞受賞作家のデビュー作で主著!


 歴史上、ひとつの戦争で最も多くの死者を出した国をご存じだろうか?

 第二次世界大戦でのソ連である。


 1941年、ナチス政権化のドイツ軍はソ連に侵攻した。ソ連は連邦国だったため一枚岩ではなく、ソ連に反感を持っていた地域や、共産主義に反対していた者たちも、ソ連を裏切ってドイツ軍側についた(最も彼らもナチズムでは列島民族として考えられていたため決してドイツからいい扱いは受けなかったようだが)。

 当初敗北続きだったソ連はモスクワまで攻め込まれるも、パルチザンと呼ばれる市民軍の抵抗や英米の支援を受けて盛り返し、最終的にはベルリンを陥落させドイツ軍を破った。辛くも勝利したもののその被害は大きく、ソ連の死者数は2000万とも3000万とも言われる。戦勝国であるソ連がこれだけ多くの死者を出したのだから、世界大戦の規模の大きさがうかがいしれる。

 この独ソ戦には、男だけでなく、女も多く戦闘に参加していた。看護婦や医師としてだけではない。運転手、工兵、そして戦闘員、将校として多数の女も参戦していたのだ。

 他の国の軍事情はあんまり知らないけど、こういう例はかなりめずらしいのではないだろうか。

 そんな、戦争に参加していた(それも最前線で)元兵士の女たちへのインタビューを集めた本。戦争体験談はよく目にするが、インタビュイーが女ばかり、というのはかなりめずらしい。

 ほんとにバラバラの話をただ集めただけなので、一冊の本として読むとかなり散漫な印象だ。それが逆にリアルでもあるのだが。




 まず驚かされるのが、多くの女性たちが決して嫌々ではなく、喜んで戦いに志願していたこと。

 はしゃぎながら乗り込んだわ。元気いっぱい、冗談を交わしながら。どこに所属するのか、どこに向かっているのかも知らなかった。どういう役割を担うのかはどうでもよかった。とにかく戦地に行きさえすれば。みんな戦ってるんだから、私たちだって。シチェルコヴォ駅に着いて、その近くに女性用の狙撃兵訓練所があった。送られたのはそこだったの。みんな喜んだわ。本物よ、本当に撃つのよ、って。
 勉強が始まった。守備隊勤務の規則や規律を学び、現地でのカムフラージュや毒ガス対策。みんなとても頑張った。眼をつぶったまま銃を組み立て、解体できるようになり、風速、標的の動き、標的までの距離を判断し、隠れ場所を掘り、斥候の匍匐前進など何もかもできるようになった。一刻も早く戦線に出たい、とそればかり。
「勉強しなければ行けない」と、説得されました。「いいわ、勉強する、でも看護婦の勉強じゃないわ。私は銃を撃ちたい」私はもうその気になっていました。私たちの学校には、内戦の英雄やスペイン市民戦争で戦った人たちがよく講演に来たものです。女子は男子にひけをとらないと思っていました。男女の別はありませんでした。それどころか、小さい頃から「少女たち、トラクターの運転を!」「少女たち、飛行機の操縦を!」という呼びかけを聞き慣れていました。そこにもってきて、恋人と一緒!緒に死ぬことまで想像しました。同じ戦闘で……

 ついつい現代の価値観を当てはめて「女も戦闘に参加させられるなんて悲惨な状況だったんだな」と考えてしまうが、実に多くの女性が自主的に入隊している。「家族や、軍の男たちには反対されたのに、反対をふりきって参加した」という声も多い。むしろ男たちのほうが保守的で「女は銃後を守ってくれればいい」という考えだったようだ。

 そういえば斎藤美奈子『モダンガール論』でも、戦争はそれまで家庭に閉じこめられていた女性が社会進出するチャンスだったので多くの女性が戦争に賛成した、と書いてあった。

「女の仕事は結婚して子どもを産んで育てること」だった時代では、戦争は女性にとってチャンスだったのだ。このあたりのことは覚えておきたい。朝ドラに歴史改竄されないために。


 ニュースでテロリストや少年兵を見ると、あいつらは異常者だとおもってしまう。自分たちとはべつの人間だと。けど、教育次第で誰でもかんたんにああなってしまうのだ。「祖国のために戦うのが人間の生きる道だ」と教えられれば、あっさりとその考えに染まってしまう。愛国心は、平和を望む心よりずっと強い。

 少し前に、とある学者がこんなツイートをしているのを見た。

「左翼連中は、軍備増強に賛成する連中のことをまるで戦争好きみたいに言う。でも誰だって戦争になんか行きたくないんだ。戦争に行きたくないから、防衛を強化するんだ」

 「戦争に行きたくないから防衛を強化する」の是非についてはここでは触れないが、少なくとも「誰だって戦争になんか行きたくないんだ」の部分に関しては「それはちがうぞ」とおもった。

 人間は、けっこう戦争が好きなのだ。戦争に行きたい人間はいっぱいいるのだ。人間は生まれながらにして「死にたくない」という本能を持っているが、それはいついかなるときも揺るがないほど強いものじゃない。「お国のため」という理由があれば、かんたんに抑えられてしまうものだ。

「誰だって戦争になんか行きたくないんだ」とおもっている人にかぎって、いざ戦争になったら「なぜ戦争に行かないのか!」って言いだすんだろうな。だって己の価値観が普遍的に正しいものだと信じて疑ってないんだもん。


 人間の理性はかんたんに壊れる。多くの歴史がそれを証明している。

 だからこそ制度で戦争を抑えなきゃいけない(やりたくてもできない状況にする)のに、理性で抑えられると信じている人のなんと多いことか。人間はみんなバカなんだよ! バカだから戦争好きなんだよ!




 当然ながら、かなりむごたらしい話も多い。戦争だからね。

 特に独ソ戦においては、単なる ドイツ軍 VS ソ連軍の対立だけではなく、ソ連の人たちがドイツ側についたこともあって、裏切り、密告、疑心暗鬼などが生まれ、戦闘以外で深く傷ついた人も多かったようだ。

 私はある任務を遂行しました。そのため、もう村に残っているわけにはいかず、パルチザン部隊に入りました。母は数日後にゲシュタポに連れて行かれました。弟は逃げおおせたんですが、母は捕まってしまった。娘の居場所を言え、と拷問されました。二年間囚われの身でした。二年間というもの、ファシストは作戦に行く時に他の女の人たちと一緒に母を前に歩かせました。パルチザンが地雷を仕掛けたかもしれない、と。必ず地元の住民を前に立てて歩かせたんです。人間の盾です。二年間というもの、母たちはそうして連れ歩かれたのです。待ち伏せをしていると、向こうから女の人たちがやってきて、その後ろにドイツ軍がついてくる。もっと近づいてくるとその中に母がいるのが見えます。一番怖いのはその時にパルチザンの指揮官が撃てと言うかもしれないこと。みな、その瞬間を恐れていました。みな互いに囁きあっています、「あ、おふくろだ」「あ、妹だ」自分の子供を見つけた人もいました。母はいつも白いスカーフをかぶっていました。背が高くて、すぐに母だと分かりました。私が気づかないでも他の人が教えてくれました。「おまえのおかあさんがいる」撃てと指令が出れば、撃つんです。どこに撃っているか自分でも分からなくなりながら、その白いスカーフだけは眼を離さないようにして。おかあさんは無事かしら、倒れなかったかしら、それしか頭にはありません。白いネッカチーフ。みなちりぢりになって、当たったのかどうか、お母さんが殺されたかどうかも分かりません。
(中略)
井戸に放り込まれる子供の叫び声が今でも耳に残っています。そんな叫び声を聴いたことがありますか? 子供は落ちていきながら叫び続けて、それはどこか地中から聞こえてくるようでした。あの世からの声、子供の声とは言えません。人間の声ではなくなっています。ノコギリでいくつかに切り分けられた若者を見たことがあります。丸太のように切ってあるのです。パルチザンの仲間です。そういうことのあとで任務を遂行しに行くと、心はひとつのことしか望んでいません。やつらを殺し、殺し尽くせ。少しでもたくさ人殺せ、もっとも残虐な方法で。ファシストが捕虜になっているのを見た時、誰かれ構わず飛びかかってやりたかった。手で首をしめ、かみついて歯でくいちぎってやりたかった。私だったら、奴らをすぐには殺しません。楽すぎる死に方です、銃やライフルで殺したのでは……

 絶句……。

 これまで読んだ数多くの戦争体験談もたしかにひどかった。が、それらはみんな「味方と敵」に分かれていた。

 敵に捕まった母親や妹に向かって銃を向けなくてはならない。撃たなければ自分が裏切り者として処刑される。こんな残酷なシーン、フィクションでもなかなかお目にかかれない。

 人間ってどこまでも残酷になれるんだな……。




 残酷な話も強い印象を与えるのだが、ぼくの胸にせまるのは、逆に、戦時中の楽しそうな話だ。

 たとえばこんな話。

 私たち、誰がどういう階級なのか教えてもらわずに行ったでしょ? 「これからはみんな兵隊なのだから自分より上の位の者には必ず敬礼しなければいけないし、背筋を伸ばして外套のボタンもきちっとかけていなければいけない」って曹長に教えられた。
 でも兵隊たちは私たち若い女の子をからかって楽しんでいたわ。ある時、衛生隊からお茶を取りに行かされて、料理番にお茶を頼むと私を見てこう言うの。
「なんの用だ?」
「お茶をもらいに」
「お茶はまだできていない」
「今、料理番たちが釜で湯につかっているからそれが終わったらお茶を沸かそう」と言われ、それをまにうけてしまった。お茶を入れるためのバケツを持って戻っていくと、医者に出会った。「どうしてバケツが空なんだ?お茶はどうした?」「大釜で料理番の人たちがお湯につかっているので、まだお茶ができてないんです」お医者さんは頭をかかえて「どこに釜で湯につかる料理番がいるんだ?」と言うんです。からかった料理番はこってりお説教された。私はパケッ二杯のお茶をもらったの。お茶を運んでいると政治指導員と指揮官が一緒にこちらにやってくる。教えられたことをすぐさま思い出したわ。私たちは一兵卒なんだから上官一人一人に敬礼しなけりゃいけないって。でも一度に二人が歩いている。どうやって二人に敬礼すればいいの?考えながら歩いて行って、二人と並んだ時バケツを置いて、両手で一度に敬礼したの。私に気づかずにやって来た二人は、そのとたん棒立ちになったわ。
「そんな敬礼を誰が教えた?」
「曹長です。一人一人に敬礼しろと言われました。一度にお二人なので」と答えたの。
 私たちは土の中で暮らしていました、モグラみたいに。それでも何かしらどうでもいい小物をかざっていました。たとえば春には小枝をビンに差したりして。明日自分はもうこの世にいないのかもしれないと、ふと思って……。ウールのワンピースを家から送ってもらった女の子がいて、私服を着るのは禁じられていましたが、やはり羨ましかった。曹長は男で「シーツでも送ってくれたほうが良かったのに」とぶつぶつ言いました。シーツも枕もなかったんです。枝や葉の上で眠りました。私はイヤリングを隠し持っていました。初めて挫傷を受けた時は何も聞こえず、話すこともできませんでした。「もし声が戻らなかったら、汽車に飛び込もう」と誓っていました。歌がとても上手だったのに突然、声が出なくなった。でも、その後、声は出るようになりました。
 嬉しさ一杯でイヤリングをつけて当直に行きました。「同志、中尉殿、報告いたします!」
 嬉しくて大声を張り上げました。
「それは何だ!」
「何って?」

 冗談を言って女兵士をからかったり、からかったことがばれて叱られたり、滑稽なまちがいをしてしまったり、小枝をビンに刺したり、ワンピースやイヤリングを見て心躍らせたり……。なんとも楽しそうだ。もしもこの時代にSNSがあったら、おもしろい話、美しい写真として投稿してみんなを楽しませていたのだろう。つまり、ぼくらと何ら変わらない人たちなのだ。

 しかし、そんな人たちが、明日には手足バラバラの死体になっているかもしれない。もしくは、敵兵の喉に銃剣を刺して殺しているのかもしれない。戦場だから。


 以前、テレビでシリア内戦の兵士たちの映像を見た。銃弾が飛び交い、次々に人が殺される内戦の最前線で、兵士たちは冗談を言ってげらげら笑いながら食事をしていた。「おい見とけよ」とへらへらしながら手榴弾を投げ、投げそこなって味方の陣地を攻撃してしまって、あわてて逃げる兵士たち。その後で「おまえ何やってんだよ!」「今のあぶなかったなー!」と笑いあう兵士たち。まるで、そのへんの大学生みたいなのんきさだった。ぼくが大学生のときも、友人の車に乗せてもらって「おまえ何やってんだよ!」「今のあぶなかったなー!」と笑いあっていた。あれといっしょだ。

 人間はどんな環境にも慣れる。朝いっしょに飯を食った仲間が、夕方には死体になっている。そんな環境にも慣れるし、そんな状況でも冗談を言ったり笑ったりできる。

 捕虜を弾よけに使うドイツ兵も、そんなドイツ兵の命を狙うソ連兵も、ぼくらとぜんぜん変わらない人たちだ。だから、ほんの少し周囲の状況がちがえば、ぼくらだって殺し合いに参加するのだろう。




 ぜんぜんたいした話じゃないんだけど、なぜか印象に残ったエピソード。

 勝利の日はウィーンで迎えました。そこで動物園に行きました。とても動物園に行きたかったんです。ナチの強制収容所を見に行くこともできたんです。みな連れていかれて見学させられました。でも行きませんでした……どうしてあのとき見ておかなかったのかと、今はあきれるけれど、あのときは嫌だったんです。何か嬉しいこと、こっけいなものを見たかった。別世界のものが見たかったの……

 なんとなくわかる……。

 もちろん戦争に参加したことなんかないので想像することすらできないのだけれど、終戦の日に動物園に行きたくなる気持ちはなんとなく理解できる。

 喜ぶでもなく、悲しむでもなく、ぜんぜんちがうことを考えたい。映画でも小説でも音楽でもなく。一切戦争を連想させない場所。動物園や水族館は、それにうってつけの場所だとおもう。


 もしぼくが戦争に巻き込まれて無事に生き延びることができたら、終戦の日は動物園に行こう。


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