「本屋さんが選ぶいちばん売りたい本」こと『本屋大賞』
性懲りもなくまだやってんのか本屋大賞。
本屋の店員だった立場からすると、そして紙の本を愛するものとしては、この賞は嫌いです。
早くなくなればいいと思います。
本来は多くの人に本屋を好きになってもらうために創設された賞であり、『博士の愛した数式』を掘り起こした功績はきわめて大きいものでした。
でもその意図が成功していた幸福な時代ははじめの1、2回だけで、今は本屋の復興(というより延命)のために生まれた本屋大賞が、本屋をつぶそうとしています。
もはや面白い本の発掘ではなく単なる作家の人気投票になっているという批判は、まったくもってそのとおりです(このへんの批判については海堂尊氏の2年前のブログ記事『読まずに当てよう、本屋大賞』がおもしろいので興味ある人はぜひ読まれたし)。
ですが本屋大賞が抱える問題はもっと根深く、出版制度にも関わります。
まず、基本的に本屋が本を仕入れるとき、返品フリーの条件で仕入れます。
1,000円の本を780円で仕入れ、売れたら220円の儲け、売れなくても返品すれば780円まるまる戻ってくる。これが本屋の基本ビジネスモデルです。
このシステムは功罪両方ありますが、その是非についてはここでは触れません。大事なのは『売れなくても仕入れ金がまるまる返ってくる』ということです(実際には入荷・返品作業にともなう人件費がかかるけど)。
いいかえれば、食品や衣料品にくらべて、本の場合は過剰発注のリスクが圧倒的に低いということです。
さて、本屋大賞は大賞発表の2ヶ月以上前に10作品がノミネートされます。
さっきも書いたように作家の人気投票と化しているので、ある程度目端の利く書店員なら本など読まなくても「これはノミネートされるな」ということは10作品中7作ぐらいはわかります。
ノミネートされたら(またはされそうなら)、本屋はノミネート作品を大量に確保します。大賞発表と同時に受賞作フェアをするためです。
大賞をとった作品は飛ぶように売れます。
大賞をとるのは10作中1作だけですが、返品フリーなので10作すべて大量に仕入れます。並べる場所がないので大賞発表までは倉庫に積みます。
本屋は返品をしても損をしませんが、出版社の懐は痛みます。
お金をかけて刷った本が大量に返ってきて、出版社の倉庫を圧迫し、おまけに本屋に返金しなければならないのですから。
だから出版社は、極力余計な増刷はしません。売れる分だけ刷るのが理想です。
本屋は売れる以上に仕入れる。
出版社は売れる分だけしか刷らない。
このひずみのしわ寄せがどこにいくかというと、小さな本屋です。
複数の本屋から同一の注文があった場合、大きな本屋(売り場の広さではなく権力がある大手チェーンのこと)に優先的に配本されるので、小さな本屋に人気作品はまわってきません。
本屋大賞ノミネート作品など、小さな本屋が注文しても99%無視されます。
百歩譲って、まだ大賞作品はよしとしましょう。
小さな本屋が売れなくても、大きな本屋が売るのですから。
でも、大賞に漏れた9作品はどうでしょうか。
大きな本屋の倉庫に2ヶ月以上も眠り、落選が決まると、一度も店頭に並ぶことなく返品されるのです。
その2ヶ月間、小さな本屋がいくら注文をしても入荷しなかったのに(そして落選が決まってから大量に入荷したりする)。
ここでもう一度考えてみましょう。
出版社は、客のニーズの分だけしか刷らない。
大きな本屋は、客のニーズ分以上に入荷して倉庫で眠らせる。
はい、その差分はどうなるでしょう?
そうです、倉庫で眠っていた分の本は、客のニーズがあったにもかかわらず買えなかった(小さな本屋が売りたくても売れなかった)ということになるわけです。
こういうことが続くと、一部の客は「また買いたい本が品切れで買えなかった。Amazonで買おうかな。電子書籍なら品切れもないし」と考えます。
一方出版社は「本屋が無駄に仕入れるから大量の返品が発生して損をする。電子書籍なら倉庫の場所もとらないし、返品も発生しないし、コスト0で増刷できる(おまけに取次や本屋の取り分がなくなって利益率が増える)」と考えます。
おやおや、読者と出版社の利害が一致してしまいました。
「本屋なんかないほうがお互いにとっていいよね!」
というわけで、本屋大賞こそが(そうでなくてもどうせ時間の問題だけど)本屋の衰退を加速させるのです。
というわけで紙の本と本屋を愛するものとしては、時代にそぐわない本屋大賞がなくなることを願うばかりであります。
少なくともノミネート制度はなくして!直木賞も!
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