2015年12月29日火曜日

【ふまじめな考察】それにひきかえ太陽系では……

「欧米では○○なのに、それにひきかえ日本ときたら……」
という言い回しを用いていいのは、

欧米の人から「アジア人って○○だよね」と言われても、
「日本も中国もミャンマーも一緒にするな!」
とは思わない人だけ。

2015年12月28日月曜日

【エッセイ】ミノムシって絶滅危惧種なんですってよ

ミノムシって絶滅危惧種に指定されているんだって。
20年くらい前から寄生虫のせいで激減してるらしいよ。

そういや昔は秋になるとよく見かけたのに、今ではまったく目にしない。

絶滅危惧種になっているという本を読むまではそんな虫がいることすら忘れていたぐらいだから、あたしはミノムシが絶滅したってまったく困らない。
困らないどころか、ミノムシって成虫になったら蛾になるわけだけど、できることならこの先、蛾と一切関わることのない人生を歩んでいきたいとすら思っている。

でも、ミノムシはおもしろいから生きていてほしい。
アリジゴクとかマイマイカブリとか尺取り虫とか、そういう個性派メンバーの虫たちにも、がんばって種として長生きしてもらいたい。
あたしの人生と関わらなくていいから、この世のどこかで細々と生きていてくれ、って思う。

ヤクザとかギャンブル狂とか露出狂とかの人たちも、絶対に関わりあいにはなりたくない。
でもそういうのがまったくいない社会もつまらなさそうだから、生態系における個性派メンバーとして、どっかでひっそりと息をしていてほしいものです。

2015年12月26日土曜日

【ふまじめな考察】公平なテロ

海外で自爆テロや銃乱射事件があったときにも、

犯人の卒業文集を朗読したり、
近所の人に「ええ、ちゃんと挨拶する子でしたよ」と言わせたりしないと、
報道の中立性・公平性は守られないのではなかろうか。

2015年12月25日金曜日

【エッセイ】やぶれし靴下いとをかし

靴下がやぶれた。
靴を脱いだら、親指がにょきっと顔を出している。

ああ、よかった。
ぼくは胸をなでおろす。
やっとやぶれてくれた。うれしい。

ぼくはものを捨てられない。
服を捨てるタイミングがわからない。
このシャツなんかもう10年着つづけている。

ジャケットやズボンは大丈夫。
何年か着ていると汚れや染みがついたりするので、捨てる理由ができる(このときばかりは、自分が食べ物をぽろぽろこぼす人間でよかったと思う)。

靴下や肌着なんかの下着類はほんとに捨てられない。
またユニクロの靴下ときたら生地が丈夫だから、なかなかやぶれない。 
だから足首のとこがよれよれのナチュラルルーズソックスになっても、捨てどきがわからなくてずっと履きつづける。
余った布が足首にまとわりついて気持ち悪い。

捨てたい。
でもまだ履ける。
捨てられない。

だから、靴下がやぶれたときは心から安堵する。
これで、捨てても誰にも怒られない(やぶれる前に捨てても誰にも怒られないんだけど)。

しかし。
靴下はまだいい。いつかはやぶれるから。

いちばんの厄介者はパンツだ。
汚れがついたってどうせ人に見られるものじゃない(ぼくが女にモテすぎる男なら毎日新しいパンツを履くのに!)。
おまけにパンツときたら、靴下とちがってまずやぶれない。
だからぜんぜん捨てられない。

『鬼のパンツ』の歌詞で
「10年はいてもやぶれない つよいぞー つよいぞー」とあるが、ぼくのパンツはひょっとしたら10年以上履いてるかもしれない。

 ぼくのパンツはいいパンツ
 つよいぞー つよいぞー
 10年はいても捨てられない
 つよいぞー つよいぞー(貧乏性が)

2015年12月24日木曜日

【エッセイ】違いのわかるわたくし

妻が作る料理は、おいしいと思うこともあるし、うーん正直これは……と思うこともある。

人は褒めてもらえると伸びる。
ここは、違いのわかる男であるぼくが導かねば。
おいしいと思ったら積極的に「これおいしい」と言うようにしている。


しかし。
こないだ妻から言われた。
「あなたがおいしいと言うときって、オイスターソースを使った料理のときだけよね」

たしかにそうだわ……。
オイスターソースがあるかどうかの違いしかわかってなかったわ……。

2015年12月23日水曜日

【ふまじめな考察】まじめがまじめにかっこよく


校歌って、たいした学校でもないのに、ものすごい伝統があって豊かな自然に囲まれて若人たちがひたむきに勉学に取り組んで切磋琢磨しながら成長してゆくじゃない?
なんだかなあって感じよね。
地に足がついてなさすぎない?

作詞したのはその学校とは縁もゆかりもない人(創設時には卒業生がひとりもいないのだからあたりまえ)。
しょせん関係ない人が作った歌なんてそんなもんよね。

でもさ、じゃあ生徒みんなで校歌の歌詞を考えましょうってやったとするじゃない?
まずまちがいなく、ふつうの生徒は応募しないよね。
考えるのって、内申点高い系の生徒だけよね。
まじめに生徒会やるような生徒だけ。
そういう子らが、真剣に、かっこいい歌詞にしようと一生懸命考えるわけ。
もうわかるよね?

笑えないぐらいダサい歌詞になる。
まちがいなく。
だってまじめな生徒が、まじめに、かっこいい歌詞考えるんだもん。
かっこいいわけない。

やっぱり縁もゆかりもない人が考えた歌詞がいいよね。
変に肩に力が入ってなくて。

2015年12月21日月曜日

【エッセイ】潔いチラシ

路上でチラシを配っている人が

「チラシですよー!
 チラシ配ってまーす!」

と言いながら配布していた。

ふつうは「新装開店でーす」とか「セール中ですよー!」とかだと思うのだが、「チラシですよー!」とはじつに潔い。


他にも潔い売り文句を考えてみた。

・レストランのメニュー「料理 1200円」

・洋服屋の店員「服、入荷しました」

・CM「宣伝してます」

2015年12月19日土曜日

【考察】専守防衛の秋

渋い皮で身を覆って

その上から硬い皮でガードして

さらに外側をトゲで武装して

そこまで食べられないように工夫しているのに

結局おいしく食べられてしまうクリって、ほんとかわいそう。

【考察】利かせろ、とんち!

小さい子どもを持つ女性が仕事をしようとするやん?
子どもを保育園に預けないと仕事に行けないやん?
でも仕事してないと保育園には入れてくれないやん?

……。

おい!
国会に一休さんを呼んでまいれ!!

2015年12月17日木曜日

【ふまじめな考察】イルミネーションとアヘン戦争


あたしがふしぎでならないのは、クリスマスのイルミネーションだとか夜景だとかを見て
「わー! きれーい!」
とはしゃぐ輩がいるってこと。

そしてそういう妙な感性の持ち主が特に通院も服薬もせずにまともな生活を送っているってこと。

電飾がぴかぴかしてて、いったいそれの何がきれいなの?

「きれい」ってのは、雲ひとつない青空だったり、しみひとつない肌だったり、掃除のゆきとどいた部屋だったり、
「余計なものがない、整然とした状態」を指すんじゃなくて?
金色と赤と緑と青の電飾がちかちかしている街なんて、肌でいったらほくろとしみとそばかすとあばたとにきびとかさぶたがあるような状態なわけじゃない?
それをきれいと思える感覚の人が、足と鉄球を鎖でつながれずにふつうの生活を送っている、ってことがほんとふしぎよね。

しかもそういう人間がどうも少なくないらしい。
でなきゃ、12月にあんなに街がちかちかラブホテル化することの説明がつかない。
ほんとふしぎ。

ばらばらの色がばらばらのタイミングでちかちかちかちかしているのをきれいだと思う人間がたくさんいるのに、19世紀の清みたいにアヘンが蔓延していないことが、ほんとふしぎ。

2015年12月16日水曜日

【読書感想文】 長野 伸江 『賞賛語(ほめことば)・罵倒語(けなしことば)辞典』


『賞賛語(ほめことば)・罵倒語(けなしことば)辞典』

長野 伸江

内容(「BOOK」データベースより)
ほめることば・けなすことば「サラリーマン」「妻」「夫」といった対象別に紹介。ことばの達人たちの実例から、「ほめる・けなす」のテクニックも学べます。

辞典と銘打たれてはいるが、辞典としての有用性はほぼゼロ。
でも読み物としてはおもしろい。
1770年刊の『遊子方言』で、「茶漬けを食べる」という意味の「茶づる」なる言葉が使われている、みたいな雑学も数多く拾える(「サボる」「タクる」のように名詞に「る」をつけて動詞にするのは200年以上前から日本人はやってたんだね)。あと「社畜」は1987年にはすでに使われていたとか。

古典文学、俳句、狂歌、現代小説、法律などさまざまな媒体から「ほめ言葉」「けなし言葉」の用例を拾ってきているが、だんぜんおもしろいのはけなし言葉のほう。なんならけなし言葉だけでもいいぐらい。
腰弁当、筍医者、文字芸者、小糠婿など、誰かを小馬鹿にする言葉には洒落が利いたものが多い。

褒めるときはたとえ拙い言葉で褒めたってかまわない。むしろたどたどしい語り口のほうがお世辞っぽさが消えて真実味が増す。
でも。けなすときはそうはいかない。
へたな悪口は、言われた本人を怒らすのはもちろんのこと、傍で聞いている人まで不快にする。
だから人をこばかにするときは知恵と技巧が必要だ。

「行動できる者は行動する。行動できない者が師になる」
英国の作家であるバーナード・ショーの言葉だ。
なんと知性にあふれた悪口だろうか。
見事な悪口は、褒め言葉よりも人を楽しませてくれる。

2015年12月15日火曜日

【読書感想文】 桐野 夏生 『グロテスク』

桐野 夏生 『グロテスク』

内容(「BOOK」データベースより)

名門Q女子高に渦巻く女子高生たちの悪意と欺瞞。「ここは嫌らしいほどの階級社会なのよ」。悪魔的な美貌を持つニンフォマニ アのユリコ、競争心をむき出しにし、孤立する途中入学組の和恵。ユリコの姉である“わたし”は二人を激しく憎み、陥れようとする。圧倒的な筆致で現代女性 の生を描ききった、桐野文学の金字塔。

読みごたえのある小説だった。
ただ、おもしろい、という感想は出てこない。あえて言葉にするなら、気持ち悪い、がいちばんふさわしいだろうか。
残虐な描写があるわけではない。恐怖をあおるような文章でもない。ただ、じわりと不快な気分になる。読んでいる間ずっと。

脇役を入れて数十人の登場人物が出てくるのだが、その誰も彼もが周囲に対する悪意を隠そうともしない、嫌なやつだらけだ。
さらに主要な登場人物はみな歪んだ考えを持っていて(歪み方もそれぞれちがう)、ずっと読んでいると、度のあってない眼鏡をかけつづけているような気持ち悪さがまとわりつく。
それなのにページを繰る手が止まらない。
この小説には魔力が宿っている。ぼくがいちばん薄気味悪さを覚えたのは、登場人物以上に、作者に対してだった。

「嫌な話」を書くのは、ハッピーな話の何倍も体力を使う。
ぼくは趣味でものを書いているだけなので、オチをつけたり、冗談を挟んだりして、少しでも口当たりをまろやかにする。これは読む人のためというより、むしろ自分のためだ。ネガティブなことばかり書いていると、風邪をひいたときのようにどっと倦怠感に襲われるからだ。

だからぼくは、徹頭徹尾「嫌な話」を書ききった、桐野夏生という人がおそろしくてならない。
ここまで悪意に満ちた(ほんとに「満ちた」としか言いようがない)小説を書いているからてっきり狂気の世界の住人かと思いきや、母親として子育てをしていながら書いていたらしい。
それ、かえって怖いぞ。
自分の母親がこんな小説を書いていたらと思うと、おお、身震いが止まらない。


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【読書感想文】桐野夏生 『東京島』



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2015年12月14日月曜日

【エッセイ】電子クリスマス

知人が
「小学生の息子がクリスマスプレゼントに電子顕微鏡を欲しがってるんだけど、値段高くないかな?」
と言っていたので、

「大丈夫ですよ、安いやつだったら数百万円で買えますよ!」
と教えてあげた。

「ええ!? そんなに高いの!?」

「いや、安いですよ。いいやつなら億を超えるんで」

「よく知らないけど、電子顕微鏡ってそんなにするのか……」

「ふつうは大学とか研究機関が買うやつですからね。息子さん、光学顕微鏡とまちがえてるんじゃないですか?」

「あ、そうかも。光学顕微鏡ってのは安いの?」

「そうですね。電子顕微鏡よりはだいぶ安いですよ。数十万円で買えます」

2015年12月13日日曜日

【エッセイ】誰かのいつもの

 散髪に行った。
「いつもと同じでいいですか?」
と聞かれた。
「はい、お願いします」

 で。
 いつもよりかなり短い。
 ぜったい誰かとまちがえてやがる。

 というか。
 よく考えたら、はじめて行った美容院だった。

2015年12月11日金曜日

【考察】最近のリセット事情

「最近の子はゲームのやりすぎで、現実もリセットできると思っている」
という言説があるけど、

本だって途中で放り出した後にまた最初から読みはじめられるし、

サッカーでボロ負けしても次の試合は0ー0からはじまるし、

将棋や囲碁だってかんたんにリセットできるし、

絵を描き損じたら新しい画用紙にいちから描けばいいし、

ゲームにかぎらずたいていの趣味はリセット可能なんだけどな。


最近の老人はリセットするという発想ができないから、「気をとりなおす」ことができなくて、気に食わないことがあるとすぐ暴力に走っちゃうのかな?

2015年12月10日木曜日

【エッセイ】せめて順番を

妻が「そういうことは、未亡人になって、定年退職して、たっぷり時間ができてからやるわ」
と言ってたけど、
ぼくが先に死ぬのは確定かよ。

せめて未亡人になるのと定年退職の順番を逆にしてくれよ。

2015年12月8日火曜日

【読書感想文】新潮45編集部『悪魔が殺せとささやいた』

新潮45編集部『悪魔が殺せとささやいた』

 内容(Amazonより)
澱のように沈殿する憎悪、嫉妬、そして虚無感―。誰にも覚えのある感情が、なぜ黒い殺意に変わるのか。日常のなかで突然襲い来るその瞬間、血のつながった家族、愛した人、通りすがりの名も知らぬ者を殺めるまでに、人を駆り立てるものは何か。虚飾、自己愛、そして妄想…いびつで残酷な人間の本性に迫り、殺人事件の真相を暴く、ノンフィクション集。好評シリーズ第五弾。

猟奇的な殺人事件レポート。
一応ノンフィクションということになっているが、関係者各方面に取材をしているわけではなく、一方の主張をそのまま事実かのように記事にしているので、ノンフィクションとしての正確性は乏しい。あくまで週刊誌的な読み物だ。

しかし半分作り話と思って読めばそれなりにおもしろい。
ぼくは今まで殺されたことはないのだが(みなさんもないはずだ)、殺人事件に巻きこまれるかどうかというのは単に運の問題でしかないのだと思い知らされる。
隣人がどんな思いを持って暮らしているかなんて誰にもわからない。どんなことで恨まれているかわからないし。
恨みを買っていないと思っていても安心はできない。この本には「殺人者の家族として生きるのはかわいそう」という理由で親から殺されてしまったケースも載っている。もうどうしようもない。

危険な場所には近寄らない、危ない人とは関わらない、まさか殺したりはしまいと思わずに早めに逃げる。
殺人事件の被害者にならないためにできることといえば、こういったことぐらい。
それでもわずかにリスクを抑えるだけなんだろうけど。


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【エッセイ】書店員にこばかにされる方法

本好きかどうかは、本の読み方ではなく、本の選び方で決まる。

ほんとの本好きは、本を選ぶのが好きだ。
読むより選ぶほうが好きだという人もめずらしくない。
書店やAmazonに行くとついつい長居してしまう。

ひとに「なんかおすすめの本ない?」と訊くやつは、ひとりの例外もなく偽者だ。


だから、元書店員として断言する。
本の帯に「本屋さんが選んだ泣ける本」「書店員が選んだベストミステリ!」みたいなことが書いてあるが、あれを書いている書店員の心は欺瞞に満ちている。
「こんなポップを見て買うやつなんて、ふだんよっぽど本を読まないおばかさんなんだな」
と思いながら書いている。
「ほんとの本好きはおれのポップなんか見向きもしないで、自分の嗅覚を頼りに本を選んでくれるはず!」
と思っている。
ぼく自身がばかに向けてポップを書いていたから、まちがいない。

だってそうでしょうよ。

服屋のマネキンのコーディネートを上から下までそのまんま買って、「おれおしゃれにはうるさいんだよね」と言ってる人を、おしゃれ店員がこばかにしないと思いますか?

2015年12月7日月曜日

【思いつき】困りたい

あー。

困りたいなー。

困ってみたいなー。


目のやり場に。

2015年12月5日土曜日

暗算こそが我が人生


今日も初対面の人から「冷蔵庫の中身、すぐに賞味期限切れさせそうだよね」って言われたあたしだけど、こう見えて暗算はけっこう得意。
だって日能研に通ってたから。
毎週月曜日は行きたくないって泣きながら通ってたから。

買い物をして、代金が678円になったとするよね。
財布を見たら、小銭がけっこうたまっている。
しめた、って思う。
“ごはんを炊くのが上手”と並んであたしの数少ない特技である暗算能力を使うときがきた!

あたしは瞬時に計算して、財布から1233円をとりだして、レジに置く。
いや、置くんじゃない。たたきつける。
びたんっ。
王手!

レジ係は怪訝な顔をするよね。
678円だっつってるのに何こいつ1233円とか出してるの、まじ意味わかんねーし、義務教育受けなおしてこいよ、って顔してる。

でもあたしは涼しい顔。
まあいいからレジ打ってみなさいよって。
そんな顔をするし、調子づいているときにら実際に口に出して言う。
「いいから打ってみなさいよ」

レジ係は、このはし渡るべからずの橋を堂々と渡りはじめた小坊主を見たときみたいに「解せぬ!」って顔するんだけど、そうはいっても客であるあたしには逆らえないわけよ。資本主義バンザイ。

首をかしげながら預り金額を入力するレジ係。
「1」「2」「3」「3」「小計」

そして液晶画面に明々と表示されるおつり。

“ ¥555 ”

決まった……!
どやさっ。

678円の請求に対してあたしが1233円出したとき。
おつりが硬貨3枚ですむなんて、このレジ係はたとえ頭の片隅でも想像しただろうか。
いいや、してないね。
義務教育受けなおしてこいよと思っていた(にちがいない)レジ係に対して、あたしは声を大にして言ってやりたい。
義務教育受けてましたけど?
それどころか日能研通ってましたけど?
泣きながら?

ところで、あなたの人生の最大の晴れ舞台っていつ?
結婚式? 大学の合格発表? 甲子園に出たとき? 紫綬褒章もらったとき?

あたしは今、このとき。
555円のおつり表示を前にして
「こ、こ、こ、こいつ……。できる……!?」
って脳内であたしにひれ伏している(にちがいない)レジ係に向かって、そら見たことか! って尊大な顔をしているとき。

すばらしきかな我が人生!

2015年12月4日金曜日

【考察】潤滑油は百薬の長

自転車が錆びついたから油をさしたら、ブレーキのとこにまで油が入り、摩擦がなくなってブレーキがまったく利かなくなって痛い目に遭ったことがある。

「酒は人間関係の潤滑油」とはよくいったもので、たまに利かなきゃいけないブレーキまで利かなくなるところまで一緒だ。

2015年12月3日木曜日

【エッセイ】おしりやぶれかぶれ

ひさしぶりの再会というのはたいてい心おどるものなんだけど、でも中にはもうこいつとは一生かかわりたくない! ってやつもいるわけ。
でもそういうやつにかぎって再会しちゃうんだよね。

なんでこんなことを言いだしたのかというと、またしても破れちゃったわけ。
スーツのズボンのおしりのとこが。
びりっと。

テレビから地震速報の音が聞こえてきたら一瞬でそっちに意識もっていかれるけど、その音よりも鮮明に「びりっ」て聞こえたからね。

いやー。まさかまたズボンのおしり破れに遭遇するとは。
4年ぶり2回目。
甲子園でいったら、地方の商業高校ぐらいのそこそこの強豪校だよね。

4年前に破れたときは、会社早退したからね。
いや、冗談じゃなくほんとに。
そりゃあ12時におしり破れたら、午後から仕事にならないでしょ。立ち仕事だったし。
ワタミの社長ですら「大丈夫か。今日ははやく帰れ」って云うでしょ。

二親等が死ぬぐらいの出来事だからね、おしり破れるってのは。
余裕で忌引き休暇使いましたよ。嘘だけど。
で、半べそで帰宅しましたよ。ええ。

前回はしゃがんだときに破けたんだけど、今回は椅子に座ろうとしたとき。
 
どっこいビリッしょー!!
ってな感じで豪快にいっちゃいましたわ。
 
まさかこんな大災害が待ち受けているなんて。
今朝のニュースでは、波浪注意報と強風警報だけしか出てなかったから、おしり破れについてはなんの対策も講じてきていない。
事前に言ってくれたらアップリケぐらいは用意してきたのに。
お天気お姉さんの役立たず!

けれども不幸中の幸いで今回は破けたのが夕方だったから、武田信玄の教えを守って終業時間までじっとやり過ごすことができた。

立ち上がってからコートを着るまでのはやきこと風の如し。
人目につかぬようそっと動くこと林の如し。
恥ずかしくて赤面すること火の如し。
傷口が広がらぬよう動かざること山の如し。


ということで、コートでおしりを隠しながら、なんとか無事に帰宅することができたわけです。
コートの季節でよかった。

「今日は冷えこみがきつくなるので長めのコートを着てお出かけください」
といってくれたお天気お姉さん、さっきはごめんなさい本当にありがとう!

2015年12月2日水曜日

【エッセイ】エッチに関するルールについて

 そうはいってもぼくはいたって生真面目な人間だから、法律や規則は極力守るように努めている。
 無人の野菜販売所でもきちんとお金を払うし、よほどのっぴきならない状況にならないかぎりは立ち小便だってしない(つまり先週金曜の晩はのっぴきならない状況だったということになる)。



 ここで突然だが、性の話をする。

 おっと。
 ぼく自身の名誉のためにことわっておくが、「性」といっても、社会的な性差をあらわすジェンダーだとか、生物学的な男女のちがいといった意味の「性」ではなく、もちろん、やらしい意味での「性」の話だ。

 小学生のとき、男子が女子と仲良くすることは、戦争と同じくらいの「悪」だった。

 女子と仲良くするやつはエロい、
 エロいことはいけない、
 したがって女子と仲良くするのはいけない。
 この一分の隙もない三段論法は、神聖ニシテ侵スベカラズ鉄の掟として男子小学生の世界を統べていた。
 優等生だったぼくはもちろんその掟を愚直に守り、憎まれ口以外の言葉を女子との間に交わすことはなかった。

 それがどうだ。
 ぼくの預かり知らぬところで、いつのまにやらルールが変わっていた。
 女子と話すなんてかっこわりい、と云ってたやつが、女の子と手をつないで一緒に帰るようになっていた。
 おれエロいことになんて興味ねえし、と云ってたやつが、どうやらスカートめくりよりももっとエロいことを女の子と楽しんでいるらしかった。
 エロいやつは蛇蝎のごとく蔑まれていたのに、ぼくが気づいたときには、エロいことをしたやつのほうが偉いという風潮に変わっていたのだ。
 なんたる価値観の転換。

 昭和二十年八月十五日。
 敗戦を機に、軍国主義から民主主義へと世の中が一変した戦後の日本人もこんな感覚を味わったのだろうか。
 いや。
 彼らには玉音放送というターニングポイントがあった。
 しかしぼくの場合、気づかぬ間に世界のルールが変わっていたのだ。
 終戦を知らずにジャングルで隠れていた横井庄一さんが真実を知らされたときの気持ちだ(のはずだ)。

 いったいいつのまに。
 あれか。
 たまたまぼくが風邪で学校を休んだときに、学級会で話し合いがもたれて、
「それではー、エロいことをした人のほうがー、かっこいいということになりましたー。賛成の人は拍手をしてください!」
みたいな議事があったのか。
 ぼくだけ聞いてないぞ。
 あんまりじゃないか。
 学校を休んだときは近くの家の人がプリントを届けることになってるのに。
 そんな大事なおしらせが、ぼくにだけ届いてない。

 おかげでぼくは今も、女の人と話すことに後ろめたさを感じてしまう。
 会社で女性社員と雑談をしているだけで、
「うわー、あいつ女と仲良くやってるゼー」
なんて後ろ指をさされるんじゃないかという気がしてならない。



 とまあ、突然のルール変更に苦しんだ経験があるから、なるべくならルールは変えないでいただきたいというのがぼくの信条だ。
(以上、「憲法改正に対するあなたのお考えをお聞かせください」という質問に対する回答)


2015年12月1日火曜日

【エッセイ】プロ野球カードゲーム

プロ野球カードゲーム。
ぼくが小学生のとき、死ぬほど遊んだゲームだ。

タカラから発売されていて、1球団が1セットになっていて618円(本体価格600円。当時は消費税3%)。
1セットに、30枚ほどの選手カードが入っていた。
カードの表は、選手の写真と昨年の成績。
じつはここはほとんど意味がない。
大事なのは裏面だが、それについては後ほど説明する。

ぼくが持っていたのは、1993年版の西武、阪神、巨人、ヤクルト、中日、広島。
なぜこの6球団だったのかというと、

・マンガ『かっとばせキヨハラくん』の影響で西武ファンだった
・当時はほんとにセ・パの格差がひどく、パ・リーグにスター選手はほとんどいなかった(イチローが活躍する少し前だ。せいぜい清原、野茂、伊良部ぐらい)
・セ・リーグの中でも横浜は特に不人気だった

というような理由が挙げられる。

その中でもやはり西武ライオンズはお気に入りだった。
93年の西武といえば、黄金期の呼び名にふさわしく、圧倒的な強さを誇っていた。
なにしろその前年、パ・リーグのベストナインは10人中8人が西武の選手、ゴールデングラブ賞も9人中8人は西武だった。
渡辺久、工藤、伊藤勤、秋山、石毛、田辺と後に監督になるほどの選手を6人も抱えており、さらに走攻守三拍子そろった名手辻(1塁走者だったのにシングルヒット一本で本塁生還しちゃうんだぜ)、バントの達人・平野、鈴木健など、いい脇役もそろっていた。
そこにくわえて4番に清原、中継ぎと抑えに潮崎と鹿取。それを智将・森監督が率いているわけだから、ほんとに隙のないチームだった。


話がそれた。あの頃の西武の強さについて語ると止まらなくなるので、このへんでプロ野球カードゲームの説明に戻る。

ゲームの進めかたはこうだ。
プロ野球カードゲームはふたりで対戦する。
守備側と攻撃側がサイコロ(別売)をそれぞれ1個ずつ振る。
出目の合計が7ならファール、6以下の偶数ならストライク、5以下の奇数ならボール(ちなみにこれは何も見ずに書いている。最後に遊んだのは20年ほど前なのにまだ細かいルールまで覚えていることに自分でも驚いた)。
そして2つのサイコロの合計が8以上ならヒッティングとなる。今度は攻撃側が2個のサイコロを振る。
ここではじめて打者カードの裏を使うときがきた。
そこには、出目の組み合わせによるヒッティングの結果が書いてある。
2・6→レフト線2塁打
4・5→サードゴロ
6・6→ホームラン
など。
1・2と2・1は同じものとして扱うため、サイコロの組み合わせは全部で21通り。つまり21通りのヒッティング結果があるわけだが、その内訳は選手によって異なる。
打率の高い選手だと安打になる組み合わせが多い、長距離打者は本塁打の組み合わせが多い、三塁打が発生するのは足の速い選手だけ、など。

さらに選手には走塁のパラメータもあり、「二盗」「犠飛で本塁生還」「一塁からツーベースヒットで生還」などが成功するかどうかもサイコロの組み合わせで決まる。もちろん足の速い選手ほど成功の確率は高まる。

とにかくカードとサイコロだけですべてが決まる、シンプルながらじつに奥深いゲーム。それがプロ野球カードゲームだ。


このゲームにぼくは夢中になった。
友人と対戦することもあったが、ひとりでやることのほうが圧倒的に多かった。
サイコロでほとんどすべてが決まる(意志が入るのは送りバントをするかどうかとか代打を出すかなどの采配の部分だけだ)。だからひとりでやったとしても、どちらが勝つかはわからない。

ぼくは、ひとりで毎日チンチロチンチロとサイコロを振り、6球団によるリーグ戦をおこなった。
各チーム50試合ずつのペナントレースを戦わせ、スコアブックもつけて、首位打者や最優秀防御率などのタイトル争いもおこなった。
スコアを記録したノートは数冊にのぼった。


だが、どんな遊びもいつかは飽きる。
いつしかプロ野球カードゲームにも飽きて、ひとりでサイコロを振ることもなくなった。

そして数年後。
高校数学で『確率』の分野を学んだぼくは、こうつぶやかずにはいられなかった。
「えっ、かんたんすぎる……」

なにしろ毎日毎日サイコロを振っていたのだ。
2つのサイコロの出目の合計が10になる確率が1/12であること、ゾロ目が出る確率が1/6であることなんかは、数多の経験からとっくに導き出していたのだ。
さらに打率や防御率も算出していたので、計算も得意になっていた。
『確率』の分野においては当然テストも満点だった。


楽しく遊べて確率の勉強もできるプロ野球カードゲーム、今では販売していないようだ。
残念でならない。
もしぼくの子どもが将来野球を好きになったら、手作りでプロ野球カードゲームを作ってやろうと思う。