星の子
今村 夏子
物心ついたときから親が宗教にハマった家庭で育ったちひろ。
本人はその家庭しか知らないので当然のように受け入れているが、「入信する前」を知る姉や、そうでない家庭を知る叔父はなんとかちひろを「宗教から救いだす」ことを試みる。
だが両親は聞く耳を持たず、ちひろも家を出ることを考えもしない……。
ぼくの両親は無宗教だったが、学校のクラスメイトには「宗教の家の子」がいた。
そんな子らは“家庭の事情”でいろんな楽しみから距離を置いていた。
彼らは土日に遊べなかったり、クリスマス会に参加できなかったり、部活に入れなかったりした。
高学年ぐらいになるとだんだんわかってくる。どうやらシューキョーのせいらしい。親がシューキョーをやっていると、いやおうなく子どももそれにつきあわされるらしい。
ぼくらからすると、彼らは「かわいそう」だった。
ちょうどそのころオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった。
それまで以上にシューキョーは「やばいもの」になった。
彼らはどんな気持ちだったんだろう。
大人になって、彼らが入信していた(というかさせられていた)宗教の教義を知った。
終末がやってきたときに信じている者は救われる、信じていないものは滅びる。この世には人々を堕落させようとする悪魔がたくさんいる。悪魔はあの手この手で信者を誘惑する。遊びに誘ったり漫画やゲームをちらつかせたりする。その悪魔の誘いに乗ってはいけない……。
だいたいそんな教義らしかった(ぼくの解釈では)。
その教義を知って、とてもいやな気持ちになった。
ぼくは悪魔だとおもわれていたのか……。
ぼくは彼らをかわいそうとおもっていたが、彼らもまたぼくらのことを「悪魔の誘いに乗って堕落したかわいそうな人間」とおもっていたのか……。
彼らがその教義を信じていたのかどうかわからない。
ぼくらのことを悪魔とおもっていたのか、かわいそうとおもっていたのか、うらやましいとおもっていたのか。
彼らがどんな気持ちを持っていたのか。
知りたいような、知りたくないような……。
『星の子』を読んで、ひさしぶりに「宗教の家の子」のことを思いだした。
彼らは自らの置かれた境遇のことをどうおもっていたんだろう。
はかなんでいたんだろうか。それとも自分たちこそが救われていて他の家の子を悪魔と見下していたんだろうか。
どっちでもなければいいな、とおもう。
『星の子』のちひろのように、あるがままに受け入れていたらいいな。
自分の家が他と違うことは認めつつも、とりたてて幸せでも不幸でもないとおもっていたらいいな。
ああいう子って将来どうなるんだろう。
ぼくはひとり知っている。
「宗教の家の子」だったNくんは、今は居酒屋の店長をやっている。ぼくも一度飲みに行った。その店の親子丼はぼくが今までに食べた中でいちばんうまかった。
あんなにうまい親子丼を作れるんだから、彼はきっと今は“ふつう”の人生を歩んでいるんだろうとおもう。
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