ナミヤ雑貨店の奇蹟
東野 圭吾
元雑貨店に侵入した三人の若者。
その家に突然手紙が投函される。読むと、どうやらこの家の郵便受けは過去とつながっているようだ。そしてこの雑貨店はかつて悩み相談を引き受けていたらしい……。
そして
「オリンピックに向けての練習と病気の恋人の看病のどちらを選ぶか悩む女性」
「家業の魚屋を継ぐべきか音楽の道に進むか悩む青年」
「不倫相手の子どもを産むかどうか悩む女性」
「夜逃げをしようとする両親についていくべきかどうか悩む中学生」
「恩返しのために水商売で稼ごうと考えるOL」
から、続々と悩みが寄せられるわけだが……。
どうもぼくは「悩み相談」をする人の気持ちがまったくわからないんだよね。
深刻な悩み相談をしたこともないし、された記憶もない。「転職しよっかなー」ぐらいは言われたことあるけど、相談というか愚痴に近い。
「愚痴を聞いてほしい」はわかるが、「悩みの相談に乗ってほしい」という人の気持ちがぼくには理解できない。中島らもの明るい悩み相談室にふざけた質問を送りたい気持ちはわかるが。
法律のトラブルを抱えているから弁護士に相談するとか、健康上の不安があるから医師に相談するとかならわかるけど。結婚の悩みを、一度ぐらいしか結婚していない人に相談してもなあ。
以前、鴻上尚史『鴻上尚史のほがらか人生相談』という本を読んだ。
中島らもの場合と違い、こっちは深刻な悩みが多く寄せられている。鴻上さんの回答はすごく親身になっているし、読んでいる第三者としても「なるほど。いいこと言うな―」とおもう。
でも。
悩み相談をした人って、回答を読んで考えを変えるんだろうか。鴻上さんに「あなたの考えはまちがってます」って言われて(鴻上さんはもっと婉曲に言うけど)、相談者は「ああ私がまちがっていた。これからは考えを改めます」ってなるんだろうか。ぼくはならないとおもう。人間、そんなかんたんに考えを改められない。そんなに柔軟な人はたぶん悩んで人に相談したりしない。「私こう考えてるんですけど正しいですよね?」と同意を求めたい人が悩み相談をするとぼくはおもっている。偏見だけど。
だから公開悩み相談をすることは無駄じゃない。第三者は「なるほど。こういう視点があるのか」と気づかされるから。
けど非公開悩み相談にあんまり意味はないんじゃないかとおもう。相談者が求めてるのは同意だけなんだから。
……と、そもそも悩み相談という行為をあまり肯定的に見ていないので、この設定自体があまり好きになれなかった。悩み相談をするやつなんてめんどくさいやつ、という感覚があるからなあ。
とはいえ『ナミヤ雑貨店の奇蹟』はよくできた小説だった。『新参者』を読んだときもおもったけど、東野圭吾氏って「おもしろいミステリを書く作家」だったけど今は「うまい小説を書く作家」にもなっているよね。
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は、伏線の自然なはりめぐらせかたとか(下手な作家によくある「伏線回収やで! どや!」って感じじゃなくてほんとにさりげないんだよね)、物語の構成とかはほんとに見事。
伊坂 幸太郎『フィッシュストーリー』を思いだした。
あんまり書くと両作品のネタバレになってしまうけど、あれとあれがつながって、あれがこっちにつながって……というお話。
ミラクル連発すぎてリアリティはまったくないけど、まあそれはいい。リアリティが求められるタイプの小説じゃないし。
しかしこの作品が映画化されたらしいけど、映画で観たい小説じゃないけどな……。映画業界は東野作品ならまちがいなく売れるからなんでも映画化しとけっておもってるんだろうな……。
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