ロスジェネはこう生きてきた
雨宮 処凛
こういってはなんだけど、意外とおもしろかった。
時代ごとの事件や流行語とともに、著者の半生が語られる。
ただ、語られるのが「親からの、勉強しろ、いい学校にいけ、いい会社に入れというプレッシャー」「クラスメイトからのいじめ」「部活での先輩からのしごき」「バンドにはまって追っかけをした」とかなので、
「あー本人にとっては深刻なことだろうねー。でも世の中には掃いて捨てるほどある話だよねー」
みたいな感じで読んでいた。
だいたいサンプル数1かよ、たった一人の人生をもとに世代を語るなよ、とおもいながら。
ところが、読み進むにつれて、いやいやこれはけっこう時代を濃厚に映しているぞ、サンプル数1でも世代を語れるな、という気になった。
まちがいなく時代の一面はこの人に投影されている。
きっと10年早く生まれても、10年遅く生まれても、まったく違った人生を歩んでいたはず。
少なくともライター・雨宮処凛は存在していなかった。
個人の人生を語っていたはずなのに、いつの間にか時代が語られている。
香山 リカ『貧乏クジ世代』が大ハズレの本だったので( → 感想 )、「この世代について語った本は貧乏クジだらけだな」とおもっていたのだが、ごめんなさい、そんなことなかった。
『ロスジェネはこう生きてきた』のほうは骨のある本だった。
ちなみにぼくは1983年生まれ。
ロスジェネ世代(ロスト・ジェネレーション世代)ではない。
人によってロスジェネの定義はばらばらだが、だいたい団塊ジュニアの1975年生まれぐらいだそうだ。
雨宮処凛さんは1975年生まれなのでドンピシャだ。
たしかにロスジェネは気の毒な世代だ。
団塊ジュニアなので競争は激しく、親世代からのプレッシャーは大きい。
学生時代はバブルを横目で見ていたのに、自分たちが社会に出るときはバブルがはじけて超氷河期。
なかなか就職できず、やっとできてもブラック企業。またはフリーターや派遣社員。
過酷な時代を生きてきた世代だ。
だが、ロスジェネ以降はだいたい似たようなものだ。
楽だった時代なんてない。
ぼくらが就職するときは何十社も落ちるのがあたりまえだったし、ブラック企業が横行していた。
上の世代を見ていると「ブラック企業で正社員か、非正規で不安定な暮らしか」という二択しかないようにおもえた。下の世代も似たようなもんだろう。
ただぼくら世代がロスジェネ世代とちがうのは、「はなから世の中に期待していない」点じゃないかとおもう。
あくまで傾向の話だが、ロスジェネ世代は期待していたんじゃないだろうか。
努力すれば報われる、がんばっていい学校に行けばいい会社に入れる、いい会社に入ってまじめに働けばいい暮らしができる、いい暮らしとまではいかなくても正社員になって結婚して子どもを産んで……という「平凡な暮らし」は手に入る、と。
ぼくははなから期待していない。ニュースに関心を持つようになった頃(1995年ぐらい)から、阪神大震災だ、地下鉄サリン事件だ、金融機関の破綻だ、倒産だ、リストラだ、911テロだ、というニュースを嫌になるほど見てきた。
「どれだけがんばっても運が悪けりゃ終わり」という諦めに近い虚無感を植えつけられた。阪神大震災で死んだ人も地下鉄サリン事件で殺された人も悪いことをしたわけではなかった。まじめに働いていても会社が倒産したりリストラされたりする。
大きい会社だってつぶれるし、有名な会社だからって楽なわけではない。難しい資格をとったからって一生安泰なわけではない。
「平凡な暮らし」を手に入れられるのは努力だけでなく幸運も必要だと知っている。はなから日本という国に期待していない。
だからロスジェネ世代を気の毒だとおもうのは、彼らが過酷な時代を生きてきたからではなく、彼らが「夢」や「安定した暮らし」をまだ信じていたように見えることだ。
『ロスジェネはこう生きてきた』を読むと、まさにそういう時代の空気が感じられる。
学校では過酷な競争にさらされ、「今がんばればいい生活を手に入れられる」と信じこまされ、だが社会に出ると同時に「採用数減らします、仕事は非正規しかありません、正社員で働くならどんな条件でも文句は言うな、病気になっても自己責任です、代わりはいくらでもいます」と放りだされた空気を。
働きたくても仕事がない、仕方なくフリーターになれば「自由を選んだお気楽なやつ」と言われる、景気が回復すれば「もっと若いやつ採るから君たちはいらない」と言われる、三十代になれば「なんで結婚しないんだ、子ども生まないんだ」と言われる、四十代になった今は八方ふさがり。
そんな時代を生きてきたことがこの本からは伝わってくる。
雨宮処凛さんの人生は決して典型的なものではない。
バンギャとしておっかけに生き、東京に出てフリーターになったあたりまではわりとよくある話だが、リストカットをくりかえしたり、新右翼団体に入ったり、その一方で左翼や在日外国人とも交流を持ったり、戦争前夜のイラクを訪問したり、政治活動に身を投じている。
かなりアウトローな経歴だ。
だが彼女の生き方は「ロスジェネ世代の生き方」という気がする。
自分の過去を美化するでもなく、かといって過剰に貶めるでもなく、冷静に分析している。
その行間からは、この時代を生きるにはこう生きるしかなかった、という気概が伝わってくる。
ぼくはオウム騒動のときにポアだのサティアンだのといっておもしろがっていただけだが、こんなふうにシンパシーを感じていた人もいたのだ。もちろん大きな声では言えなかっただろうけど。
あれだけの信者がいたのだから当然だけど、オウム真理教のハルマゲドン思想や非世俗的な暮らしは、現状に大きな不満を抱える人たちを引きつけるものだったはずだ。
赤木智弘さんの『「丸山眞男」をひっぱたきたい--31歳、フリーター。希望は、戦争。』もそうだけど、仕事も家族もチャンスもなくなったら、望むのは宝くじか戦争か革命か生まれ変わりぐらいしかなくなるのだろう。それぐらいしか一発逆転の目はないのだから。
(残念ながら、戦争や革命が起こってもトランプの大富豪のように弱い者が強くなることはありえず、持たざるものがまっさきに犠牲になるのだけど)
雨宮処凛さんも、めぐりあわせが悪ければオウム真理教に入信していただろう。
「オウム信者予備軍」は日本中に何万人といたはずだ。たぶん今も。
オウム真理教はカルトとしてこばかにされがちだけど、暴力や破壊活動にさえ向かわなければ、今頃もっともっと大きな団体になっていたのかもしれない。
右翼団体に入っていたときの心境。
この「日本人の誇り」、ブレイディみかこさんの『労働者階級の反乱』にも似たような心境が書かれていた。
イギリスの労働者階級が仕事を奪われ、貧しい暮らしを余儀なくされている。彼らが誇れるのは「白人男性であること」だけ。
だから、移民排斥や女性バッシングなど「自分たちの権利を侵害している(と彼らがおもっている)もの」への攻撃に向かう。
「うまいことやっている白人男性」という支配層ではなく、攻撃しやすいところへ。
きっと、いわゆる〝ネトウヨ〟の多くもそうなんだろう。実際に会ったことないから想像だけど……。
世界的にナショナリズムが台頭しているのは、それだけ生きづらい人たちが多いということなんだろうな。せちがらい話だ。
でも、「おれの暮らしぶりが悪いのはおれの能力が低いせいだ」と真剣におもっていたらつらすぎて生きていけないもんね。
「おれの暮らしぶりが悪いのはあいつらがおれの権利を侵害しているからだ」と逆恨みしているほうがまだ健全かもしれない。
他責的になる人がネトウヨ化して、自責的な思考をする人が自殺に向かってしまうんだろうか。どっちにしても救われない話だ。
だとすると、リストカットやオーバードーズ(薬物過剰摂取)をくりかえしていた雨宮処凛さんが新右翼団体に入ったのもうなずける。
メンヘラと右翼は、ぜんぜん異なるようでじつはすごく近いところにいるのかもしれない。
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