2019年2月4日月曜日

【読書感想文】虐げる側の心をも蝕む奴隷制 / ハリエット・アン ジェイコブズ『ある奴隷少女に起こった出来事』

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ある奴隷少女に起こった出来事

ハリエット・アン ジェイコブズ(著) 堀越 ゆき(訳)

内容(e-honより)
好色な医師フリントの奴隷となった美少女、リンダ。卑劣な虐待に苦しむ彼女は決意した。自由を掴むため、他の白人男性の子を身篭ることを―。奴隷制の真実を知的な文章で綴った本書は、小説と誤認され一度は忘れ去られる。しかし126年後、実話と証明されるやいなや米国でベストセラーに。人間の残虐性に不屈の精神で抗い続け、現代を遙かに凌ぐ“格差”の闇を打ち破った究極の魂の物語。

アメリカにあった奴隷制のことを、ぼくは知っていた。
奴隷貿易がおこなわれ、奴隷制の維持を訴える南部と奴隷解放の北部に分かれ、アメリカを二分する南北戦争がおこなわれ、リンカーンが奴隷解放宣言を出したと。
教科書に書いてあったし、リンカーンの伝記も読んだ。

しかし知識として知っていることと理解することはまったくの別物だと、『ある奴隷少女に起こった出来事』を読んでぼくは痛感した。

「黒人は奴隷として虐げられていた」
その一文がぼくの頭の中にあるだけで、その奥にどれだけ多くの人がどれだけ長い間苦しんでいたかということをまったく想像したことがなかった。

 多くの南部婦人の例にもれず、フリント夫人は完全に無気力な女だった。家事を取りしきる意欲はないが、気性だけは相当激しく、奴隷の女を鞭で打たせ、自分は安楽椅子に腰かけたまま、一打ちごとに血が流れ出るまで、平然とそれをながめていた。彼女は教会に通っていたが、聖餐のブドウ酒とパンを口に入れてもらっても、キリスト教徒らしい考え方は、なじまなかったらしい。教会から戻ったばかりの日曜日でも、指定した時間に夕食の用意が整わなければ、夫人は台所に陣取り、食事ができるのを待った。そして、料理が残らず皿に盛られるのを見とどけると、調理に使われたすべての深鍋や平鍋につばを吐いてまわった。こうすることで、鍋のふちに残った料理や肉汁の一さじが、料理女とその家族の口に入らないようにと気を配った。
 チャリティのまだ幼なかった息子のジェイムズは、感じの良さそうなご主人に売られたと思ったが、やがてご主人は借金を抱えるようになり、ジェイムズは、裕福だが残虐なことで知られる別の奴隷所有者に売られてしまった。この男のもとで、犬の扱いを受けながら、彼は大人になった。ひどい鞭打ちのあと、あとで続きを打ってやると脅かされ、その苦痛から逃れるために、ジェイムズは森の中に逃げこんだ。考えられる限り、最も悲惨な状態に彼はいた――牛革による鞭打ちで皮膚は裂け、半裸で、飢えに苦しみ、パンの耳すら口に入る手だてはなかった。
 数週間後、ジェイムズは捕まり、縛られて、主人の農場に連れ戻された。数百回の鞭打ちのあと、パンと水だけを与え牢に閉じ込めておくいつもの処罰は、この憐れな奴隷の不届きには軽すぎると主人はみなした。よって、奴隷監督の気の済むまで鞭で打たせたあと、森に逃亡した期間だけ、ジェイムズを綿繰り機の鉄のつめにはさんで放置することに決めた。この手負いの生き物は、頭からつま先まで鞭で切り裂かれたあと、肉が壊死せず治るようにと、濃い塩水で洗われた。そして綿繰り機の中に押し込められ、あおむけになれないときに横に向けるだけのわずかな隙間を残して、ギリギリと鉄のつめは締められた。毎朝、一片のパンと水を入れた椀を奴隷が運び、ジェイムズの手の届くところに置いた。奴隷は、そむくと厳罰に処すと脅されて、彼と口をきくなと命令されていた。
 四日が過ぎたが、奴隷はパンと水を運びつづけた。二日目の朝、パンはなくなっていたが、水は手つかずなことに奴隷は気がついた。ジェイムズが四日五晩締め上げられたあと、四日間水が飲まれておらず、ひどい悪臭が小屋からする、と奴隷は主人に報告した。奴隷監督が確認のためにやられた。圧縮機のねじを開けてみると、そこには、ねずみや小動物にあちこちを食べられた死体が転がっていた。ジェイムズのパンをむさぼり食べたねずみは、その命が消える前にも彼をかじったのかもしれない。
こういった描写を読むと、とても軽々しく「まるで奴隷のような生活だ」なんて言う気になれない。
人間扱いされないどころか、家畜よりもひどい扱いが黒人奴隷に対しておこなわれていたのだ。

それも、たった百数十年前に。
今では自由の国と呼ばれているアメリカで。



この本の作者であるリンダ(作者の偽名)は、アメリカ南部の奴隷の子として生まれている。
幼少期はいいご主人に恵まれたこともあり(奴隷としては)幸福な生活を送っていたが、ご主人がなくなり、ドクター・フリントという医師の家に売られた(正確にはドクター・フリントの幼い娘の所有物となった)ことから運命が暗転する。
母親は死に、奴隷としてさまざまな侮蔑的な扱いを受ける。さらには十代半ばにして性的な関係を迫られ、苦悩する。

リンダはドクター・フリントの束縛から離れ、ある白人と関係を持ち、子を産む。ドクターを怒らせ、売らせようとしたのだ。
しかしドクターはリンダを決して手放そうとしなかったため、自分ばかりか子どもまで不幸になると考えたリンダは脱走を決意する。

結果的に脱走は成功するが、立ちあがることすらできない屋根裏部屋に七年も隠れなければならなかったり(食事やトイレの描写が一切ないのだがどうしていたのだろう?)、子どもとは離れ離れになったり、自由州であるはずの北部に逃げてからも追手におびえながら暮らしたり、その脱走劇も決してハッピーなものではない。

何の罪も犯していない人間が、自由を手に入れるため、子どもを守るために多くのものを犠牲にしなければならなかったのだ。

ことわっておくが、リンダは奴隷の中では比較的恵まれた境遇にあった人だ。
幼い頃は教育を受けさせてもらっているし(それが逃亡生活にも役立っている)、おかげで仕事も他の奴隷よりよくできたようで奴隷保有者からも一目置かれている。また黒人・白人問わず言い寄ってくる男もいることから、容姿も優れていたのだろう。多くの支援者にも恵まれている。
なにより、彼女は運が良かった。だからこそ脱走にも逃亡にも成功している。
極悪非道の「ご主人」として描かれているドクター・フリントにしても、当時の奴隷保有者としてはまだマシな部類だったんじゃないかと思う。頭の中には差別意識が詰まっているとはいえ、リンダに対して暴力や性的暴行をくわえたという描写はほとんどない(書かなかっただけかもしれないが)。医師という職業についていたわけだし、きっと理性的な人物だったのだろう。

そんな(比較的)恵まれた環境にあったリンダですら、今の日本人からすると直視できないほどのひどい目に遭わされているのだ。
いわんや他の黒人奴隷たちのおかれた境遇は、想像するに余りある。

『ある奴隷少女に起こった出来事』の原著が刊行されたのが1861年。『若草物語』の刊行されたのが1868年。どちらも自伝的作品なので、同じ時代の同じ国の少女の物語である。
しかし、かたやお父様の帰りを待ちながら仲良く助けあって暮らす姉妹であり、かたや逃げだせばねずみに食い殺されるまで折檻される環境で子孫の代まで永遠の奴隷として生きていかなければならない少女の物語。
北部と南部、白人と黒人というだけでこれほどのちがいがあると考えると、なおいっそう奴隷制の残酷さが浮き彫りになる。



特に印象に残ったのはこの文章。
 読者はわたしの言うことを信じても良いかもしれない。わたしはわたしの知っていることしか書かないから。いやらしい鳥ばかりが入った鳥かごで、二一年間も暮らしたのだから。わたしが経験し、この目で見たことから、わたしはこう証言できる。奴隷制は、黒人だけではなく、白人にとっても災いなのだ。それは白人の父親を残酷で好色にし、その息子を乱暴でみだらにし、それは娘を汚染し、妻をみじめにする。黒人に関しては、彼らの極度の苦しみ、人格破壊の深さを表現するには、わたしのペンの力は弱すぎる。
 しかし、この邪な制度に起因し、蔓延する道徳の破壊に気づいている奴隷所有者は、ほとんどいない。葉枯れ病にかかった綿花の話はするが我が子の心を枯らすものについては話すことはない。

この本を読了した後では、「奴隷制は、黒人だけではなく、白人にとっても災いなのだ」この言葉がなおいっそう重くのしかかる。

黒人奴隷たちを虐待する白人も、そのほとんどは奴隷制がなければ、穏やかで礼儀正しい人たちでいられたはずだ。
奴隷制があり、生まれたときからその制度にどっぷり浸かっていたからこそ、彼らは冷酷で無慈悲で不節操な生き方をすることになった。それは彼ら自身にとってもすごく不幸なことだ。

『ある奴隷少女に起こった出来事』の中で最大の悪役として描かれるドクター・フリントも、奴隷制度がなければむしろ人徳のある医師として生きていたんじゃないかと思う。
人を人として扱わないことは、虐げられる側だけでなく、虐げる側の心をも蝕んでいく



この本、一度は自費出版で刊行されたものの大きな話題にはならず、人々からほぼ忘れられた。
しかし出版から126年後に歴史学者がこの本がノンフィクションであることを明らかにし、それをきっかけにアメリカでベストセラーになったそうだ。
そして、訳者はプロの翻訳者ではなく、翻訳とは無関係の会社員。たまたま原著に出会い、翻訳しようと思い立ったのだという。

たまたま無事に逃げることができた黒人女性が書いた本が、たまたま学者の目に留まって再販され、たまたま一人の日本人が出会ったことでこうして日本語で読むことがができる。
偶然のつなわたりのような経緯をたどってこの良書が文庫として読めることに心から感謝したい。

こういう世界を見せてくれるからこそ、本を読むのはやめられない。

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