2021年5月20日木曜日

【読書感想文】自由な校風は死んだ / 杉本 恭子『京大的文化事典 ~自由とカオスの生態系~』

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京大的文化事典

自由とカオスの生態系

杉本 恭子

内容(e-honより)
折田先生像にバリスト、キリン!?西部講堂、こたつに石垣☆カフェ、タテカン、吉田寮まで…最後の(!?)自由領域を大解剖!森見登美彦(作家)インタビュー!&尾池和夫(元京都大学総長)特別寄稿掲載!

 京都大学に関する様々なキーワードを読み解きながら、「京大」の特徴や歴史を説明する本。ちなみに学問の要素はほとんどなく、京大という「場」に関する話が大半だ。

 著者は京大出身者ではなく、そのお隣の同志社大学出身。とはいえ学生時代はよく京大に出入りしていたらしい(京大吉田キャンパスと同志社大今出川キャンパスは自転車で10分ほどしか離れていないので京大内にもよく同志社の学生がいる。といっても女子ばっかりだが)。


 ぼくは20年近く前、京大に通っていた。2001年入学。国立大学が大学法人化したのが2005年だから、京大が国立だった最後の時代を過ごしたことになる。

 じっさい、今おもうとぼくが在籍していたのは「変わり目」の時代だった。
 ぼくが1回生(関西では大学1年生のことをこう呼ぶ)のとき、A号館改修工事がおこなわれた。改修前のA号館はとにかく汚くて、夜中でも出入りし放題だったし、地下には学生が勝手に運営しているバーがあった。ぼくが属しているサークル(持久走同好会)の部室もA号館の地下にあった。「校舎の下に部室があってそこにコタツや漫画やファミコンがある」という夢のようなシチュエーションに惹かれて持久走同好会に入ったようなものだ。
 地下部室では夜な夜な飲み会がおこなわれていた。飲みつぶれてこたつで寝る人もたくさんいた。今おもうとなんとすばらしい環境だろう。

 キャンパスに畳を敷くということにも、コテラさんは「場に対する関わりの特異さ」を感じていたそうだ。「畳を敷くことは『この場を、自分たちのものとして考えるぞ』という意思表示でもあるんですよ。しかも、所有や占有とはちょっと違う。畳によって誰のものでもない空間にしてしまってから、『この場を自分たちのものとして考えよう』と呼びかけるのがミソなんです」
 いつ、こたつをキャンパスに出すようになったのかは定かではないが、一九八○年代には現れはじめ、一九九〇年代には「吉田寮からこたつと古畳をリヤカーに乗せて運ぶ」ことはごく普通に行われていたようだ。なぜ、吉田寮生たちは、キャンパスにこたつを持ち出すようになったのだろうか?

 今はどうか知らないが、ぼくが学生のときはキャンパス内にこたつを出している人がときどきいた。
 冬の朝になるとこたつに入って寝ている酔っ払いの姿が見られたものだ。こたつには酒瓶や麻雀牌が散乱していた。

 たぶん、目的があってやっていたのではないだろう。キャンパス内でこたつに入ること自体が目的なのだ。
 ぼくも大学構内ではないが、公園にテントを張って友人たちと意味なく泊まったことがあるので気持ちはわかる。


 だがA号館は改修工事できれいな建物になり、夜間は立ち入れなくなった。まあそっちがふつうなんだけど。
 とにかくいろんなものがすごいスピードできれいになっていった。
 時計台の下に薄暗い生協や床屋もあったがいつしか消えていた。代わりにこじゃれたレストランができた。
 四回生ぐらいのとき、夜中に大学構内のテニスコートで遊んでいたら警備員に注意された。それまではそれぐらいのことで注意されたことなんてなかったのに(見つからなかっただけかもしれないが)。
 百万遍(地名)の石垣取り壊しに反対して学生たちが石垣を占拠し「石垣カフェ」を作ったのがぼくが卒業する直前。

「唯一無二の京大」が「数ある大学のひとつ」になっていった過渡期にぼくは居合わせていたのかもしれない。

 ま、大学から離れた今だからノスタルジックな思いに浸れるけど、在学中は食堂やトイレがきれいになるのは素直にうれしかったし、新しい教室での授業のほうが快適だった(古い校舎の大教室はめちゃくちゃ寒いんだもん)。




 在籍中は、他の大学と比べて「なんて自由な大学だ」とおもっていたが、しかしそれでも昔と比べるとずいぶんお行儀のいい大学になっていたようだ。
 一九六九年一月三〇日、一五○○人の学生が集まったという教養部代議員大会は、無期限バリストを可決。四月になってもバリストは続き、入学式の日には教養部や西部講堂などを舞台に映画上映や講演会を行う、バリケード祭」がはじまった。バリケードのなかで、学生たちが「反大学」をスローガンにした自主講座を立ち上げると、教養部の教官たちも正規の講義に代わる自主講座を開講。学生と教官は「どっちがおもしろいものをやるかで、学生という客を取り合」った。教官たちは「はからずもそれぞれ得意の分野やテーマをもとにして講義を行う機会」に恵まれ、講義の内容も充実していたようだ。ふだんは大学に来ない学生たちも出席。出版社からも聴講に来る人がいて「次はどの先生に本を書いてもらおうか」という算段まではじまったらしい。

 この時代に学園闘争をやっていたのは京大だけではないが、教官たちまでもがそれに乗っかっていた(あるいは対抗していた)というのがおもしろい。

 理学部の建物が学生たちに不法占拠した際(「きんじハウス」事件)、近くにいたサル学の教授がフィールドワーク経験を活かして出入りしている学生を個体識別して勝手に名前をつけていた……なんてエピソードも出てくる(ちなみにこのエピソードを語っているのが京大元総長の尾池和夫氏)。

 学生だけでなく、教官や職員にも「外の世界とちがうこと」を楽しむ余裕があったのだ。

 「反動的管理強化」とは、大学生をひとりの大人として認めず、「勉強させよう」とする京大当局への批判の言葉です。京都大学新聞の記事によると、経済学部は単位が取りやすいため、学生が積極的に講義に出席していないことを認めつつも、「勉強する・しないは学生の勝手である。勉強しなかった結果、おとずれたものが『堕落』であったとしても、それは学生の責任というものだ。否、それどころか学生は『堕落』する権利を有しているとさえ言える」ときっぱり主張。「少なくとも京大では学生の『自主性』『主体性』を重んじることを一つの『売りモノ』としてきたのではなかったか」とまで書いています。

 ぼくも、入学式の日に学部長から「大学に来るのは二流の学生です。一流の学生は大学に来ずに勝手に学ぶ」という話を聞いて面食らった。
 一教官ならともかく、学部長がこんなことを大っぴらに言うのかと。
 当時はまだ「学生には堕落する権利がある」という風土が残っていたんだなあ。


 だがその余裕はどんどん失われつつある。

 最大のきっかけは、さっきも書いたけど2005年の大学法人化だろう。
 国から独立した存在だったのが、何をするにも国にお伺いを立てなくてはいけなくなった。京大だけでなく全国の国立大学が。

 その結果、教職員は疲弊した。この十数年で日本の大学の国際競争力がぐんぐん低下したのは周知のとおり。
 研究力が落ちただけでなく、大学側には学生と対話する余裕もなくなっていった。

 しかし京大当局は吉田寮との話し合いを再開しようとはせず、二〇一九年二月一二日、「吉田寮の今後のあり方について」という文書を公開。吉田寮の運営は「到底容認できない」「不適切な実態」であると決め付けた。また、「安全性の確保」と「学生寄宿舎としての適切な管理」を実現するために現棟からの退去を求め、「入寮選考を行わない」「本学が指示したときは退去する」などの条件を遵守した者のみ、新棟への居住を認めるとした」。同文書では「学生の責任ある自治を尊重する」としながらも、吉田寮の現状について「時代の変化と現在の社会的要請の下での責任ある自治には程遠」いと書かれている。もう一度繰り返すが、寮自治の根幹は自主入退寮権だ。それを否定する京大当局は、いったいどんな寮自治を「責任ある自治」だと考えているのだろう。さらに、「危険な現棟での本学学生の居住をもはや看過することはできない」と、京都地方裁判所に現棟に対する占有移転禁止の仮処分の命令を申し立て、二〇一九年一月一七日に仮処分が執行された。

 これをおかしいとおもうかどうかは難しい。このへんの感覚って、大学自治、寮の自治を知らない人にはぴんと来ないとおもうんだよね。

「学校側の命令に従わない学生に対して、大学側が裁判所に訴えを起こす」
って、世間の人からしたら「それの何が悪いの?」って感じだとおもう。
 私立高校とか私企業とかだったらあたりまえのことだろう。会社所有の寮に住んでいる社員に対して、会社が出ていくよう要求した。いつまでも退去しないので裁判所に訴えた。会社の対応におかしなことはない。

 でも、大学ってそういうもんじゃないんだよね。東大ポポロ事件を知ればわかるように、大学というのは特殊な場だ。国家権力からは独立している。
 学問の自由があるので、外の世界の法律が通用しないこともある。勝手に大学に入った警官を学生がぶん殴っても、無罪判決が出る(ポポロ事件の場合は最終的には有罪になったが)。それぐらい大学における学問の自由というのは強い。

 だから「社員寮を立ち退かない社員」と「大学自治寮から退去しない学生」はぜんぜん違う。
 にもかかわらず京大は裁判所への訴えを起こしたわけで、あまり話題にならなかったけどこれはかなりの大事件だ。

 法的に問題はないのかもしれないけど、つまんねえ大学になっちまったな、とぼくはおもう。
 それって長期的に見ると自分たちの首を絞めてることだとおもうんだけどな。大学にとっても、国にとっても。


 尾池和夫元総長はこう書いている。

一九八九年、京都大学新聞によるサークルBOX特集のなかに、「国有財産は税金でつくられるのであり、特別に問題がない限り誰でも自由に使えるべきだ」という文章がある。最近、公文書を読む機会が多いので、税金を使う以上、その成果をわかりやすく国民に説明する必要があるという内容を頻繁に目にする。そのこととの関連で、京都大学新聞の表現は新鮮であった。何の役に立つかという言葉は、最近の予算書にはしかたなく出てくるが、ふだんの研究者の議論にはあまり出てこない。研究者たちは盛んに「面白い」という言葉を使う。面白いから研究をして、面白いから学習をするのが大学なのである。人類の存続のために、子孫の繁栄を願い、自分の心身の健康のために、食を楽しみ、芸術を楽しみ、知的好奇心に応える学習をする。それらを支えるのが大学であり、面白いと人びとが感じることができれば、それが大学で懸命に仕事する研究者や学生たちが、税金を使って挙げた成果なのである。

「役に立つ」ではなく「面白い」が研究の目的にならないと、大学の力は衰退していく一方だよ。




 巻末の対談で、京大出身の作家・森見登美彦氏がいいことを言っている。

ただねえ、阿呆は「阿呆っていいね」と言ったとたん腐るというかね。自由もそうじゃないですか?「我々は自由なんだ」って言ったとたんにすぐ自堕落なものになる。そこが京大について語るときのいやらしいところというか、ね。持ち上げたとたんに、急にそれが別なものに変わって腐ってしまうのがいやなんです。

「京大ってこんな自由な大学なんですよ」って書くのってすごく野暮なんだよね。そう書いちゃったとたんに自由でなくなる。
 そういうことをあえて口に出さないから自由でいられるというところはある。
「私おもしろいでしょ?」って言う人がおもしろくないのと同じで。

 だからほんとは、こんな本出ないほうがいいんだよね。
「京大ってこんな文化があるんです」
って書いちゃったらおもしろくなくなる。縛りがかかってしまう。

 でも残念ながら京大の自由さもおもしろさも過去のものになりつつある。だからこういう本が出たんだろう。有名人が死んだときに追悼番組をやるようなものだ。
 自由な校風(ほんとはこういうこと書かないほうがいいんだけど)はもう死んだのかもしれないな。悲しいけど。


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