がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか
井上 純一(著) 飯田 泰之(監修)
経済解説マンガ、ということだが……。
昔流行った『ゴーマニズム宣言』みたいな本だった。
偏狭な自説を延々と聞かされるので、読んでいてうんざりする。『ゴーマニズム宣言』は「これは傲慢な意見だ」という前置きがあったので(本当にそうおもっていたかはともかく)、あっちのほうがまだマシかも。
『がんばってるのになぜ僕らは』のほうは、ただただ「こっちが絶対に正解なのに、この説を採用しないやつはバカ!」というスタンスが続く。
そういやこの本には決め台詞のように「希望の光が見えてきた」という言葉がくりかえし出てくるが、これ「ゴーマンかましてよかですか?」とまったく一緒だよな……。
正直言って、ぼくは経済に詳しくない。それどころかぜんぜん知らない。大学でマクロ経済学を履修したことがあるけどちんぷんかんぷんだった。経済の勉強なんて二十年前に『細野真宏の経済のニュースが良く分かる本』を読んだぐらいだ(あれはわかりやすかったなあ)。
それでもなんとか生きていけるんだから世の中って案外ちょろいぜ。
それはそうと、経済に詳しくないぼくだから『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』を読むと「なるほどねー」という気になる。ははあそういうことか、と。
だが同時に、多くの本を読んできた経験がぼくに警鐘を鳴らす。
「気をつけろ! この本に書かれていることはとんでもない大嘘の可能性があるぞ!」と。
なぜなら、謙虚さが足りないから。
顕著なのは第8回。
「なぜ日本政府は増税するのか」というテーマだ。
著者の結論はこう。
「日本政府は雰囲気で増税している」(ほんとにこう書いている)
減税がいいのか、増税すべきなのか、ぼくには判断できない。
この本を読むと「減税して市場にどんどん金を流したほうがいいんだろうな」という気になるし、ぼく自身の考えもそれに近い。
なにしろこの三十年あまり、増税をくりかえしてきた日本経済はちっともよくならないから。
とはいえ、
「増税をくりかえしてきた時期」と「経済が停滞していた時期」がほぼ重なるからといって、増税は悪だ! と決めつけるのは短絡的すぎる。物事はそんなシンプルに決まらない。増税していなかったらもっともっと悪くなっていた可能性もある。
ぼくは経済のことはちっともわからないけど、
「経済がどう動くかは、賢い経済学者たちがずっと考えているけど正解を見つけられないもの」
だということは知っている。どの国のどの時代にもうまくいく経済政策なんてないのだろう。
だから経済学が誕生して百年たっても多くの国が試行錯誤しているし、専門家同士の意見も割れるわけだ。
経済政策の失敗は事後的にしか測れないし、それだって「この政策を採用していなかったらもっと悪くなっていた可能性」は排除できない。
フィリップ・E・テトロック&ダン・ガードナー『超予測力』には、
「未来予知の的中率が高い人は、『自分の考えは誤っているのでは?』という自問を絶えずくりかえす人」だと書いてあった。
『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』の著者に、その謙虚さはまったくない。
「日本政府は雰囲気で増税している」「政府は『なんとなく』でプライマリーバランスを黒字化しようとしている」
と書いている。
ものすごく楽な考え方だ。
自分の意見がぜったいに正しいとおもう。対立陣営の意見は「思慮が足りないから」で片付ける。
どんな反対意見も「あいつらはバカだから」で片づけられるから、何も考えなくて済む。思考停止。
もちろん、こういう人に成長はない。何度でも同じ間違いをくりかえす。
この本に書かれている説自体は、もっともらしい。
正しいかどうかの判断はぼくにはつかない。たぶんある点で正しくてある点で誤っているのだろう。経済に関する説のほとんどがそうであるように。
ぼくにわかるのは、著者(もしくは監修者)が反対意見には耳を貸そうともせず、物事を単純化しようとする偏狭な人間だということだけだ。
あとコマの強調が多すぎでしんどかったな。3コマに1コマぐらい強調が入る。実はこうなんだ! どやっ! って。
いたなあ。教科書にマーカーで赤線引きすぎてどこが大事なのかわからなくなってる、勉強できないやつ。
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