2020年9月23日水曜日

【読書感想文】調査報道が“マスゴミ”を救う / 清水 潔『騙されてたまるか』

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騙されてたまるか

調査報道の裏側

清水 潔

内容(e-honより)
国家に、警察に、マスコミに、もうこれ以上騙されてたまるか―。桶川ストーカー殺人事件では、警察よりも先に犯人に辿り着き、足利事件では、冤罪と“真犯人”の可能性を示唆。調査報道で社会を大きく動かしてきた一匹狼の事件記者が、“真実”に迫るプロセスを初めて明かす。白熱の逃亡犯追跡、執念のハイジャック取材…凄絶な現場でつかんだ、“真偽”を見極める力とは?報道の原点を問う、記者人生の集大成。

清水潔さんの『殺人犯はそこにいる』 『桶川ストーカー殺人事件』 はどちらもめちゃくちゃすごい本だ。

どちらも、日本の事件ものノンフィクション・トップ10にはまちがいなく入るであろう。

すごすぎて「これは嘘なんじゃないか」とおもうぐらい。

だってにわかには信じられないもの。
『殺人犯はそこにいる』 では、警察が逮捕した連続殺人事件の容疑者が無罪であることを証明し、『桶川ストーカー殺人事件』では警察よりも早く犯人を捜しあてる。
しかも、週刊誌の記者が。

ミステリ小説だったら「リアリティがない。週刊誌の記者がそんなことできるはずがない」っておもうレベルだ。

でもそれを本当にやってのけたのが清水潔さん。
ぼくは『殺人犯はそこにいる』『桶川ストーカー殺人事件』 、そして清水さんと元裁判官の瀬木 比呂志の対談である『裁判所の正体』を読み、足元が揺らぐような感覚をおぼえた。


警察も裁判所も善良な市民の味方であるとはかぎらないのだと知った。

たまにはミスをしたり、ろくでもない警察官もいるかもしれない。
だが全体として見れば警察や裁判所は善良な市民の味方のはずだ。正しく生きていれば味方でいてくれるはずだ。
そうおもっていた。

だが、警察も裁判所も、善良な市民の味方をしないどころかときには敵になることもあるのだと知った。

それもミスや誤解のせいではなく。
保身のために、無実の市民の命や権利を奪うこともあるのだと。



『騙されてたまるか』では、先述の足利事件(冤罪を証明した事件)や桶川ストーカー事件をはじめ、在日外国人の犯罪や北朝鮮拉致問題を追った事件など、清水さんがこれまでにおこなってきた取材の経緯が紹介されている。

日本で殺人を犯しながらそのまま出国しブラジルに帰った犯人を追った取材。

「とぼけないでください。浜松のレストランでのことを聞きたいんです」
 男は、私に背を向けると沈黙のまま歩き出した。
「日本に戻って警察に出頭するつもりはないか」
 何を問いかけても、無視を決め込み足早に離れていく。
 すべてのシーンはカメラに記録された。奴の仲間のジーンズの尻ポケットには、小型拳銃の形が浮き上がっていたのを後になって気づいた。
 車に戻って男を追跡する。ベンタナは車の窓を開けて、大声で何やら問いかけるが、男は動じない。途中でタバコに火をつけて、やがて建物の扉の中に逃げ込んだ。通訳が焦ったように騒ぎ出した。「あそこは警察だ、早く逃げましょう」。なぜこちらが逃げなければならないのかと訝る私に通訳は、「ここは民主警察です。市民に雇われた警察官は、我々を逮捕拘束する可能性があります。早く空港に戻らないと検問が始まるかもしれない」と説明した。
 納得できないが、この国の警察からすれば、海外メディアの取材などより自国民の保護が優先されるのだろう。私は取材テープを抜くと靴の中に隠してその場を離れた。

相手は拳銃所持の殺人犯一味、こちらは丸腰。おまけに場所はブラジル、相手のテリトリー。

そこに乗りこんでいって「警察に出頭するつもりはないか」と問う。

なんておっそろしい状況だ。
これを書いている以上清水さんが無事だったことはわかっているのだが、それでも読んでいるだけで脂汗が出てくる。

事件記者ってここまでやるのか……。

すばらしいのは、うまくいった事件だけでなく、無駄骨を追った事件のことも書いていることだ。
入手した情報をもとに三億円事件の犯人を追ったもののあれこれ調べたらでまかせだとわかったとか、他殺としかおもえない事件を追ったら結果的に自殺だったとか……。

答えがわかっていない中で取材するんだから、当然ながらうまくいかないこともある。
というかうまくいかないことのほうが多いだろう。

それでも追いかける、追いかけてだめだとわかったら潔く手を引く。
なかなかできることじゃないよね。



「記者」と一口に言うけど、『騙されてたまるか』を読むと、記者にも二種類いることがわかる。

清水潔さんのような「調査報道」をする記者と、警察・検察や企業や官庁の発表をニュースにする「発表報道」をする記者と。

当然ながら発表報道のほうが圧倒的に楽だ。
多少の要約は入るにせよ、基本的に右から左に流すだけでいいのだから。

この「発表報道」が増えているらしい。

 確かに最近は、会見後の質問も何だか妙である。 「ここまでで何かご質問があれば、どうぞ」などと、発表者に問われると、 「すみません、さっきの○○の部分がよく聞き取れなかんですけど……」  内容についての芯を食った鋭い質問や矛盾の追及ではなく、ひたすらテキストの完成が優先されていくのだ。無理もない。話の内容を高速ブラインドタッチで「トリテキ」しながら、その内容を完全に理解、把握した上で、裏や矛盾について鋭い質問をするなど、どだい不可能な話であろう。少なくとも私には無理である。

「トリテキ」とは「テキストをとる」ことだそうだ。
要するに聞いた話を文字起こしする作業。

今なら自動でやってくれるツールがある(しかもけっこうな精度を誇る)。
はっきり言って記者がやらなくていい。

悪名高い「記者クラブ」では、機械がやってくれる仕事をせっせと記者がやっているのだ。(ところで記者クラブって当事者以外に「必要だ」って言ってる人がいないよね)


少し前にこんなことを書いた。

「発表報道」の重要性は今後どんどん下がってゆく。

にもかかわらず我々が目にするニュースは圧倒的に「発表報道」のほうが多い。
官邸の発表が「文書は廃棄した。だが我々は嘘はついていない。だけどこれ以上調査する気はない」みたいな誰が見てもウソとしかおもえないものでも、NHKなんかはそのまま流している。

テレビでの芸能人の発言をそのまま文字にしていっちょあがり、みたいな記事も多い(記事って呼べるのか?)。

新聞社などの報道機関が権力の監視役として民主主義の砦となるか、それともこのまま“マスゴミ”として朽ち果ててゆくのかは、この先どれだけ調査報道をするかにかかってるんだろうな。


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