「きりきり舞い」させられたことがあるだろうか。
ぼくはある。
小学生のとき、ぼくは野球の腕には自信があった。といっても野球チームには所属していなかった。放課後毎日公園で友人と野球をやっていただけだ。
その中ではいつも好成績だった。たまに野球チームに所属している子と遊ぶこともあったが、そこそこいい勝負ができていた。
あるとき、一学年上のMくんと対戦をしたことがある。このMくんというのは野球チームのエースで、中学でも市内の硬式野球チームのエースで、高校は野球推薦で強豪校に進み甲子園にこそ出られなかったもののエースとして活躍し、高校卒業後はドラフト8位で読売ジャイアンツに入ったすごい人だ。
そんなMくん(当時は小学生だが)の球を、ぼくはバットに当てた。といってもファールだったが。それでも剛速球をはじきかえしたことで、ぼくは「慣れさえすればどんな球でも打てる」という(今考えれば誤った)自信をつけた。
中学校に入ってすぐのことだった。
公園で野球をしていると、Hという男が通りかかった。彼は隣の小学校出身で、この春から同じ中学校になったばかり。野球部に入っていた。
「おれも入れて」「ええで」
Hもいっしょに野球をすることになった。
「ピッチャーやってや」
バッターボックスに立っていたぼくは、Hに声をかけた。
Hは身体が細く、いつもへらへらしているような男だった。ぜんぜんたいしたことなさそうだ。よしっ、こいつの球をはじき返して「おれは野球部にもぜんぜん負けない」ということを見せつけてやろう。
Hはマウンド(といっても公園なので何もない)に立ち、ゆったりとしたフォームから球を放った。ぜんぜん速くない。余裕だ。
ぼくは全力でバットを振った。からぶり。
あれっ。大振りしすぎたか。「ちょっと狙いすぎたな」と言いながら再度かまえる。
Hの投げた球はさっきといっしょ。ゆるい球。
今度は確実に当てにいった。だがかすりもしない。ボールが逃げるようにバットから離れていった。
ぼくはHの顔を見た。
Hはにやりと笑った。「カーブ」
これがカーブか……。
ぼくは生まれてはじめてカーブを見た。もちろん存在は知っていた。ぼくも真似したことがある。本に載っていた「カーブの握り方」を真似して投げては「おっ、今の曲がったんちゃう!?」と友だちと言いあっていた。
そのとき知った。
ぼくらが「曲がった」とおもっていたのは、まったく曲がっていなかったことを。Hが投げたカーブこそが本物のカーブだった。
だがぼくの自信はまだへし折られていなかった。
さっきはカーブがくると知らなかったから打てなかったのだ。カーブがくるとわかっていれば対応できる。
ぼくはHに「もう一回カーブ投げて」とリクエストをした。結果はからぶり。
結局、十球ぐらい投げてもらったがぼくはバットに当てることすらできなかった。
今にしておもうと、なまじっか野球に慣れていたのがかえってよくなかったのだとおもう。
「この速度でこの軌道でボールが来たらこうすれば打てる」という動きが身体に染みついている。カーブはそれとはまったく違う動きをする。頭ではわかっていても身体は対応できない。
完敗。きりきり舞い。手も足も出ない。圧倒的な敗北だった。
「戦前、日米野球ではじめて変化球を見た日本人選手は度肝を抜かれた」という話を聞いたことがあるが(真偽は知らない)、まさにそんな状態だった。
さらに驚くべきは、Hはぜんぜんすごいピッチャーではなかったことだ。
決して強豪とはいえな中学の野球部(なにしろ一学年の部員数が十人もいないのだ)の中でも、二番手か三番手ピッチャーだった。
ぼくは思い知った。自分が、井の中の蛙だったことを。
ぼくがプロ野球選手になるのをやめたのは、あのときのきりきり舞いがあったからだ。
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