「女は結婚相手を経済面で選びすぎ!」
みたいなことを言われるじゃない。批判的に。
ぼくもそうおもってた。金じゃないだろ。もっとあるだろ。ほら、顔とか、見た目とか、容姿とか、器量とか、ルックスとか(全部いっしょだった)。
しかし自分が結婚して、どうにかこうにか十年ほど結婚生活を続けて、いややっぱり経済面ってすごく大事だなとおもう。
といっても、貯金額とか年収いくら以上とかそんな話でもない。どっちかっていうと、金銭感覚かな。
週末の外食にいくらまで出せるとか、年に一度の旅行だったらどのクラスのホテルに泊まるかとか、どこのスーパーで買い物するかとか、自販機でジュースを買うのはありかなしかとか。
そういう感覚が夫婦間で大きくずれてたらしんどいだろうなとおもう。夫婦でずれていれば当然嫁姑間でもずれるだろうし。
「釣りあわぬは不縁のもと」という言葉がある。
身分のちがう男女が結婚してもうまくいかない、という意味だ。
現代人の感覚からするとすごく差別的で、ぼくは古典落語以外でこの言葉を聞いたことがない。でも、だいたいあっているとおもう。人々の経験則はだいたい正しい。
金銭感覚のちがう人と長く付き合っていくのはしんどい。深い愛で一時的に乗りこえたとしても、高まった愛を持続するのは難しい。
結婚生活においていちばん重要なのは「楽なこと」だ。
お互いに無理をしなくてもつきあっていけること。
「家の中では盛大に屁をこきたい人」と「家の中であっても他人の屁の音を聞かされるのは我慢ならない人」が一緒に暮らすのであれば、どちらかが我慢しなくてはならない。
まあ屁ぐらいなら我慢できるかもしれないが、金はあらゆることに関わるので(ただし屁以外。屁は貨幣経済から完全に自由だ)、金銭感覚がちがうとあらゆる面で我慢する必要がある。
ぼくは一円でも安いものを買わないと気が済まない人とは暮らせないし、五百円のランチを「そんな安い味のもの食べられない」と拒絶する人とはたとえその人の年収が一億円であっても暮らせない。
妻や友人など、長く付き合っている人はだいたい似たような経済感覚を持っている。二十年来の友人が何人もいるが、みんな同じぐらいの裕福さの家庭で育ち、今も同じぐらいの稼ぎで暮らしているとおもう。もちろん「いくら稼いでんの?」なんて聞かないけど、でもまあだいたいの想像はつく。
逆に、やたらと羽振りがいい人とは自然と疎遠になる。これは単純な収入の話ではない。同じ会社の同年代の社員であっても(つまり給与はだいたい同じ)昼飯にいくらかけるかは人によってちがう。結果、近い感覚の人と親しくなる。
楽なんだよね。お互いに。ストレスや気遣いを抱えなくて済むので。
だから「女は経済的な条件で結婚相手を選びすぎる!」というよりむしろ「男が経済状況で選ばなさすぎる!」だとおもう。そこがいちばん気にすべきところでしょ。
「女は経済的な条件で結婚相手を選びすぎる!」というのは、「就職する会社を給与で選ぶな!」「ビールを味で選ぶな!」みたいなことやで。
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