キリンの子
鳥居歌集
鳥居
作者のプロフィールが書いてあるのだが……。
おおお……。もうこれだけで圧倒されてしまう。
「壮絶」の一語に尽きる。
収められている短歌も、やはり自殺未遂や母の自殺、養護施設での虐待について歌ったものが多い。
ろくでなし息子ではあるが母に愛されて育ってきた(とおもってる)ぼくにとって、「母に愛されない」「母に自殺される」というのはもはや想像を超える出来事だ。地球滅亡と同じくらい。
穂村弘さんが『世界中が夕焼け』という本の中でこんなことを書いていた。
この感覚、よくわかる。
ぼくは幸いにして自死を考えたことがない。だから自殺する人の気持ちもわからない。
自殺を考えることすらないのは、「母に愛されてる」と信じているからだとおもう。
今だと「娘に愛されてる」という自負もある。
娘のほうはこの先はどうなるかわからないけど、母のほうはきっと死ぬまでぼくを愛してくれるとおもう。根拠はない。でも母の愛ってそういうものだから。
だから「母が子どもを置いて自殺してしまう」ってのは、自分の存在を全否定されたような気持ちになるんじゃないかとおもう。もちろん原因は心の病気だから「愛されてなかった」というわけではないんだろうけど、それは理屈だ。感情としては、一生ぬぐえない傷を受けるんじゃなかろうか。
おかあさんがダイナマイト自殺した末井昭さんとか、幼いころに母親が出ていった爪切男さんとかの文章を読むと、「母親の喪失」という体験は一生消えないもんなんだろうなとお感じる。
しかし「母が自殺」「目の前で友が自殺」「孤児院で壮絶ないじめ」「元ホームレス」というのは人生においてはとんでもない試練だけど、表現者としてはものすごく強い武器だよね。こんなこと言っちゃわるいけど、文学をやる人間としてはハイスペック。RPGで最強の武器を持ってスタートするぐらいの。
もちろんそれだけでこの人の短歌が評価されているのではなくて才能や努力も大きいけど、そうはいっても「サラリーマンと専業主婦の家庭で育ちました」だったらぼくもこの本を手に取ってなかったわけで、こうやってデメリットをメリットに変えられる道を選んでよかったなとおもう。
短歌という媒体は、個人的な感情を表現するのに向いている。つくづくおもう。
たくさんの文字を費やしてあれこれ語るより、この十七文字のほうがよっぽど雄弁に孤独感を伝える。
参観日なんて「学校での自分(家での自分とはちがう姿)」を母親に見られるイヤなイベントでしかなかったけど、今おもうと贅沢な悩みでしかなかったんだなとおもう。
参観日はオンライン中継して自宅で見られるようにするといいね! 子どももプレッシャーを感じにくいし、親のいない子も引け目を感じなくて済むし。
いちばん好きだった歌がこれ。
いいんだけどさ。墓場の近くにすり身加工工場があったって。関係ないんだけどさ。
でも道理として問題なくても、やっぱり嫌だよねえ。墓地の近くにすり身加工工場があったら。
想像しちゃうもんね。まさかすり身の原料は……って。
想像力を刺激される、いい歌だ。
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