のび太の海底鬼岩城
藤子・F・不二雄
六歳の娘が「『ドラえもん』の長い話が読みたい」というので書店に連れていき、大長編ドラえもんの棚の前で「どれにする?」と訊いて、娘が選んだのがこれ。
正直、なぜこれを選んだのかわからない。
ほとんど漢字を知らない娘にはまずタイトルが読めないだろうし、表紙は不気味。もっと子どもウケしそうな作品もあるのになぜ『海底鬼岩城』なんだろう……とおもいつつも購入。
で、読んでみておもった。
大正解だ。
すごいぞ娘。
傑作じゃないか。
『のび太の海底鬼岩城』は大長編ドラえもんの四作目。
子どもの頃、一作目『恐竜』、二作目『宇宙開拓史』、三作目『大魔境』、五作目『魔界大冒険』、六作目『宇宙大戦争』は持っていてボロボロになるまで読んだのに、なぜか『海底鬼岩城』だけはすっぽり抜けていた。
やはり子ども心に表紙が怖かったからだろうか。
友人の家で読んだことはあったので「バギーちゃんが最後に活躍するやつだよね」ぐらいの記憶はあったのだが、大人になって読んでみて、その構想の大きさに度肝を抜かれた。
『のび太の海底鬼岩城』の舞台は海底。
夏休みに山に行くか海に行くかでもめたのび太・しずか・ジャイアン・スネ夫とドラえもんは、「だったら山も海も両方楽しめるところに行こう」というドラえもんの提案で海底山脈に行くことに。
海底でも生活できるようになる[テキオー灯]や海中で走れる[水中バギー]などの道具を使い、海中キャンプを楽しむ五人。
ところがジャイアンとスネ夫が、行方不明になった沈没船を探すために勝手に探検に出たために生命の危機に陥る。
海底人によってジャイアンとスネ夫の命は助けられたものの、囚われの身に。死刑を宣告された五人だったが、地球滅亡の危機が迫ったことで地底人たちと手を組んでポセイドンと戦うことを決意する……。
というストーリー。
前半はやたらとのんびり進む。まだ冒険が始まらないのかとやや退屈だが、大人になってみるとこれはこれでノスタルジーを掻きたてられていい。特にのび太がめずらしくドラえもんの力を借りずに宿題をやりとげるところは、前半のヤマ場といってもいい。
中盤ではたっぷり時間をかけて深海の様子が描かれる。
深海の生態系や、日本海溝、マリアナ海溝、バミューダトライアングルなどの解説など蘊蓄が語られる。
正直、子どもにとってこのへんはつまらないだろう。しかし大きくなって地理の授業で習ったときに「あっこれ『海底鬼岩城』で読んだやつだ!」となって理解を助けてくれるはず。こういう啓蒙は時間差で効いてくるんだよねえ。
もちろん蘊蓄だけではなく、キャンプの描写もいい。楽しそうだ。
海中でトイレをどうするのか、プランクトンを使った料理など細部までこだわった海底キャンプ生活は、読んでいてわくわくする。
こういう「本筋には関係ない細かい設定」が藤子プロ制作になってからは失われてしまったようにおもう。
さらに序盤から[消えた沈没船]の謎がくりかえし語られることで、楽しいキャンプにミステリアスな雰囲気が漂う。
中盤最大のヤマ場が「ジャイアンとスネ夫が死に瀕する」シーン。ここは何度読んでもスリリング。バギーの無慈悲な台詞もあいまってめちゃくちゃ恐ろしい。
徐々に[テキオー灯]の効き目が切れてくるあたりは読み手まで息苦しさを感じるほどだ(呼吸に関してはテキオー灯の効き目が切れたからといって即死することはないだろうが、水圧には一瞬でも耐えられないだろうからあれでジャイアンたちが死なないのはちょっと無理があるけどね)。
このくだりは、死の恐怖を感じるジャイアンとスネ夫だけではなく、残されたドラえもんたちの心中表現も見事だ。
「間に合わないことは承知で追いかける」「手遅れになってからいい方法を思いつく」といった行動のおかげでドラえもんたちの味わったパニック感が強調されている。
圧巻は後半で明らかになる設定。
かつて海底にはムー、アトランティスという二つの大国が存在していたが、アトランティスは軍事事件の失敗により滅んでしまう。しかしアトランティスの設置した自動迎撃システムだけは今も生き残っており、近づくものを自動で攻撃する(バミューダトライアングルで船や飛行機が消息を絶つのはこのため)。
そして海底火山の噴火を敵からの攻撃だと認識してしまったアトランティスが自動迎撃ミサイルを発射することにより世界が滅亡の危機を迎える……。
いやあすごい。正確な科学知識と大胆なほらの融合。SFはこうでなくっちゃ。
ムー大陸、アトランティス大陸、バミューダトライアングルに東西冷戦やキューバ危機の要素をからませたストーリー。こんな壮大なストーリーをまさかドラえもんでやっていたなんて……。
『のび太の海底鬼岩城』の映画公開は1983年(ちなみにぼくが生まれた年)。
まだまだ米ソ冷戦まっただなかだったので、今よりずっとリアリティのある舞台設定だったはずだ。
すごいよね。
ただ、残念ながら子どもたちにはちっとも伝わらなかっただろうなあ……。
もちろんぼくも子どもの頃に読んでいたけど、このへんの設定はまったくおぼえていない。
壮大な構想にはただただ感心させられるが、お話としてみると窮屈な感じは否めない。
後半にあわただしく「ムーとアトランティスの歴史」や「アトランティスの自動迎撃システム」の説明がなされるため、読んでいるほうとしては展開についていけず、ラスボスであるポセイドンは突然現れたような印象を受ける。
また、アクションシーンも消化不良で爽快感がない。なにしろドラえもん以下全員やられてしまうのだから。
「カメレオン帽子を使ってバリアーを突破する」のくだりも、コマ数が割かれているわりに絵的に地味すぎてどうも緊迫感に欠ける。命を賭けた決死の行進なんだけど、絵で見るとただ歩いてるだけだからね。
最後の「バギーちゃん!」の活躍も、今読むとずいぶん淡泊だなあ、もっとコマ数を割いてもいいのにとおもう。でもあまりくどくどしくないのもかえって読者に想像させる余地を与えてくれていいのかも。
これが『ONE PIECE』だったら涙涙のさよならバギーちゃんで二十ページは使っただろうね。
細かい点を言いだせばきりがないが、藤子・F・不二雄先生の壮大すぎる構想が、子ども向け映画の枠に収まりきらずにはみだしてしまったからなんだろうなあ、という印象。
大人としてはものたりないところもあるけど、でも『ドラえもん』は子どものためのものなのだからこれはこれでいい。
なにしろ、『海底鬼岩城』を読んだ娘が「おもしろかったー!」と言っていたのだから。
三十数年後の子どもも、そして大人も同じように楽しめるなんて、すごい作品ですよ。改めて。
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