2020年7月22日水曜日

【読書感想文】自由な競争はあたりまえじゃない / ダロン・アセモグル & ジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』

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国家はなぜ衰退するのか

権力・繁栄・貧困の起源

ダロン・アセモグル (著)  ジェイムズ・A・ロビンソン (著)
鬼澤 忍 (訳)

内容(e-honより)
繁栄を極めたローマ帝国はなぜ滅びたのか?産業革命がイングランドからはじまった理由とは?共産主義が行き詰まりソ連が崩壊したのはなぜか?韓国と北朝鮮の命運はいつから分かれたのか?近年各国で頻発する民衆デモの背景にあるものとは?なぜ世界には豊かな国と貧しい国が生まれるのか―ノーベル経済学賞にもっとも近いと目される経済学者がこの人類史上最大の謎に挑み、大論争を巻き起こした新しい国家論。

世界には豊かな国と貧しい国がある。

人生は努力によって決まる部分もあるが、それ以上に「どの国に生まれるか」によって決まる。
世界的大企業として名高いGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)の創業者である‎ラリー・ペイジやスティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグやジェフ・ベゾスは類まれなる能力の持ち主で、たいへんな努力をしてきたのだろう。だが彼らがアメリカ人でなかったとしても、世界に通用する大ヒット商品を生みだせていただろうか。まあ無理だろう。
もしも北朝鮮に生まれていたら。ぜったいに無理だっただろう。
成功するかどうかの99%は「どこに生まれるか」で決まってしまう。北朝鮮で上位10%に入るぐらい知力と行動力のある人でも、政府上層部にコネクションがなければアメリカの下位10%よりも貧しい暮らしをすることになる。


なぜ裕福な国と貧しい国があるのか。
ジャレド・ダイヤモンド『銃・病原菌・鉄』はその原因を、主に地理的な要因にあると論じた本だった。
ユーラシア大陸がいち早く経済成長したのは、動植物の分布や地理が集団生活に有利だったからだ、と。

ところが『国家はなぜ衰退するのか』は『銃・病原菌・鉄』の説に異を唱える。
地理的な要因によって決まるのだとしたら、ほぼ同じ地理的条件を持ちながら経済規模がまったく違う国があるのはなぜなのか、と問う。

たとえば、我々日本人になじみの深いところでいうと、韓国と北朝鮮の違い。
 韓国と北朝鮮の経済的運命がくっきりと分かれたことは、驚くに値しない。金日成の計画経済とチュチェ体制はまもなく大失敗に終わった。控えめに言っても秘密主義の国である北朝鮮から、詳細な統計を入手することはできない。にもかかわらず、入手可能な証拠によって、繰り返される飢饉からうかがい知れる状況が立証されている。つまり、工業生産が軌道に乗りそこねただけでなく、実のところ北朝鮮は農業生産性の急落を経験したのである。私有財産を持てないせいで、生産性増進のため、あるいは維持のためにすら、投資や努力をするインセンティヴを持つ人はほとんどいなかった。息の詰まるような抑圧的な政治制度は、イノヴェーションを起こしたり新しいテクノロジーを取り入れたりするには不向きだった。だが、金日成、金正日、さらに彼らの取り巻きは、体制を改革したり、私有財産、市場、私的契約を導入したり、政治・経済制度を変えたりするつもりはなかった。北朝鮮の経済は停滞しつづけた。
 一方韓国では、経済制度によって投資と通商が促進された。韓国の政治家は教育に投資し、高い識字率と通学率を達成した。韓国企業はすぐに、以下のようなものを利用するようになった。まずは比較的教育水準の高い人材。次に、投資を奨励したり、工業化、輸出、技術移転を促進したりする政策。韓国はあっというまに東アジアの「奇跡の経済」に仲間入りし、世界で最も速く成長する国の一つになった。わずか半世紀ほどを経た一九九〇年代末までに、韓国の成長と北朝鮮の停滞は、かつては一つだった国を二分した両国のあいだに一〇倍の格差を生み出した。
 ――二世紀後にはどれほどの違いになるかを想像してほしい。韓国の経済的成功と対置すると、数百万人を飢餓に陥れた北朝鮮の経済的崩壊は際立っている。文化も、地理も、無知も、北朝鮮と韓国の分岐した進路を説明できない。答えを出すには制度に目を向けねばならないのである。
韓国と北朝鮮の民族は同じ。元々ひとつの国だったので使う言葉も同じ。文化もほぼ同じだった。
朝鮮半島の南北なので気候も近い。どっちかといったら、中国やロシアに近い北朝鮮のほうが通商の面では有利かもしれない。実際、南北に分かれた当初は北のほうが裕福だったという話もある。

だがそれから数十年で国の豊かさは天と地ほども開いた。
韓国は先進国の仲間入りをし、北朝鮮は世界の最貧国に転落した。

これは地理的要因では説明できない。
説明できるのは政治制度だけだというのが『国家はなぜ衰退するのか』の主張だ。


うん、おもしろい。
おもしろいし納得もいく。
……だけど、ものすごく冗長。

冒頭の2割ぐらいで言いたいことをほぼ言いつくしちゃって、後は手を変え品を変え、
「ほら、ここもそうでしょ」
「ほら、こんな例もあるよ」
「ほら、このケースも我々の説を裏付けてるよね」
とくりかえしているだけ。

イギリス、フランス、アメリカ、オーストラリア、北朝鮮、中国、日本、メキシコ、シエラレオネ、ジンバブエ、南アフリカ共和国、ソマリア、ソ連、アルゼンチン、コロンビア、ブラジル……。とにかくいろんな国のケースを挙げて「ほら、ぼくたち正しいでしょ」と言っている。
もうわかったから!

中盤はほんと退屈だったな……。



産業革命がイングランドで起こったのは、それが起こるだけの制度を持った国だったから。
たまたまイングランドで起こったわけではない。当時のイングランドの人が他の国よりとりわけ賢かったわけでもない。
 こうした状況が変化したのは、名誉革命後のことだった。政府が採用した一連の経済政策によって、投資、通商、イノヴェーションへのインセンティヴがもたらされたのだ。政府は意を決して財産権を強化した。その一つである特許権によってアイデアへの財産権が認められ、イノヴェーションが大きく刺激されることになった。政府は法と秩序を保護した。歴史上初めて、イングランドの法律がすべての国民に適用された。恋意的な課税は終わりを告げ、独占企業はほぼ完全に廃止された。イングランド国家は商業活動を積極的に後押しし、国内産業を振興するために手を打った。産業活動の拡大に対する障害を排除しただけでなく、イングランド海軍の総力を挙げて商業的利益を守ったのだ。財産権を合理化することによって、政府はインフラ、とりわけ道路、運河、のちには鉄道の建設を促進した。それらは産業の成長にとってきわめて重要なものとなった。
 これらの基盤によって人々のインセンティヴは決定的に変化し、繁栄のエンジンが駆動した。こうして、産業革命への道が開かれたのである。産業革命は何よりもまず大きな技術的進歩に依存しており、この進歩は過去数世紀にわたってヨーロッパに蓄積された知識基盤を活用していた。産業革命は過去との完全な決別であり、それが可能となったのは、科学研究および多くのすぐれた個人の才能のおかげだった。こうした変革のあらゆる力の源は市場だった。市場は、開発され、応用されるテクノロジーから利益を引き出す機会をもたらしたからだ。人々が自分の才能を適切な職業に向けられるようになったのは、市場の包括的な本性のおかげだった。産業革命は教育と技能にも依存していた。ビジョンを携えた起業家が現れ、新たなテクノロジーを活用して事業を興し、そのテクノロジーを使いこなす技能を持つ労働者を見つけられたのは、少なくとも当時の水準からすれば比較的高度な教育のおかげだったからだ。
イノベーションによって当人に利益がもたらされなければ、イノベーションは起こりにくい。
エジソンがいくつもの発明を生みだしたのは、当時のアメリカが、発明と特許によって大儲けできる国だったから。
発明をしても権力者によって搾取される国であれば、発明をしようという意欲は削がれてしまう。

また、治安が悪く、暴力によってかんたんに財産を略奪されるような国でもイノベーションは起こりにくい。
目立つことで身体に危害が及ぶなら、つつましく生きることが最適な生き方となる。

もっとも、収奪的制度の国だからといってまったく経済成長をしないわけではない。
旧ソ連だってはじめはそこそこうまくいっていた。
だが自由な競争が妨げられる社会では、イノベーションが起こらない。やがて経済成長は止まる。
 収奪的な制度がなんらかの成長を生み出せるとしても、持続的な経済成長を生み出すことは通常ないし、創造的破壊を伴うような成長を生み出すことは決してない。政治制度と経済制度がともに収奪的であるなら、そこには創造的破壊や技術的変化へのインセンティヴは存在しない。資源と人材を配分するよう国家が命令することによって、少しのあいだなら急速な経済成長を生み出せるかもしれないが、こうしたプロセスには本質的に限界がある。その限界に達すれば成長が止まってしまうのは、一九七〇年代にソ連で見られたとおりだ。ソ連が急速な経済成長を成し遂げたときでさえ、経済の大半の領域で技術的変化はほとんどなかった。軍事に大量の資源をつぎ込むことによって軍事技術を発達させ、宇宙と原子力の開発競争において一時は合衆国をリードさえできたというのに、である。しかし、創造的破壊も幅広い技術革新も伴わないこうした成長は、持続的なものではなく、突如として終わりを告げたのだった。
今、中国の経済はどんどん成長している。
自由競争が認められるようになり、今や世界一、二を争う大国だ。

だが中国は収奪的な政治制度を有している国だ。
どれだけ経済的に成功を収めても、共産党の胸三寸ひとつでつぶされてしまう可能性がある。
だからリスクをとってイノベーションに挑戦するメリットは薄い。

『国家はなぜ衰退するのか』の説を信じるなら、中国の成長はやがて止まる可能性が高い(ロシアも)。



この本を読むと、収奪的な政治的・経済的制度を持った国がいかに多いかに驚かされる。
我々にとってなじみの深いのは北朝鮮ぐらいだけど、特にアフリカや南米ではそっちのほうが多いぐらい。
限られた権力者グループだけが富を独占し、社会全体は貧困のまま据えおかれる。

こういう国ではイノベーションはめったに生まれない。

多くの船舶を所有して海運業を牛耳っている人物は、飛行機の開発を望まない。それは自身の権力や財産を脅かすことになるからだ。

新聞社のオーナーはインターネットの普及を苦々しく見ていたにちがいない。
もしも新聞社の社主に絶大な政治的権力があったなら、インターネットの使用は厳しく規制されていたはずだ(それどころかラジオやテレビだって普及しなかっただろう)。

北朝鮮でもメキシコでもシエラレオネでもジンバブエでもアルゼンチンでもコロンビアでも権力者たちは
「国全体を豊かにすることよりも、国が成長しなくても自分の権力を強化できる道」
を選んでいる。
北朝鮮のような独裁国家は決して例外的な存在ではなく、むしろそっちが標準なのだ。

北米や西欧のように権力が分散して自由な競争が保たれている国のほうがむしろ例外。


『国家はなぜ衰退するのか』には、
「自由な競争がおこなわれる社会をめざしたけど、結局一部の権力者だけが富を独占する国家になった」例がいくつも挙げられている。
逆に、「権力者が独占していた富を広く国民に分配するようになった」例は数えるほどしか挙げられていない。

産業革命当時のイギリスが当時としては比較的自由な競争を認められる社会だったのは、ペストや黒死病のおかげで労働人口が減ったからでもある。

かつては植民地だったアメリカやオーストラリアは自由競争社会になったが、これもたまたま略奪するような資源が乏しかったから。
もしも当時のアメリカや土地が資源にあふれる魅力的な土地だったなら、軍事力を持った連中が押し寄せてあっという間に富を独占していたことだろう。
だが幸か不幸か大した資源がなかったから、移住してきた人々は少ない資源を効率的に使うために各々の自由を認める必要があった。

今ある自由な競争は、決して理念によって達成されたわけではない。
人間は本性的に奪いたいのだ。

他者から収奪できないような状況のときにだけ、手を取り合ってお互いに発展することをめざすのだ。



二十一世紀の日本に暮らしていると、まるで自由競争社会があたりまえのようにおもってしまう。
だがこれは歴史的にも世界的にも例外的な状況なのだ。

油断していると、すぐに一握りの権力者が富を独占する国家になってしまう。
いや、もう収奪的制度になりつつあるかもしれない。

権力者に近しい企業や個人は優遇され、税金を優先的に流してもらえる状況だもんな。

日本の経済力がはっきりと衰退しつつあるのがなによりの証拠かもしれない。


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