全員がサラダバーに行ってる時に全部のカバン見てる役割
岡本 雄矢
お笑い芸人による歌集。
北海道でスキンヘッドカメラというコンビで活動しているらしいが、売れない芸人、と断定してもいいだろう。調べたところM-1グランプリ7年連続で予選2回戦敗退だそうで、どう控えめに言っても売れない芸人だ。少なくとも今のところは。
そんな芸人による歌集。
言っちゃあ悪いけど、「なるほど。さすが売れない芸人だな……」という感想。つまり、いろいろと足りなかった。
作品作りのスタンスとしては、「ぼくって不幸な目にばかり遭うんですよ。一家離散とか難病とかではの本格的な不幸ではなくほんのちょっとした不幸なんですけど」というスタンス。二十数年前に原田宗典氏が書いていたエッセイみたいなテイストだね。おなじみというか、目新しさに欠けるというか。
まあ不幸自慢自体はエッセイの定番ネタだから、独自の切り口があればいいんだけど、扱われているのが
「自分のスクーターにホストが座っていたけど遠慮して注意できなかった」
「スパゲッティと言ったら『今はパスタっていうんだよ』と言われていまいち納得いかない」
「飲み会で気づけばぽつんとひとりっきりになってしまっている」
「深夜におもしろいとおもって書いたネタが、翌朝読み返したらぜんぜんおもしろくない」
みたいな、手垢にまみれたテーマ。何度となく見聞きした話題だ。
しかもこの手の自虐って、よほどうまくやらないと「自虐に見せかけた自慢」になっちゃうんだよね。
昔は「私ばっかり不幸な目に遭うんですよー。トホホ」的エッセイを素直に楽しめたんだけど、いろんな人のこの手のエッセイを読むうちに最近は「私は不幸な目に遭いやすい」タイプの人って繊細どころか傲慢なんじゃないかっておもうようになった。
だってそうでしょう。みんなそれぞれ苦悩や不幸を抱えていて、でもそれを表に出さないように生きているわけじゃない。毎日ハッピーだぜイエーイ!ってやってる人だってひとり涙を流す夜もあるわけでしょ。万事順調な人なんかいるわけなくて、金持ちには金持ちの、人気者には人気者の、美人イケメンには美人イケメンなりの苦悩がある。自分とあの人のどっちが不幸かなんて誰にも比べられない。
「私ばっかり不幸な目に遭うんですよー」の人って、そういうことを考える想像力が欠如してるわけじゃない。自分ばっかりがうじうじ悩んでいて、周囲の人間は悩みも傷つきやすい心も持っていないと思いこんでいる。それってなにより傲慢でがさつだよね。ぜんぜん繊細じゃない。
これが売れない芸人かぁ……やっぱりなあ……となんだか同情してしまって読んでいて切なくなってしまった。たぶん作者が意図したのとはちがう切なさだ。
着眼点に目を惹くものはないし、リズムも良くないし、こういうのを読むとやっぱりプロ歌人ってすごいんだなあ、と感じる。
そんで、短歌の後にだらだらとエッセイが続くんだけど、これがまた蛇足。
いやわかるから。凝った技法も趣向を凝らした隠喩もないストレートな短歌なんだから、それだけで十分意味が伝わるから。
なのに、長々と解説が入る。しかも切れ味が悪い。まるでコントの後に「今のコントは何がおもしろかったかというと……」と演者自身による解説が入るようなもの。まったくもって見ていられない!
あんまり悪く言ってばかりでもあれなので、好きだった短歌をいくつか。
せっかく「売れない芸人」というパーソナリティがあるんだから、それをもっと活かした歌が見てみたかったな。
短歌としてもエッセイとしても退屈だったけど、古典の授業でしか短歌を鑑賞したことがない、という人にはそれなりに楽しめるんじゃないかな。短歌ってこんな表現もできるんだ、って伝わるだけで。
でもこれをちょっとでもおもしろいとおもったなら、もっとプロ歌人の短歌を知ってほしいな。短歌のおもしろさってこんなもんじゃないから。ぜんぜん。
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