小学校二年生の娘。夏休みの宿題として、読書感想文の課題が出た。
「読書感想文はひとりでやるのはむずかしいから、おとうさんといっしょにやろう」
とぼくは言った。
読書感想文にはちょっとうるさい。
なにしろぼくは読書感想文の大家である。「読書感想文五段」を勝手に名乗っている。
年間百本の読書感想文を書く。あることないこと好き勝手書き散らしているだけだから書評ではなく「読書感想文」だ。
書評をたくさん書いている人はいるが、読書感想文を年に百本も書く人間はそうはいまい。
娘が選んだのは、岩佐 めぐみ『ぼくはアフリカにすむキリンといいます』という本だ。
ぼくも読んでみる。
ふんふん。読書感想文の題材としては悪くない。
まず二年生でもわかりやすい。理解できない本の感想文は書きようがない。
それから、ファンタジーなので変な展開がいくつもある。これは感想文を書く上でとっかかりになる。万事読者の予想通りに進む本よりも、妙な箇所が多いほうが感想文は書きやすい。
「○○をしたのがふしぎだとおもいました。わたしなら××するのに」と書けばいい。
友だちがいなくて退屈していたキリンが、文通を通して最終的には遠く離れたペンギンと友だちになるというシンプルなストーリーもいい。わかりやすい教訓を引きだしやすい。
さて。
ぼくは娘に言う。
「まずはお話のかんたんな説明を書こうか。どんなお話か、読んだことのない人にもわかるように」
ここはわりとうまくいった。
二年生の書く文章なのでたどたどしいが、○○がいました、○○しました、と書いていくなので本の内容さえ理解できていればかんたんだ。
ただ、説明が止まらない。
八百字以内と決まっているが、四百字を使ってもまだ説明が終わらない。このままだと感想文ではなく要約になってしまう。それはそれで文章を書くトレーニングにはなるが、今回求められているのは感想文なのだ。
「感想文だから、本の内容だけじゃなくて、(娘)が考えたことを書かないといけないんだよ」
というが、これがなかなか伝わらない。
二年生にとって「説明」と「感想」は不可分なもので、切り分けるのはむずかしいのだ。
「うん、これ以上書くと感想を書くスペースがなくなるから、『これがこの本のないようです』って書いて、ここからは感想を書こっか」
と、半ば強引に要約を終わらせる。
さあいよいよ感想だ。
もちろん「感想を書きなさい」「おもったことをそのまま書きなさい」と言っても書けない。読書感想文五段のぼくは知っている。
感想を言語化するのは大人でもむずかしい。
そこでぼくはいくつかの指針を示した。
- 「このお話に出てくる人の中で、誰がいちばん好き? その理由は?」
- 「もし自分がこのお話の続きを書くとしたら?」
- 「登場人物のとった行動で、ふしぎにおもったところは? 自分だったらどうする?」
- 「自分もまねしたくなることはあった? 逆に、まねしたくないとおもったことは?」
など、いくつかのテンプレートを用意した。
完璧だ。このテンプレートを使えばかんたんに感想文を書ける、はずだったのだが……。
やはり娘は書けない。
ぼくが提示したテンプレートを見ても
「なにもおもわない」「わからない」
としか言わない。
こっちもイライラしてくる。「なんもないことないやろ」「ちゃんと考えてるか?」と、きつくあたってしまう。
ううむ……。
大人だったら嘘でもいいから無理やり「それらしい答え」をひねり出すだろうが、二年生ではそれすらもできないのだ。
「こんなん嘘でもええねんで。まったくおもってもいないけど『この本を読んでわたしも知らない人と手紙でやりとりしたくなりました』って書いとけばええねんで」
といえばいいのだが、日頃「嘘をつくな」と教えてる手前「嘘でもええねん」とは言いづらい……。
娘に「どこが変だとおもった?」と質問し、娘が「ここ」と言えば
「それは○○が××だから? それとも△△が□□だから?」とぼくが訊く。
「自分がこの立場だったらどうする? Aをする? それともBをする?」と重ねて訊く。
結局、「ぼくが用意した感想の選択肢の中から娘が選ぶ」ような形でどうにかこうにか感想文は完成した。
はあ疲れた。一日がかりの大作業になった。
苦労してできたのは「一応最低限の形式だけ整えた読書感想文」。当初ぼくが思いえがいていた「見事な構成で、かつ子どもらしい瑞々しい感性をとりいれたすばらしい読書感想文」にはほど遠い。
一夜明けて、反省した。
教え方がまずかった。
特にまずかったのは、「いくつかのテンプレートを出して、どれがいい?と決めさせること」だ。
そんなのは生まれてから読書感想文を一度も書いたことの小学二年生にさせることじゃない。
どれがいい? と言われたってわかるわけがない。書いたことがないんだもの。そもそも読書感想文が何かすらよくわかってないんだもの。
選択肢なんかいらない。意思を尊重なんてしなくていい。そんなのはある程度書けるようになってからで十分だ。
野球をはじめてやる子に「どんな投げ方がいい? オーバースロー? サイドスロー? アンダースローもあるよ。トルネードってのもあるけど」なんて尋ねてもわかるわけがない。
最初はきっちり〝型〟を教えるべきだ。何も考えずにこうしなさい。やってるうちにわかるようになるから、と。
教えてみてわかったけど、やっぱり読書感想文なんて宿題にすることじゃねえや。
大人だって書けないもの。教師だって書けないんじゃない? 読書感想文の宿題を出す教師はいっぺん「これぞ正解!」っていう読書感想文を書いてみろよ。
ぼくは毎週読書感想文を書いてるけど、これは趣味だから続けられていることだ。
誰かに添削されるならとっくにやめている。
だいたい感想だから「クソつまんねえ」とか「ケツ拭いた後のトイレットペーパーのほうがまだ見ごたえがある」でも正解のはずなのに、そういうのは許されない。おかしな話だ。上手に悪口を言うのはたいへん技術がいるのに。
要約でいいとおもうよ、夏休みの宿題は。そっちのほうがはるかに文章力研鑽になる。
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