すばらしい失敗
「数独の父」鍜治真起の仕事と遊び
ニコリ
『ニコリ』という雑誌を知っているだろうか。
総合パズル雑誌。クロスワード、まちがいさがし、迷路、虫食い算といった定番のパズルから、オリジナルのパズルまで様々なパズルが掲載されている雑誌だ。
ぼくとニコリの出会いは小学生の頃。父親が『数独』という本(ニコリ用語でいう〝ペンパ本〟)を買ってきて、たちまち夢中になった。あっという間に一冊をやりつくしてしまい(もっとも難しい問題はできなかったが)、一度解いた問題を消しゴムで消してもう一度解いたりしていた。
父親は他のパズル本(『ぬりかべ』や『スリザーリンク』)も買ってきた。これもすぐにとりこになった。『スリザーリンク』は今でも好きなパズルのひとつだ。そして、それら様々なパズルを乗せた『ニコリ』という総合パズル雑誌があることを知った。もちろん買った。なんておもしろい雑誌なんだろうとおもった。
当時、ニコリのパズル本は一般の書店には置いていなかった。ごく限られた書店か、おもちゃ屋などで売られていた。郊外に住んでいたぼくは電車で二時間かけて梅田のキディランドまで『ニコリ』を買いに行っていた。
だが、季刊(年四回発行)だった『ニコリ』は隔月刊になった(後に月刊となるが、現在はまた季刊に戻っている。こんなに刊行形態が変わる雑誌もめずらしい)。学生だったぼくにとって頻繁に買いに行くのはむずかしく、ついには定期購読を申しこんだ。中高生の頃はずっと小遣いで二コリを定期購読していた。
パズルを解くのはもちろん楽しかったし、『ニコリ』は懸賞もおもしろかった。いつだったか(平均大賞だったかな?)景品のシールをもらった喜びは今でもおぼえている。自分でパズルを作って投稿したこともある。採用はされなかったが。
今はもう定期購読はしていないが、それでもときどき書店で見かけると、ためらいながらもついつい買ってしまう。買うのをためらう理由は、おもしろすぎるからだ。なにしろ一冊で数十時間遊べるのだ。こんなにコスパのいい雑誌は他にちょっとあるまい。長時間遊んでしまうので買うのをためらってしまうのだ。
そんな『ニコリ』創業者のひとりで、「数独」の名付け親でもある鍜治真起氏が2021年に亡くなった。海外では「Godfather of Sudoku(数独の父)」の異名も持つ鍜治真起氏について、近しい人たちからのコメントを集めた評伝。
意外だったのは『パズル通信 ニコリ』創刊メンバーの三人ともが、さほどパズル好きだったわけではなかったこと。
何かを作りたい、という思いがそれぞれにあり、そのためのテーマがたまたまパズルだっただけ。
ぼくはてっきりパズルを愛してやまないパズルマニアがつくった雑誌だとおもっていた。でも「他の何よりもパズルが大好き」という人たちでなかったのが逆に良かったのかもしれないね。思いの強い人が作っていたら、細部まで徹底的に作りこむ分、他者が参加する余地は少なかったんじゃないだろうか。
『ニコリ』の魅力はなんといっても、そのゆるさ、参加しやすさにあった。昔から今までずっと読者投稿にページを割いているし、掲載されているパズルの多くは読者の投稿によるものだ(ぼくも中学生のときに投稿したことがある。採用されなかったけど)。
また『ニコリ』の名物企画といえば『ゴメン・ペコン』のコーナー。これは、前号の内容に不備があったことをお詫びするコーナーだ。読者から指摘されたパズルのミス(どうやっても解けない、別解あり)や、誤植、校閲ミスをお詫びするコーナーだ。これがレギュラーコーナーとして毎号載っている。このゆるさこそが『ニコリ』の魅力で、これによって読者は「自分もいっしょに雑誌をつくっている」という感覚を味わうことができる。ぼくも誤植を指摘したことがある。
つまり『ニコリ』編集部は謙虚なのだ。それは創業メンバーが「パズルの知識なら誰にも負けない」といった思いを持っている人でなかったからこその謙虚さだったのだろう。
時代も良かったのだろう。
ニコリが創刊された1980年代は雑誌が元気だった時代だ。『ぴあ』(1972年~)や『本の雑誌』(1976年~)など、資本をもたない若者が、手作り雑誌によって世に出ることができた時代。
だからこそ『ニコリ』もパズル雑誌としてスタートできたのだろう。きっと今の時代だったら、若者たちが何かを作りたいとおもったとしても、集まって雑誌を作るなんて面倒なことはせず、SNSやYouTubeでかんたんに発信・発散してしまうだろうから(それはそれで新しい文化としていいんだけど)。
そこまでパズル好きというほどでもない三人がつくったパズル雑誌が出版不況の今でも続いていて、世界中で愛されているというのはなんともふしぎなものだ。
ぼくは『ニコリ』という雑誌や会社は大好きだが、創業者の鍜治真起さんについては名前しか知らなかったので、この本に書かれている鍜治さん個人のエピソードについては興味を惹かれなかった(特に生い立ちのあたり。波乱万丈な人生送ってるわけでもないし)。
いちばんおもしろかったのは、安福良直さんという人の入社の経緯。
すげえなあ。二万桁以上の虫くい算……。
ちなみにこの安福さん、これが縁で後にニコリに入社し、現在は鍜治さんの跡を継いで社長になっているというからなんともドラマチック。すごい縁だなあ。
そういやこの本を読んでいるときにふとおもいだしたんだけど、ぼくが大学生のとき、就活に疲れてふと「『ニコリ』で働くのは楽しそう」とおもって、ニコリに電話をしたことがあった。「新卒採用やっていますでしょうか?」と尋ねて「現在はやっていません」と言われてあっさり諦めたんだけど、それじゃあダメだよなあ。そこで超大作パズルをつくって送りつけるぐらいのことをしないとニコリには入れなかったんだよなあ。
鍜治さん個人の人となりについては食指が動かなかったが、ニコリという会社の浮き沈みについて書かれたあたりはおもしろかった。
一読者から見れば『ニコリ』は順調にやっているように見えたけど、経営の失敗でつまづいたり、借金を抱えたり、けっこういろいろあったんだなあ。おもいだせば、季刊→隔月刊→月刊になったころは迷走していたなあ。
またいつ危なくなるかわからないから、ファンとしてちゃんと買わなくちゃなあ。
ところでこの本の書名になっている「すばらしい失敗」とは、海外で数独ブームがきたのにニコリが「SUDOKU」を海外で商標登録していないために儲けそこなったことを指す。
鍜治さんはこの〝失敗〟をむしろ誇りにしていて、それによって数独が世界中に広まったことを喜んでいたらしい。まあ数独自体が鍜治さん考案のパズルではないので(名付け親であり、育ての親ではあるが、産みの親ではない)、商標登録をしなかったのはいいことだとぼくもおもう。こういうところが『ニコリ』が愛される所以なのだ。
ついでに、この本に載っている好きな逸話。
椎名誠が朝日新聞で創業間もないニコリを紹介したときに書いた「これが売れても大手は荒らすなよ」という言葉。
せっかく若者が総合パズル雑誌という大手未開拓の海に船出したのだから、大手が資本にものをいわせて市場を荒らすんじゃねえぞというメッセージ。じつに粋だ。
そうやって船出したニコリがパズル界のトップランカーになったとき、「SUDOKU」を商標登録せずに海外のパズル制作者たちに門戸を開いたというのはなんとも素敵な話じゃないか。ねえ。
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