2022年10月4日火曜日

【読書感想文】ロバート・ホワイティング『和をもって日本となす』 / 野球はベースボールではない

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和をもって日本となす

You Gotta Have Wa

ロバート・ホワイティング(著)  玉木 正之(訳)

内容(e-honより)
これば、“文化摩擦”に関する本である。すなわち、日本とアメリカのあいだに存在している亀裂を、ベースボールというスポーツを通して描いたものだ。われわれアメリカ人にとって、異なる文化を理解することがいかに難しいものか、とりわけ日本というまったく異質の文化がいかに理解し難いものであるか―ということを、知ってもらうために書いた本なのである。

 おもしろかった!

 1989年に『You Gotta Have Wa』のタイトルで刊行され、1990年に日本語訳された本。日本に精通した著者が、アメリカ人に対して、日本野球を通して日本文化を紹介するという形の本。

 日本野球界で活躍した外国人選手や通訳への取材を通して「日本野球界がいかに外国人選手にとってやりづらい場所か」を明らかにすると同時に、日本社会全体が抱える欠点も見事に暴いてみせている。

 また、選手の話にとどまらず、監督、コーチ、オーナー、経営陣、通訳、応援団、高校野球などの問題にも触れていて、単なる「ガイジンが見た日本野球」の枠を超え、日本野球界全体に対するすばらしい問題提起になっている。


 三十年以上に書かれた本なので登場するエピソードは古いが、本質は今もさほど変わっていない。この三十年間で日本がほとんど経済成長しなかった理由も垣間見れる。




 第1章『赤鬼伝説』では、1987年のボブ・ホーナー騒動について書かれている。

 ボブ・ホーナーという野球選手を知っているだろうか。1987年にヤクルトスワローズに在籍した野球選手だ(当時ぼくは幼児だったのでリアルタイムでは知らない)。

 彼はなんと日本プロ野球の最初の4試合で11打数7安打、6本塁打というとんでもない活躍を見せ、その容姿もあわせて「赤鬼」と呼ばれた選手だ(今だったら問題になりそうなニックネームだ)。

 日本に来る外国人選手といえば、メジャーリーグで活躍できなかった選手、もしくはもう選手としてのピークを過ぎた選手というのが常識だった時代。ホーナーは30歳という脂の乗った時期に来日。日本がバブルで潤沢な金を出せたから、という時代背景もあった。まあホーナーがメジャー球団と契約できなかったから、という事情もあったのだが。

 鳴り物入りでやってきて、前評判以上の成績を残したホーナーはたちまち日本中の注目の的となった。プロ野球が国民的スポーツだった時代だ。スワローズの観客動員数は大幅に増加し、ホーナーはCMにも出演。国民的なスターとなった。

 が、スターになったのはホーナーにとっていいことばかりではなかった。一挙手一投足が注目され、グラウンドの中だけでなく、プライベートもマスコミに追いかけまわされ、また試合に欠場することなどが批判の種になった。

 なによりも、ホーナーがチームの練習に参加しないことが非難された。

 これを聞いて、多くの日本人はあきれ返った。日本人にとって、試合前の練習というのは、試合そのものと同じくらい大きな意味のあるものだった。あるいは、試合以上に重要であると考えるひともいるくらいなのだ。毎日試合前に、いい練習を厳しく行なうことは、ファンやマスコミや相手チームに対してやる気を表わし、野球に取り組む姿勢の整っていることを示すという意味合いもあった。そのうえ、日々の練習は、向上心を持つものにとって必要不可欠なものである、とも考えられている。より多く練習するものが、より多くのいい結果を得る――と、ほとんどすべての日本人が信じているのである。
 彼らは完全主義者であり、日常の鍛練と不屈の意志があれば何事も可能になる、という信念を持っている。ケガや苦痛を克服することも、自分よりも強い敵と戦って勝つことも、バッティングのタイトルをとることも、その他あらゆることについて、成せば成る、と考えているのだ。さらに、努力"を重視する傾向がきわめて強く、どれだけがんばったかということを、人間に対する最終的な評価と考えているひとも少なくない。結果は二の次、というわけである。
 そんななかで、試合前に汗を流さず結果だけを求めたホーナーのやり方は、すべての日本人の人生観とスポーツ観に対する冒濱的行為であるともいうことができた。

 プロなんだから、結果を出せば他の時間はどう過ごしたっていい。そういう考えは日本野球界では通用しない。「サボってるけど成果を上げる選手」が叩かれ、「一生懸命練習するけどヘタな選手」のほうは何も言われない。

 結局、ホーナーはたった一年でアメリカに帰ってしまった。ヤクルトは高年俸での複数年契約を提示したが、ホーナーはそれを蹴り、ヤクルトに提示されたよりもずっと安い年俸でセントルイス・カージナルスと契約した。『和をもって日本となす』によると、ホーナーはすっかり日本という国に対して嫌気がさして、一日も早くアメリカに帰りたかったらしい。

 単なるホームシックではない。同じルールのスポーツでありながら、アメリカのベースボールと日本の野球はまったく別の文化を持っており、ホーナーは〝野球〟になじむことができなかったのだ。これはホーナーにかぎらず、多くの外国人選手に共通する現象だった。日本で好成績を残し、球団から残留を打診されたにもかかわらず本国に帰ってしまった外国人選手は山ほどいる(シーズン途中で勝手に帰国した選手も何人かいる)。


 よく「プロなんだから結果がすべて」と言うが、じっさいはそんなことはない。結果を出していても、練習をまじめにすることや、監督やコーチやOB(部外者なのに!)の言うことを聞くことが求められる。

 ホーナーをめぐる一連の騒動は、日本野球がどういうものかをよく表している。



 著者は、アメリカのベースボールと日本の野球はまったく別物だと主張する。

 アメリカで行なわれているゲームと同様、日本版の試合も、ボールとバットを使って行なわれ、同じルール・ブックが用いられている。しかし、似ているのはそこまでで、たとえば、日本の練習方法などは、アメリカ人の眼で見ればほとんど宗教的な行為のようにも思われる。
 アメリカのプレイヤーは本格的なスプリング・トレーニングを3月からはじめる。つまり約半年間のシーズンに向けて、せいぜい5~6週間の準備期間をとるだけだ。さらに、毎日のトレーニングも3~4時間といったところで、それが終わると近くのゴルフ場へ行くか、プールへ行くか、家へ帰ってごろ寝をするような日々を過ごす。この程度でも、ヒート・ローズのように、トレーニングをやりすぎると指摘する連中が少なくない。
 ところが日本のチームは、1月中旬の厳しい寒さのなかで、長距離走や、ダッシュや、ウェイト・トレーニングや、さらにスタジアムの階段を上り下りするような、自主、トレーニングを開始する。そして本格的なキャンプがはじまると、早朝訓練、夜間訓練を含めて1日7時間近くも練習が行なわれる。そのうえ宿舎では、チームプレイの戦術についてのミーティングが開かれ、そのあとさらに屋内練習を行なうといった具合なのだ。
 この日本式の練習に2~3年参加したウォーレン・クロマティは、「まるで教会の集会に集まるような熱心さで、新兵の訓練をやるような厳しさだよ」といった。
 そしてシーズンに入っても、このようなハード・トレーニングが続けられるのだ。真夏になると、アメリカでは多くのプレイヤーが試合のための体力を温存するために、試合前の練習を減らすことが多い。が、日本では逆に練習量を増やす傾向が見受けられる。特訓こそ夏バテ対策として効果を発揮する、と思われている面があるのだ。

 さすがに今はこの頃よりはマシになったとおもうが(だよね?)、それでもやっぱり野球界では根性論が幅を利かせている。そもそも高校野球の全国大会を真夏の日中にやる国なのだ。

 ぼくは野球が好きだ。野球というスポーツはやるのも見るのも楽しい。でも野球部は嫌いだ。でかい声を出したり、坊主頭を強制されたり、先輩やコーチにへいこらしたり、気が乗らないときも練習させられたり、監督の機嫌で走らされたり、野球部にまつわる何もかもが嫌いだ。だから高校入学当時、ソフトボール部に入ろうかとおもった。裏庭で練習をしているソフトボール部員は〝スポーツ〟をやっていて楽しそうだったから。だがソフトボール部には女子しかいなかった。顧問(おばちゃん先生)に「男子は入れないんですか?」と訊きにいくと、「男なら甲子園を目指せ!」と言われた。これが差別でなくてなんなのだ。

「野球道」という言葉もあるように、多くの野球関係者は野球を単なるスポーツとはおもっていない。この点、大相撲にも似ている。大相撲は強さだけでなく〝品格〟を求められるが、野球も技術以上に〝元気溌剌〟〝礼儀正しさ〟〝ひたむきさ〟が求められる。ま、その反動でグラウンドの外ではしょっちゅう暴行やらいじめやら陰険なことをやっているわけだが。




 同じルールブックを使いながらまったくべつのスポーツであるベースボールと野球。そのため、ベースボールをプレイするものだとおもって日本にやってきた外国人と日本野球の間には軋轢が生まれることとなる。

 意味のない(あるいは逆効果の)練習やミーティングを強制される。チームの成績が悪いとスケープゴートにされる。打率が高くてもホームラン数が多くないと評価されない。ホームランが多くても三振が多いと評価されない。プライベートの用事で休むと非難されれる(仮に契約時にプライベートの休暇をとることを盛り込んでいても)。

「外野手出身のコーチが、メジャーリーグで実績のある内野手に対して守備をコーチしようとしてきた。不要だと断ると怒鳴られた」

「体調不良だったので休ませてほしいと言うと、疲れているのは練習が足りないからと言われた」

「コーチや監督のほうが本人よりも体調やベストな練習方法を理解しているとおもっている」

といった例が、『和をもって日本となす』にはこれでもかと書かれている。

 読んでいて、日本人として恥ずかしくなった。そうなんです、ごめんなさい。日本ってこういう国なんです。効率や実益よりも努力や対面のほうが重要視されるんです。「和を乱さない」ことが何よりも求められるし、「和を乱さない」ってのは要するに「えらい人の機嫌を損ねない」だったりするんです。ばかでしょ? ぼくもそうおもいます。でもそういうばかが偉そうにしている国なんです。野球界だけじゃなくて。


 メジャーリーグを観ていると、どんな選手も受け入れる懐の広さを感じる。もちろん胸中はいろいろあるのだろうが、少なくとも表向きは誰にでも門戸が開かれている。いろんな人種の選手がプレイしている。日本で実績のある選手でも、メジャー1年目で活躍すれば新人王が与えられる。さすが優勝チームを決める大会を勝手に「ワールドシリーズ」と呼んでしまうだけのことはある。アメリカでいちばん=世界一なのだ。傲慢であると同時に、余裕もある。

 日本プロ野球は、日本人と外国人選手の間に明確に線を引いている。

 ついこないだ、スワローズの村上宗隆選手がシーズン56号ホームランを打って大騒ぎになった。「王選手の記録を58年ぶりに破った!」と大きなニュースになっていた。よく知らない人が見たら、まるでこれまでの日本記録保持者は王選手だとおもうだろう。

 でもほんとはそうじゃない。日本記録保持者はバレンティン選手の60本。村上選手はシーズン本塁打数の日本記録を作っていないし、それどころかリーグ記録も、球団記録すら作っていない(バレンティンもスワローズだったので)。

 でも新聞やテレビでは、まるでバレンティンの記録はなかったような扱いになっている。小さく(日本人としては)最多本塁打記録! と書いている。

 ちなみに、王貞治は中国民国籍なので正式には日本人ではない(帰化もしていない)のだが、なぜか王貞治や、通算最多安打記録保持者の張本勲(韓国籍)は日本人扱いになっている。べつにそこを外国人扱いしろとは言わないが、だったらアメリカ人だって日本人と同等に扱えよとおもう。


 1978年から1987年まで日本でプレーしたレオン・リー選手も、外国人として「別枠」扱いを受けていた。

 彼は外国人選手としては異例の10年間も日本で活躍し、通算4000打数以上の選手の中では今でも歴代一位の通算打率.320という記録を持っている。もし彼が日本人だったら大スターになっていただろう。

 だが、まるで「外国人参考記録」であるかのように、彼の記録は実績は低く見積もられた。

 日本人も、リーに対しては十分に好感を抱いていた。が、彼らは、リー(とその弟であるレオン)の堂々とした態度と謙虚な心には好意を寄せていたものの、スターとして扱うことはなく、リーにとっては、その点が不満でもあり、悩みの種でもあった。彼は、日本のプロ野球史上最高の生涯打率を持つ者に付与されて当然と思われる権利と栄誉を、喉から手の出るほど求めていた。日本人のスター選手に新聞記者が殺到するのと同様、自分のところへも意見を求めにきてほしいと思っていたし、引退したときには、監督やコーチの依頼がくることを期待した。少なくとも、川上哲治や山本浩二と同じように、野球評論家として新聞のコラム欄を持ちたいと思った。しかし、日本人は、彼に何も与えようとはしなかったのである。
「まったく信じられないよ」といったときのリーの声には、痛々しいほどの悲しさがにじんでいた。「誰も10年間で3割2分の成績なんて残せないよ。なのに、あっさりポイと捨てられておしまいだ。ひとりの男をこんなふうに扱うなんて、誰にもできないはずだよ」

 日本語も堪能だったのに、〝ガイジン〟であるリーにはずっとお呼びがかからなかった(引退して16年もたった2003年にバファローズのコーチ→監督になっているが)。




 日本プロ野球は、〝ガイジン〟を求めていないのだ。できることなら、日本人だけでやりたいとおもっている。そして、その差別意識を隠そうともしない。

 1986年には、朝日新聞が「ガイジン選手は必要か?」というアンケート調査の結果を公表した。それによると、プロ野球ファンの56パーセントがイエスと回答した。が、選手でイエスと回答したのはわずか10パーセントであり、球団のオーナーは12人中たった4人しかなく、監督にいたってはゼロという数字が出た。しかも、ノーという回答の最大の理由としてあげられていたのは、金がかかりすぎるということでもなければ、若手選手が活躍の場を失うということでもなく、さらにトラブルを引き起こすからということでもなく、ただ単に「日本人だけのチームが理想的」という、まるでデルフォイの神殿の神託のように曖昧模糊としたものだったのである。

 三十年以上たった今ではさすがにここまでではないとおもうが、それでもバレンティン選手の本塁打記録が一斉に無視されているのを見ると、今でもこういう意識は根強いようだ。

 なにしろ、中心選手でも〝助っ人〟呼ばわりするのだから。まるで派遣社員のごとく。


 このあたりも相撲界と似ている。

 2017年に稀勢の里関が横綱昇進を決めたとき「貴乃花以来の日本出身横綱!」と騒がれた。なんて失礼な話だろう。その間、横綱として相撲界を支えた武蔵丸や朝青龍や白鵬や日馬富士や鶴竜が、まるで正統な横綱でないかのような扱いをされたのだ。

 ちなみに武蔵丸は横綱昇進したときは既に日本に帰化していた。れっきとした日本人横綱だったのに、それでも傍流扱いをされた。なんてひどい差別なのだろう。




 結局、日本人(国籍が日本なだけでなく、日本生まれ日本育ちで日本語を話す人)にとっては外国人はよく言えば「お客様」、悪く言えば「よそ者」なんだよね。グローバル化だのなんだの言っても。だからこの期に及んでまだ「移民受け入れは段階的に」なんて悠長なことを言っている。ぼくからすると、外国人だらけになるより老人だらけの国になるほうが百倍困るんだけどなあ。

 日本人のほとんど(もちろんぼくも含めて)がうっすらと持っている差別意識に気づかせてくれるいいノンフィクションだった。なにより、書かれているエピソードのひとつひとつがめっぽうおもしろいしね。


 なにがおもしろいって、かなりあけすけな筆致で描かれていること。外国人だからだろう、遠慮がない。もっといえば口が悪い。

 1967年、広島県の高校を卒業した村田は、パシフィック・リーグのロッテ・オリオンズという、日本でいちばん人気のないチームにドラフトで指名され、入団した。
 オリオンズの本拠地は大気汚染がひどい川崎という工業都市で、そこにある川崎球場はいつも観客が少なく、終戦直後に建てられたままのスタジアムは長い年月の風雨にさらされ、かなり老朽化していた。おまけにグラウンドもひどく、外野の芝は剥がれ、地面はでこぼこに波打ち、ロッテ・ナインは、まるで草野球をやってるみたいだ、と不満をこぼしていた。

 はっはっは。こんな文章は日本野球界の人間には書けないよなあ。


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