2022年10月7日金曜日

三歳は特別

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 三歳というのは、人間の一生において最も特別な時期だとおもう。もちろん他の年齢もそれぞれ特別ではあるが、三歳はやっぱり特別に特別だ。どういうことかというと、圧倒的に「おもしろい」のだ。


 まずしゃべれる。たぶん言語学習能力がいちばん高まるのがこの時期なのだろう。二歳児と三歳児では話せる言葉の量や質がまったくちがう。単語をつなぎあわせている程度だった二歳児が、たった一年でぺらぺらにしゃべれるようになる。もちろん語彙の数はまだまだ少ないが、文法的には完璧に近い日本語を操れるようになる。中一の一学期英語がたった一年で英検二級レベルにまで進化するぐらいの変化だ。

 それから身体能力もずいぶん発達する。三歳ぐらいからはこけることが格段に少なくなる。ジャンプしたり、急に止まったり、踊ったり、自転車(コマつき)をこいだり、大人と変わらない動作ができるようになる。

 その一方で、社会性はぜんぜん身についていない。つまり、恥ずかしいとか、ねたましいとか、気まずいとか、後ろめたいとか、ありがたいとか、申し訳ないとか、そういった〝第三者の視点を内的に持つことによって生まれる感情〟がぜんぜんない。客観性を持っていない。常に自分が中心だ。

 表現できる事柄はかなり大人に近づくのに対し、それを自省する感情がまるで育っていない。いってみれば「エンジンやアクセルは高性能なのにブレーキがほとんど利かない車」。とんでもない暴走車だ。

 暴走車。制御する側としてはたいへん厄介だ。だが同時におもしろくもある。そりゃそうだ。「何が起こるかわからないアトラクション」なのだから。


 じっさい、自分の子を見たり、他の親の話を聞いているとすごい話が出てくる。

  • 非常ボタンが気になったので押してから「これなに?」と尋ねた
  • タンスから飛び降りて骨折した
  • 蛍光塗料をなめてみたら口の中が光った。さらに激痛に襲われた
  • 一時間ぐらい怒りつづけている。怒っている理由は次々に変わるが、最初のきっかけは「ドアを自分で開けたかったから」
  • 砂を投げていることを注意されて「わかった」と言った三秒後に砂を投げる

 これらはほんの一例だが、三歳児はまったく自省が利かないことがよくわかる。

 当事者だったらたいへんだ。でも他人事ならばおもしろい。それが三歳児だ。

 認知症患者も同じようにブレーキが利かなくなるが、こっちはたいへんなだけで笑えない。三歳児のほうは「そのうち落ち着くはず」とおもえるからまだ笑える。もっとも子どもによっては落ち着くまでに二十年ぐらいかかったりもするのだが……。


 ところで、三歳児の「客観性のなさ」がよくわかるのが、かくれんぼをしたときだ。

 三歳ぐらいまでの子の隠れる場所は丸わかりだ。身体の一部が見えていたり、さっき隠れたところにもう一度隠れたり、すぐに顔を出してしまったりする。それで、本人はきちんと隠れている気になっている。

 ところが四歳ぐらいからちゃんと隠れられるようになる。鬼からは見えない位置、さっきとは違う場所に隠れられる。それは「他人から自分がどう見えるか」という視点を持つことができるからだろう。

 かくれんぼという遊びは発達の具合によって異なる楽しみ方ができる。古来から伝わっているだけあって、なかなかよくできている遊びだ。


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