2022年10月5日水曜日

【読書感想文】青木 貞茂『キャラクター・パワー ゆるキャラから国家ブランディングまで』/成功事例のみ

このエントリーをはてなブックマークに追加

キャラクター・パワー

ゆるキャラから国家ブランディングまで

青木 貞茂

内容(e-honより)
なぜ日本人は「ゆるさ」に惹かれるのか?LINEの「スタンプ」が人気を集めるのはなぜか?―キャラクター文化は、いまやアニメや漫画にとどまらず、日本社会全体に浸透している。その秘密はどこにあるのか?自身も「キャラクター依存」を告白する著者が、空前のブームから日本文化の深層に分け入り、キャラクターが持つ本質的な力を浮き彫りにする。


 ゆるキャラ、マスコットキャラクター、LINEスタンプなど〝キャラクター〟がなぜ日本で特に好まれ、広く使われるのかについて考察した本。

 

 たしかに身のまわりにはキャラクターが蔓延している。子ども向け商品だけでなく、企業も自治体も政党もキャラクターを使っている。

 他の国にもキャラクターはあるが、日本とアメリカではキャラクターの性質が少し違うようだ。

 ディズニー・キャラクターは、まるで人間のようにコミュニケーションをとることから、人間同士の絆のように共感性が高く、感情的かつ精神的な絆を持ちやすいのです。また、アメリカ人的であるがゆえに、ディズニーランドやディズニーの長編アニメは、世界中で非常に人気があり、かつ一方で嫌われてもいるのです。
 人々は、ディズニー・キャラクターとは、人間を相手にしたようなコミュニケーションをとり、サンリオ・キャラクターには、人間に隣接した別の親密な存在として感情移入をすると考えられます。それは、犬や猫、ウサギやモルモットといったペットとの関係に非常に近いといえます。

 なるほどね。たしかに日本のキャラクターには無表情なものが多い。サンリオキャラはだいたい無表情だし、リラックマ、すみっコぐらし、くまモン、しまじろうなど表情に乏しいキャラが多い。

 また日本生まれではないが日本で人気のミッフィー(ナインチェ・プラウス)はまったくの無表情だし、ムーミンもピーターラビットも表情はあまり変わらない。

 アメリカ生まれのディズニーキャラクター、トムとジェリー、スヌーピーなどが喜怒哀楽をむきだしにするのとは対照的だ。

 まあ日本でなじみがないだけで、アメリカにもゆるキャラみたいな表情に乏しいキャラがいるのかもしれないけど。

 日米の有名人形劇を見比べてみると、その差は明らかだ。

ひょっこりひょうたん島
(NHKアーカイブス より)

SESAMI STREET
(SESAMI STREET JAPAN より)

 人形劇なのにみんな笑顔(しかし人形劇の人形にこんなに表情があったら、怒りや悲しみの表現がしづらくないのだろうか?)。



 企業やブランドや自治体にキャラクターがいるのがあたりまえになっているから何ともおもわないけど、よくよく考えると公式キャラクターというのは奇妙なものだ。

 キャラクターがいようがいまいが製品の品質にはなんの関係もない。子ども向けのお菓子ならキャラクター目当てに買う人もいるだろうが、たとえばぴちょんくんがいるからといってダイキン工業のエアコンを選ぶような人はまずいないだろう。

 それでもキャラクターは多くの団体が採用しているし、我々もそれを当然のように認知している。

『キャラクター・パワー』によれば、キャラクターには以下のような力があるという。

①存在認知力 他者に存在を認められるプレゼンスを作る
②理解伝達力 メッセージや意味を理解してもらうスピードを高め、わかりやすくする
③感情力 好意や親しみやすさなど感情的な絆を作り、つなげる
④イメージ力 魅力的なイメージを創造する
⑤拡散力 人に伝えたくなるクチコミをおこさせる
⑥個性力 他のグループとの違いやある価値観を持った人々との同一性がすぐに認識できる
⑦人格力 まるで人間と同じ精神や魂があるかのような実在性を感じさせる

 たしかにね。

 熊本の魅力を言葉や文章で長々と説明されるより、くまモンが名産品を持って立っているほうがずっと伝わりやすいし、記憶にも残りやすい。

 ネット上の解説記事なんかでも、解説役Aのアイコンと聞き手役Bのアイコンがあって、会話形式で解説する……なんてのもよく見る。あれも、キャラクターがあることでむずかしい話が頭に入ってきやすくなる効果がある。


 キャラクターには人間型や無生物型などもあるけど、なんといってもいちばん多いのは動物型だ。

 このように、キャラクター思考においてよく用いられるのが、動物シンボルです。動物シンボルを使用することで、本来は生命を持たない無機物の商品に対して、思い入れを持たせることができます。
 一方で、人間は人間をモノとして扱うこともできます。ナチスによるホロコースト、ルワンダやボスニアでの虐殺などは、人間を非人格化したがために可能となった行為でしょう。このとき虐殺する側の人間は、虐殺される側の人間を動物や虫のメタファーで呼ぶことが多いとされています。虐殺の対象を蛇やネズミなどのマイナス・キャラクターと考えてしまえば、正当性を手に入れることができるというわけです。

 動物には特有のイメージがある。

 犬だったらかわいさだけでなく忠実な相棒といったイメージがあるし、ネコやペリカンが運送会社のキャラクターに採用されているのは「大事に運ぶ」イメージによるものだろう。

 動物キャラクターを付与することで、対象に特定のイメージを持たせることができる。上で挙げられているように、マイナスのイメージを与えることにも使える。




……といった話が続いて、一章『キャラクターに依存する日本人』あたりは楽しく読んでいたのだが、だんだん辟易してしまった。

 なんだか、論理が強引なんだよね。「〇〇というキャラクターが成功したのは××だからだ」「このキャラクターにはこんな心理学的効果がある」みたいな話がたくさん出てくるんだけど、定量的な裏付けはまるでない。

 結局ぜんぶ著者の推量なんだよね。「キャラクターには強いパワーがあるから活用すべき」という結論が先に決まっていて、その結論にもっていくためにいろんな理屈を並べ立てているという感じ。まったくもって、理屈と膏薬はどこへでもつくなあという感想。


 基本的に紹介されているのは成功事例だけだしね。たしかにキャラクターを使ってうまくいった例は多いけど、キャラクターを使ったけどうまくいかなかった事例はその数百倍あるわけじゃない。たとえばくまモンやひこにゃんは成功したけど、金をかけて作ったのにほとんど効果を生んでいない地方自治体のマスコットゆるキャラはごまんとある。

 そのへんに目をつぶって「キャラクター・パワーすごい!」ってのはちょいとずるいぜ。


【関連記事】

動物キャラクター界群雄割拠



 その他の読書感想文はこちら


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿