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2021年9月9日木曜日

【読書感想文】藤岡 拓太郎『夏が止まらない』

夏が止まらない

藤岡拓太郎作品集

藤岡 拓太郎

内容(ナナロク社HPより)
2014年から2017年の間にネット上で発表した1ページ漫画、およそ500本の中から厳選した217本と、「あとがき」を含めた書き下ろしの文章5編を収録。


 おもしろかった。

 二コマ~十コマぐらいのショート不条理ギャグマンガ集。

 一作ずつタイトルがついてるんだけど、まずタイトルがおもしろい。そんで漫画本編でちゃんとタイトルのおもしろさを超えてくる。
 すごいものになるとタイトルがおもしろくて、一コマ目がもっとおもしろくて、二コマ目でさらにおもしろいという、二コマ漫画なのに三段跳びみたいな作品もある。跳躍力がすごい。

 ぼくはかつて仕事もせずに朝から晩まで大喜利やっていたことがあったぐらい大喜利が好きなんだけど、大喜利でお題それ自体がおもしろいときって、だいたい回答はおもしろくならないんだよね。
「ヤクザの親分がギャル神輿大好きだとバレた理由とは?」みたいな狙いにいったお題はおもしろくない。お題が回答のじゃまをするんだよね。お題はつまらないほうがいい。

 だけど『夏が止まらない』はお題もおもしろいのに、本編はそれを軽く超えてくる。
「適当に捕まえたおばさんに、自販機の飲み物をおごるのが趣味のおっさん」なんてタイトルだとそれ以上おもしろくするのむずかしいはず。でもそれをやってのけている。すごい。


 ちなみにぼくがいちばん好きだった漫画は
「仲直りをしたらしい小学生をたまたま見かけて、適当なことを言うおっさん」

 このお題に対して提示された漫画が、これの他はない、ってぐらい鮮やかな回答。
 ぜひ漫画を読んでみてください。




 大喜利っぽい漫画だなとおもって読んでいたのだが、案の定だった。

(途中にある著者のエッセイより)

 インターネット大喜利にどっぷりと浸かっていた。
 二十歳のころ。ネット上にはいろんな大喜利サイトがあり、そのいくつかに投稿をしていたのだが、自分が一番入れ込んでいたのはあるチャットルームで夜な夜な開催されていた大喜利。
 その部屋には毎晩七時ぐらいから人が集まりだし、くだらない話から始まり、誰かがお題を出すと、皆、思い思いにボケる。お題を出した人が、よきところで締め切る。そして全員、自分以外のボケの中から一番面白かったと思うものを一つ選ぶ。最も多くの票を集めた人が優勝となり、次のお題を出す。それを延々繰り返す。多い時には五十人以上が集まっていた。
 大学やアルバイト先では居場所がなく、ギャグ漫画もうまく描けなかった当時、いちばん笑い、笑わせ、息ができていたのはその部屋にいる時だった。
 猿だった。
 ネット大喜利という温泉に引きずり込まれた猿だった。その温泉はぬるま湯だから、いつまでも浸かっていられた。
 夜が深まるにつれ、部屋から人は減ってゆき、明け方近くになると再び雑談に切り替わり、やがて自然とお開きになる。そんな時間までディスプレイに照 らされていたときは、ウケた日であろうとスベッた日であろうと、いつも自己嫌悪を身にまとって布団にもぐり込んだ。
「今日もペンを握らなかった……」
 それでもまた夜が来ると目を血走らせてボケ狂う。

 なつかしい。ぼくがいたのはチャット大喜利ではなかったけど、だいたい雰囲気は同じようなものだった。

 ぼくがネット大喜利にどっぷり浸かっていたのは、新卒で入った会社をあっちゅうまに辞めて、無職~フリーターだった頃。
 当時は「ぼく無職なんです」とは言えなくて、仕事の合間に大喜利をやっているふりをしていたけど、ほんとは大喜利の間に呼吸しているような生活だった。
 こうやって大喜利をやっている人はいっぱいいるけど、自分だけが明日が見えない生活をしているんだろうとおもっていた。

 でも、それから十数年経って「いろんな事情で不安定な生活をしていたけど大喜利に救われていた」という人の話をちらほら読むようになった。
 こだまさんとかツチヤタカユキさんとか藤岡拓太郎さんとか。他にもいろいろ。

 ネット大喜利って、バックボーンとか一切関係なく、おもしろい回答をすれば評価してもらえるんだよね。無職で怠惰でモテなくて金がなくても、大喜利でおもしろい回答をすれば他者から認められて一位になれる。だから救いになっていたんだとおもう。

 もしかしたらあの頃ネット大喜利をやっていた人たちは、みんな病んでいたのかもなあ。いやじっさい病みすぎてあっち側に行ってしまった人もいたし。




 著者あとがきより。

片手間にイラスト付き大喜利や一コマ漫画をこさえていたのですが、ある時、たわむれにニコマ漫画を描いてみると、「!」と思いました。

 一コマからニコマにするだけで、ただの絵が、ぐっと「映画」になるんやな、ということに改めて気がついたのです。いや「映像」と言ってもいいんやけど、なんかかっこいいので「映画」と言わせてください。その、つまり、たとえば一コマ目で豚にかまれているおっさんを、ニコマ目で、顔をどアップにすることもできるし、ヘリコプターからの視点でとらえることもできる。あるいはニコマ目で時間を飛ばして、少年時代のおっさんを描いてもいい。石器時代のおばさんが寝ているところを描いてもいいし、まったく脈絡なくオムレツだけを描いてもいいのです。ニコマあれば、時間が表現できたり、カメラの動きが付けられるようになったりするということです。

 この人の作風は二コマ漫画にあっているとおもう。
(この本には十コマぐらいの漫画も収録されているが、二コマ漫画のほうが圧倒的におもしろい)

 二コマ漫画を自由自在に使いこなしている。二コマなのに奥行きがある。正確にいうと、タイトルのつけかたも秀逸なので、タイトル+二コマ。

 ぜひともこの道を究めて、二コマ漫画界の巨匠になってもらいたい。


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2020年3月16日月曜日

【読書感想文】ゲームは避難場所 / 芦崎 治『ネトゲ廃人』

ネトゲ廃人

芦崎 治

内容(e-honより)
現実を捨て、虚構の人生に日夜のめり込む人たち。常時接続のPCやスマホが日用品と化した今、仮想世界で不特定多数と長時間遊べるネットゲーム人気は過熱する一方だ。その背後で、休職、鬱病、育児放棄など社会生活に支障をきたす「ネトゲ廃人」と呼ばれる人々を生んだ。リアルを喪失し、時間と金銭の際限ない浪費へ仕向けられたゲーム中毒者の実態に迫る衝撃のノンフィクション。
ノンフィクションというより、ネットゲーム中毒になった人たちへのインタビュー集。
あくまで実体験を積み重ねただけで、考察は少ない。第9章の『オンラインゲーム大国、韓国の憂鬱』だけがちょっとデータ多めだけど、それでも個別の事例や談話が中心だ。

なので読んでいても「ふーん、たいへんだなー」とおもうだけ。
対策とか治療法とかは何もない。
ゲーム雑誌の企画でおこなわれたインタビューらしいので、ゲーム会社への批判的な視点もない。
つくづく何もない本。
まるでクリアもゲームオーバーもなくだらだらと続いてゆくオンラインゲームのように。



ゲームにはまっている(いた)人たちの話を読んでおもうのは、ネットゲームにはまる人が社会でうまくやっていけなくなるというよりも、社会でうまくやっていけない人がネットゲームにはまるのだということ。

家庭に問題があったり、学校や職場で疎外感を味わっている人がネットゲームに居場所を求めたり。
ゲームは避難場所なのだ。


ぼくはあまりゲームに夢中になることはないのだが、いっときネット大喜利なるものにはまっていた。2004年~2012年ぐらいのことだ。
インターネット上で大喜利好きの人たちが集まって、お題に対してこれぞとおもう回答を出すという遊びだ。で、回答に対してみんなで投票をして、順位をつける。
たあいのない遊びだ。でもこれに夢中になった。ひとつのお題に対して何十個も回答を考えたり、一週間ずっと回答を考えつづけたり。ぼくは回答もしたし出題もしたし自分で大喜利サイトも運営したしブログで他人の回答について寸評したしときには熱く議論をしたりもした。
傍から見ていると、なんでそんなことに夢中になっているの、それやって何になるの、と言いたくなることだとおもう。
でも当時のぼくは夢中になっていた。ぼくだけでなく、ネット大喜利に没頭している人は何十人、何百人といた。

だからネットゲームにはまる人の気持ちもわかる。
ネット大喜利で自分の回答が何十人の中で一位を獲ったときの快感は、実生活ではなかなか味わえないものだ。自分の才能が認められた! という気になる。

当時ぼくは就職活動がうまくいかなかったり、新卒で入った会社をすぐ辞めたり、体調を崩して無職だったり、ようやくフリーターとしてバイトをはじめたりと、あまりうまくいっていない時期だった。だからこそ余計にネット大喜利の世界は居心地が良かった。唯一の認められる場という気さえした。


それでも実生活に悪影響が出るほどネット大喜利にはまっていた人はそう多くなかっただろう。それは、ネット大喜利を運営しているのもみんな素人だったからだ。
今はどうだか知らないけど、当時のネット大喜利は運営側もみんな趣味でやっていた。金儲けの要素はぜんぜんなかった。課金制度もないし、やめられなくなるような巧妙なイベントやアイテムも存在しなかった。もしあったら、ぼくなんかはもっともっとはまって抜けだせなくなっていたかもしれない。

ぼくはもうネット大喜利をやっていないけど、当時知り合った人とは今も交流があるし(ほぼオンラインでだけど)、ネット大喜利があったから人生の低迷期をそこそこ楽しく乗りこえることができたともおもっている。

ゲームも同じで、ゲームばかりして人と出会わなくなるのは、きっとゲーム以外に原因があるからなのだ。
それを「ゲームこそが悪の根源だ! ゲームは一日三時間まで!」と言うのは、「薬を飲んでいる人は薬を飲まない人に比べて体調が悪い傾向がある! 薬を飲むな!」と言うようなものだ。
ゲームにはまっている人からゲームを取り上げてもその時間を勉強に向けるようにはならないよ。他の場所に逃げるか、何もしなくなるだけだよ。



数々の「ゲーム廃人」が口をそろえて言っていることがある。
「ゲームばっかりやってきたぼくが言うのは変ですが……」
「こんな私が言うのは、おかしいんですけど……」
「ぼくみたいな者が言うのは、何なのですが……」
 そう断って、反省とも自戒ともとれる警鐘を鳴らした。
 彼らは異口同音にこう語った。
「自分が親だったら、子どもには、やらせない」
子どものときにはまっていたらヤバかった、幼い弟にはやらせないようにしていた、自分の子どもにはやらせたくない。
ゲームにどっぷりはまっている人でも(はまっている人だからこそ?)子どもにはゲーム漬けになってほしくないとおもっているようだ。

大人とちがって子どもは、行動の選択肢が多くない。学校に居場所がなければ家にいるしかない。家でやることといったらゲームぐらいしかない。
「稼がないと生きていけない」「このままじゃ留年/退学になる」といったきっかけも少ないので、親や学校が何もしなければ外に出る機会はない。
子どもの場合、大人以上にとことんまではまりやすいのだろう(そしてゲーム廃人になってそのまま戻ってこられない子どもも多いのだろう)。

またおそろしいのは「親がゲーム廃人になった子ども」の将来だ。
 ところで、両親が毎晩のようにパソコンの画面を見続けていれば、子どもに与える影響は少なくないだろう。子どもは小学三年の男の子と小学一年の男の子がいる。上の子は三歳の時にパソコンに触れた。

(中略)

「おやすみなさい……」
 午後八時になると、子どもは一言いって布団に入るようになった。
「何か理由はわからないけど、午後八時になると勝手に布団に入ってくれる。ロボット化されていくというのか。子どもがゲームに理解のある子なので、『ぼくたちは寝なきゃいけない』という気持ちがあったのかも。主人がいないときは、主人の代わりにプレイをお願いすると、操作もできる。ゲーム仲間には、『ご主人より、息子のほうがゲームはうまい』という人もいます。上の子だけですけど、チャットもできるし、やりたいときには、ゲームをやらせてあげている」と言う。
 長男はおとなしい、喋らない子に育った。
「ママは、ちょっと忙しいからね」
 片山百合がゲームを優先しているので甘えてこない。用でもない限り下の子と一緒に遊んでいる。
さすがにこのエピソードには背筋が冷たくなった。

いやいやいや……。
「子どもがゲームに理解のある子なので」じゃねえだろ……。
どう考えたってすでに子どもの発達に影響出てるだろ……。


親本は2009年刊行なので、「ネトゲ」とはスマホゲームではなくPCゲームのこと。
小中学生でもスマホで手軽にゲームをやるのがあたりまえの今はこのときよりももっと状況が悪くなっているんじゃないかな。

「ゲームが教育に悪い!」と安易な決めつけはしたくないけど(そしてゲームそのものではなくゲームにはまる原因をなんとかしないと意味がないとおもっているけど)、子どもがゲームに大量の時間を投下するのはどう考えたって良くない。

体系的なゲーム依存治療法が確立されていない今、「子どもをゲームから遠ざける」が最適な方法になっちゃうんだよなあ。
ほんとはゲーム業界こそがゲーム依存症の治療にお金と労力を割くべき(そっちのほうが長期的には得をする)だとおもうよ。

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2020年9月8日火曜日

【読書感想文】失って光り輝く人 / こだま『いまだ、おしまいの地』


いまだ、おしまいの地

こだま

内容(e-honより)
集団お見合いを成功へと導いた父、とあるオンラインゲームで「神」と崇められる夫、小学生を出待ちしてお手玉を配る祖母……“おしまいの地"で暮らす人達の、一生懸命だけど何かが可笑しい。主婦であり、作家であるこだまの日々の生活と共に切り取ったエッセイ集。

こだまさんの第二エッセイ集。

前作『ここは、おしまいの地』は達観や悟りのようなものが随所に感じられた。
どんな逆境におかれても、立ち向かうでもなく、くじけるでもなく、ただ黙って受け入れてゆく。苦境に置かれた自分を、他人事のように笑い飛ばしてしまう。

そんな柳のような強さを感じたものだ。


ところが、今作『いまだ、おしまいの地』を読んで心配になった。
〝おしまいの地〟での不遇な生活をどこか他人事のように楽しんでいたような乾いたユーモアが今作ではあまり感じられない。

まるで必死に「自分は大丈夫」と自らに言い聞かせているようだ。
その姿は、達観とはほど遠い。


仏教には「執着(しゅうじゃく)」という言葉がある。
物事にとらわれ、心がそこから離れられない状態。執着はすべての苦しみの原因とされる。
『ここは、おしまいの地』では執着から解き放たれているかのように見えるこだまさんが、『いまだ、おしまいの地』では執着にふりまわされている。

小説やエッセイが評価されて他者から期待されるようになったことで、一度は手放した執着をまた取り戻したのかもしれない。


なんだかずいぶん思い詰めているようあ……。
大丈夫か、このままだとどこかで破綻するんじゃないか、この人近いうちに失踪するんじゃないか……。

と心配しながら読んでいたのだが、2020年に入って世間がコロナ禍で騒ぎだしたあたりのエッセイから急におもしろくなった。
活き活きとしているのが伝わってくる。

そうか、この人はいろんなものを手にして期待をかけられているときより、失ったときにこそ光り輝く人なのだ。
自粛期間でいろんなものを失ったことで、かえって強くなったのかもしれない。

どうか今後も失ったものを笑いとばしてほしい、と無責任におもう。

こだまさんの失踪記も読んでみたいけどな……。
(あと諸々の事情でむずかしいのかもしれないけど、けんちゃんの話をまとめて読みたい)



やはり印象的なのは、詐欺に遭った顛末。

SNSで知り合ったメルヘン氏(仮名)にだましとられた数十万円を取り戻すべく、メルヘン氏の実家に乗りこむシーン。

 メルヘンは、しばらく前に母親と喧嘩して家を出て行ったきりだという。母親は私とそれほど歳が変わらないように見えたが、父親は高齢だった。ふたりとも状況を理解するのに精一杯で、心が追いついていなかった。「両親は他界した」という息子の一文をどんな思いで読んだのだろう。 
 正直に言うと、両親に会う直前まではどこかわくわくしていた。詐欺師の実家に押し掛けるなんて一生に一度の経験だから。 
 だけど、これはドラマでも探偵ごっこなんかでもない。チェーンの隙間から戸惑う母親の顔が見えた瞬間、冷水を浴びせられたように目が覚めた。私の薄っぺらい「善意」が人を刺している現場を目の当たりにした。私がメルヘンを突き放していれば、ここまで被害額は膨らまず、両親を悲しませずに済んだのだ。自分が損して終わるだけならよかった。シェパードの散歩みたいに「阿呆だなあ」と笑えるラインは、とっくに越えてしまっていたのだ。

大金をだましとられた被害者なのに、加害者やその家族の心境をおもいやり、自らの行動を責める。

まちがいなく善人の行動なんだけど、たいへん残念なことにこの世は善人が生きやすいようにはできていない。


少し前に、こんな光景を見た。

雨に打たれているホームレスのおっちゃんに傘をさしかけてあげる子。

おじさんもさしかけられた傘に気づいて
「えっ、あっ、ありがとう。でもええよ。大丈夫やから。やさしいな」
と驚いていた。

なんて心優しい子なんだろう。
道徳的には大正解だ。

でも。
世渡り的には不正解だ。たぶん。

もし自分の娘が同じことをやっていたら
「君がやったことはすばらしい。その優しい心はずっと持ちつづけてほしい。でもそれはそれとして、知らないおじさんに近づいて万が一あぶない目にあったらいけないから、今後はやめてほしい。あのおじさんを救うのは政治や行政の仕事だから」
と言ってしまうとおもう。

我ながら小ずるいオトナだなあとおもうけど。


小ずるい人間のほうがうまくやっていけて、ホームレスや詐欺の加害者に心から同情してしまう優しい人のほうが生きづらい。

まったく嫌な世の中だ。
そんな世の中にしている原因の一端はぼくのようなオトナにあるんだけど。


しかし詐欺をやる人って、ちゃんとだまされやすい人を選んでるんだなあ。
かんたんにだまされてくれる人、だまされたと気づいても「自分にも落ち度はあった」と感じてくれる人を狙ってるんだな。

「詐欺をするようなやつは家族親戚もろとも地獄の底まで追いかけてケツの毛までむしってやる」と考えてるぼくのような人間のところには来てくれないんだもん。

さすがはプロの仕事だ、と変なところで感心してしまった。



なつかしい、ネット大喜利のこと。

 対戦者を募集している人がいたので適当にハンドルネームをつけて入室してみた。すると、さっそく一問目のお題が表示される。「ボケ」の投稿まで数日あった。空っぽだった頭の中に突如降りてきた大喜利のお題。その瞬間から、夕飯の買い出しに行くときも、味噌汁の出汁を漉しているときも、バスタブを洗っているときも、眠りに就く前の布団の中でも大喜利のことばかり考えるようになった。生活自体は何も変わらないのに脳内がめまぐるしく動き、満たされていた。
 制限時間ぎりぎりまで考え、指先を震わせながら投稿。あとは、どちらが面白いか他の参加者が投票する仕組みだ。結果が出るまで落ち着かなかった。何かを楽しみにそわそわ待つなんて、いつ以来だろう。もう結果が出たか。まだか。数分おきにサイトを覗いた。
 私は初めての対戦に勝っていた。「面白い」とコメントまで付いていた。実生活でそんな褒め言葉をもらったことはなかった。そうか、ネットならば、文章ならば、私も人を笑わせることができるのかもしれない。それは大きな発見だった。

 一口に大喜利といっても様々なサイトがあった。数百人が一斉に投稿して面白さの順位を競うもの、イベント形式の勝ち抜き戦、数人でボケを相談し合うチーム戦。私はすぐその世界にのめり込み、いくつもの大喜利サイトに登録して渡り歩くようになった。何年も続けるうちに自然とネット上の大喜利仲間が増えていった。

ぼくも同時期にネット大喜利にはまっていた。
こだまさんがブログで開催した大喜利に参加したこともある。
こだまさんが、ぼくが主催した大喜利イベントに参加してくれたこともある。

当時ぼくは大喜利を「趣味」だとおもっていたが、今にしておもうと「逃避場所」だった。

就活がうまくいかず、やっと就職したものの一ヶ月でやめ、実家で一年引きこもり、フリーターになって先の見えない暮らしをしていた。
ぼくがネット大喜利にはまっていたのはそういう時期だった。

夜遅くまでチャットをしたり、肌身離さずメモ帳を持ち歩いて大喜利の回答を考えたり、夢の中で回答をおもいついたときは飛び起きてメモをとったり(翌朝見るとぜんぜんおもしろくないんだこれが)、ときには大喜利のことで他の人と喧嘩をしたりもした。

人生の関心事の八割ぐらいを一円にもならないネット大喜利に捧げていたのだから、今おもうと狂っている。

でも当時は自分が異常だとはおもわなかった。なぜなら、同じように大喜利ばかりやっている人が他にもたくさんいたから。
もしかしたらあの人たちも狂っていたのかもしれない(まっとうな生活を送りながらたしなんでいた人もいっぱいいたとおもうが)。

こだまさんの追想を読んで、ああネット大喜利に居場所を求めていたのはぼくだけじゃなかったんだとちょっと安心した。


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2017年7月20日木曜日

自殺者の遺書のような私小説/ツチヤタカユキ 『笑いのカイブツ』【読書感想】

ツチヤタカユキ 『笑いのカイブツ』

内容(「e-hon」より)
人間の価値は人間からはみ出した回数で決まる。僕が人間であることをはみ出したのは、それが初めてだった。僕が人間をはみ出した瞬間、笑いのカイブツが生まれた時―他を圧倒する質と量、そして“人間関係不得意”で知られる伝説のハガキ職人・ツチヤタカユキ、27歳、童貞、無職。その熱狂的な道行きが、いま紐解かれる。「ケータイ大喜利」でレジェンドの称号を獲得。「オールナイトニッポン」「伊集院光 深夜の馬鹿力」「バカサイ」「ファミ通」「週刊少年ジャンプ」など数々の雑誌やラジオで、圧倒的な採用回数を誇るようになるが―。伝説のハガキ職人による青春私小説。

「笑いに生きた」「笑いに人生を捧げた」なんて言葉があるけど、この本を読んでしまったらもうその表現は使えない。なぜなら、これほどまで笑いに生きた、いや笑いに狂った人間は他にいないだろうから。

「こんなところで止まってたまるか!」と思った。僕はもっと、加速したかった。21歳で死ぬつもりで生きていた。次第にアルバイトという行為は、時間の空費だと感じるようになった。すべての時間を大喜利に費やしたいと思うようになった。
 ある夏の暑い日、給料を受け取るとそのままバイトを辞めた。
 僕は実家にいながら無職になった。
 母の冷たい視線をまるっきり無視し、起きている時間を大喜利に費やせる状況になった僕は、一日に出すボケ数のノルマを1000個から2000個に増やした。
 朝から晩までクーラーのない部屋で、裸で机にかじりついて、自分でお題を考えて自分で答え続けていた。ノート一冊を一日で使い切るくらい大喜利をした。
 とにかく、もっともっと加速したかった。誰よりも速く、濃く、生きたい。光の速さで生きて、一瞬で消えていきたかった。
 だけど、そんな気持ちとは裏腹に、いつもボケが1500個を超えたあたりで、誰かに殴られているみたいに、頭がガンガンして、死にたい気分になった。加速したい気持ちに、脳と身体が全然ついてこれていなかった。
 それでも毎日、ノルマの2000個に到達するまで、僕は絶対に、全力疾走をやめなかった。

イカれてるなあ。
誰に強制されたわけでもないのに、誰に賞賛されるわけでもないのに、ひたすら大喜利のボケを考えつづける。自分にノルマを課し、起きている時間のすべてを大喜利に費やし、寝る時間も削り、食べるものも減らし(「バイトする時間があれば大喜利のボケを〇個考えられるから」というのがその理由)、ひたすら大喜利に没頭する。ラジオ番組で採用されるための傾向を探り、戦略を立てる。大喜利の素材をインプットするために次々と本を読む。
彼にとっては趣味でもなければ努力でもない。「やらなければ死ぬ」呼吸のようなものだ。
どえらい人間だ。ここまで何かに打ち込める人間はまずいないだろう。テレビや舞台で活躍しているどの芸人よりも真摯に笑いに向き合っているはずだ。


で、誰よりもお笑いに打ちこんできたツチヤタカユキ氏がお笑いの世界で成功を収めるのかというと、そうではない。構成作家や漫才作家として何度もチャンスを棒に振り、挫折をくりかえす。
それは、お笑い以外のことがまったくできないから。

「お笑いと関係あらへんサラリーマンみたいなことやっとるだけや」
「おまえもやったらええやん」
「できんからこうなっとんのじゃ。お笑いの世界やのに、売れるのに、お笑いの能力関係ないって時点でな、オレの構成作家としての敗北は決定してん。それ以来な、なんかな、本気でお笑いやっとることが、アホらしくて、しょうがなくなってもうてん。オレ、これ何やってんねやろ?って。なんのためにこんな一生懸命やってんねやろ?って。何一つ報われへんのに。誰一人、見てくれてへんのに。でもな、そう思っててもな、どんどん技術とかセンスが上がって、オモロなっていっとんねん。先輩作家に1分しか使わんといたらな、1分でめっちゃええボケ出せるように、進化していきよんねん。それがホンマにむなしいねん。マジで、死にたなるねん。どうせやったら、もうお笑いに関する能力、全部、なくなってくれた方が幸せやわ、こんなんやったら」

お笑いのためならなんでもできるのに、人付き合いや社交辞令がまったくできない。
笑いを追及するために注いでいる情熱の半分、いや1割でも他のところに向けていれば「変わったやつだけどすごいやつ」としてもうちょっと評価されていたんだろうけど、その1割さえも振り分けることができない。
それでも彼の才能を見抜いてチャンスをくれる人もいる。だが彼は自らそのチャンスから逃げてしまう。そして苦しみ、のたうち回る。
10年間そのくりかえし。

努力の方向性が違うのだ。
めちゃくちゃキレのいいフォークボールを投げられるのに、他の変化球は投げられないしキャッチャーのサインは無視するし、守備はからっきし。それなのにフォークボールの練習ばかりしている。そんな感じ。

でも方向性が違うことは周囲にはさんざん言われているし、自分自身でもよくわかっているんだと思う。この人はうだうだ考えているだけじゃなく、ときどき思い切った行動を起こしている。吉本の劇場に飛び込んだり、漫才の台本を書くために東京まで移住したり。きっと自分自身でも「自分を変えなきゃ」という気持ちを持っているのだろう。

それなのに曲げられない。ちょっと迂回すれば壁の向こう側へ行けるのに、ずっと壁にぶちあたってはもがいている。

なんて不器用なんだ。いや狂っている。笑いに対して。



笑いの世界以外にも、「狂人と紙一重」と呼ばれる人は存在する。
ゴッホ、アインシュタイン、ヴェートーベン……。天才と呼ばれる人は、たいてい異常なエピソードをいくつも持っている。
それでも彼らはその圧倒的な才能で評価されている(その何百倍もの、評価されなかった「天才と紙一重」の人がいたんだろうけど)。
彼らが評価されているのは、ちゃんと才能を見抜いてくれたり、プロモーターとして売り込んでくれたりする人に恵まれたというのが大きいのだろう。

ツチヤタカユキの不幸は、その圧倒的な才能を「笑い」という、人付き合いとは切っても切りはなせない分野に向けてしまったことにある。
彼がその執念を、文学や絵画や音楽や陶芸に向けていたなら、あるいは超一級の天才として認められていたかもしれない。
なぜならそれらの芸術作品は基本的に作者の人間性とは無縁に評価されるものだから。石川啄木も太宰治もモーツァルトも才能がなければただのクズ野郎だけど、作品は作者の振る舞いとは関係なく(むしろマイナスがプラスになって)今でも燦然と輝いている。

でも「笑い」はきわめて属人的な表現手段だ。
同じことを同じ間で同じ調子で言ったとしても、明石家さんまが言うのとまったく無名のお笑い芸人が言うのとでは笑いの量は変わってくる。
親しい友人の冗談はおもしろく聞こえるし、クラスの人気者はたいしたことを言わなくても笑いがとれる。
表舞台に立つ芸人なら言わずもがなだし、台本を考える裏方だって、挨拶すら返さない愛想のない男が考えた台本は採用されにくいだろう。

そういう世界をリングにして、それでも台本の中身だけで勝負してやると闘いを挑みつづけているツチヤタカユキという男の人生は「そのストロングなスタイルはかっこいいけど、さすがにどっかで折り合いをつけないと死んじまうぞ」と言いたくなる。

ぼくみたいなリングに立ちもしない外野の勝手な意見なんてツチヤタカユキ氏は唾棄するだけだろうけど、やっぱり言わずにはいられない。たぶんもう百回以上も言われてきたんだろうけどね。



『笑いのカイブツ』を読んで、自殺者の遺書ってこんな感じなのかなと思った。読んでいて、鼓膜の奥がわんわんと震えるような魂の咆哮が聞こえた。
「これを書き終えたらこいつ死ぬんじゃないか」ってぐらいの迫力。

今さら彼が要領よく世の中を渡ってゆくことはできないだろうけど、きちんとマネジメントしてくれる人に出会ってくれたらいいなあと切に願う。
彼ほどの才能が埋もれたままであるのは、社会にとっても大きな損失だから。


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2018年9月5日水曜日

【読書感想文】類まれなる想像力/テッド・チャン『あなたの人生の物語』


あなたの人生の物語

テッド・チャン

内容(e-honより)
地球を訪れたエイリアンとのコンタクトを担当した言語学者ルイーズは、まったく異なる言語を理解するにつれ、驚くべき運命にまきこまれていく…ネビュラ賞を受賞した感動の表題作はじめ、天使の降臨とともにもたらされる災厄と奇跡を描くヒューゴー賞受賞作「地獄とは神の不在なり」、天まで届く塔を建設する驚天動地の物語―ネビュラ賞を受賞したデビュー作「バビロンの塔」ほか、本邦初訳を含む八篇を収録する傑作集。

映画『メッセージ』の原作となった『あなたの人生の物語』を含め、八篇の作品を収めたSF短篇集。

とにかく想像力がすごい。
この歳になって小説に驚かされるとは。

「すごく高い塔を建てたら」「知能がものすごく高くなったら」なんて想像をしたことは誰しもあるだろうが、ここまでつきつめて考えた人はそういないだろう。
なぜなら現実や知識がじゃまをするから。テッド・チャン氏はその制約を軽々と飛びこえ、壁を一枚隔てたところにあるまったく新しい世界へと連れていってくれる。この飛躍がじつに気持ちいい。



ぼくはかつて大喜利を趣味にしていた。ネット上でたくさんの人たちが大喜利をする世界があったのだ。
そこではとにかく現実離れした想像力が求められた。
たとえば「大相撲力士が副業で殺し屋をはじめた。どんな殺し方をする?」みたいなお題が出される。
現実的にはありえないシチュエーションだ(現実に殺し屋をやってる力士がいる可能性は否定できないが)。

現実の地続きで考えるなら「張り手で殺す」「上に乗って押しつぶす」「日馬富士にビール瓶で殴ってもらう」みたいな回答になるが、これではまったくおもしろくない。
大喜利として成立させるためには、現実の延長ではないまったく別の世界を構築しなければいけない。たとえば「番付表の下のせまいところに追いこんで四股名と四股名で挟み殺す」のような(この回答がおもしろいかどうかはおいといて、少なくとも大喜利としては成立する)。

今ぼくらが持っているのとはべつの常識を築かないといけないのだ。

『あなたの人生の物語』で描かれるのは、まさにこの大喜利的な発想だ。
奇抜なアイデア、ずば抜けた想像力、そしてそれを支える重厚な知識。どれをとっても一級品の作品集だった。ほれぼれする。



たとえば『バビロンの塔』。
文字通り天まで届く塔を建てる人々を描いた作品だが、情景描写がなんともすばらしい。
 何週間かが過ぎるうちに、毎日空を渡る太陽と月の旅の頂点が、しだいしだいに低くなってきた。月は塔の南面を銀色の光で染め、こちらをながめるヤハウェの目のように輝いた。まもなく鉱夫たちは通過する月ときっかりおなじ高さに達した。最初の天体の高さにたどりついたのだ。鉱夫たちはあばたになった月の表面をながめ、どんな支えをもはねつけたその堂々たる動きに驚嘆した。
 やがて、彼らは太陽に近づいていった。いまはバビロンからだと太陽がほぼ真上に見える夏の季節なので、太陽はこの高さで塔の間近を通るわけだ。塔のこの部分には家族がまったく住んでおらず、またバルコニーもない。なにしろ大麦でさえ炒られてしまうほどの暑さだ。塔の煉瓦のすきまを埋めるモルタルは、瀝青だと融けて流れるので、粘土が使われている。これだと熱で文字どおりに焼き固められるからだ。日中の気温からみんなを守るため、柱の幅がひろがり、ほとんど斜路をおおい隠すほどの連続したトンネルになった。ところどころにあいた細いすきまが、ひゅうひゅう唸る風と、刃のようにぎらつく金色の日ざしを塔の中に通していた。
小説を書く才能とは、いかにうまくほらを吹くかだ。この文章はなんと見事なほらだろう。
「ものすごく高い塔を建てたら?」というお題に「高すぎて折れる」とか「地面が沈む」とか「上のほうは酸素が薄くなる」なんて回答ではおもしろくない。

「月や太陽の高さを超える」「あまりに高すぎて塔の下のほうから少しずつ夜になる」という大胆な発想。そして、まるでその世界に行ってきたかのような丁寧な描写。
月や太陽より高い塔など建てられないことを知っているのに、この文章を読むと月よりも高い塔の姿が浮かんでくるようだ。感服。



『理解』も、作者の類まれなる想像力が存分に発揮された小説だった。

天才が登場する物語は少なくないが、我々の想像力を上回る天才というのはめったにいない。
ただ単に物事をよく知っている人だったり、計算が速かったり、あるいは神のようになんでも言い当てる人だったりで、それって「博識」「頭の回転が速い」「予言者」なだけで天才とは違うよね、と言いたくなる。
作者の想像力が足りないから天才を描けないのだ。
小学一年生に「どんな人が天才だと思う?」と訊いたら「計算が速くてまちがわない人」というような答えが返ってくるだろうが、ぼくらの思いえがく天才もそれと大差ない。

『理解』はあるきっかけで天才的な頭脳を手に入れた男を描いた物語だが、ここではちゃんと天才が描かれている。

子どもと大人は頭の使い方が違う。成長するにつれてより抽象的、深遠な思考が可能になる。大人が抽象的な思想の話をしても、五歳児にはまるで理解できないだろう(できない大人も多いけど)。
それと同じように、ぼくらよりはるかに頭のいい人が難解な話をしていたら凡人にはまったく理解できないだろう。どれだけ時間をかけたって。
だからほんとの天才はぼくらには理解できない。「天才だ」と思わせるように描いてしまったら、それはもう天才じゃないのだ。

この物語の主人公はぼくらの生きる世界の数段上の次元で物事を考えている。もちろん読んでいるぼくにはまったく理解できない。だが「すごすぎて理解できない」ということは理解できる。それだけの説得力がこの文章にはある。
独自の言語を作る、音楽によって他人の精神に任意の影響を及ぼすことができる、短い言葉で相手の精神に攻撃を加えることができるなど、「自分の延長の天才」とはまったく違う天才の姿を見ることができる。



表題作『あなたの人生の物語』もすごい話だった。
地球にやってきた宇宙人とコミュニケーションをとろうとする話。これ自体はSFではおなじみの設定だが、言語学者のアプローチを通して描いているのがおもしろい。

宇宙人の言語が地球のものとはまったく異なる。
  • 発話用の言葉と文字がまったく別の文法から成っている。
  • 文字は複雑な線の組み合わせから成っている。長い文章がひとつの文字で表せてしまうぐらい。
  • 宇宙人は因果律によって物事を考えていない。過去と現在と未来を同時に把握している。
……と説明してもなにがなんだかわからないが、とにかく地球人の感覚ではまったく理解できない言語を持っているのだ。
言語が異なるということは、彼らはまったく異なる感覚を持っていることになる。ということは……。
この先はぜひ読んでいただきたいが、異星人ものだと思っていたら時間もののSFになっていくのがすごい。

いやあ、「よくこんな設定思いついたな」とただただ感心するばかり。
「原因があって結果がある」ことなんてあたりまえだと思うじゃない。それを疑わないじゃない。ふつうは。



『顔の美醜について』はわりとポップなSF作品。
「カリー」と呼ばれる美醜失認処置をめぐる話。カリーを受けた人は、人の顔の美醜の判断がつかなくなる。人の見分けはつくが、相手が美人なのがブサイクなのかがわからなくなるのだ。
カリーによって容姿にとらわれずに人と接することができると主張する人々、それに対して人を道徳的にさせるのは医療措置ではなく教育であるべきだと反論する人や、誰もがカリーを受けたら商売が成り立たなくなる広告業界や化粧品業界の妨害が加わってさまざまな議論が展開される……。

美容整形のような「自分の容姿が良くなる」ではなく「他人の容姿の良さがわからなくなる」処置ってところがミソだね。
他人には道徳的になってほしいけど、自分が道徳的になることには二の足を踏んでしまうからね。「人を見た目で判断するな」と言っている人でも、じゃあ世界一醜い外見の人を恋人にできるかっていわれたら躊躇してしまうだろう。
人を見た目で判断しなくなるのは善なのか、それとも美的感覚という優れた能力を放棄することなのか。
ぼくだったら……。うーん、仕事のときはカリーをして、プライベートでははずすかなー。



ここで紹介した作品だけでなく、総じて高いレベルのSF短篇集。

驚くべきは、これが選りすぐりの傑作選ではなくデビューしてから発表された短篇を順番に集めた作品集だということ。
すべての作品が高い水準を保っているというのがすごい。

他の本も読んでみたいと思ってすぐ調べたが、寡作にしてテッド・チャン氏の単著はこれだけなのだとか。
ううむ、もっとテッド・チャン氏の想像力に触れたいぜ。

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2020年5月19日火曜日

座王


『千原ジュニアの座王』という深夜番組がある。
これがおもしろい。毎週欠かさず観ている。
おおさかチャンネルというのにも入って(無料会員だが)過去の放送分も全部見た。

関西ローカルだとおもうけど、おおさかチャンネルだとどこにいても観られるはずなのでぜひ多くの人に観てほしい。

観たことのない人に説明すると、芸人たちが椅子とりゲームをする。
最初は十人、椅子は九つ。ひとつずつ椅子を減らしていき、最後まで座っていた人が優勝。
もちろんテレビでやるわけだからただの椅子とりゲームではない。

誰かひとりが座れないところまではふつうの椅子とりゲームといっしょだが、座れなかった芸人は座っている芸人の中から誰かひとりを指名して対戦する。
何で対戦するかは、椅子に書かれているお題で決まる。
「大喜利」「写真(写真で一言)」「モノマネ」「モノボケ」「ギャグ」「1分トーク」「歌(メロディにあわせて歌う)」などのお題にくわえ、「寝言」「叫び」「中継」「プロポーズ」「キス」などちょっと変わったお題もある。
椅子に座れなかったほうが先攻、指名されたほうが後攻で対戦。
で、大喜利なら大喜利で対戦し、審査員が勝敗を判定。負ければそこで退場。勝てばそのまま椅子とりゲームを続ける。
最後はふたりが対戦し、勝った方が「座王」となる。



このルール、よくできている。
まず、芸人のいろんな一面を引き出せる。ふだんはギャグをしない人がギャグの椅子に座ってしまったために指名されたり、ものすごく音痴な人が「歌」で対戦するはめになったり。

苦手だからといって弱いとはかぎらないのがまたおもしろい。「モノマネなんかやったことない……」と言いながらめちゃくちゃおもしろいモノマネを披露する人がいたり。
「モノマネならまず負けない」という人が大喜利であっさり負けたりするのも勝負の妙だ。

また、通常ネタを披露して審査される場合、後からやったほうが有利になりやすい。
直近で観たネタのほうが印象に残りやすいからだ。

だが『座王』においては、先攻の勝率のほうが高い。
なぜなら自分でお題や対戦相手を選べるから。
先攻のほうが有利、だが先攻になるということは椅子に座れず対戦しなくてはだならないということ。対戦数が多いほど決勝戦まで残れる確率は低くなる。
じゃあ座りつづけたほうがいいかというと、不得意なジャンルの椅子に座ってしまった場合、不得意なお題で勝負しなくてはならない。

だから座るほうがいいのか、座らないほうがいいのかというのは一概にはいえない。
これも駆け引きが生まれる要素になる(じっさいあえて座らない人もいる)。

ほんとによくできたルールだ。
(ところで、これ十年ぐらい前の大晦日か正月にテレビ東京でやってたよね? かすかに記憶にあるのだが。
 それがなぜ最近関西テレビの番組になったのかの経緯は謎だ。
 テレビ東京の番組には千原ジュニアも出演していたのでパクったのではなくフォーマットを持ってきたのだとおもうが)



この番組では笑い飯の西田さんが圧倒的な強さを誇っているが、ロングコートダディ堂前さん、ミサイルマン岩部さん、R藤本さんなど、他の番組ではあまり観ることのない芸人が『座王』では大活躍しているのもおもしろいところだ。
実力があればどんどん起用される。
R藤本さん(常にベジータのモノマネしてる人)なんか、はじめはたぶん「ためしに出してみた」みたいな感じだったとおもうのだが、初登場からいきなり二連覇して意外になんでも器用にこなせるところを見せつけ、今ではほぼレギュラーみたいな扱いになっている。
まさに実力で勝ち取った椅子、という感じだ。

ミサイルマン岩部さんは序盤はあまり強くなかったのだが、対戦以外のところでも武将キャラを押しだしているうちにそのキャラが認知され、座王になくてはならない存在になった(そして対戦でも勝つようになった)。
対戦だけでなく、椅子取り部分や敗退後のコメントで活躍する芸人もいて、見どころが多い。



『座王』、六歳の娘も大好きだ。
はじめはぼくに付き合って観ていたのだが、最近は娘のほうから「座王観よう!」と誘ってくる。

以前、『座王』の中で「この番組は意外にも子どもにも人気だ。たぶん子どもは椅子取りゲームパートだけを楽しんでいるんだろう」と語られていたが、そんなことはない。
うちの娘はちゃんと対戦やコメントを楽しんでいる。
(とはいえ大喜利やモノマネなんかは理解していないことのほうが多いが)

何度も観ているうちに各芸人のキャラをおぼえて
「えー、さいしょから西田さんに挑戦するなんて!」
「ベジータは1分トーク嫌いやから座らんかったわ」
「この人はギャガ―やから先攻が勝つんちゃうかな」
などと言いながら観ている。

ちゃんと駆け引きを楽しんでいるのだ。たぶんテラスハウスとかを観るのと同じ楽しみ方をしている。
テラスハウス観たことないから知らんけど。

2022年9月20日火曜日

【読書感想文】いっくん『数学クラスタが集まって本気で大喜利してみた』 / 数学は直感を超える

数学クラスタが集まって本気で大喜利してみた

いっくん(著)  店長(構成協力)

目次
ケーキを三等分せよ
時計の文字盤をデザインせよ
地球の直径を求めよ
規則性に反するものを見つけよ
ハートのグラフを描け
答えが1になる問題を考えよ
角を三等分せよ
大定理でくだらないことを証明せよ
円周率を求めよ
起こる確率が無理数である事象を考えよ
ほとんどの整数の数をいえ
「病的な数字」の例をあげよ
1=2を示せ
不思議な図形の例をあげよ
満室の無限ホテルの部屋を空けよ
とにかく大きい数をあげよ

 あれこれ書くより、このツイートをいちばん見てもらうのがいちばん早い。


 以前このツイートを見て「おお、すげえ!」となったので(理解はできない)、『数学クラスタが集まって本気で大喜利してみた』を読んでみた。




 おもしろかったのは『規則性に反するものを見つけよ』の章。

 タイトルだけだと意味がわかりづらいけど、たとえばこんな話。

 n^17+9と(n+1)^17+9の最大公約数は?

 最大公約数とは、2つ以上の数に共通している約数(公約数)うち最も大きいもののことです。では、n^17+9…①と(n+1)^17+9…②の最大公約数はいくつになるでしょうか?

 まずn=1を代入すると、
 ①1^17+9=1+9=10
 ②(1+1)^17+9=131072+9=131081
となり、10と131081の最大公約数は1です。
 次にn=2を代入すると、①が131081、②が129140172となり、この最大公約数も1です。
 これをn=3,4,5…と続けていっても、最大公約数は1のまま。どこまでいっても、ずっと最大公約数は1に違いない!と思いきや、

n=8424432925592889329288197322308900672459420460792433
で、
急に最大公約数が1ではなくなるのです。
これはコンピュータの演算でわかった結果ですが……それまでに8424432925592889329288197322308900672459420460792432回も同じ流れが続いていたことを考えると、規則性が裏切られた時のインパクトはすさまじいものがありますね。

 ある命題があって、nが1のときは真である。nが2のときも真である。nが10のときも100のときも1000のときも1億のときもその1億倍のときもずっとずっと真である。

 にもかかわらず、nが8424432925592889329288197322308900672459420460792433 のときは真ではない。

 うそー。そこまできて裏切られることある?


 この話を妻(工学部出身)にしたところ、「だから数学は嫌いなんだ」と言われた。妻いわく、物理の世界だったら一万回試して同じ結果になれば100%と見なしていい。まあ物理に限らず日常生活においてはそうだろう。1兆回やって同じ結果になれば、1兆1回目も同じになるに決まっている。

 ところが数学の世界ではそうは断定できないし、じっさいに8424432925592889329288197322308900672459420460792433回目で裏切られてしまうこともある。

 人間の感覚で理解できる範囲を超えている。


 物理はさ、理解できなくてもなんとなくは想像できるじゃない。「この材質・形の物体をこの角度で投げればだいたいこのへんに届くな」ってのはわかる。もちろん予想と外れることはあるけど、10メートル先に行くと予想した物体が100メートル後方に行くようなことはない。

 でも数学ではそういうことが起こってしまう。




『1=2を示せ』も、直感を見事に裏切ってくれる。



 どうだろう。この証明。

  2=√2 になるわけないから、まちがっていることはわかる。わかるけど、いざ反証しようとするとむずかしい。

 物理の世界だと、〝かぎりなく直線に近づけた曲線〟は直線として扱っていいもんね。というか現実世界にはまったく凹凸のない直線なんて存在しないし。

 でも数学の世界だと矛盾が生じてしまう。うーん、わずらわしい。

 



 とまあ、数学が嫌いでない人からしたら楽しめる本だとおもう。細かい数式はぼくにはぜんぜん理解できなかったけど(高校のときは数学めちゃくちゃ得意だったのになー。高校数学レベルではまったくついていけない)、


 で、まあ、おもしろかったんだけど、残念だったのは「第1章の『ケーキを三等分せよ』がいちばんおもしろかった」ってこと。尻すぼみ感がある。

 大喜利と言いつつ、オリジナルの回答じゃないのも多いしね。数学界で有名な解法や議論とか。昔の有名数学者が考えたものを持ってきて「大喜利の答えです!」っていうのはちがうんじゃないの、とおもってしまう。まあ看板が悪いだけで中身は悪くないんだけどさ。


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2023年10月24日火曜日

キングオブコント2023の感想

 キングオブコント2023



カゲヤマ(謝罪)

 手を変え品を変えお尻を出すコント。まずお尻を見せてインパクトを与え、その後は「どう見せるか」大喜利状態。両側で見せる、上半身はスーツ、立ち上がって見えそう、クロス引き、と様々なパターンで尻を見せて飽きさせない展開。

 非常にばかばかしくて、うちの五歳児は大笑いしていた。五歳児が審査員だったらまちがいなく優勝。

 気になったのは、ツッコミ役である部下がどう見ても若手には見えないところ。顔も体型も重役だもの。

 尻を出して笑いを取るのはずるいよなあとおもいつつ、でもトップバッターでドカンとウケるにはこれぐらいしなきゃだめだよなあ。トップでファイヤーサンダーみたいなスマートなコントをやっても通過できないもの。

 これ、今の時代だから「そんなわけねえだろ」と笑えるけど、三十年前だったら「これをやらされてる会社もあるんだよなあ」で笑えなかったかも。


ニッポンの社長(喧嘩)

 海外に旅立ってしまう女性をめぐって、友人でもある男同士が殴り合う、という手垢ベタベタなシチュエーションでスタート。後半のシュールさを際立たせるためにあえてベタな設定にしたのだろうが、それにしてももうちょっと真面目にドラマを作ってほしいとはおもう。

 片方があくまで拳で語り合おうとしているのに、もう一方がナイフを持ち出したところで空気が一変。ここでしっかりウケたのはカゲヤマが場をめちゃくちゃに壊してくれたおかげだろうね。そうじゃなかったらいきなり刺すところでヒかれてたんじゃないかな。

「友だち同士の喧嘩なのに凶器を持ち出す」「どれだけ攻撃されてもまったく致命傷を負わない」というだけのコントなのに、「もっと本気で来いよ!」などの挑発的なセリフで飽きさせない。ただし凶器を持ち出すことへの笑いはピストルぐらいまでで、それで死ななければあとは手榴弾だろうと地雷だろうと同じだよなあ。武器をエスカレートさせていくのではなく、セリフやストーリーでさらに盛り上げてほしかった。あるいは手榴弾よりもさすまたみたいなシンプルな道具のほうがおもしろい。


や団(灰皿)

 灰皿を投げつけて厳しく指導する舞台演出家(蜷川幸雄が灰皿を投げて指導していた、というエピソードはどこまで知られているのだろう?)。だがサスペンスドラマの凶器に使われるガラス製の重たい灰皿を置かれたことで役者側にも演出家側にも緊張感が増し……。

 なんだか前半がごちゃごちゃしていたな。後半で「ああこれは灰皿を投げるかどうかの葛藤を描いたコントなんだな」とわかるが、前半に「演出家が難解で不条理な言葉を並び立てる」という小さなボケを入れたことで、本筋がぼやけてしまった。演出家のキャラで押していくコントかとおもって見てしまったんだよね。

 灰皿がカタカタ音を立てながら回る瞬間の緊張感はすばらしかった。机の端っこで落ちそうで落ちなかったのもまた。


蛙亭(お寿司)

 急に彼氏にフラれて泣いている女性の前で、キックボードに乗った男が転倒し、大好きなお寿司がつぶれたと泣きはじめる……。

 中野くん(こんなにもくん付けで呼びたくなる人はそういない)の魅力と「慣れない交通手段」「ぼくのために」「でもつぶれたわけじゃないですよね」などの切れ味鋭いセリフで、前半は大好きな展開だった。

 ただ中盤で、中野くんが「そういうところなんじゃないですかぁ!?」と女性を責めはじめるところで急に心が離れてしまった。

 中野くんの魅力ってにじみ出る圧倒的な善性、無邪気さだとおもうんだよね。敵意、悪意、嫉妬などをまったく感じさせないぐらいの善性。善すぎて気持ち悪いという稀有なキャラクター。だからおもしろい。純粋に善なるものって気持ちわるいもんね。

 なのに「ただただ純粋にお寿司が大好きな人」が「他人に説教をしはじめる人」になっちゃって、その魅力が急速に損なわれてしまったなー。


ジグザグジギー(市長記者会見)

 芸人だったという経歴の新市長。その記者会見での市長のプレゼンが妙に大喜利っぽくて……。

 今回いちばん笑ったコント。特にあのフリップの出し方、間、姿勢、表情、完璧に大喜利得意な芸人のそれだった。

 ただ、飯塚さんの審査員コメントがすべて物語っていたように、当初は「大喜利得意な芸人っぽいふるまい」だったのに、途中からは完全に松本人志さんのものまね&IPPONグランプリのパロディになってしまったことと、IPPONグランプリのナレーション、笑点お題と現実離れした安いコントになってしまったのが残念。序盤は丁寧に市長を演じていたのに。

 前半の風力がすごかっただけに後半の失速が残念。IPPONグランプリのあたりをラストに持ってきていたら……とおもってしまうなあ。


ゼンモンキー(縁結び神社)

 縁結び神社の前で、ひとりの女性をめぐって喧嘩をはじめる二人の男。そこへ学生が願掛けにやってくるが、どうやら彼もその女性のことを好きらしく……。

 いやあ、若いなあという印象。筋書きはきっちりしているが、精緻すぎるというか。つまり遊びがない。誰がやってもそんなに変わらないようなコント。がんばっていいお芝居をしましたね、という感じがしてしまう。学生役の荻野くん(これまたくん付けで呼びたくなる)のキャラクターはあんまり替えが効かないだろうけど。

 これで三人のキャラクターが世間に浸透して、人間自体のおもしろさが出てきたらすごいトリオになるんだろうな。


隣人(チンパンジーに落語)

 チンパンジーに落語を教えることになった落語家。毎日動物園に通ううちに徐々にコミュニケーションがとれるようになっていき……。

 ううむ。話はおもしろいんだけど(特に落語家がチンパンジー語を話し出すところは秀逸)、微妙な間やトーンのせいだろうか、「もっとウケてもいいのにな」とおもうところがいくつかあった。最初の「チンパンジーに落語を教える仕事」とか、BGMがチンパンジー語だったとことか、場によってはもっとウケるんだろうなあ。

 隣人というコンビを知っていて、さらに隣人のチンパンジーネタをいくつか観たことがあったら(隣人はチンパンジーのネタを何本も持っている)、より笑えるとおもう。


ファイヤーサンダー(日本代表)

 サッカー日本代表のメンバー発表を観ているふたり。代表選出されずに落胆するが、選手本人ではなく選手のモノマネ一本でやっているモノマネ芸人であることが明らかになる……。

 以前にも観たことがあったネタだけど、やっぱりおもしろい。脚本の美しさは随一。無駄がない。前半でモノマネ芸人であることが明らかになり、中盤で隣の男が監督のモノマネをする芸人であることが明らかになるところが実にうまい。「なんで自宅のテレビで観ているんだろう」「この隣の男はどういう関係なんだろう」という観客の違和感を、ちょうどいいタイミングで笑いで吹き飛ばしてくれる。

「なんで日本代表より層熱いねん」「決定力不足」みたいな強いツッコミワードもあって、コントとしての完成度はいちばんだとおもう。


サルゴリラ(マジック)

 テレビ番組出演前にマジックを披露するマジシャン。だが披露するマジックがわかりづらいものばかりで……。

 んー。個人的にはまったくといっていいほど刺さらなかった。「マジックで入れ替えるものがわかりにくい」ってわりとベタなボケだとおもうんだけど(マギー司郎さんがやってなかったっけ?)。

 あのマジシャンがマジック特番に抜擢された理由もわからないし、あの音楽が効いてくるのかとおもったらそうでもないし、脚本が甘く感じた。ゼンモンキーとは逆に、人間味でもっていった感じかな。


ラブレターズ(彼女の実家)

 彼女の実家に結婚のあいさつに行った男。彼女のお母さんが「マンションでシベリアンハスキー放し飼いにしてるのどうかしてるとおもった?」と言い出し、隣人トラブルを抱えていることが明らかになり……。

 やろうとしてることはわかるけどどうも弱さを感じるというか。これはあれだな、少し前に『水曜日のダウンタウン』でやっていた「プロポーズした彼女の実家がどんなにヤバくてももう引き返せない説」がすごすぎたせいだな。あの「説」では静かな狂気をすごく丁寧に描いていたので、それに比べるとラブレターズのコントは雑で、つくりものっぽさが目立ってしまった。

 ほんとに隣人トラブルを表現しようとしたらあんなわかりやすく大きい音を出しちゃだめだし、かといってぶっとんだ世界を表現するにしては弱すぎるし。




 最終決戦。


ニッポンの社長(手術)

 外科手術をおこなっている医師と患者。臓器が次々に摘出され……。

 ごっつええ感じっぽいな、とおもった。ああいう視覚的にグロテスクなコント、よくやってたよね。ただ強くツッコまないのがニッポンの社長らしい。ちゃんと手術室でツッコむときの音量なんだよね(手術室でのツッコミを聞いたことないけど)。おしゃれ。

 黄色いコードはニッポンの社長にしてはベタだと感じた。大喜利とかでよく使われる題材なので。

 想像を超えてくる展開はなかったけど、ラストの「あるやつですわ」「ないやつやろ」は好き。


カゲヤマ(デスクにウンチ)

 オフィスで上司のデスクにウンチが置いてあった事件の犯人が信頼できる部下だったことがわかる、というコント。

 冒頭を観たときは安易な下ネタコントかとおもったが、いやはやとんでもない、人間の心理の複雑さを鋭く描いたヒューマンドラマだった。

 部下が犯人であることが明らかになったときのセリフが、言い逃れでもなく、開き直りでもなく、動機の独白でもなく、「私はこれからどうしたらいいでしょう」。この妙なリアリティ!

 さらに部下が話せば話すほど、彼の常識人ぶりが明らかになり、だからこそ「上司のデスクにウンチをする」という異常さが際立つ。謎は解明されるどころか深まるばかり。

 こういう脚本を書くのって勇気がいるとおもうんだよね。人間には謎を解明したいという欲求があるから。でも謎を謎として残しておくことで観ている側の想像は膨らんでゆく。今、この瞬間だけでなく、これまでのことやこれからのことにまで想像が膨らむ。

 ただ「娘さんをぼくにください!」は早急すぎた(「娘さんとお付き合いさせていただいています!」まではいい)。あそこだけが少し雑だったな。


サルゴリラ(魚)

 引退することになった野球部の三年生主将に向かって監督がいい話をはじめるのだが、なんでもかんでも魚にたとえるのでまったく伝わらない……。

 やっぱりぴんと来なかった。設定が雑すぎないか。

 とても学生には見えない見た目なのは百歩譲るとして、あの監督は今日突然魚の話をはじめたの? それとも普段からなんでもかんでも魚に例える人なの?

 前者だとしたら「どうして今日はそんなに魚に例えるんですか」みたいなセリフになるだろうし、後者だとしたら「前々から言ってますけど」とか「もう最後だから言いますけど、ずっとおもってたんです」みたいなセリフになるのが自然だろう。

 でもサルゴリラの芝居はどっちでもない。まるで、今日はじめて会った人から話を聞いたようなリアクションだ。「昨日までこのふたりがどんな会話をしていたか」がまったく見えてこない。

 また、他の部員の姿も一切感じられない。野球部の引退にあたっての監督のスピーチなんだからあの場には数十人がいるはずなのに、まるでその気配がない。

 コントのためだけの空間で、コントのためだけの存在なんだよね。ニッポンの社長みたいなコントだったらそれでもいいんだけど、「小さな違和感」系のコントで設定の薄っぺらさは致命的じゃないか?




 個人的な好みでいえば、ジグザグジギー、ファイヤーサンダー、カゲヤマ(2本目)がトップ3。

 審査結果は個人的な好みとはちがったけど、ま、そんなときもあるさ。今回はいつもにも増してシナリオよりもパワー重視の審査だったね。


 ぼくが今大会でいちばんよかったとおもったのは、出番順が早い組が上位に入ったこと。トップバッターのカゲヤマが1stラウンド2位、2番手のニッポンの社長が1stラウンド3位。

 早い出番の組がこんなに上位になったのは近年の賞レースではなかったことだ。それだけトップのカゲヤマがよかったんだろうね。


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2024年11月6日水曜日

【芸能鑑賞】『最強新コンビ決定戦 THEゴールデンコンビ』

最強新コンビ決定戦
THEゴールデンコンビ

(Amazon Prime)

内容(Amazon Primeより)
MC千鳥!即興コントで一番面白い新コンビが決まる最強新コンビ決定戦開幕! M-1王者/KOCチャンピオンなど、人気・実力を兼ね備えた16名の芸人が、この番組でしか見られない8組のオリジナルコンビを結成。 挑むのは、地下から迫り上がってくるダイナミックなステージと難攻不落のお題!さらには、容赦ないムチャぶりで追い込む超豪華タレントの刺客が! 全8ステージで、200人の観客が「最も面白くないコンビ」に投票。各ステージ1組が脱落していく超過酷な最強新コンビ決定戦! 即興コントが最も面白い新コンビ、”ゴールデンコンビ”に輝き、賞金1000万円を手にするのは!?

 

(勝敗に関するネタバレを含みます。ネタの内容についてはなるべく具体的に書かないようにしています)


2017年6月2日金曜日

【DVD感想】6人のテレビ局員と1人の千原ジュニア

『6人のテレビ局員と1人の千原ジュニア』

内容紹介(Amazonより)
2016年3月25日。
恵比寿ザ・ガーデンホール。
今をときめくテレビの演出家達が千原ジュニアを自由にプロデュース。
1人の芸人が1つの舞台で全く違った世界を演出された実験的かつ革新的なライブ。
チケットが即完した同ライブ待望のパッケージ化。

2006年に上演された『6人の放送作家と1人の千原ジュニア』の続編的なライブのDVD(『6人の放送作家と~』のほうは観ていないけどね)。

テレビのディレクターたちが周到に準備した舞台に何も知らされていない千原ジュニアが挑む、という実験的な企画。

で、いきなりケチをつけるけど、本編には5人のテレビ局員の舞台しか収録されていない。
公演では加地倫三(テレビ朝日)のパートもあったらしいけど、DVDには収められていない。
『アメトーク』や『ロンドンハーツ』のプロデューサーが何をやったのかは正直見たかったけど、まあしかたない。いろんな権利の問題があるんでしょう。舞台をDVD化するときにはよくある話だ(全部収録しないほうが劇場に足を運ぶメリットも感じられるしね)。

ただ、収録しないんだったらDVDのタイトルは変更したほうがいいんじゃないの?
『6人の』と謳っておきながら5人分しかないのは羊頭狗肉が過ぎるんじゃなかろうか……。




以下、感想。

 末弘 奉央(NHK)


『超絶 凄ワザ!』などの担当ディレクター。
千原ジュニアに対して大喜利のお題を出し、その後『プロフェッショナル 仕事の流儀』風のVTRが流される。
いろんな芸人が「千原ジュニアはいかにすごいか」を語り、捏造をおりまぜながらそのすごさを強調する。
構造としては「むやみにハードルを上げる」という一点のみなんだけど、NHKならではの質の高いドキュメンタリータッチな映像と、絶妙に粗い捏造の対比がおもしろい。

うん、これはたしかにテレビではできないよね。特にNHKなら。
いくら千原ジュニアからの「捏造や!」というツッコミがあるとはいえ、「冗談としての捏造」を真に受けてしまう人も観るテレビだとこれはできない。

「大喜利の天才」と上がりまくったハードルに対してどう答えるのかが見ものだったけど、見事に乗り越えてみせた(というかうまく逃げた)千原ジュニア。さすがだねえ。

ラストにピークがくる構成もよかったし、いちばん演出と演者のバランスがちょうどよかったのがこのコーナーだったな。

ただ惜しむらくは9割がVTRで構成されていたためライブ感には欠けていたこと。
これは悪い意味でNHKらしさだね。NHKって生放送でもライブ感がないもんね。

とはいえ1人目としては十分すぎる出来だった。



内田 秀実(日本テレビ)


『ヒルナンデス』などの担当ディレクターが手がけたのは、『千原ジュニアを知らない世界』という企画。
もし千原ジュニアが若手芸人だったとしてもやっぱり売れるのか? ということで、さまざまなシチュエーションに挑戦させられる千原ジュニア。

申し訳ないけど、ほんとにつまらなかった。
雑な大喜利に答えさせられるジュニアがかわいそうに見えてきた。

ゴールまでの道が一直線に決められているから、せっかく即興でやっているのに「どうなるかわからない」というライブ感がない。
この後にやった藤井健太郎の企画が真逆で遊びが多かった(そしてそこがことごとくハマっていた)ため、余計に筋書きの貧相さが目立ってしまった。

ぜんぶテレビでもできることだよね。というか、目まぐるしい場面転換もあったしテレビのほうが向いてる企画なんじゃないだろうか。
オチの手紙(妻からの手紙と思わせて実は別の人が書いていたというよくあるボケ)まで含めて、ことごとく笑えなかった。
なんでテレビで何度も見たパターンのボケを、チケットなりDVDに金払って見なあかんねん。

まあハズレがあるのもライブの魅力のひとつ、と思えば……。



藤井 健太郎(TBSテレビ)


『水曜日のダウンタウン』『クイズ!タレント名鑑』などの担当ディレクター。
以前に書いた(参照記事)けどぼくはこの人のファンなので、このDVDを購入したのも千原ジュニアを観たかったからではなく、藤井健太郎さんが何をやったのかが観たかったから。

で、藤井さんの企画が『ジュニアvsジュニア』というものだったけど、ぼくがこの人のファンだということをさしひいてもこれはすごかった。
これを観られただけでもDVD買ってよかったと思えたね。

さまざまなバラエティ番組やドラマや映画から集めた過去の千原ジュニアの映像をつなぎあわせて、現在の千原ジュニアとトークをしたり対決をしたりするんだけど、まあ鮮やか。
千原ジュニア(現在)が、困らせてやろうと意地悪な質問をしたりしても、ことごとく千原ジュニア(過去)にスマッシュを打ち返される。
完全に手のひらの上で転がされていたジュニア(現在)も素直に「すげえな」と言葉をもらし、悔しそうな顔をしていた。
なにしろこのライブでいちばん笑いをとっていたのが「過去のジュニア」だったからねえ。
(しかしDVD化するときに権利をとるのがたいへんだっただろうな。よくぞ収録してくれた!)

この企画はいい意味でテレビ的だった。

テレビ番組は基本的に無駄から成り立っている。NHKのドキュメンタリーだと30分番組のために2年も取材したりするというし、そこまでいかなくても放送時間の何倍もの映像を収録してそこから編集するのがあたりまえらしい。
つまり撮影したものの大部分が日の目を見ずに捨てられていく。
もったいない気もするけど、その無駄があるからこそ視聴者はおもしろい映像だけを楽しむことができる。

『ジュニアvsジュニア』も、膨大な無駄の上に構成された舞台だった。
いったいどれだけの映像を準備していたのだろう。たぶん舞台で流されたものの何倍もの映像が用意されていて、そのほとんどが使われていない。
(ちなみに3本対決のはずだったがうち1本は捨てられている。捨てられたことで笑いが生まれているから結果的には成功なんだけど、あれは予定通りだったのだろうか?)

藤井健太郎氏が自分で編集作業もしているという『水曜日のダウンタウン』も同じようにつくられていて、すっごくばかばかしいことに途方もない時間をかけて調査していたり、せっかく制作した映像を早送りで雑に流したりして、おもしろくなるためには惜しげもなく余計なものを捨てている。

舞台で活動している人には、「おそらく日の目を浴びることのないことのためにエネルギーを注ぐ」という無駄はなかなかできないだろうね。舞台って編集が入らないから。

テレビならではのやりかたを持ち込んでいる一方で、どういう展開になるかがプロデューサーにも演者にもわからないというライブならではの緊張感もあり、テレビと舞台の魅力がうまく融合していた企画だった。

笑いの量、すごいことをやっているという感動、終わりの潔さ。
すべて含めて完璧に近いステージだったと思う。



佐久間 宣行(テレビ東京)


『ゴッドタン』を手がける佐久間さんの企画は『千原ジュニアのフリートークvs○○ 3本勝負』。

「擬音で感じる女」「お笑いライブに足しげく通う女」「センチメンタル」という邪魔にも負けずにおもしろいフリートークをできるか? という企画。

まあ、『ゴッドタン』そのまんまだね。これを『ゴッドタン』でやったとしてもまったく違和感がない(番組の名物マネージャーも出てくるし)。
というか『ゴッドタン』の『ストイック暗記王』企画から劇団ひとりやおぎやはぎのコメントをなくしただけのように思えて、ものたりなさを感じた。

対決と言いつつ空気を読んだジュニアが負けにいってる時点で、「勝負」という前提が早々に崩れてしまった。
結果、即興にしては予定調和すぎる、台本にしてはぐだぐだすぎる、というなんとも中途半端な出来に。

プロデューサーが自分の得意パターンに持ちこもうとしすぎてたなあ。
新しいことに挑戦してほしかった。



竹内 誠(フジテレビ)


『IPPONグランプリ』『ワイドナショー』などの担当ディレクター。
素人の語るエピソードを千原ジュニアが代弁することでおもしろくするという『daiben.com』という企画だった。

シンプルでわかりやすいし、千原ジュニアというトークの達者な芸人を活かした企画だったけど、マイナス面も多く目立った。

たとえば、下敷きになった素人のエピソードが
「キノコの研究家が毒キノコを食べてみたときの話」
「お天気キャスターがプライベートで天候とどうつきあってるか」
という話だったこと。

それ自体が興味深い話だったので、千原ジュニアが代弁しなくてもおもしろかったんじゃないの? という印象がぬぐえない。
(代弁前のエピソードは観ている側にはわからないので千原ジュニアというフィルタを通したことでどれぐらいおもしろくなったのかがわからない)

また「素人が千原ジュニアにエピソードを語る時間」というのがあって、この間観客はひたすら待たされる。
DVDでは早送りで処理されていたけど、観客はただただ退屈だったはずだ。
高いお金を払って舞台に足を運んでいるお客さんをほったらかしにするという、悪い意味で「テレビ的」な時間だった。

この企画はおもしろいおもしろくない以前に、「観客に伝わらない」「観客を退屈させる」という点でそもそも失敗していたように思う。
決しておもしろくないわけじゃないけど、でも「これだったらテレビで『すべらない話』を観るほうがいい」と思う。



舞台とテレビの違いってなんだろう


テレビの制作者が舞台のプロデュースを手がけるということで、「舞台とテレビの違い」について考えさせられた。

このライブの間に挿入される映像でも、ディレクターたちに「舞台とテレビの違いはなんだと思いますか?」という質問がされている。
彼らの回答は「ライブ感」「観客との近さ」などだった。

でもライブ感も観客との近さも、決定的な違いじゃない。
VTRを使う舞台もあるし、生放送のテレビ番組もある。
観客を入れて収録するテレビ番組もめずらしくない。


じゃあ最大の違いはなにかって考えたら、それは「演者の代替可能性」じゃないかな。

舞台において、観客は演者に対してお金を払う。
もちろん入場料は劇場のオーナーや裏方のスタッフにも渡るわけだが(というよりそっちが大部分だろうけど)、観客の意識としては出演者に払っている。
だから主役級の演者が出られずに急遽代役が登場する、ということは基本的にありえない。
千原ジュニアのライブだったけど急病のため代わりに千原せいじだけが出てくる、ということは基本的に許されない(それはそれでおもしろそうだけど)。

ぼくは以前、まだ存命だった桂米朝一門の落語会のチケットを買ったことがある。
結局直前になって桂米朝が体調をくずし、公演は中止になった。
米朝さんが出られないならしょうがない。「他の演者は出られるんだから小米朝を代役に立てて公演をするべきだ」とは思わなかった。
そりゃそうだよね、米朝の落語を聴くためにチケットをとったんだもの。

一方、テレビの出演者は誰であっても代役が利く。
主役級が休んだとしても番組が放送中止になったりはしない。

かつて『たけし・逸見の平成教育委員会』という番組があった。
逸見さんが亡くなり、ビートたけしがバイク事故で入院して、番組の顔がふたりともいなくなったが、それでも代役を立てて番組は続いた。
島田紳助が引退してからも『行列のできる法律相談所』はやってるし、関西ではやしきたかじんが亡くなって何年もたつ今でもたかじんの番組が2つ放送されている(さすがに番組タイトルからは消えたけど)。
「この人なしでは考えられない」というような番組でさえも、意外と成立してしまうのだ。
もし明石家さんまが急に休業しても『踊る!さんま御殿』も『明石家電視台』も『さんまのまんま』もきっとしばらく続くだろう。


『6人のテレビ局員と1人の千原ジュニア』を観おわってまず僕が抱いた感想は、「テレビっぽいなあ」だった。

それはたぶん、準備が周到すぎたから。
「千原ジュニアには事前に企画の内容を知らせない」「編集でごまかせない舞台だから失敗は許されない」という条件が重なった企画、千原ジュニアがどう動こうが大勢に影響しない企画ばかりになってしまったんだと思う。
結果、千原ジュニアじゃなくても成立する企画になってしまった。

テレビをつくっている人間として「最後の最後を演者のパフォーマンスにゆだねる」ことは怖くてできなかったんだろうなあ。

すごく実験的でおもしろい企画だったんだけど、結果的に「テレビマンが舞台を成功させるのは難しい」という弱点を露呈させてしまった舞台だったのかもしれない。

ただ回を重ねればそのへんを打破するような企画をぶったててくれる人も現れると思うので、ぜひ同様の企画をまたやってほしいね。

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【読書感想文】 藤井 健太郎 『悪意とこだわりの演出術』


2021年6月1日火曜日

ツイートまとめ 2020年11月


投票率


アメリカ大統領選

セイシ

オオキン

技の名前

のび太の宇宙小戦争2021

へっぴり腰

コロナ

大喜利

生きたまま2歳児に届く

ウソつき

ほげほげ ほげほげ

優越感

若者受け

2018年11月15日木曜日

【読書感想文】ショートショートにしては右肩下がり / 洛田 二十日『ずっと喪』


『ずっと喪』

洛田 二十日

内容(e-honより)
天才か、それともただの変わり者か…。異能の新人、デビュー!第2回ショートショート大賞受賞!受賞作「桂子ちゃん」を含む奇想天外な洛田ワールド、全21編!

奇想天外なショートショート集、ということだが正直いってどれも出オチ感がすごい。

たとえばはじめに収録されている『桂子ちゃん』
月に一回桂馬になってしまい(月経のようなものらしい)、桂馬のようにナナメ前にしか進めなくなってしまう少女が出てくる。

「桂馬の動き」という時点で個人的には受け付けなかったのだが、それはさておき。
(十年前ぐらいにぼくはネット大喜利にハマっていたのだが、大喜利の世界では「桂馬の動き」は手垢にまみれた発想とされていた。中級者が使いたがる安易な発想よね、という扱いだった)

「月に一度桂馬になってナナメ前にしか進めなくなってしまう」という導入はまあいい。
でもその後の展開がすべてこちらの期待を下回ってくる。「みんなは歩なのに」とか「敵地に入ったことで金に成った」とか、ぜんぜん想定を超えてこない。
でもまあ中盤はつまらなくても最後は鮮やかに落としてくれるんだろうと思っていたら、「妹は香車だった」というオチ。えっ、それオチ? 意外性ゼロなんですけど(オチばらしてもうた)。

『桂子ちゃん』が特につまらないのかと思っていたが、これが第2回ショートショート大賞受賞作らしい。
この賞のことは知らなかったが、これが大賞?
ううむ、ぼくの期待するショートショートとはちがうなあ……。

ショートショートの構成って「起・承・転・結」だったり「転・承・結」だったり「転・承・転・転・結」だったりするもんだけど、『ずっと喪』は「転・承・承・承」ばっかり。ほぼ全部が出オチで、右肩下がりの小説だった。



串カツに二度漬けをしてはいけない真の理由が語られる『二度漬け』や、村おこしのために桜前線の進行を食いとめようとする『円い春』はばかばかしくてよかった。

しかしこれは本の後半になって、ぼくが『ずっと喪』の読み方をわかってきたからかもしれない。

はじめは「ショートショート大賞」という肩書きや表紙や帯に釣られて「意外なオチ」を期待しながら読んでいたのだが、どうやらそれが良くなかったらしい。
どうせ大したオチはないんでしょ、と期待せずに読めばそれなりに楽しめることがわかった。

でもなあ。
やっぱりショートショートを名乗っている以上は、あっと驚く意外な顛末を期待しちゃうんだよな、こっちは。

いいショートショートになりそうなアイディアもあるのにな。「ここの種明かしを最後に持ってきたらおもしろくなったのに」と思う作品もあった。
小説として発表する以上は、アイディア一本勝負じゃなくて技巧もほしいなあ。

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星新一のルーツ的ショートショート集/フレドリック ブラウン『さあ、気ちがいになりなさい』

【読書感想文】 氏田 雄介『54字の物語』



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2023年2月9日木曜日

ツイートまとめ 2022年8月



夏の甲子園

メンツ

比喩表現

小切手

アジア丼

チェ

メンコ

大喜利

蛮勇

第二子で長男

ミャクミャク

24時間テレビ

伊勢志摩

爆裂

二線級



2025年12月31日水曜日

M-1グランプリ2025の感想


敗者復活戦

 トップバッターのミカボの徳永英明クイズがすごくおもしろくて(何年か前の予選でも観たことあったけど二度目でも変わらずおもしろい)、これは期待できるぞとおもっていたら、結局ミカボがいちばんおもしろかった。

 勝ち上がりはカナメストーン。最終3組中にラストイヤー組がいたらそりゃあ勝たせたくなるよね。まあ場を盛り上げていたし、「決勝で何かやってくれそう」という感じがいちばんあったのはカナメストーンだったかな。


決勝戦

ヤーレンズ (結婚したい)

 過去2年の決勝で披露していたコント漫才ではなく、他愛のないテーマで軽妙なおしゃべりの披露するスタイル。原点回帰のようなネタ。そういやヤーレンズってこういう漫才をするコンビだったよなあ。長々とどうでもいい話をして、最後の10秒で「ネタやりまーす」というスタイル。この軽さこそヤーレンズの真骨頂という感じがする。

 ヤーレンズのラジオを何度か聞いたことがあるが、こんな感じだった。無理をせずに自分たちのスタイルを貫いても認められるようになった、という点でヤーレンズにとってはすごくいいことだと思う。

「栄光の孤立」「マーガレットサッチャでもいい」のような、伝わらないのがわかっていても自分たちが言いたいと思っているフレーズをねじ込んでくる感じもすごくいい。いい意味でM-1向けじゃないというか。M-1グランプリを卒業してもやっていける立派な漫才師になった姿を見せてくれた。

『さようなら、ドラえもん』におけるのび太の「見たろ、ドラえもん。勝ったんだよ。ぼくひとりで。もう安心して帰れるだろ」を彷彿とさせてくれる漫才だった。

 個人的には、ネタ後の「手ごたえあり!」がスルーされていたのがおもしろかった。カズレーザーがM-1ファイナリストだったことなんてみんなおぼえてないよなあ。ぼくもこれ見るまで忘れてた。


めぞん (女友だちの彼氏のふりをする)

 チュートリアルやさや香のような熱演型漫才。とはいえ、2006年時点で完成されていたチュートリアルに比べると、緩急の使い方や声のトーンに粗さが感じられた。こういうアドリブの利かないかっちりしたネタをやるのであれば、細部まで完璧であってほしかったな。「逃げろ!」の唐突さは好きだった。


カナメストーン (ダーツの旅)

 敗者復活戦ではじめて見たコンビだけど、風貌に苦労してきた感じがにじみ出ていていい。あふれ出るくたびれ。

 敗者復活組、ラストイヤー、にじみ出る苦労人感、明るくハイトーンなツッコミと応援したくなる要素が詰まっていたコンビ。……だっただけに、過失致死に発展してしまうブラックな展開で悪い方に裏切られた気分になってしまった。勝手に想像していた芸風と似つかわしくなかった。

 隙間まで細かいボケが詰め込まれていて、15年間の集大成であることが感じられる漫才でした。


エバース (ドライブデート)

 過去に見たことのあるネタだったけど、それでも大いに笑った。改めて見ると、「目的地がもう江ノ島水族館に決まっていること」までもがおもしろくなってくる。

「人間の中ではだいぶ車っぽい」の妙な説得力、「車の免許持ってたらレンタカー借りるだろ」という急な正論、巧みな話術で妄想の世界にひきこみながら「思われねえよ」「都内もやだよ」で現実と虚構の間を揺さぶる技術、そして終盤まで失速することなく「陰性。やばっ!」「なぜならまだこいつを裁く法律がこの世にないから」で強烈なパンチを叩きこむ。完璧なネタだった。

 最初に見た時も感心したけど、やっぱり「陰性」で笑いをとるところがすごい。凡百な漫才師だったら「覚醒剤やってる」で笑いをとりにいくところだけど、「覚醒剤やってない」で笑いがとれるところがすばらしい。真空ジェシカもやっている手法だけど、「逆にまともなことを言うことで笑いを生みだす」ところまでたどりついているのを見ると、漫才って進化したんだなあとしみじみ思う。


真空ジェシカ (ペーパードライバー講習)

 もう一個上の階だと思った、で見事につかんだのに、「車椅子テニスの選手が二連続で車のネタ」はほんと余計だったなあ。本人も反省していたらしいけど。あれ聞いたとき、ぼくは「ひとつ前も車のネタだったっけ。ああ、ルンバ車か。でもあれあんまり車のネタって印象ないけどなあ。それより車椅子の人をそういういじり方してもいいのかな」とかあれこれ考えてしまった。その割におもしろいコメントでもないし。ネタの邪魔にしかならないフレーズだった。

 発想の豊かさは相変わらず。免許のクソ問題、走るボタン、思い出が一個しかない、など笑わされるボケが盛りだくさん。そして真空ジェシカはそれぞれのボケが有機的につながってるのがいい。それだけに前半で少しつかみきれなかったことが惜しまれる。

 いちばん感心したのは、教官が発煙筒を吸うボケ。単体でもおもしろいが、あれがあることでその後の展開の中での演じ分けがスムーズになっている。「発煙筒を吸っているのが教官」とすぐわかるので、別の人を演じていてもすっと教官に戻ってこられる。ここまで計算しているのだとしたらすごい。


ヨネダ2000 (バスケドリブル)

「100万円めざしてバスケットボールをドリブルせよ」という挑戦をしていたら松浦亜弥が出てきて邪魔をされる、というシュールなネタ。

 やっていることはむちゃくちゃだったが、徐々に難度が高くなるところや出なかった高音が出るようになるところとか、妙なストーリー性があったのでなんとかついていけた。今まで観たヨネダ2000のネタは序盤でついていけなかったので、あんなネタをやりながらもちゃんと見せ方を工夫しているんだろうな。あややに得はないとか謎の引き戸とか細部の工夫もいい。

 ところで、誠のレイアップシュートがあんまりきれいじゃなかったのが残念。あれが美しいフォームだったらもっとおもしろかったのになあ。


たくろう (リングアナ)

 ぼくがたくろうの漫才をはじめて観たのは2018年の準決勝だったかな。その時点で十分おもしろかった。その後も関西のYTV新人賞の予選などで目にする機会は何度もあったが、言ってしまえばおもしろさはあまり変わってなかった。早くから完成されていたがゆえに小ぢんまりとまとまってしまっていた。赤木さんがおどおどとしながら強いフレーズを言う、というスタンス。

 だが今年のネタはずっと笑いやすくなっていた。駒場さんも言っていたが、無茶な追い込まれ方をしておどおど言うに足る状況を設定したことでぐっと良くなった。自信なさげにおどおどしてる人は「笑い者にしていいのかな」という感じがしてしまう。でも「そりゃあおどおどするよな」の状況を用意することでわかりやすく笑えるようになった。ボケとツッコミではなく、中ボケと大ボケ。

 ただ大喜利の羅列なので個人的にはそんなに好きなネタではなかった。


ドンデコルテ (デジタルデトックス)

 声質がいいね。ほんとにセミナー講師の声質をしている。あの声で「厚生労働省の定めた基準によると……」というと、漫才の大会にふさわしくなくて逆に引き込まれる。安心感のある声と堂々とした態度で情けないことを主張するギャップがたまらない。

 去年のブログを見返してみたら、敗者復活戦のドンデコルテの感想で「二年後ぐらいに決勝行くかもねえ」と書いていたが、思っていたよりも早く完成されていた。個人的には去年の恋愛がうまくいかない中年男の悲哀を描いたネタのほうが好きだったけどね。

「現実をスワイプ」「目覚めるな」「説得力だけがある」など、おもしろいフレーズが盛りだくさん。このネタのもっとロングバージョンも観たいなあ。


豪快キャプテン (小さいカバン)

 二人が会話をしているが、二人とも一切相手に歩み寄る気はなく、とうとう最後まで平行線をたどったまま交わることがない。そのディスコミュニケーションのおもしろさこそが豪快キャプテンの魅力なのだが、あまり刺さらなかった。こっち側のテンションの問題な気もする。すごくハッピーなときに見たらめちゃくちゃおもしろいのかも。

 数年前の敗者復活戦でやっていた「わたし、にじっぽん」のような、単体でおもしろいフレーズがあればもっと笑えたのかもなあ。あとあの感じでいくんだったら最後まで熱量演じてほしかった。


ママタルト (初詣)

 51,044,649円からの猪瀬都知事、神社倒壊というママタルトらしいギャグマンガ的世界観あたりまでは良かったんだけどね。ボケ、ツッコミともにたっぷり間を使うコンビなので、その分一発の破壊力が大きくないときついよなあ……。ここは豪快キャプテンとは逆にストーリーを進めすぎなんじゃないかという気がする。作品としてはきれいなんだけど。


最終決戦

ドンデコルテ (町の名物おじさん)

「名物おじさんになる」自体はさほど新奇な発想ではないが、保険料の支払いが増えた、介護保険、墓と固めの話題で丁寧に振るあたりが実にうまい。奇をてらったことを言っているようで自転車と光に意味を持たせる理屈っぽさ、「いえ、あなたが聞いた」のような小憎らしい言い回し、聞き役にまわりながらも「大型新人」「言語化」などさりげなくワードを添える小橋さんのサポート、中だるみしないよう後半に別タイプの名物おじさんを出してくる展開、つくづくよくできたネタだ。短く感じたなあ。もっと長い時間で聞きたい。


エバース (腹話術)

 これはネタの選択ミスだよなあ……。腹話術の話を切り出した時点で「町田を人形にする」という展開が読めてしまうし、一本目の「町田に車になってもらう」よりも弱くなってる。

 見た目でわかりやすく笑えるし、それぞれの普段見せない顔も見せるので、ファンの前でやったらウケるんだろうなあ、というネタ。危険だよね、ファンにウケるネタは。

 エバースは絶妙の間でツッコミを入れてくるのが心地いいんだけど、このネタに関しては観ている側が欲しているタイミングよりツッコミがずっと遅かったなあ。


たくろう (ビバリーヒルズ)

 すばらしい設定。冒頭の「英語じゃないと意味ないんちゃう」からはずっとボケの世界にいる状態なので、何を言ってもおもしろい。実際、「ニューヨークでテトリスさ」なんて大喜利の答えとしてはべつにおもしろくないんだけど、設定のおかしさのせいで笑いにつながる。

 何より、赤木さんの目がずっと泳いでるのがいい。ふだんからああいう人だけど、追い込まれる世界にしっくりはまっていた。

 一問一答大喜利だけでなく、ボケた後に「さすが大手だ。ばちばち当ててきやがる」で追撃したり、ナンシーの家に行くことをためらってる内向的人間のもやもやを描いていたのが実に良かった。「一応連絡だけ」「行って変な感じに」「あれだったら帰るよ全然」あたりは誰もが経験したことがあるだろうけど、これを漫才に落としこむ手法は他に類を見ない。



 ということで優勝はたくろう。特に最終決戦は、隙間まで笑いで埋め尽くしたいいネタでした。


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M-1グランプリ2020 準決勝の感想(12/3執筆、12/22公開)

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2020年4月22日水曜日

ツイートまとめ 2019年8月


道案内

ギャンブル

ポイントカード

八割

本屋大賞

空気

チコちゃん

ヘウレーカ

一杯

次何食おう

社長

青春

犬じゃない

ヒッチハイク

NHKニュース

長寿

売人

ネット大喜利

ナイススティック

オーナー

毒島

高温注意情報

白いカーペット

神々

たいそうのおじさん

15巻

自由研究

韋駄天の韋

天照



トマソン

シュール

読書感想文

偏食

殺処分

ラッキーアイテム

ノコノコ

2025年3月17日月曜日

【芸能鑑賞】『座王 武道館ライブ(2025.3.11)』

 『座王 武道館ライブ(2025.3.11)』を配信で鑑賞。

 配信は4/13までだそうです。みんな観ろー!


 まず気になったのは、なんで武道館なんだ。関西ローカルの番組のライブなのに。番組ファンも関西の人が多いだろうし、大阪城ホールとかでやったほうが絶対にいいとおもうんだけどな。


 残念だったのは、見逃し配信で観たので、ネタがけっこうカットされていたこと。下ネタはまだなんとなく何を言ってるかわかるけど、歌ネタはまるまるカットされていたのが残念。

 まあこれは会場に行くか生配信で観ろよ、という話なのでしかたない。

 でもせめて、歌を流せない分、テロップを入れるとかしてほしかったな……。テレビだと入れてるんだから。

 けっこう序盤にネタカットが続いたので(チープモノマネとか)、「配信を買ったのは失敗だったか……?」と嫌な予感がしたのだが、中盤以降はカットが少なくて良かった。決勝ネタがカットとかだったら目も当てられない。



 まだ配信中なのでネタバレを避けるため、個々のネタの感想や勝敗については書かない。

 ただ、博多大吉さんの審査がなあ……。

 あまりにも日和見主義というか。強いとされている人に有利すぎる。

「アクリルスタンドの人気順でジャッジの札を上げてるんじゃないの?」とおもうぐらい、番狂わせが起きない。

 これだけ後攻がウケてたらさすがに後攻の勝ちだろう、せめてドローだろ、とおもうような場面でも先攻の札が上がる(大吉さんが配信後のトークで「時間の都合でドローにしないよう言われた」と語っていたのでドローにしなかったのはしかたないが……)。

 そりゃあウケと審査員の好みが一致しないことはあるだろうけど、それにしてもやりすぎ。

 心情はわかるけど。座王のライブに足を運ぶ人からしたら、いつものメンバーが勝ち進むところを観たいけど。ぼくだって、たとえばヤーレンズ出井さんは好きだけど、そんなに出ていない出井さんが座王ライブで優勝したら「ええ……」って気持ちにはなるけど。

 でも、そこだけは厳しくやってほしい。

 今でこそ西田さんに有利なジャッジをする人が増えたけど、初期の頃ってむしろ逆で「若手ばかりがやってる場でベテラン枠で出ている西田さんばっかり勝つのはどうなの?」って雰囲気があって(実際に西田さんも口にしていた)、それでもその空気をはねのけて、「そうはいっても西田に上げざるをえない」ってぐらい笑わせて勝ちまくったから鬼と呼ばれるようになったわけで。

 R藤本さんだって、こんなベジータ一本槍のキャラ芸人に大喜利とかできるのかよ、っていう空気の中で、オールマイティに何でもこなす(最初は一分トークだけ避けてたけど)姿がかっこよかったわけで。


 こっちは「えー人気があるのにこの人が序盤で終わっちゃうのー。まあでもたしかに相手が良かったもんね……」というジャッジがある中で、それでも強豪が勝ち進む姿が見たいんだよ! 甘めの判定でもらった勝利じゃなくて!

 第一回目のライブということで守りに入っちゃったのかなあ。

 もっと、座王というコンテンツの強さを信じてほしかったな。新参者に厳しいコンテンツは衰退していくぜ。


 ジャッジに不満は残ったものの、イベントの内容自体は大満足だった。

 進行が良かったね。編集の利かないライブだから「何もしていない時間」をどれだけ減らすかがカギになるとおもうんだけど、待ちの時間は必要最小限だった。次がどのお題になるかわからない中で、あれはすごい。セットの出し入れとか相当シミュレーションしたんだろうな。

 登場シーンはわくわくさせてくれたし、広い会場だけどしっかり観客席もウケていたし、ゲストたちも盛り上げてくれた。何より、出場者みんなしっかりネタを考えてきたのだろう、派手にすべっている人がひとりもいなかったのがすごい(あっ、即興お笑いバトルというタテマエなんだっけ)。


 結果的に、配信チケットを買ってよかったとおもえるライブだった。

 次は大阪開催で、大須賀さん、武将様、西森さん、田崎さん、ゴエさん、ギブソンさんら関西常連組を呼んであげてほしい。順番が逆な気がするけど。


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座王

【芸能鑑賞】『最強新コンビ決定戦 THEゴールデンコンビ』


2022年12月19日月曜日

M-1グランプリ2022の感想

 


 イタいと言われようと、書くのが楽しいんだから書かせてくれ。

 まず決勝メンバーについて。各コンビそれぞれで見るとなんの不満はないんだけど、敗者復活以外の9組を並べてみると、準決勝審査員の「俺たちのセンスを見せてやる」感が鼻につく。

 いやわかるよ。新しい角度の笑いを生みだしているコンビを評価したいことは。M-1グランプリってそういう大会だしね。ただ単に笑いをとればいいわけじゃなくて、唯一無二のチャレンジングなことをしているコンビを評価する大会。麒麟とか笑い飯とか千鳥とかPOISON GIRL BANDとかスリムクラブとかトム・ブラウンとかに光を当ててきた功績は大きい。うまくいかないこともあったけど。

 でもそれはあくまで、大きな笑いをとるコンビがいるから光り輝くのであって「単純な笑いの量だけでは評価できないおもしろさ」のコンビばかりをそろえるとくすんでしまう。

「笑いの量が多い」系のコンビをもっと増やしてほしかったなあ。


敗者復活戦

 THIS IS パン(恐竜映画)、ヤーレンズ(ラーメン屋)、令和ロマン(ドラえもん)に投票。森山直太朗を熱唱したダンビラムーチョもおもしろかった。

 THIS IS パンは去年の予選動画がすごくおもしろかったんだよなあ。どんなネタか忘れちゃったけど。今年もおもしろかった。いちばんおもしろい男女コンビだとおもう。声質もいいし。男女コンビで女がツッコミってめずらしいよね。

 THIS IS パンとかヤーレンズみたいに「斬新なことをしてるわけじゃないけどただただ笑える」系のコンビが今回の決勝に行ったらかきまわしてくれたんじゃないかなあ。


1.カベポスター(大声大会)

 ABCお笑いグランプリの優勝ネタ。観るのは二度目だが、改めてよくできたネタだとおもう。ネタの美しさではダントツ一位だよね。歴代トップクラスかもしれない。まったく無駄もない。さりげなく挟まれた「そのときもトップバッターやって」もかっこいい。

 特に好きだったのは「盛り下がらんように大会側がテコ入れしてきてるやん」の部分。大声大会の主催者もテコ入れしてるんだから、M-1主催者もいいかげんにトップバッターが不利になりすぎないようにテコ入れしてよ。敗者復活組をトップにするとかさ。

 落ち着いて聞かせる漫才をするコンビなのでコンテスト向きではないかもしれないけど、こうして決勝に進んでくれただけでもうれしい。採点方式ではなくゴングショー形式(つまらないとおもった人が手を上げ、それが一定数を超えたら脱落する)だったら、カベポスターが最強かもしれない。


2.真空ジェシカ(シルバー人材センター)

 共演者の信頼 → 高齢者の人材 というダジャレボケからシルバー人材センターコントにつなげる導入はすばらしい。

 内容もおもしろかったが、カベポスターの見事な構成の作品を観た後なので、その「大喜利回答の寄せ集めっぽさ」が目立った。とはいえやっぱり一発一発のボケは力強かった。


3.敗者復活組 オズワルド(明晰夢)

 悪いネタではないのだけど、どうしても、一昨年や昨年のオズワルドと比べると見劣りしてしまう。それほどまでに「改名」や「友だちがほしい」のネタが良かったから。四年連続の決勝進出、そして敗者復活からの勝ち上がりとなるわけだから、新しいものが見たかったなあ。個人的にはぜんぜん好きじゃなかったけど、去年の敗者復活組・ハライチはその点でよかったな。新しいことにチャレンジしていた、という一点で。

 しかし敗者復活戦のシステムもテコ入れしてほしいなあ。完全に人気投票だもんな。知名度ランキングとほとんど変わらない。ミキなんて、同級生の名前を挙げていくだけで三位だぜ。そんな中、そこまで知名度もないのに二位に食い込んだ令和ロマンはすごい。実質一位だよね。

「決勝に進出したことのある組は敗者復活戦に出場できない」ってルールにしてほしいなあ。


4.ロングコートダディ(マラソンの全国大会)

 中盤は完全にコント、ツッコミ不在、ずっと走りっぱなしという変則的なスタイルでありながら、ちゃんとウケてちゃんと評価されていた。三年ぐらい前のM-1だったら評価されていなかったんじゃないだろうか。いろんな型を破ってくれた先人たちに感謝しないといかんね。

 去年もそうだったけど、客がとりわけロングコートダディには温かい気がする。ふたりのギラギラしていない風貌がそうさせるのかな。

 ワンシチュエーションで次々にボケを出すスタイルだとどんどん奇想天外な方向に進みそうなものだけど、エスカレートするだけでなく唐突に「太っている人」のようなシンプルなものを持ってくる緩急のつけかたがほんとに見事。


5.さや香(免許証の返納)

 三十代で免許証を返納する。それ自体はささやかなボケだが、そこから大きく広げられる話術が見事。昨年の準決勝の感想で「ボケとツッコミを入れ替えたりして迷走している」と書いたが、迷走期を経て、ボケツッコミの枠にとらわれない伸びやかな漫才になっている。晩年のハリガネロックもこういうことをやりたかったのかなあ。

 ただ、ふたりの表現力の高さには感心したものの、個人的にはあまりおもしろいネタとはおもわなかった。特に後半の地方いじりが古すぎてねえ。

 しかしまだまだ進化しそうなコンビ。


6.男性ブランコ(音符運び)

 音符を運ぶ仕事をしたい、というシュールな導入。どうしてもバカリズムの名作『地理バカ先生(都道府県の持ち方)』を思い出してしまうが、音符を運ぶところだけでなく、その後の展開でもきちんと笑いをとっていた。平井さんはいかにも運べなさそうな体格だしね。

 死亡事故に着地する展開は少年向けギャグマンガ的で「男性ブランコにしてはずいぶんベタな着地だな」とおもったけど(インポッシブルとかバッファロー吾郎のコントみたい)、よくよく考えるとあのわかりやすさがいいのかもしれない。設定がシュールで展開も複雑だとついていけないもんね。


7.ダイヤモンド(レトロニム)

 男女兼用車両、有銭飲食、農薬野菜などのレトロニム(新しい概念が生まれたことで元々あった概念を指すために作られた言葉)を生みだす。つっこまれると、全身浴、裸眼などもそうだと反論する……。

 この視点は好きだ。ぼく自身も、数年前に レトロニム というエッセイを書いている。

 とはいえやっぱりレトロニムを羅列しても漫才としてはそこまでおもしろくない。3回戦の予選動画でこの動画を観たことがあったのだが、そのときですら「3回戦ならギリギリ通過できるかな」という印象だった。まさかそれを決勝に持ってくるとは(だいぶ改良されているとはいえ)。文字で読んだらおもしろいだろうけど、耳で聞いて処理できる内容じゃないんだよね。

 久々に「M-1の会場で静まりかえっている雰囲気」を感じた。準決勝の審査員が悪い。


8.ヨネダ2000(イギリスで餅つき)

 イギリスで餅をついて儲けたいという導入から、餅つきのリズムに乗せて広がってゆくネタ。個人的にはぜんぜん好きじゃない。

 でも左脳的なダイヤモンドのネタの直後だったから余計に、理屈じゃなく直感に訴えるこのネタがハマったんだろうなあ。

 ランジャタイと比べられていたけど、「徹頭徹尾意味のないことをやる」という点ではジャルジャルの『ピンポンパンゲーム』や『国名わけっこ』に近いものを感じた(ランジャタイはわかりにくいだけで一応意味がある)。ジャルジャルは無意味なりに、一応ルールを設けてわからせようとはしてくれていた。今思うとあれでだいぶ受け入れられやすくはなってた。場数の差だな。


9.キュウ(ぜんぜんちがうもの)

 ぜんぜんちがうもの → なぞかけ → まったく同じもの。いつものキュウ、って感じだった。

 審査員からは「順番に恵まれなかった」とか「他のネタをやっていれば」とか言われてたけど、何番だろうと、どのネタだろうと、キュウが上位になることはなかったとおもうけどなあ。


10.ウエストランド(あるなしクイズ)

 いいフォーマットを見つけたねえ。これまでウエストランドはド直球で偏見や悪口を放りこんでいくネタしか見たことなかったけど、「クイズに対する答え」という形式にすることですごく笑いやすくなった。

 毒舌は好きだけど、毒舌漫才ってやっぱりちょっと距離をとっちゃうんだよね。必然的に攻撃的になるから。「笑っていいのかな」と一瞬おもってしまう。でもクイズに対する回答形式にすることで、悪口を言う理由が(一応)あるし、どんなに罵詈雑言を並べても「クイズに答えようとしてまちがえた」という形をとっているからストレートに受け取られにくい。安心して笑える。いやあ、すばらしい発明だね。「警察につかまりかけている」という名誉棄損になるかならないかギリギリの悪口もいい。

 特に今大会は練りに練った隙の無いネタをするコンビがほとんどだったので、ウエストランドの「ウケるまで同じ言葉を何度もしつこくくりかえす」パワースタイルはかえって新鮮だった。「多くは説明しませんからわかる人だけ笑ってください」みたいなおしゃれコンビばかりの中ではウエストランドの「何が何でも笑わせてやるぞ」の泥臭さは逆に光り輝く。

 おっと。分析するお笑いファンはうざいんだった。



 最終決戦進出は、1位さや香、2位ロングコートダディ、3位ウエストランド。

 この時点でぼくは「ロングコートダディはパンチが弱そうだしウエストランドは芸風的に優勝させてもらえなさそうだからさや香かな」とおもっていた。



最終決戦1 ウエストランド(あるなしクイズ)

 2019年にぺこぱが10組目で3位→最終決戦1組目になったときは、連続してネタをやったことで「またこのパターンか」と飽きてしまった。ところがウエストランドの場合は凝ったことをしていないので、連続してネタをやることがマイナスどころかかえってプラスになったんじゃないだろうか。客がアツアツの状態でネタをやれるアドバンテージ。

 さらに一本目は路上ミュージシャンだのYouTuberだの、比較的安全圏から悪口を言っていたのに、二本目ではコント師、お笑いファン、R-1グランプリ、M-1アナザーストーリーなど身の周りまで次々にぶった切ってゆく。敵陣に乗りこんでいって、自分が傷つくこともかえりみずに刀を振りまわす。ぼくには井口さんの姿が一瞬『バガボンド』で吉岡一門七十名を相手にする宮本武蔵に重なって見えた。そういや武蔵も岡山県出身だった。

 毒舌漫才師は数いれど、ここまで身近な関係者を斬りまくった人はそういまい。欲をいえば、ついでに審査員にまで斬りかかってほしかった。立川志らくさんあたりに。

 ラストにほっこり系長尺コントを入れることにうんざりすることについては、ぼくも同感だ。あれは特定の芸人というよりオークライズムだろう。ぼくが知るかぎりでは、ラーメンズやバナナマンあたりがやりだした(どっちもオークラ氏がかかわっている。ぼくが知らないだけでシティーボーイズなんかもやってるのかもしれないけど)。で、その流れを組んで東京03もラストはしっとり系長尺コントをやり(これまたオークラさんだ)。それに影響されたのか、猫も杓子もラストにしっとり系長尺コントをやっている。たしかにラーメンズの『鯨』のオーラスコント『器用で不器用な男と不器用で器用な男』はすばらしかったしその時点では新しかったのだが、誰もがやるようになるとすっかり陳腐化してしまった。

 ちなみに偶然にもこの後ネタを披露したロングコートダディもほっこり系長尺コントをやっている。やめてほしい。

【DVD感想】ロングコートダディ単独ライブ『じごくトニック』


最終決戦2 ロングコートダディ(タイムマシン)

 2021年あるあるを散りばめた、今しかできないネタ。古いネタを焼きまわして使うのではなく、今年できた新鮮なネタを持ってくるところに勢いを感じる。

 ダーツの旅の曲がたまらない。絶妙にチープだもんなあ。もっともっと長尺で観たいネタ。


最終決戦3 さや香(男女の関係)

 新ネタを持ってきたロングコートダディとは逆に、去年の準決勝ネタを持ってきてしまったさや香。守りに入っちゃったなあ。

 3回戦動画で観た『まずいウニ』のネタはすごくよかったんだけどなあ。「ヒザでするんかい」はめちゃくちゃ笑った。あっちを観たかったなあ。



 ということで優勝はウエストランド。おめでとう。タイプ的に優勝するとおもってなかったからびっくりした。革新的なスタイルのコンビが多かったからこそ、「新しいスタイルじゃなくてもとにかく笑いをとれば勝てる」ってのを見せつけてくれたね。

 ちなみにウエストランド井口さんは東野幸治のお気に入りの玩具として、関西テレビの『マルコポロリ!』でいつもおもちゃにされている。R-1グランプリ(関西テレビ)をこきおろしたウエストランドが『マルコポロリ!』でどんな扱いを受けるのか、今から楽しみだ。


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