2018年9月5日水曜日

【読書感想文】類まれなる想像力/テッド・チャン『あなたの人生の物語』

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あなたの人生の物語

テッド・チャン

内容(e-honより)
地球を訪れたエイリアンとのコンタクトを担当した言語学者ルイーズは、まったく異なる言語を理解するにつれ、驚くべき運命にまきこまれていく…ネビュラ賞を受賞した感動の表題作はじめ、天使の降臨とともにもたらされる災厄と奇跡を描くヒューゴー賞受賞作「地獄とは神の不在なり」、天まで届く塔を建設する驚天動地の物語―ネビュラ賞を受賞したデビュー作「バビロンの塔」ほか、本邦初訳を含む八篇を収録する傑作集。

映画『メッセージ』の原作となった『あなたの人生の物語』を含め、八篇の作品を収めたSF短篇集。

とにかく想像力がすごい。
この歳になって小説に驚かされるとは。

「すごく高い塔を建てたら」「知能がものすごく高くなったら」なんて想像をしたことは誰しもあるだろうが、ここまでつきつめて考えた人はそういないだろう。
なぜなら現実や知識がじゃまをするから。テッド・チャン氏はその制約を軽々と飛びこえ、壁を一枚隔てたところにあるまったく新しい世界へと連れていってくれる。この飛躍がじつに気持ちいい。



ぼくはかつて大喜利を趣味にしていた。ネット上でたくさんの人たちが大喜利をする世界があったのだ。
そこではとにかく現実離れした想像力が求められた。
たとえば「大相撲力士が副業で殺し屋をはじめた。どんな殺し方をする?」みたいなお題が出される。
現実的にはありえないシチュエーションだ(現実に殺し屋をやってる力士がいる可能性は否定できないが)。

現実の地続きで考えるなら「張り手で殺す」「上に乗って押しつぶす」「日馬富士にビール瓶で殴ってもらう」みたいな回答になるが、これではまったくおもしろくない。
大喜利として成立させるためには、現実の延長ではないまったく別の世界を構築しなければいけない。たとえば「番付表の下のせまいところに追いこんで四股名と四股名で挟み殺す」のような(この回答がおもしろいかどうかはおいといて、少なくとも大喜利としては成立する)。

今ぼくらが持っているのとはべつの常識を築かないといけないのだ。

『あなたの人生の物語』で描かれるのは、まさにこの大喜利的な発想だ。
奇抜なアイデア、ずば抜けた想像力、そしてそれを支える重厚な知識。どれをとっても一級品の作品集だった。ほれぼれする。



たとえば『バビロンの塔』。
文字通り天まで届く塔を建てる人々を描いた作品だが、情景描写がなんともすばらしい。
 何週間かが過ぎるうちに、毎日空を渡る太陽と月の旅の頂点が、しだいしだいに低くなってきた。月は塔の南面を銀色の光で染め、こちらをながめるヤハウェの目のように輝いた。まもなく鉱夫たちは通過する月ときっかりおなじ高さに達した。最初の天体の高さにたどりついたのだ。鉱夫たちはあばたになった月の表面をながめ、どんな支えをもはねつけたその堂々たる動きに驚嘆した。
 やがて、彼らは太陽に近づいていった。いまはバビロンからだと太陽がほぼ真上に見える夏の季節なので、太陽はこの高さで塔の間近を通るわけだ。塔のこの部分には家族がまったく住んでおらず、またバルコニーもない。なにしろ大麦でさえ炒られてしまうほどの暑さだ。塔の煉瓦のすきまを埋めるモルタルは、瀝青だと融けて流れるので、粘土が使われている。これだと熱で文字どおりに焼き固められるからだ。日中の気温からみんなを守るため、柱の幅がひろがり、ほとんど斜路をおおい隠すほどの連続したトンネルになった。ところどころにあいた細いすきまが、ひゅうひゅう唸る風と、刃のようにぎらつく金色の日ざしを塔の中に通していた。
小説を書く才能とは、いかにうまくほらを吹くかだ。この文章はなんと見事なほらだろう。
「ものすごく高い塔を建てたら?」というお題に「高すぎて折れる」とか「地面が沈む」とか「上のほうは酸素が薄くなる」なんて回答ではおもしろくない。

「月や太陽の高さを超える」「あまりに高すぎて塔の下のほうから少しずつ夜になる」という大胆な発想。そして、まるでその世界に行ってきたかのような丁寧な描写。
月や太陽より高い塔など建てられないことを知っているのに、この文章を読むと月よりも高い塔の姿が浮かんでくるようだ。感服。



『理解』も、作者の類まれなる想像力が存分に発揮された小説だった。

天才が登場する物語は少なくないが、我々の想像力を上回る天才というのはめったにいない。
ただ単に物事をよく知っている人だったり、計算が速かったり、あるいは神のようになんでも言い当てる人だったりで、それって「博識」「頭の回転が速い」「予言者」なだけで天才とは違うよね、と言いたくなる。
作者の想像力が足りないから天才を描けないのだ。
小学一年生に「どんな人が天才だと思う?」と訊いたら「計算が速くてまちがわない人」というような答えが返ってくるだろうが、ぼくらの思いえがく天才もそれと大差ない。

『理解』はあるきっかけで天才的な頭脳を手に入れた男を描いた物語だが、ここではちゃんと天才が描かれている。

子どもと大人は頭の使い方が違う。成長するにつれてより抽象的、深遠な思考が可能になる。大人が抽象的な思想の話をしても、五歳児にはまるで理解できないだろう(できない大人も多いけど)。
それと同じように、ぼくらよりはるかに頭のいい人が難解な話をしていたら凡人にはまったく理解できないだろう。どれだけ時間をかけたって。
だからほんとの天才はぼくらには理解できない。「天才だ」と思わせるように描いてしまったら、それはもう天才じゃないのだ。

この物語の主人公はぼくらの生きる世界の数段上の次元で物事を考えている。もちろん読んでいるぼくにはまったく理解できない。だが「すごすぎて理解できない」ということは理解できる。それだけの説得力がこの文章にはある。
独自の言語を作る、音楽によって他人の精神に任意の影響を及ぼすことができる、短い言葉で相手の精神に攻撃を加えることができるなど、「自分の延長の天才」とはまったく違う天才の姿を見ることができる。



表題作『あなたの人生の物語』もすごい話だった。
地球にやってきた宇宙人とコミュニケーションをとろうとする話。これ自体はSFではおなじみの設定だが、言語学者のアプローチを通して描いているのがおもしろい。

宇宙人の言語が地球のものとはまったく異なる。
  • 発話用の言葉と文字がまったく別の文法から成っている。
  • 文字は複雑な線の組み合わせから成っている。長い文章がひとつの文字で表せてしまうぐらい。
  • 宇宙人は因果律によって物事を考えていない。過去と現在と未来を同時に把握している。
……と説明してもなにがなんだかわからないが、とにかく地球人の感覚ではまったく理解できない言語を持っているのだ。
言語が異なるということは、彼らはまったく異なる感覚を持っていることになる。ということは……。
この先はぜひ読んでいただきたいが、異星人ものだと思っていたら時間もののSFになっていくのがすごい。

いやあ、「よくこんな設定思いついたな」とただただ感心するばかり。
「原因があって結果がある」ことなんてあたりまえだと思うじゃない。それを疑わないじゃない。ふつうは。



『顔の美醜について』はわりとポップなSF作品。
「カリー」と呼ばれる美醜失認処置をめぐる話。カリーを受けた人は、人の顔の美醜の判断がつかなくなる。人の見分けはつくが、相手が美人なのがブサイクなのかがわからなくなるのだ。
カリーによって容姿にとらわれずに人と接することができると主張する人々、それに対して人を道徳的にさせるのは医療措置ではなく教育であるべきだと反論する人や、誰もがカリーを受けたら商売が成り立たなくなる広告業界や化粧品業界の妨害が加わってさまざまな議論が展開される……。

美容整形のような「自分の容姿が良くなる」ではなく「他人の容姿の良さがわからなくなる」処置ってところがミソだね。
他人には道徳的になってほしいけど、自分が道徳的になることには二の足を踏んでしまうからね。「人を見た目で判断するな」と言っている人でも、じゃあ世界一醜い外見の人を恋人にできるかっていわれたら躊躇してしまうだろう。
人を見た目で判断しなくなるのは善なのか、それとも美的感覚という優れた能力を放棄することなのか。
ぼくだったら……。うーん、仕事のときはカリーをして、プライベートでははずすかなー。



ここで紹介した作品だけでなく、総じて高いレベルのSF短篇集。

驚くべきは、これが選りすぐりの傑作選ではなくデビューしてから発表された短篇を順番に集めた作品集だということ。
すべての作品が高い水準を保っているというのがすごい。

他の本も読んでみたいと思ってすぐ調べたが、寡作にしてテッド・チャン氏の単著はこれだけなのだとか。
ううむ、もっとテッド・チャン氏の想像力に触れたいぜ。

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