2021年4月2日金曜日

【読書感想文】ニンニクを微分する人 / 橋本 幸士『物理学者のすごい思考法』

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物理学者のすごい思考法

橋本 幸士

内容(e-honより)
物理学者は研究だけでなく、日常生活でも独特の視点でものごとを考える。通勤やスーパーマーケットでの最適ルート、ギョーザの適切な作り方、エスカレーターの乗り方、調理可能な料理の数…。著者の「物理学的思考法」の矛先は、日々の身近な問題へと向けられた。超ひも理論、素粒子論という物理学の最先端を研究する学者の日常は、「異次元の視点」に満ちている!ユーモア溢れる筆致で物理学の本質に迫る科学エッセイ。

 理論物理学者によるエッセイ。

 ぼくの通っていた大学は変人が多いという世間の評判だったが、その中でもいちばん変人が多かったのが理学部だった。変人扱いというか、じっさいに変な人がいっぱいいた。
 食堂でずっと数学だか物理学だかの話をして楽しそうに笑っている集団とか、構内に立ち止まって中空を見上げているような人とか。サークルに理学部に首席合格したという男がいたが、彼は「脳内でぷよぷよができる。慣れると完全ランダムにぷよが降ってくる。速度もだんだん上がる」と言っていた。
 ある理学部生が「9次元までは脳内でイメージできる」と言ってたので、他の理学部生に「おまえもできる?」と訊くと、「できない人いるの?」という答えが返ってきた。3次元世界だけで生きててすみません。


 とまあ、奇人変人が多いことで知られる物理学部。そこの教授が書くエッセイなのだから、クレイジーな人に決まってる。
 読んでみるとはたしてそのとおり。



 ギョーザをつくっているときに、皮に対してタネが余りそうだったので、皮二枚でタネをつつむ「UFOギョーザ」を考案したときの話。

 僕は子供たちに、くれぐれも急がずにギョーザを作るようにと言い残して、手を洗い、ペンを握った。ギョーザの定理を書き下ろすために。僕の頭はフル稼働した。2枚の皮でタネを包むと、普通のギョーザに比べて、どの程度、容量が増えるのか。様々な妥当な仮定の下、しばらく計算を進めてみると、UFOギョーザは普通のギョーザの3倍の量のタネを包み得ることが判明した。しかし、UFOギョーザを作るには、2枚の皮が必要である。皮とタネを余らせないためには、UFOギョーザと普通のギョーザをそれぞれ何個ずつ、作らねばならないだろうか?
 つるかめ算や! と僕は、ほくそ笑んだ。小学校で教えられる悪名高きつるかめ算、あれがついに人生で役に立つ時が来たのだ。かくして、「手作りギョーザの定理」が完成した。
「定理:具の量と比較してギョーザの皮がn枚足りない時、作るべきUFOギョーザの数はおよそnである」

「たかが家庭でつくるギョーザ、そんな計算する暇があったらつくってみたほうが早いのでは」とおもうのだが、一度疑問を持つと解を求めずにはいられないらしい。



「エレベーターに何人まで乗れるだろう?」という問いに対する解法。

 加えて、物理学は様々な極限状況から新しい考え方や見方を発見していく学問である。エレベーターに本当は何人まで乗れるのだろう、という質問は、極限状況を探査する心を極限まで刺激するのである。近似病の人は、まず人間を立方体で近似するだろう。人間の体重を65キロぐらいとして、人間がほとんど水からできているとすると、体積は1リットル牛乳パックの65本分、つまり40センチ四方の立方体で近似できる。この立方体がエレベーターの内側に何個入るか? エレベーターの中をぐるりと見渡して虚空を眺めている人の頭の中では、そういう計算が繰り広げられている。そして、「うーん、無理したら40人は乗れるんじゃないかな」とか冗談っぽく答えるその人の目の奥は、実は真剣そのものなのである。

 なるほどねえ。これは感心した。

 どっかの入学試験だか入社試験で「ニューヨークにあるマンホールの数を求めよ」的な問題が出されると聞いたことがある。物理学者はこういう問題が得意なんだろうな。
 問いを立て、答えを導きだすための解法を考え、解を求めるために必要な材料を明らかにし、材料がないときは手持ちの材料で近似する。
 こういう思考法ができるようになりたいなあ。




 いちばんおもしろかったのは、ニンニクの皮をむいているときにむきおわったニンニクよりも皮の体積のほうが大きいことに気づいたときのエピソード。
 単純化のため、ニンニクを球だと仮定しよう(中略)。球の体積の公式は、中学校でも学ぶ。一方、ニンニクの皮の面積は、球の表面積の公式だ。実は、球の体積の公式を、球の半径rで微分すると、球の表面積の公式が出てくるのだ。「微分」の定義は、ちょっとだけrを変更した時に出てくる変化分、ということである。つまり、ニンニクの半径rを、皮を剥くことでちょっとだけ小さくすると、体積がちょっとだけ小さくなり、その表面積の分の皮が出てくる、という仕組みなのである。僕は1時間、ニンニクを微分し続けていたのだ。
(中略)
 僕は、左側の、ニンニクの皮の山を注意深く観察した。皮は曲がっているので、自然に、積み重なった皮と皮の間には空間ができている。皮と皮の間の距離はおよそ1センチメートル、と見積もれた。一方、ニンニクの半径はおよそ1センチメートルである。右側はニンニク球の体積、左側はニンニク球の表面積に皮間距離をかけたもの、とすると、数字上、左側の体積は右側の体積のほぼ3倍であるという結論に達した。これは、先ほどの観察結果を再現している。僕は再びニヤリとした。

 ニンニクを微分!
 すごいパワーフレーズだ。

 たしかに皮を剥くという行為は三次元を二次元にすることだから、微分だよね。
 日常生活において微分を使うのなんて速度や加速度を求めるときぐらいかとおもってたけど、こんなふうにも応用が利くのか……。
 言われてみれば「たしかに微分に似た行為だね」とおもうけど、ゼロからこの発想には至れない。

 すげえなあ。何の役にも立たないかもしれないけどすげえなあ。


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