2026年3月30日月曜日

あってもなくてもいい章のはじめの引用文

  海外の本を読むと、章のはじめにどうでもいいフレーズが引用されていることがある。こんなやつ。

目に対して目を そして歯に対して歯を(『マタイ福音書』より)

 本題とまったく関係ないわけじゃないけど、あんまり関係のない引用。あってもなくてもどうでもいい引用。


 学術的な本なのに聖書から引用していたり、『マザーグース』や『不思議な国のアリス』のような子ども向けのお話から引用していたり。海外の本の文化なんだろう。シェイクスピアとかもよく引用されているイメージだ。


 あれを書くために著者はけっこう労力を割いているんだろうな。いろんな小説とかを引っ張り出してきて、章の内容にちょっとでも関係のありそうな文章を探しているんだろうか。それだけで何時間もかかりそうな気がする。あってもなくてもどっちでもいい引用なのに。息抜き的にやっているんだろうか。


 日本で「あってもなくてもいい章のはじめの引用文」をやっている人はあまりいない。宮部みゆきとか伊坂幸太郎がやってた気がするけど、ノンフィクションではまず見たことがない。

 日本の研究者もやったらいいのにね。それも海外のかっこいい小説じゃなくて、もっとどうでもいい文章を引用して。

ふたをあけたとたん、なかからけむりがでてきて あっというまに うらしまたろうはおじいさんになってしまったのです。
(『浦島太郎』より)
オレはケーキなど食っていない!
スポンジとクリームとイチゴを食ったんだ
(『行け! 稲中卓球部』より)

 おお、くだらない文章でもなんかそれっぽくなるな。


【読書感想文】福川 裕一(監修)『超入門!ニッポンのまちのしくみ 「なぜ?どうして?」がわかる本』 / 超高層ビルは建てられるけど建てない

超入門!ニッポンのまちのしくみ

「なぜ?どうして?」がわかる本

福川 裕一(監修) 淡交社編集局(編)

内容(e-honより)
なぜ都会の真ん中には高いビルが集まっているの?町はどこまでが都会で、どこからがそうじゃないの?ビルの頭が同じくらいの高さでナナメに切られているのはなぜ?神社やお寺ってコンビニより多いってホント?なんで日本の町は電柱・電線だらけなの?雨ってどこに流れていくの?…チャット形式でサクサク読める!

「まちのしくみ」についての入門書。

 都市工学に関する本を読んでみようとおもって手に取ったのだが、あまりにも入門書すぎた。小学生向けぐらいの内容。



 高さ数百メートルを超える超高層ビルが日本にほとんどないわけ。日本は地震が多いからだとおもっていたけど、実は技術的には地震に耐えられるような超高層ビルも建てられるんだそうだ。

「いや、実は超高層ビルはそんなに効率は良くないんだ。
その土地に建てられる建物のゆかの広さは、都市計画っていうルールで上限が決まっているからね。
それに考えてごらん?
超高層ビルに人がたくさん集まったら、移動のためのエレベーターもたくさん必要になる。
つまり、高くなればなるほど、エレベーターをつくるスペースもたくさん必要ってわけ。
だから結局のところは、広い土地がいるってことなんだ。」

「そっか。じゃあ、世界の超高層ビルはなぜ建てられたんですか?」

「それはね、「新しい町のシンボル」としてつくられることが多いんだ。
これから開発する場所だから、きびしいルールがない場合も多い。
日本はある程度開発された町が多いだろう?
だから、いろいろな法律で「してはいけないこと」が決められている。
たとえば飛行機のじゃまになるビルは、空港近くに建てられない。
日本は若い人が少なくて年寄りが多い、発展途上国の真逆の、成長しきった国だ。
そこに高いビルを競ってつくる必要があるのか、新しい建物がそんなに必要なのか、っていうことが、そこまで高いビルがない理由のひとつだと思うよ。」

 なるほどねえ。超高層ビルを建てるメリットがあんまりないのか。

 超高層ビルを建てても土地面積によって総床面積(すべてのフロアの床面積の合計)は決まっている。土地を広げれば総床面積も広げられるが、都心に広い土地を確保するのはむずかしい。かといって田舎に超高層ビルを建ててもしょうがない。

 エレベーターのスペースが多く必要になるから実際に使える床はさらに狭くなる。防災設備も多く必要になるし、高いビルは移動に時間がかかるなど利用者にとっても不便なことが多い。タワマンも決して住みやすいとは言えないらしいし。

 高すぎる建物には「目立つ」「見晴らしがいい」ぐらいしかメリットがないわけだ。

 だからこそ国力を見せつけるために建てたりするんだろうけど。クジャクが派手な羽を広げるのといっしょだね。あんまりメリットがないからこそ、そんな建物を建てるぐらい余裕があることを示すためことができる。



 この本に書かれているのは長く生きていたら自然と耳にするような知識がほとんどだったけど、知らなかったのはアルベルゴ・ディフーゾ(Albergo Diffuso)という観光地の形態。アルベルゴ・ディフーゾとはイタリア語で「ちらばっている宿」の意味だそうだ。

「早くから空き家が問題だったイタリアの取り組みで「町全体がホテル」だって考えるようにした。食事は町のレストラン、お風呂は近所の温泉、泊まるところは空き家を改造した宿というように、お客さんが町の中を動くことで、町にお金が落ちて、町全体を活性化させようって発想なんだ。
日本でも「分散型ホテル」って名前で、まちぐるみで客をもてなしているところがあるんだよ。」

 なるほど。これは楽しそうだ。温泉街とかって独特の雰囲気があってけっこう好きなんだよね。

 ぼくは海外旅行に行ったときはなるべく現地の人と近い暮らしをしたいんだけど、ホテルに泊まってるとそれはむずかしい。地元スーパーとかに行っても調理手段がないからお菓子ぐらいしか買えなかったり。かといってホームステイとかはいろいろ気苦労も多そうだ。

 こんなふうに「町全体が宿」だと、ホテル宿泊客と現地の人の中間ぐらいの生活ができそうだ。

 調べたら、岡山県矢掛町や長崎県平戸市など、日本でもアルベルゴ・ディフーゾの取り組みは始まっているらしい。行ってみたいなあ。

 ただ、日本に定着させようとおもったら「アルベルゴ・ディフーゾ」ってネーミングはよくないとおもうぞ。言いづらすぎる。

「散宿」みたいに短い言葉じゃないと定着しないぜ。


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2026年3月26日木曜日

【読書感想文】渡辺 佑基『進化の法則は北極のサメが知っていた』 / 時間の流れは体温が決める!

進化の法則は北極のサメが知っていた

渡辺 佑基

内容(e-honより)
2016年、北極の深海に生息する謎の巨大ザメ、ニシオンデンザメが400年も生きることがわかり、科学者たちの度肝を抜いた。このサメはなぜ、水温ゼロ度という過酷な環境で生き延びてこられたのか?そして地球上の生物はなぜこんなにも多様に進化したのか?気鋭の生物学者が世界各地でのフィールドワークを通じて、「体温」を手がかりに、生物の壮大なメカニズムに迫る!

 生物学者が「体温」をキーワードに、生物の行動、寿命、それぞれの時間について考えた本。

 同じ著者の『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』もおもしろかったが、これもすごくおもしろい。理論もおもしろいし、理論の話を読んでいてちょっと疲れてきたなとおもったらフィールドワークの話が挿入される。このバランスがちょうどいい。

 いやあ、いい本だった。



 第一章では北極海に生息するニシオンデンザメというサメの話が語られる。

 結果は驚きだった。まず、一九六〇年前後の核実験の時代に生まれたと考えられるサメ(炭素の放射性同位体を高濃度で含むサメ)は、体長二メートル強であった。体長二メートルのニシオンデンザメといえば、稀に捕獲される「赤ちゃんザメ」である。ほとんど生まれたばかりに見える赤ちゃんザメですら、年齢は五〇歳以上だったのである。
 では大人になるのには何年くらいかかるのだろう。ニシオンデンザメのメスは体長四メートルほどで性成熟すると考えられているが、その大きさまで育つにはなんと一五〇年もかかると推定された。これほど成長の遅い動物は他にいない。
 それではニシオンデンザメの寿命は何年くらいなのだろう。種としての最大サイズに近い体長五メートルの巨大なニシオンデンザメの眼球組織から、その個体は約四〇〇歳だと推定された。寿命四世紀。これほど長生きする脊椎動物は他に知られていない。
 異常に遅い成長速度と異常に長い寿命。ここにも温度係数を通した低体温の影響をはっきりと見て取ることができる。体温が下がるほど動物の代謝量が下がり、新しい細胞の生み出されるペースが鈍化する。それだけでなく、体の大きな動物ほど成長するには多くの細胞が必要とされる。だから低体温と巨体という二つの要素が組み合わされると、数世紀にわたる成長や寿命という耳を疑うような結果がもたらされるのである。

 なんとこのサメ、400年も生きるのだという。とんでもなく長生きだ。長生きの代表とされるカメでも寿命は数十年ぐらい(最長でも約200年)だというから、ニシオンデンザメがいかに長生きかがよくわかる。

 なんでニシオンデンザメがこんなに長生きなのかというと、体温が低いからだという。変温動物なので、周囲の水温が0度だと体温も0度近くになる。体温0度! 体温が低いとすべての活動が鈍化する。ニシオンデンザメは7秒に1回ペースで尾びれを振り、時速1km以下でのろのろ動き、2日に1回ペースで獲物を獲るのだという。すべてがスローペースだ。

 結果、成長も遅くなり、老化も遅くなり、ニシオンデンザメは長生きできるわけだ。




 第二章では、逆に、極寒の地で高い体温を保っているアデリーペンギン。

 この深刻な欠陥を克服するためには、ただ食べ続けるしかない。親ペンギンの捕らえた獲物の一部は雛に与えられるが、残りは自分で消化し、自らのエネルギー源としている。子育て中のアデリーペンギンは、脂肪分の豊富なオキアミを一日に八〇〇グラム(体重の二割)も必要とすると推定されている。そのような大量の獲物から得られたエネルギーを元に、ペンギンは南極の致死的に冷たい海の中で活発に体を動かし、熱を発生させ、体温を維持している。

 ペンギンは恒温動物なので南極でも高い体温を維持している。おかげでアデリーペンギンはニシオンデンザメと違い、活発な動きが可能になる。これは餌をとる上で有利になる。



 そして第三章はホホジロザメの話。ホホジロザメはニシオンデンザメとアデリーペンギンの中間のような体温を保っているという。魚類なのに水温よりも高い体温を維持しているのだ(ちなみに恐竜もホホジロザメのように、変温動物にしては高めの体温を維持していた可能性が高いという)。

 以上のように、代謝量理論の前では変温動物や恒温動物、脊椎動物や無脊椎動物、魚類や哺乳類といった従来の枠組みや分類群の壁はがらがらと崩れ落ちる。総じて体温の高い生物ほど運動能力が高くて大食いであり、体温の低い生物ほど動きが鈍くて省エネである。また体の大きな生物ほど、その体の割にエネルギーの消費量が少なく、体の小さな生物ほど、その体の割には高出力である。オキアミであれサメであれペンギンであれシャチであれ、その生物のエネルギー消費量、運動能力、ひいては生き方そのものを決めるのは、たった二つの要素、つまり体の大きさと体温なのである。

 哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類、無脊椎動物、恒温動物、変温動物、陸棲成物、水棲生物。いろんな区分があるけど、その区分をとびこえて「体の大きさと体温で活動量が決まる」というものすごくシンプルな法則が成り立つのだそうだ。

 体温なんて風邪をひいているかどうかを調べるためのものとしかおもっていなかったけど、こんなにも重要なファクターだったとは!

 生物って種によって見た目も行動もぜんぜんちがうからまったく別の仕組みで動いているように見えるけど、すべての種を貫くこんなにシンプルな法則があったなんて、なんかすごくわくわくする話だ。ニュートン方程式や地動説や質量とエネルギーの等価性のような美しさがある。



 体温(つまりは代謝量)によって活動量が変わり、活動量が変わるということは時間の感覚も変わる。

 もちろん人間も例外ではない。

 ついでに言うと、人間は成人して以降、体重は大きく変わらなくても加齢とともに代謝量が落ちていく。二〇代の頃を基準にすると、四〇代で基礎代謝量は約一〇パーセント低下し、六〇代になると約一五パーセント減少する。代謝量が落ちるということは、まるでニシオンデンザメのように時間の濃度が減るということであり、一日、一週間、一か月という一定の時間の持つ重みが減るということである。年をとるほどに時間の流れが加速していくという、誰もがうっすらと(あるいははっきりと)感じている感覚には、このように科学的な裏付けがある。

 なるほどー。大人になると1日が経つのが早く感じるのは経験や慣れによるものだとおもっていたけど(その要素もあるんだろうけど)、物理学的な理由もあったんだな。

 歳をとるにつれ、アデリーペンギンからニシオンデンザメに近づくわけだ。心臓の鼓動や呼吸のペースがゆっくりになり、代謝が減る。すべてがスローペースになるので、あっという間に時間が流れる。


 ファンタジーでエルフという種族は長生きすると言われているが、ってことはエルフはめちゃくちゃのんびりしてるんだろうな。ニシオンデンザメのようにゆっくり動いて数日に一度しか食事をしない。(人間から見ると)ぼんやりしていてなんともつまらない種族だ。



 さっきも書いたけど、具体例(実体験)と理論のバランスがすごくいい。

 調査の体験記や失敗談が語られるので研究者のエッセイとしてもおもしろいし、ニシオンデンザメ、アデリーペンギン、ホホジロザメなど種ごとの観察結果を書き、具体の積み重ねの結果としての総括的な理論が書かれる。

 わかりやすくていい構成だ。もちろん内容もおもしろいんだけど、なにより構成がすばらしい。

 いろんな面で勉強になるなあ。


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2026年3月24日火曜日

いちぶんがく その25

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。



それとも、日本社会はYahoo!ニュースのコメント欄に従うしかないと思っているのでしょうか。

 (橘 玲『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』より)




顔色も青白く、いつも日に焼けていた兄と並べれば、まるで揚げ過ぎたトンカツに寄り添うキャベツのようだった。

(朱川 湊人『花まんま』より)




私はあなたを分かっているよ、と頭上から注がれる声は、優しさに満ちているけれど、だからこそ反吐が出る。

(逢坂 冬馬『歌われなかった海賊へ』より)




俺は最初から、完全に頭がおかしいのだ。

(品田 遊『名称未設定ファイル』より)




暴れる猪を小さな箱に閉じ込めるようなつもりで、僕は強引に自分の感情に封をした。

(浅倉 秋成『教室が、ひとりになるまで』より)




彼の村の辺りでは、女の子を牛デートに誘うのは、町で映画や夕食に誘うのと同じくらい一般的なことらしい。

高野 秀行『未来国家ブータン』より)




なお、誤解を招かぬよう宣言しておくが、私の尻は赤くない。

(川上 和人『鳥肉以上、鳥学未満 Human Chicken Interfaceより)




ただ一言、自分にとってあなたは兄なのだと伝えられればいいのでしょうが、本当の兄弟がそんな言葉を交わさぬように、やはりそれが口から出てこないのでございます。

(吉田 修一『国宝』より)




ふたりのファーストキスは化学ですら説明でいないほど耐久性の高い接合剤だった。

(ボニー・ガルマス(著) 鈴木 美朋(訳)『化学の授業をはじめます。』より)




肉まんは肉まんでも、精密に制御された恐るべき肉まんなのだ。

(渡辺 佑基『進化の法則は北極のサメが知っていた』より)




 その他のいちぶんがく


【読書感想文】ボニー・ガルマス『化学の授業をはじめます。』 / おとぎ話のような単純さ

化学の授業をはじめます。

ボニー・ガルマス(著)  鈴木 美朋(訳)

内容(e-honより)
1960年代アメリカ。才能ある化学者だが女性ゆえ保守的な科学界で苦闘するエリザベスは、未婚のシングルマザーになったうえ失職してしまう。ひょんなことから彼女が得た仕事は、料理番組の出演者だった!?「セクシーに、男性の気を引く料理を教えろ」という命令に反して、科学的に料理を説くエリザベス。しかし意外にもそれが視聴者の心をつかみ―。全米250万部、世界600万部。2022年最高の小説がついに日本上陸!

 舞台は1960年代のアメリカ。エリザベスは女性であるがゆえに様々な不利益を被ってきた。教授のアカハラ&セクハラのせいで博士号は取得できず、勤務先の研究所では正当に能力が評価されない。さらに未婚の母となったことが原因でクビになってしまう。研究所に復帰しても手柄を横取りされる。

 そんな折、エリザベスはひょんなことからテレビ番組の料理番組の司会者に抜擢される。その歯に衣着せぬ物言いや科学的な語りがウケて料理番組は全米で大人気になり……。


 女性の生きづらさを描いたフェミニズム小説。主張はわかるんだが、ちょっとテーマを強調しすぎというか、はっきりいって説教くさい。主人公のエリザベスは無神論者なのだが、皮肉なことにこの小説が聖書のようになっている。

 横暴で無理解な男たちの姿がこれでもかと強調され、悪人は一片の同情の余地もないどうしようもない悪人として描かれる。そして己の正しさを信じて突き進んだ主人公やその味方はやがては世間から認められ、悪人は報いを受ける。

 水戸黄門や遠山の金さんといっしょだよね。いってみれば勧善懲悪ポルノ。リアリティなんからどうでもいいからとにかくスカッとする小説を読みたい人にはいいんだろうけど、個人的には丁寧に人間を描いた小説を読みたいな。ちょっと単純明快すぎる。


 主人公のように「正しいことは正しいと言う、納得のいかないことには決して組しない」という生き方ができればいい。誰もが願うことだ。

 でもそんな生き方が貫くことができるのは、ごくごく一握りの才能と幸運に恵まれた天才だけだ。そういう人の話を読みたければ『シンデレラ』や『はなさかじいさん』を読んでいればいい。

 以前読んだチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』は、特別な才能や奇跡的な幸運に恵まれない女性の人生を書くことで、女性の生きづらさを描いていた。個人的にはこっちのほうが100倍有意義なことをやっていたとおもう。

『82年生まれ、キム・ジヨン』が丁寧にリアルな女性の人生を書いていた分、『科学の授業をはじめます。』の単純明快すぎるストーリーが気になってしまった。




 おもしろかったのは、主人公・エリザベスの生き方よりも、その周囲にいるボート愛好家の人たち。ふだんは理知的なのに、ボートのこととなると憑りつかれたかのように他のことが何も考えられなくなる。

「それに、わたしはやることがたくさんあるので」エリザベスはもう一度言った。
「朝四時半に? 出かけたと気づかれる前に帰ってこられます。二番ですよ」彼はこれが最後のチャンスだと言わんばかりに強調した。「覚えていますか? この話はしましたよね」
 エリザベスはかぶりを振った。キャルヴィンもこうだった――ボートが何より優先されて当然だと思っていた。エリザベスは、ある朝別のボートの漕手たちが、五番が来ないと不思議がっていたのを思い出した。コックスが五番の自宅に電話をかけると、彼は高熱を出していた。「そうか、でもいますぐ来るんだ、いいな?」と、コックスは命じたのだった。
「ミス・ゾット」メイソンは言った。「いますぐにとは言いませんが、ほんとうにあなたが必要なんです。一緒に漕いだのは数回ですが、あのとき感じたものは本物でした。それに、またボートを漕げば、あなたが楽しい気持ちになれる。われわれみんなが」今朝のことを思い出す。「楽しい気持ちになれます。ご近所さんに訊いてみてください。子守をしてくれるかどうか」「朝四時半から?」
「ボートについてその点が知られていないのは残念ですね」メイソンは立ち去る前に言った。「ボートって、みんながひまな時間帯に漕ぐんですよ」

 これは産婦人科医が、一歳の乳児を持つエリザベスをボートの練習に誘うシーン。

 赤ちゃんを持つ母親を誘うなよ。しかも産婦人科医が。しかも朝四時半って。朝四時半がひまなわけないやろ。ツッコミ所しかない。

 しかもボートの練習はめちゃくちゃハードで、漕ぎ終わると毎回「もう二度とやるもんか」と思う、なんて語っている……。

 いるよなあ、こういう狂人! ぼくも一時長距離走をやっていたのでちょっと気持ちはわかるけど……。



 エリザベスのやっている料理番組『午後六時に夕食を』はすごくおもしろそうだ。ぼくも観てみたい。

 ウォルターはしばらく目を閉じ、観客席のざわめきに耳を澄ませた。椅子がきしむ音、小さな咳。遠くから、カリウムとマグネシウムが体内でどのような働きをするか説明するエリザベスの声が聞こえてくる。この部分のためにウォルターが書いたキュー・カードは、とくに自信作だったのに。“ほうれん草ってきれいな色ですよね。緑色。春を思わせます”。彼女はそれをすっ飛ばした。
「……ほうれん草は肉と同じくらいの鉄分が含まれているから体力の増強に効果があると信じられています。しかし実際には、ほうれん草はシュウ酸の含有率が高く、鉄分の吸収を阻害します。つまり、ポパイはほうれん草で強くなったとほのめかしていますが、彼を信じてはいけません」

 よく、テレビはバカに向けて作るって言うじゃない。実際、多くの作り手はそう考えているんだろう(よく伝わってくる)。

 たしかに世の中にはバカも多いけど、学ぶことを好きな人も多いとおもうんだよね。だからもっと本当の教養番組をつくってほしい。Eテレとかはたまに本気の教養番組を作ってるけど。

 フェミニズム小説としてはイマイチだったけど、「知に対して真摯に向き合う人が世間と格闘する小説」としてはけっこうおもしろく読めた。


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2026年3月13日金曜日

22世紀の道具と21世紀の道具

 ドラえもんの道具ってすごく危険だよね。

 これ使いようによっては大けがするぞとか、死んでもおかしくないぞとかいうものもあるし、もっといえばこれ下手したら人類滅亡させちゃうじゃん、地球消滅しちゃうじゃん、みたいな道具もある。

 こんな危険なものを勝手に使ってたら22世紀の世の中はめちゃくちゃになっちゃうぞ、と心配してしまう。


 まあ漫画だから。しょせんまだ見ぬ22世紀の話だから。


 じゃあ。

 21世紀の我々が使っている道具ははたしてそんなに安全なんだろうか。

 たとえば自動車。使いようによっては自分や他人の命をかんたんに奪ってしまう。

 たとえばインターネット、たとえばスマホ。使いようによっちゃあ国がひっくりかえるほどの影響を与えることもできる。

 数世紀前の人間が21世紀の道具を見たら「そんな危ないものをそのへんの人たちがあたりまえに使ってて大丈夫なのか!?」とびっくりするかもね。



2026年3月11日水曜日

小ネタ47(関 / Eテレ VS 五輪 / カンタ VS サツキ)


「大の里関」のように、関取は「関」をつけて呼ぶ。

 こんなふうに特定の職業にだけつく敬称って他にあるのだろうか(〇〇大臣、〇〇名人、〇〇師匠のように肩書そのままの敬称を除く)。


Eテレ VS 五輪

 朝はEテレの子ども番組を観ている。平和な気持ちで一日をスタートできるからだ。

 だがオリンピックのフィギュアスケートのせいで番組がつぶれた。『みんなのうた』も『プチプチ・アニメ』も『ピタゴラスイッチ』も『0655』も『The Wakey Show』も。

 競技のせいで番組がつぶれるのはまだ許そう。だが競技が終わって結果が出た後も、リプレイとか選手が喜んでいる様子とかを長々と放送して、そのせいでいくつかの番組がつぶれた。そういうのは生で放送する必要がないだろ! 夜のニュースとかに回せ! それかBSでやれ! それも無理なら総合でやれ! Eテレは聖域であれ!


カンタ VS サツキ

サツキに面倒な雑務を押しつけるカンタ

「……ん! ……んっ!」





2026年3月9日月曜日

【読書感想文】東田 大志『パズル学入門 パズルで愛を伝えよう』 / パズルで告白してはいけない

パズル学入門

パズルで愛を伝えよう

東田 大志

内容(e-honより)
「ビラがパズルの人」として注目を集める気鋭のパズル研究者による画期的な一冊。パズルとは何か?世界で最も古いパズルは?パズルにはどんな種類があるの?時代の最先端をいく最新パズルとは?などなど、さまざまな角度からパズルの魅力に迫ります。パズルの作り方も伝授、著者作成のオリジナルパズルも満載です。

 パズル愛好家・パズル作家によるパズルの入門書。

 前半は、パズルの定義、パズルの歴史、世界の各種パズルなど「パズルとは何か」に関する説明。正直、ここはなくてもよかったんじゃないかなあ。この本を手に取るのはほぼパズル好きだけだろうから、「パズルの魅力とは」みたいなことにページを割く必要ないとおもうんだよね。

 ぼくも30年以上総合パズル雑誌『ニコリ』の愛読者をやっているほどのパズル好きだけど、「パズルをやると脳が鍛えられる。これからの時代を生き抜くための問題解決能力がパズルによって……」とか言われると「うっせええええ! パズルはおもしろい、おもしろいからパズルをやる、それ以上の理由があるかあああ!」と言いたくなる。

 いやほんと「パズルをやる理由」なんて「おもしろいから」しかない。他は全部後付けの理由だ。「おもしろいとはおもわないけどこれからの時代を生き抜く力を養うためにパズルをやろう」と考える人間がパズルを続けられるはずがない。



 おもしろかったのは著者のパズル偏愛エピソード。

 恥ずかしい話ですが、わたしはパズルを作るようになって間もない高校生のとき、クロスワードパズルで好きな女の子に告白しようとしたことがあります。そのクロスワードパズルは、解き終わると対角線上に「ツキアツテクダサイ」という文字が並ぶはずでした。しかし、実際に出題してみたところ、難しすぎたのか「解けない」と返ってきました。改めて告白する勇気もなく、結局告白は失敗に終わってしまいました。今ならもっと「愛」のあるパズルを作れる自信があるので、相手が解けないなんてことはないだろうに、と思います。付き合ってもらえるかどうかは置いといて。

 ふはは。若い頃ってこういうことやっちゃうよなあ。

 そういやぼくも仲の良かった女の子にパズルの本をあげたなあ。あれも今おもうと「パズル好きであるぼくのことをもっとよく知ってもらいたい」という気持ちの表れだったんだろうなあ。

 パズルで告白って、相手もパズル好きでないかぎりは絶対に不正解だとおもうんだけど、若い頃ってこういう間違いをしちゃうんだよなあ。パズルは解けるのに。



 中盤からはやっと自作パズルの紹介やパズルの作り方の解説になるけど、とにかく文量がものたりない。パズルを解きたいならふつうにパズル本を買った方がいい。

 パズルを好きじゃない人が手に取るような本じゃないし、パズル好きにはものたりない。どっちつかずで誰にも刺さらない内容になっている。

 岩波ジュニア新書だからしょうがないか。


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2026年3月6日金曜日

アイドル進化論


会いたくても会えないアイドル

会いに行けるアイドル

日常的に会えるアイドル

会いに来てくれるアイドル

また会いに来るアイドル

押しかけて来るアイドル

なかなか帰らないアイドル

居座るアイドル

居つくアイドル

出ていってほしいアイドル

こうなったらもう消すしかないアイドル

消されたアイドル

失ってはじめて存在の大きさを感じるアイドル

どれだけ嘆いてももう還ってこないアイドル

会いたくても会えないアイドル


2026年3月5日木曜日

【読書感想文】香川 知晶『命は誰のものか』 / 臓器税を作ったらいいのに

命は誰のものか

増補改訂版

香川 知晶

内容(e-honより)
現在、人間の生命をめぐって、どのような問題が生まれ、どのような議論があり、なにが問われているのか。問題は、さまざまな価値の大本にあるわたしたちの命にかかわっている。そこには、現在の社会が直面している課題が典型的に示されている。

 医療リソースが逼迫しているときのトリアージ(救う順番を決めること)、出生前診断、体外受精、尊厳死、臓器移植などの医療倫理についての歴史や議論を紹介する本。

 教科書のように浅く広く中立的に紹介しているので、あれこれ書いて結局何が言いたいねん、みたいな着地をしていることが多い。

 またあれこれ議論をめぐらさた挙句、現実離れした結論に至っていることもある。たとえばトリアージの項で、締めくくりが「そもそも医療リソースが逼迫しないようにすることが重要だ」的なことが書いてある。それって「お金がないから食費を削るか外出を控えるか娯楽費を削るか」って話をしてるときに「年収を倍にすれば解決するよ」って言ってるようなものじゃないか!



 関心を持ったのは、第三章『あなたは、生まれてきた子に重い障がいがあったとしたら、治療に同意しますか? そのまま死なせますか?───障がい新生児の治療停止』。

 ぼくも子どもが生まれるときはこのへんのことを心配したから、親の苦悩もわかる。

 ダウン症という異常は時代や地域にかかわらず一定の割合で起こる。当然、ジョンズ・ホプキンス・ケースと同じ問題は、日本でも起こることになる。そうした日本での事例を、ジャーナリストの斎藤茂男さんが一九八五年に『生命かがやく日のために』(共同通信社)にまとめて、報告している。
 話は、ある総合病院の看護師が、匿名で通信社にあてて書いた投書から始められている。投書は、その人が勤務している新生児室で誕生した赤ちゃんが、親の手術拒否で点滴だけで命を保っていることを告げていた。早産で生まれた新生児は、ダウン症で腸閉塞の合併症をもっていた。何とかして手術を受けさせ、命を救う手だてはないのだろうかと投書は訴えていた。

(中略)

 まず届いた反響の多くは、新生児の救命を願う立場からのものだった。そうした投書には、ダウン症児をもつ親たちが障がいをもつ子も人間として生きていることを心から実感しながら子育てをしている喜びが素直につづられていた。いずれも赤ちゃんの命が一刻も早く助けられるようにと祈っていた。手術を求める署名簿が添えられた投書もあった。
 そうしたところに、通信社には、第三者がよけいな口をはさむな、他人に何がわかるのか、重度のダウン症の者を家族にもって何度死のうと思ったことかという手紙が舞い込む。この投書が届いたあたりから、反響の内容は大きく変化していく。
 決定的だったのは、「私はその赤ちゃんはひっそり抹殺したほうがいいとおもう」という「病気のためにチエ遅れ」になったという障がい者自身からの投書だった。こうして、投書には、最初のころとはまったく逆に、障がい者とその家族をとりまく残酷な現実を語り、親の手術拒否に賛成するものが増えることになる。いずれも、読むものの胸を突く、重い内容をもつものだ。

 ダウン症の赤ちゃんが生まれた。腸閉塞の症状を持っていた。治療すれば助かる可能性が高い。だが親は治療拒否(そのまま死なせる)道を選んだ。

 むずかしい問題だ。積極的に手を下す(殺す)のはもちろん犯罪だが、「手術をさせない」は犯罪ではない。法ではなく倫理の問題だ。

 正直、どっちの気持ちもわかる。自分が親の立場だったら悩むとおもう。そりゃあ道徳的には「赤ちゃんの命が一刻も早く助けられるように」がタダシイ意見だろう。でもそれは無関係な人の無責任な意見だ。「新生児の救命を願う」手紙を書いた人たちは、その子のために何もしてくれない。子育てを代わってくれるわけじゃない。「すべての命は等しく尊い」と言うのはタダだ。

「手術を拒否する」という決断をした親を、無責任な親だということはできない。深く悩んだ末に決断を下し、「子どもを見殺しにした」という十字架を背負って生きていく覚悟をしたのだ。そんな人を高い所から非難することはできない。

 障害を持った子を育てるのはそうでない子を育てるのより負担が大きいことはまぎれもない事実で、その現実に目をつぶって「すべての命は等しく尊い」ときれいごとを言うのはあまりにも無責任だ。


「障害を持って生まれたけど生まれてきて良かった」と思う人もいるし、「こんな苦しい人生なら生まれてこなきゃ良かった」と思う人もいるだろう。

「この子を育てる代わりにもう新たに子どもを産むのをあきらめる」も「この子は見殺しにするがまた子どもをつくる」も、一人の命を救って一人の命をなかったことにするという点では同じじゃないかとおもうんだけどね。


 ところで、うちの子が生まれる前に病院から「出生前診断をすることができます。それによりダウン症などの疾患を抱えているかどうかが(100%の精度ではないが)わかります。どうしますか?」と訊かれた。

 でもさ、それを訊かれたときってもう中絶できる期間を過ぎていたんだよね。つまり「ダウン症の可能性が高い」とわかったところでどうすることもできないわけ。

 夫婦で話し合って「どっちみち中絶できるわけじゃないし精度も100%じゃないし、診断を受けたって心配の種を増やすだけだよね」ということで診断は受けなかった。

 あの制度、何のためにあるんだろう。




 ちょいちょい著者の主張らしきものも顔を出すんだけど、どうもそれがぼくの思想と相いれないんだよね……。

 たとえば死後に臓器移植のために身体を提供することについて。

 医療技術の進歩は人体をきわめて有用な資源として開発してきた。臓器移植はその典型である。人間がそうした資源として生まれてくることを認めなければ、本性的な自己決定は成り立たない。
 人間は死んでも資源として役立つとすれば、望ましいという考え方は十分ありうるだろう。しかし、自分がひとつの資源であると正面切って認めよと迫られると、奇妙な感じがするはずだ。

 いや、まったく奇妙な感じがしないんだけど……。死んだ後の肉体なんて資源かごみのどっちかでしかないだろ。どう考えたってごみになるよりは資源のほうがよくない?

 ぼくは死後に身体がどうなろうとぜんぜんかまわない。臓器移植に使ってもらえるならありがたいし実験のために切り刻まれたってかまわない(さすがに娯楽目的でもてあそばれるのはイヤだけど、声を大にして反対するほどでもない。だって死んでて関知できないんだもん)。

 死んだら強制的に死体は国家が没収して有効利用する、でぜんぜんかまわないけどな。 ぼくが信仰心ゼロだからかな。

 だってさ、既に「死んだら財産の一部または全部は国家のものになる」っていうルールがまかりとおってるわけじゃない。相続税という名のルールが。相続税は認めて臓器提供は許さないのは理解できない(ぼくからすると死体よりも死者が残した財産のほうがずっと価値がある)。

「死後にオレの身体を勝手に使うな! どうするかはすべて俺が決める!」って「オレの金はすべてオレのもの! 税金なんて一銭も払わんぞ!」ってのと一緒じゃない? 税を認めないラディカルなアナーキストなの? 徴税や徴兵は認めて、国家による死後の身体理由を認めないのがよくわからん。

 『臓器税』を作って現物徴収したらいいのに。死後にどうしても臓器を納めたくない人は代わりに金銭で納める、ぐらいの自由は認めてもいいとおもうけど。




 臓器移植に限らず、なんかウェットすぎるようにおもうんだよな。生まれる前の胎児とか死んだ後の身体に重きを置きすぎというか。

「障害を理由に中絶することに反対」ってのはいいとして、だったら現在母体保護法第十四条で「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」を理由に中絶が認められていることにも反対しないと筋が通らなくない?

 なんで障害を理由とする中絶はダメで経済的理由ならいいの? まったく理解できない(一部の宗教信者のように中絶はすべて認めない、のほうがまだ理解できる)。

 なんか合理的な理由なんかなくて、「今の慣行にあってないから賛成しない」みたいな論調が多いんだよな。それはそれで偽らざる心情だろうから個人的見解ならぜんぜんかまわないんだけど、倫理学としてそのスタンスはどうなのよ。


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2026年3月3日火曜日

【映画感想】『映画ドラえもん のび太の海底鬼岩城』

『映画ドラえもん のび太の海底鬼岩城』

内容(映画.comより)
国民的アニメ「ドラえもん」の長編映画45作目。1983年に公開されたシリーズ4作目「のび太の海底鬼岩城」をリメイク。
夏休みにキャンプの行き先で意見が分かれたのび太たちは、ドラえもんの提案で海の真ん中でキャンプをすることになる。ひみつ道具の「水中バギー」と「テキオー灯」を使って海底キャンプを楽しむのび太たち。沈没船を発見したことをきっかけに謎の青年エルと出会うが、なんと彼は海底に広がる「ムー連邦」に暮らす海底人だった。陸上人を嫌う海底人は、のび太たちを信用することができない。そんな中、海底人が恐れる「鬼岩城」が動き始めたという知らせが届く。


 1983年公開『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』のリメイク版。前作映画は観たことがないが、漫画版は持っている。

 小学一年生の娘といっしょに観に行った。骨太の原作をうまく調理できるのか、という不安もあったが概ね満足。


 かなり原作に忠実なリメイクで、大幅に削られたシーンは特にない。ドラえもん映画史上屈指の恐怖シーンである「ジャイアンとスネ夫がこっそりバギーに乗って抜けだす」くだりもしっかり再現されている。映画では毎回危険な目には遭うが、あんなに明示的に死を意識させる状況は他にないよね。


 原作を読んだときは「なんだか終盤がやけにあわただしい作品だな」と思ったが、2026年映画版でもその印象は変わらず。敵らしい敵が出てくるのが8割ほど経過してからだからね。だから終盤は説明台詞が多い(漫画版だと後半は文字だらけになる)。

 ここは改善してほしかったところだな。

 特に1983年時は冷戦下なので「二国間の対立」「軍拡競争が招いた地球滅亡の危機」というテーマが受け入れられやすかったのかもしれないが、今の時代に「核実験の失敗で国が滅んだ後も自動報復システムが起動している」という設定を台詞だけで理解させるのは相当苦しい。大人でも原作を読んでないとしんどいぜ。


 ただ前半の「宿題を終わらせるまでキャンプに行ってはいけないとママから言われたのでみんなで協力してのび太の宿題を終わらせる」パートや、中盤の海底豆知識、藤子・F・不二雄氏の想像力が存分に発揮された海中生活の描写(特にトイレのリアリティにこだわるあたりがすばらしい)もそれはそれでおもしろい。物語として見ると冒頭の「のび太がドラえもんの力を借りずに宿題を終わらせる」シーンは蛇足かもしれないけど、日常から自然に冒険の世界へと連れてってくれる役割をはたしている。映画を見慣れている大人にとってはいらないかもしれないけど、子どもにとっては重要な描写だ。

 反面、幽霊船のくだりはばっさり削ってもよかったんじゃないかと思う。幽霊船が移動してる意味がまったくわかんないし(しかも海上を移動してたよね)。



『海底鬼岩城』といえば、ドラえもん以上の存在感を見せるバギー。本作の主役といってもいい。

 2026年版では、バギーの心境の変化(心があるのかわからないが)をより丁寧に描いている。原作で持っていた性格の悪さ、ポンコツ感も薄めで、ラストの悲劇性が際立つように作っている。

 しずかちゃんだけでなく、のび太とバギーの「友だち」に関する会話など、くどいぐらいにバギーの胸中が強調される。そのへんは個人的には説教くさくて好きではないのだが、子ども向け映画としてはこれぐらいわかりやすいほうがいいのかもな。「前の持ち主に粗末に扱われていた」という背景を付与したのも心境の変化に説得力を与えている。結果的に『空の理想郷』のソーニャみたいになってしまったけど……(バギーとソーニャがたどる結末も似ている)。


 逆にポンコツ感が増したのがボス・ポセイドン。AIがすっかり身近になった現代の感覚だと、ポセイドンのダメさが目に付いてしまう。感情的になりすぎ。自動報復システムAIがあんなに威張って何かいいことある? まったくしゃべらないほうがかえって不気味さが増したんじゃないかな。

 あとしずかちゃんが攻撃されなかった理由の「我には女のデータが少ない」ってなんだよ。エロか?

 原作でしずかちゃんが口にする「女の子だったら手荒なことはされないとおもうの」が今の時代にふさわしくないから回避したんだろうけど、結果的にもっとふさわしくない台詞になってないか? なんで今から地球を滅ぼそうとするやつが女のデータ集めるんだよ。

 単純に「逃げ遅れたしずかちゃんがさらわれる」ぐらいでよかったのに。

 ついでにいえば、アトランティスが滅んだシーンを爆発で表現してたけど、あれはおかしい。国が滅ぶほどの爆発なら、バギー1台突っ込んだだけで壊れるほど脆弱なポセイドンが無事なわけない。「放射性物質漏れでアトランティス人は死に絶えたが機械は動作を続けた」とかにしないと。


 おっと。ちょっと愚痴が多すぎた。

 良かったとおもえたのは、オープニング映像の美しさ。昨年の『絵世界物語』のオープニングもすばらしかったけど、あの「さあ今からドラえもんの映画が始まるぞ!」というわくわく感だけでも足を運んだ価値があると思える。

 改変箇所で感心したのは、ラストのしずかちゃんの涙。漫画版だと涙がぽたりとドラえもんの上に落ちるのだが、今作では涙がふわっと周囲に広がる。そういえば忘れてたけどここは海中だった! 涙が落ちるわけないよな!(トイレにはこだわったF先生も涙のことは忘れていたのだろうか)


 良くも悪くもオリジナルの印象が強くのこり、原作の強靭さを改めて実感するリメイクだった。


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2026年3月2日月曜日

【読書感想文】瀧本 哲史『武器としての交渉思考』 / デモに効果がない理由

武器としての交渉思考

瀧本 哲史

内容(e-honより)
交渉は、若者が世の中を動かすための必須スキル。交渉によって仲間と手を組み革命を起こせ。京大最強授業第二弾。

 経営コンサルタント、エンジェル投資家、大学准教授などの経歴を持つ著者による、“若者に向けて”の交渉の指南書。

 とっくに若者でなくなったぼくでも学ぶところは多かった。

 交渉術といっても「交渉相手の斜め向かいに座れ」みたいな小手先の(そしてどこまで本当かわからない)テクニックではなく、もっと根本的なスキルについて語っている。スキルというより思考法、思想。



 くりかえし語られるのは、交渉に必要なのは自分の要求を伝えることではなく、相手の話を聞くことだというメッセージ。

 たとえば、学生が企業に対して「採用活動のあり方を変えてくれ」とおこなったデモ活動について。

 つまり、デモでいくら自分たちの要望を主張したところで、企業側にそれを受け入れるだけの合理的な理由がない。
 だから、彼らの望みが叶えられる可能性はほとんどありません。
 就活デモをすることで、メディアに取り上げられることを狙っているのかもしれませんが、それであればもっと上手なやり方があるのではないかと思います。現状のままでは、デモすること自体が目的化してしまっているようにしか見えないのです。
 厳しいことを言うようですが、彼らの主張は、基本的に子どもの「駄々」と変わりません。「俺が困るから合意しろ!」「わたしが可哀想だから言うことを聞いて!」という主張は、子どもであれば許されますが、大人の振る舞いとは見なされないのです。

(中略)

 相手に交渉のテーブルについてもらうためには、「自分の立場を理解してもらう」ことより、「相手の立場を理解すること」のほうが大切です。
 つまり、「僕が可哀想だからどうにかして!」ではなく、「あなたがこうすると得しますよね」という提案をするべきなのです。
 相手側の立場、利害関係を考えて、相手にメリットのあることを提示すること。

 そうなんだよね。この件にかぎらず、ほとんどのデモってただの主張であって交渉になってないんだよね。だから効果がない。

 よく政治的な主張を大声で叫びながらデモをしている人たちがいるけど、あれなんて無意味どころか逆効果だとおもうんだよね。あれを聞いて「私の考えはまちがっていた! デモ隊の言うとおりだ!」と考えを改める人がどれぐらいいるとおもう? 「うっせえなあ。あいつら嫌いだわ」となる人のほうがずっと多いにちがいない。

 政権に異議を唱えるデモにしても、政権からしたら「デモに参加するような連中はどう転んだって与党に投票することはないだろうから、これ以上嫌われたってどうってことない」って感じだろう。支持者からそっぽを向かれるのは怖いだろうけど、敵対する政党の支持者から嫌われるのは何のデメリットにもならない。

 デモをすれば「おれたちはがんばった!」という自己満足は得られるのだろうが、デモが何かを動かすことはほとんど期待できない。「この法案を引っ込めてくれたら次の総選挙は与党に投票してやるぞー!」ならまだ検討する価値があるだろうけど(その約束を信じてもらえるかどうかは別にして)。


 労働法では「労働三権」として、労働者に団結権、団体交渉権、団体行動権が認められている。

 労働者が団結(労働組合の組織)する権利、労働組合が使用者と賃金や労働条件等について交渉する権利、そしてストライキをする権利だ。

 この権利が力を持つのは、労働者がストライキをちらつかせられるからだ。
「賃金アップを認めないなら従業員が団結してストライキをするぞ。そうなったら困るだろ」
という交渉(もっとあけすけに言えば脅し)をするからこそ、使用者は
「しょうがない。ストで大きな損失を出すよりはマシだから給与を上げるか」
と折れるのだ。

 労働者がたった一人で「給与上げてくれー!」と言っても交渉にはならない。「要望を聞き入れることのメリット、聞き入れないことによるデメリット」を語るからこそ交渉になるのだ。




 交渉する上で重要なのは「バトナ」だと著者は語る。バトナとはBest Alternative To a Negotiated Agreementの頭文字をとった言葉で、直訳すると「交渉による合意のための最良の代替手段」みたいな感じかな。

 要するに「交渉決裂時の他の選択肢」だ。

 つまりバトナとは、目の前の交渉相手と合意する以外にいくつかの選択肢(Alternative)があったときに、「交渉相手に、私はあなたと合意しなくても別の良い選択肢があるので、それよりも良い条件でなければ合意しない」と宣言できる他の選択肢ということになります。
 バトナとして良いものがあれば、目の前の人と必ずしも合意する必要はないので、交渉上、強い立場になれるわけです。
 逆に、バトナが悪い、あるいは、バトナがない場合は、たとえ条件が悪くても、その相手と合意するほうが決裂するよりはまだマシ、ということになりますので、交渉上、立場は弱くならざるをえません。
 交渉においていちばん初めにやらなければならないのは、できるかぎりたくさんの選択肢を持つこと。具体的には、目の前の交渉相手と合意する以外の選択肢を多く持つこと。
 そして、そのなかのいちばん自分にとってメリットの大きな選択肢(=バトナ)を持ったうえで交渉にのぞむこと。
 まずこれが、合理的な交渉の基本になります。

 ぼくは転職時にこれを実感した。

 数年前に転職したが、そのとき在籍中の会社をどうしてもやめたかったわけではない。「今の会社でもまあいいけどもっといい条件の会社があれば」ぐらいの気持ちだった。この余裕はすごく大事だ。転職先の会社と強気の給与交渉ができる。「別にこっちはこの会社でなくてもいいんですよ」という気持ちで臨めるのだから。

 大学生で就活をしていたときはそのへんをわかっていなくて「たくさん内定をもらっても最終的には1社にしか行けないのだから、たくさん受けてもしょうがないだろ」という気持ちでいた。行きたい会社だけを受けるから、不採用だったときはすごく落ち込む。余裕を失ってどんどん追い詰められ、最終的には「内定が出たらもうどこでもいい」ぐらいの気持ちになっていた。

 今ならわかる。大して行きたくなくても、とりあえず何社か内定はもらっておいたほうがいい。それがバトナとなって自信に満ちた面接ができる。


 何事をするにも、時間的・経済的に余裕があったほうがいいということだ。不動産を探すにしても「どうしても今週中に引っ越し先を見つけないといけないんです」という人より「今よりいい条件の物件があれば引っ越してもいいかな」という人のほうが良い物件に出会えるはずだ(前者は不動産屋からしたらいいカモだろう)。




 最終章で著者から若者に向けてのメッセージ。

 たしかに人は、ひとりではほとんど何もできませんし、いまの日本で行われているデモや各種の政治運動の多くは、現実の社会を動かす力とはなっていません。
 しかしだからといって、諦める必要はありません。正しい社会の捉え方と、正しい変革の方法さえ学べば、世の中を動かすことはできるからです。
 なぜ日本のデモや市民の政治運動が社会を動かせていないのか?
 それは、彼らの行動の多くが、ある意味「雲のようなもの」に向かって行われているからです。
 官公庁や大企業をいくら取り囲んでシュプレヒコールをあげたところで、そこで働くひとりひとりの人は、「まあ自分個人に向かって言われているわけではないしな」と思うのが自然な感情でしょう。
 総体としての組織、いわば不特定多数の顔の見えない人の集団にいくら文句を言ったところで、誰も「自分の責任でなんとかしましょう」とは考えてくれません。
 だから、各種のデモにはほとんど意味がないのです。

(中略)

 大きな権力や広いネットワークを持つ、「これぞ!」というキーパーソンや組織・団体だけを狙って、同時にいくつもの交渉をこなして、相手にとっても自分にとってもメリットがある合意を勝ち取っていく。
 そうすることで初めて、世の中を少しずつ動かしていくことができるのです。

 いやほんと。

 救命救急と同じだよね。「誰か救急車を呼んでください!」だと誰も動かないことが往々にしてあるけど、誰かひとりを指さして「あなた、救急車を呼んでください!」と言えば動いてくれるというやつ。


 いきなり社会全体を動かすなんて無理に決まっている。まずは誰かひとり。できるだけ影響力のある誰か。

 本気で世の中を変えようと思うのなら、デモをしたりSNSで愚痴ったりするより、地元選出の市議会議員にでも陳情に行くほうがよっぽど効果があるだろう。

 ってこんな僻地のブログでぐちぐち書いてるぼくが言うなよって話なんだけど……。


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