2017年6月16日金曜日

レトロニム

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レトロニム、という言葉があることを知った。

Wikipediaには

ある言葉の意味が時代とともに拡張された、あるいは変化した場合に、古い意味の範囲を特定的に表すために後から考案された言葉のことを指す

とある。
これだけ読んでも意味がわからないけど、

  • 携帯電話が主流になったので、それまで電話と呼んでいたものを「固定電話」と呼ぶようになった
  • 新幹線ができたので、それまでは鉄道と呼んでいたものを「在来線」と呼ぶようになった

といった類の言葉、といえばわかると思う。
「白黒テレビ」「アナログ時計」「地上波放送」など、新しい技術が普及すると古いものは名前を変えることを余儀なくされる。


中にはレッサーパンダのようにひどい例もある。
レッサーパンダはもともと単に「パンダ」と呼ばれていたが、ジャイアントパンダが人気になって「パンダ」といえばジャイアントパンダを指すようになってしまったため、わざわざ「レッサー(小さいほうの)」という言葉を付けられて呼ばれるようになってしまったという。

ぼくの通っていた中学校でも同じことが起こっていた。
シマという苗字の男子生徒が2人いて、身体が大きくて喧嘩が強いほうのシマくんは「シマくん」と呼ばれ、学年でいちばん背の低かったシマくんは「コジマ」と呼ばれていた。
レッサーパンダの件といい、つくづく弱者には厳しい世の中だ。


しかし、おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
どんなものであっても繁栄は長くは続かない。

自動車が普及したことで、それまでただ単に「車」と呼ばれていたものは「人力車」になってしまった。
しかし今ぼくらが「車」と呼んでいるものだって、きっと近いうちに「ガソリン車」とか「手動操縦車」とか「タイヤ車」とか呼ばれるようになるのだろう。

世の中が便利になることはありがたいことだけど、ちょっと寂しい気もする。
年寄りが「昔はよかった」というように、ぼくも歳をとったら「有人店」で「経口摂取食品」や「液体酒」を飲み食いしていた日のことを懐かしむことだろう。

だがノスタルジーで世の中の変化は止められない。
古いものは追憶の彼方へと消えてゆく。

もっと先の人たちにとっては、「太陽系地球」で「肉体生活」をしていた「ホモサピエンス人」のつまらない感傷など、想像することすらないだろう。



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