ネトゲ廃人
芦崎 治
ノンフィクションというより、ネットゲーム中毒になった人たちへのインタビュー集。
あくまで実体験を積み重ねただけで、考察は少ない。第9章の『オンラインゲーム大国、韓国の憂鬱』だけがちょっとデータ多めだけど、それでも個別の事例や談話が中心だ。
なので読んでいても「ふーん、たいへんだなー」とおもうだけ。
対策とか治療法とかは何もない。
ゲーム雑誌の企画でおこなわれたインタビューらしいので、ゲーム会社への批判的な視点もない。
つくづく何もない本。
まるでクリアもゲームオーバーもなくだらだらと続いてゆくオンラインゲームのように。
ゲームにはまっている(いた)人たちの話を読んでおもうのは、ネットゲームにはまる人が社会でうまくやっていけなくなるというよりも、社会でうまくやっていけない人がネットゲームにはまるのだということ。
家庭に問題があったり、学校や職場で疎外感を味わっている人がネットゲームに居場所を求めたり。
ゲームは避難場所なのだ。
ぼくはあまりゲームに夢中になることはないのだが、いっときネット大喜利なるものにはまっていた。2004年~2012年ぐらいのことだ。
インターネット上で大喜利好きの人たちが集まって、お題に対してこれぞとおもう回答を出すという遊びだ。で、回答に対してみんなで投票をして、順位をつける。
たあいのない遊びだ。でもこれに夢中になった。ひとつのお題に対して何十個も回答を考えたり、一週間ずっと回答を考えつづけたり。ぼくは回答もしたし出題もしたし自分で大喜利サイトも運営したしブログで他人の回答について寸評したしときには熱く議論をしたりもした。
傍から見ていると、なんでそんなことに夢中になっているの、それやって何になるの、と言いたくなることだとおもう。
でも当時のぼくは夢中になっていた。ぼくだけでなく、ネット大喜利に没頭している人は何十人、何百人といた。
だからネットゲームにはまる人の気持ちもわかる。
ネット大喜利で自分の回答が何十人の中で一位を獲ったときの快感は、実生活ではなかなか味わえないものだ。自分の才能が認められた! という気になる。
当時ぼくは就職活動がうまくいかなかったり、新卒で入った会社をすぐ辞めたり、体調を崩して無職だったり、ようやくフリーターとしてバイトをはじめたりと、あまりうまくいっていない時期だった。だからこそ余計にネット大喜利の世界は居心地が良かった。唯一の認められる場という気さえした。
それでも実生活に悪影響が出るほどネット大喜利にはまっていた人はそう多くなかっただろう。それは、ネット大喜利を運営しているのもみんな素人だったからだ。
今はどうだか知らないけど、当時のネット大喜利は運営側もみんな趣味でやっていた。金儲けの要素はぜんぜんなかった。課金制度もないし、やめられなくなるような巧妙なイベントやアイテムも存在しなかった。もしあったら、ぼくなんかはもっともっとはまって抜けだせなくなっていたかもしれない。
ぼくはもうネット大喜利をやっていないけど、当時知り合った人とは今も交流があるし(ほぼオンラインでだけど)、ネット大喜利があったから人生の低迷期をそこそこ楽しく乗りこえることができたともおもっている。
ゲームも同じで、ゲームばかりして人と出会わなくなるのは、きっとゲーム以外に原因があるからなのだ。
それを「ゲームこそが悪の根源だ! ゲームは一日三時間まで!」と言うのは、「薬を飲んでいる人は薬を飲まない人に比べて体調が悪い傾向がある! 薬を飲むな!」と言うようなものだ。
ゲームにはまっている人からゲームを取り上げてもその時間を勉強に向けるようにはならないよ。他の場所に逃げるか、何もしなくなるだけだよ。
数々の「ゲーム廃人」が口をそろえて言っていることがある。
子どものときにはまっていたらヤバかった、幼い弟にはやらせないようにしていた、自分の子どもにはやらせたくない。
ゲームにどっぷりはまっている人でも(はまっている人だからこそ?)子どもにはゲーム漬けになってほしくないとおもっているようだ。
大人とちがって子どもは、行動の選択肢が多くない。学校に居場所がなければ家にいるしかない。家でやることといったらゲームぐらいしかない。
「稼がないと生きていけない」「このままじゃ留年/退学になる」といったきっかけも少ないので、親や学校が何もしなければ外に出る機会はない。
子どもの場合、大人以上にとことんまではまりやすいのだろう(そしてゲーム廃人になってそのまま戻ってこられない子どもも多いのだろう)。
またおそろしいのは「親がゲーム廃人になった子ども」の将来だ。
さすがにこのエピソードには背筋が冷たくなった。
いやいやいや……。
「子どもがゲームに理解のある子なので」じゃねえだろ……。
どう考えたってすでに子どもの発達に影響出てるだろ……。
親本は2009年刊行なので、「ネトゲ」とはスマホゲームではなくPCゲームのこと。
小中学生でもスマホで手軽にゲームをやるのがあたりまえの今はこのときよりももっと状況が悪くなっているんじゃないかな。
「ゲームが教育に悪い!」と安易な決めつけはしたくないけど(そしてゲームそのものではなくゲームにはまる原因をなんとかしないと意味がないとおもっているけど)、子どもがゲームに大量の時間を投下するのはどう考えたって良くない。
体系的なゲーム依存治療法が確立されていない今、「子どもをゲームから遠ざける」が最適な方法になっちゃうんだよなあ。
ほんとはゲーム業界こそがゲーム依存症の治療にお金と労力を割くべき(そっちのほうが長期的には得をする)だとおもうよ。
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