2017年10月2日月曜日

キングオブコント2017とコントにおけるリアリティの処理

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『キングオブコント 2017』を観おわって「コントはリアリティはどう処理すべきなのか?」ということを考えたのでつらつら書いてみる。


ジャングルポケットの1本目のコント。
サラリーマンが痴話喧嘩に巻きこまれてしまい、やっと乗れたエレベーターがなかなか動きださない……。というストーリーだった。

エレベーターがなかなか出発しないという誰もが経験のあるような現実感のある設定。
徐々に明らかになる意外な真相。
妙な状況にを次第に受け入れてしまう心境の変化。
そして共感性のあるオチ。
よくできた脚本だった。

だが、3人の行きすぎた演技がすべてを台無しにしていた。
大会に賭ける意気込みが裏目に出たのだろうか、3人ともが終始大声を張りあげている。抑揚がまったくない。常にテンションの高い芝居は、裏を返せば盛り上がり所のない芝居と同じだ。

知らない人が「開」ボタンを押すのでなかなかエレベーターが動きださない。
場所は自分の会社が入っているオフィス。相手は同じ会社の人かもしれない。取引先の人かもしれない。そんな相手に向かっていきなり怒鳴り声をぶつけるだろうか?
ふつうのサラリーマンなら、しばらくは静観し、徐々にいらいらした様子を見せ、その後で「すみません、急いでるので先に行かせていただいていいですか?」と声をかけるだろう。それでも聞き入れられなければ、そこではじめて声を荒らげることになる。

痴話喧嘩をしている二人も同様である。
ふつうはわざわざ職場で別れ話をしないし、するのであれば押し殺した声でおこなう。己の恥になる話を、わざわざ知り合いに聞かれるような大声で話すわけがない。

このコントでは徐々にヒートアップしていく過程が完全に省略されて、3人ともがいきなり声を張りあげている。リアリティは破綻して、せっかくの緻密な脚本がわかりやすいドタバタ喜劇になりさがってしまったのは残念だ。
あの脚本そのままで、たとえば東京03が演じていたならめちゃくちゃおもしろいコントになっていただろうなあ。



コントでは、じっさいにはありえない設定を描くことができる。
「火星を探検する宇宙船の中」でも「ブサイクのほうがもてる世界」でもいい。

ただ、どんな無茶な設定を持ってきてもいいが、芝居である以上、その中の登場人物の行動には説得力がなくてはならない。
西暦3000年だろうが、ブサイクがもてる世界だろうが、人は理由もなく他人をぶん殴ったりはしない。何の得もないのに己の財産を投げ捨てたりもしない。
どんなに頭のおかしい人でも、自らの行動原理に基づいて動いている。狂人には狂人のルールがある。


パーパーの卒業式コントで描かれる男は、好きでもない女にキスをせまったり、女を5人集めてくることを要求したりと「めちゃくちゃヤバいやつ」だが、彼の言動には彼なりの論理がある(女を5人集めさせる理由の説得力よ!)。
だから観客は共感はできなくても理解ができる。そしてその論理のおかしさを笑うことができる(まあコントはウケてなかったけどね)。


アンガールズが2本目に披露したストーカーのコントも同様で、好きな女性の夫をつけ狙う男は異常者ではあるが彼の行動は首尾一貫している。
だから設定としては破綻してはいないのだが、残念なのはその行動を自ら説明していること。
ふつうの人は、自分がとった行動とその目的をわざわざ他人に説明したりはしない。そもそも自分の中でも明快な解釈を持っていないことがほとんどだ。


GAG少年楽団も、「幼なじみの男女の50年間の微妙な関係性」という壮大なテーマを示しながらも、すべての歴史を台詞で説明してしまったことでずいぶんと安い芝居になってしまった。
あれを台詞ではなく演技だけで表現することができたならまた違った結果になったのだろうが、あまりに時間が足りないよなあ。



コントにリアリティをもたすための処理がうまかったのは かまいたちだった。
彼らが2本目に披露したウェットスーツを脱がすコントでは、序盤に「4時間もウェットスーツが脱げないんです」という状況を説明している(しかも不自然にならないように、店員が本店に電話で説明する形をとっている)。あのくだりは笑いをとる上では冗長な部分だが、コント全体にリアリティを与えるという意味で重要な役割を果たしている。
「4時間後」から始めることによって、さらに「鬱血してきている」という説明をくわえることで、客が鋭く店員をなじる様子に説得力が与えられる。店員の手違いで着せられたウェットスーツが脱げないまま4時間も待たされたのなら声を荒らげて怒るのも無理はないな、と思える。
「あれ? 脱げないな」という状況からはじめてもコントとしては成立するが(そしてそのほうが導入はスムーズだが)客が店員に強いツッコミを入れることの説得力は失われていた。


さらば青春の光も、大会の常連だけあって説得力を持たせたコント運びをしていた。
2本とも、序盤は違和感を遠慮がちに指摘するだけにとどめ、徐々に不条理さのギアを上げていってから、強めのフレーズで糾弾している。いつのまにかありえないシチュエーションになっているけど、じわじわとエスカレートしていくので無茶めな行動もすんなり受けいれられてしまう。
じつにうまく観客をあざむいている。
さらに彼らはルックスや演技力も設定とぴったりあっていて、そこでも説得力を持たせていた。「居酒屋でひとりでささやかな晩酌をしているサラリーマン」「ちょっと客をなめた感じの居酒屋店員」「40代でバイトの警備員してる人」の風貌してるもんなあ。



先ほど、人はそれぞれ正当な行動原理を持っているはずと書いたが、その行動原理を意識的に破壊しにいったのがアキナだった。
誰もが「これはボールを拾いにいくだろう」と思う状況で行かない、ふつうの人なら言葉にしなくてもわかる暗黙のルールを理解しないなど、静かな狂気を描いていた。

試みは理解できるのだが、共感性を欠く男の狂気性をじっくり描くには時間がたりなかったのだろう。わかりやすい記号(サスペンスでおなじみの音楽)を用いたり、わかりやすい残酷性(「ピーターパンも焼いたら食べられる」発言)を入れたりしたことで、常人と紙一重のところに存在する狂気が、ずいぶん陳腐なものになってしまった。


なによりアキナの最大の不幸は、コントを披露する順番が、リアリティや論理性のある言動の一切を放棄したニャンコスターのコントの直後だったことだ。常識を捨てたコントの後に常識のずれた人物を描いてもパワーダウンの印象は免れない。今大会でいちばんくじ運で損をした組かもしれない。

ニャンコスターは、リアリティのある設定や人物描写や文脈のつながりを捨て、さらには暗転前に自己紹介を放りこむことでコントは芝居であるという大枠すらぶっこわしてしまった。
(たしかに革新的ではあったがコントの概念が変わると喧伝されていたのはいささかオーバーだ。キングオブコント初代王者のバッファロー吾郎もリアリティを完全に放棄したコントを披露していたではないか)


リアリティを欠いたコントは評価を落とすが、リアリティを捨てたコントは受け入れられる。
それは、ストーリー漫画では設定に矛盾があってはならないが、ギャグ漫画では矛盾が許されるようなものだ。
ギャグ漫画では、爆発の衝撃でふっとんだ人物が次のコマで包帯ぐるぐる巻きになっていて、さらにその次のコマでは完治していてもかまわない。誰も「すぐに包帯を巻けるはずがない。設定が破綻している」とはつっこまない。突拍子もない展開もある種の記号として処理する暗黙の了解が共有されているからだ。



コンテストの結果は、誠実にリアリティを追求したかまいたちが1位、でたらめな虚構世界をつくりあげてショーに徹したにゃんこスターが2位、巧みな嘘で観客を見事に騙したさらば青春の光が3位。

もちろん3組とも大きな笑いをとっていたが、コントに説得力をもたせることに成功した3組が上位を占めたというのは、芝居としての構造的に見てもおもしろい大会だったなあ。



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