すべての教育は「洗脳」である
21世紀の脱・学校論
堀江 貴文
冒頭から「学校は必要ない!」なんてカマしてくるから「やっぱり読むんじゃなかったかな……」とおもいながら読んだのだが、わざと露悪的なことを言っているだけで言っていることはわりとふつうだった。平凡すぎて逆にがっかりしたぐらい。
「親や教師から言われたことを鵜呑みにするな」とか「これからの時代、国家の重要性はどんどん下がっていく」とか「学ぶことは重要だ。何かに打ちこんでスペシャリストを目指せ」とか、書いてあることはいたってまともだ。がんばって炎上芸をやっている、という感じだ。
これまで堀江貴文さんの書いたものをちゃんと読んだことがなく、ときどきネットニュースで「ホリエモンの暴論に賛否両論!」みたいな記事を見る程度だったので、どんな乱暴な意見が読めるかと身構えていたのに、肩透かしを食らった気分だ。
第1章の『学校は国策「洗脳機関」である』はかなり強めの語調で書かれていたのでおもしろかった(まったく賛同はできないけど)。
ま、言ってることはわかるんだけど。
でも世の中の人ってそんなにはっきりと「従順」と「独立志向」に分かれるものじゃないとおもうんだよね。まあ「一度も人の下で働いたことがなくて起業して成功した人」もいるけど、それよりは「従順さと独立志向の両方を持ち合わせて成功した人」のほうが多いはず。
アーティストなんかでも、成功するのは芸術的センスが優れている人ではなくプロモーションが上手な人って言うし。すべての面で卓越した技能と知識を持った人なんていないんだから、ある面ではエゴイストで、ある面では従順な人のほうがうまくやれるとおもうんだけどな。
たしかに学校には無駄も多いけど、それをもって学校は不要とまで言い切るのは極論だぜ。せっかく多くのノウハウが詰まった教育システムがあるんだから、全否定するんじゃなくて、必要に応じてうまく学校教育を利用したらいいとおもうよ。
教育よりも他の話のほうがおもしろかった。
「所有」の話とか。
立川こしらさんという噺家が、家を持っていないという話を読んだことがある。ずっとホテル住まいで、服なんかは使い捨てをしてるとか。たしかに移動の多い生活をする人にとっては家がないほうが合理的かもしれない。
ぼくはここまで合理的な考えはできないけど、インターネット以前に比べれば「モノを所有したい」という欲はずいぶん減った。昔は本やCDをたくさんコレクションしていたけど、CDはもう聴かなくなったし、どんなに好きな本だってほとんど読み返すことはない。特に情報を得るツールに関しては、所有の価値はすごく下がった。
あとこれは経済的余裕ができたからでもあるかな。貧しい人のほうがモノが多いという話を聞く。お金に余裕があれば「また必要になったら買えばいい」とおもえるもんな。
個人的にはあんまり共感できなかった(ぼくは古い人間なので)けど、いちばん納得できたのは以下のくだり。
そうだよね。「自分の強みを活かそう」と考えてしまうけど、自分でおもう自分の“強み”なんて大したことじゃないんだよね。逆に自分からしたら「えっ、そんなのあたりまえのことでしょ」とおもうようなことが強みだったりする。苦労して身につけたことよりも、自然と身についたことのほうが価値がある。
たとえばマンガの神様・手塚治虫さんは医師免許を持っているけど、最初から「せっかく取得したこの医師免許を活かして何かできないか?」と考えていたら、あの偉大な作品たちは生まれていなかっただろう。「医師免許なんかどうでもいい、マンガを描きたいから描く!」という意識だったからこそ大成したのだろう。
「せっかく長年この仕事をやってきたからそれを活かして次の仕事を探そう」とか「せっかく資格があるからこの資格を活かした仕事を」とかのセコい考えじゃだめだってことね。これは経験上、観測上でもうなずける話だ。
読んでいておもったんだけど、この本を読んで「なるほど、さすがホリエモン。いいこと言う。俺もこんなふうに生きよう!」とおもう人は、堀江さんが最もばかにするタイプの人だ。堀江さんが言うところの“従順な家畜”だ。
ここに矛盾がある。堀江さんはオンラインサロンとか有料メルマガとかやってるみたいだけど、その顧客こそが最も堀江さんが目指す人間から遠い人たちなんじゃないのか。
それを堀江さんもきっとわかっている。わかっていて、でもお金を払ってくれる大事な客だから、その人たちを気持ちよくさせるようなことを言う。
うーん。
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