2024年10月9日水曜日

【読書感想文】ヤニス・バルファキス『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。 』 / 経済に関心の強い大人の娘向け

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父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。

ヤニス・バルファキス(著) 関美和(訳)

内容(e-honより)
元財務大臣の父がホンネで語り尽くす!シンプルで、心に響く言葉で本質をつき、世界中で大絶賛されている、究極の経済×文明論!

 ギリシャの財務大臣だった経済学者が、娘のために書いた(という形の)経済の本。

 同じく娘を持つ父親として、お金について教える参考になるかと思って読んだのだが……。正直言って「娘に教える」という点ではほとんど参考にならなかった。てっきりうちの娘(11歳)ぐらいを想定しているのかとおもったが、この本の内容を理解できるのは少なくとも大学生以上じゃないかな……。まあ何歳になっても娘は娘なんだけど……。



 前半は少し退屈。

 というのも、世界的ベストセラーとなった『銃・病原菌・鉄』『サピエンス全史』あたりのただの要約だったから。

 お腹を空かせて泣きながら眠りにつく子どもたちがいることに、君は怒っていた。だけどその一方で、(子どもはみんなそうだが)君自身はおもちゃや洋服やおうちを持っているのを当たり前だと思っているはずだ。人間は、自分が何かを持っていると、それを当然の権利だと思ってしまう。何も持たない人を見ると、同情してそんな状況に怒りを感じるけれど、自分たちの豊かさが、彼らから何かを奪った結果かもしれないとは思わない。貧しい人がいる一方で、金持ちや権力者(といってもだいたい同じ人たち)が、自分たちがもっと豊かになるのは当然だし必要なことだと信じ込むのは、そんな心理が働くからだ。しかし、金持ちを責めても仕方がない。人は誰でも、自分に都合のいいことを、当たり前で正しいと思ってしまうものだ。それでも、君には格差が当たり前だとは思ってほしくない。

 大人になると慣れて麻痺してしまうんだけど、使いきれないほどの財産を持っている人がいる一方で、今日の食べ物がなくて飢えて死んでしまう人がいるのはやっぱりおかしい。べつに前者が優秀で後者が怠惰だったから、というわけでもない。世界の大富豪と呼ばれている人たちだって、生まれる国や時代が違っていたら、ずっと貧しいまま死んでいっただろう。

 なぜ格差は広がるのか。様々な研究が、農耕の始まりが貧富の差を生んだことを明らかにしている。

 狩猟採集社会では格差は生まれない。みんなで協力して獲物を狩り、みんなに分け与えるから。狩りで活躍した人は多めに分け前をもらうぐらいの差はあるが、大きな格差にはならない。なぜなら狩猟採集社会の基本は「今日明日食べる分を今日集める」であり、貯蔵可能な食糧や財はほとんどないからだ。

 人類が農耕をはじめたことで余剰の富が生まれ、それを交換するための貨幣がつくられた。そして貨幣経済の誕生とともに借金が生まれた。

 借金というシステムこそが、人々が貨幣を中心に行動することを決定づけたものだった。

 金融機関の役割とは何だろう?
 銀行は、貯金があってもすぐに使う予定のない人たちと、貯金がなくおカネを借りる必要のある人たちのあいだに立って、両者を結びつける。預金者からおカネを預かり、借り手にそのおカネを貸し付けて利子を取り、預金者には少しの利子を支払い、その差で儲ける。最初はそれが銀行の仕事だった。だが、いまは違う。
 たとえば、ミリアムという女性が自転車を製造しているとしよう。ミリアムは銀行に5年の返済期限で50万ポンドの借金を申し込んだ。炭素繊維でより軽く強い自転車のフレームをつくりたいからだ。
 ここで質問。銀行はミリアムに貸す50万ポンドをどこで見つけてくるのだろう?
 早合点しないでほしい。「預金者が預けたおカネ」は不正解。
 正解は「どこからともなく。魔法のようにパッと出す」。
 では、どうやって?
 簡単だ。銀行の人が5という数字の後にゼロを5つつけて、ミリアムの口座残高を電子的に増やすだけ。ミリアムがATMで残高を見たら、「50万ポンド」という数字がスクリーンに映し出される。ミリアムは飛び上がって喜び、すぐにそのおカネを材料の仕入先に送る。そんなふうに、どこからともなく50万ポンドがパッと目の前に現れるのだ。

 物々交換の社会ではこうはいかない。

 物々交換社会でも、貸し借りはできる。「腹が減ってるけど食い物がないからリンゴをくれないか。今度魚が取れたらあげるから」という約束は可能だ。だが、持っているもの以上には貸せない。リンゴを五個しか持っていない人が十個貸すことはできない。

 貨幣経済ではそれが可能だ。べつにコンピュータの誕生によってできるようになったわけではない。大昔から、貨幣ができたときから、信用によって持てる分以上の貸し借りができたと著者は説く。

 こうして財産は無限に増えることが可能になった。絶対に返してもらえるという信用さえあれば、何百億円という額の借金ですら可能だ。その人が一生働いても返せないぐらいの金を借りることもある。冷静に考えればすごく異常なことだが、すっかりあたりまえになっている。

 誰だったか忘れたが、事業で失敗して何十億円という借金を背負った人の話を聞いたことがある。その人は「何百万円の借金なら、働いて返せとか臓器を売って返せという話になるが、何十億も借金があるとどうせ返せるわけがない。返せないほどの金を貸したほうが悪い。だから小さい借金なら貸したほうが強気に『返さんかい』と言ってくるが、大きな借金を抱えていると立場が逆転して『お願いですから返してくださいよ』となる。殺すぞと脅されたって、殺したら金が返ってこなくなるんだから殺せるわけがない。気楽なもんよ」みたいなことを言っていた。

 なるほど、マイナスが大きくなりすぎると逆にプラスに転じるのかと感心したものだ。貨幣経済のバグ技だ。

 といってぼくにはそんな借金を抱えるほどの度量もないし、そもそも大金を借りられるほどの信用もないんだけど。



 「未来は機械が何でもやってくれるので人間が働かなくて済む」という未来予想がある。昔のSFによくあったやつだ。残念ながら2024年現在、まだまだ人間は働かないと生きていけない。

 いったいいつになったら働かなくても生きていける世の中になるんだ!

 現実には、次のような展開になる。借金で最新の機械に投資していた起業家は、あてにしていた利益が実現できないことに気づく。多くの製品価格が一斉にコストを下回ると、競争力がなく効率の悪い企業は大きな損失を出して倒産する。銀行に借金を返済できない企業が増えると、それが引き金になって先ほど話した一連の出来事が起きる。つまり、経済の循環が止まり、経済危機が起きる。経済危機が起きると、人も機械も余るようになる。不要になるのだ。この時点で生き残っている起業家はふたつのことに気づく。ひとつは、多くのライバル企業が倒産して、競争が減ったこと。生き残った企業は少し価格を上げることができ、事業が少し上向きになる。もうひとつは、機械を買うより人間を雇うほうが安上がりになること。人間は食べていかなければならないので、どんな賃金でも仕事につこうとする。不況の最中に、人間は雇用主にとって魅力的な労働力になり、機械に奪われた仕事をいくらか取り戻すようになる。実際に、2008年の金融危機に続く最悪の世界的不況の中で、人間の労働力は国際市場において大々的に復活した。

 ううむ。経営者が機械化・自動化が進めても、価格競争が起こるので大して儲かるわけではない。従業員の解雇が進み、残った従業員の負担が増え、経営者も儲からない。誰も得をしない。

 おまけに解雇が増えれば市場の購買力は落ち、商品は売れなくなる。企業はより儲からなくなる。倒産も増える。失業者も増える。

 すると、機械を使うよりも人間を使ったほうが安くなる。動作を止めて置いておける機械とちがって食っていかないと死んでしまう人間は、いざとなったら安い賃金でも働くから。そして雇用が増え、市場の購買力はまた回復してゆく……。

 ううむ。なんともせちがらいスパイラルだ。いろんな発明が生まれて世の中はどんどん便利になっているはずなのに、我々の暮らしはちっとも豊かにならない。機械があれこれやってくれるようになるほど、我々は必要とされなくなるのだ。必要とされるのは、機械より安く働く人だけ。つらい。



 技術が進歩しても、人々は幸福になれない。それはやはり社会の仕組みに問題があるからだろう。

 すべての人に恩恵をもたらすような機械の使い方について、ひとつアイデアを挙げてみよう。
 簡単に言うと、企業が所有する機械の一部を、すべての人で共有し、その恩恵も共有するというやり方だ。たとえば機械が生み出す利益の一定割合を共通のファンドに入れて、すべての人に等しく分配してはどうだろう?それが人類の歴史をどんな方向に変えていくか、考えてみてほしい。
 いまのところ、自動化の増加によって、全体の収入の中で労働者に向かう割合は減り、ますます多くの富が機械を所有するひと握りの人たちのポケットに入るようになっている。ここまでに説明したように、富の集中が極まると、大多数の人たちは使えるおカネが減り、ものが売れなくなる。
 だが、利益の一部が自動的に労働者の銀行口座に入るようになれば、需要と売上と価格の悪循環が止まり、人類全体が機械労働の恩恵を受けられる。

 すごく単純に言うと、金持ちが富を独占するのをやめてみんなに配るようにすれば、みんな等しく幸福になるということだ。

 むずかしいけど、決して不可能なことではないとおもう。

 少し前に読んだ『格差は心を壊す ~比較という呪縛~』によると、格差の大きな社会は、格差の小さな社会に比べてすべての階層で幸福度が下がるのだ。大きな格差は、貧しい人だけでなく、金持ちをも不幸にするのだ。

 格差が小さくなれば、社会全体の購買力も上がる、将来への不安が小さくなるので経済が回る、貧困層の犯罪が減って治安が良くなるなど、社会全体にとっていいことづくめだ。


 考えるべきは「どうやったら経済成長するか」じゃなくて「どうやったら格差を縮められるか」なんだろうね。


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